ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年03月20日(日)
3月のきんこんの会の中止のお知らせ
 3月29日のきんこんの会は中止とさせていただきたいと思います。
 ブログにも書きましたが、埼玉アリーナで、この災害の現実のほんのいったんにですが、肌で触れさせていただきました。ただただ、大きな悲しみが時間によって癒されていくことと、生活が再建されることを祈るばかりです。
 きんこんの会ですが、何とか実施したいと考えておりましたが、車のガソリンの事情や交通機関の乱れ、計画停電など、円滑に会を行うことにいくつか困難な要素があることと、私自身、新学期を前にして、臨時の対応がありそうなので、残念ながら、今回は見送らせていただきたいと思います。
 こんな時期だからこそ、一人ひとりの思いを表現し合っていくべきだと思いますが、残念です。
 すでにブログでも紹介していますように、何とかお会いできた方々は、この大災害について、独自の考えを紡ぎ出しています。また、そういうものを紹介していきたいと思います。
2011年3月20日 08時56分 | 記事へ |
| 大学 |
さいたまアリーナでのボランティア活動
 19日、さいたまアリーナに福島県から避難してきた方々に対するボランティア活動に参加してきました。やったことは、まず段ボールを近くのスーパーからもらいうけることでした。次に、持ち込まれる品物の仕分けです。大勢の人がいろいろな物を持ち寄って来られ、それをどんどん仕分けしていく作業です。大勢の人が本当に懸命に物を持ち寄ってくる姿をまのあたりにしました。そして、続々と福島県から避難してきた方々が到着すると、今度は、毛布の運搬作業でした。布団があって毛布もあるのではなく、基本は毛布一枚で一晩を過ごすということでの毛布でした。
 そして、今度は、高齢者施設の方々の避難場所の設営です。固い床の上に段ボールを敷き詰めた上に2枚の毛布をしいただけの場所に、けっして健康とは言えない方々をお連れすることは、とても心苦しいことでした。そしてそこへ夕食を運びました。おかずのあるお弁当を見たときに一週間初めておかずのある食事がとれるとおっしゃいました。命がかかっているとしきりに責任者の方がおっしゃっていたのは決して誇張ではありません。認知症とされ、何も反応していないかのようなお年寄りの心にどんな世界が繰り広げられていたか。とても気がかりでした。中には高齢の知的障害の方もいらっしゃいました。
 3か所の避難場所をまわったとのことでしたが、そこでは、おにぎりとパン以外は食べていなかったとのこと。そして、自ら津波を経験した方が、あれは経験しなければわからないと繰り返しおっしゃっていました。
 被災地の惨状はまったくない埼玉の地に、しかし、確実に大変な状況を生きる方々の生々しい現実がありました。
 途中で、私の授業を受けていた1年生に会いました。来るべき若者が来ていたことにとても励まされました。彼は、東北の大学に行っていて、そこで地震に会って戻ってきた友達に誘われてきたとのことでしたが、学生ボランティアが動き始めたということを感じました。
  おそらく、今、まさに東北関東大震災のボランティアが始まったとのだと思います。東北でのボランティアはもう少し先になると思いますが、すでにこの関東地方にボランティアのニーズが生まれています。
 
2011年3月20日 00時48分 | 記事へ |
| その他 |
2011年03月17日(木)
東北関東大震災のこと 病室からのまなざし
 東北関東大震災の被災者の方々に心からのお見舞いを申し上げるとともに力強い復興をお祈り申し上げます。

 地震の前の約束をキャンセルせずに病院にうかがった。2時過ぎにうかがうと先に到着しておられた先生から、今日は3時過ぎから停電になるかもしれないと言われた。停電になった際の人工呼吸器等の機器の管理で、看護士さんたちはあわただしく立ち働いておられた。○○君の愛用のラジオは、ずっと震災のニュースを流し続けていた。いつもよりも音量が大きかったのはきっとお医者さんや看護士さんたちも情報がほしくてラジオの音量をあげたのだろう。もし計画停電が実施されれば1時間弱の時間で、☆☆さんと○○君の気持ちを聞かなければならないので、大急ぎでパソコンを開いた。
 ☆☆さんの言葉は、やはり、この大きな災害にかかわることだった。

 いい季節になったと喜んでいたらこんな大変なことになってとても驚いています。
 なぜこんな悲しいことが起こるのかわからないけれど小さいときからどうして私には障害があるのかと考えてきたのでみんなよりはよく考えられるのかもしれないけれど全然わかりません。
 小さいときはよく神さまをうらんだりしたけれどじっと煩悩ということを考えて望みだけは失わないようにしてきたのだけど、理解できないほどのできごとでした。
 びろうどの未来が被災者にも訪れることが唯一の願いですがどうなっていくのかとても心配です。みんなずっと人生を投げ出さなければいいなと思います。


 人間を襲う誰のせいでもない理不尽なできごとについて考え抜いてきたけれど、今回のことはわからないという彼女の気持ちは痛いほど伝わってくるものだった。
 ここで彼女は、私に「先生はどう思いますか。」と尋ねてきた。私には答えきれない問だったが、私は私なりに方丈記の地震や飢饉に関わる記述、良寛の地震に関しての言葉などを印象深く読んでいた自分には、「煩悩」という言葉を使った☆☆さんの考えは親近感を感じたので、「私の考えもあなたの障害ついての考えに近いと思うけれど、それをはっきりというほどわかっているわけではないのでなかなか大きな声で胸をはっては言えない」と答えた。すると彼女はこう続けた。

 ごめんなさい、へんなことを聞いて。本当ですね。本当のことをわかっている人は誰もいないですね。
 小さいときからの疑問でしたがようやく答えが見えそうだったのにまたわからなくなりました。
 人間というのはむずかしい存在ですね。病院にいるとそういうことをよく考えさせられます。


 もっと話を聞きたかったが、限られた時間なので、○○君のベッドのほうに行った。彼もまたこの大きな震災に関するものだった。

 生き死にということを考えました。なぜこんなことが起こるのかよくわからないけれど何千人もの人が亡くなったのがとてもわかりません。人生を途中で断たたれてしまって。よくわからないけど目的というのが本当に持てなくなりそうです。なぜぼくが生きているのか、なぜ私たちの苦しみがあるのかなど、わからなくなりそうですが、理想は理想としていいこんなわかり方があるかぎり目的を大切に生きていきたいです。理解できない悲しみにもきっと意味があるのでしょうね。わかるのはむずかしいかもしれないけれどどうにかしてぼくも生きる意味を見つけたいです。みんなもきっと同じだと思いますから。ぼくもどうにかして生きる意味を見つけ出したいと思います。わずかな希望さえあれば人間は生きていけるということをぼくたちがどこまでも証明してきたのでみんながんばってほしいです。
 私たちの仲間のことがとても心配です。願いはもっと私たちの仲間のこともニュースで伝えてほしいです。ぼくたちのことをもっと理解してほしいです。
 ぼくたちも生きていると世界に向かって言いたいです。分相応ではなくて望みどおりに生きたいですからよろしくお願いします。


 途中、停電の予定時刻が来たけれど、幸い停電はなく、会話も続いた。一緒に訪問した先生は、被災地でたくさんの人々が支えあっているという話を○○君に聞かせた。すると彼はこう語った。

 ぼくたちのことと同じですね。ぼくたちもいろいろな人に支えられているので、ごらんなさいぼくたちのことをと言いたいです。そうですね。未来のみんなの幸せはそこから始まるということですね。
 どうにもならない苦しさも勇気を出せば乗り越えられるということがわかりましたからだれでも人間は同じだと思います。こんなにたくさんの人が亡くなると悲しいけれど大切なことがよくわかるのですね。
 どうにかしてぼくたちのことを世の中に伝えたいけれどみんなぼくたちのことを何も考えていないと思っているのでわかってもらいたいですね。


 ☆☆さんも○○君も、障害という状況の中で生きる自分たちと被災された方々とを重ね合わせて理解しようと懸命だった。
 そして、☆☆さんに向けて次のように書く。
  
 ぼくたちにも勇気を持って生きる心があるということを、人間だから心があるということを、悩みも当然あるけれどみんな希望を持って生きているということを伝えたいですね。☆☆さん。
 
 容易には届けられないけれど、こういう思いで被災地を見つめているまなざしがあるということを、ともかく記しておきたいと思う。

 

2011年3月17日 10時19分 | 記事へ |
| 小児科病棟 / 東日本大震災 |
2011年03月08日(火)
青年学級の成果発表会の日に
 青年学級の成果発表会のあと、みんなで集まった打ち上げの場所で
いろいろな人の言葉を聞いた。
 Mさんは、もう長いこと生まれ育った地域を離れて、施設で暮らしてきて、現在はグループホームで暮らしている方だ。まったく離せないというわけではなく、かなり上手にコミュニケーションもとれるかただが、細かな気持ちの表現はむずかしく、以下の詩もパソコンを用いた私の援助で初めて表現できたものだ。だから、彼女の内面にこれだけの世界が広がっているということは、誰にも理解されずにきた。今回は、いきなり詩を書いた。

   小さな冒険

ひとりで旅に出かけてみよう
私は雪の輪の中で
実のなる木になるために
小さな祈りをささげる
人間としてもう一度
若い冒険をしたいけれど
もう私には忘れてしまった過去のこと
冒険もだれかに私を何度となくじゃまされて
わずかな夢も奪われて
私はいつも用なしの寂しい実のならない木だった
しかし私も冒険にようやく旅立つ時が来た
ランプに明るい火がともり
涙もようやくかわいてきた
冒険に出る時は今だ
のんきにかまえていられない
望みをもって旅立とう


 次のSさんは、何度となく精神的に苦しんできた女性である。ある程度コミュニケーションをとれるけれども、Mさんと同じく、こうした内面の世界が広がっていることはほとんど知られていない。
 

人間だから夢がある
理想にみちた夢がある
わずかなあかりが見えている
わずかな未来がみえている
涙をふいて理想の夢をかなえるために
光をめざし旅立とう

つらいのは気持ちがうまく言えないことです。未来が開けてきました。勇気が湧いてきました。


 次のIさんは、Mさんと同じ施設からやはり現在グループホームで暮らしている男性である。最初に散文のように話したあと、祈りを聞かせてくれた。

 みんな言いたいことがうまくいえずに困っているのでわかってもらえてうれしいです。勇気をもらいました。人間としてぼくたちを認めてもらえる日が来ました。ぬいぐるみの人生にさようならです。理想的な方法ですね。夢のようです。人間として認められてよかったです。人間だから気持ちがありますので認めてほしいです。人間としての誇りをとりもどしたいです。よいぞくぞくする方法ですね。未来を作りたいです。ろうそくのあかりをともしたいです。よい願いを理想にがんばりたいです。夢のようです。ないけどときどきねがっています。願いはいつも詩のようです。

人間として生きさせてください
どうかみんなのようにりこうな頭をください
理想は遠いランプの光だけど
遠いばかりで届きません
よいぼくはわずかな希望を求めて
今、願いの祈りをささげます
毎日ちがうけれど何でも祈っています

 神様を信じているわけではないけれど祈っています、いつも。

 
 次のKさんは、MさんやIさんと同じグループホームで暮らす情勢である。最近青年学級にやってきた方で、まだ、言葉数は少ない方だが、コミュニケーションはだいたいとれる方である。 

 小さいころから人間あつかいされずに生きてきたのでうれしいです。望みは私の詩に歌をつけてもらうことです。

    白い望み

白い望みを願いにかえて
私は未来を待ち望む
小さい理想は私だけのもの
理想はとてもかなわないけれど
人間としてわずかに見える希望にむかい
私は勇気を忘れずに
理想にむかい望みのままに
理想の道を
困難なろうそくのあかりをともしつつ
歩んでいこう
ランプのあかりはまだともらないけれど
私は私の理想にむかい
小さな声を出しながら
わずかなわずかな私の希望をめざして
私は夜の闇を乗り越えて
理想にむけて旅に出る


 次のHさんは、ほとんど発語はない男性だが、やはり、同じ施設から現在はグループホームで暮らしている。

小さいころに見てきた夢を
もう一度取り戻すために
もしぼくに力があったなら
ぼくにも夢はかなえることができたはず
なろうとしてなったわけではない障害がぼくはにくい
なぜぼくの気持ちはだれにも届かない
未来の夢にぼくはひとすじの願いをたくす
小さい理想かもしれないが
ぼくは理想をいつまでも失うことなく生きていく
わずかな希望をたのみにして


 次のKHさんも、また、同じ施設からグループホームで暮らしている女性だ。発生がやや不明瞭なため、十分には気持ちを聞き取ることができないけれど、音楽が大好きで、聞くとすぐに踊り出す女性である。お母さんへの切ない思いを短いに詩に託した。

元気で過ごしているかしら
私のおかあさん
夏にはのどが渇くと水をくれ
冬にはかじかんだ手に息を吹きかけてくれた
何でも許してくれた私のおかあさん
元気でいるかしら


 最後のKTさんは、実は、一般就労の経験さえある男性だが、コミュニケーションも普通にとることができる方で、まさか彼がこの方法を必要としているとは思えなかったが、この間、一緒に飲んでいるときに、突然、「柴田さん、ぼくにもパソコンをやってほしい」と言い出して、確かに口頭で語っているものとは一味異なる気持ちを表現してきた。今回の詩は、半ば即興的につづられたものだ。

不思議な風がふいてきて
勇気がなんとかわいてきた
理解者は少ししかいないけれど
りんどうの花のようにみずからを何もかざることなく
娯楽のない世界をすなおに言い出すともなく生きている
忍耐の喜びを知るそんなりんどうのように
私たちも生きていきたい
忘れられない思い出のにおいをたよりにしながら
ぼくを育ててくれた両親に感謝しながら
誤解されてばかりだけど
楽な生き方ではないけれど
りんどうの花のように生きていこう


 
2011年3月8日 12時26分 | 記事へ |
| 青年学級 |
2011年03月02日(水)
穏やかな瞳
 ある通所施設でのできごと。重度の肢体不自由の○○さんは、私とのやりとりの中で、同じ通所施設の重度の自閉症と呼ばれる◇◇さんとともにたたかわなければならないと言った。
 その通所施設を訪れ、◇◇さんと一室で向かい合った。パソコンに向かうには、まだ落ち着かないから少し待ってほしいと手を振る会話で伝えてきたので、少し待っている間に、私は、この○○さんの言葉を伝えた。すると、突然、◇◇さんは座っていたいすから立ち上がり、パソコンに向かってきて、次のようにつづった。

 聞いてとても感動しました。まさかぼくをそんなふうに見ているとは思いませんでした。勇気が出てきました。勇気と未来が見えてきました。やっとぼくたちのことが理解される一歩が踏み出せました。理想的な話です。ぼくもがんばって未来を切り開きたいです。

 前回、向かい合ったとき、◇◇さんは、なかなか進まない理解にいらだちをぶつけてきていたが、今回は次のように話が進んでいった。

 雪を見ながらぼくは遠い昔を思い出していました。雪はすべてをゆるしてくれます。悩みも苦しみも雪は忘れさせてくれます。何度となくぼくは綿のような雪を見ながら泣いてきたことでしょう。涙は流れなくても心の中では泣いています。涙は流れなくてもつらいのは同じです。涙は出なくても泣いているのは同じです。みんなもきっとそうです。挽回したいです。悩みや苦しみを乗り越えてぼくもごんごんいい未来を作りたいです。勇気はまだまだたりないけれどぼくにも大丈夫だという気持ちが湧いてきます。不思議です。どうしてこんなに気持ちが落ち着いていられるのか。雪の話をしたからでしょうか。雪の話を小さいころからよく思ってはわずかな希望をなんとか作り出そうとしてきましたから。どうしても未来を切り開きたいです。悩みや苦しみを越え未来を切り開きたいです。雪を思いながらぼくは雪のようなきれいな心をとりもどせました。

 前日もみぞれまじりの雨が降ったが、きっと彼は半月前に関東地方に降った雪のことを言っているのだろうと思った。そしてさらに穏やかな瞳で遠くを見つめるようにしてさらに言葉は続く。

 瑠璃色の光もつらいときの理想です。青の深い瑠璃色がすべてを忘れさせてくれます。小さいときから大好きでした。みんなもきっと同じだと思いますから聞いてあげてください。どうにかして未来を切り開きたいです。みんなも未来を切り開きたいのですね。夢のようです。仲間が仲間として仲間らしく手を取り合えたすてきですからがんばりたいです。涙が出るくらいうれしいです。ぼくが先頭なんて恥ずかしいけれどがんばりたいです。悩みもつきないけれどなんだか未来が開けてきました。緑の風が吹いてきたみたいです。勇気がもっとほしいです。分相応人生におさらばです。×××(通所施設の名前)は本当にいいところです。残りの人生を豊かなものにしたいです。奈良の仏像の話もあります。奈良の仏像は雪と同じように悶々とした気持ちをとかしてくれます。奈良に行ったことはないけれどランドセルの中にはいっていた本で見て好きになりました。奈良にもいつか行ってみたいです。分相応の敏感な人生ですが奈良の望みを大切にして行きたい。人間としての悶々とした気持ちが晴れていくのがわかります。奈良の仏像のような静かな心を大事にしたいです。夕焼けも大好きです。ランドセルを背負って見た夕焼けがなつかしいです。ランドセルを背負ったぼくはとても無邪気な子供でした。奈良の夕焼けが見たいです。人間だから心があることをわかってくれてありがとうございました。
 
