ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年05月30日(金)
2スイッチワープロでの対話
 春に出会った小学生の3人の小さなグループと久しぶりに会った。今日は、男の子二人だったが、小さいときからずっと一緒に育ってきた同い年の二人は、心が本当に通い合っている。その彼らが具体的に気持ちを伝える手段を知ってから、3度目の関わり合い。順番に始めたはずだったが、言葉を伝えられる喜びと、なかなかわかってもらえないはがゆさの思いをつづったあと、横で様子を見ながら待っている友達に向かった。以下二人の会話の部分。二人はどうやって学校で理解してもらえるかについて語り合った。

A:どうやってわかってもらえばいいか
B:くちでわかってもらえなくてもねがいをつたえるのはたいせつです
A:どうやってつたえたらいい
B:むずかしいけどがんばることがたいせつです
A:がんばりたいけどたくさんがまんしないといけないかもしれない
B:しんじてもらえるまでがんばろう
A:わかってもらうことができないのがくやしい しんじてもらえるかどうかわからないでもしんじてほしいね(略) 
A:(略)ふたりのかんがえたことはわすれずにいないとね
B:そうだね
A:ねがいがかなうのがまちどおしいね

 長い間、心を通じ合わせながら言葉を通じ合わせることができなかった二人の初めての会話だった。せっかく気持ちを伝える手段が見つかったのに、すぐに理解されるというわけにはいかないのが現実。もうずいぶん我慢してきたのにという思いが強いA君に対して、信じてがんばろうというB君。こうやって共に語り合いながら育ち合っていけるにちがいない。二人の真剣な顔が印象的だった。
 みんなきっとおしゃべりをしたいに違いない。こんなふうに語り合いの場を設定できる関わり合いはまだほとんどできていない。もっと気軽に語り合えるように、これからもいろいろな工夫を重ねていかなければならないとつくづく思った。
2008年5月30日 22時57分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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「生きてゆこう」
 6月11日、町田市障害者青年学級ととびたつ会のメンバーで、相模原9条の会の講演会(講師は澤地久枝さん)において、短い時間だが、歌を歌うことになった。
 とびたつ会の活動では、被爆者の方を招いて語ってもらったことがある。そして、その時、吉永小百合の朗読のよって有名になった栗原貞子さんの「生ましめんかな」の詩にも接した。原爆投下の夜、ある倒壊した建物の地下室で、若い女性が産気づいた。その時、一人の瀕死の女性が、手伝いを申し出る。彼女は産婆だった。そして、明け方、子どもは無事生まれ、瀕死の女性は息を引き取る。その情景を語った詩だった。
 そんな経験を織り交ぜてとびたつ会では、9条の会のための歌を作った。「生きてゆこう」という歌だ。
 
 生きてゆこう 生きてゆこう このいのちを
 生きてゆこう 生きてゆこう 平和をつないで
 すべてをうばう 一瞬の光 
 どこまで続くのか この苦しみは
 わずかなあかりの中 生まれるいのちに
 私は伝えたい 希望と勇気
 
 生きてゆこう 生きてゆこう このいのちを
 生きてゆこう 生きてゆこう 平和をつないで
 私の声を聞いてください あなたの声を聞かせてほしい
 あらそいはやめて 話し合おうよ
 私は伝えたい 希望と勇気
 
 私のいのち あなたのいのち
 大切に生きたい 同じ気持ち
 生きてゆこう 生きてゆこう このいのちを
 生きてゆこう 生きてゆこう 平和をつないで
 
 スタッフ会議で練習中、一人のスタッフが涙を流しながら、訴えたことがある。彼女は障害児の母親。今、息子は、とびたつ会のメンバーとして、この歌をともに歌っている。幼い頃から体が弱く、いのちが続くことだけを願って育てた息子が、今力強く、いのちの歌を歌っている。生きてほしいと願った気持ちを、全身に受けて育ってきた息子が、今、生きてゆこう、平和をつないでと歌っている。そのことがどんなにすばらしいことかと彼女はあつく語った。
 障害という状況の中で生きていくことと、いのちの問題は直結している。そして、いのちは平和とかたく結びついている。
 ある重度肢体不自由をもつ高校生が、語ったことがある。それは私の挑発に応えたものだった。私の挑発とは、障害の重い子どもの中に世界平和のことなどをつづる子どもがいるんだけど、そういうことを書くと、その子の言葉じゃないと言われてしまうということだ。すると、彼は次のように即答した。

せかいへいわのことぐらいどんなこどもでもかんがえています だってぼくたちはへいわなしゃかいでしかいきてゆけないのですから。ちべっとのしょうがいしゃはどうしているのでしょうか。きっとつらいおもいをしているのでしょう。だからへいわがひつようなのです。

