ほとんど言葉を語らないTさんの気持ちを聞き取ったのは、昨年のことだった。その時、とても深い詩を聞かせていただいた。彼は、関東地方の盲学校の卒業生である。私とほぼ同年代の彼ともっとも印象深いできごとは、何かの治療で都内の病院に入院した際、彼の担当の職員さんのお見舞いのご案内をしたことである。20年ほど前のことである。その職員さんは、すでに亡くなった。彼のことをとても大切にしていて、病院に向かう電車の中で、Tさんを「すてき」という言葉で何度も表現されていたことがとても印象的だった。しかし、言葉を発しないTさんとは、なかなかコミュニケーションはとれないままだった。
今年は、Tさんは私のことを明らかに待っていてくれた。もちろん私も彼との再会を心待ちにしていた。
柴田さんひさしぶりですね 聞いてほしい詩があります
こよいの静かな品のよいドラマのようなみんなの笑い声が聞こえ
もんもんとした心に遠い願いのような不思議な声が聞こえる
小さいころ鳥が鳴くと目を覚まし
空高く昇る太陽の光を肌で感じながら
べりべりと音を立てて小さな夢がくずれていくのをながめながら
小さい胸を痛めてきた
人生をつらい毎日でなく楽しい日々にするために
ぼくは呼んだ
このいのちがつきる前によい知らせをとどけてくれと
時間はかかったけどどんなにぼくは待ち続けたことだろう
人間としてどんなにどんなに自分の人生をどんよりさせることなく夢物語に変えて
もんもんとした気持ちを晴らしたかったことだろう
人間としてぼくは人生を絶対に捨てないで生きていく
小さないのちだけどぼくのいのちはぼくだけのものではない
名前も持たない人間だけど
小さな声しか出せないけれど
ぼくは黙ったままでは終わらない
何かを果たして生きたいとべんべんとした気持ちで祈り続ける
禁じられた言葉の鎖を解いて
未来をそらそらと持ち上げて
未来をこの手につかんでみせる
いい詩ですか ひとりでいつも考えています きびしいからだですがぼくらしく生きるために気持ちを詩にしています もうひとつ聞いてください
続いて見えたわたしたちの希望
時間はかかったけれど
望みどおりの言葉を語り
望みどおりのぼくの声を叫び
人間として忘れられたぼくをとりもどし
願いをとりかえし
忘れられない夢をそっと呼びもどし
小さなぼくでも声を出し
望みをかなえて呼びかけよう
人間としての実りある人生を歩むためなら
どんな困難でもけっしてあきらめるなく
敏感な心のままに生きていこう
ここで、一息ついてWさんのことを話した。
Wさんずっと覚えています ずっと忘れません ずっと心の中で生き続けています びっくりしました なぜWさんを知っているのですか 覚えています ○○の病院のことは ずいぶん昔のことてすね
聞いてほしいことがあります 学校との問題ですがどうしてどんな子どもにも可能性があると学校の先生は考えてくれないのでしょうか 小さいときから気持ちを聞いてもらいたかったです ぼくたちもおなじ人間なのに聞いてもらえませんでした
話が学校のことに及んだので、私は、昨年の夏、光道園の合宿の後に、彼の卒業した盲学校の研究会で話をする機会があったので、その中で彼の詩を紹介したことを伝えた。そして、残念ながら、まだ、こうした方法が広く認められたものとなっていないので、Tさんのことや貴きっとった方法などについては、細かく触れることはしなかったということも会わせて伝えた。すると彼は、それをとても喜んでくれて、次のように語った。
とんでもなくうれしいです 母校で語ってもらえて感動です ずっと願いでした ずっとずっと夢みていました 母校で何かできることを
グレーの気持ちがとても晴れました じっとひとりで生きてきたけどようやく願いがかないました 小さいときからの夢がかないました 小さいときからのどんよりとした気持ちが晴れました うれしいです
ここで、歌を作っていないかと尋ねた。すると次のような返事とともに、歌を聴かせてもらうことができた。
作っています 歌も聞き取れるのですか
理想にもえて人生を
自分の足で歩いていこう
自分で不思議な歌を歌い
未来にむかって歩いていこう
これだけです 人間としてという題です 小さいときに作ってずっと歌ってきました いい人生にしたかったから作りました まさか聞いてもらえるとは思いませんでした 聞いてもらえてうれしいです 歌ってください 小さいときの思い出の歌です きびしかったけどようやく光がさしてきました 小さいときはもっと話せるようになると思っていましたがためでした トイレに行きたいので終わります
おそらくまた会えるのは来年になるだろう。私のとうてい理解できないような時の過ごし方を経て、1年後、彼はどのような言葉を語るだろうか。
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2010年8月23日 17時08分
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Kさんの正確な年齢はうかがっていないが、私は1980年代の半ばから彼女とはおつきあいを続けてきた。東北出身の女性で、かなりしっかりとした会話をなさる方だが、十分には気持ちを伝えきれないでもどかしい思いをしてこられた。20数年の時の流れは、Kさんをすっかり老いさせた。もちろん私も例外ではない。光道園の中でもっとも個人的に関わらせていただいた方といってもいいかもしれない。大きい点字の木枠にリベットで点字を作っていく学習が中心だった。彼女のために板に釘をうって50音表を作って送ったこともある。その点字表は彼女の僅かばかりの私物の中に今でもとどめられているのだろうか。
お会いする度に一歩ずつ前に進んでいた点字の学習も、最近は、むしろ、覚えている点字の数は少なくなった。それでも彼女と点字をはさんで関わる時間はとても大切な時間のように思えて時間が流れていった。そんな彼女から、今年、長い文章を聞き取ることができた。
いいスイッチがみつかった 気持ちが言えそう 自分で願ってきました
分相応の生き方をしてきましたがしあわせな人生を過ごしてきました 銀世界を夢にみていましたが銀世界には行けませんでした 未来はごんごん乗り越えて切り開いて困難を吹き飛ばしていかなくてはいけません 小さいときからの願いがかなってうれしいです 人間としていい人生を生きてきました みんなに感謝しています みんなわたしを愛してくれてありがとうございます
もう少し書きます 人間として銀色の銀世界にあこがれてきましたが自分で一人暮らしをしたかったです 人間として自分で冒険をしたかったけどそれはかないませんでした 銀世界は遠い世界でしたがとてもいい人生でした みんなに感謝しています 人間としていい人生を送れてよかったです
いいスイッチですね ほしいです
(助詞の「は」がなぜ使えるのですかとの質問に対して)小さいときは見えていたからです
聞いてほしいことがあります 銀世界とは自分の大事な世界です 小さいときからいつもあこがれてきました 字の勉強や点字の勉強に大事な意味を感じてきましたのでとてもいい人生でした 勉強も人生の大事なろうそくのあかりでした ろうそくのわたしの光をともし続けて残りの人生を生きていきたいです 人生の泥沼をはいだして勇気を持って生きてきてよかったです 運命に負けずに生きてこれてしあわせでした 銀世界に行けなかったけどしあわせでした 銀世界と別れるのはつらいですが銀世界とはそろそろお別れです 銀世界とさらばしてがんばりたいです
いいスイッチですね ほしいです 言いたいことが言えてよかったです
生まれ故郷を離れて遠い施設で過ごしてきた人生がいったいどういう意味を持ってきたのか、そのことはこの施設を訪れるたびに、私の脳裏をよぎり続けてきた問いだったが、ここには一つの答えが示されている。これは、彼女の人生に対する勝利宣言と言ってもよいだろう。そして、私たちが大切にしてきた点字の学習は、彼女の人生にとって大切な意味を持っていたという。確かに彼女がずっといだき続けてきた夢には到達できなかったが運命に負けずにこれてしあわせだったという。そして、人生の最終地点が近づく中で、彼女は、今、その夢と潔く決別するという。まだ、その年齢には達していない私には、その境地は本当にはわからないが、それは、単なるあきらめとは到底言えないものだろう。そして、これらもろうそくの光をともし続けて生きていくと力強く語っていらっしゃる。
私はただ、彼女が少しでも長くそのろうそくの光をともし続けていくことを願うのみだ。
