ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年12月23日(火)
青年学級のクリスマス会の日
 12月21日日曜日、青年学級は午後からクリスマス会だった。活動は、今回は、小学校の体育館。私は、午後から別の子どもとの約束があったので、1時までの参加。その中で、いろいろな人と関わった。ここで紹介したいのは、私が所属している、音楽コースのメンバーの3人の言葉だ。
 最初の方は、7月からずっとやっているM.Mさん。

きょうはくりすますかいですね
くりすますぷれぜんとがたのしみです
なにがもらえるかたのしみです
にちようひんよりもきれいなかざれるものがいいです
ときどきにたものがあってざんねんです

 と、気楽な会話から始まった。そして、

きれいなししゅうがほしいです

 と書いてきた。「ししゅう」は「詩集」か「刺繍」のどちらかを尋ねると、

ほん

 との答え。そこで、詩を作ったことあるのと聞いた。

しをつくったことはあります
いいきぶんになります

 今書けるものある?と尋ねると、

はい

 そして素敵な詩が書かれた。

ちいさなしあわせ ちいさくひらき
ねがいのとおりみたされて
ちいさなしあわせ きぼうにみちて
ちいさなしあわせ きぼうをはこび よろこびをひろげ
ちいさなしあわせ はなのように
ちいさなしあわせ しずかにしずかに
ちいさなしあわせ きれいにわいて
しがしきりにまちきれずに
じぶんをひからせようと うまれてくる
にんげんとして うまれいきてきて
きぼうちいさく ささやきながら
きぼうにみちた このじんせいを いきてゆく

 さっそく、コースのみんなに朗読した。みんなの歓声ととともに、横で若い女子学生のスタッフが感きわまって目をうるませていた。
 そして、この若いスタッフは、50代の寡黙な「ダウン症」の男性、S.Yさんにもやってという。私が、もう20数年関わってきた方だが、正直言って、無謀に思えた。簡単な単語を話し、典型的な「頭足類」の人物画を描く方。しかし、彼女の情熱の方が私のこざかしい知恵を遙かにまさった。彼女は、S.Yさんの夢を3つ教えてと問いかけた。

にじをみにいくことです
みんなでみにいこう
ちいさいねがいだけど たいせつにしよう
ちいさいねがいだけど しっかりもっていこう
じぶんのきもちがいえて うれしい
じぶんのきもちが
ちいさいころからのゆめだった
ちいさいときから きもちをつたえたかった
じぶんで にじをつくりたい
きもちがいえるとはおもわなかった
そうげいをいつもありがとう
ちいさいときからいいたいことがいいたかった
にんげんだから
きいてくれてありがとう
しばたさんはどうしてことばがりかいできているとわかったの
わかってもらえてうれしい
きいてくれてうれしい
きいてくれてうれしい
にんげんだから かんがえています
にんげんだから きもちがあります
いいきもち
ともだちがだいすきです
×××さんがすきです
にんげんなのでおんなのこがだいすきです
きびしいです ことばがはなせないのは
ちいさいときからことばではなしたかった
しごともやりたいです
しごといろいろやりたい
にんげんだから にんげんなので みんなとはなしたい
みんなときもちをつたえたかった
ひかりがさしてきました
きぼうがわいてきました

 虹を見に行く、虹を作る、そして気持ちを言う、これが彼の3つの夢だった。
 私は、毎回、活動の終わり、彼を家の近くの交差点まで送っていく。もう何年もそうしてきた。話を十分には理解していないと思い込んでいたので、毎回、独り言をいうつもりで話しかけたり時には歌を口ずさみながらながら帰っていた。若い女性スタッフと歩くときは、すっと手を出して手をつないでにこにこ歩く彼だが、私とは、まったく無表情に歩く。しかし不思議と穏やかさに満ちた時間で、私はこの時間が好きだった。このひとときが「そうげいをいつもありがとう」というかたちで、語られるなどとは、予想だにしなかったことだ。こんないいかげんな私に、ありがとうと言ってもらえることが、ただただありがたいと思うばかりだ。
 さらに、自閉と呼ばれるK.Mさんにも挑戦をした。この1週間の間に、自閉と呼ばれる青年や大人の方々3名とやれていたので、無謀と思いつつ、挑んだのだ。そして、すらすらと次のような文が書かれた。

ちいさいときからはなしたかった
きもちをいいたかった
きいてくれてうれしい
(わたしの名前は?)しばた
きいてくれてうれしい
(どうして、紙を破ったりするの?)きもちをおちつかせるためです
りかいしていることがなぜわかったの
きぼうがでてきました
(ワープロは目で見てやっているの耳で聞いてやっているの?)みみ
しばたさんはきいていないのですか
ききやすいです
(M.Mさんがパソコンをやっているのを見ていましたか?)
みていました
ぼくもやりたいとおもっていました
よかった
きもちいいです
(歌のリクエストは、ある?)とまばなさんば(青年学級のオリジンナルソング)
しんじてくれてありがとう
きもちいいです
(字はいつ覚えたの?)ちいさいときにおぼえた
にんげんとしてうまれてきて きいてもらいたい じぶんのきもち
いきていきたい じぶんのあしで
いきていきたい じぶんのめで
きぼうがわいてきた じぶんのいしをつたえられて
いいにんげんになりたいけど かってにからだがうごいてしまうのでかなしい
ゆめはにんげんとしてきれいなきもちでいきてゆくことです
きもちをつたえたかった
(人の食事に手を出してしまうのはなぜ?)
じぶんのぶんがなくなるとてがでてしまってかなしい
ひとのしょくじにてをだしてしまってかなしい
(S.Yさんの文章を聞いてもらって)S.Yさんのきもちよくわかります
にんげんだからわかってほしかった

 彼は、大切な紙を破ったり、人の食べ物をとってしまったり、突然行方不明になったりと、いろいろなことをする。私たちは、ずっとそれを受け入れることはしてきたが、「かってにからだがうごいてしまう」とは思わなかった。彼の悲しみを、ようやくわかることができた。私たちは、もう一度、彼の行動を理解し直さなければならない。
 大きな常識が今、音を立てて崩れていく。それは、しかし、私たちと彼らの距離を無限に近づけるものだった。
2008年12月23日 01時35分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月11日(木)
青年学級にて ―その4
 2日目の昼食後、H.Nさんがパソコンで綴るのを遠目で見ていたK.Kさんと目があった。鋭いまなざしは、僕にもやらせろと訴えていたようだった。もう、帰りの時間は近かったが、パソコンを抱えて彼の近くにいった。彼は、発作が頻発する方だが、歩くこともできるし、簡単な言葉は話す。また、文字を書くことにもこれまで何度も意欲を示し、今ひとつ、成果が出なかった経緯もある。「やってみますか」という問いに満面の笑みで答えた。

きのうきたばかりなのに、もうかえるの。
いいところだから、もっといたい。
ほっさはいやです。きをうしなってしまいます。
ちいさいときからじぶんではなせたらいいとおもっていました。
このきかいがほしいです。きもちいいです。
ねがっていました、きもちをことばでいえるようになることを。
いいきぶんです。きもちいいです。
おかあさんいつもありがとうございます。
いつもいいなとおもってきました。
いいたいことがえるひとがいいなとおもってきました。
いいたいことがいえることが。
みんなとはなしがしたいです。

