年末の一日、20代の女性、○○さんのお宅をおじゃました。お父さんから、お招きを受けたからだ。お宅へおじゃますると、さっそく、おいしいお酒をいただきながら、話に花が咲いた。○○さんは、お父さんに抱えられて一緒に食事をしながら、話に耳をすませている。
○○さんの食事も終わり、横になっているところで、だいぶお酒のまわった私は、パソコンではなく、手で話してみようと、彼女と手をつないで、手を軽く引っ張りながら、「名前を書いてみて」と頼み、「あかさたな」と唱えてみた。すると、的確なところで、私の手を引っ張るような動きがかすかに入ってくる。これはいけると、どんどん話してもらった。書き取ってもらわないと、文章を覚えているのは大変だったが、何一つ機械を使わずに、ただ、手を引き合うだけで気持ちが表現されていく。この方法は、別のところで、パソコンがどうしてもうまくいかない高校生に、考え出した方法をまねたものだが、その人の独自の方法というところでとどまっていた。もしかしたら、一つのコミュニケーションの方法として、広がりがある方法かもしれないと思った。
以下は、そうして綴られた文章である。
(お母さんへひとことお願いします。)
疲れている、すみません、私のことで。
いつも疲労してしまって入院しないで元気でいてほしい。
四面楚歌の状況かもしれないけど、逃げないでがんばりましょう。
うれしい、手だけで話ができて。願いがかなうとは思わなかった。おねだりしよって思わなかったけど、書きたかった。
小さい願いだけど、言いたいことがあります。いつまでもお母さんには元気でいてほしい。意志が言えてよかった。
(お酒は好きですか)
すきです。
(お父さんへもお願いします。)
元気でいつまでも働いてください。
(いつも口にくわえているタオルがあった方がいいですか?)
はい。指が痛くならないから。気持ちとは別に手が動いてしまう。気持ちがちょっと楽になりました。
知りたいことがあります。学校の先生、信じてくれますか?
心配です、聞こうともしてくれない先生がいっぱいいるので。願っています。みんなの言葉を知ってぬいぐるみの環境が変わっていくことを。
ぬいぐるみの環境という言葉が重く響く。
ここで、詩のことについても尋ねてみた。すると、次の詩が書かれた。
北風をごきげんにして
宇宙の人間に希望を与え
北の方から人間のため 吹いてくる
北風は 願い求めて吹いてくる
彼女もまた、言葉によるコミュニケーションの閉ざされた世界の中で、言葉が紡ぎ出すファンタジーの世界を持っていた。
新しい年が、○○さんにとって、いっそう良い年であることを心から願っている。
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2008年12月30日 09時11分
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21歳になった○○さんと1年ぶりに会った。前回は、まだ、うまく文章を書けるような援助ができなかったが、今回は、最初からスムーズに援助することができた。あっという間の1年ではあるけれど、私の側の変化を感じる。1年前は、まったくなすすべがなかったのだから。
きてくれてありがとう きのうからまっていました くれのいそがしいときにきてくれてありがとうございます
初めて綴った文章がこれだが、まるで、前から書いているような自然さだった。そして、いくつか文章が続いた後、次のような思いが綴られた。
いいたいこといいたいとおもってきたのでうれしいです
しんじてくれてありがとう
いいたいことがいえたらいいとおもってきたけどあきらめていました
ゆめでしたきもちをことばでいうことが
じぶんのきもちがいいたかった
きちんといいたいことがいいたかった
いままでずっといいたいことがいいたかったけど
いえなくてくやしかったです
きのうからしばたせんせいをまっていてきびしいきもちがらくになりました
そして文字を覚えた経緯についてやりとりした。
(文字はいつどうやって覚えましたか?)
ちいさいころにちいさいころにいさむくんがえほんでおしえてくれた
(いさむ君とは?)
ちいさいときのともだちです
きたいしていたけどじぶんではつかうことができませんでした
(もしかしたら自分で作った友だち?)
きもちがきいてもらえるこころのなかのともだちです
(本当に絵本を読んでくれたのは誰ですか?)