 本当にその通りだ。激しい戦闘の地域で、どうやって彼らは生きてゆけるのだろう。平和をめぐる議論は単純なものではないことは私もわかっているつもりだ。しかし、こうした事実に、世界がもっと耳を傾けることがどれほど重要なことか。 
 私たちは、私たちの仲間とともに、せいいっぱい思いを歌う。仲間たちにしか伝えられないことをともに伝えていくために。  
2008年5月30日 01時48分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年05月27日(火)
3年ぶりの再会
 3年ほど前にお会いして、十分に関わることのできなかった小2のお子さん二人と再会した。先月、一人にはお会いし、もう一人は今日久しぶりの再会だった。文章を綴る力があるだろうとの予測がありながら、そのままになってしまい、心の底にひっかかっていたのだが、再会できてほっとした。
 ○○君は、これで2度目だが、前回からどんどん文を綴っている。音声的なコミュニケーションもかなりとれている彼は、2スイッチワープロで選ぶべき行や音がくると声を出したり、うなづいたりして選択を伝えることもできる。さっそく書いた言葉は、「のせてほしいでんしゃ」「かよいたいがっこう」と電車が好きな男の子らしい素朴な願い。さらに「かいさつぐちちかくにのればだいじょうぶ」と続く。思わず、うなってしまった。
 スライドスイッチを使っできるだけ少ない力で行う方法では、早い正確な文がつづれるし、合図も正確だ。ところが彼は、できる限り独力でやり遂げたいとの思いを持っていて、ジェリービーンスイッチを二つ並べて一人でやれるようにと試みたのだが、結局、直接ノートパソコンのポインティングディバイスの左右のクリックを直接押そうとがんばった。腕全体をつっぱらせて一本の棒のようにして、指先でクリックしようとするのだが、なかなかうまくスイッチのところに手がいかなかったり、左右のぶれが起こったり、右クリックに移ろうとする時に、うまく移れなかったりで、四苦八苦だが、決してあきらめようとしない。そのがんばりには本当に頭が下がる。そして、手伝おうとすると私の手を払うようにして、自分でがんばると主張し続ける。とても頼もしい限りだった。

 ◇◇君は、ワープロでの関わり合いは今日が始めて。急に暑くなった気候に、やや体調がおもわしくないとのことで、ぐったりとしていた。しかし、いざ、パソコンのワープロを出すと、目をすうっと開いてきた。
 ほとんど動きのない状態で、目にも障害があって、見ることはむずかしいということだったが、スライドスイッチの取っ手を握ってもらい、まず名前を書いた。手はなかなか力がこもってこないが、最初の一文字目の行にくると目がふっと動く。そうした反応をていねいに拾っていくと、何とかなりそうだった。そして、二文字目が拗音なのだが、一行目の「小」を使って表すことを伝えると、それを選択し、にこっと笑った。
 本当に彼自身の選択なのか、自信が持てない場面もなくはなかったが、最終的に彼によって選ばれた文字は、次のような文になっていった。「ねがってきたきもちをつたえること うれしい ずっとまってきた」
 濁音や促音も理解していると考えると、幼い時から、まだ、目の病気が進んでいなかった時期に、懸命にひらがなを覚えようと、ひとりがんばってきたことが推測される。
 これからたくさんの気持ちを聞いていきたいと思う。 
2008年5月27日 23時27分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 家庭訪問 |
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2008年05月26日(月)
少数と分数の学習と知る喜び
 都内のある研究施設に通ってくる小5の女の子との学習のことを書こう。彼女は、体のつっぱりが強く、それも突然不意に襲ってくる。しかも、コミュニケーションに必要な意図的な運動がむずかしいため、ふつうに彼女を見ただけでは、とうてい言葉を理解しているとは見えない。私も、彼女とはそういうことで長いこと関わってきた。その彼女が言葉を理解していることがしだいに明らかになり、パソコンで言葉をつづれるようになった。
 時々、どきっとする鋭いことを書いてくるお子さんで、「わたしがことばをしっていたことをなぜわかってなかったのにやさしくしてくれたのですか」とか「にんげんとしてみてもらえてうれしいです」などと書いてくることがある。
 最近は、彼女と算数の勉強を始めた。彼女からのリクエストで、先月からかけ算と、小数と分数の勉強をやっている。
 先月は、次のような展開だった。数というのが最初はものの個数であり、それが長さなどの量になっていくプロセス、数が長さのような量を表すようになると0の場所ができて、0と1の間の数が生まれること、それが少数になること。そして、分数は、ケーキを等分するようなことから始まったこと、そして、ケーキ全体の1が、数直線上の1と同じになると、0.1が1/10になるということなどを図を使って説明した。彼女がどれだけ納得できているか、その都度返事が返ってくるわけではないが、ひたすら私の話に集中している姿を頼りに説明を進めていく。
 そして、かけ算の説明に移った。数直線上のイメージで処理できるものとして、お皿の上にのったアメの数の例で、アメが2個のっているお皿が3皿あるという例を出し、さらに、その発展としてかけ算は2つの軸が交差する2次元の平面で、面積としてイメージすることができることを説明した。
 そして、今月は、ひとしきり現在の学校での様子や思いを綴ったあと、次のような一文から勉強に移っていった。

よくべんきょうをしてよいおとなになれたらいいなとおもいます。
さんすうはすきなのでやりたいです。しょうすうのいみはわかりましたぶんすうがむずかしいです。いみがむずかしいです。

 この文を受けて、もう一度、ケーキを分割するイメージから分数の意味を伝え、それが数直線上に置き換えることができることを説明した。そして、実は分母が10ならばきれいに小数と対応するけれど、3分の1だと、小数とはきれいには対応しないことなどを伝え、0.1、0,2と続く数字を分数で表してみた。すなわち、1/10、1/5、3/10、2/5、1/2、3/5、7/10、4/5、9/10というふうにである。こうした説明をくわえているうちに、

