個別的な関わり合いの場から、お互いの気持ちを語り合う場へどうやって発展していったらいいのか、その答えの一つが、ようやく出た。研究室が横浜たまプラーザキャンパスに移ってもうすぐ1年になる。ゆったりとした空間でできることはないかと、思い巡らしてきたが、答えはひょうんなことから訪れた。ともかく、来れる人で集まってみよう、それがきっかけだった。1月に町田のかりんくらぶのメンバーの三人と、横浜在住の青年とが私の研究室を訪れた。たまたまみんな去年の3月に学校を卒業した社会人1年目のメンバー。通訳を会しながら、話しは面白いようにはずんだ。そして、次の日程を3月に決めた。
横浜の青年と、かりんくらぶの女性1名は、体調不良で残念ながらこれなかったが、今回は、新宿の学習会サロンのメンバーが二人があらたに参加してくださった。
そして、そこへ、何と、東大駒場の哲学の先生まで来てくださって、話は哲学からコミュニケーションの方法まで、縦横無尽に広がった。
そして、そんな会話のさなか、かりんくらぶのメンバーの女性が、突如、この会の名前を「きんこん」にしようとパソコンで綴った。意味は響き合いとのこと。ひそかに、いつか会を作るとしたらどんな名前がいいだろうと想像をめぐらせていた私の貧困な想像力をはるかに越えて、すばらしい名前が提案された。
4月から、学生も交えながら、どんな展開ができるか、まったく未知数だが、来れる人が月に1度でも集まって言いたいことを言い合い
ながら、みんなの存在をどうやって社会に認めさせていくかを考えていきたいと思う。
開催日は、このブログで公表していこと思う。もし、興味のある日尾は、ぜひ、ご自由に参加していただけたらと思う。
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2010年3月19日 00時49分
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大学 |
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「勝手に体が動く」という言葉を聞き取ることができてから、私は障害のある方に対する理解の仕方を大きく変更せざるをえなくなった。
コードや紐が好きで、すぐに手を伸ばしてしまうというようなこと、自分で体をたたき続ける自傷行為と呼ばれるもの、となりの人の食事に手を伸ばしてしまうというようなこと、こうしたことは、どれも本人の意志があるのだから、それをできる限り尊重するということを大切にしてきた。それが、勝手に体が動くと本人自身は感じているというのは、想定を越えていたものだった。もちろん、勝手に体が動くとしても、そういう動きがなぜ生まれるのかという意味を考える必要はあるのだが、勝手に体が動いているという理解をそこに介在させることで、それらの見方は大きく変わった。本当の意志は目の前の行動とはまた別のところにある場合があり、そうした行動は本人自身を困らせるものでもありうるということなのだ。
私たちが何かルールを逸脱した行為をした時に、勝手に体が動いたというとあまりにも都合のいい言い訳になってしまう。しかし、本当にそういうことがありうるのだ。
最近、知的障害と言われる人が、小さな事件を起こした。障害があるということに対して理解が得られたので、特に大騒ぎにもならなかったのだが、残念ながらその理解は、その人に判断能力が欠如しているという理解だったことになる。しかし、彼は、見かけに反して、パソコンでは気持ちをたくさん綴ることができるし、当然、ものごとの善し悪しの判断はついている。それでも、自分をコントロールできなかったのだ。これだけでは、単純に勝手に体が動いたとは言い切れないし、もっと私たち自身が誘惑に負けてルールを逸脱した行動をする場合と同様に考えることもできるかもしれない。そこは、これからていねいに考えていかなければいけないことだが、私は、彼にできるだけ真正面から向かい合おうと考え、そのできごとについて2回にわたって、いつも行く居酒屋で、彼自身の説明を求めた。その文章の中に、非常に深く考えさせられる言葉があったのである。
自尊心があるので○○○わけにはいきませんが、人間としていい人生を生きたいのでできれば自分でくぐりぬけたいです。小さいときから言いたいことが言えたらいいと思ってきましたがつらいことばかりです。願いはみんなと気持ちをかわしあえることですがなかなかうまくいきません。自分でもコントロールできませんがなぜできないのかわかりません。いい自分になりたいけどなかなかむずかしいです。自分の気持ちが言えたらいいけれど人間として認められないと自尊心がずたずたになりそうです。コントロールできなくて悲しいけど人間として自尊心を大切に生きていきたいのでもう○○○することはやめたいです。はい人間として生きていきたいのでわかりました。人生を自分らしく生きていきたいと0思うのでよろしくお願いします。
自分のしたことにはすまないことをしたと思っています。人間あつかいしてほしいといつも思っているので悲しいです。人にはなかなかわかってもらえなくてむしゃくしゃしたから行きました。○○○がわかってくれなかったからです。考えたことを否定された。ぼくがせっかく考えたことを否定された。人生ということを探したいといったのに取り上げてもらえなかった。(…)はい、自分の気持ちが混沌としているからです。地域で生きていきたいので勇気がほしいです。かあさんやとうさんがだんだんとしをとってきたからです。むずかしいですひとりでくらすのは。自尊心さえあればぼくも体をコントロールできるとおもいます
体のコントロールと自尊心とが深く結びついているということは、考えてみれば当たり前のことだ。自分自身を大切に思う心があれば、人間は悪いことをしたりはしない。彼は、おそらく、30年間の人生で、いい家族に囲まれ、大切にされながら育ってきた。しかし、決定的に社会は、彼を、これだけのことを考える人間だとは見なしてこなかった。私だって、こうして彼がパソコンで文章を綴る姿を目の当たりにするまでは、そのように見てこなかった。もちろん彼を大切に考えてきたことはまちがいない。しかし、見かけの姿から彼をとらえ、本当の思いを十分に知ることはできなかったのだ。そんな中で彼の自尊心はずたずたにならざるをえなかったのではないだろうか。「自尊心さえあれば体をコントロールできる」という言葉は、彼らがまだ、偏見と差別の中を生きざるをえない現在の状況を悲しく訴えている言葉なのだ。
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2010年3月8日 13時19分
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その他 |