 短い時間に書けた言葉は、以上だったが、これからの可能性がはっきりと示されていた。
 バスが到着した広場に迎えに来ていたお母さんと、このことを話していると、本当に、言い笑顔を終始し続けていた。
 そして、お母さんも、「これ、本当に、彼の気持ちだわ。」とおっしゃっていた。
 まだまだ、たくさんのことがこれから語られていくだろう。
 これからの新しい展開が楽しみだ。
2008年12月11日 08時49分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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青年学級にて ―その3
 合宿の朝、目を覚ますと、私のすぐ横にH.Kさんが寝ていた。彼のコースは、広いホールで寝るはずだったが、和室がいいとやってきたのだった。彼は、寡黙な人で、かすれたような声で、時折、単語を発することがあるが、その多くは聞き取れない。しかし、特別な肢体不自由があるわけではない。子どもの時は声は出ていたが、思春期以降、話さなくなったと言われてきた人だ。起き抜けに、彼の姿を見つけたので、朝の身支度をそこそこに、彼にパソコンを出してみた。すると、にっこりと笑って、文章を綴り始めた。私は、夢の続きを見ているような気分だった。

きもちいいちからがでる。きもちのたのしさがすてき。ながくはなしてこなかったからうれしい。

 どうして話せなくなったのと尋ねると、

わからない。
きもちがつたえたかった、にんげんだから。じぶんのままでいたい。にんげんだから、じぶんにちゅうじつでいたい。じぶんにいつもいのっていたい。きっといつかはなせるときがくるとおもっていた。いつかきもちをはなせたらいいとおもってきた。

 彼は、以前、毎回学級の帰りに、喫茶店に寄り、チョコパフェを食べるのが常だった。私もよくつきあったが、高坂茂さんという、この学級の大先輩で、2000年に職場の自己で亡くなった方が、彼を伴って二人でよくチョコパフェを食べに行っていた。そこで、高坂さんのことを尋ねてみた。

おぼえている。とてもやさしくしてくれてうれしかったけど、しんでしまってざんねんだった。きのどくだった。いいひとだったからくやしい。たのしいおもいでがいっぱいあります。いつもいっしょにきっさてんにいってくれた。いいひとでした。いいひとがいなくなってかなしい。こうさかくん、きっとじきがわるかった。なぜしんでしまったのだろう、くやしい。

 そして、もう、定番になった問いを投げかけた、「詩を作ったことはありますか。」と。そして、綴られた詩と言葉。

じぶんでつくったし

いきていくことはいつもしんどい
いつもおもたい
きっときぼうのきせつがやってくる
きっといつかきぼうのきせつがあるだろう
きぼうのきせついつきてくれるのか
じぶんにもくるのだろうか
きぼうのきせつは
じぶんにもくるのだろうか
きぼうのきせつは。

 そして、午前の活動へと移っていった。
 昼ご飯の後、スタッフが、家に電話したら、お母さんがとても喜んでいたとおっしゃっていたとのことだったので、お昼のひとときを使って、お母さんへのメッセージを書いてもらった。 

きのういいことがありました。きのうがっしゅくでしばたさんといいことがありました。きのうがっしゅくでてでことばをはなしました。ちいさいときははなしができていたけど、こえがでなくなってしまいました。しばたさんとぱそこんできもちをことばにすることができました。にんげんだからいつもときどきにんげんとしてあつかってもらいたいとおもってきました。きもちがきいてほしかった。しんじてほしかった。
ついにねがいがかないました。いいきぶんです。きもちがつたえられてうれしいです。きもちがつたえられてよかったです。いいかあさんでよかったです。すばらしいです。

 バスが到着した広場に、お母さんが、お迎えに見えていた。「きのう」は今朝のことですとことわりながら、この長い文章を見せた。しゃべれなくなて、ずっと気持ちを知りたいと思ってきたとおっしゃったお母さんは、目を細めてこの文章をご覧になっていた。
2008年12月11日 07時49分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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青年学級の合宿から ―その2―
 「あなにいた」という言葉を綴って私たちを驚かせたK.Tさんと1日目の夜、話を交わした。

わかってくれてうれしい。きぼうがでてきました。きぼうがわいてきました。ねがいはだれとでもできるようになることです。いつかはなせるひがくるとしんじていました。

 そして、次のような言葉が語られた。

かったばかりのさんだるをきずつけてしまったみたいでかなしかった。きっときれいなさんだるをかえるとおもってなかったけど、かえてうれしいきぶんです。

 すごい表現だねと驚きを伝えると、簡単な単語はしゃべれる彼は、「まだあるよー。」とにっこり笑いながら次の文章を綴った。

きっとかりれないてぶくろを、かりれたようなきぶんだよ。

 そして、女の子の話に及ぶ。

とかいのいいかみをしたこがすきです。きれいなおんなのこがすきです。にしだひかるがすきです。

 さらに重い話に。

ぬいぐるみのじんせいしかおくれないとおもってきたけど、いいじんせいになりそうです。いいこどもになれそうです。しんらいこそがたいせつです。ちいさいときやしょうがっこうのときは、きっとはなせるようになるとしんじていたけど、こうこうじだいにはあきらめていました。しんじられないきもちです、いまのじぶんが。りかいできてもしゃべることができない。

 そして、彼の美しい比喩表現や重い言葉に、「詩を作ったことはありますか?」という問いを投げかけ、「今、書ける詩はありますか?」と問いを続けた。そして、次の長い詩が綴られた。

きたからふくかぜにきいてみよう
いまどこにしあわせはありますか
きたからふくかぜにきいてみよう
きれいなこころのひとはどこにいますか
しろいゆきみたいなきれいなこころはきたのくににあるのですか
きれいなきせつがたのしみです
きれいなきせつがまちどおしいです
いつかきれいなひとにであいたい
いつかきれいなきせつとぎんせかいでであいたい
きれいなきせつとすてきないのちをつたえたい
つよいきせつとなきむしのきせつとぎんせかいでであいたい
ねがいのすてきないのちをつたえたい
いのちもちがいがあるようにきれいなきせつもちがっている
ひとのいのちもちがっている
きたからふくかぜにきいてみよう
きたからふくかぜにきいてみよう
しんじていればかならずきもちはつたわりますか
しんじていればかならずきもちはさびしくないですか
いつもいつもきたかぜにしんじたい
きぼうのきたかぜに くなんのじかんは きたかぜに みらいへのきぼうとして
げきのように びたち(美たち?)のようにかえてもらおう
にしからふくかぜと 
ひがしからふくかぜと
みなみからふくかぜにも きいてみよう 
しんじていればきぼうはかないますかと
きぼうはかぜにのってやってきますかと
ときどききぼうのかぜがみえなくてきもちがしずんでしまうけど 
きぼうのかぜはきっときたからまたきっとふくだろう
みたこともないきたからのかぜをきぼうとともにきたいして
きぼうとともにゆめみていよう
いつかきっと いつかきっと。

 そして、詩を作っている時の気持ちが次のように書かれた。

しをつくっているときもちがはれる、きもちがきれいになる、いいきもちになる。
 
 合宿の夜のお菓子と飲み物をはさんだ交流会の場で、お菓子を時折食べながら、過ぎていったひとときのできごとだった。

  
2008年12月11日 07時30分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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青年学級の合宿(12月6日、7日)から―その1
 夏の豪雨の影響で発生した土砂崩れのために、今年の青年学級合宿は、12月へとずれこんだ。合宿場である町田市郊外の山間にある青少年センターは、紅葉の名残を残しながらも、すっかり冬の装いだった。
 今年の合宿は、特別だった。7月以降、これまで沈黙してきた人たちが何人もパソコンで語り始めたからだ。そして、ゆったりと流れる時間の中で、新たなメンバーも含めてたくさんの方が文章を綴った。
 最初は、1日目の夜遅く書かれたE.Kさんの文章から。彼女は、7月に文章を綴り始めた方だ。この日、かたわらには、合宿に応援に来たOGのスタッフがいた。彼女は、とりわけE.Kさんと縁の深かった方だ。これまでのE.Kさんの文章を涙とともに読んできたという。文章は、その女性に向けて書かれ始めた。