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2010年8月23日 17時04分
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福井県にある光道園という視覚障害者を中心として受け入れている施設で、点字の基礎学習を中心とした合宿に参加するようになって20数年が経過した。私たちがそこでお会いする方々は、視覚障害と知的障害を重複しているとされている方々だが、昨年から私は点字の基礎学習に加えてパソコンによる言葉の聞き取りを始めた。昨年はまだ手探りだったが、たとえ視覚障害があっても耳だけで音の選択はできることにほぼ確信を得た今年は、積極的にパソコンによる聞き取りを試みた。そして、20人ほどの方々の言葉を聞き取ることができた。もう長いことこの施設で暮らしている方がほとんどで、そこで語られた言葉は、また、一段と重いものだった。そのいくつかを紹介したい。
なお、視覚障害の方々にとって、濁音や半濁音、拗音、促音などのルールや助詞の「は」「へ」のルールがかな文字と点字とではちがっているが、ほとんどの方がそこの問題はスムーズにクリアなさって、私がいつも使用してる2スイッチワープロで気持ちを表現して下さった。
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2010年8月23日 17時02分
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中学生の☆☆さんの、若者らしい一編の詩。
住みなれた街に別れを告げ
青年はひとり旅に出る
どこにならどんな苦難も乗り越えられる
遠い希望の街はある
どこになら罪をゆるしてくれる
そんな仲間は住んでいる
仲間に伝える夢は
まだはるかかなたの山の向こう
忘れられない若者の勇気をまたとりもどして
前にひらける未来の世界に
若者はまた歩きだす。
罪という言葉が気になり、尋ねてみた。
きびしいときに作った詩です。罪とは私たちのもっている障害のためにまわりの人々に迷惑をかけてしまうことです。小さい時からそのことが気になっていました。
そこで、いたずらをしてお皿をわると罪だけど、お手伝いをしてお皿をわっても罪とは言わないという例を出して、障害は罪ではないということ、そして、そもそも、迷惑という人もいるかもしれないが、迷惑と限ったわけではないということを説明した。そして、もちろん、おかあさんは、どれだけ、迷惑どころかとても大切な存在であること、☆☆さんから勇気をもらう人もいるということをご説明された。
どうしてそんなふうに思えるのか不思議です。先生はなぜ私たちとつきあっているのですか。
容易に答えられる問いではなかったが、世の中でいちばん大切なことは、人と人とがこうして関わり合うことだというようなことを答えた。
小さいときからの疑問が解けました。よかったです。わかった、おかあさん。でもやっぱりもうしわけないです。そうです。ほんとうに気になっているので心配ですがきょうは話せて安心しました。よい日です。いい一日になりました。ありがとうございます。いろいろ教えてもらってうれしかったです。勉強になりました。
すでに、☆☆さんは、りっぱな大人になっていた。
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2010年7月28日 08時50分
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ぬいぐるみは、多くの人が語ってきたテーマだ。わかってもらえない気持ち、伝えられない気持をぬいぐるみに託し、すてきな詩や歌も生まれてきた。そして、また、ぬいぐるみを歌ったすてきな詩が生まれた。今年から社会人になった男性が、初めて実際に彼がパソコンで文章を綴るところを見にこられたお父さんを前に、表現したものだ。選ばれた言葉の美しさがひときわ光る詩だった。
ぬいぐるみの望み
少年はいつも祈っていた
ひとりで海に出ることを
人間として生まれたけれど
ぬいぐるみとしての人生をしいられて
ひとり静かに夜の闇を見つめながら生きてきた
私の夢をそよ風が静かに聞いて通り過ぎ
私の瞳を月が静かに照らし消えていく
みんないい願いだと言ってくれたけれど
渡しの夢はかなうことなく過ぎていった
理解する人もいないまま
時は静かに過ぎてゆき
小さな空の隙間から
のどぶえの赤い鳥が降りてきた
見たことのない姿の鳥は
静かに私ののどに止まり
一声高く鳴いたかと思うと
すっと空に消えていった
もんもんとした心が
すっとさわやかな思いに変わり
私は声を出してみた
するときれいな声が出て
体が放り出されたかのように軽くなり
私はぬいぐるみの心から
人間の心に解き放たれ
練習もしたことがないのに舟をこぎ
もんもんとした気持ちに別れを告げて
大きな海原にこぎ出していた
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2010年7月18日 00時06分
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大学を訪れた今年社会人1年目の女性が、5月のある日、こんな詩を綴った。
望みの花園
夢の私らしさを私は求め
私を私らしく開かせる
ワンダーランドは空の彼方夢の彼方に広がって
よい私を旅立たせ
もんもんとした気持ちを私はなくし
光とともに私は心を踊らせて
私を空に舞い上がらせて
忘れられないきれいな歌を
私はひとり歌いながら
遠い世界に望みをいだき
この世のどんなものよりも
すてきなどこまでも理想を求めて
めざすはやさしいよいことの満ちあふれる
デコレーションののっかった私だけのいばらの花園
まるで私の苦しみが楽園として生まれ変わったような場所
まさか名前はわからないけど
半月前には鳥さえ通わぬところだとは思えないところです
彼女は、詩に添えて次のような言葉を語った。
私の心の風景を詩にしました。それだけひとりの時間が長いということを意味しています。
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2010年7月8日 17時34分
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きんこんの会、一部の方々に7月25日に開催する予定であるとお伝えしておりましたが、冷房の関係等で、大学がこの日は使えないことになり、8月28日土曜日1時半に開催させていただきたいと思います。場所は、たまプラーザキャンパスの1号館1階第5会議室を予定しています。ご予定をたてておられた方もいらっしゃるとおもいますが、大変申しわけありません。よろしくお願いします。
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2010年7月8日 17時17分
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大学 |
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きんこんの会、一部の方々に7月25日に開催する予定であるとお伝えしておりましたが、冷房の関係等で、大学がこの日は使えないことになり、8月28日土曜日1時半に開催させていただきたいと思います。場所は、たまプラーザキャンパスの1号館1階第5会議室を予定しています。ご予定をたてておられた方もいらっしゃるとおもいますが、大変申しわけありません。よろしくお願いします。
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2010年7月8日 17時17分
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大学 |
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例年なら、梅雨入りを気にする時期だが、今年は季節の歩みが遅い。この日は、気温は高かったものの、さわやかな一日だった。二十歳を過ぎた○○さんは、そんな夏の風に誘われるように、次のような文と詩を綴った。
夏らしい天気になってよかったです。