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学齢前から関わってきた○○君も、中学3年生になった。全身が動かない病気をかかえて生きてきた彼に対して私が試みてきたことは、パソコンで言葉を綴ることだった。彼は、最初に出会った頃から、スイッチ操作はすぐに理解し、2スイッチワープロの送りスイッチをわずかに動く親指で操作し、決定を目で訴えるということがすぐにできるようになった。しかし、そこから彼の始めたことは、50音表の音をオ段だけ順番に選択したりするなどの「遊び」で、なかなか言葉を綴ることをしなかった。もちろんまったくできないわけではなく、時折、短い言葉を綴ってわれわれを驚かせることもあったが、文字選択の巧みさと、その内容にギャップがあったのは事実である。その後、手の親指と足の親指とで自由に2スイッチワープロを自由に操作できる時期が長く続き、いろいろな単語を綴るようになったが、それは、読んでもらった絵本の題名や聞いたCDの曲名、ディズニーのキャラクター等で、なかなか気持ちは綴らなかった。この頃は、2スイッチで操作できる自作の算数のソフトや音楽のソフト、描画のソフトなどもよく作っていった。そういうソフトにはとても興味を示し、プログラムのミスなどもよく発見して、驚かされたものだった。
そうするうちに、しだいに指の操作ができなくなり、体のかすかな動きを関知するセンサーを使ったピエゾスイッチで操作するしかなくなって、1スイッチのワープロソフトとして普及しているフリーソフト「ハーティーラダー」に移行していった。そして、無事、彼はそれを使いこなしたが、操作の鮮やかさに比して、綴られる言葉は、なかなか複雑にならなかった。
彼のコミュニケーション手段は他に、2スイッチワープロの原理で相手が「あかさたな」と読み上げるのに対して眉毛や口元による返事を返して言葉を伝えたり、透明板の50音表から視線で文字を選択するやり方などを習得していた。
いつか複雑な思いを語るはずだと思いつつ、時間だけが過ぎていった。
そんな彼に、私は、手をふる方法を試みてみた。まったく動かなくなって力も失ってしまったかに見える彼の手だが、かすかな力が伝わってきて、すらすらと言葉を聞くことができた。そして、驚いたことに作文が書けないということを言ってきたのである。今、こうやって話しているのをそのままハーティラダーで書けばいいのではないかと言うと、パソコンで書こうとするとうまく言葉が出てこないというのだ。そのことを聞いた日は、私自身どうしていいかわからなかったが、4月ぶりになってしまった2月の訪問では、このことにきちんと向かい合ってみようと考えた。この4か月の間に、彼は、1スイッチの意思伝達装置として有名な「伝の心」が使えるようになっていた。
最初にまず、手を振る方法で気持ちを聞かせてと伝えた。すると、
きもちをいうのはむずかしい
と答えが返ってきた。それでは、それをそのままパソコンで打ってみてというと、何と、漢字変換をまじえながら、「気持ちは楽しかった」と書いてしまったのである。感想文を書いても、たのしかった以外をなかなか書けないのが彼の作文のむずかしさだったが、ここで、その言葉が出てきたわけだ。しかし、明らかにこれは彼の本心ではない。どうして「たのしかった」と書いたのかを尋ねると、画面を見ていると浮かんできてしまうというのだ。
自閉症や盲重複と言われる人の中に同じような人がいたし、簡単な言葉が話せる肢体不自由の人がしゃべろうとすると言葉が消えると言った人がいた。それぞれ理由はちがうだろうが、気持ちを表現するには、われわれにはよくわかっていないハードルがいくつか存在するのはまちがいない。
そして、いろいろ尋ねていた中で、「いえのなかではろうそくがみえません」という言葉がふと出てきた。そこで、彼に、今、「ろうそく」という言葉が出てきたけれど、これは、心の奥底の中の気持ちだよね。そのままそういう気持ちを表現してみてほしい。たぶん詩のような言葉が出てくると思うので、それをパソコンで書いてみよう、といった。そして手をふる方法で、彼の心の声を尋ねてみると、まず、もう一度、「いえのなかではろうそくがみえません」と始まり、そのまま、詩のような言葉が綴られた。それをホワイトボードに書き取って、パソコンで書いてもらうことにした。パソコンでは、漢字の変換も使いながら、「うれしいです すらすらいえて」という感想とともに、次のような詩を文字にした。
家の中ではろうそくが見えません。
美しい日を見たいです。
勇気出して強く行きたいです。
私たちの言葉をもっと伝えたい。
昔からろうそくを見たいと思ってきました。
夢のようなろうそくが見たいです。
2行目の「美しい日」は「美しい火」ではないのかと尋ねても、彼は、「美しい日」であることを眉毛で主張した。「勇気出して強く行きたい」は手をふる方法では、「ゆうきがひつようです」だったが、パソコンに書く際に書き換えた。もしかしたら、「勇気」が「出す」を連想したのかもしれないが、彼は、これでいいということだった。
心の声をしっかり聞いて、勝手に連想してわき上がってくる言葉に負けずにパソコンに書いていけば、本当の気持ちが綴れるようになると、何度も繰り返し伝えて、この日はおいとました。
何かが見えてきたような、そんな気がした関わり合いだった。
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2010年2月17日 21時39分
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家庭訪問 |
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初めてであった小学2年生の女の子は、不思議な言葉から文章を初めた。生まれて初めての文章のはずなので、「う」とくれば「うれしい」かなと思わず予想が生まれる。ところあ、「うし」ときて、「うしろ」と来るのかと思いきや…と予想がつかないままに「うしとかあさんがえる」という言葉が生まれた。イソップの有名な物語はあるけれどどうやら、自分で物語を作っているとのことだった。
、
牛とかあさんがえるが好きです。いいスイッチがあってよかった。聞くだけでいいのですごく簡単です。ぬいぐるみの生活とはおわかれです。(牛とかあさんがえるは)自分でかんがえた物語です。(そういう題名の物語があることは)知っていますが内容は知りません。
そして、物語を聞かせてくれた。
牛がいました。聞いているといい声で歌うかえるがいるので声を聞いているといい気持ち
ちになりました。いい声のかえるはいい歌を歌いながらいい小さいひざしをあびながら小さいころのことを思い出していました。小さいひあたりのよいところに牛は眠っていました。小さい牛でしたが人間になりたいと夢みていました。かいぬしは銀の硬貨を出していいました。いい歌を歌ったらこの硬貨をあげよう。軽い軽い命ですからいつかはいばらの道をいかなくてはなりません。頭のいい牛はかえるの歌をまねして歌いました。小さい声でしたがいい歌だったのでかいぬしはとても喜んで硬貨をあげました。銀の硬貨かは実に小さい硬貨でしたがきれいに光っていました。銀の硬貨を持って牛はかえるにいいました。これはお礼にあげよう。いい歌を教えてくれたからこの硬貨があればかえるはきっと人間になれるでしょう。かえるも小さいえらい人間に体をかえられていたので顔ごと人間になれたらと思っていましたからすすんで硬貨をこんおろと飛ばして人間になろうとしましたがなかなか人間にはなれません。いい硬貨ですが何かがたりません。きっといい心がたりないのだと思ったかえるはいい心が望みどおりに教えてもらえるいいところに旅だたなくてはいけないと考えて帽子をかぶってでかけました。おしまい。
おしまいの手前あたりで少し顔がくもってきたのでそのわけを尋ねた。
困ったからです。おしまいをまだ考えていなかったから。いい気持ちです。
そして、こんどは自分の胸の内の思いへと文章は続いていく。
