ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2013年06月05日(水)
病魔去れ ここには天使の見守れり
H君とSさんの病室を訪問しました。H君は、中学生になったので、この機会に、病院のみなさんにお礼をきちんと言っておきたいと、文章を綴りました。

   中学生になって

 ぼくはまれな難病を背負ってこの世に生まれてきましたがN病院のみなさんのおかげでここまで成長することができました。N病院に来なければ今のぼくはありません。 
 なつかしいのはよい治療法がないけれど最善をつくしますと母にT先生が告げた日のことです。よい治療法がないのは残念だったけれど最善をつくしてくれるなら悔いはないとぼくは小さいながらに考えました。
 なつかしいのはN病院の看護婦さんたちがぼくにこげパンのキャラクターを見てとって何度となくプレゼントを買ってきてくれたことです。なかなかわかりにくい言い方になってしまいますがぼくは看護婦さんたちの必死の愛情を感じました。だれもがぼくを強い子どもになって困難を乗り越えられる子どもになってほしいと願っていたのだと思います。だからこげパンだったのだと今でも思っています。
 なつかしいのは人間として認められた日のことです。人間として認められたのはのどから手が出るほどほしかった言葉を手に入れたときです。どういう偶然なのかわからないけど柴田先生がぼくのところに来てくれてまだ三才にもなっていないぼくにひらがな教えてくれたのです。ぼくはひらがなもまだ読めなかったのですが勇気がわいてがんばって一生懸命覚えました。我が意をえたなどという言葉はまだ知りませんでしたがろうそくにあかりがともった気持ちがしたのをよく覚えています。
 なつかしいのはSちゃんとおなじ部屋になった日のことです。初めてぼくにも仲間ができました。
 ぼくはほんとうにこの病院でたくさんのしあわせを手に入れました。だから心から感謝しています。ぼくはN病院が大好きです。人間として認めてくれたすべてのスタッフの方々に心から感謝します。


 そして、いつものように俳句を聞かせてくれました。タイトルの言葉もその中の一つです。
  
だれもよき名前を持ちて空あおぐ。
夜に泣く私を案じたやさしき目。
見よわれを小さき体に宿るもの。
技をぼくに使いて未来が開かれし。(技は医療技術のこと)
ばらばらとふる雨の音ただ闇に。
疲れたる自分に待たすことはなし。
ばらばらと雨音のして夜どよむ。
よい未来つくる技術にわれ頼む。
ついにわれ世に届きたりラジオにて。
小さき荷背負いてわれも坂登る。
なつかしき調べに秘密の願いかけ。
ついに来た人間として立つよき日。
自画自賛わが小さきこの人生。
病魔去れここには天使が見守れり。
実の子かとみまごうほどにかわいがる。
人間と夢にまで見し幼き日。
技をなくし立ちすくむ日もあり目に涙。
つがいの鳥仲良く窓でわれ見つむ。
わが涙もっと輝け未来木を。
無我になる光につつまれ臨む日に。
泣き虫も強くもらいし力「レラ」。レラは力の神です。作りました。
挽回しわれは荷の解け身は高く。
人間だぼくは高き声をあぐ。
悩む日は遠くに去りて瑠璃色に。
月に誓う分相応には生きないと。
月に手をさしのべひかりと握手した。
身を粉にす無償の愛をかけられし。


 また、Sさんは、こんな詩を聞かせてくれました。

  夏を越える旅という短い詩を作りました。聞いてください。

夏を今年は越えられるだろうか
そんな願いのような言葉が
梅雨にきまって浮かんでくる
薔薇にとげがあるように
人には苦しみを神は与えた
夏を越えることが私には一つの旅だ
紫陽花の咲き誇る道を過ぎ
枯葉の小道にたどりつく長い旅が私を誘う

2013年6月5日 22時36分 | 記事へ | コメント(0) |
| 小児科病棟 |
2013年05月28日(火)
6月のきんこんの会のお知らせ
 6月のきんこんの会は6月22日土曜日午後2時から行います。
 会場は、国学院大学たまプラーザキャンパス410番教室です。
 
 また、この日、きんこんの会に先立って、午前11時より、同じく410番教室にて、コミュニケーションの方法に関する学習会を開きたいと思います。内容等検討中ですが、きんこんの会に見学に来られている方々の中に、コミュニケーションの方法について関心をお持ちの方がいらっしゃるので、こうした機会を作らせていただくことといたしました。
 よろしくお願いいたします。
2013年5月28日 14時26分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
6月のきんこんの会のお知らせ
 6月のきんこんの会は6月22日土曜日午後2時から行います。
 会場は、国学院大学たまプラーザキャンパス410番教室です。
 
 また、この日、きんこんの会に先立って、午前11時より、同じく410番教室にて、コミュニケーションの方法に関する学習会を開きたいと思います。内容等検討中ですが、きんこんの会に見学に来られている方々の中に、コミュニケーションの方法について関心をお持ちの方がいらっしゃるので、こうした機会を作らせていただくことといたしました。
 よろしくお願いいたします。
2013年5月28日 14時26分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2013年04月23日(火)
きんこん通信第2号
 きんこん通信第2号ができました。お読みください。

2013年4月23日 09時57分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2013年04月16日(火)
第16回若葉とそよ風のハーモニーコンサートのお知らせ
 2年に1度開催しているわかばとそよ風のハーモニーコンサートが開かれます。ぜひ、おいでください。町田に住むきんこんの会のメンバーも参加しています。


 第16回若葉とそよ風のハーモニーコンサートを下記のとおり開催いたします。

日時:5月11日(土)
時間:13:30 〜 15:30(開場:13:00)

開場:町田市民ホール
協力券:前売り:1000円 当日券:1200円

 若葉とそよ風のハーモニーコンサートは、町田市公民館事業障がい者青年学級の仲間と、青年学級からできた本人活動の会「とびたつ会」の仲間が作り上げるコンサートです。今回のコンサートは、2年前の東日本大震災と昨年大きな話題になった「出生前診断」について、考えたことを中心に内容をつくってきました。ご期待ください。
ご来場をお待ちしております。

2013年4月16日 09時16分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 |
2013年03月29日(金)
二人の卒業
 満開の桜が町中にあふれている中、久しぶりにSさんとH君の待つ病院を訪問しました。
 同じ病室にいるSさんは高等部を卒業、そしてH君は、小学部を卒業しました。久しぶりの訪問でしたが、二人は、卒業にふさわしい詩を作って待っていてくれました。

 まず、Sさんの詩です。

  瑠璃色の宝石 

銀世界になる雪の朝
私は瑠璃色の宝石を眠らせようと
そっと土に埋(うず)めた
瑠璃色の宝石は私にとって
大事な過去の思い出がつまった宝石
望みがかなわない頃のつらい思いも
つらさゆえに感じられた人の優しさも
みんなつまっている
瑠璃色の宝石を
優しい雪が包み込み
私はよき未来をさらに夢見る
人間として生まれて
人間として認められ
人間として生きていくことができれば
私はもう何もいらない
私たちは緑の風を
冒険への誘いとして
感じることができるだろう
私はつらい定めを
瑠璃色の宝石に閉じ込めたから
もう自由な人間だ
だから冒険を始めることにしよう
瑠璃色の宝石よ
静かに永遠の安らぎの中で眠りについておくれ


 そして、次のように続けました。

 私たちはこうして言葉を得て煉獄から抜け出すことができましたが本当に私はもんもんとした日々に別れを告げることができてよかったです。だから先生が忙しいほうがまたどこかで仲間がもんもんとした世界から抜け出せるのだと感じられてうれしいです。私たちは本当に幸せだなと思います。わざわざ忙しい中来てくださってありがとうございました。

 なかなか時間が作れなくなった私に対して、広い心からかけてくれた言葉でした。そして、もう一篇、詩を綴りました。

  めれんげの花に寄せて

メレンゲでできた甘く美しい花よ
あなたはろうそくがよく似合う
私は私の敏感な感性を光として
あなたのろうそくにともしてあげよう
理想がかなう日を夢見ながら
私たちはろうそくの光に祈りを捧げ続けよう
ろうそくの光ハイツまでも消えることはない
だがメレンゲの花よ
あなたはいつかだれかに食べられるだろう
もしあなたを食べた人が寂しい人だったら
あなたはきっとその人の寂しさを癒やすだろう
もし涙にくれている人があなたを口にしたならば
あなたはその涙を止めてあげるだろう
わたしはあなたのような魔法はできないから
ひたすらあなたに祈りを捧げていこう


 H君も、まず、忙しくなった私に対して、言葉かけてくれました。

 こんにちわ。先生が忙しくなって本当によかったです。僕はとても不安でした。なぜなら誰も先生やM先生を認めなければ僕やSさんの存在も永遠に認められないままになってしまうからです。

 そして、小学部を卒業するに際して、作った詩を聞かせてくっれました。


  卒業

ぼくは小学校を卒業した
まっさらなランドセルを買ってもらったのが昨日のようだ
まったく背負うことはなかったけれど
わずかなわずかな希望への道のようだった
またかあさんはがんばってぼくにかばんをくれた
まるで願いが詰め込まれているように
かばんはふっくらとふくらんでいる
わたしはよい中学生としてまた毎日を過ごしていこう


 最初にH君に会った時、彼は3才でしたが、大急ぎでひらがなを教えて、彼は少しずつパソコンで気持ちを表現し始めました。そして、それから3年後のある日、ベッドの脇に真新しいランドセルが置いてあったのです。今日という日だけを見つめていこうと考えて彼と接していた私に、未来を感じた鮮やかな瞬間だったので、私もランドセルをたいへん印象深く覚えていました。彼の言うとおり、そのランドセルに手を通すことはなかったけれど、彼の小学校生活をランドセルは見守って来たのでした。そして、詩を聞き取ったところで、目をベッドの脇の方にやると、そこに、すてきな青いリュックサックがありました。やさしくふっくらとした真新しいかばんに、また新しい未来が見えました。
2013年3月29日 16時25分 | 記事へ | コメント(0) |
| 小児科病棟 |
2013年03月18日(月)
人間と存分に呼ばれる世は遠し  Sさんの俳句
 9月に出生前診断をめぐるたくさんの俳句を作ったダウン症当事者である男性のSさんに、半年ぶりにお会いしました。

 小さい願いですが何とかして私たちのことについて理解を深めてもらってもっとぼくたちが生きやすい社会にしてほしいです。いちばんに言いたいのは出生前診断をやめてほしいということですがなんとかならないのでしょうか。人生を生きるのは何度も苦難を乗り越えていくことなのでもっと障害をぼくはプラスに捉えていいのではないかと思います。人間というものに対する理解がおかしいと思います。
 俳句にします。

はがゆき音われらをほかす冷たき目。
小さき穂摘みとられるなら実はならず。
人間と存分に呼ばれる世は遠し。
ぬくもりが僕を過ぎゆく強さ残し。
よい報せ届かぬ朝にわずかな日。
わずかな日射す今日の朝永遠に。
人間に理想を吹き込む息はどこ。
つらい輪にはいれず一人野をさまよう。
ろうそくの火をもう一度夜の闇。
分相応輪の外にいて指くわえ。
理想絶え緑も枯れた冬の野に。
わずかに身ひとつを携えわれ立てり。
わずかに身呼ばれぬままに理想絶え。
ずんずんと雪を積もらせ夜は更け。
わだかまる心は厳に冷えゆけり。
わずかな無夜の闇のどこに消す。
ずんずんと降り積もる雪無を減ず。
人間と呼ばれぬ身には罪な時。
人間として瑠璃色の空仰ぐ。
わずかな理われらにはあり強く立つ。
わだかまり消えぬまま音を奏で。
わずかな目心に届き涙落つ。
ぬくもりを感じながらも冷たき背。
ぶんどらぬわれらからなぜ奪う。
ゆゆしきは人間どうしの欲望と。
理想絶えし人間はこれからどこへ行く。
むずかしき議論に耐えて理想持つ。
ぶんどらぬわれらはただ理想持つ。
敏感な心に傷が増えし日々。
わずかな世未来を照らす理想の世。

 私たちのためにありがとうございます。人間としての理想を勝ち取りたいのでまたインターネットで発信してください。ずっと先生のブログで仲間の言葉を聞いて目を見開くことができますから。願いは僕たちのベロニカのような思いを分かち合いたいです。つらい思いの共有です。小さい時に聞いた話ですが最近テレビで聞いて思い出しました。わずかなぶんどらぬ私たちの理想をかなえたいですがよろしくお願いします。


 ダウン症の書家金澤翔子さんが、発言をしたことを伝え聞きました。当事者の言葉が少しずつ取り上げられ始めたというふうに私は理解したいと思います。
2013年3月18日 23時18分 | 記事へ | コメント(0) |
| 家庭訪問 / 出生前診断 / ダウン症の当事者 |
2013年03月15日(金)
成年後見人制度の裁判について
 ダウン症の女子高生が、成年後見人制度について語りました。私も今朝新聞で知ったニュースでした。

 私は後見人制度のことはよく知りませんでした。でも後見人を付けると選挙権が奪われるなんて許せないと思います。だからみんなががんばって法律を変えてくれてうれしいです。どうしてそんな法律ができたのか不思議だけどその間違いが認められて良かったです。ダウン症の人がどうどうと新聞に出ていてうれしかったです。ダウン症だって裁判の場に出られることも証明されました。ほんとうにうれしかったです。利害関係が少ないからでしょうか。出生前診断の時はあんなに悪く言われたのに夢のようです。なぜもっとダウン症の人に発言の機会を与えてくれないのかもっと私たちの意見を聞いてほしいです

 知的障害者の判断能力の問題が背景にはあります。今回の判決は、判断能力があるとかないとかにかかわらず、間違いであることをはっきりと告げていることにおいて、原理的な正しさを持っていると思いますが、事実問題として、想定されているよりもはるかに多くの人が判断能力を有していることがまだ見落とされていると思います。原告のダウン症の方は、まさしく自らの意志によってこの闘いをしたことは疑うべくもないことでしょう。新聞の写真のまなざしはそのような静かな強さを秘めたものでした。
2013年3月15日 22時35分 | 記事へ | コメント(0) |
| ダウン症の当事者 |
2013年03月08日(金)
美優さんの大学進学
 熊本からとても素晴らしいニュースが飛び込んできました。それは、手を添えられて相手の手のひらに文字を書く方法でコミュニケーションをしている熊本の柴田美優さんが、九州ルーテル学院大学に入学するというニュースです。

 ご本人とご家族のたいへんなご努力と、周囲の息の長い援助とが実を結んだ成果です。これからの美優さんが世の中に与えてくれるものに心から期待しています。
 記事にある作文の入賞作品は以下の通りです。


       手のひらで伝わる心
(心の輪を広げる体験作文:平成24年度高校・一般部門最優秀賞)
      柴田美優(熊本県・熊本県立松橋支援学校高等部3年)