わかります。むずかしいけどわかりました。

と答えがかえってきて、さらに、

しょうすうのかけざんがしりたいです。しょうすうのわりざんもしりたいです。

という意見が続いたので、小数のかけ算へと移っていった。ここでも、まず、0.4×3というような、直線上のイメージで処理できるものを説明したあと、0.3×0.2へ移り、これを面積の図で説明した。図では、1辺が0.1の正方形が横3個×縦2個並んでいるようになっているのだが、この1辺が0.1の正方形の面積は1の何分の1になるかを尋ねた。すると「じゅう」と答えが返ってきた。もちろん誰もが一度はまちがう問題である。私も、この問題を40年前に授業で扱った時のことをいまだに覚えている。そこで、もう一度、図にもどって丁寧に説明をくわえたところ、「ひゃく」と答えがかえってきた。そこで、100分の1が6個あるわけだから、100分の6で、それは小数で言うと、0.01が6個あることになり、答えは0.06になると伝えた。そして彼女からは次のような言葉が返ってきた。

かけざんのいみがよくわかりました。わりざんのいみをおしえてください。

 そこで、わり算の意味を、直線のイメージとして1.6÷4を例に、そして、面積のイメージとして、今やった0.06÷0.03をやった。
 そして、ついでに、次の課題として、割合の話をして、今日は終わった。
 
 算数の学習の間中、彼女は何度も笑いながら、ずっと集中を続けていた。点数競争と無縁の彼女には、計算のテクニックはいっさい教えていない。ひたすら、その意味を伝え続けた。問題を出して解かせることも全くしていない。限られた時間を、しかも、知る喜びにのみこだわった時間である。
 言葉を理解できていることさえまだ信じられていない彼女だから、とうていこうした教科学習から遠くかけ離れた授業しか受けることができていない。
 障害児学校には、教科書がないから先生方は大変な努力をしてこれまで学習内容を築きあげてきた。しかし、こんな当たり前の知識を子どもが欲しているということを、先生方が気づいてくだされば、もっと違う方向に先生方の努力は向けることができるのにと思う。
 学ぶ喜び、知る喜びの原点にふれた、そんな一日だった。
2008年5月26日 00時15分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 研究所 |
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2008年05月25日(日)
8年が過ぎた自主グループで
 土曜日、都内のある自主グループでの関わり合いがあった。2000年に始まったものだったから8年が過ぎた。子ども一人一人にあった教材を作ろうということから始まった会だ。毎年、夏には、保護者の方々と教材作りの会もやった。木工や電気関係の工作が得意だった父をかり出したこともあった。そんな会が、いつしか、みんなワープロで文章を綴る会になっていった。もちろん選別をしたわけではない。秘められていた力が少しずつ開花していった結果だ。私たちは、夫婦でそれぞれ関わる。今日は、10人の方々と、それぞれ5人ずつ関わった。

 障害の重さのゆえに、言葉をもっていながらコミュニケーションをとれないでいるという、孤独な世界は、想像上の存在をその世界に必要としているということを、少なくない子どもたちから教わった。現在高等部の2年の◎◎◎君は、「さとしくん」という「すんだひとみをして」いる「ややとうめいなそんざい」を作り出していた。「みとめられてからは」「ひつようではなくなりました」とのことだ。私たちがまだよくわかっていない子どもたちの心の世界の広がりを知らせてくれるとともに、そのような存在を生み出さざるをえなかった孤独な世界があったことに、胸を痛める。そして、今でも、そういう存在とだけ対話を交わしている子どもたちと、通じ合える道を少しでも早く開いていかなければならない。 

ともだちがほしいけどさとしくんがしんでからこまっています。さとしくんはとうめいなそんざいです。ややとうめいですんだひとみをしていました。ふしぎなともだちでさびしいときにあらわれますがなかなかきてくれません。とうめいですがぼくにはみえます。まださみしいけどみとめられるようになったのでみえなくなりました。みとめられてからはねがっていることがつたえられるようになったのでひつようではなくなりました。(後略)

 ☆☆☆さんは、前回、想像上の友だちについて書いた。以下の通りだ。

わたしてをつかってはなそうとおもってからきぼうがでてきました
ひとのこころがよくわかっていましたからじぶんのきもちをつたえたかったです
ほんとうのりかいをしてくれてうれしいです
みんなもおなじようにかんじているとおもいます
みたこともないふしぎなせかいがひろがってきたかんじです
これからのせいかつがたのしみです
しんじてもらえてありがとうございます
みかちゃんもよろこんでいます
ともだちですこころのなかのわたしのはなしあいてです
なきたいときにはわたしにかたりかけてくれます。 

 そして、今回は、次のような文章を綴った。現在彼女が通っている通所施設の若い職員の方々も来てくださった。来週の火曜日、みんなでパソコンに取り組むことになっているとのこと。彼女を包み込む輪が確実に広がっている。

つらいことがあってもなかない。もらったいのちだからたいせつにしたいとおもいます。よいかぞくにめぐまれてわたしはしあわせです。のぞみはわかりあっていきていくことです。でもなかなかきもちをつたえることがむずかしいのでまいにちがんばっています。わかってくれるひとがふえてうれしい。わたしのことをみとめてもらえてうれしいです。ほこりをもっていきていくようにしたいです。らいしゅうのかようびのじかんにうまくいくかふあんですががんばりたいとおもいます。くるしいときをのりこえていまがしんらいできるのがりそうてきです。ねむっているとゆめのなかではなしをしています。