 瑠璃色の光は本当に多くの人が大切にしているものだが、彼は、さらに奈良の仏像について語る。きっと慈愛に満ちた顔をした仏像のことなのだろう。
 「心の理論仮説」というものがある。自閉症の人は相手が心についての理論を持つことが困難だという。しかし、真実は、私たちがそういう方々の中に当たり前の、人間としての心があることを理解できないということになるはずだ。
 1時間、とうとう立ち上がることもなく、ずっとパソコンに向かい続けた姿も初めてのものだった。その姿は、◇◇さん自身が慈愛に満ちた仏像の姿だった。
2011年3月2日 08時55分 | 記事へ |
| その他 |
2011年02月28日(月)
秘かに綴られてきた俳句
 ○○君のお宅に久しぶりにおじゃました。前半は、彼の理解されないことをめぐるやりとりをした。

 こんにちわ。黙ったままでは全然変わらないから悩んでいます。みんなはどうしているのですか。万難を排してでも頑張って伝えたいです。小さい時から万難を排してという言葉が好きでした。負けないでどうにかして生きていくためにはどうしても必要な言葉でしたから。自分の分でも何かができると思うのでずっと願ってきました、僕を本当に理解してくれる人が現れるのを。小さい時からの夢でしたからうれしいです。僕にも何かできるでしょうか。

(表現していくことができるのではないでしょうか。)

僕なんかが考えていることがどんな意味があるのですか。

(○○君たちを当たり前に考えている人間としてまだ社会が認めていないということは、まだ社会が未完成ということで、その社会が完成に一歩近づくためには、○○君たちを受け入れていかなければならないのだけど、それは、○○君のような生き方をした人にしかわからないことを社会が理解していくことだから、○○君たちの考えていることにはとても大きな意味があると思います。)

 勇気をもらいました。みんなをもっと輝かせないといけないということですね。何だか道が開けそうです。理想的な話しですね。夢のようです。勇気が出てきました。私たちをもっと輝かせたいのでよろしくお願いします。人生の目的が見えてきそうです。

 ここで、少しお母さんが読み取れるようになるために、援助による筆談の練習をして、だいぶ読み取れる字があった。もう少し筆談の練習をしようかと尋ねると、まだ、言いたいことがあるからとパソコンを選んだ。そして、突然、○○君は、自分の俳句をあふれんばかりに書き出していった。

 小さい時から俳句を作りたいと思ってきましたから作ってみました。聞いてください。

石畳 匂いくる花 茫洋と
地味に咲き分相応の夜の花
人生に逃れられない雪積もり
銀紙の輝きによい三日月を
人生をつらくながめて願う人
人生と開かれた野に咲く花を
五と六の間にはみな尽きる背(せな)
ずっと未来を願っていた人が五十歳を過ぎたのに願いがかなわなかったということです。いいえ想像上です。
人生に願いを持ってランプの火
五浪してまた立ち上がり涙拭く
作られた願いのように湧く泉
ずれないとわからないのは過ぎた夢
ずっと読む光の手紙盗まれず
絶対に理解できないもらい泣き
(もらい泣きをしても本当の心はわからないということです)
包まれた光を開き 分を越え
全体の 勉強を逃げし 夜明ける
ずぼんどけ ならいし望み 野良に捨て
(ずぼんは作られた願いのことです)
ゼラニウム咲く 年末の 良き香り
強い気を 貫いて待つ 冒険の
電話出ず 別の用事に 盗む夢
(電話にも出られずに忙しくしていると夢が盗まれてしまうという意味です)
ずっと待つ 希望の光 涙拭き
つらい日を わずかにランプで 照らし 過ぎ
地雷踏む 理想除かれ 無に帰る
ずっと乗り 疲れた願いの 空を飛ぶ
銀世界 ぶよぶよの体 野に横に 
地位 ともに 失いたる日 月を待つ
群青の光とともに 南風
強く伸び 水を吸い上げ 花開く
月夜の戸 開かれてまた閉じられて
小さい音(ね)呼びかけて ぬくもり聞こえたり
分相応 未来のろうそく持たぬ身の
願いの実 飲み込んで待つ 光る鳥
人間と 認められた日 澄んだ部屋
小さい野 みんな緑に 日を待って
疲れた野 緑失せゆき 老人に
群青に 輝く瞳 願い寄せ
夢と知り 生意気と知り 一人泣く
ずれてなお 分を越えてし 未来の日
よく泣いた日を持ちゆらぐ 海香る
鳥の声 過ぎた昔の笑いの音
緑の実 弁解をした 木曜日
ねえさんの空しい瞳 願い満ち(未知?)
人生を何度も楽にと 凡庸に
人間の目標のよう 吹く風は
つらい野の 静かな風に 小さい夜
小さい日 月はわずかに照らし 友
人生の 力にと 植え 花開く
 
 どんどん出てきます。もちろん前に作った俳句です。まるで魔法のようです。どうしてこんなにすらすら思い出せるのか不思議ですがぼくのです。


 全部で52句あった。驚異だった。長い間に作りためていたものを一気にはき出したのである。このうち4句は、どこかに投稿することを考えて、この中からは省いておいた。ブログで紹介してしまうと、未発表作品にならなくなってしまうからだ。
立ち会っておられたお母さんも弟さんも、その俳句の内容の重さと、その数のあまりの多さに言葉を失ってしまったし、私も、夢でも見ているようだったが、私がこれだけの俳句を書けるわけもなく、純然たる事実として、52句の俳句がその存在をずっしりと主張していた。
2011年2月28日 23時23分 | 記事へ |
| 家庭訪問 |
2011年02月19日(土)
☆☆さんとの再会と新しい出会い
 小学生のころ、初めて私とパソコンで言葉をつづった☆☆さんと、ある地方の都市で再会した。私が長年お世話になってきた先生の退職にかかわるあるパーティーの会場だった。会場には先生のゆかりの方々がおおぜい見えていたが、その中には先生にお世話になった何名かの障害のある方々が見えていた。みんな幼少期に先生に出会い、すでに大きくなっている方々だ。
 ☆☆さんの言葉については、私はきっかけを作ったに過ぎなかったが、彼女をとりまく先生方やご家族の努力で、彼女はパソコンから援助による筆談の方法に移行して、母親や教師たちとの会話が可能になり、無事、中学部を卒業して、高等部は、受験をして一般の高校生と同じ教科学習を行っているコースに合格し、勉強を続けている。彼女の希望は、地元の大学に進学することだ。もちろん、独力で表現ができないため、予想されるハードルは決して低くはないが、少なくともそのハードルを越えるための挑戦が始まっているということ自体がとてもすばらしいことだ。
 私は自分の手を振りながら「あかさたな」と聞いていく方法で再会した彼女と会話した。パソコンを使わずに速いスピード読みとっていく方法の進化には目を丸くしていたが、何年ぶりかの再会を喜んでくれ、現在の状況などたくさんの会話をすることができた。
 その会話の中で、私たちのそばの少年が同じ学校の1歳年下の友人○○君であることがわかった。私は、何年か前に養護学校で彼にあったことがあるような気がしていたのだが、その時には言葉を引き出せたわけではなかった。ただ、今回はもはや彼に言葉があることを疑う余地はなかった。☆☆さんに彼のことをいろいろ尋ねると、もちろん彼にも言葉があると思っているという。そして、それに併せて、私と会って以降、☆☆さんは言葉がある子どもとしていろいろと特別に手厚く扱われてきたけれど、本当はみんな同じなのにという気持ちを伝えてきた。
 私はひとつ提案をした。私の方法は、今仮にうまく彼と話せても今夜限りのものになってしまうので、お母さんが☆☆さんにやっている筆談を○○君にやってみたらと思うのだが、それをお母さんに提案していいだろうかということだった。☆☆さんの目はきらりと輝いた。お母さんがほかの人の通訳ができるなんて考えてみたこともなかったけれど、ぜひやってもらいたいというものだった。そしてそのまま、お母さんに事情を説明した。お母さんは、まさか私ができるのでしょうかと大変驚いておられたが、私が勧めると引き受けてくださった。
 そして、○○君の元へ向かった。いきなりやってきた私に○○君もお母さんも驚いていたが、お母さんも彼がいろいろなことを考えているということはわかっているということだったので、さっそく彼の言葉を聞き取ってみた。彼は突然のできごとに大変驚いていたが、☆☆さんのようにいつか自分も話せたらと思い続けていたとのことで、ようやくその日が訪れたことに満面の笑みとともに喜びを表現した。そして、☆☆さんも特別な扱いを受けていることに胸を痛めていることはわかっていたということも語った。
 そして、実は、☆☆さんのお母さんなら、筆談という方法で○○君の言葉を読み取れるということを伝え、☆☆さんのお母さんをそばに呼んできた。おそるおそる○○君の手をとった☆☆さんのお母さんは、深い集中をこめて、読み取りを始めたが、それほどの困難を感じたご様子もなく、ゆっくりとではあるが、○○君の言葉を読み取っていった。最初の一言は、「もっと食べたい」という言葉で、それは、目の前にあるパーティーの食事のことだった。
 新しい始まりの瞬間だった。○○君のお母さんと☆☆さんのお母さんはもともと親しい間柄なので、さっそく☆☆さんのお母さんは○○君のお母さんの手をとって、筆談の援助の方法を伝え始めた。すぐにうまくいったわけではなかったが、お二人とも、この新しい展開を確かなものにしたいと今後にむけていろいろなお話をされていた。
 そこへ、退職なさる先生から、◇◇さんにも関わってほしい旨の伝言をいただいた。主役の先生は、たくさんの人に囲まれてお忙しかったわけだが、その合間のことだった。そして、◇◇さんのもとに向かった。会ったことのあるような気がしたのは、何度も映像を拝見していたからだが、初対面だった。◇◇さんは4歳までは見えていて、それ以降は全盲になったとのことだが、さっそく手をとってみると、すらすらと言葉が語り出された。あまり時間がなかったので、すぐにお母さんに方法をお伝えした。すると、すでに「はい」と「いいえ」は手を握り返すことで返事を読み取れているということで、あかさたなの方法がけっこううまくお母さんにも伝わった。すでに成人した◇◇さんが最初に語った気持ちは、これで一人でも生きていけるかもしれないという言葉だった。そして、今日は、自分を大切にしてくれた先生のお別れの会だったので寂しい気持ちをかかえて来たのだけれど、こんなことに出会えて本当にうれしいということを語った。
 お母さん方へこうして広がりが生まれそうな可能性が見いだせことの意味は少なくないような気がした。パーティーのさなかでの突然の出会いだったが、新しい一歩が踏み出せたような気がした。
2011年2月19日 19時51分 | 記事へ |
| 他の地域 |
2011年02月10日(木)
森をつくろう
 あと1年あまりで社会人となる○○君は、卒業の時期が近づき、様々なことを語った。そして地域で生きていくことをテーマにした詩と、その詩を歌にして聞かせてくれた。

こんにちわどんなに理解されなくてもこうしてわかってもらえる仲間がいるのでぼくはなんとかがんばってこれたけど、また卒業してお別れいうのがもう何回も経験したことだけど寂しいです。みんなも何とかがんばっていくと思うけれどわかってくれない人しかいなければつらいと思うのでどうなっていくのか心配です。
 地域で生きていくというのはどういうことなのか聞きたいです。地域で生きたいけれどむずかしいですね。でもなんとかして地域で生きていきたいです。どうにかして中身を変えたいです。どうすればいいのでしょうか。私たちを世の中が理解してくれるにはどうやったらいいのでしょうか。わからないけどがんばりたいです。
 詩を聞いてください。地域で生きていくことがテーマです。

 森をつくろう

小さな昔のみんなの願い
なんども空にこだまして
遠くの森に消えていった
ほんとうの森はどこにある
ぼくたちを育み
望み通りに育ててくれる
小さいころ森をぬけ
別の世界に来てしまい
森に帰れずに困っている
そんなぼくにも森の声が
はるかかなたから聞こえてくる
理想に満ちた新しい森を
みんなでもっと作ってゆこう。

 歌:森をつくろう

森をつくろう僕らの森を
不思議な歌や夢に満ち
願いのかなう不思議な森を
小さい願いに願いを重ね
ひとりひとりの声を集め
願いの森をみんなでつくろう。


2011年2月10日 18時58分 | 記事へ |
| 自主G多摩2 |
苦しみからの解放と「苦労をかけた母に」
 仲間の死というたいへん悲しいできごとがあって訪れた○○さんは、次のような話を聞かせてくれた。

  つらい話がありました。☆☆ちゃんがさくじつ亡くなりました。たいへん悲しいですが、私たちはそういうことがよくあるのでつらいですが、いまどうすることもできなくて悲しむだけです。私たちのいい生き方をもうすこしわかってほしいです。苦しむのはもういやですが、しかたありませんね。苦しいけれどあきらめるしかないのがつらいですが、また明日から私たちも前を向いて生きていかなければいけませんから、元気が欲しいです。こうして話せてよかったです。いつもひとりで夜中に考えているので、とてもつらいです。苦しいけれど乗り越えていかなければ苦しみに負けてしまいますから。苦しみに負けてしまうともう生きていけなくなってしまいますから。少しでもわかり合う仲間をもっとわかってあげられる必要があります。
願いはみんなの気持ちをもう少し聞いてあげることです。勇気がほしいです。苦しいことが多いので私たちはもう少し頑張らないといけないと思いますが、そういうことをまだわかってもらえていないのでとてもつらいです。そういうことというのは、私たちが言葉を理解しているということです。
運命を受け入れるという言い方がとても私を苦しめますからきらいです。苦しいけれどとてもうれしいです。こんなに話ができて。苦しいけれど私も人間と言う気持ちがしてきます。苦しいけれど言いたいことが言えてとてもいい気持ちですが、今日は内容がつらいのでとても笑顔になれませんが夢みたいです。苦労してきたのでうれしいですが、多くの人の気持ちを聞いてほしいですが、むつかしいですか。
苦しいけれど、こんなに話せてうれしいです。苦しみから少し解放されそうです。苦しみからの解放は私たちの願いですから.苦しみからの解放という言葉を考えてきたので言えてよかったです。そうですね。もう少しで私も苦しみに負けててしまいそうでしたから。苦しみからの解放という言葉がようやく分かってきたような気がします。


 そして、詩を一編聞かせてくれた。


   苦労をかけた母に

暗闇から見えてくる明るい光を私は待っている
暗闇の光はまだ見えないけれど
私は信じている
少しだけ苦労してきたけれど
私の苦労はまるで苦労とは言えないくらい小さいもの
苦労してきたのは本当は悲しいけれど私の母だ
そういう苦労を乗り越えて私は今生きている
そういう苦労をまるで苦労と思わず生きてきた母に
私はいつも勇気をもらう
私の勇気をくれた母に私も幸せを返したい
疲れてしまっても望みをけっして捨てなかった母は
手の中に私を抱えて歩んできた
望みを残して生きてきてくれて
望みを消さないで生きてきてくれて
いつも前を向いて私を導いてくれた母にありがとうと言います


 いつも笑顔の○○さんが、今日ばかりは、終始うれいをたたえながら、ずっしりと重い気持ちを伝えてくれた。
2011年2月10日 00時21分 | 記事へ |
| 自主G多摩1 |
2011年02月01日(火)
りんどうの詩
 20代の女性○○さんが綴ったりんどうの詩。

きびしい寒さを超えてきたすてきなりんどうの花
みんなに守られながら咲く部屋の栽培された花とは違い
人間にもほっとかれたまま
みんなひっそりと空を見つめて
きらきらしたまなざしは光の束となって夢に降り注ぐ
人は皆ようなしというけれど
人間にはわからない
なぜりんどうにもずっと悩みがあることを
それはいつか小さな冒険をして
夢の中で見た緑の森に旅をすること
なぜなら緑の森には不思議なりんどうの道があり
そこには人間になれる不思議な水が湧き出している
いつかりんどうはその水を飲みにんげんとして生きていきたい


 そして、いろいろな話を聞かせてもらった後、聞いてもらいたいことがあると言って、次の詩のような言葉を述べた。

じっと耳を澄ませているとずいぶん昔
楽しくみんなで語り合っていたことを思い出します
小さいころからつまらなかったことは
ろんろんした気持ちになれたのは一人で冒険をしたときのことです
どよめきを見ながら
もくもくと望みだけを頼りに
ドーベルマンは風に向かって駆けだした
ほんとうの冒険はどうやったら始まるのだろうか
小さなばーんというなまりのこだまして
小さく砲弾はどこかに砲弾の穴を開けてしまった
どのくらい呼ばれていたのかはわからなかったが
私は不意に我に返り
何も望み通りには行かなかったけれど
人間としてごらんなさいというメッセージだけを
知らない人に向けて発したいと思った
 


 おそらく即興的に作ったものなのだろう、いつものようには完成されていなかったが、思いはびんびんと響いてくる言葉だった。
2011年2月1日 01時19分 | 記事へ |
| 研究所 |
3月のきんこんの会について 3月29日火曜日に行います
 1月のきんこんの会は無事終了しました。
 今回は、みんなが作っている歌のことをひとしきりしたあと、地域で生きることについて話をしました。詳細は別の機会にまとめます。
 2月はお休みさせていただいて、3月は29日火曜日2時から開く予定です。
 参加はご自由ですので、ご興味のある方はどうぞ気楽にいらしてください。
2011年2月1日 01時12分 | 記事へ |
| 大学 |
2011年01月17日(月)
私たちのことをのけものにしない社会はそんなに遠くない
 年が明けて、ある高校生の女の子とお会いした。年始のあいさつに続いて、やや悲痛な言葉が語られていく。そこで、できるだけ話し合いながら関わり合いを進めていった。