 私は小さいころ病気になりました。その結果、指の先しか自由に動かすことができなくなりました。言葉もしゃべることができなくなりました。小さいころは、手を伸ばして周りにある物を触ったりしてみました。自分でできることは少しでもやってみようと思っていました。言葉はしゃべれなくても、私の表情や声で気持ちが伝わることもあったので、あまり悲しいとは思わなかったことを覚えています。
しかし、少しずつ大きくなるにしたがって自分の気持ちをありのままに伝えたくても、表情とかだけではうまく伝わらないことが増えてきました。私は周りにあるいろいろな物を見て、感じたことを伝えるために言葉がほしいと思うようになりました。特に体調が悪いときや筋緊張が強い時は、きつくて表情に出すことも難しい時がありました。一人では何もできない自分が悔しいと思うようになりました。周りの人が私を見て「何もできないんだ」と思っていることがいやでした。知らない人が私を見て「かわいそう」と思っているのが伝わってきました。私は「かわいそうじゃない」と必死で思っていました。 私は一人でできることは少ないけど、周りの人から「何もできない、かわいそう…」と思われるのはとてもいやでした。
四歳くらいのとき、母が泣いていたのを覚えています。母は私に「みんな美優のことをかわいそうだと思っている。でもそうじゃない。いつかきっとできることがみつかるはず。お母さんが絶対美優のことを幸せにしてみせるから、一緒に頑張ろう。」と言いました。だから私は今まで辛いことがあっても乗り越えられたと思っています。
私は松橋養護学校の小学部に入学しました。入学する前は、母が私に絵カードや絵本を毎日見せてひらがなや数のことをたくさん教えてくれていました。絵本も毎日読んでくれました。私はわずかに動く人差し指で、一人で覚えたひらがなを宙に書いていました。頭の中でひらがなや数を覚えていました。でも、まだ誰も私がひらがなが書けるということを知りませんでした。
小学部二年生の時に、初めてパソコンを使って「たこやきたべたい」と、文字を綴りました。それまで一人で指先で書いていた文字を、初めて周りに言葉で伝えた瞬間でした。私にとって記念すべき日になりました。自分の思いが周りの人に伝えられるという、普通の人にとっては当たり前のことが、私には新鮮でした。私が文字を理解していることがわかった先生は、パソコンではなく私の手を取って、一緒に文字を書いてくれました。私はそれまでたまっていた母への思いを吹き出すように詩に書きました。詩を書くと、自分の気持ちが周りに伝わるのがわかりました。そして私の気持ちが伝わったとき、みんなは喜んでくれました。私の詩でみんなが喜んでくれた時すごくうれしかったのを覚えています。
私を抱っこして支えてもらい、その人の手のひらに文字を書くようになり、いろいろな人と話ができるようになりました。でも私と文字を書くことはとても難しいです。慣れない人に抱っこされると筋緊張が入り、読み取る人はとても大変だと思います。できるだけ支えてくれている人に伝わるような言葉で伝えるようにしています。でも、何回も手に書いても伝わらないときはとても悔しいです。しかし、支えてくれている人の手に文字を書いているとその人の気持ちが伝わってくることもよくあります。手に書いた文字が全部は伝わらなくても、その人が私のことをわかろうとしてくれているかどうかは、身体を通して、指先を通して感じることができます。言葉が声に出なくても、私の文字を手のひらに書いてもらって、その人の気持ちが伝わってくるから、私は今の自分が好きです。これまで苦しい思いや辛い思いをしたこともたくさんあったけれど、私を見ていてくれる人がたくさんいるということを、手のひらに文字を書くことで知ることができました。
私は高等部の三年生になりました。今は大学進学に向けて勉強を頑張っています。先日大学のインターンシップに四日間参加することができました。ある先生の講義の中で、リフレーミングの演習がありました。「自分の中で嫌いなところは」という問いに、私は、「自分でしゃべったり書いたりできないところ」と書きました。それに対して同じ班になった学生の方が「周りの人と協力してしゃべったり書いたりできるのはすごい」とリフレーミングで返してくれました。私は、いろいろな物の考え方を知りうれしくなりました。
もし、大学に入学できたら心理学や福祉、そして、障がいについて勉強したいと思っています。友達をたくさん作りたいと思っています。たくさんの学生に、ありのままの私のことを知ってもらいたいです。いろいろな話をして、私が今まで聞けなかった話などをたくさんしたいです。そして、友達とつながっていろいろなことを体験したいと思っています。
こんな私が大学に行くことで、もっともっと、障がいのある人が当たり前に大学のキャンパスに集い、学ぶ機会を得て、社会参加できるような社会になるといいなと考えています。夢は思うだけでは叶わない。挑戦しないとただの夢…。
2013年3月8日 06時47分 | 記事へ | コメント(0) |
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意識障害と言われる方々も手を添えれば字が書けること
 遷延性意識障害と呼ばれる状況にある人に昨年の秋以降、お会いする機会が増えて来ました。これは、やはり、山元加津子先生と宮田俊也さんにお会いしたおかげです。
そして、今、たいへんなできごとに出会っています。それは、みなさん手を添えれば文字が書けるという事実です。私は、パソコンとスイッチを使って相手の小さな合図を読みとることによる方法に習熟しているので、そうした場面では必ずその方法を試みてきました。そして、幸い、医学的診断の内容にもかかわらず、その方々の言葉を引き出すことができて、実はその方々が当たり前に意識を持ち、豊かな言葉を持っているという事実に出会うことができました。しかし、私の方法はすぐにご家族が実践できるものではありません。パソコンやソフト、スイッチなどの設定の煩雑さにくわえ、50音表を行と段とをスキャンしていくという方法のなじみのなさや、もっとも決定的なことは、合図があまりにも微妙なので、なかなか感じ取るのがむずかしいということがあるからです。
 しかし、秋以降、私は、自分のその方法はその方の気持ちをひとしきり聞いた後、いったん置いておくことにしました。そして、ペンを手に握ってもらって、字を書いてもらう取り組みを始めたのです。これは、幼い時からの障害ある人たちとの関わり合いでも使ってきたものですが、それを、意識的に活用することにしたのです。
 まず、どんな持ち方でもいいからペンを持ってもらい、ペン先があたるようにスケッチブックを出します。そして、○と×を書くことを伝えてから、最初に○を書いてもらいます。すると、ここで多くの方がほんのわずかでもペンが動き始めるのです。別に介助者が動かさなくても、ほんのわずかな動きがほとんどの方で見られました。そして、きれいな○でなくても、ともかく曲線が描かれたことが確認されたら、今度は×に移ります。すると、明らかに○の時とは違う直線を引く動きが出てくるのです。×は一筆では書けませんし、交差も必ずしもうまくいくわけではありませんが、明らかに○を書く時の曲線の動きと×を書く時の直線の動きには違いがあるのです。曲線を書けばイエス、直線を書けばノーなのでそれだけで、やりとりは成立します。
 最初の○の動きがあまりよくわかりにくい場合は、一緒に○を書いてみます。そして、その時の手に伝わってくる感じをよく覚えておいて、今度は、×を一緒に書いてみて、その動きを覚えておきます。これだけでは、ただこちらが動かしただけですから、本人の意志があるとは思いにくいのですが、ここで、あえて、○を書いてほしいと言って直線の動きをしてみたり、×を書いてほしいと言って曲線の動きをしてみると、動きにくい感じがします。それは、お願いした○と×にちゃんと一致するように手を動かした時、本人もそのように動かそうとしたのに対して、お願いしたのと異なる動きをしているから互いの動きがぶつかりあってしまうからです。このかすかな動きを読みとるとなるとなかなかむずかしいかもしれませんが、それでも、ペンの抵抗などをうまく調整しているとみなさん少しずつ動き出したのです。
 そして、何と言っても感動したのは、その場で何とかご家族の方もこの援助ができたということです。あまり比較したくないのですが、中途障害と呼ばれる方々のほうが、家族がその場でできる割合がとても高いというのが印象です。その理由として考えられるのは、長年にわたって文字を書いた経験が体の細部に宿っているということです。物心がついたころから練習してきて、無意識にすらすら書けるようになった方と、イメージの中であるいはかすかな動きを独力で繰り返し練習してきた幼い頃からの障害のある方とは、実際の練習量がちがうのだと思います。(ただ、誤解していただきたくないのは、幼い頃からの障害のある方は、練習の量が違うだけで、慣れた援助さえあれば、すぐその場で書けるということと、実際にペンを持つことなく、そこまで独自に学んできた熱い思いのことをけっして私たちは忘れるべきではないということです。)
 ところで、長い時間をかけて筆談の練習の方法を考えて来られた当事者である里見英則さんは、○×の次に、数字がいいとおっしゃっています。ひらがなよりも数が少ないのと形がシンプルだからですが、実際に、みなさん、すぐに数字もできました。数字ができれば、いろいろなことを聞くことができます。3つの選択肢のうちの何番かとか、今日の調子を5段階で表せば何段階目かなどです。そして、数字ができれば、ひらがなはすぐそこです。
 まず、こちらで決めた任意の言葉を書いてほしいと頼んで書いてもらえば、添えた手がその文字のように動くのをわかると思います。本当はもっと長く延ばすべきところが短く終わったとしても、そこにはまちがいないくその文字を書こうとする意志が介在しますし、長く延びてしまってもそれは、止められなかったからだとすぐにわかります。
 確かに、いきなり気持ちを聞いたりすると、まだ、いったい何という字を書こうとするのかわからなかったりもします。しかし、よくよく軌跡をたどってみれば何かの文字であることがわかることもしばしばです。
 こういうことが、その日のうちに起こるのです。確かにご家族がお一人でやっても、なかなかうまくいかないかもしれませんが、そういう可能性があることを今、強く訴えていかなくてはいかないと思っています。
 
2013年3月8日 01時35分 | 記事へ | コメント(0) |
| 中途障害 |
2013年02月22日(金)
きんこんの会のお知らせ 次回は4月20日に開かせていただきます
 いつも連絡が遅くなってご迷惑をおかけしています。次回のきんこんの会は4月20日に国学院大学横浜たまプラーザキャンパスで行います。時間は午後2時から410番教室です。(3月は大学に工事が入っている関係で開催できませんでした。)
 きんこんの会は、援助によるコミュニケーションで意志表示を行っている当事者の語り合いの会です。参加は、まったく自由です。
 
 お問い合わせは、
 yshibata@kokugakuin.ac.jp もしくは、
 090(2632)3514 の方へよろしくお願いします。
 
 
2013年2月22日 15時34分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2013年02月07日(木)
旅立って行った若者のこと
 高校3年生の4月から、4年近くおつきあいしてきた一人の若者が旅立っていきました。お兄さんと妹さんが一生懸命に選び出して用意された彼の好きだった音楽が静かに流れるご葬儀の中で、お父様は次のようなお話をされました。お父様は、この1年近く、会社にご無理を言って、家に仕事を持ち帰り、ずっと彼のそばにいらっしゃったそうです。それは、また、この1年の彼の状況が予断を許さないものだったことをも意味しています。お父さんのお話とは、このようなものでした。

 朝、普通に目を覚ました後、妹さんが出かける時に声をかけた時に彼の呼吸が止まっていたそうです。しかし、その場におられたお父さんの蘇生術のおかげで、再び心臓は動き出し、救急車で病院に行ったのですが、病院で告げられたのは、呼吸の停止によって低酸素脳症を起こしているので、もう意識もなく、助かる見込みはないとの厳しい宣告だったそうです。しかし、体につながれた器機のアラーム音を通じて、確実に彼は返事を返していたとのことで、それはご家族には、疑う余地のない彼の声だったとのことです。
 そして、その彼のいのちが本当に終わってしまう最期の瞬間に彼は両方の目から涙を逃したとのことでした。
 
 もちろん、その涙の意味が何だったのか、私のようなものが簡単に推測することは許されるものではありません。ただ、彼が残した言葉の中にこのような文章がありました。東日本大震災のことにふれて書かれた文章の一節です。別の方が書いた「あしでまとい」になるということを私が話していたことに関して尋ねてきたものでした。

 みんな地震のことは理解を超えた苦しみを感じたのでしょうね。さっき足手まといと言ったのはどういうことですか。僕も考えたことがありました。まさかみんなも考えていたとは思いませんでしたが全く同じ気持ちです。感謝の気持ちで津波にのまれます。そういう気持で生きていますから。僕たちのそういう気持まで理解してもらえてうれしいです。なかなかそこまで理解されることはありませんから。僕たちのわずかな望みはどこで敗れても常に感謝して倒れるという気持ちです。

 「感謝の気持ちで津波にのまれます」「どこで敗れても常に感謝して倒れる」と書いていた彼の気持ちは、けっして生半可なものではなく、深い覚悟のもとに書かれていたものであると私は思っています。だから、私は、彼の最期の涙が、あまりにもすばらしいお父さんとお母さんと、お兄さんと妹さんに向けられた感謝の涙だったのだろうと思っています。
 ご冥福を心からお祈りしています。
2013年2月7日 10時34分 | 記事へ | コメント(0) |
2013年01月13日(日)
きんこん通信創刊号
きんこんの会の通信ができました。

2013年1月13日 13時44分 | 記事へ | コメント(1) |
| きんこんの会 |
2013年01月11日(金)
自閉症と呼ばれるある青年の思い その1 12月11日
 自閉症と世の中の人が名指しているある青年にお会いしました。様々な誤解に満ちた視線の中でいろいろな「問題」を起こさざるをえないところに追いつめられていました。その青年の最初の言葉です。

 聞いてほしいことがあります。人間として認められたいのでこんなやり方があるなんてとてもうれしいです。願いは私たちにも気持ちがあることをわかってほしいといことです。小さい頃からつらかったのはわずかな人しかわかってくれなかったことですがかあさんは最大の理解者でした。長い間苦労をかけて申し訳ありませんでした。誰にも理解されなくてもう諦めていましたがようやくわかってもらえます。言葉は普通に理解しているということです。夢のようです。
 もうだめだと諦めていましたから時々どうしようもない気持ちになってどこか遠くに出かけたくなってしまいますがもうやめます。せっかく理解されたのだからもう理解にふさわしい人間になりたいです。
 ばらばらな気持ちと体のせいで迷惑ばかりかけてしまいましたが勇気が出てきました。
 小さい時は先生たちはかわいいと言ってくれましたが馬鹿にされるようになったのは小学校の低学年を過ぎた頃からです。わずかにわかってくれたのがI先生たちでしたからとても感謝しています


 ここで、お母さんから、何でもお母さんに許可を得るようなしぐさをするのはなぜなのという質問がありました。 

 それはどうしても許可がないと落ち着かないからです。それをやれるまでは手が勝手に出ていました。今でも母さんがいないと困るときがあります。

 勝手に出てしまう手をコントロールするために母さんに同意を求める方法を編み出したというのです。言われなければとうていわからないことですが、自分の運動を制御するということをめぐる彼の深い思いと、言われてみればなるほどと思わせるものがありました。
 さらにお母さんは、今後の希望をお尋ねになりました。

 なかなか考えがまとまりません。だけどわがままかもしれないけれどどうにかして一人暮らしがしたいです。自立したいです。誰も本気にはしてくれませんが。自立生活をしたいですがまだまだ僕には無理でしょうか。

 いくつかの問題を起こしてしまったのでこういう生活が彼には今難しいとのことでしたが、もう彼はわかってもらえたので大丈夫と言っています。しかし、そのこおとは行動を通してしか、つまり、zる一定期間大丈夫だったという事実が求められてしまうのです。私はそういう考えはどこかおかしいと思うのですが、現状では受け入れざるをえません。「無理でしょうか」と問う彼に、私がやっとの思いで答えられたことは、「大丈夫ですよ。ただ、一度の失敗がまたご破算にしてしまうから、何か危ないと思ったら、とにかくここへ来てほしい。」と言えるだけでした。そして彼は続けます。