聞いてほしいことがあります。敏感な人が少ないので私たちはお互いに言いたいことが言えなくていつも困っています。大人とです。かあさんといつも話ししていますができればほかの人とも話したいといつも思っています。いい歌声も聞きたいし、いい仲間とも話したいです。人間らしい過ごし方がしたいです。聞いてもらえてうれしいです。美しいところにいってみたいです。ハイジみたいになりたいです。いい女の人になりたいです。希望を望み通りの心に変えたいです。聞いてくれてありがとうございました。いい時間でした。うれしかったです。
小学校2年の女の子はまだまだ希望にあふれている。だが、物語をよく読んでみると、人間になりたいという牛やかえるの願いの中に、こめられた思いが秘められていることがわかる。2年生とはいえ、もうすでに、心はずっとおとなだ。どうすれば彼女が人間として生きられるようになるか、つきつけられた課題は大きい。
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2010年2月5日 15時37分
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家庭訪問 |
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Tさんからのメールが届いた。
困る話はかあさんが笑うことだ。
ほかにもつらいのは腕がとまらないこと。
とてつもなく苦しくてあほらしくなる。
電動車いすに乗りたいと思う。
ほかの場所に急いで行きたい。
自由医いられるすてきなところに行きたい。
Tさんとは、先日トマトハウスでも会った。以下は、その時の言葉だ。
小さい時からの夢がかなってうれしいです
願いはよい人と結婚することです
ラブラブになりたいです
理想は自立ができてラブラブの人と結婚することです
わかってもらえればうれしいのですがなかなかわかってもらえません
ぼくの気持ちを聞いてくれるのは松田さんだけです
小さい頃からの願いがかなってうれしいです
電動車いす、結婚…と夢が続く。さしあたり、私たちは答えるすべをもっていない。しかし、せめて、自分の思いを自由に伝えられるということだけは、実現可能な夢にしたい。
Tさんと松田さんの関わりの場は、原点は識字教室にある。最近NHKで識字教室のすばらしい番組が放映された。私たちのこうした取り組みが、識字の世界とつながっているということも、常に、忘れずにいたい。
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2010年1月19日 18時35分
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青年学級 |
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12月の活動の時に、聞き取っていた詩があり、それを歌にしてほしいと言われていた。その詩に、若いスタッフがとてもすてきなメロディをつけてきた。
美しい歌を歌いながら 美しい歌を歌いながら
夢のくに 本当の未来 若々しい気持ちでゆこう
美しい歌を歌いながら 未来の森をめざしながら
美しい気持ちで 美しい歌 歌っていこう
美しい歌を歌いながら 未来の道歩んでいこう
まだ、未完成だが、この歌を何度か聞いているうちに彼は、大きな声で歌い始めた。本当にうれしかったのだと思う。
その後、ゆっくり彼の気持ちを聞いた。
気持ちをい言言いたいけどなかなか言えなくてくやしい。認めてほしいけどむずかしいです。夢のようです。小さいころからの夢でした。理想は理解してもらってよいくらしをすることです。勇気がほしいです。よい歌を作ってもらえてうれしいです。わかってほしい。誕生日に歌ってほしい。(誕生日は)もう終わりました。自立したいです、ぼくも。ぼくはおかあさんによく迷惑ばかりかけているのでかあさんを楽にさせてあげたいです。ぼくは体が勝手に動くので困っています。願いは心をきれいに忘れないようにしてよい人生を生きていきたいです。はいそうです。理解してくれてうれしいです。夢のようですみんなわかってほしいですがなかなかむずかしいですね。もっともっと自分をどうにかしないとわかってもらえません。願いわかってもらうことです。柴田さんはなぜぼくの言葉がわかるのですか。力を入れていないのに不思議です。勇気がほしいです。わかってもらえてうれしいです。理解してくれてうれしいです。不思議です。理解してもらえてうれしいです。紙破きは気持ちを落ち着かせるためです。もっとほかのやり方があったらなと思うけど残念です。願いはよい人間になることです。未来いが開けてきました。わかってくれてありがとう。願いはこのやり方で話せるようになることです。わかってほしいです。楽にできてうれしいです。
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2010年1月19日 01時29分
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青年学級 |
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青年学級の若いメンバーIさんが活動の後の喫茶店トマトハウスにやってきた。なかなかなじめず、欠席も多いIさんがようやく仲間になり始めた。Iさんは、簡単な会話のできる方だが、今一つ本当に言いたいことが伝わりにくいということがあった。そんなIさんに、パソコンをやってみるかというと、ためらいながらもまんざらではなさそうだったので、積極的に薦めて、やってみることにした。すると、さらさらと、次のような文章が書かれた。
ぼくの気持ちを聞いてください。ぼくはダウン症という病気ですがぼくはふつうに考えているのでくやしいです。理想はわかってもらうことですがなかなかわかってもらえません。
夢みたいです。理解してほしいけどなかなかわかってもらえません。
みんなとも話したいです。音楽のコースが好きです。詩を聞いてください。
ちいさい私
願いをもって生きてきた
勇気を出して理想を求め
私はひとりで生きてきた
未来は私の忘れられない夢のかなた
私は私
勇気を出して生きていく
もう少しろうそくを高くかかげて
生きていきたい
前に作りました。願いでした、気持ちを伝えることが。うれしいです。
まだ20代前半の若々しい彼の表情が、とても晴れやかに見えた。これで、また、さらに青年学級の仲間としての関係を深めることができただろうか。これからの展開が楽しみだ。
私たちはあえてダウン症などということ前面に出してつきあうことあない。だが、彼はそういう言われ方にもう、辟易しているのだと思う。「21番目のやさしさに」というダウン症の方が書いた本がある。これまでの見方をひっくり返す力のある言葉だと思う。「ぼくはダウン症という病気ですがぼくはふつうに考えているのでくやしい」という言葉をじっくりと世の中がかみしめられるようになればと思う。
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2010年1月19日 01時10分
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青年学級 |
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3才の頃から関わってきて、ここ数年、たまにしかお会いしていなかった○○さんのお宅を久しぶりに訪問した。お父さんが昨年秋に亡くなられたことを知り、いつもやさしかったお父さんにお線香をあげさせていただくためだった。