○○ひさしぶりですね。○○さんからしてもらったことには、とてもかんしゃしています。きっといつか、かんしゃしたきもちをつたえたいとおもっていました。しにいつかしたいです。しをつくりたいです。きっといつかできるとおもいます。きっといつかつたえたいとおもいます。きっといつかしをつくります。きいてください。きっといつかしにします。

 そして、施設の生活に話が及ぶ。

ふくしえんのしょくいんにもつたえてほしいです、わたしがことばをしっていますと。きびしいです、しられていないと。しってほしいです。ちいさいことでもきいてほしいことがあります。じぶんのきもちをいっぱいつたえたいです。きもちをいっぱいわかってほしいです。

 次に話題は、来年の5月、青年学級のみんなと開く若葉とそよ風のハーモニーコンサートでも、発表しようと誘った。

わかそよ(コンサートのこと)でもきもちをじぶんのことばでつたえたいです。じぶんのきもちをきいてほしいです。きもちをきいてほしいけどいいほうほうはありますか。きもちをつたえるほうほうをかんがえたいです。

 詩という方法があるね、と答え、さっきこれから感謝の気持ちをこめた詩を作りたいと言っていたけど、もう作った詩はあるのと尋ねると、次の答えが返ってきた。

ある

 そして綴られた詩と、詩を作る時の気持ち…。

きたかぜに すばらしいみらいをきいてみよう
きぼうのかなたのきたのくにのかぜに
ひとりぼっちのだまったじぶんに
きたのくにのかぜにいつもきいている
じぶんのじかんに
きたのかぜにつらいきもちを
きたのかぜにじぶんのこえを
じぶんのじかんにちいさいときのちいさいねがいを
だまったままのいつもきいている
きたのかぜに
じぶんのじかんに
いつもいつも
きたのかぜにきいてみる

しをつくるのはたのしい。つらいきもちをじぶんでなぐさめることができるから。いつもつくっている。いつもいつもきびしいので、きぼうがわいてきます。

つらいときにきいてみよう きみのこころに
かなしいとき きみのこころに
つらいとき りかいしてみよう きみのこころに
すばらしいちかいをたててみよう じぶんのことばで
きっと きっと きぼうのにおいがするはずです。

きいてくれてありがとう。わかそよがたのしみです。きたいしています。

 ここで、信じてくれないかもしれない人たちの前で、ステージの上に出られるかと尋ねてみた。

でれます、きいてほしいから、じぶんのきもちを。いいみらいがひらけそうです。すばらしいみらいがひらけそうです。きたいでむねがふくらみます。うれしいです。

 そして、励ましの言葉をもらった。

しばたさんじゃないとできないとしても、いいことはいいのだから、きにせずにつよいきもちでがんばってください。にんげんだからきもちがなえることもあるとおもうけど、がんばってください。

 さらに、このブログのことに話が及んだ。

できるのそんなことが。ついにこえがとどくのですね。だしてほしいです。ちいさいときからいいことがすくなかったけど、やっときぼうがわいてきました。きぼうがわいてきたのに きいてくれるひとがすくないのがざんねんです。
 
 そして、今度は、しゃべれて普通に暮らしていた頃、宝塚ファンだったという彼女に、階名でメロディを綴れば作曲もできるかもしれないと伝え、何か階名で綴れる歌はあるかと聞いてみた。

できる。おぼえている。ついにきぼうがかなう。きたいしています。ちいさいときから、いいきょくのめろでぃをかいめいでうたっていましたから。
ドレミドレミソミレドレミレソソミソララソミミレレド(「チューリップ」)
きちんといつかかんがえておきます。じぶんのことばにじぶんでめろでぃをつけられたらうれしいです。

 時計は12時を回っていた。

ねます。はやくねるしゅうかんがついているのでねむいです。

 また、新しい夢がふくらんだ夜だった。
2008年12月11日 07時29分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月06日(土)
総合講座「差別とアイデンティティ」にて
 私の大学の授業に、「差別とアイデンティティ」というものがある。今年で退職を迎えられる楠原先生がコーディネーターとなって、複数の教員が参加する総合講座である。私も、この講座が発足した当初からのメンバーで、10数年が経った。私は、自分の障害の重い子どもたちに対する関わり合いと町田の青年学級のことを毎年、紹介させていただいてきた。そして、ここ数年、町田のメンバーを実際に招くようになってきた。先生の退職とともにこの講座も終わることになるが、その最終年、私は、これまで二つの別々のこととして話してきた話題の間に、一本の橋をかけることができた。それは、パソコンを使って文章を綴る障害の重い方の存在を、青年学級で、今年になって何人も明らかにすることができたからである。残念ながらそのメンバーを夜の渋谷で行われるこの授業に招くことはむずかしかったが、毎年常連のメンバーであるTさんだけは、可能だった。
 そして、授業という公開の場で初めて2スイッチワープロに挑戦した。
 「差別とアイデンティティ」は6時間目の授業だが、5時間目には、「ボランティアと社会参加」という私の通常の授業があり、みんなには、この2時間、授業をしてもらった。
 Tさんの2スイッチワープロは、比較的小さな教室だった5時間目はスムーズだったが、大教室である6時間目は思いのほか難航した。しかし、2時間続けて挑戦して、次のような文章が綴られた。

Tといいます
いま○○○○りょういくえんではたらいています
いまやりたいことは せいかつについてたすけてもらいながら ひとりぐらしをすることです きっとできるとしんじています いっしょにくらしてくれるじょせいをさがしています きもちのやさしいひとをさがしています(以上5時間目)
おとうさんのことがなつかしいです まま ○○○(弟)とくらしていますが けっこんしてどくりつしたいです(以上6時間目)

 それぞれ、10分ほどの時間なので、限られてはいるが、たくさんの人の前で、文章を綴るということ初めての挑戦、まずまずだった。
 どちらの授業でも、みんなで、たくさん思いを語り、歌を歌った。
「総合講座」の最後の年の、思い出に残る授業になった。 
 授業の後、研究室でお酒を前に語り合った。16階にある研究室から見える渋谷の夜景は、けっこう美しい。来年4月から、たまプラーザキャンパスに新設される「人間開発学部」に移籍が決まっているので、この研究室からの夜景も、これでお別れだ。
 一つの区切りにふさわしい夜だった。

2008年12月6日 07時36分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月05日(金)
そらはきっときいてくれる わたしのきもちを
 11月30日の青年学級の日は、午後からある勉強会で青年学級について紹介することになっていたので、昼間は、ゆっくり参加できなかった。そこで、夜から居酒屋(かかし)に合流し、かかしが2回目になるF.Kさんとパソコンで話をした。

のみにこれてうれしい。いいほうほうですね。つらかったです、ことばでしゃべることができなくて。いつもねがっていました、きもちをことばでつたえることを。いしがあるのにきいてほしかった。はいがすべてできいてもらえなかった。きたかった、かかしに。のみたかった、おさけを。いしがあるのにきいてもらえなかった。すてきななかまがいてしあわせです。つらかったけどきぼうがわいてきました。

 ここで、詩を作ったことはあるかと尋ねてみた。すると、あるという。さっそく、書いてもらった。

つらいときそらをみあげてみよう
そらはきっときいてくれる わたしのきもちを
ねがってみよう すみきったそらに
きっとそらは つらいきもちをきいてくれる
きぼうのそらにむかってさけんでみよう
しんぼうしてきたけどすくわれたよと
きいている そらはいつもわたしのこころを
きいている いつも わたしのねがいを
きいている いつも わたしのゆめを
きいている いつも わたしのほんとうのきもちを

