ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年12月25日(木)
筆談で広がった少女の思い2
 昨年度、パソコンで文字の表現が可能になり、その後、先生と筆談へ移行していった現在小6の女の子が都内の特別支援学校にいる。今回、まず、担任の先生による筆談で、終始にこにこしながら、いろいろなことを語ってくれた。
 昨年、わかってほしい気持ちを激しくぶつけてきたことが、うそのように、穏やかな少女がそこにいた。
 そして、筆談をしながら、先生と一緒に書いた文章も見せていただいた。日を追うごとにきれいになり、なめらかになっていく筆談の文字に、コミュニケーションがどんどん広がっていった軌跡が示されていた。先生の筆談の通訳で、いろいろなことを語った。彼女の書いた詩は、大きな詩のコンテストにも入賞していて、もうすぐ、公表されるとのこと、確実に広がりを見せている彼女の姿が、私は、本当にうれしかった。
 時間があとわずかになったところで、ふと、ワープロで話してみたくなった。久しぶりにあった私だと、また、違うことが語られるかもしれないという思いがしたからだ。時間がないということもあって、出せる限りのスピードを出すと、彼女はしっかりとついてくる。そして、書かれた文章だ。

わたしのことばをなぜみんなしんじてくれないのでしょうか
ふしぎですかんがえただけでことばになっていきます
ちいさいときからじをおぼえていたのになかなかあらわすことができませんでした
きらいなことばかりがっこうでやらされていやになっていました
きびしかったです
にんげんとしていきていきたいとおもっていたのできびしかったです
いいにんげんになりたかったけどなかなかなれませんでした
いいにんげんになるためのきぼうがでてきました
いいちゃんすをいただけてかんしゃしています
きぼうがわいてきました
いいにんげんじゃなかったけどいいにんげんになりたいとおもいます
きぼうにむねがふくらみます
きぼうがでてきましたきもちがいえてうれしいです
きもちがいえてきもちがらくになりました
いいほうほうですね
おどろきです
ちいさいときからいいたかったです
にんげんだからきもちをつたえたかった
いいたいことがいえてよかった

 この日の筆談の資料は、手元にないので、掲載できるのはこのワープロの文章だけだが、率直な思いが語られている。一人の少女が、こんなふうに自分を見つめ、いい人間として生き直そうとしているというその場面に立ち会えているというだけで、厳粛な気持ちにさせられる。もちろん、彼女は、ずっといい人だった。しかし、いい人であることを、私も含めた社会が認めきれなかったのである。人を育てる教育が、静かに営まれているこの学校の実践に、心から敬意を表したいと思う。そして、こうした実践の広がりを心から願う。

2008年12月25日 22時40分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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筆談で世界が広がった少女の思い1
 ある都内の特別支援学校でのできごと。2年前にパソコンで文字を表現できるようになった現在小3の女の子は、現在手を添えられることによる筆談で気持ちを表現している。先生も家族も筆談の支援が可能で、表現の世界が格段に広がった。
 そんな彼女に、あえて、パソコンで表現してもらった。それは、一
緒に話がしてみたかったからである。 

きもちをいいたいとおもってきました
いいたいことがいえるようになれたらいいなとおもってきたのでひつだんができるようになっていいたいことがいえるようになっていいいきかたができそうです
きぼうがわいてきました きぼうがいっぱいねがいとともにでてきました
ひつだんができるようになっていいたいことがいえるようになってからきもちがおだやかになってきました
いいきもちです にちじょうかいわをしているようなかんじです
いいほうほうですね きもちいいです

 ここで「いたい」という彼女の限られた音声言語が発せられた。「あしが痛いの?」とお母さんが聞くと、

あしじゃなくてきびしいからだのことです

との答えがあって、次のような文が続いた。。

じぶんのからだだけどちいさいときからどうしようもなかった
いしとからだがばらばらなのでつらかったけどきもちがいえるようになってきがらくになりました きぼうがわいてきました
かみさまはいるとおもいます