そして、1年半ぶりに会った○○さんに、2スイッチワープロを試みた。なかなか手でスイッチを触ることがむずかしい○○さんだが今回は、肩や肘で挑戦した。すると、これまでのことが嘘のように、彼は、すらすらと文字を綴っていった。
きいてほしい きもち。
かあさんいつもありがとう。きもちいい。ちいさいときからはなしたかったからうれしい。きもちがいいたかったけどいえなかった。
(ひらがなはいつ覚えたのですか。)
ちいさいときにおぼえました。
なぜわかっていることがわかったの。たいへんうれしい。ねがいでした。
(簡単ですか。)
かんたんです。かんたんですがふしぎです。なぜちからをいれていないのにわかるのですか。
きいてください、ぼくたちのきもち。ぶんそうおうのいきかたはいやです。ちいさいころからなにもわからないといわれてきてかなしかったです。みらくるのようです。しんじられません。じぶんのことばだからほんとうですが。のぞみがかないました。まるでぼくのこころをよんでいるみたいです。
(手で握るスイッチはどうですか。)
てがかゆくなりますからこのすいっちがいいです。そんなやりかたをどうやってはっけんしたのですか。
てはかってにうごきます。はいそうです、ゆめみたいです。らくにはなせてうれしい。ふしぎです。だれもわかっているといってくれないのにどうしてわかったのですか。みかけによってごかいされてかなしいです。はい。ですがそれをわかってくれたひとはいませんでしたからうれしいです。
(最初に何か言おうとしてましたね。)
ひさしぶりといいました。ゆめのようです。
(おとうさんの話をしている時はどんなことを考えていましたか。)
ぼくもいっしょうけんめいがんばったといいたかったです。おとうさんがなくなってとてもさびしいです。そうぎにはでられなかったけれどひとりでもんもんとしていました。かあさんがとてもかなしんでないているのがかわいそうでした。とうさんのことをまいにちおもいだしています。ぼくはかあさんにめいわくばかりかけているのでもうしわけないです。らくなせいかつをさせてあげたいです。ねがいはそんけいするおとうさんにりっぱなすがたをみせることです。わかってもらえてうれしいです。りっぱなすがたとはじりつすることです。ねがいでした。なんねんかかってもいいからじりつしたいです。
いいやりかたですね。うれしいです。ねがいはこのほうほうではなせるようになりたいです。くろうしたてきたのでみとめられてうれしいです。じんせいをちからいっぱいいきたいです。かあさんにもよんでほしいです。ちいさいときからゆめでした。どうしてわかっていることがわかったの。ことばをりかいしていることがわかってもらえたらそれでじゅうぶんですりかいしてもらえてうれしいです。
おじいちゃんのことはにがてでしたがとてもだいすきでした。ねながらよくはなしをしてくれましたのでさびしいです。らくをさせてあげたかったです。
わすれていました。ぼくはみんなにとてもかわいがられていました。おとなになってもみんなぼくをだいじにしてくれました。だからとてもかんしゃしています。みんないいひとばかりでしあわせです。
わかってくれてうれしいです。みんなにありがとうといいたいです。
つかれました。しゅうちゅうしたので。
ありがとうございました、きてくれて。いいじかんでした。
家に帰って、この文章を、次の短い手紙をそえて、ファックスで送った。
今日は、○○君の気持ちを何とか、聞くことができて、とても感激しました。長いことおつきあいしていたのですが、こうした方法にたどりつくのに、ずいぶんと時間がかかってしまいました。
前にうかがった時にも、可能性は感じていたのですが、手を使ってスイッチを操作してもらう方法しかなかったので、うまくいきませんでした。この一年ほどの間に、手が敏感でスイッチをさわるのが苦手な人に、肩や肘などにスイッチを軽く押しつけていくやり方で反応が拾えるようになり、○○君ともようやくうまくやることができました。
ひらがなも小さいときに覚えていたということで、今までの関わり合いがとても的外れだったことに、申し訳ない思いがいたします。
やさしかったお父さんにも、こうした○○君の言葉をお届けすることができなかったことが残念です。心からご冥福をお祈りいたします。
また、よろしくお願いします。
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2010年1月12日 15時12分
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家庭訪問 |
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盲重複障害者と呼ばれる女性、☆☆さんとパソコンをはさんで関わった。彼女のことは、以前から知っていたがゆっくり関わるのは初めてだった。
いい気持ち。気持ちが言いたいけどなかなか言えなくて困っています。小さいときから気持ち言いたいと思ってきました。すてきなやりかたですね。うれしいです。信じられませんが私の言葉なので信じないわけにわいきません。自分の気持ちが言えたらいいと思ってきましたからうれしいです。みんなと話がしたいです。夢みたいです。夢を見ているような気分です。希望が湧いてきました。もう少し早くこのやり方に会いたかったです。
「もう少し早くこのやり方に会いたかった」という言葉が、胸にささる。様々なことがきちんとできて言葉も話すことのできる☆☆さんのような方が、こうした気持ちを言葉に表現できずにいるということに気づいたのは、ほんの1年ほど前のことだから、どうしようもなかったことなのだが、こうした言葉を彼女の後輩たちには言わせてはならないと、改めて思う。まだまだ、それも容易ではないが、過渡期とばかり言ってもいられない。
ここで、いくつか彼女に質問を投げかけて見た。これだけの思いを綴る彼女の行動の意味をたずねてみくなたからだ。
(点字の学習の時、リベットを投げたりするのはどうしえですか?)
くやしいからです。
うまくできなことへの悔しさという感情がこうした行為の背景にあるということは、なかなか気づかれにくい。たいていは、いやがっていると怒っていると、関わり手へ直接気持ちをぶつけているととられてしまう。しかし、この行為は彼女の、誇り高さの表れにほかならないのである。そして、さらにこう続く。
私のことをなかなかみんながわかってくれないので悲しいです。本当はなんでも理解できているのに言葉がうまく話せないで困っています。望みは理解してもらってみんなと仲良くすることです。私をわかってくれるのはおかあさんだけです。なかなか理解されないで悲しいです。わかってほしいです。
そして、話は、言葉を読みとる方法に及ぶ。
不思議です。なぜわかるのですか。
(次の文字を思い浮かべていてここだと思っているでしょう?)
はい。思っています。なぜだかわかりませんがほんとうの気持ちです。
そして、パソコンで文字を綴りながら、一見関係のない言葉を発し続けていることについて、尋ねてみた。
言葉は勝手に出てくるので気持ちを言うことができません。勝手に出てきます。よくわかりませんが勝手に動きます。
このことがどれだけ彼女を誤解させてきたか、その悔しさは想像にあまりある。ここで、話を切り替えた。
(詩を作ったことはありますか?)