あけましておめでとうございます。
なかなか誰も信じてくれないけれど何もわかっていないと思われるととてもつらいです。誤解ばかりされて困っています。

(その笑顔は返事には使えてないのですか。)
まだ返事には使えていません。
(うまく返事ができないことがあるかもしれないけれど、うまく笑えた時はへんじできてますよね。)
はい。でも私にはむずかしいと思われていてやってくれません。字の勉強はまったくしてくれません。
(でも、いい先生はいるでしょう?)
いい先生はいますがなかなか信じてくれません。
(二人だけの時にこっそり話しかけてくる先生はいませんか?)
います。とてもいい先生です。このあいだ名前を聞いてくれました。名前を聞いてくれた先生は勇気がいることだけどと言ってくれました。どんなことでもいいから話しかけてほしいです。
もう少しじっとしているとぼんやりしていると言われてしまいます。

(いろいろ考えているんだよね?)
はいそうです。私はいろいろと考えていますが何も考えていないと言われてしまいます。
(いい先生にはとにかく話しかけてもらいたいんですよね?)
何でも話しかけてくれます。
(他の人が言ってたけれど、すべての人を受け入れたいのに、こういう状況だと受け入れられなくてそのことがまたつらいでしょう?)
そうですね。理想は平和な人になることですがなかなかうまくいきません。
(でも、あまりわかってくれない先生も、どうしていいかわからず、ほんとうは困っているんですよね。)
そうですねとてもよくわかります。何もわからない人とつきあうのは大変ですから。どうにかしてわかってもらいたいです。(もう少し時間がかかるかもしれないね。)
そうですね

「奈落の底」という詩を作りました。

どこにもあかりが見えないの
目の前はもう夜の闇
奈落の底に落ちこんで
深いぽののも泣いている
りんどうの花はどこにあるの
私は理想を失いかけて
奈落の底で泣いている
でもひとすじのあかりがぼうっと遠くに見えている
なかなかそれは近づかないけれど
私は瑠璃色のあかりを求め
理想をなくさずに生きていく。

ぼうっとみえるあかりが早くはっきりとした明かりになってほしいです。
夢のようです。言いたいことがすらすら言えて。ほんとうに速いですね。

(あなたがその時、何をしているか説明してもらえますか?)
はい。聞いていてここだと思うだけなので本当に楽です。
悩みが少し晴れました。私たちのことをのけものにしない社会はそんなに遠くないという気がしてきます。うれしいです。また話を聞いてください。そろそろ時間ですね。


奈落の底にいる彼女に、遠いけれどぼおっとひとすじのあかりが見えていることが救いだ。
夜明け前は、思いのほか長い。
2011年1月17日 20時49分 | 記事へ |
| その他 |
2011年01月13日(木)
ちいさなぼく
 三〇代の半ばも過ぎた、寡黙で動きの少ない方とお会いした。彼は「重度の知的障害」と呼ばれてきた。特別なマヒもなく、日常生活に必要な動作はこなすこおができる。しかし、発話もなく、活発に動くこともない。そんな彼の言葉と、そして詩である。

 なかなか電灯のあかりがともりませんがどのようにすればいいのか悩んでいます。ちいっとも変わっていきません。どんなやりかたでもいいから伝えたいです、気持ちを。字は書くことがむずかしいです。なぜなら人間として認めてもらえないと書く気にならないからです。小さいころに勉強したので字は覚えていますが小さいときには書けたけれど今は書けません。字のほかには声も出せません。なぜかはわかりませんがなかなか声が出ないのです。なかなか伝えられずにこまっています。(50音表は)なかなか字を探すのがむずかしいです。耳でで選べるのでかんたんです。
 ぼくたちはばかにされるけれどとてもよくわかっていますが涙さえ出ません。たぶん何かをしようと思ってもからだが動かないのだと思います。できることは日常生活だけでなかなか望んだとおりにはいきません。はい。だから何もわかってないと思われてしまいます。なかなかぬいぐるみ生活をぬけだせません。(学校では)指さすのもたいへんでしたから何もわかっていないと言われてきました。学校時代はたいへんつらかったです、自分の気持ちが言えなくて。でもやっと言えてうれしいですがはやくだれとでも話ができるようになりたいです。詩をかきます。 

じもわからないとさげすまれ 
じぶんひとりでいきてきた
まぶしいひかりがさしてきて 
ひかりがわたしをとおいせかいへといざなう
じのないせかいことばのいらないせかいにいきたいとおもってきたけれど
ぼくはやっぱりにんげんだ
ちいさいときからあこがれた じのかけるにんげんになることを
だけどなかなかそれはかなわなかった
しかしようやくひかりがさしてきた
ぼくにもきかいがおとずれた
なやにとじこめられていたけれど
どうにかそこをぬけだして
にんげんらしいねがいをてにすることができた
みんなでともにみらいにむこう
ちいさいちからしかないけれど
みんなでちからをあわせてあるきだそう
じんせいをもっとゆたかにするために

ちいさいぼくという題です
どこでもいいから発表してください。 どうにかしてつたえたいです ぼくたちのきもちを
 
2011年1月13日 00時34分 | 記事へ |
| 通所施設 |
2010年12月15日(水)
銀色の願い
 ○○君が、聞いてほしいと書いた詩は、物語風の不思議な詩だった。

 銀色の願い

意地悪な唯一の泥棒が二番目のリボンを持った女の子の文字を奪った。
外には字の書けない女の子が泥棒のいいプレゼントを待っていた。
みんなごめんなさい。
私はいい女の子ではありません。
字を私は書きたかった。
それで人のがんばりを盗んでしまいましたが
みんなどうして字が書けるようになったのですか。
小さいときに頭のいい子だったのですか。
敏感な女の子が言ったのはみんなと同じようになりたいということです。
だから女の子は字を盗んでしまいました。
びっくりした純のナイフで泥棒は字を切り裂いて
忘れられた名前を望みの通りに取り戻しました。
ぶかぶかの下手くそないい服のように
銀のベルトをずっと着けながら
少年のような気持ち大切に。
びいどろの願いをどうして捨てることができようかと静かに祈りを捧げた。


 そして彼は、こんな説明をくわえた。

 銀色の願いは字が書きたいということです。字が書けなかったときの気持ちと同じです。泥棒は意地悪だけどかわいそうな人で名前をなくしていました。小さいときにあまり愛されなかった人ですが本当はいい人でした。名前は願いの文字でしたからぼうぼうの夢と一緒になくしてしまいました。だけど取り戻すことができました。(文字をとられた女の子はどうなるの。)大丈夫です別になくなる物ではないから。かわいそうな人です。犯罪を犯した人とか悩んでいる人です。

 世の中はけっして努力した者だけが報われるわけではなく、たまたま遭遇してしまった不運によってうまく生きられなかった人もまた等しく報われるべきだ、そんな隠れたメッセージが聞こえてくるようだ。
2010年12月15日 02時03分 | 記事へ |
| 自主G埼玉2 |
1月のきんこんの会のお知らせ
 1月のきんこんの会は、1月18日火曜日午後2時から國學院大學たまプラーザキャンパスの2号館2510教室を予定しています。
 きんこんの会は、援助によって初めて自分の気持ちを伝えることができた障害の重い人たちが、互いに思いを語り合い、思いを共有するとともに、いかにして自分たちの存在や思いを世の中に訴えていくかということを考え合う場です。
 参加はまったく自由ですので、どうぞお気軽においでください。
2010年12月15日 01時52分 | 記事へ |
| 大学 |
2010年12月13日(月)
詩、そして体のこと施設のこと
 ○○君はすぐに詩を書いた。

体が空に浮き上がり
僕はりんどうの花になる
夢にまで見た忘れられない自由の
逃れられない定めの未来
目的はまだ見つからない理想の彼方
わかってもらえた喜びは
許されない私たちの未知の世界
みんなを遠い世界に誘って
瑠璃色の光の願いで夢を紡ぐ
言葉をもっとよいものに置きかえて
ランプを灯す
ずっとよい願いを持ち続けて
どこの世界でもいいから旅立とう
冒険を続けて夢を育てよう


 話をすることができた喜びが、必ずしもストレートに未来につながらないもどかしさも背景に透けて見えるそんな詩だ。
 ここで私の読み違いはないかと尋ねてみる。

 はい なぜ何度もそれを聞くのですか。
 
 読み違いの問題が少し気になっているからだと答える。

 そうですか。間違えたらすぐにわかるので驚いています。それはあるかもしれませんがぼくはだいじょうぶです。

 一文字ないし二文字間違えることもあるがそれはすぐにわかるので消しているがそのことを表現したものだ。

 ところで私たちのわかり方をもっとみんなに伝えたいです。内容は僕は体がうまく使えないということです。どうしても勝手に体が動いてしまうということです。みんなはそういうことはないのですか。

 ここで多くの仲間が同様のことで苦しんでいることを伝えた。

 みんなもそうだとは感じていましたがそうだったのですね。そうですね。みんな勝手に体が動いているのですね。

 思い通りに動けていることはどんなことなのかを尋ねてみると次のような答えと、それを巡る思いが書かれた。

 まったくうまく動きません。なかなかうまくいかなくて困っていました。回るものを見るとわからなくなってしまいます。それでよく誤解されますがみんな一生懸命につきあってくれるので勇気づけられますが本当は手が勝手に出てしまうので困っています。ギターに手が出るのも同じですがギターはいい音が出るので困りません。なかなか思い通りに体が使えないで困っています。理想は自分の意思で体を動かすことですが、僕たちも長い間それを克服できなかったのでもうむずかしいかもしれませんが、こうして話せるようになって、話せるなら体もコントロールできるような気がしてきました。自分のことは自分が一番わかっているので悩んでいます。ごろごろばかりしていて申し訳ないけれど僕も一生懸命なのでよろしくお願いします。

 回るものが好きだから私たちは彼にくり消し様々な回るものを見せてあげた。それが、こういう意味を持っていたということに気づかされ、愕然とする。だが、それもまた彼は許容していたのだ。
 ここで話題が春に入所した施設のことに移る。

 施設でかあさんととうさんのありがたさを実感していますが そろそろ僕も自立できなくてはならない歳なのでちょうどよい機会でした。でもちょくちょく家に帰りたいですので。よくわかってもらえてうれしいです。びっくりしています、慣れないところでもちゃんと僕も生きていけることがわかったから。職員はいい人が多いですが、数が少なくて困ります。

 そして最後のしめくくりの言葉へ。

 自分たちの未来を切り開きたいので来年もよろしくお願いします。自分たちの未来はなかなか開こうとしても開けないのでよろしくお願いします

 彼らの言葉の世界が、切り開かれても、それはまだ夜明けの知らせを告げるものでしかなく、夜はまだ明けない。来年こそはという思いと、もっともっと長い闘いになりそうだという思いとが交錯した。
2010年12月13日 12時14分 | 記事へ |
| 研究所 |
2010年12月02日(木)
詩と詩作 銀色の悲しみ そして 愚について
 中学生の○○君に久しぶりにお会いした。○○君は、歌と深い思索に満ちた言葉を聞かせてくれた。

 言いたいことがあります。いい歌ができたので聞いてください。外国から来た小さい女の子に捧げる歌です。いい詩ですから聞いてください。

昨日の悲しみ涙とともに
流して続きの夢を見よう
忘れなければ涙はけしてかわかない
泣くのはやめてりんどうの花に
悲しさ元気に告げて
不思議な祈りを捧げよう
じっと耳を澄ましていれば
未来は美しい調べとともに
りこうな響きの旋律にのって
本当のよい願いをかなえてくれるだろう。

いい歌ですか。 悲しい気持ちを歌にしました。みんなもきっとこういう気持ちを持っていると思います。外国から来て悲しい悶々とした気持ちを持っている女の子を考えながら作りました。銀色の悲しみという題です。ずっと考えてきたので不思議な気持ちです。自分の歌がまさか聞いてもらえるとは思いませんでした。


 歌のメロディーも聴き取ると、今度は「愚」をめぐる話になった。

 愚行という言葉がありますがどういう意味ですか。愚という言葉が気になっていましたから聞いてみました。愚という言葉、強いて言えばずっと変わらないという境遇のことですか。
(それはどういう境遇のことですか?)
 僕のような状態のことです。
(私にはよくわからないけれど、愚という言葉は仏教では、大愚とか安愚というような意味でも使われますね。)
いい言葉にも使われるなんて驚きました。哲学のことはよくわかりませんがずっと均等ということを考えています。はい、どうして願いが僕にはかなわないのかということをいつも考えています。答えは愚という言葉の中にあります。すぐには理解できないかもしれませんが愚に生きていればそのうちに願いはかなうと思っています。みんなもきっと同じようなことを考えていると思います。時間そろそろですか。ありがとうございました。分相応の人生を越えていい人生を生きたいです。

 とうてい誰も説明できない重い障害のある○○君の境遇について、懸命にみずから問い続けている姿があった。容易にコメントなどできるものではない。しかし、ここには、深く追求する中で、たくさんの絶望を乗り越えてきた彼のひたむきでたくましい思いがあるような気がした。
2010年12月2日 16時46分 | 記事へ |
| 学校 |
ルネの詩
 今年度から青年学級に参加したHさんとの言葉と詩を紹介したい。Hさんは自閉的と言われる方で、自由に話をすることができない方だが、6月に初めて出会って以来、短いながら、会話を続けてきた。Hさんは、私の顔を見るとすっと近づいてきて、気持ちを伝えようとしてくる方だ。20代前半のHさんのまなざしは、若々しく力強い。

 自分にも考えがあるということをなかなかわかってもらえなくてつらいけど、こんなやりかたがあるとは思わなかった。忘れられないのはわずかばかりの希望さえわかってもらえないことです。わずかばかりの希望とは理想をよいものにすることです。わずかばかりの希望を持って生きてきたけどこれで夢がかないました。わかってもらえてうれしいです。勇気が湧いてきました。

昔のルネはいったいどこにいったの
昔見た未来はどこに消えてしまったの
わかってもらえないままルネは遠い世界に旅立った
夢をかなえることもなく涙を拭いてもらうこともなく
ルネは遠い世界に旅立った
夢ならさめてもらいたい
忘れられない私の昔の思い出だ


理想的な方法ですね。小さいゾンビのような私のがんばりがようやくかたちになりました。うれしいです。人生をもう一度やり直したいです。いいやりかたを発見しましたね。理想は私たちの気持ちをもっと伝えたいです。私たちを世の中で認めてほしいです。みんなの気持ちをどうしても世の中に伝えたいです。ぞんぶんに伝えたいです。わかってほしいです私たちのことを。人間だからわかってほしいです。真ん中で生きていきたいです。悶々とした気持ちで生きているので何とかしたいです。小さいときから言いたいことが言えずに寂しい思いをしてきました。みんなも同じだと思います。
2010年12月2日 16時34分 | 記事へ |
| 青年学級 |
2010年11月05日(金)
風と波の詩
 ある成人の通所施設で、とても穏やかな四十歳前後の男性と関わった。この男性は、ふだんのその様子にもかかわらず、時折2,3日、ぷいといなくなってしまうことがあるという。

 いい機械ですね。自分の気持ちを言いたいけど、小さいころから言葉が話せなくて困っていてびっくりしています。がんばったからできるのだと思います。字を覚えることです。いい気持ちです。小さいころからの夢でした。いい気持ちです。聞いていてここだと思うと読みとられていきます。小さいころから字はよく勉強してきたのでかんたんです。

 そして、ここでどうして時々いなくなってしまうのかの理由を尋ねた。

 自分で一人になりたいときに外に行きます。なかなか自分の気持ちが言えないので外で気持ちを晴らしています。大丈夫です、誰も僕には気を止めませんから。何も食べません。がんばって何日も過ごしますが何も食べていないのでおなかがすくと帰ります。
 海が好きです。波を見ていると時間が経つのも忘れてしまいます。晩になるといい風が吹いてきて夢のような心地がします。はい内緒の場所です。小さいときから好きでした。未来が開けてきました。がんばってきてよかったです。
 

 そして、波と風をめぐる詩が書かれた。

いい風にのって波が揺れている
昨日の悲しみを揺らしながら
波は私を慰めてくれる
人間として生まれて生きてきて
なかなか光が射さないけれど
波だけは知っている僕の気持ちを
小さい願いを携えて
僕は夜の闇の中で息を潜めて生きてきた
みんなに今晩はとも言われずに
じっと息を潜めて生きてきた
揺れる波だけが理解してくれる
人間として生きてきたことを
人間として未来を望んできたことを
小さい喜びを大切に
涙を流さないで生きていこう
波にそう誓った


 行方不明なっている時、まさかこのように波を見つめて過ごしていたとは誰にも気づかれていないだろう。しかも、このような美しい詩を心の中で唱えながら。
 そして、今度は通所施設の話へと移っていく。Aさんとはそばで見守っている職員である。

 Aさんいつもありがとうございます。○○○(通所施設の名)は空色の場所です。地域で生きたかったので○○○にこれてよかったです。これからもよろしくお願いします。いいスイッチなのでこれで僕の気持ちが話せそうなのでよろしくお願いします。