忘れられない思い出がおかあさんとたくさんあります。私はどこにいくのもおかあさんといっしょですからいっぱい思い出があります。まるで魔法のようです。忘れられない夏の思い出は昔のお別れの場所に行ったときのことです。よそになくなった人が出ると私たちの言葉をその人に伝えるために音なの人に頼むというところです。人間には悲しい別れがあるのでみんなその悲しみを癒すために集まるのです。そんな思い出があります。いい思いでです。また行きたいです。私はなくなった仲間に会いたいのでその場所が大好きです。私たちの仲間は早くなくなる人が悲しいことに多いので私はいやですが、なんともしようがありません。若いのになぜなくなってしまうのでしょうか。私はそのことをいつも考えては涙を流しています。なぜなのか本当に知りたいです。夏になるとそのことがとくに思い出されます。夏はとても悲しい季節です。夏は心が痛む季節です。みんないい夏を迎えてほしいです。
はい。詩は好きです。
いい言葉
早く逝ってしまった友よ
なぜあなたは逝ってしまったの
仲間はみんな元気で
今年も夏の香りを感じているよ
小さいときから話もできず
そのまま亡くなってしまった友よ
私は今いい言葉を伝えるために
お別れのことを思い出しろ呼んでみる
大好きだったよ あなたのことが
なぜあなたはいってしまったの
私は今こうして私のいい言葉を
あなたにつたえるために
私は私のいい言葉をつむぐ
夢はなかなかかなわないけど
夢をけっして忘れずに
私は私の私らしさを大切に
いつもあなたを思いながら
これからもいい言葉をたいせつに生きてゆく
おわり
夏という季節が心痛む季節であるという言葉を聞いたのは初めてのことだ。北風にしてもそうだが、季節というものが私たちの知らない彩りとしえとらえられているということに、あらためて脅かされる。
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2010年6月6日 10時17分
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自主G埼玉1 |
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中学生の○○さんが、風の罠という詩を作った。じっくりと作ったものらしく、大変完成度の高い作品だった。
風の罠
体が動かないのは誰のせいでもないけれど
なぜ私たちはこんなにもいい空の下を
うつむいて行かなければいけないのだろう
いつになったらいい風は私たちを
やさしく未来へ運んでくれるのだろう
悩みはいつも南の風の吹いてくる
名前も知らない人たちが住む
牢屋の中よりやってくる
小さい希望の唯一の願い
まるで罠をかすめた鳥の羽
誰も知らない静かな夜に
南の風は盗人のようにやってきて
私は砂を握りしめ
私の魔法の罠から逃れ
名前を探して未来へ歩む
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2010年6月5日 00時37分
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家庭訪問 |
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5月のきんこんの会は、5名のみなさんが集まりました。司会をどうするか、発言の方法をどうするかなど、これから少しずつスタイルを作っていかなくてはなりませんが、今回は、4月の反省をふまえて、会話が平行しないように、一人ずつが発言していって、話が一本の糸でつながっていくようにしました。たまたま、3時間目の私の授業で、アイデンティティ(=私らしさ)の形成の問題を扱っており、そこに3名の方は参加したこともあって、前回の議論の中でも繰り返し語られた私らしさのことをふまえて話が始まりました。
なお、通訳はDさんについては、お母さんによる50音表の指さしの介助、他の方は私が手を振って「あかさたな」と聞きとっていく方法をとり、終わり近くでDさんのお母さんが50音表の介助を試み、とてもうまくいきました。なお、途中Cさんのお母さんもCさんに対して50音表の指さしの介助で通訳をしました。コミュニケーションの方法も少しずつ広がりを見せています。
Aさん(女性):私の母さんのピアノを聞いているとうれしい気持ちになります。こんなに私の気持ちをすらすら言えるのは、不思議です。自分の気持ちと合っているので、信じてほしいです。よいやりかたなので、みんなにわかってもらいたいのですが、なかなか信じてもらえませんでしたから、くやしかったです。私のろうそくに火を灯してくれた先生です。よい先生でしたが、信じてもらえません。疑われていてくやしかったです。
(私らしさについて)私らしく生きることが大切だと思っています。なかなかそれを見つけるのは大変です。勇気がないので私らしさを人に伝えることが難しい。なかなかわかってもらえないので、伝えるのが難しいですから、私らしさをもっと伝えていきたいと思っています。私らしさとは、いつも夢を見ていることです。私らしさを知っているのは、お母さんと先生ですが、まだまだ私らしさを伝えられていません。私らしさを伝えたいと思います。
Bさん(女性):良い会ですね。私らしさについては、よくわかりませんが、私の私らしさについて、考えています。勇気をもらいたいと思って、今日は来ました。私の私らしさを私自身が見つけられるように、これからも一緒に考えていきたいと思います。勇気がほしいです。勇気をもらいたいです。私はもっと言いたいことがあるけれど、私の言いたいことの半分も言えてないので、私ともっと私らしく伝えていきたいです。勇気がほしいです。まだまだ勇気が足りないので、美しい気持ちになるためには、勇気が必要ですが、まだまだ足りませんから、勇気をもらいたいです。よろしくお願いします。
俳句を作っているのでみんなに聞いてもらいたいのでよろしくお願いします。美しい歌も作っているので。
Cさん(女性):あのね、なぜ自分は何者かと考えるの? 私は私。ラフに考えよう。まだ私にはわかりません。もっと、やさしく、先生教えてよ。母を見ていると、私とは何?と考えてないよ。
Dさん(男性):先生、自分とは、ということについての質問でいいでしょうか。僕は自分を見つめる時間があまりにも長くて、たまらなくなる時もあります。障害を持ったおかげで、先日の利光さんが天井ばかりを見ている生活なんかいやだとおっしゃったけれど、今まさに僕は天井を見つめている生活をしています。自ら動けないということは、こんなにも限られた世界観を植え付けるものなのかと、本当は思っていましたが、あの授業(3時間目)では、学生が障害者に対して、かわいそうとかと思われるのも嫌だったので、言いませんでした。僕の今までの自分探しは、時間があるのに何もできない自分にどう立ち向かうかでした。僕たちは、こんなにたくさんの言葉を言っているのに、僕の気持ちを本当にわかってくれる学生が何人いるでしょうか。自分とは何もできない、悔しい存在でもあります。こんちくしょうと思っては見ても、動けない、しゃべれないという、この現実にすごく悔しい日々が続きます。文章ではかっこいいことを言っていますが、確かに介助してくれる人には感謝していますが、僕の気持ちを聞き取ろうと、ボードを持ってくれる勇気のある人がなかなか現れないのが現実です。自分はどこへ向かうのだろうか。僕の人生はこの先どうなるのだろうか。そんなことを考えさせられた授業でした。学生の中には居眠りをしていた人もいたけど、あれは、自分でできることが多い人の怠慢のように思われました。僕らは、体力もなくて、聞きたくても聞けない授業もあるのに、聞こうともしない人が小学校の先生になるのは、どうでしょうか。先生の言葉も大切だと思いますよ。教育とは人を育てるものです。僕は寝ていた人に教わりたくないです。
Eさん(女性):いつもわからないことがあります。私の意見は、運命だと思ってあきらめています。運命だからしかたないというのは、おかしいでしょうか。
Bさん:私はいつも運命だと思ってあきらめるの。運命とは、戦いたいと思っています。
Eさん:私も戦いたいと思っていますが、どうやって戦えばいいかわかりません。
Aさん:いつもみんなといっしょに戦っています。戦い続けています。私の戦いは、運命というものを、私から忘れることです。
Dさん:戦いとは相手がいることで、Aさん(女性)さんのお母さんは、Aさん(女性)に誰を戦いの相手だと言っていますか?