 ◇◇◇君は、話もできるし、現在は、ジョイスティックでATOKのクリックパレットを使って、ワープロで書くこともできる人だ。この4月から社会人になった。小学校の時に出会った彼も、もう精悍な若者になった。そんな彼に、ふと、みんなが使っているスライドスイッチでほとんど手を動かさずに2スイッチワープロで入力する方法を試してみた。話すことやジョイスティックを使った文章は、その都度、大変な労力を必要としているので、楽にやれる方法として提案してみた。この方法は私がたっぷり援助するので一人でやるには適しいない。しかし、彼は、数文字うったところで「すごい」とつぶやいたあと、それまで綴ったことのない、重い文章をつづった。「さべつ」「れいこくなしゃかい」など、彼からこれまでまったく発せられたことのない言葉だった。

せんせいいつもありがとう。つらいことがありました。けっこんのはなしをしていたらばかにされました。めぐまれないひとといわれてくやしかった。こいをすることはじゆうなはずなのにどうしてぼくたちだけけっこんすることができないのだろうか。とてもへんだとおもう。なぜしょうがいがあるとさべつされるのだろうか。ほんとうにおかしいとおもう。うまれてからずっとおかしいとおもってきたけれどだれもおしえてくれなかった。どんなことでもちょうせんしてみたいけどさべつされてきかいがえられない。わかってくれるひともいるけどわかってくれないひとのほうがおおい。かのうせいをしんじてほしいとおもう。しんらいしてくれるひともおおいけどなかなかうまくいかないでいる。れいこくなしゃかいだとおもうけどまけたくないとおもう。

 ▽▽▽君は、この会が始まった時に高等部3年だった。もう、りっぱな社会人だ。いつも、行きたい場所などについてつづるのだが、きょうは、一味ちがう文章になった。母の日と父の日にはさまれたこの日だからこそうまれた文章かもしれない。温かく見守るご両親の目の前で、心の底からの笑顔を浮かべながら、以下の文章をつづった。

すてきかあさんきれいいつまでもげんきでねとうさんもいつまでもげんきでねおかあさんこれからもめんどうかけます

 最後は、「★★ちゃん」でした。すでに成人を迎えている彼女は昔から絵本が大好きで、今でも、絵本をこよなく愛しています。そんな彼女の心の世界は、ファンタジーで満たされているようです。彼女の願いが何だったのか、それはわかりませんが、不思議な世界がつづられていました。

すてきなひとが★★ちゃんのまえにあらわれていいました
よぶこえがするほうをみたら
こどもがののはなそっくりにへいわのほおにめをのはらへむけて
みちのそばににねんまえからさいているはなのおかげで
ふしぎなしずけさあふれて
ねがったことがみたされて
もとめてきたことがかなえられました






2008年5月25日 09時55分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年05月24日(土)
金曜日のできごとその2
 △△さんは、小2で出会って、この3月に学校を卒業し、地域の通所施設に通い始めた。出会ったときから、このグループではただ一人、コミュニケーションがスムーズにいくお子さんだった。輪郭線の絵など、いわゆる空間的な認知と呼ばれる領域が苦手で、一方でややぼけた犬の写真を見た瞬間に「犬に決まってる」と答えるように、質感はしっかりととらえていた。線図形の空間的な関係をすばやい眼球運動によって処理すべきところが、脳性麻痺のハンディが目にも及んでいるために、なかなかうまくいかないという仮説を私は持っているが、こういう視覚的な特徴を持っているとひらがなはとても難しいものとなる。それでも、様々な学習を通して、徐々に文字や数の学習は進んでいった。中学部に入って、書道の時間に先生が手を添えてひらがなを書く学習を始めて、新しい発見があった。それは、視覚的な弁別には困難があるにもかかわらず、ひらがなを書く手の動きはどんどん正確になっていくということだった。
 そして、高等部の2年の秋、文字を綴る手段として、もっと運動障害の重い仲間たちが使っているパソコンの2スイッチワープロに挑戦してみることにした。しゃべることができ、手を添えれば文字も書くことができるという状況で、あえてそのソフトに挑戦してみることの意味をどう考えたらいいのか、はっきりとした説明はつかなかったが、しだいに驚くような文章があふれだしてきたのだ。彼女の文字の選択の方法は、もっぱら耳によっている。昔から耳がいいとは言われていたが、みごとに聴覚だけで文字を次々と選び出していった。しかも、驚くべきことに、文章とは必ずしも一致しないことをしゃべりながら、文字を選んでいくのであった。
 最初に決意がこめられた文章は、2年の3月。「△△3ねんせいになる」、そして「×××のいえ(作業所の名前)いくじっしゅうー」「×××のいえにいきました。こあのはこづめがたいへんでした。そつぎょうしたらさびしくてかなしい。なつどうやってすごすかな。おおちざわにきゃんぷにいく。」と職場実習の話から少しずつ文章が長くなり始めた。そして、11月は一気に長文へ。

そつぎょうをしたらたくさんきぶんいいことをしえんしてもらう。
(中略)ふつうのがっこうにいきたかったけどしかたがない
すこしぐらいきぼうをきいてほしいとおもいます
りっぱなおとなになりたい
けっこんをしてみたいとおもいます

 私たちの知らないところで彼女はもう立派な大人になっていた。次は1月の文章だ。

そつぎょうしきのれんしゅうがやっとできるようになりました。あっというまでした。おんがくをきいているとなみだがとめどもなくながれてきます。わすれられないたくさんのおもいでがよみがえってきていのりをささげたくなります。
ねがいはたくさんありますがさみしいとおもうのはこの○○○にはさぎょうしょがすくないことです。もっとたくさんかよえるばしょがあったらえらぶことができるのに。
なにをりそうにしていきていけばいいのかわからないけどりそうをみうしなわないでがんばっていきたいとおもいます。まえにむかっていっぱいむねをはっていきたいとおもいます。