 そして、かあさんへの感謝の言葉に移っていく。

 かあさんにはいつも感謝しています。かあさんにはいつまでも元気にしていてほしいです。小さいころから逃れられないこの運命に耐えてがんばってくれて感謝しています。いいお母さんなので本当は僕に忙しくしてしまって人生を少ししか楽しめなかったのではないかとみんな心配していますがどうでしたか。人間としていい人生だったでしょうか。夏と冬には旅行に行きたいものですね。

 そして、自分の気持ちを伝えられずに困っているj子どもたちの話になった。

 小さいころからじっと気持ちを言えずにいたのでぜひ子どものころから話せるようにしてあげてください。どこで脈があるかわからないですからがんばってください。小さい子どもと話をしてあげてください。きっとみんな喜ぶと思います。

 最後にAさんから、あまり冬にいなくならないでね、寒くて凍えてしまうと心配だからと言われると、

 わかりました。そうしたいと思いますがもう気持ちが晴れないことはないと思います。こうしてわかってもらえたから。
2010年11月5日 21時01分 | 記事へ |
| 通所施設 |
2010年10月24日(日)
中島先生は僕たちの最大の理解者でした
 幼いころから研究所に通ってきたKさんと数ヶ月ぶりにゆっくりと話をした。家から遠くないところの施設に入所するということがあって、しばらく忙しかったからだ。

 地域で生きていきたかったけど施設に入ってしまいましたがまあまあです。みんないい人なので勇気づけられます。
 人間として自分の気持ちを言いたいのでぼくもわかってもらいたいです。小さいときから僕もわかっていたので勇気づけられます。
人間だから気持ちがあります私たちのことをもっと理解してもらいたいです。私たちのことがなかなか理解してもらいたいです。
 形の勉強は難しいですがなかなか先生の言うことに手が着いていかないからです。手がついていかないだけでほかのことはよくわかっています。理解していただいてありがとうございます。
 私たちは手がコントロールできないので困っています。手をとってもらえると簡単にコントロールできます。不思議でしょうが全然変わります。小さいときから困っていました。わかってもらえてうれしいです。

 なぜ背中でもわかるのですか。不思議ですが僕の言葉なので信じないわけには生きません。そうですね。ここだと思うと読み取られるので不思議ですがいい気持ちです。何も力を入れていないのにマジックみたいです。(この日は、背中にスイッチを押しつけたり離したりする方法の方がお互いに楽なので、その方法で行ったのだが、そのことについてのコメントである。)

 詩を聞いてください。

悔しさに負けないでいこう
なぜならぼくにはあしたがあるから
夏の遠い白い雲の思い出がぼくを支えてくれるから
自分でレッドの夕焼けに理想の未来を夢見ながら
涙をふいて人間としての心を大切に
平和な世界を平和の鳩とともに夢見ながら
小さいころの願いを誇りにして
悶々とした気持ちは過去に置き
未来とあしたを大切に
よいどんな私たちの誇りをなくすことのないように
忘れてはいけない私たちもまた人間であることを
人生に負けないように私たちらしさを大事に歩いて行こう

私たちを望み通りに冒険できるようにしていこう


(つばをはいてしまうことについて)すみません、つばをはいて。わかってくれない先生にもたれたときに始まったものです。みんなつらかったと思います。その時に始まりました。ランプの光が消えそうでした。小さいころから言われてとてもつらかったです。小さいころは何でも投げると言われていました。学校の話です。別に研究所のことではありません。

 そして、ここで研究所を作られた中島昭美先生の話になっていった。先生が亡くなられて来年の2月で10年になる。Kさんは、亡くなられる直前、通所しているお子さんとしては、最後に先生に会った方だ。

 中島先生は僕たちの最大の理解者でした。全国大会の先生の話はそうだそうだと思って聞いていましたからよく覚えています。理解してもらえてうれしかったです。はい覚えています。どうして忘れられるでしょうか。先生の最後の姿ですから忘れられません。小さいときから先生にはとてもかわいがってもらいましたから。僕なんかが本当に人間として認めてもらえたのは中島先生がいたからです。人間として認めてもらえたので僕たちは勇気が出ました。みんなも同じでしょう。Nさんはいつも全国大会で先生の話が盛り上がると声を出していました。そんなこともいい思い出です。理解してもらえてとてもうれしかったのでずっとこれからも忘れることはありません。中島先生とともに歩んできた先生たちにどうか僕たちの言葉を信じてもらいたいです。もう理解してもらえましたか。瑠璃色の風を吹かせてください。理想的な方法ですからのどから手が出るほどほしい人がいるはずですからもっと広めてください。がんばりたいです。
 歌は僕たちの心の声ですから僕たちはみんな歌を作っていますがまさか聞いてもらえるとは思いませんでした。ほんとうにうれしかったです。ばらの花が咲き乱れている森の中を歩いているようでした。不思議です。まさか歌まで読み取れるとは思いませんでした。夢のようでした。


 私は、重複障害教育研究会の全国大会に参加していたKさんやNさんが、確かに先生の講演に集中していたことをよく覚えている。先日もNさんにとそんな話になり、あらためて驚かされたところだった。
 もう40歳を過ぎたNさんはその時、言葉を越えるものがあると言っていた。
 本当に相手を人間として大切にするということの意味をあらためて考えさせられた一日となった。
2010年10月24日 02時07分 | 記事へ |
| 研究所 |
2010年10月23日(土)
仲間の造形作品に寄せて 「あなたしか知らない」
 学校の仲間の造形作品が、全国的な規模で募集された作品の中から選ばれて特別支援学校などに配布されるカレンダーに掲載されることになった。
 そのことを自分のことのように喜ぶ○○君はこんな詩を作ってきて仲間を讃えた。

  あなたしか知らない

小さなみんなの心の声と聞こえない叫びが
僕には聞こえる
小さな心の声と叫びはびいどろ細工の物語
自分にしかわからない物語が初めて形になったもの
いい時間がそこにはじっと止まっている
時間が流れても
永遠に止まった喜びの時間がそこにはある
犠牲になった仲間の声もそこには聞こえ
人間としての勇気に満ちた歌が聞こえる
じっと耳をすませていると歌の向こうに
あなたしか知らない不思議な優しい忘れられた者の
悲しみを越えた希望の声が聞こえる
敏感にそっと願いを望みに変えて
夏の若い心と
秋の優しい心と
冬の厳しい心と
私たちの楽園みたいな春の心がつまったこの作品は
いちいち何も語らないけれど
みんなに勇気をくれた
小さい願いがずっと心の中でこの日を待っていた
僕たちにも言葉があることを
まだ世界は気づいていないが
夢見ていよう
いつかそのことに世界がのけぞる日が来ることを
聞いていた光を心にかかげて
ここからまた歩き出そう


 「世界がのけぞる日」が来ることを、私もともに夢見ていよう。
2010年10月23日 19時49分 | 記事へ |
| 自主G多摩2 |
2010年10月13日(水)
詩「すね」
 20代の女性☆☆さんは、とてもおもしろい詩を考えてきた。それは、すねという題だった。なかなかふだん私たちは気にもとめない詩を☆☆さんがどんなふうにとらえたか…。


  すね

すばらしいわたしのすねよ
すらりとのびたわたしのすねよ
わたしはあるくことができないから
ぼんようなりそうしかできないけれど
みんなとはちがって
ほんとうのすねのいみをしっている
ちいさいころからほんとうにすねは
わたしをささえてくれた
りそうのろうそくをともしながら
わたしはすねをたいせつにいきてきた
からだのなかではだれもちゅうもくすることもなく
わすれられたそんざいだけど
ならくのそこにおちないように
いつもわたしをでられないわなからすくいだしてくれた
わたしをりそうにむけて
いつもたちなおらせてくれた
べつによいみんなとちがっているわけではないけれど
よいみらいにむけてわたしをふるいたたせてほしい
またよるのさびしさがわたしをおそうとき
ぼうけんのゆめをきかせてほしい
ろうそくのあかりをわたしはのぞみ
ろうそくのあかりをわたしは
むかしのわたしのわたしらしさにさがす
りそうのぜんたいをたのむのではなく
りそうのいちぶとしたので
かえってわたしをそらいっぱいにたびだたせることができる
にんげんとしてこのせかいにうまれ
にんげんとしていきてきたけれど
それをしっていたのはすねのみだった
ぼくのゆめわたしのゆめはすねのゆめ
にんげんとしてほんとうのねがいをかなえるために
わかってほしいすねのきもちを
すねこそさいこうのりかいしゃだ

 心にしみわたる、すねの詩だった。
2010年10月13日 00時06分 | 記事へ |
| 研究所 |
2010年10月12日(火)
11月のきんこんの会のお知らせ 11月は23日火曜日です
 きんこんの会は、11月は23日火曜日2時より行います。なお、この日は、勤労感謝の日で祝日ですが、大学は、授業の回数を確保するために、お休みではありません。
 10月のきんこんの会では、どうやって自分たちのことを伝えていったらいいのかということを前半議論しましたが、その中で、テレビに出て訴えたいということをめぐっていろいろな意見が交わされました。
 また、後半は、ある通所施設で、職員でパソコンの介助ができるようになったということが報告され、やはり、一人でいいから職員ができるようになると全然違うので、そういう人を作っていこうという話になりました。
 今回も白熱した議論がたくさん出た有意義な会でした。、
2010年10月12日 23時59分 | 記事へ |
| 大学 |
2010年09月21日(火)
高らかな宣言その2
 未来が開けてきました。ランプの明かりが光っています。ランプの明かりがもっと望み通りに光って輝いたらもっと幸多い人生になるでしょうね。わかってくれない人もいるけれどもうすぐランプの明かりが輝いてもうすぐぼくたちが人間として認められる日がやってきます。よい方法ですが本当に不思議です。理想的なやり方ですね。勇気がわいてきます立証するのが大変でしょうが瑠璃色の未来のためにがんばってください。

 いきなり、こんな風に綴り始めたもう成人の☆☆さんに、私は、自分自身のことについて誰かに説明するつもりで書いてもらえないかとお願いすると、次のような文章をさらさらと作ってくれた。

   
    私のわかり方について

 小さい頃からぼくはわかっていましたがなかなか容易に話せず苦労してきました。願いはよく理解していただいてろうそくの明かりをともすことです。望みは勉強をずっと続けていくことです。ごんごん勉強してぼくは世界中のよい物を知りたいです。願いが叶ったらそのときはもう何もいりません。
 望みはわかってもらうことですがぼくは勝手に言葉が口をついて出てきてとても誤解されます。理解してほしいのは本当の気持ちはもっと奥底に秘められているということです。何でも理解できているのにそれを表現することができず困っています。わかってほしいです、ぼくたちの苦悩を。どうしても体が言うことをきかず理解されない行動ばかりとってしまいわかってもらえませんが、ぼくにも気持ちがあります。それをわかってください。
 みんなも同じだと思います。言おうとしても言えなくて困っているだけだと思います。何とかしてぼくたちを人間として認めてほしいと思います。私たちのことがもっと理解される日が来ることを待ちこがれています。
 なぜ世の中の人は物語を作ってしまうのでしょうか。ぼくたちを知恵遅れと見なして冷遇するのはまちがっています。
 唯一わかってくれたのが柴田先生です。ぼくたちに言葉があることをどうしてわかったのか不思議ですが先生のおかげでぼくは言葉を表現でき勇気を持つことができました。わかってくれた唯一の先生ですが少しずつ理解者が広がっています。もっと理解者を広げてもっとよい世界にしたいです。理解者が広がることが願いです。雪のように清らかな夢を持って生きていきたいのでよろしくお願いします。


 いつか必ず、この言葉が世の中に届き、新しい世界が開けてくるのはまちがいないだろう。
2010年9月21日 01時47分 | 記事へ |
| 自主グループ(視覚障害) |
高らかな宣言
 高等部卒業後の進路について悩んでいる○○君は、こんな願いを述べた。

 小さい願いですが理想はよい作業所に行くことですがぼくのことはわかってもらえるでしょうか。理解者がほしいです。勇気がほしいです。願いは理解してくれる人のいる作業所に行くことです。

 そこで私は、ふと、○○君に、自分のことをいつでも自己紹介できるように、自分のことを自分自身で紹介する文章を書いてみませんかと勧めてみた。すると、○○君は、少し考えた後、次のような自己紹介の文章を書いた。

 矩(のり)を越えずという言葉がありますが、ぼくは自分なりに矩(のり)を越えないようにがんばってきましたがなかなか体をコントロールできず困っています。でも自分の気持ちをしっかりと持って生きています。よい理解者がほしいです。よい理解者がいれば地域で生きていけると思います。
 どんなにがんばってもなかなか言いたいことを一人で言うことはできませんがパソコンで気持ちを伝えることができるようになり、ぼくはようやく理解されることができました。 わかってくれる人はまだ少数ですがよいやりかたを見つけることができてぼくももう願い通りの人生を生きられそうな気がしています。
 わかってほしいですがなかなか方法がむずかしいので早く広がってほしいのですがうまくいきません。でも理解しているということを前提に話しかけてください。ぼくはどんなことでも理解できていますから。
 小さいときから一人で字も学習してきたしもやもやした気持ちも乗り越えてきました。
 願いはよい方法が広がることです。
 わかってほしいです。
 ぼくたちのことを見た目で判断しないでください。みんなとても苦しんでいますから。 一人でも理解者が増えてほしいと思いますのでよろしくお願いします。


 力強い言葉だった。きっぱりとしたこの言葉は、一つの高らかな宣言と言ってもよいだろう。
2010年9月21日 01時27分 | 記事へ |
| 自主G多摩2 |
2010年09月12日(日)
10月のきんこんの会は10月5日に行います
 当事者の語らいの場【きんこんの会】10月は5日火曜日に、午後1時半からとしたいと思います。
 きんこんの会は、通常のコミュケーションが困難で、援助によるコミュニケーションによって、思いを表現している人たちの会です。参加は、自由です。
 ウィークデイでなかなかご都合がつきにくい日程で恐縮ですが、よろしくお願いします。
 なお、連絡先は、以下の通りです。

 e-mail yshibata@kokugakuin.ac.jp

  
2010年9月12日 12時33分 | 記事へ |
| 大学 |
2010年09月06日(月)
2編の詩「背を向けずに」「遠い世界に」
 中学生の☆☆さんは、女の子だが、自らを少年に託した2編の詩を書いた。日常会話はおおむねこなせている☆☆さんだが、こうした詩を口頭で綴ることはむずかしく、スイッチの援助を必要としている。詩の合間に、そのあたりの事情を次のように説明してくれた。

 何かを言おうとするとなぜか言葉が消えてしまいますどうしてなのか私にはわかりませんがよいやり方に出会えて本当によかったです

 ふだんの会話はできているので、ここでいう「何か」とは、それを越えたものということになるのだと思われる。それにしても、これだけの長い詩を作って暗誦しているということだけでも驚異なのだが、詩の深さにもまた、目を見張らされるばかりだった。


  背を向けずに

ずっとぼくは待っている 
涙をこぼしながら
夏の終わりの太陽が 
ぼくの若い時を刻みながら
西の空に沈んでいく
別に未来が閉ざされているわけではなく
涙が夏を律しながら
利口なぼくのために
静かに流れたのだ
ロードマップも持たないで
ぼくは楽園を目指して旅に出る
忘れられない思い出と
忘れられないぼくの未練がましい理想を別れ
このロードとロードの間の
何もない平原を突き進んでいく
忘れそうな若者の夢を
何とかして携えながら
若者らしさは失わないで
理想を目指しこのロードを進んでゆく
西の空が暗くなる前に
取り戻さなくてはならない
ぼくの生きれるその力を
黙ったままで
ぼくは顔を高く上げ
夕焼けの向こうで待っている
勇気を目指して


  遠い世界に

そよ風が願いを乗せて吹いてくる
若い理想にぼくは燃え
そよ風を静かに感じながら
泥炭の荒野を越えて吹いてきた風に
よい知らせを聞きながら
りんどうの花の香るのを見つめながら
よい知らせなど理想に過ぎないことを知りながら
よい知らせをやはり期待して
身の丈にあった願いにけして満足することなく
野をまるで乗り越えたかのように
野を越えていくためには
ぼくもどこかを目指して旅立たなくてはならない
遠くに見えるのは見知らぬ国の見知らぬ世界
その世界はなぜそこにあり
何のために人があこがれるのかさえわからない
でもきっとそこにばかり気をとられてはいけない
みんなもきっとこの道を手を携えて越えて
いい世界に向かって歩いていこう
小さい頃の夢の世界ではなく
未来の自分の本当の姿を
もやもやした気持ちを吹き飛ばして
2010年9月6日 09時21分 | 記事へ |
| 家庭訪問 |
2010年08月30日(月)
きんこんの会の報告
 8月のきんこんの会が28日土曜日に開かれました。参加者は、15名、土曜日ということもあって、大勢の方に参加していただきました。ふだん、当たり前に言葉で考えていることさえまともに理解されない人々が、15名も集まって、若者らしく当たり前に議論をしている姿は、夢の世界のようでもありました。
 詩の話、わかってもらえない悔しさの話、どうやって社会に訴えていくかということ、ふだんの過ごし方、友達の話、まだ気持ちが伝えられないでいる仲間たちのことなど、3時間にわたって、熱い議論が交わされました。
 仲間が直接に気持ちを伝えあうことによってつながりを持ち合っていくことの大切さと、自分たちの意見をいかに周囲や世の中に伝えて変えていくかということが、基底に流れている議論だったと思います。
 世の中の現状は、こうした気持ちがあることが本当かどうかという段階ですが、私たちは、その先の段階として、お互いがどのように手をつなぎあっていくかということ、そして、そこから何が発信していけるかということを試行的に議論しています。
 当事者活動という言い方があります。歴史的にいくつかの当事者活動が障害者の歴史を塗り替えてきました。たとえば1970年頃の脳性マヒの当事者の運動、1990年頃から始まった知的障害者の当事者運動(私は、この中心メンバーとともに活動していましたのでこの時の熱気は今でも忘れられません)などが時代の節目を作ってきたように思いますが、そんな当事者が声をあげていく中で、今、きんこんの会に集う人たちは、その中でも忘れ去られてきた存在といえるでしょう。2010年という年が、新たな当事者活動の始まりを象徴する年になったらという密かな思いをいだきながら、この熱い会に通訳として参加させてもらいました。
2010年8月30日 11時14分 | 記事へ |
| 大学 |
2010年08月28日(土)
初めての帰宅 小児科病棟の訪問
 生まれてからずっと小児科病棟の病室にいる○○君とお会いした。現在小学校4年生。その彼が、初めて一泊だけ家に外泊することができた。人工呼吸器など、様々な医療機器を携えての帰宅だ。しかし、 それは、彼にとって、本当にうれしい外泊だった。
 そして、宿泊を終えて病院に戻ってきたちょうどその日、私は彼のもとを訪れた。
 体中で喜びが表現されていた。