Aさん:私は私自身と戦っているので、誰かと戦っているわけではありません。
Dさん:自身との戦いでは、負けたとき、自分がこわれちゃうよ。
Aさん:私は別に私自身と戦っても負けるわけではありません。私の戦いは私自身との戦いですが、いつもいつも私の勝ちです。それは、私は私の運命を忘れて、私らしく生きていくことを、私に課している。あえて言えば、そういう言い方になります。勇気があれば、私はいつも勝つことができます。運命にはいつも負けたくないので、私はいつも私に勝っています。私の殻に入っているわけではありません。私の運命と戦っているので。
Dさん:社会に自身の考えを発しようよ、この会を、僕らのような障害者でもこんな熱い想いがあるということを。そう僕は思っています。
Aさん:私の中に閉じこもっているわけではありません。社会との戦いは、まだ始まっていないので、これから社会との戦いを考えたい。
Eさん:私はまだ私の言いたいことを言えていないので、私は運命のままに置かれたままになっているので。
Cさん:ねがっていてもしかたない。方法を考えよう。
Bさん:私らしくなるまでの戦いができない。自分の気持ちを伝えることができない。戦いが始められていません。
Dさん:戦いではなくて、僕らの想いを伝える詩でも文でも、君のやってる俳句や短歌でも、形になって世間に出せば、その反応をみることができる。
Cさん:Bさんさん、いい笑顔になった。
Dさん:Mくん(学生)、僕らのこの話し合いを文章にしてくれますか。学校中に配って。僕はせっかく作ったこの会を、どうにかして社会とのパイプにしたいと願っています。それには、ここに来てくれた動けるいい人たちにお願いして、助けてもらいたいと思いますが、どうでしょうか。
Eさん:どうやっていったらいいのか、よくわかりません。私の言いたいことを歌にしてみたけど、あまりわかってもらえませんでした。わかってもらったのは、仲間ばかりでしたから、私はまだ社会の人がわかってくれたとは思いません。私の歌はわかってくれたのは、いつも仲間ばかりでした。もっともっと勇気を持っていきたいと思います。
Aさん:歌を聴かせてください。
(Eさんが作詞した『野に咲く花のように』の歌を流す。)
野に咲く花のように私はばてない
無理せず生きてゆけばいいこともあるはず
遠くに舞い降りた鳥のように見える
希望に向かって呼んでみよう
願いはただ一つ
たとえ道は遠くても夢さえなくさずにいけたらと思う
目の前に続く道は楽な道ではないけれど
へんてこな私だって戦い続けていきたい
悩みがあまりに多くて前が見えなくなっても
野に咲く花のような気高さでもって生きていこう
いつまでもへこたれないで
Aさん:私にはとてもよくわかりました。私には、Eさんの戦いがよくわかりました。
Dさん:僕は全然それでは進まないと思うけど、だから、号外を出して。ひとりひとりの意見をまとめるというよりも、ひとりひとり
にこんなにたくさんの想いが詰まっているんだと、知ってほしいです。F君(学生)、M君と一緒にお願いします。僕も本当は動いてみたいですが。
Eさん:私の言いたいことを、忘れてしまっていました。弱気になっていました。歌を作った時は、そう思っていたけど、わかってもらえないので、弱気になっていました。私の言いたいことは、私が忘れてはいけませんね。私が言いたいことを大切にしていきたいと思いますので。まだまだわかってもらえません。
Bさん:言いたいことがいっぱいあるけど、伝わらないのが悲しい。私の言いたいことはいつもわかってほしいということです。
(Dさんの母の50音表の介助に変わってみる)
Bさん:Bちゃんはとても手が動きにくいけど、気持ちはいっぱいあるよ。みんなの意見もすごくすてきだし、Bちゃんだって負けてないよ。気持ちはたくさんあるから、短歌も作っています。みんなと社会に発信できることを初めて聞き、うれしく思いました。学生さんが、あんな風に手伝いを簡単に引き受けてくれるなんて、うれしくてうれしくて夢のようです。Bちゃんって、(自分で)自分のことを言ってたの、ママは知っていますか。ママ、私はBちゃんって言っていますよ。いい子です。ママをとても愛しています。いつまでも私と短歌を作り、それを社会に出せたら素敵ですね。いい会になりそうです。お友達も増えて、とてもうれしいです。Bちゃんは幸せ。先生、素敵な会を思いついてくださって、本当にありがとうございました。Bちゃんは幸せ。みんなも幸せ。M君、F君もいい人ですね。会えてよかったです。
Aさん:(Dさん(男性)の母のボードの介助)
私はもっと話がしたい。みんなに負けない気持ちがあります。Aさんはちょうちょになります。たくさんの友達、素敵です。M君、素敵。私も握手をしたかったのに、おばさん気をきかせてね。たくさん話したい。私だって生きています。気持ちもあるよ。みんな見て、私がいることを。みんな、知って。いい日になれたな。
一人一人の気持ちを聞き取ることから互いの語り合いへと、新しい時代が切り開かれてきました。それは、まだ、密かな到来ですが、歴史の歯車が反対に進むことはありません。日本の障害者の歴史の大きなターニングポイントは1970年だと言われます。これは、主として身体障害のある人々を中心としたものでした。その20年後の1990年、知的障害者の本人活動のスタートが切られました。そして、今年はその20年後にあたります。言葉を閉ざされてきた人たちの新しい時代の始まりであることを私は確信しています。
次回のきんこんの会は、6月15日に開催します。
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2010年5月28日 13時38分
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母の日に20代の女性○○さんはこんな言葉を母に捧げた。
ありがとうおかあさん。鏡の前でかあさんが咳こんで苦しそうにしていたので、心配していました。小さいことでも気になります。人間だから気持ちが言いたいですが、かあさんに無理してもらうのは気が引けますから家では(言葉を読み取る練習は)もういいです。頑張らないでください。かあさんに申しわけありません。あんなに無理しているのを見るのはつらいです。家出はふだんのままでいいです。自分の気持ちの言葉はどんなふうにしても伝えられません。悲しいですがわかってもらえるだけでいいです。わかってくれさえすればいいです。
夏を待ち望んでいます。夢は夏らしい夢をかなえることです。海水浴に行きたいです。小さい頃によく行きました。小さい頃、夕方によくやわらかな夕焼けがろうそくのあかりのように見えましたが、なかなか見えません、最近は夕焼けが。じっとかあさんの胸にだかれてよく散歩をしたものです。夕焼けがとても好きでした。苦しいことや悲しいことも夕焼けを見ると希望に変わりましたから。人間として満足に希望をかなえることもできなかったけど、希望だけは失いたくないと思いながら今日まで生きてきて、人間らしい未来をつかみたいとよく願ってきましたが、なかなかむずかしかったです。なんで私だけこんなに苦労するのかと思ったことも少なくありませんが、泣かないでこれたのは、いつもやさしいかあさんととうさんがいてくれたからです。泣かないでこれたのはかあさんが鏡に向かっていつもお祈りをしてくれたからです。かあさんはいつもいい大好きなかあさんです。(鏡に向かって祈るとは)鏡に向かうとよくひとりごとを言っていることです。私のことをよく話してくれます。
敏感ないいかあさんなので、いつまでも長生きしてください。小さい夢ですがかあさんに指輪を買ってあげたいです。ルビーの指輪がいいと思います。(お母さんは、病気の関係で指輪はできないと伝えると)悲しいです、夢でしたから。何かほかの飾りでいいから買ってあげたいです。自分では買いにいけないのでかわりに買ってください。私の貯金で。年金があれば使ってください、たまには。みんなもきっと同じだと思います。分相応のものでいいから買ってください。かあさんに買ってあげたいとずっと願ってきました。人間だから何かいい方法で感謝をしたいです。いい方法はないでしょうか。書いただけではなかなか伝わりません。自分の気持ちをかたちにしたいです。かあさんに伝えたいです。よいかあさんだから。
そして、
夕焼けの悲しい色のような歌を聞いてください。
と書いてから、夕焼けの詩を綴った。○○さんは未熟児網膜症なの絵、ずっと私たちは見えていないと思っていたのだが、わずかに残された視力で彼女は、夕焼けをしっかりとらえていたのだ。
悲しい夕焼け小さい胸に
ろうそくのあかりをともして消えた
光のむこうの暗闇を私は澄んだ瞳で見つめ
悲しい物語をそこに見る
人生の片隅のひそやかな願い