 ここで、担任の先生やお母さんとの筆談に頻繁に登場してくる神のことについて、お母さんから彼女に質問が投げかけられた。

じぶんのきもちをきいてくれてきもちがやすらぐかみさまがいます
ひとにはみえませんがりかいしてくれるたいせつなそんざいです

 ここで、私は、多くの子どもたちが作り出している想像上の友だちと同じ役割の存在だろうと説明を加えると、さらに担任の先生は、さっき突然泣き出したのもそれと関係あるのと尋ねた。すると次のように綴られた。

きていたのは☆☆ちゃんです
いきていたときにきもちをかけなかったのでかなしがっています
ちいさいころからいっしょだったからいつまでもいっしょです
きもちをひとりでもおおくのひとにきいてもらいたい
りかいしてもらいたいです

 ☆☆ちゃんのことは私も知っていた。前におじゃました時に、彼女は給食の時間、同室となる☆☆ちゃんのことを私に紹介しようとる。そこで、小声で、☆☆ちゃんも言葉があると言いたいの?と尋ねると
、うれしそうな表情をした。しかし。それっきりになってしまっていて、10月におじゃました時に逝去の事実を知らされた。間に合わなかったのだ。その無念の思いが、彼女に☆☆さんの「霊的な存在」を生み出し、その思いを代わりに伝えているのである。あまりにも厳しい事実でありながら、その厳しさ自体が知られていないのである。短い言葉だが、上の5行の中には、私たちの社会の未熟さが隠されている。
 ここで話を変えて、詩について尋ねてみた。すると、次の詩が書かれた。  

うつくしいにわにいるしずかなことりにいいたい
ちいさいとりはどうしてきれいなの
いいとりはいいました
いましろいはながいっぱいさいているところに
つれていってください
ちいさいとりはいいました
しろいはなのさくくには きたのほうにあります
きたのほうにあって いざめざそうとすると
だれもいけないところです
じぶんのこころにすなおになると 
いくべきほうがくがみえてきます
ねがいをもってあしたをみつめていれば 
きっとみえてくるでしょう
きたのくににあるしろいはなをさがしに 
きたのくにをめざして
わたしはひとりたびだつ。

 こうした幻想的な世界を思い浮かべて、希望を育てていくという心の働きは、気持ちをきいてくれて心が安らぐかみさまがいるという心の世界と相通じるものだろう。
 また、彼女は、すでに先生と詩も書いているのだが、それとひと味違うのは、これが、自分一人の世界の中で、幻想的な世界を思い浮かべて、思うように体がいかない自分をいやしているというもので、人に聞いてもらうことを前提としていないところかもしれない。
 ところで、途中で、「いたい」と声を出しながら、一方で文章をよどみなく綴っていることについて、あらためて尋ねてみた。答えは、

きもちがかってにこえになるのでできる

 ということだったが、どうも、声だけではなく、きもちが体の動きにもなっているように思われた。
 ここで、お母さんから、一緒に見に行ったミュージカルのことを聞いたら「いみがわからなかった」と筆談で返してきたので、とてもがっかりしたのだけど、それはどういうことだったの?と質問がきた。

がっかりしないでおかあさん
いいみゅーじかるでした
きゅうにきかれたのでいいかげんにこたえてしまいました
かなしいものがたりでした
いいみゅーじかるでした
きりすときょうのかんがえがかんどうてきでした
なんでもゆるすというかんがえがすてきでした

 さらに、餅つき大会で、去年の記憶とつながっているのだろうかと思わされるようなことがあったので、そのことも尋ねた。

きおくのことはいいかげんにいってしまいました
こわいきもちはなくなりません
きねがぶつかってきそうだからです
いきているみたいでこわい

 答えは以上の通りだった。
 どんどん、豊かに広がっている彼女の世界が、本当にすばらしかった。
 そして、これが、学校の実践として、日々営まれていることが、本当に貴重に思われたし、新しい時代を先取りした姿があるように思われた。
2008年12月25日 22時21分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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