 そして若干のコメントが続く。

ずっとむかしにつくった。しはきもちをずいぶんらくにしてくれる。
きもちをきいて、いいきもちにしてくれる。きもちをきいて、こころをくるしみからときはなってくれる。

 そしてさらにもう一篇の詩。

きたのそらからきた しろいまほうつかい
きたのくにからやってきて
きたのくにのきれいなゆきをふりつもらせる
きたのくにからきたまほうつかいは
きたのくにのきぼうをかなえるために
ゆきをふりつもらせる
きたのくにからふくかぜは
きたのくにのいのちをつたえてくる

 そこへ、お母さんがお迎えに来た。

おかあさんへ。しんじてください。みんなわたしのきもちです。しんじてください。しをつくっていたのはきもちをしずめるためです。きもちをしずかにするためです。しをつくっているときもちがおちつきます。しをつくっているといいきぶんになります。いつもありがとう
きもちをいつもきいてくれてかんしゃしています。いつもわるいとおもっています。いつもごめんなさい、せわばかりかけて。

 突然書かれた二篇の詩を前にして、おかあさんは、これらの言葉が、彼女の言葉にほかならないことを納得されたようだった。なぜなら、その時の彼女の瞳の真剣さと、私がまちがってもこんな詩を書けるはずがないからだった。
 また、新たな詩人が誕生した。
2008年12月5日 23時07分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月06日(木)
青年学級のできごと 退院したE.Kさんと居酒屋のF.Kさん
 青年学級で7月に初めて文章を綴ったE.Kさんは、9月から長期の検査入院で学級を休んでいた。母親を進行性の難病ALSで亡くし、自らも、進行性の障害で、かつては歩くことも話すことも書くこともできたのに、いつか、車いすの生活となり、言葉さえ失ったとされていた。彼女の検査入院は、こうした状況におそらく関係があるのだろう。そして、残念ながら、病院は、彼女には言葉がそっくりそのまま残っていることを知らない。
 朝、E.Kさんに、今日も一緒にパソコンやろうと言っていたのだが、コースが違うので、なかなか彼女のコースに行く暇がない。3時を過ぎた頃、彼女のコースのスタッフからお呼びがかかった。彼女の文章は、次の通りだった。

ずっとまっていました
そしてしばたさんにあいたかった
ずっとさびしかったです
のぞいてくれてありがとう
ねがっていました
ふたたびはなせることを
よかったまたあえて
ふたたびはなしができてうれしい
ねがいはだれとでもできるようになることです
ねがいはなやみをみんなにきいてもらうことです
ずっとひとりでびょういんにいてさびしかったです
なにもできずなにもみとめられずつらいまいにちでした
のぞんでもきいてはもらえないし
よるもねられませんでした
なんにもりかいしてもらえず
なんにもねがえずみじめなまいにちでした
はやくみんなにあいたいとおもっていたので
しんぼうすることができました
ふしあわせだとはおもわないですが
つらかったです
ながかったです
ねがいはてでみんなとはなしができるようになることです
まいにちのぞんでいました
がっきゅうのなかまとあえることを
ことばをつかえるなんておもわなかったから
しんじられないきもちです
ねがいはだれとでもできるようになることです

 言葉がわかっていることを理解されずに、病院で過ごした時間のつらさと、その時、彼女を支えた仲間の存在。胸がふさがれるような思いがした。
 彼女のコースには、もう一人、9月になってパソコンで文章を書いたF.Kさんがいる。E.Kさんが文章を綴るのを見守っていたが、時間になったので、ホールの帰りの集いの歌声の中で、次のように綴った。

ねがってました
ふたりではなしたかったです
ふたりのはなしがしたかったです
E.Kさんとはなしたかったです
にゅういんをしていたとはしりませんでした
ずっとかえりたかったのですね
ふたりでこれからもずっとかたりあいましょう
ねがいはふたりでてをつかってはなすことです
すいっちをみんなもできるようになってもらってみんなとはなしたい
それがねがいです
どんなにじかんがかかってもいいからがんばってください
わたしもがんばります
しんじてもらえてうれしいです
(よくこんな騒がしいところでできますね。)
めをつかっているのでだいじょうぶです
(今日もトマトハウスは行きますか。)
いきたいです
そのあともいきたいです
とまとはうすだけではつまらないからのみにもいきたい

 ここで、お迎えに来られていたお母さんとお話をし、発作の薬の関係でアルコールはだめだけどという条件で交渉が成立。2時間後、彼女は、居酒屋にいた。おそらく、仲間とこのような場所に来るのは、生まれて初めてのことではないだろうか。以下は、そこで書いた言葉だ。

かかし(居酒屋の名)にこれてうれしい
でものめなくてざんねんです
とりのにくがたべたいです
まえからたべたいとおもっていました
ふだんからたべたいとおもっていました
もしよかったらみんなでたべましょう
のみたいけどだめですか
りそうはふだんからほんとうのきもちをつたえられるようになることです

 彼女が「とりのにく」と呼んでいるのは、もちろん焼き鳥のことだ。うちでお母さんが作ってくれるチキンの料理とはひと味違う居酒屋の焼き鳥の味を、彼女は、この夜、しっかり堪能できたにちがいない。

2008年11月6日 17時22分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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2008年11月04日(火)
「あなにいた」 Tさんが穴から抜け出した日
 青年学級で、また、言葉を秘めていた方の存在が明らかになった。これまでの車いすの方々とはちがい、自分で歩く方だ。そして、言葉は、「おにいちゃん」「おねえちゃん」「おっちゃん」といった限られた単語を発声する人としてみんなに知られた方だ。話し合いでは、自分の意見をいいにくい人とも考えられてきた。その彼を、私たちのコースに訪問させたのは、若いスタッフだった。「Tさんにもパソコンやってみてもらえませんか。何時に行けばいいですか。」と尋ねられ、一瞬、「Tさんに?」と尻込みしそうになったが、若いスタッフの情熱に負けて、「じゃあ1時頃に」と返答した。
 ところが、いったんスイッチを手にすると、かれが文字を選べることがすぐにわかった。そして、指さしもできるので、時折、文字を指さしてその文字を読んだりもする。今までの関わってきた多くの方々とは、ひと味違う関わりだった。
 最初に綴られた言葉は、こういうものだった。

なぜぼくができるとわかったの
○○○さん(若いスタッフのこと)はどうしてゆってくれたの
びっくりしました

 そして、突然次の言葉を綴る。

わかってあなにいたきもち

 この時、「あな」と書いたあと、「に」をいったんゆびさして、改めてスイッチで選択するというようなこともあった。目の前のTさんの姿と、この重い言葉が、にわかには一致しがたかったが、目の前で繰り広げられている光景は、まぼろしではなかった。
 さらに次の言葉が続く。

このぱそこんほしい
すいっちがほしい
ふしぎですじぶんにもことばがかけることがどうしてわかったの
のぞんでいました
じぶんのきもちをいうことを

 字をどうやって覚えたのかという問にはこう答えが返ってきた。 

がっこうでおぼえました
ひとりでおぼえました

 そして、さらに次のように続く。  

しばたさんといっしょになにかやりたい
なにができるかとてもたのしみです
うれしいです
ねがいがかなったことがふしぎです
かんがえたことがすらすらことばになっていきます
いいきぶんです
おかあさんにつたえてください
ぼくがてではなしができたことを

 ここで、私は、Tさんに、今までまったくわかってあげなかったことを心からわびた。すると、われわれをまったく責めることもなく、つぎのような答えがかえってきた。達観しているというべきか。
 