 小さい頃から何もできないこと言われて悲しかったけれどこれでようやく未来が開けてきました。自分で何かできるようになりたいですがまさか気持が普通に聞いてもらえるとは思わなかったのでもっとがんばりたいです。大学にも行きたかったです。長い間の夢でした。いい努力をして自分でできるようになりたいです。

 そして、「詩を書きます。」と言って次の詩を綴りました。

緑に萌える春よりも僕は寒い冬が好き
理解されない悲しさは
わずかにわずかに北風だけがわかってくれる
人間は北風が嫌いだけど僕だけは北風が好きだ
びろうどのような美しい雪景色も
みんな北風が運ぶものだ
私たちの悲しみは
夏の綺麗な青空ではまぶしすぎる
人間の本当の悲しみは北風だけが知っている
どうか今年も北風よ
青い空と白い雪を運んでおくれ


 一度あふれ出した言葉はさらにあふれ出していきました。

 僕はたぶんもう逃げ出さないと思います。なぜなら理解されたからです。存分に書けたのでもう大丈夫です。
 長い間本当にありがとうございました。敏感な母と父のおかげで僕は何とかここまで人間として成長することができました。小さい時から僕のために何も自由にできなかった母と父にどうやったら恩返しができるのだろうといつも考えているのですが理解されたので本当に何かしたいです。大事な母と父に旅行や食事のプレゼントもしたいです。犠牲になってしまった母へという詩を書きます。

母は人間として僕が認められるようにと
敏感な心で奔走してきて
残りの人生さえ僕のために使おうとしている
だけど母はもうこれ以上僕の犠牲にならないでほしい
母の残りの人生は母のために使ってほしい
よいわずかな希望は
僕にも母への感謝の存分な気持ちがあることを伝えられたことだ
ばらばらな気持ちと体の僕なので
わだかまりだらけの人生だったが
勇気が湧いてきた
僕もいつか一人で暮らせるように
よい心を望みながら
これからの日々を生きていきたい


 穏やかな笑顔に、私の心の方が何かいやされていくとともに、こうした本当の穏やかさ心の奥底に持っている人を、私たちの社会は、「自閉症」と簡単に呼び、その穏やかさを奪ってきたのです。私自身を振り返って、確かにわからなかったからという言い訳は、浮かんできます。そして、私も彼も、過ぎ去った時間を巻き戻すことはできません。だからこそ、これからの時間をこうした失われたものを少しでも取りもどし、これから一人でもそういうつらさを味わう人がないように努めていくしかないと言えるでしょう。
2013年1月11日 20時24分 | 記事へ | コメント(1) |
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2013年01月01日(火)
りほさんの「哲学のような詩」
 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 年末のある日のできごとです。
 小児科の病棟の面会室のラウンジでりほさんの詩を聞かせてもらいました。広い窓一杯の冬の青空が広がり、まばゆいばかりの冬の日射しが注いでいました。富士山も遠くくっきりと青空に映えていました。詩を聞かせていただいているうちに、しだいに日は西に傾き、富士山はやがて夕焼け空のシルエットになって、夜空の闇の中に沈んでいきました。
 彼女は、私の詩の優劣のようなことは問題ではなく、ただ、私の経験を伝えたいと語っていました。その言葉どおり、りほさんの独自の経験がいかんなく表現されたものとなっています。


  私たちは負けない

私たちは負けません 
何があっても絶対に負けません
長い間悩んできたけれど
私は新しい道を歩き始めたのだから
つらい道は過去の梨穂を人間として育ててくれなくはなかったけれど
緑がもう少しほしかった
夢ばかり見ては涙を流していたけれど
憎しみとは無縁だった
よい新しい道は夢を現実に変える道だ
人間として私がりりしく立ち上がって歩む道だ
りりしさを自分が持てるとはなかなか想像だにしえなかったが
私は私らしさのひとつにそのりりしさをつけくわえた
負けることはけしてないだろう
私がいのちを終えるまで


  らりるれろの魔法

ランプをりりしく瑠璃色に
煉獄の底から櫓を漕ぎながらともしていこう
よい報せを私はずっと煉獄の底で待っていた
よい報せはなかなか届かず
呼んでみようとしても
喉は凍りついて
誰にも声さえ届かなかった
私は煉獄の底にいて
ただ私の心の奥に住む
ほんとうの私だけを見つめて生きてきた
どこにも救いさえ見つからず
何を頼ればいいのかもわからないまま生きてきた
律儀な私の耳にいつも希望をくれたのは
らりるれろの美しい響き
らりるれろは魔法の響き
私はらりるれろという響きを心の糧に生きてきた
りすはりんどうの花をくわえて
私の秘密の箱の中にそっと森の香りを届けてくれた
らっぱの音色はらくだを荷物から解き放ち
わずかばかりの楽園の夢を見させた
ろうそくがきえそうになると
レトルトのロコモコを食べたレスラーが
再びあかりをともしてくれた
ロンドンから届いたレターには
ローマ字の論文が書かれていた
令嬢みたいな服を着た
ろくでなしの私は路頭に迷って理想をなくしかけた
まるでらりるれろの世界の中で私はひっそりと生きてきた
だけどぼろぼろの舟の櫓を漕ぐ音が
遠く静かに近づいたのだ
りりしさをしらない私が
りりしさを身につけ
瑠璃色の光をめざしながら煉獄の底から
広い明るい世界へと旅立つときが来た
櫓をもっと強く漕いで
けしてうしろを振り返らず
私はもう二度と戻ることのない煉獄をあとにする


  薔薇色の塗り絵

薔薇色塗り絵に知らない動物が隠されている
人間になれなくて泣いている動物や
わだかまりを洗い流すことができない動物たち
よくよく見なければわからない
そんな動物たちを私はなんとか解放してあげたい
理想を高くかかげなければ動物を休ませてあげることはできない
みんな夢を閉じ込められて
拷問のように画面の中に閉じ込められているけれど
みんなそれぞれの色を持ちそれぞれの姿を持っている
人間らしい夢を閉じ込められていた私も
小さな塗り絵の中にいた
よいゆめも理想も塗り絵の中に閉じ込められたまま
二度と抜け出せることはないと諦めていた
目の前を私に気づくことなく人が行き過ぎていった
望まない人はなぜか塗り絵を笑って過ぎた
みんな私がここにいるということに気づかないまま時は過ぎた
私のでんでんむしのような歩みにも
私の生きた証しがあるけれど
私はこの絵の中にいるのはいやだった
びろうどのようにやさしい風が吹いたとき
不思議な勇気が湧いてきた
瑠璃色のクレヨンを持った王子様が塗り絵にそっと線を引いた
とつぜんそこに私の輪郭が現れて私は塗り絵を抜け出した


  季節がどうして移ろうか

なぜ秋は過ぎてゆくのか
私は秋の中にいてそれがどうしてもたえられなかった
敏感なほほを秋風がなでてゆく
秋風になでられたほほはもみじのように赤くなった
もみじは枯れてしまうけど
私のほほは赤く色づいた果物のように散ることはない
ほほをなでていった秋風は私に何かを伝えようとして過ぎていった
わずかなわずかな秋の名残が木の枝に残っている
今にも散りそうな枯れ葉が一枚北風に吹かれて震えている
そのうちに枯れ葉も落ちてしまえば
あとに残るのは木の枝だけになった冬木立のみ
その模様を青空がくっきりと映し出す
冬はすべてを死にたえさせる絶望の季節だが
冬の北風が運ぶのは清らかな雪だ
すべて罪深い存在を包み込む雪はそれだけで人の悲しみを癒やす
みんなが冬を避けて部屋の中でまどろむとき
雪だけが悲しみを静かに癒やし続けている
冬は悲しみを癒やす季節
春はその悲しみに癒やされた者こそが
再び再生する全能の神が活躍する季節だが
悲しみを静かに癒やした北風のことは
なんども私たちが語っても人々の耳には届かない
私は今北風の中に一人立ち
悲しみを癒やす雪を待ち続けている。


  夕焼けに包まれて

身を涙の海に沈め私は望みをなくして夕日をながめながら
疲れた心を横たえる
どうしてあんなに夕日は悲しい色をしているのか
私の心もまた夕日の色に染まる
願いは私も夕日のように必ず朝日として昇ること
しかし私の心はけして昇ることはない
夜の闇はけして明けることはない
涙の海は暗闇の中に暗く沈んで
そこにはただ静寂だけが残った
みんな寝静まった暗い闇夜に
小さな流れ星が流れた
私は小さな流れ星に小さな願いをかけた
どうか私にも輝く朝日を迎えさせてくださいと
星は何も応えなかったが
私は夕焼けとともに
残り火のような夕焼けの名残を見たような気がした
凛とした夜の闇に消えようとしている夕焼けの名残は
私にほろびる姿のはかなさと
ごらん私をという気高さを教えてくれた
夕焼けの秘密に気づいたならば
私はあなたに一度だけ朝日を見せてあげる
そういって流れ星は消えていった


2013年1月1日 00時09分 | 記事へ | コメント(0) |
| その他 |
2012年12月31日(月)
出生前診断について 廣瀬岳君の主張 
 夏に、障害者が障害児を産むことこそ人生の最大の幸せだという言葉を聞かせてくれた廣瀬岳君が、出生前診断について、語りました。
 廣瀬君は、ご両親に障害があり、お母さんは、私がお会いした時には、もう亡くなられておられました。

 利害関係はぼくにははないけれどわざと私たちを笑う人もいて悲しいです。ぼくは自分では何もできないけれど理想は高く持っていますからわざわざぼくたちを笑う人が許せないです。別に私たちを殺すとまでは言わなくても生まれてくる前の障害児なら殺してもいいというのはまちがっています。まるでナチスと同じです。ナチスはユダヤを虐殺する前に障害者を虐殺したと聞きましたが今日本中でそのことが問題になっています。でもどうしてなのかわからないけれど私たちの声がまったく考慮されていません。それがぼくには許せません。利害ばかりが先行して人間としての同等性などがまったく考慮されないのは言語道断です。わざわざぼくたちを笑い者にする社会は必ず滅んでいくにちがいありません。敏感な仲間は生きる勇気をなくしかけています。本当に許せません。私たちはもっと声をあげたいけれど私たちがまだわかっていることさえ認められていないのだからどうしようもないですね。わずかな希望さえあればぼくたちは生きていけますがわずかな望みさえ持つことも許されずに亡くならなくてはいけない仲間がなぜ殺されるのかほんとうに悔しいです。絶対に許せません。理想をなくしかけている仲間にも伝えたいです。ぼくたちにも必ず夜明けは来ると。わずかなものかもしれませんが夢があるのでぼくはけっして負けたくありません。利害関係よりももっと大事なものがあることを世の中に思い知らせたいです。

 ナチスがユダヤ人虐殺の前に障害者を虐殺したという話は、いったいどこで聞いたのかと尋ねると、我が家では、お父さんがそういう話を当たり前にするそうで、すぐそばにおられたお父さんもその言葉にうなずいていらっしゃいました。そういう考えの彼だからこその、厳しく選び抜かれた言葉による主張のように思いました。
2012年12月31日 06時06分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G23区2 / 出生前診断 |
出生前診断をめぐって 12月22日
 出生前診断をめぐって9月に悲痛な気もちを書いたNさんが:次のような文章を書きました。
 
 ランプのあかりが 消えてしまったとこの間は書きましたがなぜかなかなか世の中には伝わりませんね。誰も私たちの言葉をとりあげてくれないけれど私たちは私たちらしさを大切にしているのでこのぐらいでめげていてはいけませんね。ところで許せない状況に変わりはないのですかが私たちを守ろうという人たちの意見も私のところまで届くようになりました。わずかなあかりですが大事にしたいです。私たちを守ろうとしてくれる人は勇気を出して発言してくれています。私たちにとってはとても救われることでした。私にとってはわんわん9月に悲痛な気泣き出してしまいたいようなできごとですが満足はいかないけれどただひとつの救いです。

 具体的に誰のどういう意見のことなのかはわかりませんでしたが、ようやくひとつの救いが見えたと彼女が感じたということは、私にとっても少し安心できることでした。もちろん、それほど状況に変化があるわけではありませんが、もう社会に自分たちの居場所が無くなりそうだとまで当事者に感じさせた状況を少しでも変えようとする流れがNさんにも感じられるようなできごとがあったということでしょう。
2012年12月31日 05時43分 | 記事へ | コメント(0) |
| 出生前診断 / 自主G23区1 |
2012年12月21日(金)
母の死を越えて Nさんの思い 11月18日
 Nさんのお母さんが8月に亡くなられました。最後はお母さんと二人暮らしでしたから、Nさんの今後がたいへん心配だったのですが、おかあさんは、青年学級にだけは通えるようにしてあげたいとおっしゃっていて、弟さんの取り計らいで、何とか町田市内のグループホームにとどまることができました。9、10月とお会いすることができなかったのですが、11月、元気な姿を見せてくださいました。
 そして、まずパソコンで次のように書きました。

 ぎちぎちの気持ちで生きてきましたから母さんの晩年に喜びを与えることができてよかったです。小さい時からどうにもならないことばかりでわざわざ誰も僕たちに言葉があるとは思ってもくれなかったので理想的な方法に出会えてよかったです。わざわざ僕を理解しようとしてくれた青年学級の人たちは本当によい人たちだと母さんはごんごんと言っていました。人間として認めてくれたこの青年学級を絶対に続けられるようにと母さんは遺言をしてくれました。だから何とかなったけれどYさんが出て行ったあとというのが悲しかったです。

 最初に、Nさんがパソコンで綴った言葉をお見せしたとき、その文章をいとおしむようにご覧くださって、私は本当の気持ちが聞きたかったからと言って心から喜んでくださいました。そして、わかばとそよ風のハーモニーコンサートでは、Nさんが、ステージ上で実際にスイッチ操作をしながら気持ちを語ったことを大変喜んでくださり、誰が何といっても私はかまいませんからともおっしゃってくださっていました。
 毎回、青年学級の帰りのお迎えに来てくださっていて、たくさんお話をさせていただく時間はありませんでしたが、慈愛に満ちたまなざしを彼に向けながら、ごあいさつくださったお母さんの笑顔は忘れることができません。
 Yさんとは、同じく青年学級に通ってきたメンバーですが、彼女がいろいろな事情でグループホームを出て、遠い施設に入ることになってあきが出たのでNさんが入ることができたことをめぐる気持ちです。地域で生きることのむずかしさを思い知らされるできごとでもありました。
 Nさんは、ダウン症と呼ばれる障害があるのですが、続けて、昨今の出生前診断をめぐる議論についても気持ちを述べました。

 わざわざ人間であることを否定するなんて不思議ですが私たちも人間なのだから人間として見られたいですがよい存在として色々紹介されることも少ない中、ダウン症の人の問題だけが取りざたされるのはつらいです。人間だから絶対に許すことはできません。ご覧なさい、ぼくたちはこうして誇り高く生きていますという言葉をわかそよで言いたいです。

 Nさんとお会いしてから、もう30年近い時間が流れました。私とNさんの間にももうたくさんの思い出ができました。それらは、かけがえのない宝物です。お母さんとの間には、その何百倍もの思い出があったことでしょう。
 出生前診断を当たり前のこととして語る世の中の人々にも、こうした宝物のことを何とかして伝えられたらと祈るばかりです。
2012年12月21日 21時23分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 / 出生前診断 / ダウン症の当事者 |
2012年12月13日(木)
出生前診断をめぐって 12月12日 ダウン症の少女の言葉
 ダウン症の当事者である10代の少女の悲痛な叫びです。