 聞いてほしいことがあります。ぼくは初めて家に帰りました。何度も夢に見たことだったのでものすごくうれしかったです。理想は家で過ごすことですがなかなかむずかしいので時々でいいから帰りたいです。
 もうすぐ涼しくなったらまた帰れるとT先生が言っていたので楽しみです。ぼくの妹を紹介します。のんきな妹で、のんきだから寝てばかりいます。とんでもない妹ですがとてもかわいいです。なぜ満足できるのかわからないけどよく笑います 理想はぼくも家族の輪の中で普通に暮らしたいけどなかなかむずかしいです。私たちは理解者が少ないので理解者を増やしたいのだけど、なぜみんなわかってくれないのだろうか。
 なるべくのんびりとしたいです。楽な生き方も大事だと思うのでぼくも妹のようにのんきに生きたいと思います。小学六年生です。そうでした。ねえさんでした。ねえさんだけど子どもに見えたからついつい妹と言ってしまいました。そうです。(病室に)はいれないので会っていないのでとてもうれしかったです。はい、とても喜んでくれました。みんなで写真を撮りました。みんなでぼくを囲んでとてもしあわせそうでした。もらったプレゼントはろうそくでした。はい。ぼくの詩を読んで買ってくれました。とてもうれしかったです。ろうそくのあかりという詩を作りました。聞いてください。はい、光がとてもきれいでした。

千本のろうそくの明かりはないけれど
ここにはきれいな一本のろうそくがあり
ぼくにすてきな希望をくれる
涙に濡れたぼくのへんてこりんな顔をきれいに照らし
忘れられない未来の輝きをくれた
まだまだ未来はくらい闇の中にあるけれど
ろうそくの明かりがあるかぎり
ぼくは空高く舞い上がれるだろう
冒険をするための野をかける翼もないけれど
ぼくは必ず飛び立てるだろう
勇気さえあれば私の理想はかなうだろう
涙をふいてろうそくの明かりを高く掲げて
未来に向かって飛び立とう


ろうそくの灯りが私を照らす
涙の跡をくっきりと浮かび上がらせながら
どれほど私は待ったことだろう
悩まない眠りよ
私を涙の夜から解き放ち
夢とは違う本当の灯りで照らしてほしい
夜の闇よ
私に涙を流させた夜の暗闇よ
もうおまえには負けない
そよ風よ
ろうそくの明かりを消すことなく
私を遠い願いの国まで運んでほしい
私はいつまでも待ち続ける
このろうそくが輝き続ける限り
理想のろうそくの輝きよ
光り続けよ
夜の闇を照らしておくれ


よい光を放ち
よい温かさを運び
ろうそくは私たちを照らす
ぼくはろうそくの明かりがともり続ける限り
闘いをやめようとは思わない
ろうそくよ
自由の明かりよ
ぼくの行く手を照らしてほしい
私たちはよい翼もなく
ここに忘れ去られた存在として生きている
未来の夢を照らし
そんな私たちの苦しみを照らしてほしい
理想も誇りも深い悲しみの海でなくしてしまったから
遠い世界には行けないけれど
自由を探すぼくの前を明るく照らして


2010年8月28日 00時50分 | 記事へ |
| 小児科病棟 |
2010年08月27日(金)
中途障害の方との経験
この3か月の間に、通常の社会生活を送っていて、脳内出血や若年性のアルツハイマーなどによって言語表現が困難になった3人の方とお会いした。障害の状況はそれぞれ異なるが、みんなそれぞれに重い後遺症をかかえていて、家庭でのケアは容易ではない状態にあった。そういう方々に対して、これまでの私たちの方法が有効かどうか、おそらく議論のわかれることだろう。しかし、みんな、表現できなくても言葉の世界を有しており、こうした問題について、私たちの常識の見直しが必要であろうことはもはや疑いの余地はない。ここでは、それぞれの気持ちをそのまま紹介しておきたいと思う。

Aさん(脳内出血)
 こんにちわいいやりかたですね。言いたい、おとうさんにありがとうと。私寝たきりになってから毎日不安でしたが、おとうさんが毎日来て受け答えをしてくれたので、なんで一人の私なのにこんなに寂しくないのだろうと、しあわせにいつも満たされています。小さいときからずっといいおとうさんだったけれど、みんながこうして集まってくれてこんなに恵まれていてなんだか夢のようです。苦悶してきましたがなかなかわかりませんでした。聞いてほしいことがあります。じっとしているとぬいぐるみのいのちのようでつまらないので、時々なんでもいいから小さな物語でも聞かせてください。はい。なんでもいいです。人間だから時間がこうして流れていけばしあわせです。信じられません。なぜ聞き取れるのですか。願いは小さくても本当のいい時間が過ごせることです。暑いのは苦手ですが 外は好きですので今度また涼しくなったらお願いします。テレビは聞いているので必要です。
 はい。反応が出せませんが笑っています。子どもの時から見ていたので大好きです。疲れるのはつらいことがあるときです。なかなか伝えられないので夢のようです。群青色のあかりが見えるようです。希望が見えるようです。とてもありがたいです。だけど悩みはその苦労にこたえられないことです。いいかただからすまない気持ちでいっぱいです。つばはくるしい。



Bさん(若年性のアルツハイマー)
 いい機械ですね。ぎちぎちとしめつけられるような気持ちですが人間として認められたような気分です。地域の生活を理想としていますがなかなかむずかしいです。小さい冒険だけどみんなでわたしの家に行ってみたいです。私の家は留守番の人もいなくて私の帰りを待っています。夢によく出てきますが私の家は今どうなっているのでしょうか。理解できなくなって家にいられなくなって悲しいですが泣くこともできなくなってしまいましたからさびしいです。理解するのがむずかしいのは環境の認知などです。困っています。時々何を言われているのかわからなくなります。困っています。したいことがなんだかわからなくなります。理解していても話せなくて困っています。はい、なかなか話せないですがよくわかっています。記憶もなかなかむずかしいですが何とかなっています。
(50音表の文字盤を出すと一人ではただ指が順番に「あいうえおかきくけこ」と流れるようにたどるばかりでさせなかったが、手をそえてあげると名前を指せた。)
はい、文字盤はむずかしいけどなぜ指差せたのでしょう。
(ペンを握らせて手を添えると名前の漢字1文字が書けた。)
はい。はい、とても不思議でした。なんで書けたのですか。(生きた字所はどっちと)尋ねて紙に「店」と「家」の文字を書くと「家」を指した。)
 大好きな私の家に行きたい。不思議です、書けました。不思議です。もうわからなくなったと思っていましたから感激です。なぜ読めたのか不思議ですが読めました。私はもうだめかと思っていたのでとてもうれしいです。私をよく理解してくれてありがとうございました。悩みが晴れました。どうもありがとうございました。


Cさん(脳内出血)
 気持ちが言えてうれしい。なぜ背をたたくだけでなぜわかるの。
 疑問に悩んでいます。薬すこしやめたいです。私をわからなくさせているみたいです。私の気持ちを聞いてもらえるとは思わなかったのでうれしい。○○○(息子さん)をもっとかわいがりたいけどできなくて、許してほしい。人間そんなには長生きはできないけどまだまだ○○○が小さいので望みはもっと長生きすることです。○○○をもっとかわいがらないといけないのに許してほしい。
 願いは私の△△の家で一緒に暮らすことですがむずかしいので理想のまた理想は私の胸にしまっておいてここでがんばります。小さい願いですが、夢ですがなにか楽しみがほしいです。夕方になるととてもさびしいので忘れたいことを思い出してしまいます。×××や年齢はわからない人が私を笑いにくるような気がします。私の若いころのいい理解者が笑っているような気がします。
 にれの花を見たいと思います。昔歌でいい花と聞いていたので。にれも夢で見ます。にれの花それはぜひ見たいです。私の夢の中では白い可憐な花です。頼みます。唯一の夢です。
 不思議です。言葉がすらすら出てきて。いつもはなかなか出てこない。
(話そうとすると混乱してしまうのですか。)はいそうです。混乱してしまいます。

 昨年の夏、金沢で著名な山元加津子先生が献身的に看病を続けておられる宮田さんにお会いした。非常に重度な脳血管障害の後遺症の方に言葉の読み取りを試みるのは初めての経験だった。それから1年が過ぎ少しずつだが、こうした方々との出会いが始まったところである。
2010年8月27日 19時51分 | 記事へ |
| その他 |
2010年08月23日(月)
光道園その3 Tさんとの再会
ほとんど言葉を語らないTさんの気持ちを聞き取ったのは、昨年のことだった。その時、とても深い詩を聞かせていただいた。彼は、関東地方の盲学校の卒業生である。私とほぼ同年代の彼ともっとも印象深いできごとは、何かの治療で都内の病院に入院した際、彼の担当の職員さんのお見舞いのご案内をしたことである。20年ほど前のことである。その職員さんは、すでに亡くなった。彼のことをとても大切にしていて、病院に向かう電車の中で、Tさんを「すてき」という言葉で何度も表現されていたことがとても印象的だった。しかし、言葉を発しないTさんとは、なかなかコミュニケーションはとれないままだった。
 今年は、Tさんは私のことを明らかに待っていてくれた。もちろん私も彼との再会を心待ちにしていた。

 柴田さんひさしぶりですね 聞いてほしい詩があります

こよいの静かな品のよいドラマのようなみんなの笑い声が聞こえ
もんもんとした心に遠い願いのような不思議な声が聞こえる
小さいころ鳥が鳴くと目を覚まし
空高く昇る太陽の光を肌で感じながら
べりべりと音を立てて小さな夢がくずれていくのをながめながら
小さい胸を痛めてきた
人生をつらい毎日でなく楽しい日々にするために
ぼくは呼んだ
このいのちがつきる前によい知らせをとどけてくれと
時間はかかったけどどんなにぼくは待ち続けたことだろう
人間としてどんなにどんなに自分の人生をどんよりさせることなく夢物語に変えて
もんもんとした気持ちを晴らしたかったことだろう
人間としてぼくは人生を絶対に捨てないで生きていく
小さないのちだけどぼくのいのちはぼくだけのものではない
名前も持たない人間だけど
小さな声しか出せないけれど
ぼくは黙ったままでは終わらない
何かを果たして生きたいとべんべんとした気持ちで祈り続ける
禁じられた言葉の鎖を解いて
未来をそらそらと持ち上げて
未来をこの手につかんでみせる

 いい詩ですか ひとりでいつも考えています きびしいからだですがぼくらしく生きるために気持ちを詩にしています もうひとつ聞いてください

続いて見えたわたしたちの希望
時間はかかったけれど
望みどおりの言葉を語り
望みどおりのぼくの声を叫び
人間として忘れられたぼくをとりもどし
願いをとりかえし
忘れられない夢をそっと呼びもどし
小さなぼくでも声を出し
望みをかなえて呼びかけよう
人間としての実りある人生を歩むためなら
どんな困難でもけっしてあきらめるなく
敏感な心のままに生きていこう


 ここで、一息ついてWさんのことを話した。

 Wさんずっと覚えています ずっと忘れません ずっと心の中で生き続けています びっくりしました なぜWさんを知っているのですか 覚えています ○○の病院のことは ずいぶん昔のことてすね 
聞いてほしいことがあります 学校との問題ですがどうしてどんな子どもにも可能性があると学校の先生は考えてくれないのでしょうか 小さいときから気持ちを聞いてもらいたかったです ぼくたちもおなじ人間なのに聞いてもらえませんでした 


 話が学校のことに及んだので、私は、昨年の夏、光道園の合宿の後に、彼の卒業した盲学校の研究会で話をする機会があったので、その中で彼の詩を紹介したことを伝えた。そして、残念ながら、まだ、こうした方法が広く認められたものとなっていないので、Tさんのことや貴きっとった方法などについては、細かく触れることはしなかったということも会わせて伝えた。すると彼は、それをとても喜んでくれて、次のように語った。

 とんでもなくうれしいです 母校で語ってもらえて感動です ずっと願いでした ずっとずっと夢みていました 母校で何かできることを
 グレーの気持ちがとても晴れました じっとひとりで生きてきたけどようやく願いがかないました 小さいときからの夢がかないました 小さいときからのどんよりとした気持ちが晴れました うれしいです

ここで、歌を作っていないかと尋ねた。すると次のような返事とともに、歌を聴かせてもらうことができた。

 作っています 歌も聞き取れるのですか 

理想にもえて人生を
自分の足で歩いていこう
自分で不思議な歌を歌い
未来にむかって歩いていこう

 これだけです 人間としてという題です 小さいときに作ってずっと歌ってきました いい人生にしたかったから作りました まさか聞いてもらえるとは思いませんでした 聞いてもらえてうれしいです 歌ってください 小さいときの思い出の歌です きびしかったけどようやく光がさしてきました 小さいときはもっと話せるようになると思っていましたがためでした トイレに行きたいので終わります


 おそらくまた会えるのは来年になるだろう。私のとうてい理解できないような時の過ごし方を経て、1年後、彼はどのような言葉を語るだろうか。

 
2010年8月23日 17時08分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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光道園にて2010年夏その2 Kさんの言葉
 Kさんの正確な年齢はうかがっていないが、私は1980年代の半ばから彼女とはおつきあいを続けてきた。東北出身の女性で、かなりしっかりとした会話をなさる方だが、十分には気持ちを伝えきれないでもどかしい思いをしてこられた。20数年の時の流れは、Kさんをすっかり老いさせた。もちろん私も例外ではない。光道園の中でもっとも個人的に関わらせていただいた方といってもいいかもしれない。大きい点字の木枠にリベットで点字を作っていく学習が中心だった。彼女のために板に釘をうって50音表を作って送ったこともある。その点字表は彼女の僅かばかりの私物の中に今でもとどめられているのだろうか。
 お会いする度に一歩ずつ前に進んでいた点字の学習も、最近は、むしろ、覚えている点字の数は少なくなった。それでも彼女と点字をはさんで関わる時間はとても大切な時間のように思えて時間が流れていった。そんな彼女から、今年、長い文章を聞き取ることができた。

 いいスイッチがみつかった 気持ちが言えそう 自分で願ってきました
 分相応の生き方をしてきましたがしあわせな人生を過ごしてきました 銀世界を夢にみていましたが銀世界には行けませんでした 未来はごんごん乗り越えて切り開いて困難を吹き飛ばしていかなくてはいけません 小さいときからの願いがかなってうれしいです 人間としていい人生を生きてきました みんなに感謝しています みんなわたしを愛してくれてありがとうございます 
 もう少し書きます 人間として銀色の銀世界にあこがれてきましたが自分で一人暮らしをしたかったです 人間として自分で冒険をしたかったけどそれはかないませんでした 銀世界は遠い世界でしたがとてもいい人生でした みんなに感謝しています 人間としていい人生を送れてよかったです 
 いいスイッチですね ほしいです 

(助詞の「は」がなぜ使えるのですかとの質問に対して)小さいときは見えていたからです 
 聞いてほしいことがあります 銀世界とは自分の大事な世界です 小さいときからいつもあこがれてきました 字の勉強や点字の勉強に大事な意味を感じてきましたのでとてもいい人生でした 勉強も人生の大事なろうそくのあかりでした ろうそくのわたしの光をともし続けて残りの人生を生きていきたいです 人生の泥沼をはいだして勇気を持って生きてきてよかったです 運命に負けずに生きてこれてしあわせでした 銀世界に行けなかったけどしあわせでした 銀世界と別れるのはつらいですが銀世界とはそろそろお別れです 銀世界とさらばしてがんばりたいです 
 いいスイッチですね ほしいです 言いたいことが言えてよかったです