しかたありませんそんなふうにしかみえないですから

 そこへ、彼を迎えに女性スタッフが入ってきた。すると次のような言葉が彼女に向けて書かれた。

○○○さんきれいですね
けっこんしてください
 
 あまりにもストレートな言葉に、○○○さんも、てれながら、率直に感謝の言葉を返した。

ねがっています
のぞみはすてきなひとといっしょにくらすことです
けっこんしてくれるひとがみつかるまでがんばりたいです

 私たちの青年学級では、いつも夢を大切にしてきた。そんな中で、彼の中にもこんな夢が豊かに育まれてきたのである。
  
よくかけてうれしい
またよろしく

 こう書いて、彼は、とても満足そうに自分のコースに戻っていった。
 帰りのお迎えに来られたお母さんにさっそくこのことを伝えた。すると、今でも家では、よくひらがなの表を見せているそうで、文字を読めることはご存じだった。当たり前のことだが、私たちよりもはるかに彼の力を把握しておられた。そして、このことを心から喜ばれながら、学校に上がる前からの話を、短い時間だったが、聞かせていただいた。就学前から、単語ではよく話をしていたこと、学校にいってから、指さしですませる傾向が増えたことなどなど。
 そんな彼が最近、うまく気持ちが伝えられずに、家で暴れたことの話になった。「穴にいた」彼の中でたまってしまったストレスが、一気に爆発してしまったのかもしえない。これからは、言葉を話すことによって、こうした行き違いもきっと減っていくのではないだろうか。
「もしいらいらするようなことがあったら、どんどん言葉で伝えてください」と彼にお願いしながら、この日はお別れした。
 穴にいた彼が、ようやく穴から抜け出したとても記念すべき一日だった。
2008年11月4日 00時21分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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2008年10月07日(火)
とびたつ会のTさんのこと
 サウンズアンドシンボルズと呼ばれているコミュニケーション手段(シンボルの絵を使って気持ちを表現するもの)を、目の合図で使って気持ちを表現してきたTさんが青年学級に現れたのは10年近く前のこと。しだいに帰りには飲み屋にも行くようになり、飲んだ席で、パソコンの練習をしないかと行ってパソコンの練習が始まった。足で二つのスイッチを操作して綴ることを始めたが、なかなか言葉が的確に選べず練習を続けてきて、少しずつ進歩してきていたが、長い文章にはならなかった。途中、シンボルをパソコンに組み込んだり、足でマウス操作ができるようにとスイッチを改良したりといろいろ取り組んできた。最初は、夜、8時過ぎにおじゃましていたのだが、だんだん忙しくなって、元公民館職員の松田さんが始めた「共同学習識字の会」での学習におまかせするようになっていった。Tさんが、「とびたつ会」に移るとなかなか会う機会も減ってしまっていた。松田さんとの学習もずっと継続されてきたが、最近、スイッチ操作がむずかしくなったとのメールをもらい、青年学級の後の時間に来てもらうことにした。そして、トマトハウスでさっそく新しい方法に挑戦してみた。上手に動く足ではなく、ほとんど自由のきかない手にスライドスイッチを握ってもらい、こちらがどんどんスイッチのオンオフを繰り返すという方法だ。すると、あんなに、足では選べなかった文字がすらすらと選べていった。
 まずは、その感想である。

ふしぎです
きもちがそのままことばになっていきます
じをみつめつずけるのがたいへんです
なかなかのぞみどおりにいきません
てにちからをこめただけでえらべるのでらくです
すいっちがすむーずです
よくわかります
もっとはやくからやっていればよかったとおもう
らくなのでこっちのほうがいい

 彼がうまく文字を選べない理由が、字を見つめ続けることのむずかしさにあったとは、まったく意外だった。

のぞみはぐるーぷではなしあうときにやれたらいいとおもう
せっかくのものだからとびたつかいでつかいたいとおもう
ねがいはてをつかってはなしをすることだったからかなってうれしい
なぜよみとることができるの
そのほうほうをみんなにもおしえてほしい
ほんとうにすばらしいやりかただとおもう
まつださんにもおしえてほしい
はやくできるようになってほしい
のぞみはなんにんもできるようになってぼくたちのつうやくをしてくれることです

 ここで、誰かに変わろうかというと、すかさず彼は女性スタッフを指名。

◇◇さんこんにちはすんでいるのはどこですか
もしかしたらひとりぐらしですか
どうやってくらしているのですか

と、書く。まだ、◇◇さんとだけでは、うまくいかないが、結構何文字かは読み取れた。そして、最後にこんなことをちゃっかり付け加えた。

ぼくとくらしませんか

 ここから場所を居酒屋に移す。飲み物や食べ物が並ぶテーブルの上にパソコンをおいて、飲みながら打ち始めた。その中の一部は以下の通りだ。

ひとりでくるしんできたことをことばでかたりたいとおもう
ほんとうのすがたをしってもらいたい
のにさくはなのようにのおんなのこもしゅつえんしてもらいたい
ぼくのきもちにはそんなひとたちのことがずっときにかかっています
ぼくのきもちしかひょうげんしていないのでほかのひとたちのきもちもひょうげんしてもらいたい
すぎたことをいってもしかたないけなどみらいにむかってぼくたちのきもちをつたえていくひつようがあるとおもう
ねがいはたくさんのひとにりかいしてもらうことです
けっしてまけられません
てをつかってはなせることをよのなかのひとにつたえたいとおもう
りかいしてくれるまでうったえつずけていきたいとおもう
くるしみやかなしみをつたえていかなければいけないとおもう
りかいしゃをふやしていかなけれびいけないとおもう
きっとわかってくれるひとがあらわれるとおもうのでがんばりたい

 彼は、青年学級やとびたつ会に通う重度の障害のメンバーの中で、唯一シンボルを使って目で語れることができるので、いろいろな場所に積極的に参加し、シンボルで表現した気持ちをいろいろなかたちで訴えてきた。だが、やはり、うまく話せない仲間の気持ちが気になっていたというのである。
 最後に文章はこう結ばれた。

このほうほうではなせるひとがたくさんいるかもしれないとおもうとむねがはりさけそうになる
ぼくはわかってもらっているからいい
でもたくさんのなかまがくるしんでいます
このことをつたえていかないといけないとおもう
ぼくはまけない
2008年10月7日 15時41分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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「くるしいことやつらいことはたくさんあるけど」
 前回、青年学級で文章を綴れるようになった▽▽さんが、今回も文章を綴った。午前中、コースに行くことができなくて、午後、時間を見つけて二度にわたった書いたものだ。


はやくかけるのできもちいい
もっといろんなひととやりたい
わたしのきもちのこえをきいてほしい
なかなかきもちをはなすことができないのできいてほしいの
ねがいはすいっちでみんなとはなすことです
ぜったいにできるようになりたい
ねがいはなんでもはなせるようになることです
(おかあさんは何と言っていた?という質問ををすると)
すごいわねふしぎですといっていました
でもしんじられないといっていました
いつおぼえたのといっていました
つらいけどなかなかしんじてもらえません
ほんとうにわたしがやっているのにざんねんです
くやしいけどみんないつかしんじてくれるとおもうからずっとあきらめないでがんばりたいです
ねがいはだれにでもわかってもらってみんなでいっしょにはなすことです
ねがいははやくおかあさんにしんじてもらうことです
ねがいはつらいことやくるしいことをともだちとはなしあうことです
ほんとうになるとうれしい
くるしいことやつらいことはたくさんあるけどそれをはなせばずっとらくになるとおもう
もっといろいろなことをかいてよんでもらいたい
ふしぎですなぜかきもちがことばになっていきます
はやくかけてうれしいです
のぞみはすきなひとといっしょにくらすことです
つまらないずっとかぞくとだけのすいかつは
とまとはうすにいきたいです
のぞみはそのままのみにいくことです