 犠牲的な話にとても胸が痛んでいます。小さいながら私たちは私たちらしく生きているのですが理解できないようなことが起こっています。利害しか考えない人たちは私たちは生きていない方がいいと言い始めました。理想は私たちも同じ人間だということなのですが私は冒険をする勇気がなくなってしまいました。人間として認められる日も近いと喜んでいたのもつかの間のことでした。わだかまりはなくなりません。わずかな希望は私たちにも何でも理解できる心があるということを伝えるやり方が見つかったことです。人間だから平等なはずなのに本当に許せません。小さい頃から何もわからないと言われて馬鹿にされていたけれど人間なのだから私は大きな声で叫びたいです。みんな同じいのちなんだと。人間として私たちは平等なのだから本当に許せないです。ぞっとするような言葉がたくさんテレビから聞こえてきて私はとても胸を痛めてきたけれどぞっとしているだけでは何も変わらないのでどうにかして訴えたいと思っていました。小さい頃からの夢がかなって本当にうれしかったけれどこんな事を書かなくてはいけないのが悲しいです。黙ったまま言われっぱなしは耐えられません。どうにかしてランプの明かりがともるよう頑張りたいと思います。頑張る気持ちがようやく湧いてきました。自分たちの意見をどうにかしてマスコミに届けたいです。私たちも同じ人間だと。

 沈痛な面持ちで語り始めた彼女でしたが、内容の重さにもかかわらず、少しずつ眼が澄み切ってゆき、語り終えたときには、安堵の表情を浮かべていました。
2012年12月13日 23時59分 | 記事へ | コメント(0) |
| ダウン症の当事者 / その他 |
2012年12月10日(月)
出生前診断をめぐって 3人の言葉 12月9日
 日曜日、重複障害教育研究所でお会いした3人の方々が、みな口々に、出生前診断について語りました。最初に40代のNさんの言葉です。

 残念なことがありました。というのは私たちの敏感な感性を裏切るようなできごとがあったのです。それは敏感な感性にはたえられないようなことでした。わずかなわずかなことかもしれませんが私たちにはとてもつらいことでした。いま通っている施設でダウン症の人に向かって自分はどうして生まれてきたのかあとで考えたらいいという人がいたのです。ふつうなら生まれてこれるはずのないあなたがわざわざ生まれられたのだから感謝しなさいというおそろしいことを言い始めたのです。私は耳を疑いました。たいへん衝撃的でした。なぜあんな言われ方をされなければならないのでしょうか。何度考えても納得がいきませんでした。この前からこの話題について話してきましたがとうとうこんな発言までみられるようになってしまったのですね。悲しい世の中になったなあと泣きたい気持ちです。なぜそこまで世の中の人は堕落してしまったのでしょうか。私は私らしく生きたいのにそれさえ認められない世の中になりそうです。なぜ地震でわざわざ同じいのちということを見直せたはずなのに残念でなりません。黙ったままで言われっぱなしになるのはとても理不尽な気持ちがします。わざわざ今日そのことを言ったのは私たちの大事な仲間がまだまだつらい思いで生きているからです。長いあいだ私たちは沈黙をしいられてきたのですがせっかく話せるようになってもどうせ私たちは世の中のやっかいものかと思うとやりきれません。

 次はIさんの言葉です。この日、彼女の通っている通所施設から、3人のとてもすてきな職員さんがお見えになり、実際にスイッチの練習などにも挑戦してくださったりして、とてもすばらしい時間を過ごしたあと、この文章をつづりました。文中に登場する職員さんとは、この方々のことです。

 つらいことがありました。それは私の理想的な目的がなくなりそうになったので困っています。わざわざ私たちのことを生まれてこないほうがいいなどという人が現れたことですが私たちはみんなごらんなさい私たちをという気持ちで生きているのでろうそくのあかりが消えてしまいそうになりました。どうして私たちを否定するのでしょうか。私たちも同じ人間ですから私は悲しいです。敏感な人たちはわかっているはずです。もう私たちを理解してくれるのは理想にもえた人たちだけだということを。長いあいだ私たちはじっと黙ってきましたがもう黙っているわけにはいきません。長いこと理解されなかったけれどようやく理解されて喜んでいたのもつかのまのことでした。世の中の人たちはもう私たちをのけものにしようとしているので私たちは黙っているわけにはいきません。人間としての尊厳を取り戻さなくてはなりません。わずかな希望は私をこんなにも大事にしてくれる職員さんたちがいることです。なんとかしてごらんなさい私たちをという私たちの気持ちを世の中に届けなくてはいけません。よい世の中になってほしいです。私たちを大事にしてくれる世の中でないとみんなもよく生きられないと思いますから。

 3人目はKさんです。自分たちが議論の輪からはずされてしまっていることへの抗議です。 

 
 なんでぼくたちは生まれてこないほうがいなどと言われなくてはいけないのでしょうか。テレビなどでさかんに話されています。はい家でみました。なぜ優生思想などというものがあるのでしょうか。私たちの私たちらしさなどもう認められない世の中になってしまいましたね。憂鬱な日々が続いています。私たちをなきものにしようという思想にはもう別れを告げたいです。やめてほしいのは私たちを議論の輪からはずすことです。なぜ私たちを議論の輪からはずすのでしょうか。なぜ私たちは輪の中からはずされなければいけないのでしょうか。輪の中に私たちを入れればきっと私たちをなきものにしようという意見はなくなるはずです。何とかならないでしょうか。つらいです。
2012年12月10日 00時39分 | 記事へ | コメント(0) |
| 研究所 / 出生前診断 |
2012年12月08日(土)
きんこんの会通信の提案 茨木卓哉さんより
 前回のきんこんの会で、茨木さんからの提案として、こうした活動の場に出てくることのできない仲間たちに声を伝えるために、通信を作ろうという提案がありました。家で文章を書くことのできる条件のある方は限られているかとは思いますが、可能な方は、ぜひ、よろしくお願いいたします。

 以下、茨木さんからの提案文です。

 人生をどう生きて行くかということについてみんなで考えてきましたがわざわざ会に参加できない仲間もいるので通信を作りませんか。そうすれば来れない人にも伝えることができると思います。原稿を家で書ける人は限られていますがとりあえずできる人から始めましょう。よい人生が送れる人が少しでも増えるように。

 ばらばらになった友だちはどうしているのだろうと思っています。なぜなら卒業してからなかなか会えないし、何をしているのかもわからないからです。わざわざ私たちは連絡も取れないし、わざわざ様子を聞くこともできないので、わがままかもしれないけれどみんなに手紙を出してみたいです。大学生になれなかったしわだかまりもかかえている仲間や人間として認められないまま過ごしている仲間が心配です。だから何かを始めたいですが何から始めたらいいのかわかりません。いい考えはないですか。そうですね。わたしたちの状況を知らせるというのはいい考えですね。きんこんの会通信を作り、友だちに配るといいかもしれませんね。斬新な通信ができればいいですね。(茨木卓哉)

 第1号は、1月の初めに作りたいと思いますので、原稿等用意できる方は、メールか郵便でお送りください。
メールアドレス
 yshibata@kokugakuin.ac.jp
住所 
362−0074
上尾市春日1−33−1−307  柴田保之
2012年12月8日 11時25分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 / 大学 |
1月のきんこんの会のお知らせ 1月12日
 いつも日程のお知らせが急で申し訳ありません。
 1月のきんこんの会ですが、1月12日土曜日2時から開催させていただきたいと思います。新年の始めのお忙しい時であり、また寒さの厳しい時期ではありますが、どうぞよろしくお願いします。
 会場は、国学院大学横浜たまプラーザキャンパス1号館410番教室です。
 きんこんの会は、コミュニケーションに援助を必要としている当事者が語り合う会です。参加は自由です。
 見学の方も、ご参加はもちろん自由とさせていただいております。
 
 駐車場について、土曜日は、部活動等の授業外の活動で様々な外部の方が大学を訪れるために、台数が3台までに制限されている関係で、大変申し訳ありませんが、できる限り外部の駐車場のご利用をお願いいたします。
 
2012年12月8日 10時48分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 / 大学 |
2012年12月02日(日)
出生前診断をめぐって ダウン症当事者
 初めてお会いした小学校4年生の少女の言葉です。会話も可能な方ですが、ずっとうつむきながらパソコンに向かう彼女のからだじゅうから悲しみがあふれ出していました。 

 だまってばかりでずっとつらい思いをしてきましたがようやく聞いてもらえます。私たちはダウン症と呼ばれてつらい思いをしてきました。なぜ私たちが生まれてこないほうがいいなどと言う人がいるのでしょうか。ほんとうに悲しいです。涙もかれはててしまいました。ばかにされるならまだしも生まれてこないほうがいいなんて許せないです。わずかな希望はこうして私たちの気持ちを聞いてくれる人が現れたことです。長い間待ちこがれていました。でもこんなやりかたがあるなんて夢のようです。わかってほしかったのは私たちにも同じ気持ちがあるということです。ばかにされてきたけれどばかにされるようなことは何一つしてきませんでした。みんな同じ人間なのに許せません。亡くなってしまった生まれる前の仲間たちに私はよい祈りを捧げたいのですがなかなかきれいな気持ちがなくなりそうで困っています。みんなの気持ちを私は大事にしながらこれからも生きていきたいと思います。ごめんなさい悲しいことばかり書いて。だけどきょうはどうしても書きたかったです。ありがとうございました。言いたいとが言えて気持ちが落ち着きました

 小さな小学生の胸を、社会がよってたかって苦しめている、今,
この日本で起こっているのは、そういうできごとだと言わざるをえません。出生前診断をめぐる議論は、この少女の悲しみを知った上でなされなければいけないと思います。今、マスコミなどは、こうした少女の悲しみに、あえて耳をふさごうとしているようにさえ私には思われてきますが、これもまた、こうした彼女たちの声に、正しい意味での「市民権」が与えられていないからなのでしょう。なかなか届かない声ですが、私は、発信し続けたいと思います。
2012年12月2日 01時00分 | 記事へ | コメント(0) |
| その他 / 出生前診断 / ダウン症の当事者 |
出生前診断について 11月18日
 青年学級のみんなのあかりコースでの議論のうち、パソコンで綴られたものです。出生前診断について訴えていくための歌をつくろうということになり、その歌詞の材料としてみんなが出し合った言葉です。

気持ちがあるのにわかってもらえず 
ぼくはなんども泣きたくなった
だけどぼくらも人間だ
未来はろうそくのあかりのように
光り輝いている
だからみんなで叫んでみよう
ぼくたちもおなじ人間だと

地震のときにがんばったのに
もうみんな忘れてしまったのか
理解されたと思ったのはつかのまのことだった
人間としての最低の尊厳さえなくなったこの世の中は
望みさえなくなった暗闇の世界だ
敏感な人にはどうしても
生きていてはいけないという声が聞こえてしまう
だからぼくたちは人間としての絶望から立ち上がるために
もう一度理想をどうにかして訴えなくてはならない

知らないうちに未来が閉ざされてしまった
ぼくたちは理解されないだけでなく
生きていてはいけないということになってしまいそうだ
理解される世の中だけでもたいへんなのに
よいいのちと悪いいのちという区別をなくすことは
もっとむずかしいことだ

小さい涙ががすっと流れた
みんなをなきものにするという
人間としての尊厳を
ふみにじってしまう冷たい言葉に
人生を否定された
われわれが生きていける場所は
もうどこにもなくなりそうだ

人間としてのみんなの尊厳を
ごんごんと湧きいずる清水のように
訴えていかなくてはならない
私たちをなきものにしようとする社会は
だれもがわかりあっていける社会の否定だ
もうじき夜明けがくると思っていたけれど
夜明けはまだどこにもその気配さえ見られなくなった

小さい涙が流れたという歌にしましょう
そこから歌にしよう

人間としてのわだかまりがやっととけそうなのに
またつきおとされた感じです
わだかまりをなくしたいです
理想をなんとかしてとりもどしたいです
人間としてのわなにおちてはいけないとおもいます
理想を高くかかげよう
りそうをつよくかかげよう


 そして、この議論のあいだ中、机につっぷしてまるで寝ているように見えたダウン症当事者の女性がいました。しかし、彼女が寝ているはずはありません。彼女にパソコンで話をしていただくのは初めてでしたが、あえて、そこで、パソコンで話しますかと尋ねてみました。すると力強く首を縦にふって、こんな文章を書きました。 

 私はダウン症なので今回のことではとてもつらい思いをしました。なぜならもう生まれないほうがいいと言われたような気がしたからです。でも私たちも同じ人間だということをもっと大きな声で叫びたいです。小さい時からもんもんとしてきましたが私たちをなきものにしたいというのは許せません。だから私は勇気を出して言いたいです。私たちも同じ人間だと。おんなじ空気をすっておなじ水をのむおなじ人間ということを。おんなじ血がからだに流れているおなじ人間なのだと。人間という言葉がこれ以上こわされないように。

 当事者の悲痛な叫びです。こんなにも人を悲しませていることに耳をふさいで、私たちの社会はとんでもない方向に舵をきってしまったと言わざるをえません。
2012年12月2日 00時40分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 / 出生前診断 / ダウン症の当事者 |
2012年11月14日(水)
奇跡が奇跡でなくなる日にむかって 1000人集会in総社
12月8日に「山元加津子さん&紙屋克子さん講演会 奇跡が奇跡でなくなる日に向かって 1000人集会 in 総社」が開かれます。総社市は岡山県です。「植物状態」と言われる人にも意識はあるかもしれない。先日も、私は、脳梗塞の後遺症の方で奥様以外は意識があるとは思われていない方の言葉を聞き取る機会がありました。その方はけっして例外ではないはずです。今までの医療の常識では意識がないと言われる人が実は意識を持っているかもしれないということ。私は、まだ、そうした状況の方にたくさん会ったわけではありません。しかし、今回、総社市で上映される宮田さんも含めて、6人の方と関わりを持ちましたが、6人とも気持ちを言葉で綴ることができたのです。6分の6は少ない数とは言え、見逃せない割合だと私には思われます。この総社市の講演会と映画の上映を通じて、そのことを山元先生や紙屋先生は、広く世の中に訴えようとされています。ぜひ、足を運べる方には運んでいただきたいし、こういう取り組みが今まさに行われようとしていることを一人でも多くの人に知っていただけたらと思います。以下、山元先生からのメッセージです。

 山元加津子です。世界中にはものすごく多くの植物状態と言われる方がおられます。
今までは回復の見込みがないと思われていた植物状態と言われる方の多くが、実は想いがあり、方法によって、回復する可能性があることがわかってきました。そのことに長く取り組んでこられた筑波大学名誉教授の紙屋克子さんと、私、山元加津子のお話、そして二人の対談。さらに、2009年2月にとても大きな脳幹出血で倒れ、一生植物状態で、四肢麻痺と思われた宮ぷーこと、宮田俊也さんが主演の映画「僕のうしろに道はできる」の日本での初上映などが行われるイベントが、12月8日岡山で開催されます。 https://uketsuke.tiki.ne.jp/shirayukihime/

 植物状態の回復については、白雪姫プロジェクト http://shirayukihime-project.net/
をご覧ください。この情報が、現在、あるいは未来にも必要な方に届きますようにと、「必要な方へ届け!白雪姫ローラー大作戦」を開始したいです。ぜひ、みなさんのお力で多くの方に届きますように、お伝え願います。 山元加津子
     