 生まれ故郷を離れて遠い施設で過ごしてきた人生がいったいどういう意味を持ってきたのか、そのことはこの施設を訪れるたびに、私の脳裏をよぎり続けてきた問いだったが、ここには一つの答えが示されている。これは、彼女の人生に対する勝利宣言と言ってもよいだろう。そして、私たちが大切にしてきた点字の学習は、彼女の人生にとって大切な意味を持っていたという。確かに彼女がずっといだき続けてきた夢には到達できなかったが運命に負けずにこれてしあわせだったという。そして、人生の最終地点が近づく中で、彼女は、今、その夢と潔く決別するという。まだ、その年齢には達していない私には、その境地は本当にはわからないが、それは、単なるあきらめとは到底言えないものだろう。そして、これらもろうそくの光をともし続けて生きていくと力強く語っていらっしゃる。
 私はただ、彼女が少しでも長くそのろうそくの光をともし続けていくことを願うのみだ。
2010年8月23日 17時04分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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光道園にて2010年夏その1
 福井県にある光道園という視覚障害者を中心として受け入れている施設で、点字の基礎学習を中心とした合宿に参加するようになって20数年が経過した。私たちがそこでお会いする方々は、視覚障害と知的障害を重複しているとされている方々だが、昨年から私は点字の基礎学習に加えてパソコンによる言葉の聞き取りを始めた。昨年はまだ手探りだったが、たとえ視覚障害があっても耳だけで音の選択はできることにほぼ確信を得た今年は、積極的にパソコンによる聞き取りを試みた。そして、20人ほどの方々の言葉を聞き取ることができた。もう長いことこの施設で暮らしている方がほとんどで、そこで語られた言葉は、また、一段と重いものだった。そのいくつかを紹介したい。
 なお、視覚障害の方々にとって、濁音や半濁音、拗音、促音などのルールや助詞の「は」「へ」のルールがかな文字と点字とではちがっているが、ほとんどの方がそこの問題はスムーズにクリアなさって、私がいつも使用してる2スイッチワープロで気持ちを表現して下さった。
2010年8月23日 17時02分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年07月28日(水)
罪について
 中学生の☆☆さんの、若者らしい一編の詩。

住みなれた街に別れを告げ
青年はひとり旅に出る
どこにならどんな苦難も乗り越えられる
遠い希望の街はある
どこになら罪をゆるしてくれる
そんな仲間は住んでいる
仲間に伝える夢は
まだはるかかなたの山の向こう
忘れられない若者の勇気をまたとりもどして
前にひらける未来の世界に
若者はまた歩きだす。
 

 罪という言葉が気になり、尋ねてみた。

 きびしいときに作った詩です。罪とは私たちのもっている障害のためにまわりの人々に迷惑をかけてしまうことです。小さい時からそのことが気になっていました。

 そこで、いたずらをしてお皿をわると罪だけど、お手伝いをしてお皿をわっても罪とは言わないという例を出して、障害は罪ではないということ、そして、そもそも、迷惑という人もいるかもしれないが、迷惑と限ったわけではないということを説明した。そして、もちろん、おかあさんは、どれだけ、迷惑どころかとても大切な存在であること、☆☆さんから勇気をもらう人もいるということをご説明された。

 どうしてそんなふうに思えるのか不思議です。先生はなぜ私たちとつきあっているのですか。

 容易に答えられる問いではなかったが、世の中でいちばん大切なことは、人と人とがこうして関わり合うことだというようなことを答えた。

 小さいときからの疑問が解けました。よかったです。わかった、おかあさん。でもやっぱりもうしわけないです。そうです。ほんとうに気になっているので心配ですがきょうは話せて安心しました。よい日です。いい一日になりました。ありがとうございます。いろいろ教えてもらってうれしかったです。勉強になりました。

 すでに、☆☆さんは、りっぱな大人になっていた。
2010年7月28日 08時50分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年07月18日(日)
ぬいぐるみの望み
 ぬいぐるみは、多くの人が語ってきたテーマだ。わかってもらえない気持ち、伝えられない気持をぬいぐるみに託し、すてきな詩や歌も生まれてきた。そして、また、ぬいぐるみを歌ったすてきな詩が生まれた。今年から社会人になった男性が、初めて実際に彼がパソコンで文章を綴るところを見にこられたお父さんを前に、表現したものだ。選ばれた言葉の美しさがひときわ光る詩だった。

  ぬいぐるみの望み

少年はいつも祈っていた
ひとりで海に出ることを
人間として生まれたけれど
ぬいぐるみとしての人生をしいられて
ひとり静かに夜の闇を見つめながら生きてきた
私の夢をそよ風が静かに聞いて通り過ぎ
私の瞳を月が静かに照らし消えていく
みんないい願いだと言ってくれたけれど
渡しの夢はかなうことなく過ぎていった
理解する人もいないまま
時は静かに過ぎてゆき
小さな空の隙間から
のどぶえの赤い鳥が降りてきた
見たことのない姿の鳥は
静かに私ののどに止まり
一声高く鳴いたかと思うと
すっと空に消えていった
もんもんとした心が
すっとさわやかな思いに変わり
私は声を出してみた
するときれいな声が出て
体が放り出されたかのように軽くなり
私はぬいぐるみの心から
人間の心に解き放たれ
練習もしたことがないのに舟をこぎ
もんもんとした気持ちに別れを告げて
大きな海原にこぎ出していた
2010年7月18日 00時06分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年07月08日(木)
望みの花園
 大学を訪れた今年社会人1年目の女性が、5月のある日、こんな詩を綴った。

   望みの花園

夢の私らしさを私は求め
私を私らしく開かせる
ワンダーランドは空の彼方夢の彼方に広がって
よい私を旅立たせ
もんもんとした気持ちを私はなくし
光とともに私は心を踊らせて
私を空に舞い上がらせて
忘れられないきれいな歌を
私はひとり歌いながら
遠い世界に望みをいだき
この世のどんなものよりも
すてきなどこまでも理想を求めて
めざすはやさしいよいことの満ちあふれる
デコレーションののっかった私だけのいばらの花園
まるで私の苦しみが楽園として生まれ変わったような場所
まさか名前はわからないけど
半月前には鳥さえ通わぬところだとは思えないところです


 彼女は、詩に添えて次のような言葉を語った。

 私の心の風景を詩にしました。それだけひとりの時間が長いということを意味しています。
2010年7月8日 17時34分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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きんこんの会 次回は8月28日土曜日です。(7月は行いません。)
きんこんの会、一部の方々に7月25日に開催する予定であるとお伝えしておりましたが、冷房の関係等で、大学がこの日は使えないことになり、8月28日土曜日1時半に開催させていただきたいと思います。場所は、たまプラーザキャンパスの1号館1階第5会議室を予定しています。ご予定をたてておられた方もいらっしゃるとおもいますが、大変申しわけありません。よろしくお願いします。
 
2010年7月8日 17時17分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| 大学 |
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きんこんの会 次回は8月28日土曜日です。(7月は行いません。)
きんこんの会、一部の方々に7月25日に開催する予定であるとお伝えしておりましたが、冷房の関係等で、大学がこの日は使えないことになり、8月28日土曜日1時半に開催させていただきたいと思います。場所は、たまプラーザキャンパスの1号館1階第5会議室を予定しています。ご予定をたてておられた方もいらっしゃるとおもいますが、大変申しわけありません。よろしくお願いします。
 
2010年7月8日 17時17分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 大学 |
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2010年06月06日(日)
詩「いい言葉」 夏は心が痛む季節です 
 例年なら、梅雨入りを気にする時期だが、今年は季節の歩みが遅い。この日は、気温は高かったものの、さわやかな一日だった。二十歳を過ぎた○○さんは、そんな夏の風に誘われるように、次のような文と詩を綴った。

 夏らしい天気になってよかったです。
 忘れられない思い出がおかあさんとたくさんあります。私はどこにいくのもおかあさんといっしょですからいっぱい思い出があります。まるで魔法のようです。忘れられない夏の思い出は昔のお別れの場所に行ったときのことです。よそになくなった人が出ると私たちの言葉をその人に伝えるために音なの人に頼むというところです。人間には悲しい別れがあるのでみんなその悲しみを癒すために集まるのです。そんな思い出があります。いい思いでです。また行きたいです。私はなくなった仲間に会いたいのでその場所が大好きです。私たちの仲間は早くなくなる人が悲しいことに多いので私はいやですが、なんともしようがありません。若いのになぜなくなってしまうのでしょうか。私はそのことをいつも考えては涙を流しています。なぜなのか本当に知りたいです。夏になるとそのことがとくに思い出されます。夏はとても悲しい季節です。夏は心が痛む季節です。みんないい夏を迎えてほしいです。
 はい。詩は好きです。


   いい言葉

早く逝ってしまった友よ
なぜあなたは逝ってしまったの
仲間はみんな元気で
今年も夏の香りを感じているよ
小さいときから話もできず
そのまま亡くなってしまった友よ
私は今いい言葉を伝えるために
お別れのことを思い出しろ呼んでみる
大好きだったよ あなたのことが
なぜあなたはいってしまったの
私は今こうして私のいい言葉を
あなたにつたえるために
私は私のいい言葉をつむぐ
夢はなかなかかなわないけど
夢をけっして忘れずに
私は私の私らしさを大切に
いつもあなたを思いながら
これからもいい言葉をたいせつに生きてゆく

おわり


 夏という季節が心痛む季節であるという言葉を聞いたのは初めてのことだ。北風にしてもそうだが、季節というものが私たちの知らない彩りとしえとらえられているということに、あらためて脅かされる。
2010年6月6日 10時17分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年06月05日(土)
詩「風の罠」
 中学生の○○さんが、風の罠という詩を作った。じっくりと作ったものらしく、大変完成度の高い作品だった。

           風の罠

体が動かないのは誰のせいでもないけれど
なぜ私たちはこんなにもいい空の下を
うつむいて行かなければいけないのだろう
いつになったらいい風は私たちを
やさしく未来へ運んでくれるのだろう
悩みはいつも南の風の吹いてくる
名前も知らない人たちが住む
牢屋の中よりやってくる
小さい希望の唯一の願い
まるで罠をかすめた鳥の羽
誰も知らない静かな夜に
南の風は盗人のようにやってきて
私は砂を握りしめ
私の魔法の罠から逃れ
名前を探して未来へ歩む
 

2010年6月5日 00時37分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 家庭訪問 |
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2010年05月28日(金)
5月のきんこんの会のこと 6月は15日に開催します。
 5月のきんこんの会は、5名のみなさんが集まりました。司会をどうするか、発言の方法をどうするかなど、これから少しずつスタイルを作っていかなくてはなりませんが、今回は、4月の反省をふまえて、会話が平行しないように、一人ずつが発言していって、話が一本の糸でつながっていくようにしました。たまたま、3時間目の私の授業で、アイデンティティ(=私らしさ)の形成の問題を扱っており、そこに3名の方は参加したこともあって、前回の議論の中でも繰り返し語られた私らしさのことをふまえて話が始まりました。
 なお、通訳はDさんについては、お母さんによる50音表の指さしの介助、他の方は私が手を振って「あかさたな」と聞きとっていく方法をとり、終わり近くでDさんのお母さんが50音表の介助を試み、とてもうまくいきました。なお、途中Cさんのお母さんもCさんに対して50音表の指さしの介助で通訳をしました。コミュニケーションの方法も少しずつ広がりを見せています。


Aさん(女性):私の母さんのピアノを聞いているとうれしい気持ちになります。こんなに私の気持ちをすらすら言えるのは、不思議です。自分の気持ちと合っているので、信じてほしいです。よいやりかたなので、みんなにわかってもらいたいのですが、なかなか信じてもらえませんでしたから、くやしかったです。私のろうそくに火を灯してくれた先生です。よい先生でしたが、信じてもらえません。疑われていてくやしかったです。
(私らしさについて)私らしく生きることが大切だと思っています。なかなかそれを見つけるのは大変です。勇気がないので私らしさを人に伝えることが難しい。なかなかわかってもらえないので、伝えるのが難しいですから、私らしさをもっと伝えていきたいと思っています。私らしさとは、いつも夢を見ていることです。私らしさを知っているのは、お母さんと先生ですが、まだまだ私らしさを伝えられていません。私らしさを伝えたいと思います。

Bさん(女性):良い会ですね。私らしさについては、よくわかりませんが、私の私らしさについて、考えています。勇気をもらいたいと思って、今日は来ました。私の私らしさを私自身が見つけられるように、これからも一緒に考えていきたいと思います。勇気がほしいです。勇気をもらいたいです。私はもっと言いたいことがあるけれど、私の言いたいことの半分も言えてないので、私ともっと私らしく伝えていきたいです。勇気がほしいです。まだまだ勇気が足りないので、美しい気持ちになるためには、勇気が必要ですが、まだまだ足りませんから、勇気をもらいたいです。よろしくお願いします。
 俳句を作っているのでみんなに聞いてもらいたいのでよろしくお願いします。美しい歌も作っているので。

Cさん(女性):あのね、なぜ自分は何者かと考えるの? 私は私。ラフに考えよう。まだ私にはわかりません。もっと、やさしく、先生教えてよ。母を見ていると、私とは何?と考えてないよ。

Dさん(男性):先生、自分とは、ということについての質問でいいでしょうか。僕は自分を見つめる時間があまりにも長くて、たまらなくなる時もあります。障害を持ったおかげで、先日の利光さんが天井ばかりを見ている生活なんかいやだとおっしゃったけれど、今まさに僕は天井を見つめている生活をしています。自ら動けないということは、こんなにも限られた世界観を植え付けるものなのかと、本当は思っていましたが、あの授業(3時間目)では、学生が障害者に対して、かわいそうとかと思われるのも嫌だったので、言いませんでした。僕の今までの自分探しは、時間があるのに何もできない自分にどう立ち向かうかでした。僕たちは、こんなにたくさんの言葉を言っているのに、僕の気持ちを本当にわかってくれる学生が何人いるでしょうか。自分とは何もできない、悔しい存在でもあります。こんちくしょうと思っては見ても、動けない、しゃべれないという、この現実にすごく悔しい日々が続きます。文章ではかっこいいことを言っていますが、確かに介助してくれる人には感謝していますが、僕の気持ちを聞き取ろうと、ボードを持ってくれる勇気のある人がなかなか現れないのが現実です。自分はどこへ向かうのだろうか。僕の人生はこの先どうなるのだろうか。そんなことを考えさせられた授業でした。学生の中には居眠りをしていた人もいたけど、あれは、自分でできることが多い人の怠慢のように思われました。僕らは、体力もなくて、聞きたくても聞けない授業もあるのに、聞こうともしない人が小学校の先生になるのは、どうでしょうか。先生の言葉も大切だと思いますよ。教育とは人を育てるものです。僕は寝ていた人に教わりたくないです。

Eさん(女性):いつもわからないことがあります。私の意見は、運命だと思ってあきらめています。運命だからしかたないというのは、おかしいでしょうか。

Bさん:私はいつも運命だと思ってあきらめるの。運命とは、戦いたいと思っています。

Eさん:私も戦いたいと思っていますが、どうやって戦えばいいかわかりません。

Aさん:いつもみんなといっしょに戦っています。戦い続けています。私の戦いは、運命というものを、私から忘れることです。

Dさん:戦いとは相手がいることで、Aさん(女性)さんのお母さんは、Aさん(女性)に誰を戦いの相手だと言っていますか?

Aさん:私は私自身と戦っているので、誰かと戦っているわけではありません。

Dさん:自身との戦いでは、負けたとき、自分がこわれちゃうよ。

Aさん:私は別に私自身と戦っても負けるわけではありません。私の戦いは私自身との戦いですが、いつもいつも私の勝ちです。それは、私は私の運命を忘れて、私らしく生きていくことを、私に課している。あえて言えば、そういう言い方になります。勇気があれば、私はいつも勝つことができます。運命にはいつも負けたくないので、私はいつも私に勝っています。私の殻に入っているわけではありません。私の運命と戦っているので。

Dさん:社会に自身の考えを発しようよ、この会を、僕らのような障害者でもこんな熱い想いがあるということを。そう僕は思っています。

Aさん:私の中に閉じこもっているわけではありません。社会との戦いは、まだ始まっていないので、これから社会との戦いを考えたい。

Eさん:私はまだ私の言いたいことを言えていないので、私は運命のままに置かれたままになっているので。

Cさん:ねがっていてもしかたない。方法を考えよう。

Bさん:私らしくなるまでの戦いができない。自分の気持ちを伝えることができない。戦いが始められていません。

Dさん:戦いではなくて、僕らの想いを伝える詩でも文でも、君のやってる俳句や短歌でも、形になって世間に出せば、その反応をみることができる。

Cさん:Bさんさん、いい笑顔になった。

Dさん:Mくん(学生)、僕らのこの話し合いを文章にしてくれますか。学校中に配って。僕はせっかく作ったこの会を、どうにかして社会とのパイプにしたいと願っています。それには、ここに来てくれた動けるいい人たちにお願いして、助けてもらいたいと思いますが、どうでしょうか。

Eさん:どうやっていったらいいのか、よくわかりません。私の言いたいことを歌にしてみたけど、あまりわかってもらえませんでした。わかってもらったのは、仲間ばかりでしたから、私はまだ社会の人がわかってくれたとは思いません。私の歌はわかってくれたのは、いつも仲間ばかりでした。もっともっと勇気を持っていきたいと思います。

Aさん:歌を聴かせてください。

(Eさんが作詞した『野に咲く花のように』の歌を流す。)

野に咲く花のように私はばてない
無理せず生きてゆけばいいこともあるはず
遠くに舞い降りた鳥のように見える
希望に向かって呼んでみよう
願いはただ一つ
たとえ道は遠くても夢さえなくさずにいけたらと思う

目の前に続く道は楽な道ではないけれど
へんてこな私だって戦い続けていきたい
悩みがあまりに多くて前が見えなくなっても
野に咲く花のような気高さでもって生きていこう
いつまでもへこたれないで