おかあさんとおとうさんです
きぼうがでてきました
いちばんいいたいことはきかいがなかったからじぶんひとりでおぼえたということです
そしてお父さんとお母さんにメッセージはありませんかというと、満面の笑みを浮かべて次の文章を書いた。
いままでたいせつにそだててくださってありがとうございます
いいりょうしんにめぐまれてしあわせです
きになっていることがあります
しせつになったらきにくくなるのではないかということです
きにくくなったらむりをしないでください
ちいさいときからじぶんのことはじぶんでやりたいとかんがえていたのでだいじょうぶです
いいところがあったらしずかだったらどこでもいいです
きぼうがでてきました
きもちをいうことができるとはおもいませんでした
いいきもちです いいじかんです
(現在の通所施設はどうですか?)
きれいなところでちゃんとしたしょくいんがいてあんしんです
(以前、会った時、自分はショートステイの施設に入って、ご両親が旅行に行ったという話をした時、とてもいい笑顔をしたよね。あれはどういう気持ちだったの?)
のぞみでした おかあさんとおとうさんがいいじかんをすごすことが
だからいいえがおになりました
ここでお母さんから食事の時のことについて質問ががあった。
いいたいみんぐでないとちゃんとのみこめないからじぶんでなかなかたべられないのでじかんがかかってしまう
(タイミングとは?)
のみこめそうなたいみんぐ
いいちゃんとしたたいみんぐだとのみこめます
なれないひとにはみためではんだんされてしまいきもちがしゅうちゅうできません
ちゃんとたべさせてくれるひとにはきもちがしゅうちゅうできます
ここで、驚きを隠せないご両親をさらに驚かせる質問をした。詩のことだ。
かけます ちいさいころからしをつくっていました いいきぶんになるためです
きいてください
きにきをつないでもりをつくろう
ちいさいきからひろがっておおきなもりができる
いのりとともにちいさなきはきょだいなもりとなる
しずけさのなかでとりがうたいはながさく
ちいさなこころとこころをつないでゆめをつくろう
きぼうにみちたみんなのゆめを
きじのなくこえがしてきがついたらそこにはなにもなかった
いいきたのかぜがふき
ちいさなゆきをふらせた
きたのかぜはきぼうをはこぶかぜ
ねがいをにびいろ(鈍色)からしろいいろにかえる
きたのかぜはいいかぜだからきぼうをのせてふいてくる
きたからふくかぜにきぼうをちいさいじぶんはいただいて
きたのくにのきぼうばかりをまちのぞむ
きたのきぼうのしずけさはきぼうにいきるきたのくにのひとびとのもの
きのうのちいさなびょうきのようなくるしみをいやし きぼうにかえる
きのうのちいさなきずついたこころをいやし きぼうにかえる
いいじかんがながれ いいりそうのしずけさがちいさなじぶんをつつむ
きのうのきずついたこころは きぼうにみたされて しずけさのなかでひざまづく。
いったん描かれた美しい情景は、雉の声でかき消されてしまう。しかし、そこで、もう一度、改めて希望をもたらす北の風が吹くという展開には、胸をつかれる思いがする。それだけに、獲られた希望は重みがある。
しをつくっているときもちがおちつきます きもちがしずまります
だからしをつくっています じぶんのためにつくっています
そして、最後にひとこととお願いした。
きょうはとてもうれしかったです
きびしかったけどじぶんのいいたいことがいえてよかったです
きじのこえはいぜんちいさいしいかのなかでしりました
きじもなかずばうたれまい
きじはおとうさんとしょうわこうえんでもききました
いいこえでした
いいじかんをすごさせていただいてかんしゃしています
いいにんげんになりたいのできもちをきちんといえるようになりたいです。
彼が気持ちを日々の生活の中で語れるようになるには、まだまだ越えなければならないハードルがいくつかある。しかし、そのハードルを越えるための歩みはすでにスタートが切られたといっていいだろう。彼が、その先に目指しているのは、いい人間になるということだ。その崇高な目標への歩みを、少しでも援助できるよう、さらに私自身の研鑽をつまなければならない。
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2008年12月30日 08時08分
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