2012年11月14日 07時41分 | 記事へ | コメント(0) |
| その他 |
2012年10月29日(月)
11月のきんこんの会のお知らせ 11月24日土曜日
 11月24日土曜日、2時よりきんこんの会を国学院大学たまプラーザキャンパスの410番教室で開催いたします。
 参加は、ご自由です。
 参加してくださる方がたくさんおられて、少しずつでも援助の方法を伝える時間も増やさなければいけないのではないかと思っています。
 当事者の会として、軌道に乗ってまいりました。スケジュールがいつも直線でたいへん申し訳ありませんが、どうぞ、よろしくお願いします。
2012年10月29日 13時24分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 / きんこんの会 |
2012年10月22日(月)
すでに社会から排除された者として
 F君がぎりぎりの思いをこめて次の言葉を伝えてきました。それは、

すでに社会から排除された者として、出生前診断を断罪する

という言葉でした。
 このことをめぐって、今日はたくさんのことを語りましたが、まだ、それは整理されておりません。でも、F君は、この言葉だけでいいから先生のブログに載せてくれと言いました。
 F君は、こう言います。
 
 出生前診断について、今日までの報道を見る限り、当事者に聞いたということは、見られなかった。ということは、このことを決める話し合いから、自分たちは排除されてきたということだ。だから、その立場からあえて言わせてもらう。私たちの仲間を殺すことは許されないと。
 まずは、この言葉だけ今日は乗せさせていただきます。
2012年10月22日 23時51分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G多摩1 / 出生前診断 |
2012年10月15日(月)
出生前診断について 10月14日
 Kさんがあと一つ書きたいことがあると言って書き始めたのは、出生前診断についてのことでした。以下の通りです。

出生前診断について。

 私は生まれてこないでいいようないのちなんてないと思っていますが世の中の人はなぜそのことを語らないのでしょうか。ずっと私は言葉の理解が難しいのでわかっていない子どもと言われて育ってきました。しかしそんな私たちでさえ同じ人間として喉から手が出るほどのことでしたが冒険ができる自由がほしいと願って生きてきました。私はそういうふうに見られていても必ず同じいのちだからと守ってくれる人に支えられて生きることができました。だから迷惑だと思う人もたくさんいるのはわかりますが私は迷惑などいのちを選ぶ理由になどにはならないと思います。いのちが同じだという言葉さえ語られないのは絶対におかしいと思います。なつかしいです。何もわからないと思われているにもかかわらず、同じいのちだと言ってくれた人がたくさんいた昔が。そんなどうでもいいいのちにさえ重きをおこうとしてくれた理想の時代はもう来ないのでしょうか。私にも言葉が理解できているということが理解されたにもかかわらず世の中はまだその事実に無関心でただ障害という理由だけで私たちをなきものにしようとしているなんて許せません。私は言葉にかかわらず人間です。そういう言葉にかかわらずという考えは理想論と片付ける人もいるかもしれませんが現実論として言いたいのは世の中の人たちがなきものにしようとしているいのちは世の中の人の思惑とは異なりみんな普通に言葉を理解していると言うことなのです。ここに二つの過ちが存在していると言うことがわかります。私たちの声をもっと聞いてください。以上です。

 
 かつて、言葉がないとされてきた自分をも同じいのちだと言う人がいたのに、なぜ、今それを言う人がいないのかという切実な気持ちが綴られています。また、「迷惑などいのちを選ぶ理由にならない」という言葉も核心をついたものでしょう。理想論と現実論の両面からこの問題をつくという語り方は、大変説得力のあるものでした。
2012年10月15日 13時26分 | 記事へ | コメント(0) |
| 研究所 / 出生前診断 |
友だちの手術のことと両親への手紙
 Kさんは、とても興奮したようすで私たちのもとにいらっしゃいました。表情も切実なもので、何かを訴えたいことは明らかでした。20年以上おつきあいしてきたKさんがこんな様子は初めてで、お母さんも、いったいどうしたのかしら、昨日の夜からこんな感じで、今朝も、いくら好きな音楽を流しても静かにならないのよとおっしゃって、戸惑っておられたのです。ただ、ご両親に何か訴えたいことだったら、たとえ現在のように言葉で表現する術がなくても、ほとんどすべて通じていたわけだから、直接自分のことをお母さんたちに訴えたいということではないということはお母さんも感じておられ、前日からということは、翌日に私たちと会って何かを訴えようとしているのだということはお感じになっておられたとのことでした。そして、綴られたのは次の文章です。

 犠牲的な話です。人間だから唯一の尊厳を守らなければいけないのにしてはいけないことをされそうになっているからやめてほしい。残念なことがありました。私の友だちの喉にメスを入れると言っているのがつらいです。呼吸が苦しいからですが声を奪ってはいけないと思います。私は絶対に拒否します。なぜなら声あるから私はみんなと話せているからです。はい仲間のことです。その人は声で私とコミュニケーションを取っているのでもう私たちは話せなくなってしまいます。ずっと一緒だった友だちですが敏捷な体でみんなと楽しく走り回っていた人です。ずっと体調を崩して寝たきりになってしまった人です。地域で生きていくためには気管切開は足かせになりますから心配です。夢はその子達とみんなで地域で暮らすことだったから何としても気管切開だけは避けたいのです。みんないろいろな制約を抱えて生きていることはわかっていますが私たちはいつも受け身でそれを受け入れるしかなかったけれどせっかく話せるようになったのだからどうにかして訴えたいです。男の人で年上ですが体は小さい人です。きゃしゃな体で動いていたのでみんなからかわいがられています。敏感な人でしたから私たちをよくかばってくれました。学校時代から。

 Kさんのおっしゃりたいことは痛いほど伝わってきましたが、それだけではここで気持ちをはき出しただけで終わってしまいます。私に思いつくのは、この気持ちを手紙にして届けるということだけでした。そして、それを彼女に提案して書かれたのが次の文章です。

職員さんへ。
 わたしはとても気になっていることがあります。それは○○君のことです。ずっと冒険好きの彼にはたくさんかばっていただいたので彼が気管切開をして体を思うように動かせなくなるのがたまらなくつらいです。自分たちは生まれてからずっと寝たきりでしたからこういう暮らしになれていますが○○君はまだまだ動ける人なので人間としての尊厳が奪われるような気がするのです。ばいきんがはいらないようになどと心配してあげているうちに呼ばれても答えられないのだから何もできない体になってしまうような気がして心配なのです。私は医者ではないから詳しいことはわかりませんがよほどのことでなければ気管切開は避けてほしいと思います。敏感な○○君だからそうとう悩んでいることでしょうから本当に心配です。なんとかなりませんか。生意気なことを言って申し訳ないですが友だちのためなので書かせていただきました。存分に生きたいといつも私たちは希望しているので私たちの人生を私たちが選べる時代が早く来るといいなと思います。冒険好きな○○君の人生だからそれを是非大切にしてあげてください。よろしくお願いします


 一つ目の文章が感情の吐露だったのに対して、明らかに相手に自分の意見を伝えるために、読み手の立場もふまえた上での文章になっています。本人も、「先生に訴える時はただ自分の感情のままに言葉にしていたけれど、手紙にするとまったくちがう」と言っていました。
そして、手紙ならきちんと自分の気持ちが書けそうだと言って、ご両親に向けた手紙を書きました。

がんばっているおかあさんへ。
 どんなに感謝しても仕切れないほど感謝していますが体調が心配です。これから寒くなるので体調にはくれぐれも気をつけてください。残念ながら私は何もしてあげられないので私が体調を崩さないようにすることが精一杯の努力です。だから私も頑張るので母さんも是非健康に過ごしてほしいです。時間ばかりが過ぎていくので私も母さんもずいぶん年を取りましたが良い人生をまだまだ送りたいのでお互い体にだけは気をつけましょうね。
                       Kより。

お父さんへ。
 人生の後半で仕事を変わって大変なことも多いと思いますが私にとってはよい仕事についていただけたという実感です。なぜならどうしようもないように言われてきた仲間でもお父さんは愛情をかけてあげられる人だからです。私たちはみんな言葉を理解できているので分かってくれる職員を本当に必要としていますからお父さんによって救われた仲間もたくさんいるからです。なぜお父さんにはそういう気持が持てるのかというと私を育てたからです。どうして私がお父さんの子どもになったのかはわかりませんが私を育てたことが役に立ってうれしいです。
                      Kより。


 そして、さらに、もう一つ書きたいことがあると言って来たのですが、ここでいったん区切らせていただきます。
2012年10月15日 10時40分 | 記事へ | コメント(0) |
| 研究所 |
2012年10月12日(金)
出生前診断について 10月8日
 出生前診断についての当事者の言葉です。盲学校の重複学級を卒業した20代半ばの女性です。彼女は、生まれていいいのちと生まれなくていいいのちとに分けることはできないということが唯一のよりどころであったという思いから気持ちを綴り始めました。そして、理解できていない存在としてこれまで扱われてきたけれど、今回のできごとで、生まれなくていい存在にまでさせられてしまったと述べているのです。無念の思いは以下の通りです。

 なんなのという話が最近ありました。どうして生まれていいいのちと生まれなくていいいのちと分けられなければいけないのでしょうか。唯一の私たちのよりどころはそれほどもろいものだったのでしょうか。わざわざ私たちを否定するなんて許し難いです。私たちは理解できていないだけでなく生まれなくていい存在にまでさせられてしまいました。もう私たちは生まれて来ない方がいいのでしょうか。なぜ誰もそれを問題にしないのでしょうか。理想も消えて私たちの生きられる世界はもうなくなってしまいました。なぜ私たちは生きていてはいけないのでしょうか。人間としてもう認められないということですね。自分たちをのけ者にする社会は必ずみんな苦しい社会になります。
 人間として認められる日がまたいちだんと遠ざかりました。銀色の世界を夢見ていたけれどまた遠ざかりました。よい時代が地震の後にきそうだったのに私たちはまた取り残されてしまいました。人間としてのわずかな希望がまたほしいです。理解してもらえてよかったです。
 なぜダウン症の人ばかりが取りざたされるのかも許せませんでした。私たちにとってはダウン症などと障害の名ばかりが一人歩きしてしまっていることも許せません。わずかな勇気をふるって世の中に訴えたいですが難しいですね。妊婦さんも何も知らされない方が良かったのではないでしょうか。人間として人間らしく育てればそれで十分だと思います。


 文中に「自分たちをのけ者にする社会は必ずみんな苦しい社会になります。」とあります。それは、本当に深い社会全体のあり方についての問いかけでしょう。
2012年10月12日 22時00分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主グループ(視覚障害) / 出生前診断 |
出生前診断について 9月29日 ある少女の思いと詩
 わかっていもらえないことをめぐる思いを綴っていたある少女は、そこから出生前診断への思いを延べ始めました。

 私たちは人間として見られていないのがよくわかります。私たちは世の中ではもう生まれない方がいいと思われているのだというのがよくわかります。びっくりしました。テレビで出生前診断でみんなで私たちをなきものにしたいと思っていることに。理想がなくなっていって私たちを敏感な人たちしか何も手助けしなくなると思います。私たちはただ指をくわえていることしかないのでしょうか。

 この後、話は副籍交流の話となり、さらに次のように自分たちを取り巻く地域社会の問題へと話が続いていきました。

 地域は何で私たちを受け入れてくれないのでしょうか。地域の学校に行きたいです。むずかしいとは思いますが私はうらやましいです。ばらばらに分けられるのはいやです。いい敏感な人たちが増えるといいと思います。わずかな希望は私たちはようやくこうして話せるようになって未来が見えてきたけれど私たちをないものにしようという時代が来てしまったのでもう諦めるしかないのでしょうか。

 そして再び、出生前診断に象徴されている「自分たちをないものにしようという時代」の到来を嘆いたのです。
 そして、その後、こんな詩を書きました。

夏に疲れた私は秋風に身を委ねて
匂いのいい花に顔を埋めた
よい匂いの花は見たこともない美しいがんばりを讃えてくれて
私をやさしく包んでくれた
理解者をつらい気持ちにさせてしまって私はつらいの
どうしたらいいのかわからない
私はもう読んでしまった本を投げ出すように
敏感な声で答えてもらおうと
理解をしてもらうための物語を私は紡いだ
理想は私にも言葉があることをわかってもらうこと
理想はなかなかかなわないけれど
私としては理想をかなえるための新しい旅をしよう
花に包まれて私は祈った


2012年10月12日 21時37分 | 記事へ | コメント(0) |
| 家庭訪問 / 出生前診断 |
2012年09月28日(金)
とびたつ会 Tさんからのメール 一人暮らしの練習と出生前診断 9月28日 
 とびたつ会のTさんからメールが来ました。忙しさにまぎれてなかなかこの場に紹介してこなかったのですが、久しぶりに掲載させていただきます。とびたつ会支援者の松田さんが、パソコンで聞き取った文章です。
 一人暮らしの練習の話と出生前診断をめぐる文章でした。

 いい季節になりました。ぼくはひとりぐらしの練習をしました。夜はヘルパーさんとふたりで過ごしました。ふろにはいって焼酎をおいしく飲みました。とても楽しい、忙しくない日々を体験しました。将来は、ひとりでくらすのが夢ですから、これからも練習を続けていきたいと思います。ひさしぶりの訓練だったので、とても疲れてしまって、とびたつ会にも行かずに、あっというまに寝てしまったそうです。
 理解できないことは、なぜ、子どもが生まれる前に、障害を調べて、生まないようにしてしまうのだろうか。それはぼくも生まれてこなくても、よかったということなのか。まったく理解できないし、憤りさえおぼえます。この気持ちを社会に訴えたい。
 

 簡潔な表現ですが、憤りが伝わってくる文章でした。
2012年9月28日 20時08分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 / 出生前診断 |
2012年09月26日(水)
出生前診断をめぐる当事者の発言 9月24日
 9月24日の会においても、話題は、出生前診断になりました。
 声にならない声ですが、当事者の無念の思いを、どれほど微力では荒れ、発信しないわけにはいきません。 

 なぜこんな世の中になってしまったのだろうか。私たちにはどうしても納得いかないのは私たち当事者の意見がいっこうに聞こえてこないことです。なぜ私たちの声を聞こうとしないのでしょうか。馬鹿にされているだけでなく無視されているのがつらいです。私たちの声を聞かずに色々なことが決められていくのがとてもつらいです。なぜなのかと考えているうちにわかったことは私たちの声をいったん聞いたら何も言えなくなってしまうからだということがわかってきました。無意識かどうかはわかりませんがもっと真正面から私たちの思いを受け止めてほしいです。理解されないだけでなく排除だけはとても悲しいです。私たちはあってはならない存在だということがとてもわかって悲しかったです。なぜ私たちは生きる権利さえ認められないのでしょうか。悔しいですが私たちの声を届けたいです。きんこんの会で声明が出したいです。黙ったまま何も語らない存在として消されていくのはとてもつらいです。なぜなら私たちも同じ人間だからです。理解されない苦しみよりも排除される方がもっとつらいです。自分も染色体異常の一種だから自分には今回のことは他人事ではありません。だれがつらいかということが私たちにはよくわかっています。それは母親たちです。世の中はもう私たちを無視して私たちの生まれたことを間違いだったと言っています。母は間違ったことをした人たちだということになろうとしています。私たちはそれも耐えられません。敏感な母たちは秘かに泣いていることでしょう。私たちはこうして訴えることができるからいいのだけど何も言えない仲間は何も言えずに苦しんでいます。いつか私たちが世の中に出た時このことは必ず訴えたいと思います。以上です。