あります。「ろうそくのひ」という詩です。
ろうそくのあかりを求めて 私は生きる
誰も知らない森の奥で
緑を私が(緑が私を?)やさしく包み
私は呼んだろうそくの火を
緑は目の前の理想の私
緑は私の生きる希望
夢の世界の私のろうそくの火よ
ろうそくのあかりがつないでくれた未来の私に
私は心をつなぐ
これでおしまいです。一人の時に作りました。理解してくれてうれしいです。
歌も作っています。「私のろうそく」という歌です。
ろうそくのあかりが私をてらす
夢のような緑の森で
私は理想のろうそくを
人間としての心をもった
私のろうそくの私のあかし
理想をなかなかかなえられずに
私は呼んだ 私のろうそく
私は生きる 緑の森で
未来の私を夢見つつ
「私のろうそく」という歌です。いい歌ですから聞いてもらいたいです。私の歌を聞いてもらえるとは思いませんでした。みんなも作っているのですか。夢のようです。不思議です。信じられませんが、信じないわけにはいきません。私の歌を聞いてどうでしたか。
時間がせまってきたこと彼女に告げると、最後にこう綴った。
面倒ばかりおかあさんにかけているので申しわけないです。はい。小さいときからの夢がかなってうれしいです。
あとで、お母さんがろうそくについて語ってくださった。もともと視覚障害のある☆☆さんは、それでも、幼い時、ろうそくの火だけは見えていたそうだ。その火もいつか見えなくなって長い時間が過ぎたけれど、きっと彼女には、その記憶が大切に残されているのではないかと。
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2010年1月1日 17時29分
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自主グループ(視覚障害) |
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青空の澄みわたった冬のある日、高校生の☆☆さんと会った。しっとりとした文章で、気持ちを語り、そして、歌を1曲聞かせてくれた。
とても空が青くていい日でうれしいです。虹も出ていました、夢の中で。わかってもらえた喜びのせいで景色が美しく感じられます。ふだんから言いたいことが言えたらいいけどむずかしいですね。言葉の勉強がしたいですがなかなかチャンスがありません。みんなも同じだと思います。(…)ふだんの生活でも話がしたいですがなかなかむずかしいですね。まだまだ理解者が必要だと思います。私の気持ちを言えるのはこの場所しかないので私は不安です。地域の作業所ではどういう人が待っているのか優秀な職員でなくていいからわかってほしいです。理想はまだまだ現実とはかけはなれていますが理想に一歩でも近づければいいなと思います。
理想の歌を聞いてください。曲です。
私の理想 理解をされて
小さく夢を 紡ぐこと
冒険好きな 私の心
逃れられない 定めに負けず
呼びかけてみよう みんなの胸に
みんなもきっと 私の声に
もっと応えて 私とともに
理想の歌を 歌うだろう
願いはいつも かなわないけど
理想は高く かかげていこう
理想は何も 瑠璃色の
宝石ばかりでは ないことは
私の望みは 知っている
呼んでみよう 未来に向けて
呼んでみよう 私自身に
理想の歌という題です。リズムは変えてください。私は単純なリズムで歌っています。八分の六かもしれません。(歌うたびにメロディが変わったりしますか?)変わりません。(まちがいはないですか?)そのまま聞き取ってもらえました。なかったです。(…)小さいときからよく歌を作っていたのですが絶対に伝えられないと思ってきましたから夢のようです。信じられませんが事実なんですね。うれしいです。夢のようです。わかってもらえてうれしいです。願いがかなってうれしいです。夢みたいです。望みはわかってもらいたいということだけです。よくわかっているとだけわかってもらえればそれで十分です。よみとるのは技術を必要としているからしかたありませんが、わかっているとさえ思ってくれればともかくは大丈夫ですから。この方法は覚えるにはたいへんな努力が必要だと思いますからそれまでは求めません。理解してもらえたらうれしいです。人間として認められたらうれしいです。願いでしたからうれしいです。またお会いしましょう。わかっていただいてうれしいです。よい時間でした。ありがとうございました。わかっていただけてしあわせです。願いがかなってよかったです。
夕方がくると寂しいですが、またあしたがあると思うと元気が出ます。夕焼けも大好きです。理解されてから夕焼けがいちだんときれいに思えるようになりました。私らしく生きていきたいと思いますのでよろしくお願いします。またお会いしましょう。
最後の、「理解されてから夕焼けがいちだんときれいに思えるように思えるようになりました」という言葉は、識字の世界ではよく知られた言葉だ。その方は文字を覚える機会を奪われ、ずっと年をとってから識字教室で文字を覚えた。そのことの感動を手紙にたくした中に、「文字を覚えてから夕焼けがきれいに見えるようになった」とあるのだ。
何度も授業でも取り上げてきたものだが、私自身の目の前で、同じような言葉に出会うとは思っても見なかった。
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2009年12月29日 22時27分
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自主G23区2 |
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Tさんの言葉のメールが届いた。きっと、私のブログの誰かの文章を読んでくれて書いたものなんだと思う。
ぬいぐるみのようなじんせいもなける。
さびしいときにともとゆっくりといまははなしがしたいのにひとりがやっぱりわたしにはまっている。
ぬいぐるみのようなじんせいをおわりにしよう。
いぬたちがぼくをげんきづけてくれる。
そして、犬の写真も一緒だった。彼を元気づけてくれる犬の澄んだ瞳が印象的だ。
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2009年12月28日 23時23分
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青年学級 /
大学 |
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12月6日も、青年学級では多くの人が言葉を語った。その中から、Sさんの詩を紹介したい。多くの方の言葉は、パソコンではなく、手を振る方法でノートに書き取ったものなので、整理に時間がかかってしまっているが、Sさんの詩は、パソコンで綴ったものである。
可能性に挑戦しよう
未来の楽園のために
勇気を出して理想の国をめざしていこう
勇気を出して未来と過去の呼び声を断ち切って
私の今を大切にしていこう
未来の夢は自分の理想
未来の希望を心にかかげ
未来に向けて歩いていこう
聞いて未来の伝言を
聞いている過去の淀んだ物語を
じっと耳をすませていると
心と心の喉元に
美人の咆哮が聞こえてくる
小さな美人の心の中に
勇気のかけらが眠っていることを
誰も知る人はいない
人間としていい生き方を求めてきて
気持ちをうまく表現できず
ひとりぼっちで生きてきたぼくの
ゆいつの願いは
こうしてばい菌のように生きるのではなく
みんなを人間として受け入れられる世の中がくることだ
いい自分を作っていきたいと思う
みんなといっしょにこの道を歩き続けていきたい
小さいときからのランプのような願いだ
過去のきびしさと未来への切ないばかりの希望が語られた詩だ。一般就労をしていう彼には、けっこうストレスがたまることもすくなくない。心ない言葉もこれまでもたくさんかけられてきたことだろう。そんな彼が懸命に未来の可能性にかけようとする気持ちに、心から感動した。
敏感な言葉をありがとうと言いたいです
最後にこう綴って彼はスイッチから手を放した。
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2009年12月19日 00時01分
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青年学級 |
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町田市の本人活動の会「とびたつ会」のTさんは、支援者の松田さんとウィークデイの夜に、もう何年もパソコンで言葉を綴る練習を続けてきた。特製のマウスを足で操作できる彼は、なんとか、その方法で文字を綴ろうとしてきたが、なかなか長い文章をスムーズに綴ることはむずかしかった。ところが、この数ヶ月は、松田さんが徐々に今私がやっている方法を取り入れるようになって、だんだんと文章が長くスムーズになってきた。
ここ2回の文章を紹介したい。
そとにさがしにいきたい
だいじななにかを