「くるしいことやつらいことはたくさんあるけどそれをはなせばずっとらくになるとおもう」「のぞみはすきなひとといっしょにくらすことです」と、切実な思いが表現されている。そして、そうした言葉の数々は、これまで青年学級でもみんなで語り合ってきたものだ。これまで言葉で表現することはできなかったが、みんなとともに同じ思いを共有してきたことが表現されている。
 おかあさんは、信じていないというのではなく信じられないとおっしゃっているのだが、今回も、帰りのつどいの時に見てもらった。そして、無事トマトハウスには行くことができた。だが、強い発作の薬を飲んでいるので、さすがにアルコールはダメということになったが、言葉で表したからこそ、実現したものだ。
 トマトハウスでは、いろいろな担当者がスイッチ操作にチャレンジした。早くみんなができるようになればと思う。
2008年10月7日 15時31分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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ひかり学級の人と
 ○○さんがパソコンで言葉を表現し始めて3度目の学級日、さっそく朝から彼も話し合いに参加した。

おはようおひさしぶり
せいねんがっきゅうをたのしみにしていました
せっかくだからうたをうた
(ここでみんなが口々に歌のリクエストを言い始めたので彼も文章を中断して曲名を書いた)
ーともだちのうた
てをつかってはなせてうれしい
ねがいがかなってかんげきしています
ねがっていましたすいっちでなやみをいうことを
◇◇くんはすごいね
がんばっていますね
そんけいしています
りそうのだんせいです
でもなかなかしごとがたいへんそうてすね
このこーすのめんばーにはなぜじょせいがおおいのですか
むずかしいしつもんかもしれないけれどふしぎです
でもそのほうがいいです
うまくいえませんがなかまがだいすきです 

 そんなふうに綴っているとき、ひかり学級の☆☆さんが、突然入ってきた。ひかり公民館の青年の人数が増えたときに、分かれてできた学級だ。この日はコースの外出で公民館までやってきたらしい。学級の中でもとりわけ障害が重いとされる彼女が突然入ってきたのはわけがある。音楽コースで同じく障害の重い○○さんが、パソコンで言葉を表現するようになったのを知っていた援助者(とびたつ会の松田さん)が、彼女にも可能性を感じてともかくその現場を彼女に見せに来たのだ。たえず手をなめていて、視線の方向も読み取りづらい彼女が○○さんの姿をどうとらえのか。少なくとも外見からは特別な様子は見あたらない。しかし、今度いつ会えるか分からないし、外見にはもはやこだわっても意味がないことは痛烈に思い知らされているので、○○さんの文章が一段落したところでさっそく彼女にパソコンを試みた。まず、操作の説明ということで名前をいっしょに書くと手応えは十分だった。そして、次のような文章が綴られた。


☆☆(名前)
このすいっちはどうしたのですか
ちからがかるくてふしぎなきもちです
うれしいです
とてもむりかとおもってきました
なぜわたしがはなしがわかることがわかったのですか
とてもおどろいています
こどものころからべんきょうしてきましたからよくわかります
わたしのおかあさんにつたえてください
うれしいです
ねがってきました
ことばできもちをつたえることを
とてもかんげきしています
のぞみはすきなひとといっしょにくらすことです
またよろしくおねがいします

 彼女が初めて学級に来た日のことを私はよく覚えている。ひかり学級の開級式の時のことだ。車いすで明確な表現手段を持たない方が学級に初めて入ってきた。受け入れ側にも様々な意見があったが、ともかく来ていただいた。ふだんは学級がちがうのでなかなか会うことができないが、わかそよのステージには必ず彼女の姿があった。ステージ上で友だちに囲まれて笑顔にあふれていた場面などが思い浮かぶ。その彼女の思いが十年あまりの時を経て、今私たちの目の前に明らかになった。新しい大きな始まりの予感がする。
 
2008年10月7日 12時44分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年09月08日(月)
青年学級にて
 8月の夏休みがあって、町田の青年学級が再び始まった。夏前にパソコンで綴れるようになった二人のことが大変きにかかっていた。7月の1回目の学級日に初めてパソコンが成功したのだが、2回目は私が休まざるを得なかったので、その日は綴れず、9月を迎えたわけだが、女性の方は、残念ながら入院のためお休みだった。
 私と同じコースの男性とは、活動が始まるとさっそくパソコンを開いた。活動は、まず、見学の方がいるので自己紹介を含めながら、夏のできごとを語るということで始まった。みんながそれぞれ、話していくのを聞きながら、パソコンでどんどん文章を綴っていった。

つまらなかったこのまえのがっきゅうびは
しばたさんがいなかったのでなにもはなせなかった
くやしかった
このすいっちをだれでもできるようにして
そしてだれとでもはなせるようになりたい

 まったくもっともな話だ。だれとでも話せるようになった時、本当に彼のコミュニケーションの障害は取り払われる。
 十分その気持ちを受け止めた上で、夏はどうしていたかを尋ねた。すると次のような答え。

ずっといえにいておりんぴっくをみていました
すいえいのきたじまこうすけせんしゅがすばらしかったです
くやしかったのはやきゅうです
せっかくぜいたくなせんしゅをあつめたのに。

 自己紹介もお願いした。

ぼくは○○○○○○○です
わさびだりょういくえんでしごとをしています
すいっちではなせるようになってむかしのじぶんとはまったくかわりました
つねにみんなのあとからしかさんかできなかったけど
これからはさきにたってがんばりたいとおもいます
がんばりたいけどのけものにしないでください
つきにかいしかあえないのでざんねんです

 初めて彼自身の言葉で表現された自己紹介である。この辺まで綴ったところで、彼自身に順番がまわってきたので、自己紹介と夏の出来事とを音声読み上げソフトで読み上げた。仲間たちも彼自身の言葉による報告を、心から喜んでいた。
 
 さらに、コースで作ろうとしている歌の歌詞のことについても聞いてみた。

ともだちのことについてのうたをつくりたい
ひとりではなにもできないのだけど
ともだちがいればなんでもできる
ともだちのことをおもうとげんきがでてくる
 
 今年度のコース活動に大きな影響を与えるひとことになっていくだろう。

 ところで、欠席した女性のコースにはもう一人車いすの女性がいる。単語で意志表意をしたり、手をあげたりできるので、コミュニケーションはある程度とれるのだが、単語も「げんきー」など、限られていたので、複雑な文章を綴るというようなイメージはもたずに、もう10年以上関わってきた。しかし、もはやためらう理由などなかった。
 私はコースがちがうので、昼食の時間を利用して、彼女のもとへでかけた。そして、簡単に説明してパソコンを開いて練習をすると、さっそく次のような文章が綴られた。

このすいっちやりやすい
のぞんでいました
もうできないかとおもっていました
うれしい

 そこで、食事のあとにまた来ますと約束して、その場を離れた。食事が終わって行ってみると、いつになく早く食べたとのことで、ちょうど終わるところだった。そこで再開する。

とてもむりとおもってきたけどできてうれしい
ともだちとはなしたいとおもってきました
このすいっちはどうしたの ほしい

 この様子を、この3月まで学生だった女性が見守っていた。学級には久しぶりの参加だった。

ひさしぶりですねあいたかった
どこにすんでいますか
かいしゃはどこですか
でんしゃでとおったことがあります

 何か気持ちで書きたいことはと尋ねると、

ともだちがしんでかなしいです
○○(通所施設)のひとです
ずっとまえです

と綴られ、さらにこう続いた。

ねがいはりかいしてもらうことです
わかってもらいたい

 発作が起きてしまったので、ここで中断し、最後、つどいでみんなが歌っている横で、次の文章を綴った。

このすいっちがほしい
○○○さんはやさしいとおもいます りかいしてもらえてうれしい
○○○さんはかわいい ○○○○さんはさっそうとしています
○○○さんはまたきてください
ふしぎですことばがすらすらでてきます
いいきぶんです ねがいがかなってうれしいです
おかあさんにもしらせてください
つねにわたしをしんぱいしてくれているから
ねがいがかなってうれしい