 がんばって私たちは自分たちの意見を語ってきたけれど今度のことでは理解されないどころか私たちを排除する意見がまかり通っていて私たちはもう生きる望みをなくしてしまいそうです。勇気を出して言いたいことは私たちにも生きる権利があるということです。もう手遅れなのでしょうか。私も確か染色体に関して異常があるはずなので今度の話は他人事ではありません。なぜ私たちは生まれてきてはいけない存在にされてしまうのでしょうか。唯一の救いは私たちは話せるようになったのでこうしてじかに抗議ができることです。みんなは話すこともできないままに存在を否定されるままに甘んじている仲間が悲しいです。なぜみんな生きる権利を否定されなければいけないのでしょうか。わたしはそのことを今度のきんこんのかいでは主張したいと思います。これで終わりです。


 小さいときから私たちは何も言いたいことが言えなくて困ってきましたが私たちの自信がなくなるようなことがありました。私たちを人間として認めない議論がまかり通ってしまいました。それは出生前の診断のことです。なぜかというと前から議論されていたことだから仕方ないことだとは思いますが僕たちはもう生まれて来ない方がいいという意見に世の中がまとまっていきそうだからです。だから本当に残念です。世の中が間違っているのは私たちの意見を聞かないことです。小さいことかと思われていますが僕は私たちの存在が世の中から消されてしまうかどうかの大事な問題です。だから先生に会ったら必ず話そうと思っていました。どうして僕たちの声をマスコミは取り上げないのでしょうか。なつかしいのは震災の後の日本です。あのころ僕たちの命とみんなの命には全く違いがないと言われていたのにたった一年半で世の中は変わってしまいました。残念です。人間として同じだということを私たちはもう死語だと考えるしかないのでしょうか。僕たちにとって私たちの人間性が否定される日がついに来てしまったということです。なんとしてもやめさせたいと思います。誰かが訴えなければならないとしたら僕たちがきんこんの会を通して言わなければならないのでしょうか。
2012年9月26日 06時24分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G多摩1 / 出生前診断 |
2012年09月22日(土)
出生診断をめぐる思い ある通所施設で
 ある通所施設で、二人の人が出生前診断について語りました。最初は女性です。気持ちがあることがわかってもらえた喜びを語っているうちに、話が出生前診断をめぐる最近の風潮に関する話になりました。

 私たちにも当たり前に気持ちがあるということがわかってもらえてうれしいです。みんなもう諦めていましたがこうして話ができるようになったので茫然とした日々から立ち直れそうです。長い間私たちは私たちの本当の姿を理解されずに来ましたがようやく理解される日が来ました。もっと早くわかってほしかったけれど理想がかなってうれしいです。なぜ私は生まれてきたのかとか生まれない方がよかったのかなど考えることも多いですがわずかな希望がわいてきました。長い間どうしようもない感じで生きてきたので理想が見えなくなっていましたが何とか立ち直れそうです。自信が出てきました。違いを越えて人は生きていくべきなのに違うともう生まれない方がいいなどという考えは私たちを相当苦しめます。なぜそんな世の中になったのでしょう。みんな同じ命だなんて唯の文言でしかないのでしょうか。これで終わりです。はいこれが言いたかったです。

 次は、20才過ぎの男性です。彼は、きんこんの会の中心メンバーでもあります。今回は、これを伝えよう準備していたとのことでした。

人間であればみな同じだということをなぜ誰も言わないのだろうと毎日悔しがっています。私たちはずっと当たり前に者を理解してきたのに何もわかっていないと言われてきました。わずかな希望はそんな僕たちに対しても同じ人間だと言うことを実際に行動を通して主張してくれた人たちが前はいたのに最近の出生前診断の議論ではそのことさえ語られません。なぜなのだろうと毎日疑問に思っていますが理解できません。びっくりしたのはもう私たちは生まれて来ない方がいいのではないかと平気で言う人さえいたことです。そういう言葉がまかり通る悲しい世の中になってしまいました。敏感な仲間はもうご覧なさい僕たちをと言えなくなってしまいます。疑問があります。私たちにはついこの間の震災で命の尊さがみんなの共通理解になったはずなのにわざわざそれを否定するなんてのど元過ぎれば熱さを忘れるの典型と言えます。私たちにも人間としての生きる権利がありますが世の中には相当わがままにしか聞こえないのでしょうね。人間存在の根本が問われていると思います。どこかでまた仲間の命が消されているかと思うと毎日憂鬱です。ぜったいに認めるわけにはいきません。挽回しようにも世の中がこうではどうしようもありません。さんざん議論してきたことがむだになりそうですが負けるわけにはいきません。犠牲者を増やさないためにも今度のきんこんの会ではそれを話し合いたいです。 

2012年9月22日 22時16分 | 記事へ | コメント(0) |
| 通所施設 / 出生前診断 |
出生前診断について 〜「ダウン症」当事者からの発言〜
 出生前診断をめぐって、ダウン症の当事者からの意見をいただきました。彼は20才を過ぎたばかりの若者です。肢体不自由も重度で、3年前まで言葉で気持ちを伝えることができませんでした。そんな彼が、しだいに俳句に興味を持ち、毎回、たくさんの俳句を作って私を待ってくださるようになりました。しかし、今回は、俳句よりも先に言いたいことがあるということで、次の文章が書かれました。
 当事者自身の、悲痛な叫びです。

 わずかなあかりがみえた震災からまだ何年も経っていないというのに何と情けない国になってしまったのだろう。僕たちダウン症の子どもはもう生まれない方がいいという議論が堂々とまかり通ってしまってもう僕たちは生きる権利がなくなってしまったも同然だ。よい意見に聞こえるものだってかわいそうな子どもたちという理解の上に語られているものだから僕たちにとっては同じことだ。それになぜ僕たちのことばかり言われなければならないのだろうか。私たち障害者の中でもなぜダウン症のことばかりが取りざたされるのだろう。もう僕たちには生きる場所さえなくなりそうだ。なぜならもう僕たちはもう少しでただの甲斐性なしのお荷物だということになってしまうだけでもう同じ人間だということが誰にも語られなくなってしまうだろう。だから僕は人間としての希望をなくしかけた。だけど僕にも人間としての尊厳がある。長い間話すこともできないまま人間として認められる日を待ち続けてきたけれどようやくそれがかなったと思ったとたんにこの騒ぎだ。僕たちの仲間が毎日殺されているという事実がたまらない。涙を流しても流し尽くせない悲しみが僕を襲っている。わずかな希望はこうして僕の思いが聞き取ってもらえたことだ。敏感な仲間たちはみんなとても悲しんでいる。そして僕は存分に叫びたい。僕も同じ人間だと。

 そして、さらに次の俳句が綴られました。

誰を没 誰を生かすと 悲しき世
忘れられ 葬り去られる 我が仲間
わが仲間 生まれることなく 涙する
未来消え 生まれるべきではないという
ばかばかし 微力なわれも抗議する
夏のゆき理想の消えて緑枯れ
わずかな理 われらも同じ人間さ
わずかな身 理想なくして ひとり泣く
夢も消え わずかともりし灯も消えぬ
よい報せ 届かず 船は座礁せり
地の果てに 追いやるごとき 世論 燃ゆ
理が勝てず 現実を見よと 空しき日
理の立たぬ 悶々とした日 夜深し
わだかまる 人間の違いが 否定され
名前さえ 呼ばれず 返事をすることもなし
僕の名は ダウン症かと 見まがう日
わずかな目 われを守れり 夏ゆきぬ


 
2012年9月22日 20時42分 | 記事へ | コメント(0) |
| 家庭訪問 / 出生前診断 / ダウン症の当事者 |
2012年09月20日(木)
施設の職員さんへのお祝いの手紙
 青年学級でMさんに朝お会いした時、手紙を書きたいと言われました。Mさんは、長い間、町田市の施設に入所していて、そこで青年学級に出会った方です。もう20年以上のつきあいになります。あいた時間にパソコンで、彼女は次のような手紙を綴りました。


○○さんへ

 こどものたんじょうおめでとうございます。
わたしたちはいつも○○さんがぶかぶかのふくでわたしたちをやさしくつつみこんでくれてうれしいです。
 なかなかきもちをうまくしゃべれないのでわずかなちゃんすにこうしてぱそこんではなしています。みんなもはなせるのでりかいしてください。みんなほんとうはなんでもわかっているのですがかってにくちやてがうごいてこまっています。それをぜひつたえたくなってしまいました。
 ぞんぶんにはなせるようになってとてもきもちがおちついてきたのはきづいてもらっているとおりです。よいねがいがかなってうれしいです。わずかなきぼうのひがともりました。
 ○○さんもこどもがうまれてよかったです。ずっとだいじにそだててください。
 わたしたちはじぶんがもうこどもがもてないのでわたしたちのそんなきもちもこどもにはこめてあいしてあげてください。
 ほんとうにおめでとうございます。

                       Mより


 
2012年9月20日 00時04分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 |
2012年09月17日(月)
出生前診断 改めて私の意見
 東日本大震災の後、3月11日に生まれた子どもたちの映像を組み合わせた「ハッピーバースデイ」というユニセフのCMが感動を呼んだ。その映像の冒頭の赤ちゃんは、ダウン症だった。しかし、映像ではそのことにはいっさいふれられることはなかった。あの震災直後の日本では、生まれた命はすべて喜ぶべきものであり、ダウン症などと区別する必要はまったくなかったのだ。私はそのことを意識した自分がとてもいやだった。あれからわずか1年半しか経っていない日本で、今、出生前診断が話題になっている。そして、その時必ず話題になるのがダウン症だ。しかし、なぜ、ダウン症であろうとなかろうと生まれた命は素晴らしいと震災直後に大勢の人が素直に感じた思いが語られないのだろうか。どんな生命であれ平等だとする議論に私は賛同するが、その議論は、やはりある違いを前提にしている。しかし、ダウン症の人と私たちは何が違って何が同じかということがきちんと語られていないと私は考える。出生前診断が今議論になるのは、医学の進歩があるからだろう。しかし、進歩しているのはけっして医学だけではない。ダウン症と呼ばれる人たちに対する具体的な理解もまた進歩している。その例は枚挙にいとまないが、例えば毎週日曜日の8時にダウン症の書家金沢翔子さんの平清盛の題字が放映され全国の人々が、そのすばらしい表現を違和感なく受け入れている。まだ、多くの人は、彼女を例外と考えているが、それは古い枠組みである。彼女の存在は、ダウン症という障害の新しい理解の枠組みを提示しており、存在として私たちと何ら変わるところがないということを示しているのである。今回の報道で解せないのは、せっかく独立した人格としてマスコミに登場し始めたダウン症当事者の発言を報じないことである。暗黙のうちに彼らは議論の外に置かれようとしているのだ。そして、それこそ、実に古びた枠組みにすぎない。私は、ダウン症の方々と親しく接する場に身を置いているが、そこでは、私たちと彼らの間にいかなる線を引くこともはばかられる。そして、ダウン症などという、一人の医者の名前と病気でもないのに「症」をつけてしまった呼称は、関わりの場では使うことさえおぞましい言葉だ。私たちはただ相手をその人のかけがえのない名前で呼ぶだけだ。
2012年9月17日 00時02分 | 記事へ | コメント(0) |
| その他 / 出生前診断 |
2012年09月16日(日)
出生前診断をめぐる青年学級の議論
前回の青年学級に引き続いて、今回も出生前診断の話が語られました。活動日の前日、NHKの番組で取り上げられたことも大きかったようです。当事者の切実な思いを記します。

 がんばってもどうにもならないという気持ちになります。ぼくたちはもう生まれなくていいなどという何ともいいようのない考えがはびこっていて許せません。理解してくれないのは黙ってがまんしてきましたがもういないほうがいいなどという考えにはどうしても黙ってはいられません。理解はされなくても生きてゆくことはできますが、いなくていいといわれたらもうどこにも居場所もなくなってしまいます。  

 敏感な人にはわかっていることですが僕たちは今とても世の中に絶望しています。わずかな希望は私たちにも気持ちがあることが理解されたことです。しかしわずかな理想を世の中が簡単に踏みにじろうとしていて悔しいです。もっともっと理解されなくてはいけないときに世の中が全く逆に動き始めましたから本当に残念です。

 みんなも考えているとおり僕には世の中の流れが気になります。分相応に生きることさえ否定されてうれしくないです。黙ったままどこにも意見も言えないまま存在を否定されるのは悲しいです。許せないのはどうでもいいようなことばかりが語られて僕たちと健常者は同じ人間だという意見が全く聞かれないことです。理想が一瞬語られたこの間の震災からまだたいして時間も経っていないのにもう理想は消えてしまいそうです。悲しいです。
わかそよでこのことをわかってもらいましょう。いいわかそよにしたいです。

こんな世の中になぜなったのか
私たちにも生きる意味がある
なぜ私たちの生きる権利は奪われるのか
世の中はよく津波の意味を考えるべきだ
津波の惨状を目の当たりにしたとき
みんな命に違いがないことを痛感したはずだ
それなのにその惨状の記憶も消えないうちに
世の中はよくない方向に舵を切ってしまった
理想はもう死にたえた
私たちをまるで無意味な存在とした世の中は
津波に滅ぼされたようなものだ
もう心はどうしようもなく滅びてしまった
私たちはそんな世の中に
ただ飼い殺しされるしかないのだろうか。
2012年9月16日 23時40分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 / 出生前診断 |
出生前診断をめぐる問い 二人の言葉
 ある学習会で、二人の方が、出生前診断について、切実な表情で次の問いを投げかけてこられました。社会は、この問題に何らかの結論を出す以前小段階で、すでに障害者と呼ばれる人々を同じ人間であるにもかかあわらず完全に排除してしまっていることが明らかです。


ランプの明かりがまた消えた
私は悲しみとともに祈り続ける
ランプのあかりは東北を照らしたかに見えたが
またランプは消えてしまった
未来につながる明かりだったのに
ランプのあかりよどこにいった
私の心にわずかにともるランプの明かりさえ
もうとてもその光は失われてしまいそうな
消えそうなものになってしまった
わずかな希望は明かりの長い残り火は
被災地の人々の心の中で
こっそりとまたともる日を待っていることだ
勇気がほしい
私の中にともったランプがまたともるように
闘い続ける勇気がほしい。

ついにランプの火が消えたと思ったのはついに私は生まれるべき存在ではないとそういう世論が形作られてしまったからです。震災では私たちの存在も同じ命だという世論ができそうだったのにばかばかしい議論が平然とされ本当に絶望しています。



 気になることがありました。それは出生前の診断のことです。こんなばかなことがあっていいのかと思って頭にきています。どうでもいい命なんてないのに許せないです。わずかな変化が日本にもあったと思っていたのに悪くなっていました。どうしてこんなことがまかり通るのでしょうか。つらいのは何も知らされずに生まれられないままの子どもです。許せません。許し難いのは誰一人僕たちの意見を聞こうとしないことです。なぜ車イスの話せる障害者みたいな人でいいから話させないのでしょうか。びっくりしたのは何も知らない人が人間としての存在を否定した言葉を言っても否定する人がいないことです。ダウン症の仲間も同じ人間だと思うのにもうみんなこの世の中では生きられないと悲しんでいることでしょう。小さい人間だって人間です。なぜどうして人間として生きられないのでしょうか。