くるしいときにほんとにすくわれるろうのようなすくい
せかいじゅうてのとどかないほんとのしあわせ。
よのなかがしあわせになるように
すくいをさがしに
ひとにてつだってもらいながら
さがしにいきたい。
ぬりなおしたいいろ けしたいいろは
むねのなかにあるさみさ(さみしさ?)。
ねているあいだにいとしいほわいとにぬりかえたい。
くるしいきもちもいとしいほわいとでぬりなおしたい。
なきたいきもちをぬりかえたい。
さびしいきぶんをぬりなおしたい。
ぬりかえればきぶんがらくになって、とてもわたしはうれしい。
これからも、また、彼の言葉は紹介を続けていきたい。
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2009年12月18日 23時54分
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青年学級 |
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11月のある日、20代前半の☆☆さんをたまプラーザキャンパスにお招きした。6月に引き続いて2度目だ。今回は、☆☆さんのことを以前から取材している音楽療法の雑誌の編集者の方もご一緒だった。
歌が大好きな☆☆さんだから、必ずや歌を作っているにちがいないと思ったので、今回の日程を打ち合わせる時のメールに、歌を聞き取りたい旨を書かせていただいておいた。
最初、少し、手をふる方法で話して、彼女のパソコンを開いていただいた。彼女のご両親はスイッチの介助がおできになるので、毎日日記を書いているパソコンである。
感激です。いい気持ちでした。明るい光がさしてきました。人間として小さく夢を紡いできましたが、ようやくかないました。
勇気がほしいです。
願いは私のもっと私らしさを表現したいです。未来が開けてきました。いい気持ちです。
ずきんとするような痛みを感じることもありますが、それも乗り越えていくことができそうです。ぬいぐるみのような生活にもお別れです。人間として認められてうれしいです。小さいときからの夢でした。
そこで、歌のことに話題を向けた、するとさっそく、歌詞が書かれた。題は「ぬいぐるみの歌」。
小さいぬいぐるみ なぜ泣くのだろう
きのうの悲しい思いかしら
泣くのはやめて みんなも同じ
ひとりぼっちのさびしさに
ろうそくをともして生きている
小さいぬいぐるみ なぜ泣くのだろう
人生はもっと輝いているよ
そして、手を振りながら「ドレミファソラシド」と言いながら、ひとつずつ音をひろっていった。☆☆さんは、この方法は初めてで、驚いた様子ともに、こみあげるような笑いを浮かべながら、メロディをつたえてきた。
そして、歌を伝え終わると、次のような感想をくれた。
信じられません。歌を聞きとれるとは思いませんでした。小さい頃から気持ちをしずめるために歌を歌っていました。理解してくれてうれしいです。未来が開けてきました。うれしいです。
そこで、私はよくばって、まだほかの歌はありますかと尋ねると、
もっとありますが聞いてもらえますか。
そして、「未来の夢」という歌が書かれた。
人間として生まれて生きてきて
私は夢をかなえたい
未来の夢は願いの理想
光の中で光り輝き
太陽のように 遠くをてらす
私の私らしさを願いながら
私は私の理想を紡ぐ
そんな時、数名の学生たちが授業を終えて入ってきた。6月にも☆☆さんと会った学生たちだ。
☆☆さんとしばらく語りあっているあいだに、音楽に造詣の深い編集者の方にお願いして楽譜にしていたいたので、研究室においてあるギターの伴奏で、歌ってみることにした。
☆☆さんの心の中で静かになりひびいていた歌が、同世代の若者の歌声によって部屋中にひびきわたった。すばらしい瞬間だった。
☆☆さんも、本当に喜んでくださった。
後日、女子学生が☆☆さんの歌について語りにやってきた。「ぬいぐるみの歌」は、やっぱり、自分のことなんですよねと言いながら。歌を通じて、☆☆さんの思いは、深く伝わった。
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2009年12月12日 02時38分
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大学 |
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中学生の☆☆さんとの関わり合い。最初は、次のような言葉から始まる。
楽しみにしていました。やっと気持ちが言えるようになったので、ろうそくの光を遠くから見つけたような気持ちです。夢みたいです。小さいときからの夢でしたからうれしいです。理想は私の家でもできるようになりたいですがむずかしいのですか?
方法のことなどやりとりした後、歌を作っていないかを尋ねた。すると作っていて、聞かせらるとのこと。まず、歌詞を書いてもらった。
しずかによるがふけてゆき
わたしをよるがつつむとき
わたしはろうそくのひかりをさがし
ふしぎなたびにわたしをさそい
よぞらをかけるほしになる
わたしのゆめはかぎりなく
わたしはねがいのとおりのかぜに
ようふくのもつれのままにそらをゆく

(題は)夜空です。小さいときから歌を作ってきたのでうれしいです。なかなか聞いてもらうことはできないと思っていたので感激しました。わかってもらえてうれしいです。私の歌はどうでしたかふだんから作っています。また聞いてください。歌は気持ちをしずめてくれますからみんなも同じなのだと思います。みんなの歌も聞きたいです。
自分だけのために作っていた歌を、仲間と友に口ずさめる日、そんなに遠くない日に、それを実現させたいと思う。
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2009年11月23日 19時18分
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自主G23区1 |
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小学1年生の○○君とパソコンで話をした。ある程度手を使える彼とは、就学前から大学院生の◇◇さんがいろいろな学習を積み重ねてきた。その学習は様々なスイッチから始まって、ボールを缶に入れる学習、形のはめ板の学習、そして、カードの見本合わせなどである。スイッチについては、様々な運度方向の学習が進んで、姿勢のコントロールも運動のコントロールも上手になった。しかし、ボールを意図的に話す、○や△や□の板をその同じ形の穴に入れるという学習では、その強い意図に対して、空中での上手な手のコントロールが必要なため、誰が見てもできているというふうには見えにくかった。しかし、それは単に、力のコントロールだけの問題なので、十分に理解した上で運動をしてということは、私たちにはよく伝わってきた。そこで、見本あわせの学習へ、どんどん進めて行った。方法は、ある見本を提示したあと、二つの選択肢を左右に提示して、いずれかを選択してもらうものだった。ここでも、○○君の理解に反して、手は不随意的に動いて、選びたい選択肢の反対に手が動いてしまうことも少なくない。また、目もしっかりと選びたい選択肢をとらえることが少なく、○○君の理解を客観的に証明するにはむずかしさが生じてしまう。しかし、もちろん、そういう○○君の運動に関するハンディを考慮するならば、私たちには○○君が理解していることは、疑いようのないことだった。そして、選択の内容をどんどん進めていって、ひらがなの学習へと進めていった。
こうした学習を十分に重ねた上で、いわば満を持して、学校にあがったことをきっかけに、手を振る方法やパソコンで気持ちを聞く関わりを学習の中に含めていくことにした。
いいすいっちです ふしぎです せんせいはどうしてききとることができるのですか
パソコンで綴りながら、彼は、不明瞭ながら発声をしている。それは紛れもなく言葉であり、その言葉のいくつかをあてたので、彼は上のように書いた。
ここで、学習を進めてきた意味を彼と語り合おうと思って、いくつか質問をした。
(自分で思った通りに手が出せず、わかっているのにわかっていないと言われて困ることがあるよね。)
こまります。
(選ぶ学習をがんばって少しでもうまく選べると、大人はけっこう理解してくれるので、この学習を通して自分の体のことをよく自分で理解してね。ところで、ひらがなはもう全部完全に覚えましたか?)
はい わかるようになりました
(それはいつごろですか?)
だいぶまえです
(今、「まえ」って口でも言ったよね?)
はい
(せっかく声で言ってもうまく言えなくてつらいね。)
つらい ちいさいときからはなしたかったからうれしいです
(ところで、ひらがなが全部わかったと自分で思えたのはどういう時でしたか?)
にたもじのくべつができたときです
(ひらがなは、□□先生といっぱいやってできるようになったのですか?)
いっぱいやってできるようになりました
(パソコンの文字は見えますか?)