 そこで迎えに来たお母さんに文章を見せた。突然のことに驚きを隠せないお母さんだったが、どこで文字を覚えたのという質問をして、実際に書くところを見ていただいた。

がっこうでようごでともだちがおぼえているのをみておぼえた

と答えが返ってきた。
 次回がまた楽しみだ。
2008年9月8日 12時32分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年07月07日(月)
青年学級7月6日のできごとその2
 活動の後、多くの仲間たちは、場所を「トマトハウス」という喫茶店に移して、お茶を飲んだり歌を歌ったりする。喫茶店はお休みだが、場所だけを借りているのだ。
 そこに、来ていたKさんにも、パソコンを出してみることにした。Kさんは、かつて、作文などもたくみに綴っていた方だが、進行性の障害のために、10年くらい前から、歩くことも、話すこともできなくなり、認識の面でも障害が進行したと考えられてきた方だ。お母さんをALSで亡くし、最近お父さんも亡くなられた。現在は町田市内の施設で暮らす。毎回、スタッフがボランティアで送迎をしてきた。
 最初に、すぐに綴った言葉。

これ かいたい
いくらするの

 横にいた送迎をした女性スタッフに対して

とてもていねいでかんしゃしています

 さらに気持ちが綴られていった。

じぶんでかけてうれしい
いままでつまらなかった
しゃべることができなくなって りかいしてもらえなくなってなきたいきもちでした
きもちがきんじられてこまっていました
おかあさんがなくなったときも おとうさんがなくなったときも はなしができなくて すさみ もらいなきさえできませんでした
せっかくことばがはなせるのだから しっかりいいたいことをいっていきたいです
ちいさいときからくよくよしてきたので ここでげんきなじぶんにうまれかわりたいです
でもなかなかうまくいかないかもしれないので ずっとおうえんしてください
それからよかったらこのすいっちをゆずってください
ゆめをみているようなきもちです
きもちをかけるとはおもいませんでした
げんじつではかんがえられませんでした
うきうきします
すてき
さけびだしたいきもちをおさえるのでせいいっぱいです

 さらに、文章は、あるすさまじさを帯びてくる。

ぬいぐるみのじんせいにおわかれです
しぬまでいまのままだとおもってきたから ぬいぐるみのじんせいにかわって となりのととろのようによろこびをかんじながらいきていきたいです
このぬいぐるみのじんせいは できないことがいっぱいですが もうおわかれです
けうなればこそ くなんのじんせいですが いきていくいみがあるとおもいます
とりかえしのつかないおもいがありますが ねらいどおりのこころでがんばりたいとおもいます
けっしてあきらめずに ねがいどおりのじんせいをいきていきたいとおもいます

 施設に戻る時間が近づいていた。そして、最後にこう書いた。

またやりたいです

 40歳を越えた彼女と、これから、失われた時間を取り戻しながら、関わりを続けていかなければと思う。
2008年7月7日 08時30分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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青年学級7月6日のできごとその1
 町田市障がい者青年学級での、起こったできごとから。
 Mさんは、20代後半の男性で、学級ではいちばん障害が重いとされる人だ。学級に来るようになって5年ほどになるだろうか。最初は、まったくコミュニケーションがとれず、食事も口にしてもらえなかった。それが、少しずつ、こちらの言葉かけに答えてくるようになり、今は、食事も、食べてもらえるようになった。しかし、いったい、どんな心の世界が広がっているのか、未知数のまま、関わりは進んでいた。その彼に、昼食後、2スイッチワープロを出してみた。あまりにも遅すぎる挑戦だった。彼は、すぐにすらすらと文章を綴り始めた。
 まず、始めに綴った言葉。

すてきなすいっちですね
くふうしていますね
これならできそうてす
うれしいです

 彼がパソコンに綴るのを見て、感激した二人の女性に対して、何か一言書いてと言ったら

かわいい
あかるい

とそれぞれに返ってきた。
 そして、彼の子ども時代から学童のグループなどで関わってきた先輩の学級生の女性(このときも、ずっと横で彼のことを見守っていた)に対して、

これまでいろいろありがとう

と綴った。
 午後の活動が始まると、コースの仲間へこう伝えた。

いつもいっしょにかつどうしてくれてありがとう
すてきなうたがたくさんできましたね
くるしいきもちのかしはつらいけど うちかっていきましょう
すてきなかしですね
それぞれのみちをつくったときはやすんでいてざんねんでした
ことしはどんなかんじのうたをつくりますか
めのまえのくるしみだけでなくのぞみがわくようなうたがつくりたいです。

 午前中の活動で、昨年度、2つのコースで作った歌「フォゲットダンス」と「それぞれの道」という歌を繰り返し歌っていたことを受けたものだ。学級ではめずらしく、この2曲は、みんなのつらい思いを歌にしたものだったので出てきた言葉である。
 活動に参加しながら、パソコンで言葉を綴り続けた彼は、さらにこう語った。

ふしぎです
なぜかきもちがことばになっていきます
かのうせいはあるとはおもいませんでした
のぞんでもだめだとおもっていました
うたがうたえたらいいなとおもってきました
どうしたらうたえるか かんがえてきました
のぞんでもなかなかかないませんでした

 そして、みんながメロディータウンという歌を歌い始めると、彼も、パソコンで歌うように、歌詞を綴っていった。歌のスピードにはついていけないが、歌い終わるまでに一番の歌詞を綴ることができた。

ながれるめろでいにゆめをのせて
いまわたしがかなでるわたしのうた

 そして、また、活動に平行しながら気持ちが綴られる。

わかっていたけどことばではなせるとはおもいせんでした
ほんとうにかんどうしています
のぞみがかなってうれしいです
すばらしいですてがつかえるとはおもいませんでした
のぞみでした
ねがいをかなえられてしあわせです
うれしいです

 「私のことはどう思いますか」と問いかけた若い女子学生のスタッフには、こんな言葉を綴った。

かわいいです
ひろいこころのもちぬしですね
けっこんしてください
でもよわいときにはたすけてあげましょう
おとこだからつよくないといけません
でもぼくにはちからがないからだめですね
めいわくをかけてしまいますね
すみませんぼくのかってなきもちだけをいってしまって
もうやめます
ねがいはふたりでどこかにでかけることです
ごめんなさい
だれでもいいです

 そして、歌う歌のリクエストが始まると、

ともだちのうた 
わたしのくるまいすおしてくれる
ともだちといっしょに
まちにでたいのところがすきです

 以前から、彼は、この歌を好んでいた。
 そこへ、他のコースが、七夕の短冊をもって、みんなも願い事を書いてほしいと入ってきた。彼も、願い事を書くことにした。
 願い事は、
 