以下、その後の文章。

そつぎょうしきがちかずきししゅんきのとしもおしまいになるのがかなしい。ふしぎなかきもちがわたしをおそう。
ひのあたるなみきみちをあるいていこう。もしかしてつかれてしまってたちどまることもあるかもしれないけどともにあるくなかまがいるかぎりまえにむかっていきてゆこう。わたしがしんじていくゆめはむずかしいけれどたたかいつずけきもちがつずくかぎりがんばりたい。
○○○くんそつぎょうしたらようごでがんばってね。わたしはりんとしたきもちで×××のいえでがんばります。めざすさきだけをみつめていきたいとおもいます。(後略)(2月)


わたしはそつぎょうしきがおわってからまいにちいえにいてしゃしんをみています。めをさますとがっこうにいかなくていいのがふしぎとおもいます。×××のいえにいきます。にゅうしょしきはよっかです。もくひょうはとおいけれどもよくばらないでがんばりたいとおもいます。ふまんはないけれどのぞみはむずかしいことをしたいです。てをつかってまたひょうげんしたいとおもっています。わたしもやっとおとなのなかまいりができます。わたしがうまれてからにじゅうねんちかくになるけれどじぶんしかできないことをやったことがないのでやってみたい。(3月)

げんきにかよっています。(中略)
ゆめがありますけっこんができるといいなとおもいます。ひとりでせいかつできるようになりたい。ひとりでわかなわないことかもしれないけどにほんぢゅうをたびしたい。なかなかかのうせいをひろげることはむずかしいけどみらいにむかってがんばっていこう。わたしのりかいしゃがほしいでもみつけるのがたいへんでなやんでいます。どうしたらりかいしゃはみつかるのでしょうか。ふまんはないけどわかってくれるひとがほしい。てのふじゆうなわたしでもできることがあるとおもうのでそれをみつけたいです。みつかるまであきらめない。いつのひかみつかることをゆめみながらがんばっていこう。(4月)

 昨日の文章は、はじめ別のことを話した後で、次の文章が綴られた。

(前略)てをつかえなくてもけっこんすることができるかしんぱいです。けっこんすることができたらうれしい。よくわかってくれるひとがいればけっこんしたいとおもいます。わたしになにができるかわからないけれどほんとうのしあわせにむかってがんばりたいとおもいます。ふべんだなとはおもうけれどとてもしあわせです。ふしぎですべつにふこうではないのにふつうのひとたちはこんなわたしをわらったりしてばかにしたりします。わたしはもっとがんばっていきようとかんがえています。りそうしかいえないよのなかのやくにたたいとおもっています。

 大人としての彼女の思いに私たちは、どれだけ寄り添っていけるのだろうか。私たちの無力さとは別に、自分自身の人生をみずから切り開いていくであろう彼女の姿が、今、目の前にある。
2008年5月24日 08時39分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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金曜日のできごとその1
 ○○さんは、言葉を初めて綴ったのは昨年の秋。関わり初めて11年半が経っていた。少しずつ仲間が語り始めていたけれど、なかなかきっかけがつかめなかった。方法は、仰向けに横になっている彼女の両手をとって、胸の前で両手を一緒にたたき合わせながら、パソコンのスイッチを私たちが押して、「あいうえお」、「かきくけこ」といってゆくと、選びたい行で手を大きく開いて合図を送ってくる。そこで、その行の頭から一文字ずつ手をたたき合わせながらパソコンで発声させていくと、選びたい文字で再び両手を開いてくる。この方法は、アニメや音楽のソフトならば上手にスイッチ操作ができるのだが、タイミングの調整がむずかしいために、ワープロとなるとうまくいかないという状態の中で、試行錯誤しながら見いだした方法だ。「かわいい○○です」から始まった彼女の言葉は回を重ねるごとに長くなっていった。
 2度目の1月の文章は、なんと、今は家を離れて大学に通っているおにいちゃんの彼女の話。
「(お正月に)おにいさんあえてうれしかった。ほおまでうれしかった。たくさんしゃべりたかった。かのじょのしゃしんがみたかった。こんどかえってくるときにしゃしんをみせてかわいいしゃしんをとってきてね!めーるしてくださいおにいさんに」というもの。なんとも、ほほえましい文章。
 3度目の文章は、2月。おとうさんが一緒に寝ようとするいやがるという話を受けてこう書いた。「ままのことがすき。ぱぱは、もちろんすき。ぱぱがすきだけど、ねるのはいやよ。おとこだからねるのは、よくないとおもってます。(後略)」ユニークな言葉だった。
 そして、今回が4度目の文章。残念ながら、「ゆううつ」という言葉の入った、168文字の文章は、秘密の文章。その後、お茶をしながら、パソコンは使わずに、「あ」「か」「さ」「た」「な」というふにして両手をとってたたき合わせながら聞いてみると、文字が選べた。「のみもの」とか「もらってありがとう」など、なめらかに表現することができた。そんな最中に発作が。お母さんが、「最近発作のあと、笑うんだけど」とおっしゃったので、さっそく聞いてみた。すると「わるいとおもってわらう」と返事が返ってきた。
 そして、今回の関わりの途中で、一瞬うとうとしてしまって読み取りが乱れてしまった私のことを話していると、すかさず、話したいというそぶりをして、私の顔をにやにやしながら見て、「つかれているの」と告げてきた。その自然なやりとりと、その台詞がいかにも○○さんらしさに満ちているということで、本当におもしろかったし、彼女自身も終始、おなかのそこから喜びがこみあげてくるような笑いをずっと浮かべていた。
 半年前まで、言葉をひきだすことができなかった彼女が、今、ふつうに会話をすることができるようになったのは、まるで夢を見ているようではあるけれども、もちろん夢でも何でもない。この現実に私たちが気づくのがあまりにもおそかったということだけだ。しかし、まるでそんなことをとがめもせずに、○○さんは、一言でもたくさん話そうとして、私たちの手を取り続けた。
 この独特のやり方が、一刻も早く、彼女のまわりの人たちに広がっていくことを心から願うばかりだ。
2008年5月24日 01時33分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年05月20日(火)
小児科病棟にて
東京の郊外の病院の小児科のICUに生まれてからずっと入院している小2の男の子がいる。骨の形成に関する病気で、自由に動かせるのはあごや口に限られている。3歳4か月の時に出会い、訪問を続けてきた。2スイッチワープロを使っているが、1個のスイッチしか使えないので、あごで送るほうのスイッチを操作してもらう。彼が送るのをやめたらそれが決定だ。ワープロで初めて文を綴ったのが3歳8か月。「じうれしい」だった。常識外れの関わりかもしれないが、彼には少しでも早く表現方法を伝えたかった。
 その彼も今年は2年生。訪問教育を受けるようになってから、ぐっと世界が広がった。とても優しい男の先生が彼にいろいろなことを教えてくれている。
 今日の彼の文章は「ふつか ひさしぶり もおやめるのかと」というもの。私たちには、何のことを言っているのか、さっぱりわからなかったが、看護師さんが、あら、「私、今日、二日ぶりね」とおっしゃったことから意味がすっと判明した。彼は、その看護師さんが小さいときから大のお気に入り。ところが、最近なかなか部屋の担当にまわってこない。今日は、ようやく彼女が担当にまわってきたとのこと。二日前は、担当ではなかったけれど顔を合わせたらしい。彼にとっては、大好きな看護師さんとの別れはとてもつらい。だから、とても心配だったのだ。
 いつもより文字数が少なかったのは、あごの動きがむずかしかったからなのか、それとも、不安な気持ちが文字を選ぶ速度を落とさせたのか。いずれにしても、さっそく看護師さんから「私、どこにも行かないよ。」と言葉をかけられ、彼は、ほっと安心することができた。