ろうそくの光をともしておくれ
光はいつも泣いている私に希望を与えて
私をあしたの見たい世界に連れていく
美から目ざめた願いの未来
ろうそくのあかりを空にまた
体中まで赤くして私らしく生かしてほしい
ランプのような夕焼けは
晩の暗闇を泣かないようにしてくれる
人世の片隅で
願いを未来につなぎながら
小さい夢を
未来にいつか冒険のように
よく実らせよう
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2010年5月16日 21時44分
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すっかり間際になってしまいましたが、改めて、5月のきんこんの会についてお知らせいたします。
今月は、18日火曜日です。3時から私の研究室のそばにあるゼミ室を使用して、行いたいと思います。
今回は、特別な企画はありませんので、ゆっくりと語り合いながら、これからのことなど、話し合っていけたらと考えています。
お車で来られる際は、正門を入った駐車スペースに止めることができますので、駐車した後、受付で駐車許可のカードをもらってください。わかりにくいこと困ったことがあったら、どうぞご遠慮なく携帯にお電話ください。
この日の私の講義は2時間目が411教室で「ボランティアと社会参加」(午前10時40分〜12時10分)、3時間目がAV1教室で「発達と学習」(午後1時10分〜午後2時40分)です。授業への参加も大歓迎です。
参加できる方は、ご一報いただけるとありがたいですが、突然いらしてもまったくかまいません。
よろしくお願いします。
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2010年5月16日 21時34分
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5月のきんこんの会は18日に行います。時間は、3時からです。2時間目と3時間目の授業に参加してくださる方、大歓迎です。
また、近づいたら改めてお知らせします。以下、4月の会の報告です。
4月27日にきんこんの会が開かれた。集まったのは援助によるコミュニケーションによって気持ちを表現する11人のメンバー。そのうち6名は親御さんによる通訳で、その手段の内訳は、50音の文字盤2名、ローマ字の文字盤1名、パソコンの2スイッチワープロ1名、あかさたなと聞いていく方法1名であった。そして私はあかさたなと聞いていく方法で5人のメンバーの通訳をした。
当日は脳性マヒの当事者で言語障害はありながらも自由に音声言語は操って地域で福岡で自立生活を営む利光徹さんを2時間目と3時間目の講義のゲストに迎えていた。メンバーの幾人かは3時間目の利光さんの講義から参加した。発達と学習という講義題目なので、半ばこじつけながら、利光さん自身の青年期のことを語っていただいた。利光さん自身生涯でもっともきつかったという孤独な閉ざされた10代の半ば、突然、親から、自分たちが死ぬ時は一緒に死んでくれと告げられ、まだ何一つやりたいこともやっていないのに、死ぬわけにはいかないと思いつつも、その先が見えない苦しみの中で、仲間の集まりに通うようになる。一歩町に出てみると、バスの乗車拒否に始まり、喫茶店の入店拒否など、たくさんの理不尽な差別にさらされた。そこで、しだいに気づいていったことが、なぜ自分たちが当たり前に生きてはいけないのかという思いだった。利光さんたちを阻んだのは社会の厚い常識の壁だったが、利光さんたちの闘いは、その常識の壁を打ち破っていくことだった。そして、26歳のとき、今やらなければ一生もうそのチャンスはないだろうと考え、家出同然でアパートを借りて自立生活を始めるにいたったという。
自力で話ができるということにおいては状況が異なるとはいえ、社会の常識の壁に阻まれて当たり前のことが当たり前のこととして認められないということにおいては、同じ状況にあるメンバーにとって、みずからが直面している抜き差しならない問題そのものが語られていく。中には、話に共感するあまり、声が出てしまうメンバーもいた。
そして、授業のあと、教室を借りて、きんこんの会が催された。話題は、もっと勉強がしたかったということや、どうやったら自立生活ができるのか、親との関係はいかにあるべきかなど、それぞれが様々に語った。これまで、ともすると個別的な関わり合いに終始しがちだった関係が、横につながるということの意味の大きさを痛感させられた一日となった。まさに青年期のただ中にあり、しかも、未来が容易に見えないという状況の中を生きる若者たちの言葉を聞きながら、利光さんの発した言葉は、よくみんなしっかりものを考えているということだった。もちろん、それは、利光さんが差別を見つめることによって確かな生き方を見いだしたことと相通ずるものである。言葉を禁じられるという厳しい状況の中で研ぎ澄まされてきた気持ちが、おのずと、深い意見を引き出していたと言える。そして、利光さんは、みんなの課題は、私や家族ではない学生のような存在に、通訳者を見いだすということだと語った。
まだ、手探りの会だが、新しい時代を切り開く動きの一つとなったらと心から祈っている。
会の後、居酒屋で二人になると、利光さんは、社会に迷惑をかけないということにしばられていた自分の母親の時代に比べて、確かに、今の母親の意識は大きく違っていると感想をもらした。そして、通訳の方法について、彼らが話しているということを自分はまったく疑わないと言った。それは、本人を見てればわかると。自力で話すということにおいては、利光さんは私たちと同じ側にいる。しかし、やはり、利光さんは、彼らの気持ちのすぐ側にいるということがわかった。
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2010年5月3日 23時34分
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以前に予告しましたが、援助によって気持ちを表現している人たちがともに語り合う場である「きんこんの会」を4月27日、國學院大學たまプラーザキャンパスの柴田研究室にて開催いたします。
参加はご自由ですが、人数をあらかじめ把握しておきたいので、ご一報いただけると幸いです。大学に到着した際のご連絡方法なども打ち合わせておきたいと思います。
時間は、次のようになります。当日2時間目と3時間目は授業があるのですが、ご希望の方は、そこからご参加下さい。この日は、利光徹さんという福岡市で自立生活を送る脳性マヒ者の利光徹さんという私の授業の常連のゲストに来ていただき、2時間目と3時間目では彼を交えた授業を行います。
きんこんの会 午後3時から 柴田研究室にて(2号館5F)
2時間目の授業「ボランティアと社会参加」 午前10時40分から411教室
3時間目の授業「発達と学習」午後1時10分からAV1教室
終わりの時間は特に定めていません。(利光さんとは夜まで約束しています。)
初めての試みなので、いろいろと行き届かないことも多々あるかと思いますが、よろしくお願いします。
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2010年4月18日 10時28分
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3月の終わりまでにTさんから届いたメールをためてしまった。最新のものを含めて、紹介したい。
外へでかけたいよ。遠くに行ってみたい。変な道だけど前へむかってもりあがろう。苦しいときほどみんなでもりあがろう。好きな人といっしょに住みたい。ロケットに二人で乗って宇宙へ飛び出したい。愛する人と住みたい、二人で住みたい。(1月26日)
手を伸ばしてほしい。言うのは大変。いのちつなぎたいけれど生きるのは大変。死んでしまうのはいやだ。少ない人生でも大切に生きたいと思う。私はみんなといっしょに仲間と暮らしたい。手が勝手に動いてつらい。力を弱められない。変な気持ち。(2月9日)
車で外へでかけたいと思う。遠くまで友達と行きたい。手や足を使ってほかのところへ行ってみたい。足でも使って遠くへ行ってみたい。何とかして遠くへ行きたい。たおれてしまうかもしれないけれどもがんばって進んでいきたい。普通に暮らせるように歩いてゆきたい。(2月23日)
夢はロケットに乗って遠くへ行くことだ。二人で探したい夢の子ども。まだ見たことのない夢を探しにいきたい。ろけっとに乗って探しにいきたい。すてきな星を見つけて願いをかなえたい。好きなすてきな人と一緒に星で住みたい。苦しいときにも二人で乗り越えていきたい。未来は遠いけれどあきらめずにがんばっていきたい。とてもむずかしいことだけどがんばっていきたい。(3月9日)