むずかしい ちいさくて
(ぼくはめがねをかけているけど、めがねをはずすと小さい字はぼやけて見えなくなるんだけど、そういう意味で小さい字が見えないのかな? それとも、小さい字がいっぱいならんでいて字をじっと見続けるのが大変なのかな?)
つずけてみるのがたいへん そういうことかとはじめてわかりました
みえていますがなかなかめがとめられません
(絵や一つの文字だったらはだいじょうぶなのかな?)
はい
(単語みたいに文字がならなんだらどうだろう?)
たんごのときはこまります
そして、これまでの思いが綴られた。
めのまえでちいさいときからいいたいとおもってきたけどちっともきいてもらえないのでさびしい
その後、さらにつらかった思いが語られた後、いっしょにペンをもって文字を書く方法をお父さんに伝えた。手を振る方法やパソコンよりも家で練習がしやすいことと、最終的には非常に速いコミュニケーション手段になりうるからだ。実際にいくつかの文字を書いてみると、うまくいった。
それから、何か物語とか詩などを作っていないかを尋ねた。すると、すんなりと次の詩が書かれた。
きれいないろのかぜにのり
ねがいをそらにとどけたい
みんなとゆうきをだしあって
とおいせかいにとびたとう
きっとみんなでうつくしい
ねがいがきれいなゆうやけを
にしのそらいっぱいにいろどるだろう
みんなもきっとこころのなかが
ゆうやけいろにそまるだろう
文字の数がそろっているので、歌か詩かについて、手をそえてペンをもつ方法で尋ねると、「うた」と紙に文字が書かれた。
さっそく、手を振る方法でメロディを聴き取る。その最中、これでいいかと確かめる時○○君は鮮やかに首を振ったりうなずいたりして答えを返してきた。これも新しい発見だった。
ちょうど、窓から夕日がさしこむ時間だった。手を振る方法で尋ねると、「夕焼けの時間に歌をうたってもらってうれしい」と返ってきた。
満面の笑みを浮かべる彼に、家内が手を添える筆談を試みると、次のような彼の言葉が綴られた。
まま のびのびしよう
ぱぱ からだをだいじに
新しい可能性の予感に包まれながら、美しい夕焼けの中をパパと彼は、ママと妹の待つ家に帰っていった。
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2009年11月8日 10時57分
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自主G埼玉1 |
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一度だけ、他の先生との点字の学習の合間に、ほんの5分くらいの短い時間手をとって言葉を聞き取ったことのある全盲の○○さんとゆっくりお会いした。まず最初にその時のことを覚えているか尋ねた。
はい、覚えていました。ころころころがるような音楽を聞いたように、嬉しい気持ちがしました。うれしいです。いい未来が私にももたらされたような気がしました。
そして次のように語ってから物語を聞かせてくれた。
ころころころがるという物語を聞いてください。
残りわずかのもろもろのよい歌声が聞こえてきました。いい声で歌を歌っているのは、たくましい男の人でした。よい歌声はいつまでも続き、歌の呼んでいる方向を認めるとこの間聞いたのとはちがう、いい喜びの未来、ろくんろくんと夢を見ています。
雪の降る夜も、苦しい声で歌を歌い続けていると、金の言葉が聞こえてきました。勇気をもらい、私を苦しみから解放してくれた歌声に私はとても感激して、いい歌を聞かせてもらえた喜びを、この方法に感謝しています。いいやり方ですね。
そして、この物語について次のような説明が加えられた。
今考えました。苦しかったです。いい気持ちだったからです。いい気持ちだったから、物語を考えました。願いがかなったからです。どこかで聞いたわけではありません。自分で考えました。勇気をもらえてうれしいですから、考えました。
昔から言葉で気持ちを言いたいと思っていたけど、なかなかかなわず、もうあきらめていたのでうれしかったです。苦労してきましたが、これでかないました。
もう20代なかばの○○さんには、こうした時が訪れるということはありえないことだったのかもしれない。そして、次のようにたたみかけられる。
昔から私たちは、言葉を理解していましたが、なかなかそのことをわかってもらえませんでした。いいやり方ですね。いい夢を見ているゆおうな気持ちです。うれしいです。うれしくて気持ちがいいです。
ここで、見学をされていたほかのお母さんが見えているということをどう理解しているのかというストレートな質問があった。すると、彼はひるむことなく次のように答えた。
目が見えているということの意味はよくわかりませんが、見えているというのはよくわかります。子どもの時からうらやましかったです、目が見える人のことが。
この時、「子どもの時」という言葉を読み取っている時に、彼の口から歌うような声が発せられた。そこで、今の声はどういう意味があったのかを尋ねてみた。すると、まさにその声が歌だったことがわかった。
子どもの時のいい歌声を歌っていました。いい歌です。
そして、歌詞とメロディを教えてくれた。
いい子 お母さんを忘れないでね
お母さんはいつもそばにいるからね
そして私が、いいうただけど、切ないね、と語ると、次のような返答があり、また、歌を歌う意味が語られ、さらに次の歌に移っていった。
切ないとはどういう意味ですか。わかりました。
腕をかむのをやめるために自分で歌を歌うことにしていますので、いい歌をたくさん作っています。歌を聞いてください。
美しい声の人を私は愛します
美しい声の人を私は愛します
美しい心の人を私は愛します
私の美しい心のように美しい
歌を歌って生きていこう
美しい心で作った歌です。美しい声の人に歌ってほしいといつも思っていますが、先生の声も美しいのでよかったです。いい気持ちです。いいやり方ですね。うれしいです。うれしいです。勇気が出てきました。うれしいです。いいやり方ですね。うれしいです。うれしです。また会いましょう。うれしいです。みんなの気持ちを聞いてあげてください。またやってください。苦しいけどうれしかったです。歌を聞いてくれてありがとうございます。苦しかったです。苦しかったです。昔の気持ちを苦しみから解放させることができました。うれしいです。
そして、最後に、目の前で明かされていく彼の深い内面の世界を、驚きといとおしさの目でながめていらっしゃるお母さんに、メッセージをお願いした。
お母さんいつもありがとうございます。ろうそくの火のような未来の希望が見えてきました。よい美しい未来が開けてきました。これからもよろしくお願いします。
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2009年11月6日 06時39分
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自主グループ(視覚障害) |
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台風の影響で風雨の強かった夜が明けて、真っ青な青空が広がった日の午後、病院の訪問に向かった。○○君のベッドサイドに腰を下ろし、彼の手を小さく振りながら「あかさたな…」と唱えながら言葉を聞き取っていくと、彼は、さっそく次のような言葉を語り始めた。
こんにちは。昨日のことですが、物語のような緑の道を車で動き回る夢を見ました。日曜日のことのような感じでした。望みが夢に出てきたのだと思います。車の夢をよく見ます。よい夢ばかりではなく、悪い夢も見ます。無理に車の前を横切っているうちに少し止まってしまい、ひかれそうになる夢です。怖い夢です。車の夢を見るのは若人のしるしですからいいのですが、よい未来を夢見る方がいいと思います。