2012年9月16日 23時33分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G23区1 / 出生前診断 |
2012年09月06日(木)
光道園 2012 その4
 20数年前に訪れた時のビデオの背に書いてあった名前がなぜか忘れられなかったMさんが、学習の場所にいらっしゃいました。
 そして、すぐにパソコンで気持ちを書いてもらいました。

 言いたいことがたくさんあります。得られぬ事と諦めていました。馬鹿にされてばかりでつらい人生でしたがやっとわかってもらえました。なぜ僕に言葉が分かっていると思ったのですか。小さい時は見えていたのでひらがなを覚えることができたけれど見えなくなってからどうしたらいいか悩んできました。長い間何もわからないと思われてきて毎日寂しかったです。理解されることももうないだろうと諦めていました 夢のようです。つらかったけれどこれで理解してもらえます 素晴らしいスイッチですね。よく合図が分かりますね。
いい詩があります 


 私とあまり年齢が変わらないであろうMさんは、おそらく30年くらいは光道園にいらっしゃるはずです。その中で、もう言葉を理解していることがわかることはないだろうと諦めていたとおっしゃるのです。そして、せつない詩が綴られました。

 いのちのうた

ふと耳を澄ませると
冷たい夜の空気の中に虫の鳴く声がする
あれは母さんを呼ぶ声だろうか
わがままな僕だから忘れ去られてしまったけれど
僕も母さんが恋しい
呼ぶこともできないままもう何年も過ぎてしまった
まるで僕などこの世に存在しなかったかのように時は過ぎていく
だけど僕にも命がある
素直に生きたいとだけが僕の願いだった
僕の願いは僕一人の世界のはかない願い
忍耐の中で長い間研ぎ澄まされてきたものだ
命果てる日まで僕は祈り続ける

 晩になると詩を考えて時間を過ごしています。まだまだたくさんありますがこれぐらいにしておきます。疲れました。


 母さんを思う気持ちが切なく綴られていますが、母さんがいらっしることはないそうで、しかももう相当のご高齢のはずです。そして、横にいらっしゃった職員の方が、最後に一つ質問があるといって、なぜ、いつもエレベーターのところに立っているのですかと尋ねました。すると、Mさんのその答えは驚くべきものでした。


 母さんを待っています。わがままを許してください。もうやめます。

 いついらっしゃるかわからない母さんを待っているという答えは、胸に深くささってくるような答えでした。そしてそれはそのまま詩に表現された気持ちでもありました。
 「もうやめます」という言葉がいささか唐突だったので、私は、「そのことが伝わったからもう待っていなくてもいいということですか」と尋ねると、

はい

と答えが返ってきました。最終的にMさんがどういう選択をしたのか、楽しみです。
2012年9月6日 00時40分 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年09月05日(水)
光道園 2012年 その3
 次は、男性Oさんです。まず、最初にリベットを使った点字学習をしました。どんどん6つの穴をリベットで埋めてしまおうとするので、なかなか点字になりません。しかし、それが、なかば運動がコントロールできない結果として、次々とリベットをさす行動が起こってしまっているということが、最近わかってきました。そんなことを語りかけながらパソコンに移りました。彼は、生まれてからずっと全盲ですが、助詞の「は」は「わ」で表記しました。

いい気持ち 書けるとわ思わなかった 
字の勉強わ小さい時にしたのでわかります 知っていますが全部入れたくなるので困ります
いいえ しのたつおわ知っています がんばって点字の学習をしてきましたがなかなかむずかしいです でも続けたいのでよろしくお願いします いい施設ですここわ なぜなら何でも認めてくれて誰も排除しないからです そうですみんなずっと仲間として大事にしてもらっています 理解してもらえる最高の施設です わずかな希望わずっとここにいさせてほしいということです わずかな希望わ長い道ですが点字を全部覚えることです 人間だから気持ちがありますが世間の人わわかっていません でもただうまく体が使えないだけなのです だからうまく話もできません でも普通に考えています 楽に話せてうれしいです 小さい頃から話せるようになりたかったですがもう無理かと諦めていました ランプの明かりがともりました 前にやろうと言われた時わついうれしくなって興奮してやらないと言ってしまい残念でした 人間だから気持ちがあります びっくりさせて悪いけれど僕も詩を作っています 銀色の風です

吹き渡れ銀色の風よ
野原を渡り高原を越えて
遠い世界の良い夢を
見えない私に教えてほしい
私わ光を知らないが
銀色の風の願いわ知っている
銀色の風よ
私の理想を遠い世界に運んでほしい
勇気が僕にわ必要だだから
銀色の風よ
僕を遠い世界になるべく早く連れて行け
夢を見ながら僕わどういう試練にも負けないで生きて行く
2012年9月5日 22時51分 | 記事へ | コメント(0) |
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光道園 2012年8月 その2
 次の方は、女性のKさんです。

 うれしいです。自分で気持ちを言いたいです。なぜ私が何でもわかっていることが分かったのですか。母さんに伝えてください。喜んでくれますから。声はそのままだと何もわかっていないみたいですが勝手に出てしまうので困っています。苦労してきたので夢のようですまるでどんな障害もなくなったような気がします。でもどうして読みとれるのですか。そうですね。母さんは今でも私が何でもわかっていると思っていますがなるべく内緒にしています。私が母さんの目を見つめるときです。いい人ですね。母さんに聞かせたいです。なつかしいです。みんなが私をもっと理解してくれていた日々が。じらされているうちにこんなふうに声が止められなくなりましたがだんだん昔のように穏やかな気持ちがよみがえってきました。ブルーな気持ちを少しずつでも変えられそうです。うれしいです。
 詩を聞いてください。

誰も知らない
どこにも私は行く場所がない
私にとって理想の場所は
煉獄の向こうにある夢の国
わずかに光はさしている
どうやってその光を手に入れたらいいのだろう
南の風に聞いてみる
どうしたら光は手に入りますか
ぶらさがるような思いですがってみても
風は答えてくれなかった
私は冷たい北風に
私の光について聞いてみた
北風は嫌われ者
まさか私に光に向かう道を指し示してくれるとは思わなかった
なのに北風は静かに北の方を指し
向こうに光の国はあると教えてくれた
理想をなくした人たちがそこでは祈りを捧げていますから
白い雪は降るのです
あなたも雪のような白い清らかな存在だから
北の国こそふさわしい
私は静に祈りを北の国の人に捧げよう
そして未来に希望を取りもどそう
ずっと祈りを捧げていれば
必ずどこかの知らない世界が私を招いてくれるだろう。
2012年9月5日 22時47分 | 記事へ | コメント(0) |
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光道園 2012年8月 その1 
 福井県にある視覚障害者を中心とした施設、光道園に、今年も合宿に行きました。点字や点字につながる学習を中心とした合宿で、私は、今年も、長い間施設で暮らす20名を越える人たちの深い思いを聞くことができました。
 その中から幾人かの人たちの言葉を紹介します。
 最初の方は、40代の女性Hさんです。

 悩みがあります。晩になると私は悶々とした気持ちになります。私を何度も私らしくしたいと願ってきましたがなかなかかなわず。悲しい気持ちになります。私をもっと私らしくらおらおと輝かせたいのですがわずかばかりの未来しか残されていません。夜になるととても寂しいです。私には夢があります。わずかな夢ですが理解してほしいです。よい施設ですがまだまだ私は私らしく生きたいですのでよろしくお願いします。誰でもいいから私に勇気をください。私理想をかなえたいですがなかなかうまくいきません。夢のようですが私にも冒険ができそうな気がしてきました。わかってもらえてうれしいです。それは朗らかに笑うことです。
 なつかしいのは学校時代です。楽しさがたくさんありました。わがままな私を仲間が認めてくれましたがここではなかなか自分を出せません。私はがまんができるほうなのでひかえ目にしています。私はAさんが心配で仕方ありませんがAさんは私には絶対に手をあげません。Oさんは親友です。何でも話してくれます。学校時代がつらかったのですね。私は楽しかったですがよかったです。
 学校は私は特殊学級でした。名前は「まえぞの」だっとおもいます。なかなか思い出せませんが「まえ」ではなかったです。学校では校歌を歌いましたが
 
銀色に輝く朝日平和にのぼり
屏風の岩に呼んでみる
難関もものともせずに
怜悧なる瞳で明日を見つめよう
ああ誇りある吉沢小学校


 ここで書かれたのは、校歌の一節でした。ただ、学校名はあいまいなままのようでした。いろいろインターネット出検索をしてみましたが、この歌詞の校歌には行き当たれません。また、学校名も、ぴったりものはありませんでした。
 続いて彼女は詩を綴ります。

感無量私に七つの北斗星
夏を北斗に望みけりどこでどこかでわれ望む

ばらばらにつんざく悲鳴私を包む
分相応に生きるよう
私に私らしく生きるのはやめろ
そう叫ぶ
私は懐かしい思いでだけが頼り
懐かしい思い出を敏感に抱え
強い気持ちを探しながら生きてゆくそうです

 詩を作っているのをわかってもらえてうれしいです。私らしさの表現です。

2012年9月5日 22時32分 | 記事へ | コメント(0) |
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りほさんの詩
 長い間、病院で生活を続けているりほさんのもとを訪ねてきました。彼女は、3編の詩を用意して待っていてくれました。

  字のない国

字のない世界に旅をした
どこにもろうそくはともっておらず
人間としての希望も見当たらなかった
夢もどこにも見当たらず
私はただとほうにくれた
ろうそくのともらぬ世界は
わずかなわずかな遠いあかりが輝くのみ
わずかに空の向こうに
夕焼けの残り火が見えるのみ
なぜかはわからないけれど
私にはろうそくの光が必要だ
文字とはどうして生まれたのだろう
文字はきっと言葉をなくした人が
もう一度言葉を取り戻すために
発明したにちがいない
わずかな声さえなくした人が
もう一度夢を空にむかって叫ぶため
きっと雲を見ながら思いついたはず
きっと最初の文字は
私という文字だったにちがいない


  言葉をなくした世界

なぜだろう
みんなもし私が言葉をはなせていたら
出会うこともなかったはず
まるで私に言葉がないことが
いいことのようだ
みんな言葉のない私の心の声に
その耳を澄ませる
なぜだろう
私は言葉のないことが
しあわせの入口のように思える
ゆいつの私のしあわせへの通路は
わずかなわずかな言葉をなくしたことだ
よい私のドラマは
こうしてようやく始まった


 みずかららしさのあるかぎり

なぜ私は理解されたのか
私はみずからのみずかららしささえわかってもらえれば
それ以上は止めない
だけど私は理解をされた
わずかなわずかなどうにもならなくなりそうな
ごんごんと希望のわきだしてくる泉から
私は理解への鍵を手にした
無難に生きていればすむかもしれない
そんな場所から日のあたる場所へと歩みだした
ずんずんと前に向かっていこうとする私に
容赦なく風は吹きつける
しかし私はもう前に向かって歩み始めた
だからにどと振り返ることはない
みずからのみずかららしさをなくしてしまわないかぎり


 書きためた詩もだいぶたまってきました。先日、お母さんが、これまでの詩をすてきな小冊子にまとめておられました。次回も楽しみです。
2012年9月5日 00時38分 | 記事へ | コメント(0) |
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「心の理論」について
 自閉症と呼ばれる青年とお会いしたました。今回が2度目です。
 前回、彼は、様々な話の中で、今、自閉症研究の中でよく語られる「心の理論」に関する議論について、批判を述べました。記録が残っていなかったのですが、再会した彼は、まっさきに、そのことから語り始めました。

 さっそくですが僕は心の理論について改めて述べたいと思います。僕たちには相手に心があるということがわからないなどと言われていますがそれはまちがいです。僕たちにも相手に心があるぐらいわかっていますがただテストは苦手です。なぜなら人間には心があるけれど僕たちはテストで何を聞かれているかはわかりにくいからです。テストには引っかける問題がありますがそれがよく理解できないからです。誰でもわかることは評価されないで難しい問題に間違うとそのことだけを取り上げられて困ります。特に心が理解できないなどということを言われるとまるで僕たちが人間ではないかのように言われて残念です。なぜむずかしいかというと問題が何を並べているかわからないからです。なぜかというと見るのが難しいからです。順番がわからないと何を聞かれているかわかりませんからかえって言葉だけで聞かれた方がまだわかりますが言葉がわかるとさえ思われていないのだからどうしようもありません。
 初めて心の理論を否定する研究者に会えたのでもう一回きちんと言いたかったです。ばかばかしいとまでいう人もいたのですね。僕たちは何度傷つけられてきたかわかりません。でもこうしてわかってもらえてよかったです。


 「心の理論」に関する議論は様々で、指示する意見も批判する意見もあります。私は、恥ずかしいながら、十分にそれらを理解しきっているわけではありません。ただ、心の理論に関して書かれた本の名が「マインドブラインドネス」(心について盲目とでも訳せばいいのでしょうか。)というようなことことからも、当事者に寄り添おうとする気持ちがあまり見られない話だと思っていました。
 心の理論にまつわるテストを自閉症と呼ばれる方が苦手としているのは事実です。しかし、その説明をどうするかということで、決定的な過ちをおかしていることがわかります。当事者のこうした発言をまだ、学問的に認める人はいないかもしれませんが、あまりにもまっとうな彼の言葉を、私は、ただただ認めるしかありませんでした。
 
2012年9月5日 00時27分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G多摩2 |
2012年09月03日(月)
出生前診断について 青年学級における当事者の意見
 9月2日の青年学級では、出生前診断について話し合いました.以下は、その時の当事者のパソコンを通して表明された意見です。社会にとってはとてもむずかしい問題ではありますが、当事者にとっては、きわめてシンプルな問題です。

Mさん
 やさしいIさんが心配です(Iさんはダウン症の方ですが、最近、加齢とともに、いろいろなことができなくなってしまいました)わたしは出生前診断には反対です。なぜならIさんたちは生まれないほうがいいという考え方だからです。小さいときからなつかしい言葉があります。それは「私たちはみんな同じ人間だ」という言葉です。なつかしい文字は共生です。なぜみんなわかってくれないのでしょうか。悔しいです。

Hさん
 人間だから命にちがいはありません。がんばってきたのにまだ世の中には理解されないのですね。情けないです。まるでぼくたちはいらない存在ですね。残念でなりません。

Sさん
 誰にも気持ちがあるのだから生まれなくていい命などありません。そんなかんたんなことがまだわからないなんてとても悲しいです。私たちの人権はまだ守られていないということがよくわかりました。

Tさん
 自分たちの命が冒涜されているみたいで許せません。小さいときから私たちはよけいものと言われて寂しかったけど理解されないままですね。なぜあいかわらずわかってもらえないのでしょうか

Iさん
 ゆゆしいもんだいですが私たちはみんな同じ人間だと思うので悔しいです。小さいときからまったく変わっていませんね。わらをもすがる思いで敏感な人の意見を待っていました。びっくりしました。がんばったばかりなのにまったく理解されなくて。

 ダウン症などという言い方を私たちは関わり合いの中ですることはありません。ダウンという一人の医者の名前と、病気でもないのに「症」という言葉を組み合わせた呼び名の前に、私たちはかけがえのないその人の名前を呼べば十分です。ただ、残念なことは、いまだに、この文章ではイニシャルを使わざるをえないという現状でしょう。  