伝えたいことは苦難の試練乗り越える大変さです。結婚できない事実を認めていくことはとてもできないことです。何とかして結婚して願いをかなえたいです。勝手に体が動いて、困ります。すぐに好きな人と遠くへ行きたい。好きなドラマみたいに遠くに行ってしあわせに暮らしたい。花のきれいなところに行きたいと思います。季節は変化して夏になって実のつくくだものがたくさんできます。木は大きくなって花はすてきな実をつけます。好きな外で遊びたいよ。秋になれば何もかもが赤く紅葉してすてきな景色になります。冬になると空気は冷たくなりみんな車に乗って暖かいところへ逃げていきたい気持ちになります。ぼくは一人になって次の春を待ちます。(3月23日)
へぼな僕ですがのんびり生きてはいられません。のんびりとはしていられない理由は長くは親が生きているわけではないからです。何か新しいことを考えなければなりません。おそかれはやかれ親からはなれて暮らさなければなりません。そのためにはたぶん一人で暮らす方法を考えなければなりません。友だちと手をとって共同で暮らしていきたい。何とかしてみんなで生きていきたい。まつださんもいっしょに暮らしていこう。もっといっぱいの仲間を集めよう。苦しみをン堀越えるために集まろう。友だちに伝えたいことはもっと願いを持とうということです。(4月13日)
自立への思いが語られるとともに、しだいにそのかたちの輪郭がくっきりとしてきたことが伝わってくる。残念ながら、まだ、その具体的な方策は見えてこないが、大切なことは、表現を綴ることだ。そして、表現する相手はきっと自分自身でもあるはずだ。
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2010年4月17日 08時45分
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青年学級 |
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3月の終わりまでにTさんから届いたメールをためてしまった。最新のものを含めて、紹介したい。
外へでかけたいよ。遠くに行ってみたい。変な道だけど前へむかってもりあがろう。苦しいときほどみんなでもりあがろう。好きな人といっしょに住みたい。ロケットに二人で乗って宇宙へ飛び出したい。愛する人と住みたい、二人で住みたい。(1月26日)
手を伸ばしてほしい。言うのは大変。いのちつなぎたいけれど生きるのは大変。死んでしまうのはいやだ。少ない人生でも大切に生きたいと思う。私はみんなといっしょに仲間と暮らしたい。手が勝手に動いてつらい。力を弱められない。変な気持ち。(2月9日)
車で外へでかけたいと思う。遠くまで友達と行きたい。手や足を使ってほかのところへ行ってみたい。足でも使って遠くへ行ってみたい。何とかして遠くへ行きたい。たおれてしまうかもしれないけれどもがんばって進んでいきたい。普通に暮らせるように歩いてゆきたい。(2月23日)
夢はロケットに乗って遠くへ行くことだ。二人で探したい夢の子ども。まだ見たことのない夢を探しにいきたい。ろけっとに乗って探しにいきたい。すてきな星を見つけて願いをかなえたい。好きなすてきな人と一緒に星で住みたい。苦しいときにも二人で乗り越えていきたい。未来は遠いけれどあきらめずにがんばっていきたい。とてもむずかしいことだけどがんばっていきたい。(3月9日)
伝えたいことは苦難の試練乗り越える大変さです。結婚できない事実を認めていくことはとてもできないことです。何とかして結婚して願いをかなえたいです。勝手に体が動いて、困ります。すぐに好きな人と遠くへ行きたい。好きなドラマみたいに遠くに行ってしあわせに暮らしたい。花のきれいなところに行きたいと思います。季節は変化して夏になって実のつくくだものがたくさんできます。木は大きくなって花はすてきな実をつけます。好きな外で遊びたいよ。秋になれば何もかもが赤く紅葉してすてきな景色になります。冬になると空気は冷たくなりみんな車に乗って暖かいところへ逃げていきたい気持ちになります。ぼくは一人になって次の春を待ちます。(3月23日)
へぼな僕ですがのんびり生きてはいられません。のんびりとはしていられない理由は長くは親が生きているわけではないからです。何か新しいことを考えなければなりません。おそかれはやかれ親からはなれて暮らさなければなりません。そのためにはたぶん一人で暮らす方法を考えなければなりません。友だちと手をとって共同で暮らしていきたい。何とかしてみんなで生きていきたい。まつださんもいっしょに暮らしていこう。もっといっぱいの仲間を集めよう。苦しみをン堀越えるために集まろう。友だちに伝えたいことはもっと願いを持とうということです。(4月13日)
自立への思いが語られるとともに、しだいにそのかたちの輪郭がくっきりとしてきたことが伝わってくる。残念ながら、まだ、その具体的な方策は見えてこないが、大切なことは、表現を綴ることだ。そして、表現する相手はきっと自分自身でもあるはずだ。
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2010年4月17日 08時45分
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青年学級 |
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見学に来てくださったかつての担任K先生を前に、高校2年の○○君は、様々な思いを語った。K先生に会うまでは、勉強らしい勉強はしてもらえないグループにいたが、K先生のおかげで少しずつ言葉を使った「普通の」学習になって、K先生の手を離れるころには、何とか学習のグループに入ることができるようになっていた。
K先生こんにちは。もう先生が転勤されて三年もたちましたね。みんなK先生みたいな先生だといいのだけど。夢でしたから、勉強を教えてもらうのが。勇気をもらいました、先生からは。わかってくれた最初の先生でしたからたいへん感謝しています。会えてうれしいです。学校ではなんとか勉強をしてもらっていますが人間だからもっと考えたいです。いい友だちもほしいです。夢でしたから。場ちがいなことばかりの学校の勉強はどうしても友だちがかわいそうです。
来年の夢は地域で生きていくことなのでなんとかいい場所を探したいです。いい場所に行きたいです。人間として認められる場所です。なかなかみつかりませんが地域で生きていきたいのでよろしくお願いします。自分の夢は理解される場所で理想の人間になることですが未来は理解される世の中になるように若者のたちで運動していきたいです。
自分でもがんばったけどK先生のおかげです。なかなかK先生のような先生には会えません。ちがいはいちばんは気持ちだと思います。
人間だからなんとなく考えただけでもきちんとした言葉になります。なんで人間を強調するかというとみんなぼくたちを人間として見ないからです。考えているということを認めてもらえないからです。
自立がしたいけど夢のようです。なかなかよい場所が見つかりません。なんとかして見つけたいのですが、みんなぼくたちをわかっていないと決めつけていて困ります、人間だからなかなか言葉が話せなくてもちゃんと考えています。未来はもっと理解してくれる世の中になるといいと思いますが未来はまだ遠いです。
仲間はたくさんいますからみんなで訴えていきたいです。勇気がほしいです。満足いくところはなさそうだけどなんとかがんばるつもりです。わかってくれてうれしいです。なかなか学校の先生はぼくの言いたいことまでは理解してくれませんから言いたいことは学校では言えません。
(みんなで語り合う場を作りたいという考えについて)
まさかそんなことを先生が考えているとは思いませんでした。いい考えですね。学校では無理そうですね。自立についてみんなで語り合いたいです。
こうしたやりとりのあと、彼は「勇気がほしい」と語り始めた。もともと言うべき時には言ってきた○○君だから、勇気がないとはとても思えないが、そこには、また別の問題があることがうかがえた。
悩みは勇気をどうやったら持てるかということです。勇気がないとぼくは言いたいことが言えません。なかなか勇気が出てきません。学校の先生に言えないというのが内容です。別にどう言われてもだいじょうぶだけどあきらめの気持ちが先立つと無力感が湧いてきます。無力感の越え方はあるのですか。