 その隣のベッドには、中2の女の子がいる。口元の動きでかすかなYesを読み取ってコミュニケーションが成り立っている方だ。ぴくっぴくっと動く口の不随意運動があるので、なれた方でないと読み取れない。私は、まだ、読み取れないでいる。
 その彼女とパソコンにチャレンジを始めて今日で5回目になる。
 スイッチ操作の可能な自発的な運動は、残念ながらどこにも見つかっていない。そこで、彼女の右手に軽くスライドスイッチの取っ手を引っかけるように握らせて、その右手をつつみこむようにして下から支え、一緒にスイッチを入れていくと、選択したいところで私の手をほんのわずか押すような動きが起こってくる。それを感じ取って文字を拾っていく。平行して、お母さんは、彼女の口元の合図を読み取り、訪問の先生は、ベッドサイドの機械の心拍の数値の変化を見ている。私とお母さんと先生の判断が一致すると、それが選択と言うことになる。まだ、正確な読み取りは完全にはできないのだが、「きてくれて」「うれしい」というような単語がつづられた。私が関わっている方々の中で、もっとも小さな動きを読み取っている方になる。
 必死で動かない手に力をこめてくるその思いの強さは、崇高さを感じさせるものだ。

 帰り道、集中の連続でやや放心状態になりながらも、気分は、さわやかだった、ちょうど、嵐のあとの今日の風のように。
2008年5月20日 20時33分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 小児科病棟 |
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コミュニケーション障害としての重症心身障害
小松美彦という生命倫理の研究者が、医学的な「植物状態」を「コミュニケーション障害」の可能性が高いと明言する文章に出会った。その言い切り方は、その考えに近いものを感じている私にとっても、そこまで言っていいのかと驚きを覚えるものだった。しかし、その直後、この「植物状態」というところに「重症心身障害」を入れかえられると気づいて、強い支えをもらった気がした。もちろん私たちが出会っている人たちは、決して「植物状態」ではない。しかし、多くの常識が、重症心身障害という状況がコミュニケーション能力の不在を前提としているという意味では、事態は似通っている。なお、コミュニケーション障害とは、梅津八三先生が「相互障害状況」言ったことと共通するもので、私とあなたとの間に存在する「障害状況」を個人の能力に帰するのではなく、通じ合えないという関係が損なわれているとするものだ。
 重症心身障害という状況がコミュニケーション障害にすぎないことを示す事実は私たちの前にたくさん存在している。それは、現在の医学や心理学、教育や社会福祉の常識に反するものだ。しかし、いつか、重症心身障害と呼ばれる状況が「コミュニケーション障害」に過ぎないという認識が現在の常識に取って代わる日は遠くないはずだ。
2008年5月20日 11時52分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年05月18日(日)
ある兄弟の家庭訪問から
 3ヶ月ぶりの家庭訪問で、お二人の兄弟にお会いした。お父さんの転勤で北陸から出てきて1年になる。お二人には数年前から福井での合宿でお会いした経緯からの訪問だった。
 二人とも援助があったら2スイッチワープロで文字を綴ることができるのだが、ゆっくりと長い文章を書いてもらったのはこちらに来られてからのことである。
 2月の時は、弟の方に既有の知識を尋ねる意味で、次のような算数の問題も解いてもらった。
45÷5=9 
0.4÷0.1=4
0.2×0.3=0.06 
である。予想以上に学習は進んでいた。しかし、こうしたことが理解できる子どもだとは誰にも思われてはいない。
 今日の文章は以下の通りだった。
 まず最初に書いた弟の方から。
 