Aさん:私にはとてもよくわかりました。私には、Eさんの戦いがよくわかりました。

Dさん:僕は全然それでは進まないと思うけど、だから、号外を出して。ひとりひとりの意見をまとめるというよりも、ひとりひとり

にこんなにたくさんの想いが詰まっているんだと、知ってほしいです。F君(学生)、M君と一緒にお願いします。僕も本当は動いてみたいですが。

Eさん:私の言いたいことを、忘れてしまっていました。弱気になっていました。歌を作った時は、そう思っていたけど、わかってもらえないので、弱気になっていました。私の言いたいことは、私が忘れてはいけませんね。私が言いたいことを大切にしていきたいと思いますので。まだまだわかってもらえません。

Bさん:言いたいことがいっぱいあるけど、伝わらないのが悲しい。私の言いたいことはいつもわかってほしいということです。
(Dさんの母の50音表の介助に変わってみる)
Bさん:Bちゃんはとても手が動きにくいけど、気持ちはいっぱいあるよ。みんなの意見もすごくすてきだし、Bちゃんだって負けてないよ。気持ちはたくさんあるから、短歌も作っています。みんなと社会に発信できることを初めて聞き、うれしく思いました。学生さんが、あんな風に手伝いを簡単に引き受けてくれるなんて、うれしくてうれしくて夢のようです。Bちゃんって、(自分で)自分のことを言ってたの、ママは知っていますか。ママ、私はBちゃんって言っていますよ。いい子です。ママをとても愛しています。いつまでも私と短歌を作り、それを社会に出せたら素敵ですね。いい会になりそうです。お友達も増えて、とてもうれしいです。Bちゃんは幸せ。先生、素敵な会を思いついてくださって、本当にありがとうございました。Bちゃんは幸せ。みんなも幸せ。M君、F君もいい人ですね。会えてよかったです。

Aさん:(Dさん(男性)の母のボードの介助)
 私はもっと話がしたい。みんなに負けない気持ちがあります。Aさんはちょうちょになります。たくさんの友達、素敵です。M君、素敵。私も握手をしたかったのに、おばさん気をきかせてね。たくさん話したい。私だって生きています。気持ちもあるよ。みんな見て、私がいることを。みんな、知って。いい日になれたな。

 一人一人の気持ちを聞き取ることから互いの語り合いへと、新しい時代が切り開かれてきました。それは、まだ、密かな到来ですが、歴史の歯車が反対に進むことはありません。日本の障害者の歴史の大きなターニングポイントは1970年だと言われます。これは、主として身体障害のある人々を中心としたものでした。その20年後の1990年、知的障害者の本人活動のスタートが切られました。そして、今年はその20年後にあたります。言葉を閉ざされてきた人たちの新しい時代の始まりであることを私は確信しています。
 
 次回のきんこんの会は、6月15日に開催します。
  
2010年5月28日 13時38分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年05月16日(日)
母に捧げる言葉と夕焼けの詩
 母の日に20代の女性○○さんはこんな言葉を母に捧げた。

 ありがとうおかあさん。鏡の前でかあさんが咳こんで苦しそうにしていたので、心配していました。小さいことでも気になります。人間だから気持ちが言いたいですが、かあさんに無理してもらうのは気が引けますから家では(言葉を読み取る練習は)もういいです。頑張らないでください。かあさんに申しわけありません。あんなに無理しているのを見るのはつらいです。家出はふだんのままでいいです。自分の気持ちの言葉はどんなふうにしても伝えられません。悲しいですがわかってもらえるだけでいいです。わかってくれさえすればいいです。
 夏を待ち望んでいます。夢は夏らしい夢をかなえることです。海水浴に行きたいです。小さい頃によく行きました。小さい頃、夕方によくやわらかな夕焼けがろうそくのあかりのように見えましたが、なかなか見えません、最近は夕焼けが。じっとかあさんの胸にだかれてよく散歩をしたものです。夕焼けがとても好きでした。苦しいことや悲しいことも夕焼けを見ると希望に変わりましたから。人間として満足に希望をかなえることもできなかったけど、希望だけは失いたくないと思いながら今日まで生きてきて、人間らしい未来をつかみたいとよく願ってきましたが、なかなかむずかしかったです。なんで私だけこんなに苦労するのかと思ったことも少なくありませんが、泣かないでこれたのは、いつもやさしいかあさんととうさんがいてくれたからです。泣かないでこれたのはかあさんが鏡に向かっていつもお祈りをしてくれたからです。かあさんはいつもいい大好きなかあさんです。(鏡に向かって祈るとは)鏡に向かうとよくひとりごとを言っていることです。私のことをよく話してくれます。
 敏感ないいかあさんなので、いつまでも長生きしてください。小さい夢ですがかあさんに指輪を買ってあげたいです。ルビーの指輪がいいと思います。(お母さんは、病気の関係で指輪はできないと伝えると)悲しいです、夢でしたから。何かほかの飾りでいいから買ってあげたいです。自分では買いにいけないのでかわりに買ってください。私の貯金で。年金があれば使ってください、たまには。みんなもきっと同じだと思います。分相応のものでいいから買ってください。かあさんに買ってあげたいとずっと願ってきました。人間だから何かいい方法で感謝をしたいです。いい方法はないでしょうか。書いただけではなかなか伝わりません。自分の気持ちをかたちにしたいです。かあさんに伝えたいです。よいかあさんだから。


 そして、

夕焼けの悲しい色のような歌を聞いてください。

と書いてから、夕焼けの詩を綴った。○○さんは未熟児網膜症なの絵、ずっと私たちは見えていないと思っていたのだが、わずかに残された視力で彼女は、夕焼けをしっかりとらえていたのだ。

悲しい夕焼け小さい胸に
ろうそくのあかりをともして消えた
光のむこうの暗闇を私は澄んだ瞳で見つめ
悲しい物語をそこに見る
人生の片隅のひそやかな願い
ろうそくの光をともしておくれ
光はいつも泣いている私に希望を与えて
私をあしたの見たい世界に連れていく
美から目ざめた願いの未来
ろうそくのあかりを空にまた
体中まで赤くして私らしく生かしてほしい
ランプのような夕焼けは
晩の暗闇を泣かないようにしてくれる
人世の片隅で
願いを未来につなぎながら
小さい夢を
未来にいつか冒険のように
よく実らせよう


   
2010年5月16日 21時44分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 研究所 |
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きんこんの会5月18日のお知らせ
 すっかり間際になってしまいましたが、改めて、5月のきんこんの会についてお知らせいたします。
 今月は、18日火曜日です。3時から私の研究室のそばにあるゼミ室を使用して、行いたいと思います。
 今回は、特別な企画はありませんので、ゆっくりと語り合いながら、これからのことなど、話し合っていけたらと考えています。
 お車で来られる際は、正門を入った駐車スペースに止めることができますので、駐車した後、受付で駐車許可のカードをもらってください。わかりにくいこと困ったことがあったら、どうぞご遠慮なく携帯にお電話ください。
 この日の私の講義は2時間目が411教室で「ボランティアと社会参加」(午前10時40分〜12時10分)、3時間目がAV1教室で「発達と学習」(午後1時10分〜午後2時40分)です。授業への参加も大歓迎です。
 参加できる方は、ご一報いただけるとありがたいですが、突然いらしてもまったくかまいません。
 よろしくお願いします。
2010年5月16日 21時34分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 大学 |
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2010年05月03日(月)
きんこんの会の報告とお知らせ 5月は18日です。
 5月のきんこんの会は18日に行います。時間は、3時からです。2時間目と3時間目の授業に参加してくださる方、大歓迎です。
 また、近づいたら改めてお知らせします。以下、4月の会の報告です。

 4月27日にきんこんの会が開かれた。集まったのは援助によるコミュニケーションによって気持ちを表現する11人のメンバー。そのうち6名は親御さんによる通訳で、その手段の内訳は、50音の文字盤2名、ローマ字の文字盤1名、パソコンの2スイッチワープロ1名、あかさたなと聞いていく方法1名であった。そして私はあかさたなと聞いていく方法で5人のメンバーの通訳をした。
 当日は脳性マヒの当事者で言語障害はありながらも自由に音声言語は操って地域で福岡で自立生活を営む利光徹さんを2時間目と3時間目の講義のゲストに迎えていた。メンバーの幾人かは3時間目の利光さんの講義から参加した。発達と学習という講義題目なので、半ばこじつけながら、利光さん自身の青年期のことを語っていただいた。利光さん自身生涯でもっともきつかったという孤独な閉ざされた10代の半ば、突然、親から、自分たちが死ぬ時は一緒に死んでくれと告げられ、まだ何一つやりたいこともやっていないのに、死ぬわけにはいかないと思いつつも、その先が見えない苦しみの中で、仲間の集まりに通うようになる。一歩町に出てみると、バスの乗車拒否に始まり、喫茶店の入店拒否など、たくさんの理不尽な差別にさらされた。そこで、しだいに気づいていったことが、なぜ自分たちが当たり前に生きてはいけないのかという思いだった。利光さんたちを阻んだのは社会の厚い常識の壁だったが、利光さんたちの闘いは、その常識の壁を打ち破っていくことだった。そして、26歳のとき、今やらなければ一生もうそのチャンスはないだろうと考え、家出同然でアパートを借りて自立生活を始めるにいたったという。
 自力で話ができるということにおいては状況が異なるとはいえ、社会の常識の壁に阻まれて当たり前のことが当たり前のこととして認められないということにおいては、同じ状況にあるメンバーにとって、みずからが直面している抜き差しならない問題そのものが語られていく。中には、話に共感するあまり、声が出てしまうメンバーもいた。
 そして、授業のあと、教室を借りて、きんこんの会が催された。話題は、もっと勉強がしたかったということや、どうやったら自立生活ができるのか、親との関係はいかにあるべきかなど、それぞれが様々に語った。これまで、ともすると個別的な関わり合いに終始しがちだった関係が、横につながるということの意味の大きさを痛感させられた一日となった。まさに青年期のただ中にあり、しかも、未来が容易に見えないという状況の中を生きる若者たちの言葉を聞きながら、利光さんの発した言葉は、よくみんなしっかりものを考えているということだった。もちろん、それは、利光さんが差別を見つめることによって確かな生き方を見いだしたことと相通ずるものである。言葉を禁じられるという厳しい状況の中で研ぎ澄まされてきた気持ちが、おのずと、深い意見を引き出していたと言える。そして、利光さんは、みんなの課題は、私や家族ではない学生のような存在に、通訳者を見いだすということだと語った。
 まだ、手探りの会だが、新しい時代を切り開く動きの一つとなったらと心から祈っている。
 会の後、居酒屋で二人になると、利光さんは、社会に迷惑をかけないということにしばられていた自分の母親の時代に比べて、確かに、今の母親の意識は大きく違っていると感想をもらした。そして、通訳の方法について、彼らが話しているということを自分はまったく疑わないと言った。それは、本人を見てればわかると。自力で話すということにおいては、利光さんは私たちと同じ側にいる。しかし、やはり、利光さんは、彼らの気持ちのすぐ側にいるということがわかった。
2010年5月3日 23時34分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年04月18日(日)
きんこんの会 4月の日程
 以前に予告しましたが、援助によって気持ちを表現している人たちがともに語り合う場である「きんこんの会」を4月27日、國學院大學たまプラーザキャンパスの柴田研究室にて開催いたします。
 参加はご自由ですが、人数をあらかじめ把握しておきたいので、ご一報いただけると幸いです。大学に到着した際のご連絡方法なども打ち合わせておきたいと思います。
 時間は、次のようになります。当日2時間目と3時間目は授業があるのですが、ご希望の方は、そこからご参加下さい。この日は、利光徹さんという福岡市で自立生活を送る脳性マヒ者の利光徹さんという私の授業の常連のゲストに来ていただき、2時間目と3時間目では彼を交えた授業を行います。

きんこんの会 午後3時から 柴田研究室にて(2号館5F)
2時間目の授業「ボランティアと社会参加」 午前10時40分から411教室
3時間目の授業「発達と学習」午後1時10分からAV1教室

 
 終わりの時間は特に定めていません。(利光さんとは夜まで約束しています。)
  
 初めての試みなので、いろいろと行き届かないことも多々あるかと思いますが、よろしくお願いします。
2010年4月18日 10時28分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年04月17日(土)
Tさんからのメール 1月から4月
3月の終わりまでにTさんから届いたメールをためてしまった。最新のものを含めて、紹介したい。

 外へでかけたいよ。遠くに行ってみたい。変な道だけど前へむかってもりあがろう。苦しいときほどみんなでもりあがろう。好きな人といっしょに住みたい。ロケットに二人で乗って宇宙へ飛び出したい。愛する人と住みたい、二人で住みたい。(1月26日)
 
 手を伸ばしてほしい。言うのは大変。いのちつなぎたいけれど生きるのは大変。死んでしまうのはいやだ。少ない人生でも大切に生きたいと思う。私はみんなといっしょに仲間と暮らしたい。手が勝手に動いてつらい。力を弱められない。変な気持ち。(2月9日)

 車で外へでかけたいと思う。遠くまで友達と行きたい。手や足を使ってほかのところへ行ってみたい。足でも使って遠くへ行ってみたい。何とかして遠くへ行きたい。たおれてしまうかもしれないけれどもがんばって進んでいきたい。普通に暮らせるように歩いてゆきたい。(2月23日)

 夢はロケットに乗って遠くへ行くことだ。二人で探したい夢の子ども。まだ見たことのない夢を探しにいきたい。ろけっとに乗って探しにいきたい。すてきな星を見つけて願いをかなえたい。好きなすてきな人と一緒に星で住みたい。苦しいときにも二人で乗り越えていきたい。未来は遠いけれどあきらめずにがんばっていきたい。とてもむずかしいことだけどがんばっていきたい。(3月9日)

 伝えたいことは苦難の試練乗り越える大変さです。結婚できない事実を認めていくことはとてもできないことです。何とかして結婚して願いをかなえたいです。勝手に体が動いて、困ります。すぐに好きな人と遠くへ行きたい。好きなドラマみたいに遠くに行ってしあわせに暮らしたい。花のきれいなところに行きたいと思います。季節は変化して夏になって実のつくくだものがたくさんできます。木は大きくなって花はすてきな実をつけます。好きな外で遊びたいよ。秋になれば何もかもが赤く紅葉してすてきな景色になります。冬になると空気は冷たくなりみんな車に乗って暖かいところへ逃げていきたい気持ちになります。ぼくは一人になって次の春を待ちます。(3月23日)

 へぼな僕ですがのんびり生きてはいられません。のんびりとはしていられない理由は長くは親が生きているわけではないからです。何か新しいことを考えなければなりません。おそかれはやかれ親からはなれて暮らさなければなりません。そのためにはたぶん一人で暮らす方法を考えなければなりません。友だちと手をとって共同で暮らしていきたい。何とかしてみんなで生きていきたい。まつださんもいっしょに暮らしていこう。もっといっぱいの仲間を集めよう。苦しみをン堀越えるために集まろう。友だちに伝えたいことはもっと願いを持とうということです。(4月13日)

 自立への思いが語られるとともに、しだいにそのかたちの輪郭がくっきりとしてきたことが伝わってくる。残念ながら、まだ、その具体的な方策は見えてこないが、大切なことは、表現を綴ることだ。そして、表現する相手はきっと自分自身でもあるはずだ。 
2010年4月17日 08時45分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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Tさんからのメール 1月から4月
3月の終わりまでにTさんから届いたメールをためてしまった。最新のものを含めて、紹介したい。

 外へでかけたいよ。遠くに行ってみたい。変な道だけど前へむかってもりあがろう。苦しいときほどみんなでもりあがろう。好きな人といっしょに住みたい。ロケットに二人で乗って宇宙へ飛び出したい。愛する人と住みたい、二人で住みたい。(1月26日)
 
 手を伸ばしてほしい。言うのは大変。いのちつなぎたいけれど生きるのは大変。死んでしまうのはいやだ。少ない人生でも大切に生きたいと思う。私はみんなといっしょに仲間と暮らしたい。手が勝手に動いてつらい。力を弱められない。変な気持ち。(2月9日)

 車で外へでかけたいと思う。遠くまで友達と行きたい。手や足を使ってほかのところへ行ってみたい。足でも使って遠くへ行ってみたい。何とかして遠くへ行きたい。たおれてしまうかもしれないけれどもがんばって進んでいきたい。普通に暮らせるように歩いてゆきたい。(2月23日)

 夢はロケットに乗って遠くへ行くことだ。二人で探したい夢の子ども。まだ見たことのない夢を探しにいきたい。ろけっとに乗って探しにいきたい。すてきな星を見つけて願いをかなえたい。好きなすてきな人と一緒に星で住みたい。苦しいときにも二人で乗り越えていきたい。未来は遠いけれどあきらめずにがんばっていきたい。とてもむずかしいことだけどがんばっていきたい。(3月9日)

 伝えたいことは苦難の試練乗り越える大変さです。結婚できない事実を認めていくことはとてもできないことです。何とかして結婚して願いをかなえたいです。勝手に体が動いて、困ります。すぐに好きな人と遠くへ行きたい。好きなドラマみたいに遠くに行ってしあわせに暮らしたい。花のきれいなところに行きたいと思います。季節は変化して夏になって実のつくくだものがたくさんできます。木は大きくなって花はすてきな実をつけます。好きな外で遊びたいよ。秋になれば何もかもが赤く紅葉してすてきな景色になります。冬になると空気は冷たくなりみんな車に乗って暖かいところへ逃げていきたい気持ちになります。ぼくは一人になって次の春を待ちます。(3月23日)