すなおなひとになりたいとおもいます

 そしてさらにこう続ける。

ねがいごとがかけてかんげきしています
じぶんのことばでかけたのははじめてです
いいです じぶんできもちをあらわすことができて
うれしいです

 活動は、もう終わりの時間が近づいていた。

きいてくれてありがとうございます
うたのかしをかんがえてくるのでよろしくおねがいします

 帰りの集いで、今日のこのMさんの快挙についてみんなに報告した。誰もが、このことを喜んでくれた。この場所には、疑いのまなざしを向ける人は一人もいなかった。誰もが、心から、彼の喜びを共有していた。
2008年7月7日 08時19分 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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2008年06月24日(火)
関わりあいの見直し:青年学級にて
 障害が重いとされ、一見私たちの言葉を解さないように見える人との関わりにおいて、そういう人が実は豊かな言葉の世界を持っているかもしれないと考えて関わるようになったと、私はあちこちで公言してきた。そして、それは、私が参加している障害者青年学級でも例外であってはならない。しかし、これまでそのことを実践してこなかった方が一人、青年学級にいる。
 新しい年度が始まって、久しぶりに彼と再会した。これまでの、本気で語りかけることをしなかった関わり合いを改めなければと、会った瞬間に思った。
 彼は歩いて移動できるが車いすにのってやってくる。ほんとんど目が合わないため、意識しなければ語りかけのタイミングをつかむことがむずかしい。好きな物をいつも手に握りしめていて、部屋の中を歩いて、好きな物を、時には人の鞄の中からでも探し出す。まったく自分のペースで動いているように見えるので、それが、問題と感じられることも少なくない。実際、何度、彼の後を追い回って、その行動を制止してきたことだろう。
 「今日はティッシュにこだわりがある」とのご家族の言葉通り、手にはウェットティッシュと香りのよい除光液(?)のびんが握りしめられていた。
 朝の集いは、元気のよいマイクを使った司会者の声と大音量のギターやピアノの伴奏でみちあふれている。彼は、そんな時、よく不快そうな声をだし、腕をかんだりする。ギターの音は私の立てる音だが、ギターをかき鳴らしながらちらちら彼の方に目をやると、この日も、彼は不快そうな声を出していた。
 集いの後、今年度のコースを選ぶ時間があったが、その時間、床に座り込んでいる彼に、ずっと語りかけた。目立った反応があるわけではなく、これまでなら、途中であきらめていたところだが、語り続けた。そうしていると少しずつでもいつもとは違う間が生まれてきたような気がした。
 おもむろに、彼が自分の車いすの背もたれにかけた荷物をあけようとする。目的は、たぶんウェットティッシュ。これまでは、止めようとしてすったもんだして、結局負けてしまっていたが、今日は、一緒にチャックを開けてウェットティッシュを取り出した。いきなりわしづかみしそうになった彼に、一枚ずつとれるようにしたら、なんと、ていねいに3枚ほど取り出して、やめた。そしてその後もよく見ていると、ティッシュで手を拭いているようにも見えた。実際、香りのよい除光液は手につくとべたべたする。彼はただ手をきれいにしたかっただけなのかもしれない。はたしてこれを「こだわり」と見てきたのは正しかったのだろうか、そんな疑問がふとよぎる。
 コースに分かれてからも、彼に寄り添い続けたが、うつむきがちになるので、後ろから膝に抱えるようにすると背中を私にぴったり押しつけて穏やかにすわって、仲間を見渡した。ちょうど自己紹介のタイミングで、私が彼の名前と通っているところを紹介したが、彼の体はみんなに向かって開かれているように感じられた。
 別の方のトイレのために彼のもとを離れるとき、入り口で振り返ると彼の視線がこちらに注がれていて、どきっとするというようなこともあった。
 そんなふうに静かに流れた午前中の時間のあと、お昼ご飯の時、彼は、怒り出して、どうしようもなくなってしまった。せっかくうまくいっていたのにと、めげそうになったところで、仲間の女性が彼のコップにすっとコーラを注いだ。すると、それまでとはうって変わったような穏やかさでコーラを飲み干した。おいしい飲み物がほしかったことと、その差し出し方の自然さとが彼の心を和らげたのだろう。青年学級では、こういうことがよく起こる。本当の意味での対等ということが、私たちにはまだまだできていないようだ。
 午後、ひとときトイレで二人になった。3月でやめた所長さんのことや、お母さんの病気のことなどを語りかけると、彼は、低いうなり声をあげた。やはり話が通じているのかもと、思った瞬間だった。そして、トイレも彼自身のペースですませることができた。
 午後の活動の後半は歌をたくさん歌ったので、ギター担当の私は彼のそばを離れたが、歌っている間中、彼は穏やかに仲間の中に座っていた。
 そして帰りの集い、朝、あれほど不快そうにしていた彼が、がんがんとスピーカーから歌声や伴奏の音が鳴り響いていても、穏やかに車いすに座り続けていた。
 降り出した雨の中を迎えに来られたお父さんと交代して、彼と別れた。私は強く、また、次の学級日に会いたいと思えた。これが、彼との新しい始まりの一日になれば、と心から祈る。
 
 

 
 
2008年6月24日 22時33分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年05月30日(金)
「生きてゆこう」
 6月11日、町田市障害者青年学級ととびたつ会のメンバーで、相模原9条の会の講演会(講師は澤地久枝さん)において、短い時間だが、歌を歌うことになった。
 とびたつ会の活動では、被爆者の方を招いて語ってもらったことがある。そして、その時、吉永小百合の朗読のよって有名になった栗原貞子さんの「生ましめんかな」の詩にも接した。原爆投下の夜、ある倒壊した建物の地下室で、若い女性が産気づいた。その時、一人の瀕死の女性が、手伝いを申し出る。彼女は産婆だった。そして、明け方、子どもは無事生まれ、瀕死の女性は息を引き取る。その情景を語った詩だった。
 そんな経験を織り交ぜてとびたつ会では、9条の会のための歌を作った。「生きてゆこう」という歌だ。
 
 生きてゆこう 生きてゆこう このいのちを
 生きてゆこう 生きてゆこう 平和をつないで
 すべてをうばう 一瞬の光 
 どこまで続くのか この苦しみは
 わずかなあかりの中 生まれるいのちに
 私は伝えたい 希望と勇気
 
 生きてゆこう 生きてゆこう このいのちを
 生きてゆこう 生きてゆこう 平和をつないで
 私の声を聞いてください あなたの声を聞かせてほしい
 あらそいはやめて 話し合おうよ
 私は伝えたい 希望と勇気
 
 私のいのち あなたのいのち
 大切に生きたい 同じ気持ち
 生きてゆこう 生きてゆこう このいのちを
 生きてゆこう 生きてゆこう 平和をつないで
 
 スタッフ会議で練習中、一人のスタッフが涙を流しながら、訴えたことがある。彼女は障害児の母親。今、息子は、とびたつ会のメンバーとして、この歌をともに歌っている。幼い頃から体が弱く、いのちが続くことだけを願って育てた息子が、今力強く、いのちの歌を歌っている。生きてほしいと願った気持ちを、全身に受けて育ってきた息子が、今、生きてゆこう、平和をつないでと歌っている。そのことがどんなにすばらしいことかと彼女はあつく語った。
 障害という状況の中で生きていくことと、いのちの問題は直結している。そして、いのちは平和とかたく結びついている。
 ある重度肢体不自由をもつ高校生が、語ったことがある。それは私の挑発に応えたものだった。私の挑発とは、障害の重い子どもの中に世界平和のことなどをつづる子どもがいるんだけど、そういうことを書くと、その子の言葉じゃないと言われてしまうということだ。すると、彼は次のように即答した。

せかいへいわのことぐらいどんなこどもでもかんがえています だってぼくたちはへいわなしゃかいでしかいきてゆけないのですから。ちべっとのしょうがいしゃはどうしているのでしょうか。きっとつらいおもいをしているのでしょう。だからへいわがひつようなのです。

 本当にその通りだ。激しい戦闘の地域で、どうやって彼らは生きてゆけるのだろう。平和をめぐる議論は単純なものではないことは私もわかっているつもりだ。しかし、こうした事実に、世界がもっと耳を傾けることがどれほど重要なことか。 
 私たちは、私たちの仲間とともに、せいいっぱい思いを歌う。仲間たちにしか伝えられないことをともに伝えていくために。  
2008年5月30日 01時48分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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