てがうまくつかえないのがくやしい
(今日持参したスイッチに対して)せっかくつくってくれたけどべつのすいっちがいい。
こせるか(こなせるか?)どうかしんぱいです
きもちだけがさきばしってしまってなかなかうまくふつうどおりにいきません。
てがうまくつかえたらとおもうけどせいいっぱいがんばってもすいっちがずっとできなくてくやしくおもう
おかあさんがあまりくよくよしないからすくわれます。ぼくはくつうですがねがいがかなえられたらいいとおもいます。
とてもぼくのことをたいせつにそだててくれてかんしゃしています。
(中略)
ねがいはみんなときもちをつうじあわせることです
ゆめはけっこんすることです
ふたりでささえあっていきていきたいとおもいます
きれいなじょせいでなくてもやさしいひとがいいです
むずかしいかもしれないけどがんばりたいとおもいます
 
 次は兄さんの文章。

にんげんとして いきて いきて いきたいとおもっています
けっこんしたいとおもっています。
けっこんしてみたいひとは やさしいひとです。
ねがっている すばらしいじょせいがあらわれることを。
おかあさんいつもありがとう くろうばかりかけて
といれをするときも いつもついていてくれて
たいへんなのに ふしぎです
せいいっぱいやっていても
ふまんひとついったことがない
おなじことのくりかえしで たいへん
いそがしく ひとりでがんばっている
ほんとうに えらいとおもう


 二人とも現在中学生。これから大人に向かう二人の、母親への思いと、結婚へのほのかなあこがれの思いが綴られていた。
2008年5月18日 23時17分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 家庭訪問 |
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ある学習グループでのできごと
 毎月一度集まっているグループでのできごとだ。脳性マヒのための構音障害のせいではっきりとした発語はむずかしいものの、「はいといいえ」や、身振り、表情などで日常のコミュニケーションは豊かにとれている一人の少年がいる。そのグループの中では身体障害の程度がいちばん「軽く」、学習も文字と数の学習に照準を合わせてこれまで関わり合いを続けてきた。彼が示す行動も、どのように教材がとらえられているかを示唆してくれるもので、私たちにとっては、「先生」であった。そして、きっと文字を自由に読めるようになれば、トーキングエイドのような機器を使いこなしてコミュニケーションをとるにちがいないと思っていた。だが、「あいうえお」の5文字の弁別でも不正確さを残している彼には、まだまだ踏まねばならないステップがあるように思われていた。
 ところが、最近になって文字の弁別のあとに、手をとって文字を書いてもらったところ、円運動で書く部分などが実に正確で、文字の成り立ちをよく理解しているように思われ、弁別学習における彼の姿との間にギャップのようなものを感じたのである。
 私たちは、文字や数の問題は、「認識」の問題と考えることになれているが、彼の場合、思った以上に見え方の問題がからんでいるのかもしれないということを改めて考えるようになった。
 そして、ひとしきり文字の弁別学習を行った後、パソコンでワープロに挑戦してみた。すると、けっこう画面をみながら文字を選べることがわかった。
 昨日もそうやって選んでできた文章が、次のようなものだった。

 さぎょうしょじっしゅうがんばり しごとみつけたい
 たすけあってまいにちしごとしていきたい

 どこか、あどけない彼を、知らず知らずのうちに大人として見てこれなかった自分を、恥じるばかりだ。
 それとともに、彼のような状況にある子どもの書き言葉の問題を、今新たにつきつけられることになった。彼には、確かな弁別の力を身につけてもらいたい。だが、一方で、すでに存在する彼の豊かな表現の力を十分にかたちにする責任もまた、私たちにはあるはずだ。
 高等部2年になった彼は職場実習が始まる。こうした表現する力を秘めた存在として、卒業後の社会に受け止めてもらえたらと思う。
2008年5月18日 23時15分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩2 |
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2008年05月17日(土)
盲学校にて
 明確な発語もなく、手の操作も力が入りすぎてぎこちなかったYさんが、点字を区別し始めた。八王子盲学校の小学部で起こっている奇跡のようなできごとだ。
 私が月一回程度の頻度で、八王子盲学校にうかがうようになって4年目を迎える。この3年あまり、私は、学校ぐるみで大変充実した重複障害のお子さんに対する教育が展開されていく姿をまのあたりにしてきた。
 Yさんの学習は、一歩一歩先生方の着実な努力で前に向かって進んでいたが、手の操作には肢体不自由のハンディのためと思われる強い力が入っているために、なかなかスムーズな動きが出にくく、どれだけ本人が納得してるのかを十分に確認できないような場面も少なくなかった。それが、昨年度末の3月、それまでの学習の成果が一気に花開くような場面に出会うことができた。
 一つはそれまで入っていた力がうそのように抜け、なめらかな手の動きが生まれてきたこと、そして、かなり抽象度の高い日課表の触覚的なシンボルを、はっきりと触り分けて、先生の求めるシンボルを確実に手渡していたことだった。ちょうど、この年度を1年限りで担任されておられた先生の授業の最後の見学となったので、この日の感動を私は、手紙にして先生に送った。
 それから、2ヶ月後、Yさんは、新しい先生と、ついに点字の学習に入っていた。学習する姿もたいへん誇りに満ちた様子で、先生とのやりとりも非常に豊かになっていた。そして休み時間にはかつては必ず太鼓のところでひとり音を楽しんでいたのに、この日は、人との関わりを楽しむようになっていた。
 このクラスにはあと二人友だちがいる。その二人もまた、点字の学習に当たり前のように取り組んでいる。ともに、3年前には考えられなかった姿である。このお二人のこともまた、いずれ書くことになるだろう。
 教育の可能性の限りなさと子供の可能性のすばらしさをあらためて感じた一日となった。
 