 へぼな僕ですがのんびり生きてはいられません。のんびりとはしていられない理由は長くは親が生きているわけではないからです。何か新しいことを考えなければなりません。おそかれはやかれ親からはなれて暮らさなければなりません。そのためにはたぶん一人で暮らす方法を考えなければなりません。友だちと手をとって共同で暮らしていきたい。何とかしてみんなで生きていきたい。まつださんもいっしょに暮らしていこう。もっといっぱいの仲間を集めよう。苦しみをン堀越えるために集まろう。友だちに伝えたいことはもっと願いを持とうということです。(4月13日)

 自立への思いが語られるとともに、しだいにそのかたちの輪郭がくっきりとしてきたことが伝わってくる。残念ながら、まだ、その具体的な方策は見えてこないが、大切なことは、表現を綴ることだ。そして、表現する相手はきっと自分自身でもあるはずだ。 
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2010年04月12日(月)
無力感の越え方はあるのですか
 見学に来てくださったかつての担任K先生を前に、高校2年の○○君は、様々な思いを語った。K先生に会うまでは、勉強らしい勉強はしてもらえないグループにいたが、K先生のおかげで少しずつ言葉を使った「普通の」学習になって、K先生の手を離れるころには、何とか学習のグループに入ることができるようになっていた。

 K先生こんにちは。もう先生が転勤されて三年もたちましたね。みんなK先生みたいな先生だといいのだけど。夢でしたから、勉強を教えてもらうのが。勇気をもらいました、先生からは。わかってくれた最初の先生でしたからたいへん感謝しています。会えてうれしいです。学校ではなんとか勉強をしてもらっていますが人間だからもっと考えたいです。いい友だちもほしいです。夢でしたから。場ちがいなことばかりの学校の勉強はどうしても友だちがかわいそうです。
来年の夢は地域で生きていくことなのでなんとかいい場所を探したいです。いい場所に行きたいです。人間として認められる場所です。なかなかみつかりませんが地域で生きていきたいのでよろしくお願いします。自分の夢は理解される場所で理想の人間になることですが未来は理解される世の中になるように若者のたちで運動していきたいです。
 自分でもがんばったけどK先生のおかげです。なかなかK先生のような先生には会えません。ちがいはいちばんは気持ちだと思います。
人間だからなんとなく考えただけでもきちんとした言葉になります。なんで人間を強調するかというとみんなぼくたちを人間として見ないからです。考えているということを認めてもらえないからです。
自立がしたいけど夢のようです。なかなかよい場所が見つかりません。なんとかして見つけたいのですが、みんなぼくたちをわかっていないと決めつけていて困ります、人間だからなかなか言葉が話せなくてもちゃんと考えています。未来はもっと理解してくれる世の中になるといいと思いますが未来はまだ遠いです。
 仲間はたくさんいますからみんなで訴えていきたいです。勇気がほしいです。満足いくところはなさそうだけどなんとかがんばるつもりです。わかってくれてうれしいです。なかなか学校の先生はぼくの言いたいことまでは理解してくれませんから言いたいことは学校では言えません。


(みんなで語り合う場を作りたいという考えについて)

 まさかそんなことを先生が考えているとは思いませんでした。いい考えですね。学校では無理そうですね。自立についてみんなで語り合いたいです。

 こうしたやりとりのあと、彼は「勇気がほしい」と語り始めた。もともと言うべき時には言ってきた○○君だから、勇気がないとはとても思えないが、そこには、また別の問題があることがうかがえた。

 悩みは勇気をどうやったら持てるかということです。勇気がないとぼくは言いたいことが言えません。なかなか勇気が出てきません。学校の先生に言えないというのが内容です。別にどう言われてもだいじょうぶだけどあきらめの気持ちが先立つと無力感が湧いてきます。無力感の越え方はあるのですか。

 勇気といっても、引っ込み思案の自分を奮い立たせるというような意味ではなく、いくら伝えようとしてもうまく伝えられない無力感を越えるための力として、勇気がほしいと言っていることがわかった。わかってもらいたくてもわかってもらえない無力感は、われわれの想像をはるかに越えるようなものなのだと思う。私自身の無力感などは、たいしたものではないと思うけれど、私がそこから得た教訓は、無力感はうまくやり過ごさないとたいへん消耗をしいられるものということだった。まさに、私が行っている障害の重い方々の言葉の読み取りは、疑いのまなざしにさらされる。そして、いったん疑ってかかっている人にどのようにわかってもらう努力をしても、まったく通じないことも少なくない。そんな時の無力感は、私自身にとっても相当こたえるものだ。そんなことを○○君に伝えた。

 無力感と向き合いすぎると消耗するというのはおもしろい考えですね。無力感とたたかうことがぼくもつらいので勇気がほしいけどほんとうは勇気の問題ではないのかもしれませんね。勇気がないと思うとだんだん自分がみじめになるからだろう。それはまちがいだとよくわかりました。挽回できそうです。

 自分がみじめになってはいけない、逆に○○君から教えられた思いがした。ふだんから、よく考え抜いている○○君ならではの答えだった。
 そして、次のようにしめくくられた。

 小さいときはあきらめていたけどまるで変わることができたのはK先生に会えたからです。地域で生きていくためには理解者を増やす必要がありますがうまくいくでしょうか。なかなかできそうもありませんがなんとかしたいです。はい。なかなかむずかしそうです。じたばたしても始まらないということはよくわかりました。勇気がないわけでもないこともわかりました。人間としていずれきちんとした人生を送りたいたいのでよろしくお願いします。
2010年4月12日 11時50分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年04月11日(日)
望みをかなえたい子どもがいました…
 今日は、あまりご機嫌がいい様子ではなく部屋にはいってきた○○君に理由を尋ねる。手を振る方法で彼が答えたのは、「歌が歌えないから」だった。そして、「どんな歌?」と尋ねると、「森のくまさん」だという。そして、私が歌い出すと、激しく頭をたたき、「歌えないからくやしい」と伝えてきた。歌が聞きたいわけではなかった。歌いたかったのだ。そして、高ぶる気持ちを抑えるように、横になった彼に、歌ってごらんというと、メロディや言葉にはならないけれど、明らかに、「森のくまさん」と思われる声が発せられた。「ぼくらにはわかるよ、森のくまさんを歌っていることが」と伝えると、もちろん満足したわけではないだろうが、少しずつ落ち着いてきた。そして、パソコンを出した。

小さい時からわかっていることをわかってほしかったです。わかってほしいです。なぜ歌を歌えないのでしょうか。
くやしいです。わかってほしいです。理解してほしいです。わかってほしいけどぼくのふだんの行動を見たら無理でしょうね。


 ○○君は、手を服の中にしまうことが多い。人前でそれをやられると、おかあさんもたいへん参ってしまうとのことをおっしゃっていた。今日は、特に、それが目立ったらしい。そこでその理由を尋ねた。 

手を服に入れるのは気持ちを落ちつかせるためです。なぜそんなことをしないといけないのか不思議ですが忘れられないのは、ぼくをわるくいった先生に、 

 というところで、突然彼はすっくと立ち上がっていってしまった。きっと、何か思い出したのだろう。彼が手を服の中に入れ始めたのは、高等部のころだ。その頃、突然、掃除用具入れの中に閉じこもるということも耳にしていた。何か、つらいことが、彼をより落ち着かせなくしたということは大いに考えられる。
 そして、また、戻ってきて文を続けた。

自分でもわかりません。なぜ歌のことが気になるのか。でもくやしいです。理想はわかってもらうことです。
満足のいく子どもこどもになれなくて悲しいです。分相応の生き方はいやですがなんとかしたいです。
ぼくも話したいです。理想はいいたいことが言えて、もっといい人になりたいです。もっといい子どもになりたいから、悲しいです。ぼくもわかってもらいたいです。夢でしたランプのあかりをつけたいですす。ぼくもわかってもらいたいです


通所先では、自閉症の作家として知られる高校生東田直樹さんの本を施設長の方が紹介したということをお母さんが、おっしゃった。そこで、彼にも尋ねてみる。

(通所施設では、自閉症と言われる人がわかっていることを理解してもらえているんですね。)

はい でも ぼくがはなしがわかっているとはおもってはいません
(本を書いた人の話は聞いたんでしょう?)
はい ぼくも そのはなしはききました。うらやましいです。ぼくもわかってほしいです。


(1年半前に突然ぼくが○○くんに文字を出したのを覚えてますか?それは、その少年の話を実際に聞いたからです。)

そうだったんですか。望みはぼくもなんとか自分の気持ちを伝えたいです。わかってほしいです。夢のようです、言いたいことが言えて。ぼくもどこかの国に行ってしまいたいです。願いは地域で生きていくことですがなかなかうまくいきません。

 ここで、お母さんは、○○君に、どうしても半信半疑になってしまうから、お母さんと二人だけの秘密を書いてほしいとお頼みになった。○○君自身も言うように、目の前で紡ぎ出される言葉と普段の行動とのギャップがどうしても埋まらないからだ。すると、彼は、次のように述べてから長い文章を綴った。

物語を作ります。
望みをかなえたい子どもがいました。その子の願いはゆりの花をかあさんにあげることでした。ゆりの花はかあさんの好きな花でした。ゆりの花の咲くマントはどこにあるのでしょうか。近くの町に買いに行きましたが見つかりません。望みをかなえたいのでその子は旅に出ることにしました。旅はまだまだ続くでしょうがけっしてもとの町にはもどらずに前に向かっていこうと思いました。


(お母さんがゆりの花が好きだということを伝えたかったのですか。)

はい。

 書かれた文章を見て、お母さんの表情がぱっと笑顔になった。ゆりの花が好きだと改めて思ったことはないが、ゆりの花のきれいな場所に何度も行ったとおっしゃった。
 言葉をいくら綴っても、なかなか普段の行動が変わっていくわけではない。ご家族の日々の思いを考えると、言葉とのギャップをどう考えるのか、私もとほうにくれてしまう。しかし、いちばんそのことに悩んでいるのは、○○君自身であろう。そして、この物語の中には、そうした思いを根底にかかえながら、それでも何とか未来を見ようとしている○○自身の切ないばかりの思いが見えた。
2010年4月11日 08時24分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年03月29日(月)
少女たちの語らい 同い歳の二人の少女の出会い
 この春、小学校を卒業して中学生になる二人の女の子が出会った。一人は、特別支援学校に通い、一人は、すでに亡くなった障害のある伯母を持つ女の子。たまたま、亡くなった伯母さんは、同じ学校の大先輩だった。特別支援学校に通う☆☆☆さんは、同じとしの女の子に会って、とてもうれしそうだった。そこで、今日は、二人に心ゆくまで会話してもらおうと、ひたすら通訳に徹した。そして、こんなすてきなやりとりが生まれた。


うれしいです。おなじ小学生と話ができて。聞いてみたい。損得の問題ではないけど養護学校ではなかなか勉強をしてもらえずさびしいです。
(柴田:「文体、ですますでなくていいですよ。」)
聞いてほしいことがあるの。小さい時から私はよくわかっていないと思われてきて何も話しかけてもらえず損ばかりしてきたの。願いは本を自分で書くことよ。でも私はどうしたらいいかわからず、よく夢で自分で本を書いているわ。文章を書けるようになりたいの。願いをなんとかしてかなえたいの。絶対あきらめないわ。応援してね。
(え○こ:応援するよ。)
ありがとう。がんばるからそこのところよろしくね。勉強は好きですか。
(え○こ:好きです。)
こんど願いがかなったらなにか私のことを遠いけど手紙で伝えたいわ。住所を教えてもらえますか。そばなら何回でも会えるけど離れているのでそんなに会えないから手紙にするわ。小さい頃から手紙を誰かに書きたかったからうれしいです。帽子は好きですか。どんな帽子がすき?
(え○こ:野球帽が好き。)
私は花のついた帽子が好き。ぶかぶかでかっこわるいけどよく似合うと言われます。私は夢をよく見ますがえ○こさんの夢は何?
(え○こ:医者になることです。)
すごいね。いいお医者になって私たちみたいな子にもそこそこに理解できることを伝えてほしいわ。感動できるお医者さんになってね。願いは隣人愛にあふれるお医者さんがたくさん増えることです。人生について悩むことはありますか。
(え○こ:ありません。)
いいね。私はいつも悩んでいるの。小さいときからわかってもらえず無視ばかりされてきて損ばかりしてきたから。ほんとうに悲しかったけどこうして同じ歳の子と話せるなんて夢のようだわ。小さいときからの夢だったから今までいちども話かけたことがなかったのでうれしい。空に舞い上がるような気持ちよ。つらいことが多いけどこうして話していると忘れられるわ。小さいときからうらやましかった、みんなのことが。やっと話せて夢がかなったわ。小さいときからずっと話せなかったので勉強も教えてもらえずいつもよいほんとうの勉強ができるように祈っているの。なかなかむずかしいことを教えてもらえないわ。
何か聞きたいことはないですか。
(え○こ:学校ではどんなことが楽しかった?)
何もなかったわるいつもつまらないけど楽しいふりばかりしているの。
(ここで、かなえさんの作った歌をパソコンで流す。)
不思議な気持ちです。なぜわかってもらえたのか。無理かと思ってたわ。まさか私の作った歌を聞きとってもらえるとは思わなかったから。
え○こさんは歌は好きですか。どんな歌が好きですか。
(え○こ:平原綾香と絢香、いきものがかりが好きです。)
私はいきものがかりの歌が好きです。「私らしく」という歌が好き。
(え○こ:うちのCDには入っていなかったな。)
(柴田:そういう歌があるの。)
はい あります。ほんとうにいい歌です。
冒険の歌たがいいわ。悩みがふきとんでいくから。夢みたい。望みだったから。未来の生活がこんなふうになればいいな。夢だけどいつかかなえられたらうれしいわ。希望がわいてくるわ。おともだちになってね。夢みたい。のどから手が出るほどともだちがほしかったから。私のこと気にかけてくれてありがとう。きっといいお医者になれそうね。
自分の将来の夢は「れおろろらん」というお店を出すことなの。いい名前でしょ。私しか知らない言葉よ。月の国のよい夢を売るお店です。別にもうからなくてもいいの、みんなに喜んでもらえれば。
自分のことばかり言ってごめんね。え○こさんの残りのろうそくのような夢はありますか。
(柴田:残りのろうそくのような夢ってどういう夢のことかな。ちょっとむずかしいけど。)
そうかしら。かないそうでかなわない夢のことよ。
(え○こ;飛行機に乗ってヨーロッパに行ってみたいな。)
そうなの? もうすぐきっとかなうよ、その夢は。ほかにないかな。
(え○こ:リレーの選手になりたかった。)
なるほどね。よくわかるわ。私はリレーというものをよく知らないけど、かないそうでかなわない夢ね。
人間として認められることが私のかないそうでかなわない夢です。なかなか認めてもらえず悲しいわ。理解してくれてありがとう。かなえのことを忘れないでね。未来の私はもっと輝いていたいな。あとどれくらいしたら夢がかなうかな。夜になるとそんなことばかり考えて眠れなくなるわ。絶対にそんな時代がくると信じているけどなかなかうまくいかないの。小さいころからそんなことばかり考えてきて私は少しよくない子かもしれない。もっと素直に生きたかったわ。小さいころからの夢がかなってとてもうれしいけど、なんか私ばかり話してしまってごめんなさい。
え○こさんのおとうさんはやさしいの。
(え○こ:やさしくて、おもしろい。)
いいね、私にはとうさんがいないからさびしいわ。
雪のはなしを聞いても(らっても)いいかしら。
ほんとうのさびしさを知っている人には雪はやさしいの。外で雪を見ているともっとさびしい人がいることを知らされます。北のほうのさびしい世界に住んでいる人たちの悲しみが雪にはこもっていて、みんなには気づかれないけどさびしい気持ちで生ている人にはそれがわかるの。北の国の悲しみを運ぶ北風ぜもおんなじよ。だから私は北風が好き。瑠璃色の空に吹く北風はとくに好きよ。悩みが美しい空にに吸いこまれていくの。だから私は北風が好きなの。わかってもらえたかしら。
(え○こ:わかった。)
私の気持ちをわかってもらえてうれしいです。
(柴田、瑠璃=ラピスラズリの石の携帯ストラップを見せる。)
理想の色です。そうです瑠璃色。
(柴田、横にいるえ○こさんのいとこの赤ちゃんに語りかける。)
私はあかちゃんのときのことを覚えているわ。最初に覚えた言葉は、ゆんゆんだった。「れおららろろん」も小さいときに考えたの。すてきという意味よ。たぶん私たちは話すことができないから忘れないんだと思うわ。でも覚えていてもしかたないけど。
(柴田:え○こさんは、雪がふるとうれしい?)
(え○こ:はい、うれしいです。)
私もうれしいと思うけどなかなか外に出られないから残念だわ。
理想の家族ですね、うらやましいわ。私もいいおかあさんとかわいい弟がいていい家族だわ。全国には悲しいできごとがたくさんあって家族がばらばらな人たちがいるのが悲しいね。小さいころから途方にくれる子どもはかわいそうね。
指をくわえていつもうらやましがっているのは悲しいから私も私らしく生きていきたいな。未来に夢をつなぎたいわ。
え○こさんまた会えたらうれしいわ。ばかばかしい話につきあってくれてありがとう。
(え○こ:ありがとう)
ありがとう。え○こさんも夢に向かってがんばってね。
2010年3月29日 01時21分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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