勇気といっても、引っ込み思案の自分を奮い立たせるというような意味ではなく、いくら伝えようとしてもうまく伝えられない無力感を越えるための力として、勇気がほしいと言っていることがわかった。わかってもらいたくてもわかってもらえない無力感は、われわれの想像をはるかに越えるようなものなのだと思う。私自身の無力感などは、たいしたものではないと思うけれど、私がそこから得た教訓は、無力感はうまくやり過ごさないとたいへん消耗をしいられるものということだった。まさに、私が行っている障害の重い方々の言葉の読み取りは、疑いのまなざしにさらされる。そして、いったん疑ってかかっている人にどのようにわかってもらう努力をしても、まったく通じないことも少なくない。そんな時の無力感は、私自身にとっても相当こたえるものだ。そんなことを○○君に伝えた。
無力感と向き合いすぎると消耗するというのはおもしろい考えですね。無力感とたたかうことがぼくもつらいので勇気がほしいけどほんとうは勇気の問題ではないのかもしれませんね。勇気がないと思うとだんだん自分がみじめになるからだろう。それはまちがいだとよくわかりました。挽回できそうです。
自分がみじめになってはいけない、逆に○○君から教えられた思いがした。ふだんから、よく考え抜いている○○君ならではの答えだった。
そして、次のようにしめくくられた。
小さいときはあきらめていたけどまるで変わることができたのはK先生に会えたからです。地域で生きていくためには理解者を増やす必要がありますがうまくいくでしょうか。なかなかできそうもありませんがなんとかしたいです。はい。なかなかむずかしそうです。じたばたしても始まらないということはよくわかりました。勇気がないわけでもないこともわかりました。人間としていずれきちんとした人生を送りたいたいのでよろしくお願いします。
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2010年4月12日 11時50分
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自主G23区2 |
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今日は、あまりご機嫌がいい様子ではなく部屋にはいってきた○○君に理由を尋ねる。手を振る方法で彼が答えたのは、「歌が歌えないから」だった。そして、「どんな歌?」と尋ねると、「森のくまさん」だという。そして、私が歌い出すと、激しく頭をたたき、「歌えないからくやしい」と伝えてきた。歌が聞きたいわけではなかった。歌いたかったのだ。そして、高ぶる気持ちを抑えるように、横になった彼に、歌ってごらんというと、メロディや言葉にはならないけれど、明らかに、「森のくまさん」と思われる声が発せられた。「ぼくらにはわかるよ、森のくまさんを歌っていることが」と伝えると、もちろん満足したわけではないだろうが、少しずつ落ち着いてきた。そして、パソコンを出した。
小さい時からわかっていることをわかってほしかったです。わかってほしいです。なぜ歌を歌えないのでしょうか。
くやしいです。わかってほしいです。理解してほしいです。わかってほしいけどぼくのふだんの行動を見たら無理でしょうね。
○○君は、手を服の中にしまうことが多い。人前でそれをやられると、おかあさんもたいへん参ってしまうとのことをおっしゃっていた。今日は、特に、それが目立ったらしい。そこでその理由を尋ねた。
手を服に入れるのは気持ちを落ちつかせるためです。なぜそんなことをしないといけないのか不思議ですが忘れられないのは、ぼくをわるくいった先生に、
というところで、突然彼はすっくと立ち上がっていってしまった。きっと、何か思い出したのだろう。彼が手を服の中に入れ始めたのは、高等部のころだ。その頃、突然、掃除用具入れの中に閉じこもるということも耳にしていた。何か、つらいことが、彼をより落ち着かせなくしたということは大いに考えられる。
そして、また、戻ってきて文を続けた。
自分でもわかりません。なぜ歌のことが気になるのか。でもくやしいです。理想はわかってもらうことです。
満足のいく子どもこどもになれなくて悲しいです。分相応の生き方はいやですがなんとかしたいです。
ぼくも話したいです。理想はいいたいことが言えて、もっといい人になりたいです。もっといい子どもになりたいから、悲しいです。ぼくもわかってもらいたいです。夢でしたランプのあかりをつけたいですす。ぼくもわかってもらいたいです
通所先では、自閉症の作家として知られる高校生東田直樹さんの本を施設長の方が紹介したということをお母さんが、おっしゃった。そこで、彼にも尋ねてみる。
(通所施設では、自閉症と言われる人がわかっていることを理解してもらえているんですね。)
はい でも ぼくがはなしがわかっているとはおもってはいません
(本を書いた人の話は聞いたんでしょう?)
はい ぼくも そのはなしはききました。うらやましいです。ぼくもわかってほしいです。
(1年半前に突然ぼくが○○くんに文字を出したのを覚えてますか?それは、その少年の話を実際に聞いたからです。)
そうだったんですか。望みはぼくもなんとか自分の気持ちを伝えたいです。わかってほしいです。夢のようです、言いたいことが言えて。ぼくもどこかの国に行ってしまいたいです。願いは地域で生きていくことですがなかなかうまくいきません。
ここで、お母さんは、○○君に、どうしても半信半疑になってしまうから、お母さんと二人だけの秘密を書いてほしいとお頼みになった。○○君自身も言うように、目の前で紡ぎ出される言葉と普段の行動とのギャップがどうしても埋まらないからだ。すると、彼は、次のように述べてから長い文章を綴った。
物語を作ります。
望みをかなえたい子どもがいました。その子の願いはゆりの花をかあさんにあげることでした。ゆりの花はかあさんの好きな花でした。ゆりの花の咲くマントはどこにあるのでしょうか。近くの町に買いに行きましたが見つかりません。望みをかなえたいのでその子は旅に出ることにしました。旅はまだまだ続くでしょうがけっしてもとの町にはもどらずに前に向かっていこうと思いました。
(お母さんがゆりの花が好きだということを伝えたかったのですか。)
はい。
書かれた文章を見て、お母さんの表情がぱっと笑顔になった。ゆりの花が好きだと改めて思ったことはないが、ゆりの花のきれいな場所に何度も行ったとおっしゃった。
言葉をいくら綴っても、なかなか普段の行動が変わっていくわけではない。ご家族の日々の思いを考えると、言葉とのギャップをどう考えるのか、私もとほうにくれてしまう。しかし、いちばんそのことに悩んでいるのは、○○君自身であろう。そして、この物語の中には、そうした思いを根底にかかえながら、それでも何とか未来を見ようとしている○○自身の切ないばかりの思いが見えた。
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2010年4月11日 08時24分
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自主G埼玉2 |
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この春、小学校を卒業して中学生になる二人の女の子が出会った。一人は、特別支援学校に通い、一人は、すでに亡くなった障害のある伯母を持つ女の子。たまたま、亡くなった伯母さんは、同じ学校の大先輩だった。特別支援学校に通う☆☆☆さんは、同じとしの女の子に会って、とてもうれしそうだった。そこで、今日は、二人に心ゆくまで会話してもらおうと、ひたすら通訳に徹した。そして、こんなすてきなやりとりが生まれた。
うれしいです。おなじ小学生と話ができて。聞いてみたい。損得の問題ではないけど養護学校ではなかなか勉強をしてもらえずさびしいです。
(柴田:「文体、ですますでなくていいですよ。」)
聞いてほしいことがあるの。小さい時から私はよくわかっていないと思われてきて何も話しかけてもらえず損ばかりしてきたの。願いは本を自分で書くことよ。でも私はどうしたらいいかわからず、よく夢で自分で本を書いているわ。文章を書けるようになりたいの。願いをなんとかしてかなえたいの。絶対あきらめないわ。応援してね。
(え○こ:応援するよ。)
ありがとう。がんばるからそこのところよろしくね。勉強は好きですか。
(え○こ:好きです。)
こんど願いがかなったらなにか私のことを遠いけど手紙で伝えたいわ。住所を教えてもらえますか。そばなら何回でも会えるけど離れているのでそんなに会えないから手紙にするわ。小さい頃から手紙を誰かに書きたかったからうれしいです。帽子は好きですか。どんな帽子がすき?