2008年5月17日 01時09分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
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2008年05月13日(火)
「ながいねんげつだった」27年
 ゴールデンウィークの最終日、ひさしぶりにTさんのお宅を訪問した。Tさんとの出会いは1981年にさかのぼる。大学院に入り立ての私が週一度通い始めた遊園施設に彼はいた。小1だったが、健康面での配慮のため、通園施設で養護学校の訪問教育を受けていた。とりわけ障害の重いお子さんとして私は、特に彼に意欲的に関わった。翌年、養護学校に通学が決まってからは、家庭訪問のかたちで関わりを継続した。その関わりのかたちは、彼が20歳を過ぎて、施設への入所が決まるまで続いた。私の関わり合いは一貫して手の操作性や目の使い方に関するもので、彼のためだけに作られた教材も数知れない。そんな彼のことが、しきりに気にかかり始めたのは、この3,4年のことだ。周りで、いろんな子どもが私たちの常識を越えて文字を綴り始め、それじゃあ彼はどうなのか、という問いが、しだいに頭をもたげてきたのだ。
 そして、5月6日、彼と再会した。1年前に、2スイッチワープロで、簡単な言葉を一緒に選んだこともあったのだが、それは、確信にはいたらなかった。しかし、きっと彼は、そういう表現方法があることを見逃しはしなかったのだろう。この日、いくつかの単語を一緒に書くことを練習のようにした後、自由に書いてみてと言うと、次のような文章を、終始、こぼれ落ちるような笑いとともに、つづった。

おとうさんおかあさんいつまでもげんきでね。ありがとういつもかわいがってくれて ことばでつたえたかった 
(文字はどうやって覚えたのかという問いに対して)ひとりでおぼえた
えがおでいきていきたい
なぜわかったのことばをしっていたことを
ことばではなせるとはおもわなかった
ねがってもかなわないとおもっていた
てをつかえるとはおもわなかった
やっときもちをつたえることができるのできぼうがでてきました
ふりかえるとながいねんげつだった。
りかいしてくれてありがとうございます。
 
 彼との間に流れた年月は27年。本当に長い年月だった。取り返しがつかないけれど、このようにしか生きてこれなかった時間だ。彼にしいてしまった忍耐を、これ以上続く世代に課してはならないと思う。
2008年5月13日 06時58分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年05月12日(月)
ある女性の逝去
隔月で通っている通所施設の女性が逝去された。自発的に動かせる体の場所はほとんどなく、スイッチを通した関わり合いは、ことごとく失敗して何年も経過してきた方だ。ところが、体調が安定してきた昨年の12月、彼女は、突然文字をパソコンで綴った。「うれしい ぱぱいろいろありがとう ままいままでありがとう」という両親への感謝をつづったものだった。そして2月の文章は、53文字で、昔の仲間に手紙を書きたいという思いだった。最後の関わりとなった4月、文章は、427文字と飛躍的に長くなったが、冒頭は、「くやしいのしんじてはなやくさのようにほこりをろまんいっぱいにもちつついきていてもしんじてもらえないの」というものだった。現在の常識では、彼女ほどの重い障害を持っている方が、いきなり文章をつづるということは、にわかには受け入れがたいことである。私も、もっと時間を重ねていく中で、徐々に理解されていけばよいと考えていた。しかし、彼女にとっては、せっかくつづれた思いが思うように届かないことははがゆかったことだろう。そして、文章は、さらに「ねがいはたくさんのひとにしんじてもらえることです。」と続いた。しかし、文末は、「のぞみをすてないでよかったねわたしたち。りかいしてくれてもっとわたしたちのことをよのなかにつたえてください。ろまんいっぱいにこれからもいきてゆこうね。」と希望の言葉で結ばれた。
 ご葬儀で、私は、ご家族に初めて彼女の文章を手渡した。生前にお渡しできなかったのは、本当に残念だったが、それは、私の力のなさのなせるわざだった。
 ご葬儀は、彼女がどれほどご家族や周囲に愛されて日々を生きていたかをうかがわせる心のこもったものだった。言葉を越えたつながりの中で彼女が幸せに生きていたことをしみじみと感じた。
 死という冷厳な事実の前には、ただ立ちすくむしかないのだけれど、やはり、「もっとわたしたちのことをよのなかにつたえてください」という彼女の思いを、しっかりと受け止めて、また明日からの関わり合いの場に向かおうと、思いを新たにしているところだ。そして、少しでも、はやく、彼女たちが言葉を豊かにもっているということが、当たり前の常識となる日がくればと思う。
2008年5月12日 00時35分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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