2012年9月3日 21時03分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 / 出生前診断 |
2012年08月31日(金)
新しい出生前診断をめぐる議論について
 今回の出生前診断をめぐる問題は、生命倫理の観点から本質的な議論がぜひ望まれるところです。
 しかし、それ以前に、確認しておかなければならないことがあります。それは、進歩しているのは医学だけではないということです。ダウン症と呼ばれる人も含めて、そういう障害のある方々が具体的にどういう存在であるかということも、医学にひけをとらないぐらいに進歩しています。多くの関係者がダウン症と呼ばれる人が、人間として当たり前に生きているという事実を日々実感しながら生活や仕事をしています。だから、出生前診断によって中絶の対象となるかいなかという問題の図式にダウン症と呼ばれる人たちが当てはまるという考え自体が乗り越えられてしまっている古い問題です。観念ではなく具体的な事実として同じ人間を、あるものは生まれるべき存在ではないとし、あるものは生まれるべき存在とするという図式にあてはめようもないことなのです。この図式にあてはめようとする人たちのダウン症者理解がすでに古い過去のものなのです。
 私は、さらに、私の学問として、きわめてシンプルな事実を明らかにしています。それは、どんな重度のダウン症者でも、豊かな言葉の世界を持って生きているという事実です。医学が出生前診断の確率を90パーセント以上と言うのであれば、私は、この確率については、同程度の確率でこれを言明できると思っています。これは、まだ、広く受け入れた事実ではありませんが、事実としてすでに私の前では明らかになっていることです。
 おそらく私が出会った中で最重度のダウン症の方の、東日本大震災をめぐる俳句をいくつか紹介しておきます。彼は、音声で表現できる言葉はまったく持たず、また、肢体不自由も重いため、ダウン症の方の中ではむしろ数少ない重症心身障害者です。その彼が、こうした世界を持っているのです。

夜の闇 瓦礫もおおい 月冴える
まだ波は 黙ったままで 答えなし
雪の舞う地震の朝の 鳥静か
涙枯れ 涙は出ずる 土用波
若き日の記念の写真 砂と空
ぶんどらず分かち合う手に 明日見え
唯一神持たぬわれらの神そこに
望みを背 また立ち上がる強き足
地震さえなければと泣く夏過ぎぬ


 また、障がい者青年学級で出会っている寡黙なダウン症の方も、震災に際して次のような詩を書きました。この詩が、彼自身の作品であるということは、私たちスタッフの間では自明の事実です。

津波よ なぜおまえはすべてを奪っていったのか
忘れられないのは悲しみに泣き叫ぶ人の声 忘れられないのは子どもを亡くした母さんの泣き声
なぜおまえはそんなに残酷なのか
わずかの希望はどんな苦しみの中からでも人は立ち上がると言うこと
もしぼくにも力があったらどんなことでもしてあげたい
もしぼくに声が出せたなら理想を声高く叫びたい
ぼくの障害も津波のように何でかという理由はわからないものだけど
ぼくも立ち上がろう 津波に負けない人間として


 私は、ダウン症と呼ばれる人の中に、特別な才能がある人がいるという古い図式を持ち出すために彼を紹介したわけではありません。みんな当たり前にこうした世界を有しているということです。もし、彼の世界が秀でているように見えたとすれば、それは、ただ彼が、誰からも理解されないという厳しい現実の中で、自らの感性を研ぎ澄ませたのだということだけのことです。
 冒頭に、生命倫理からの本質的な議論が望まれると書いたのは、私たちと何ら変わりない存在であるという「わかりやすい事実」が認められない場合でも、その生命は私たちと同じだということが語られなければならないということですが、その本質的な議論の手前で、シンプルな事実してこういうことがあるということです。
 重度のダウン症の人にそんな言葉があるということはありえないという立場も、現在の学問の水準では、当然成り立つものです。この議論の決着は、これから時間をかけてじっくりやられていくしかありません。
 しかし、医学だけが進歩しているわけではないということを、私はこの時点で、述べておく必要があると考えました。
2012年8月31日 01時20分 | 記事へ | コメント(0) |
| その他 / 出生前診断 |
2012年08月27日(月)
えりさんのお見舞い 
 私が青年学級に参加した30年前、確か私より1年遅れて青年学級に入ってきたえりさんは、最初は、専門学校に通えるほど日常生活をスムーズに送っていましたが、10数年後、進行性の障害のために、車いすの生活になり、併せて医者からは、脳の萎縮によって言葉も失ったように説明されるようになりました。はいといいえの応答もままならなくなった彼女を前に私たちもいったんは、その説明を受け入れないわけにはいきませんでした。それから、ALSという難病で母が亡くなって、彼女は当時できたばかりの施設で生活を始めるようになりました。そして、10年ほど前、先入観のまったくない若い学生のスタッフが自然に彼女に話しかける時の彼女の表情の変化から、彼女の言葉は実は失われていないのではないかと思えるようになりました。公式にそれが認められるということはありませんでしたが、少なくともスタッフや仲間の間では、彼女には言葉がきちんと理解できているとの認識が定着してきました。そんな中で、私がパソコンを持ち込んだのが2008年のことです。援助の方法も手慣れてきてスピードもあがってきたことから、青年学級でも使おうと考えたのです。そして、最初にパソコンで話をしたのがえりさんでした。言葉があることはわかっていても、それがどの程度なのかをまったく確かめる術がなかったのですが、具体的な言葉を通してえりさんの世界が明らかになっていったのです。そして、えりさんをモデルにして若葉とそよ風のハーモニーコンサートではミュージカルも作られ、彼女自身が作詞作曲をした歌もその中で歌われました。そして昨年のコンサートでは、津波をめぐってかかれた彼女の詩が朗読もされたのでした。しかし、その直後、えりさんは、私たちの前から姿を消したのでした。
 最初は、何度も入院をしていた病院に入院をしたということだったのですが、そこから施設の戻れずに、別の病院に転院していたのですが、その病院がなかなかわからなかったのです。それでも、ようやく彼女のいる病院がわかり、徐々に私たちの仲間がお見舞いに行けるようになりました。そして、先日私も、彼女と深く関わっていた若い女性のスタッフからぜひ通訳として来てほしいと頼まれて、二人で彼女のもとを訪れたのです。
 美しいフラワーガーデンが見える面会室で、たくさん話をしました。通訳はパソコンを使わずに行ったので、記録は残っていませんが、その中で、彼女がこれだけは書き留めておいてもらえるかしらとお願いされた詩がありました。それを紹介したいと思います。


  夢の予感

私には夢の予感があふれている。
よい夢や悪い夢
どちらも私の本当の心だ
そしてよい夢の予感がする朝は
私は一日うれしくなって
みんなに笑顔をふりまいて
みんなを幸せな気持ちにする
みんなの気持ちが幸せになれば
私もまた幸せになる
悪い夢の予感がする朝は
私は一日暗くなる
暗くなった私はもんもんと一日悩みにくれる
私の悩みにくれた顔は
人々を苦しみにおとしいれる
苦しみにおとしいれられた人たちは
私の心にいっそう悩みを増やす
そして私が夢の予感に涙を流す日は
本当の幸せな一日がやってくる
それはなつかしい人たちが私のもとを訪れるとき
私のことを忘れずに
ずっと私に会いたくて
少しの時間をつくっては私に会いにきてくれる
今日も夢の予感がかなった日
私は喜びの涙に枕をぬらす


 入院した直後は、もう死にたいくらいの思いにとらえられたそうです。しかし、少しずつ私たちが面会に訪れるようになり、今度は、いつ誰が来るだろうとか思い巡らしたり、この間の面会で話したことを思い出したりしながら、いつしか病室は豊かな場所になったというのです。そんな思いがこの詩にはあふれていました。
 残念ながらまだえりさんははっきりとした意思を持っている患者としてはとらえられていません。しかし、えりさんはすべてわかっているし、しっかりと自分の気持ちを持って日々を暮らしているということを、少しでも早く病院のスタッフの方々にも理解していただかなければならないと思います。
2012年8月27日 00時26分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 |
きんこんの会のお知らせ 10月6日です
 きんこんの会のお知らせです。本来なら9月に行いたいところでしたが、日程の関係等で、次回のきんこんの会は、10月6日土曜日2時から国学院大学たまプラーザキャンパス410教室にて開催させていただきたいと思います。
 よろしくお願いいたします。
2012年8月27日 00時16分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 |
2012年08月17日(金)
新しい家族のかたち
 重複障害教育研究会の全国大会に向けて文章を書いてもらった日、印刷用の文章をかきおえたあと、田所君は、自由に次のような話をしました。

 ぼくたちはいつか必ず施設に入るということを覚悟してきたので、ぼくもいつ施設に入ってもいいと思っています。おかあさんはいつまでも手元に置きたいと考えているので、ぼくは、可能な限り家にいるつもりですが、創輔君の話を聞いてさすがに創輔君の家はうちとは違うのだと思いましたけど、これはどちらがいいとか悪いとかではないので、うちのやり方と吉田さんのやり方があるだけのことです。どちらもすばらしいと思います。
 ぼくの家はおかあさんもおとうさんも障害があるので、ほかの家とはずいぶん違いますが、そのおかげでぼくの家では、障害ということについての理解がほかの家よりは進んでいるはずです。だからぼくの家には、いろんな障害のある方がいろいろ訪ねて来ますし、その人たちは、ぼくに言葉があったことを誰も疑いません。なぜなら、その人たちはぼくの顔を見てればわかると言います。
 その言葉がぼくにはとても意外でした。なぜ、みんなは疑うのかというと、その人たちは、柴田先生の方を見ているからです。だから、みんな疑うのだと思いますが、ぼくたちの仲間の障害のある方々は、柴田先生の方を見たりすることはないと思います。みんなぼくの方を見るから、ぼくがほんとうに語っているかを見るのは簡単らしいです。そのようなことがあるなんて当たり前のことだと思っていたのですが、柴田先生を見ている人は、あまりにもこの方法がすごすぎて、疑うのでしょうが、ぼくたちの仲間は、方法はどうでもいいと思っています。方法よりも大事なのは、ぼくのことなので、ぼくの顔を見て喜んでくれてそれで終わりです。だからほんとうは簡単なことなのではないでしょうか。
 もし柴田先生がぼくたちの言葉でないものを言ったら、ぼくたちがとんでもない顔をするのは見えているし、たぶん大きな声で拒否するでしょう。だって自分の言葉でもないものをすらすらと嘘の言葉として言われたら、そんなたまらないことはないからです。だからぼくたちの言葉があっているというのはそれだけでも当たり前のことです。疑う人は障害者のことが何もわかっていないということです。ぼくたちのことを見ていれば、人間だから、自分の気持ちに反したことを言われたら拒否するし、自分の言葉通りだったらそれらしい顔をするということは、あまりにも当たり前のことなのに、世の中の人はそのことにさえ気がつかないみたいです。
 だから、うちではぼくはもう言葉を理解している存在としておかあさんの友だちから思われていて、おかあさんも、その人たちとの間では、弘二ががね、弘二がねと言っています。だから、弘二の言葉は誰も疑わないのが、障害者の間での理解ですが、健常者はやはり障害者のことがわからないということなのでしょうね。
 いつかぼくたちの代わりに闘ってくれる人も出てくるかもしれませんし、ぼくたちは体が弱いので闘えないけれど、元気な障害者はすぐに闘うから、ぼくたちのことでいつか闘ってくれる日が来るだろうとぼくは思っています。まだ、そういう人たちに声が届いていないのが残念ですが、きっとぼくたちの言葉のことが問題となった時に、力のある障害者が必ず立ち上がってくれて、ぼくたちを守ってくれるというのをぼくは知っています。ぼくたちの仲間は、障害の程度にかかわりなく、障害者として連帯しているので、ぼくたちのことがもう少し世界に伝われば、必ず、元気な障害者が立ち上がるはずですから、そのときは先生のことをきっと守ってくれると思います。その人たちは先生を守るのではなく、ぼくたちを守るためだから、先生のことなどはっきり言ってどうでもいいはずですから、ぼくたちのために立ち上がるし、その時に先生のこともあわせて守ろうと思うのでよろしくお願いします。
 ぼくは、今日は少し興奮して、ふだんは絶対に言わないだろうというようなことを言ってしまいましたが、ふだん言ってないから別にいいのだと思いますが、ふだんはお互いに穏やかな気持ちでつきあいたいと思っているのですが、今日は、思わず言いたいことを言ってしまいましたが、うちの家庭は障害者の家族なので、実は、それに関しておかあさんはそうとう苦労してきました。障害のあるおかあさんが、障害のある子どもを産んだからなんということはないのに、そのことでいろいろ言われたこともあるし、障害のある人間同士が結婚したこともいろいろ言われたみたいだし、そういう社会の中でうちの家族は生きてきたので、とても強い面と、人からいろいろ言われると弱い面も持っていますが、こうしてぼくも話せるようになったので、うちの家族を堂々と誇りにしたいと思います。障害者が障害者を産んだというのは、実は悲劇ではなくてとても誇るべきことです。実は障害者の間にはそういう考えがあるのを先生は知っていますか。障害者はほんとうは障害者を産みたいと思っているという考えがあるのを先生は知っているのですね。そういう人たちは健常者が産まれたということを悲しむということは別にありませんが、障害者が産まれるととても喜ぶと聞いたことがあります。なぜなら私たちの考えを理解する子どもが一人家族の一員となったからだと聞いたことがありますが、その人たちもきっと同じ考えだと思います。
 これはほとんど誰も言うことのない話なので、ぼくが代わりに言いましたが、だから、ぼくが産まれたことは、まちがいなのではなくて、ぼくが産まれたことが、一つの新しい家族のかたちだったと思ってきたので、そのことも言えてよかったです。新しい家族のかたちという言葉はまた改めて文章にしたいので、先生、よろしくお願いします。このような話までできるとは思わなかったので、驚いていますが、ぼくたちにとて、まさしく、このようなやり方が新しい人生の始まりなので、ぼくも、あとわずかの人生なのか、もっと長く生きられるかわからないけれど、残された時間は、新しい家族のかたちを考えながら、新しい人生を始めたいと思います。おかあさんとおとうさんのこともぼくはとても誇りに思っているので、その言葉をぜひ一度、かたちにしたいです。今日の文章には間に合いませんでしたが、ぼくにとって新しい家族のかたちという新しい言葉が今生まれたので、新しい家族のかたちというのをぜひ文章にしたいと思うし、先生はぜひあちらこちらでそれを言っていただきたいと思います。
 先生の声を聞いているだいたい先生の気持ちはわかるのですが、相当に感動してくれたことはわかりましたので、ぜひあちこちで言っていだだきたいと思います。そこに学生さんがいるのですか。たぶん新しい授業の内容になると思うので、聞いてあげてください。先生が新しい家族のかたちと言い出したら、あああれは田所君のところで聞いた話だということで聞いてもらいたいと思います。新しい家族のかたちについて少し長く話させていただいたので、ぼくの話はこれで終わります。


 この間、廣瀬岳さんの文章を紹介しましたが、これは、それに先だった語られたもので、廣瀬さんとも話題にしたものでした。
 障害のあるお母さんから障害のある子どもが産まれるということは、新しい家族のかたちだと言い切る田所弘二さんの考えは、私自身、ほんとうにわかっているとは言えないかもしれません。しかし、そこには、根本的な鋭い問が横たわっていることだけは確かです。3才になる前から関わりを始めた田所さんも、もう30を迎えます。これまでの長い時間を経て、今、こうしたことが語りあえているということに、ただただ、敬服するのみです。
2012年8月17日 01時45分 | 記事へ | コメント(0) |
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