(え○こ:野球帽が好き。)
私は花のついた帽子が好き。ぶかぶかでかっこわるいけどよく似合うと言われます。私は夢をよく見ますがえ○こさんの夢は何?
(え○こ:医者になることです。)
すごいね。いいお医者になって私たちみたいな子にもそこそこに理解できることを伝えてほしいわ。感動できるお医者さんになってね。願いは隣人愛にあふれるお医者さんがたくさん増えることです。人生について悩むことはありますか。
(え○こ:ありません。)
いいね。私はいつも悩んでいるの。小さいときからわかってもらえず無視ばかりされてきて損ばかりしてきたから。ほんとうに悲しかったけどこうして同じ歳の子と話せるなんて夢のようだわ。小さいときからの夢だったから今までいちども話かけたことがなかったのでうれしい。空に舞い上がるような気持ちよ。つらいことが多いけどこうして話していると忘れられるわ。小さいときからうらやましかった、みんなのことが。やっと話せて夢がかなったわ。小さいときからずっと話せなかったので勉強も教えてもらえずいつもよいほんとうの勉強ができるように祈っているの。なかなかむずかしいことを教えてもらえないわ。
何か聞きたいことはないですか。
(え○こ:学校ではどんなことが楽しかった?)
何もなかったわるいつもつまらないけど楽しいふりばかりしているの。
(ここで、かなえさんの作った歌をパソコンで流す。)
不思議な気持ちです。なぜわかってもらえたのか。無理かと思ってたわ。まさか私の作った歌を聞きとってもらえるとは思わなかったから。
え○こさんは歌は好きですか。どんな歌が好きですか。
(え○こ:平原綾香と絢香、いきものがかりが好きです。)
私はいきものがかりの歌が好きです。「私らしく」という歌が好き。
(え○こ:うちのCDには入っていなかったな。)
(柴田:そういう歌があるの。)
はい あります。ほんとうにいい歌です。
冒険の歌たがいいわ。悩みがふきとんでいくから。夢みたい。望みだったから。未来の生活がこんなふうになればいいな。夢だけどいつかかなえられたらうれしいわ。希望がわいてくるわ。おともだちになってね。夢みたい。のどから手が出るほどともだちがほしかったから。私のこと気にかけてくれてありがとう。きっといいお医者になれそうね。
自分の将来の夢は「れおろろらん」というお店を出すことなの。いい名前でしょ。私しか知らない言葉よ。月の国のよい夢を売るお店です。別にもうからなくてもいいの、みんなに喜んでもらえれば。
自分のことばかり言ってごめんね。え○こさんの残りのろうそくのような夢はありますか。
(柴田:残りのろうそくのような夢ってどういう夢のことかな。ちょっとむずかしいけど。)
そうかしら。かないそうでかなわない夢のことよ。
(え○こ;飛行機に乗ってヨーロッパに行ってみたいな。)
そうなの? もうすぐきっとかなうよ、その夢は。ほかにないかな。
(え○こ:リレーの選手になりたかった。)
なるほどね。よくわかるわ。私はリレーというものをよく知らないけど、かないそうでかなわない夢ね。
人間として認められることが私のかないそうでかなわない夢です。なかなか認めてもらえず悲しいわ。理解してくれてありがとう。かなえのことを忘れないでね。未来の私はもっと輝いていたいな。あとどれくらいしたら夢がかなうかな。夜になるとそんなことばかり考えて眠れなくなるわ。絶対にそんな時代がくると信じているけどなかなかうまくいかないの。小さいころからそんなことばかり考えてきて私は少しよくない子かもしれない。もっと素直に生きたかったわ。小さいころからの夢がかなってとてもうれしいけど、なんか私ばかり話してしまってごめんなさい。
え○こさんのおとうさんはやさしいの。
(え○こ:やさしくて、おもしろい。)
いいね、私にはとうさんがいないからさびしいわ。
雪のはなしを聞いても(らっても)いいかしら。
ほんとうのさびしさを知っている人には雪はやさしいの。外で雪を見ているともっとさびしい人がいることを知らされます。北のほうのさびしい世界に住んでいる人たちの悲しみが雪にはこもっていて、みんなには気づかれないけどさびしい気持ちで生ている人にはそれがわかるの。北の国の悲しみを運ぶ北風ぜもおんなじよ。だから私は北風が好き。瑠璃色の空に吹く北風はとくに好きよ。悩みが美しい空にに吸いこまれていくの。だから私は北風が好きなの。わかってもらえたかしら。
(え○こ:わかった。)
私の気持ちをわかってもらえてうれしいです。
(柴田、瑠璃=ラピスラズリの石の携帯ストラップを見せる。)
理想の色です。そうです瑠璃色。
(柴田、横にいるえ○こさんのいとこの赤ちゃんに語りかける。)
私はあかちゃんのときのことを覚えているわ。最初に覚えた言葉は、ゆんゆんだった。「れおららろろん」も小さいときに考えたの。すてきという意味よ。たぶん私たちは話すことができないから忘れないんだと思うわ。でも覚えていてもしかたないけど。
(柴田:え○こさんは、雪がふるとうれしい?)
(え○こ:はい、うれしいです。)
私もうれしいと思うけどなかなか外に出られないから残念だわ。
理想の家族ですね、うらやましいわ。私もいいおかあさんとかわいい弟がいていい家族だわ。全国には悲しいできごとがたくさんあって家族がばらばらな人たちがいるのが悲しいね。小さいころから途方にくれる子どもはかわいそうね。
指をくわえていつもうらやましがっているのは悲しいから私も私らしく生きていきたいな。未来に夢をつなぎたいわ。
え○こさんまた会えたらうれしいわ。ばかばかしい話につきあってくれてありがとう。
(え○こ:ありがとう)
ありがとう。え○こさんも夢に向かってがんばってね。
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2010年3月29日 01時21分
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研究所 |
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