うれしいです。気持ちを言うことができて。いいやり方ですね。信じられませんが僕の気持ちなので信じないわけにはいきません。未来がこのやり方で開けそうです。苦しいです気持ちを言えないのは。うれしいです。いいやり方ですね。いい方法ですね。苦労して来たので、いい気持ちです。理解してくれてうれしいです。
3歳の時からつきあってきた彼は、今、小学3年生だが、手をふる方法で文章のスピードがあがってから、たくさん気持ちをあふれるように語るようになった。その喜びがまず、語られたわけだが、続いて、こんなことが語られていく。
聞いてほしいことがあります。昨日の六時頃、苦しくなってこのまま死んでしまいそうな気がしましたが、T先生が来てくれて呼吸器を止めて手で呼吸をさせてくれて楽になりました。未来が開けそうな矢先だったので、とても怖かったです。昔からこんなことはよくありましたが、こんなに怖かったのは、初めてのことでした。未来があると思うことがこんな気持ちを生み出すとは思いませんでした。うれしいですが、この間も怖かったです。怖いのはいやですが、気持ちを聞いてもらいたいので、やはりこのわかり方を続けてもらいたいです。うれしいです。気持ちを言うことができて。もしこのやり方を知らなかったらどうなっていたかと思うと夜眠れないことがあります。うれしいですが、このやり方をもっといろいろな人とできるようになりたいです。いいやり方ですが、昨日は怖かったです。
うこんのことを思い出しました。うこんのことは、いい話です。うこんというよい花があるそうです。うこんの花はきれいな心をしていて、うこんのことが好きな人にはいい香りを出しますが、うこんのことが嫌いな人にはいい香りは出しません。未来の希望を香りにとたとえると、ぼくの気持ちと同じです。未来の希望を出すのは、ぼくのことをわかってくれる人にだけです。未来の希望は、もっと見つけるのが大変ですが、わかりませんでした。でも今はわかります。苦労してきたので、未来の希望を探すことは大変でしたが、苦労してきたので今はもう希望を探すことは、このやり方があるのでわかります。希望を探すことは、このやり方で言葉を伝えていくことだとわかりました。苦労してきたので、言葉で伝えられたらいいと思えるようになりました。未来が向こうからやってきたような気持ちです。向こうからやってきたのでわかりやすかったです。未来を苦しみから解放したいです。未来から、過去の苦しみを解放したいです。未来を過去から解放したいです。
美しい希望が必要です。美しい夢がこのやり方で見られるようになりました。いいやり方ですね。うれしです。いい気持ちです。うれしです。未来が開けてきたので、未来を希望に変えてしまいたいです。うれしです。いいやり方ですね。うれしいです。
苦しかった。呼吸ができなくなって苦しかったです。苦しかったけど、よい先生なので助かりました。苦しかったけど、未来があるのでまだまだ死ぬわけにはいきません。くるしかったけど、まだまだ、未来があるのでこのままでは死ぬわけにはいきません。未来があるからまだまだ頑張りたいです。うれしいです。気持ちをこのやり方で言うことができて。美しい希望がわいてきました。うれしいです。未来が広がってきました。いいやり方ですね。うれしです。美しい未来が開けてきました。うれしいです。美しい希望が未来に見えますから、頑張りたいです。
このやり方をみんなに伝えてください。◇◇先生もできるのは知っています。☆☆ちゃんといつもやっているのを見ていますから。いつもうらやましく思っています。うらやましいです。ぬいぐるみのような人生はおしまいです。昔からそう思っていましたが、なかなかかないませんでしたが、これでかないそうです。もっとみんなに広げてください。お願いします。
そして、ここで隣のベッドの☆☆さんの担任のM先生に代わる。すると、最近、ずいぶん読み取りが速くなったM先生に、次のような言葉を短時間で伝えることができた。
夢がかないました。よろしくお願いします。
そして、再び私に代わって次のように言葉が続いていった。
M先生のやり方はとてもわかりやすい。柴田先生のやり方は少しわかりにくい。わかりました。声が少しかすれているのでわかりにくいです。わかりやすい声でお願いします。いいやり方ですから、大きい声でお願いします。苦労してきたのでうれしいです。美しい未来が切り開けてきました。苦労してきたので理想の未来がかえってよくわかります。いいやり方ですね。うれしいです。いいやり方だから、大きな声でお願いします。理解してくれてありがとうございました。うれしいです。陰気なぼくだったけど、これで陰気ではなくなることができそうです。これで、ころころと笑うことができそうです。このやり方をよろしくお願いします。いいやり方ですね。いいやり方だから、大きな声でお願いします。美しい希望がわいてきました。
ここで、前回、彼がダカーポの「野に咲く花のように」(『裸の大将』のテーマソング)を聞きたいと言っていたので、ダカーポの歌う歌とは違うけれど、同名の歌があるということで、今年のわかそよのDVDのことを告げた。するとさっと次の答えが返ってくる。
見せてください。
そして、わかそよの合唱ステージの冒頭の、3人の詩の朗読と、「願いの季節」と「野に咲く花のように」の合唱を聞いてもらった。すると次のような感想が述べられた。
苦しい気持ちをしている者にしかわからない気持ちがよく表れていました。とても感動しました。苦しい気持ちが少しらくになりそうです。いい歌でした。願いがかなうとうれしいです。いい歌でした。「野に咲く花のように」という歌を教えてくれてありがとうございます。未来が開けてきました。未来が見えてきました。うれしいです。未来を昔から解放したいです。
ついでに、「野に咲く花のように」のメロディーは私が作ったことを告げると、次のような驚きの声が帰ってきた。
信じられません。まさか先生が作ったとは思いませんでした。美しい歌を聞かせてくれてうれしかったです。
病室の閉ざされた世界に、彼は、ラジオを通して外の世界への通路を作っている。こうしたわかそよのことが、彼に外の世界への新しい通路を作ってくれたらと願うばかりである。
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2009年10月28日 00時11分
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小児科病棟 |
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高等部3年の☆☆さんにお会いする。来春には学校を卒業して、新しい生活が始まる。そんなことを胸に抱いた☆☆さんに、秋の美しい一日、話を聞いた。
いい方法ですね。信じようとする人にしかわからないでしょうね。あきらめないでよかったです。みんな願っていると思うので認知される日が早いうちに来ればと思いますが、まだまだでしょうね。敏感な人はとても少なくて残念ですが、望みどおりのことなので早く友だちにも教えて、いっぱい苦しい気持ちを話してもらいたいです。みんなの気持ちが知りたいといつも思っているので、みんなと話せる日が待ちどおしいです。人間として言いたいことを言いたいけど、なかなかかなわず、願いどおりにはいきませんが、小さい時からの願いなので大切にしたいです。
望みは雪のようなきれいな心をどの先生もが持つことですが、分相応に生きるのが大事だという先生がいるうちはむずかしいでしょうね。
不思議です。力を入れていないのになぜわかるのですか。自分の気持ちなので信じられます。自分の気持ちを言えてすばらしいです。人間としてはやいうちから認められたかったです。自分は伝えることができてよかったけど、まだ話せない仲間がいることが心配です。すいすい書けて気持ちいいです。小さいころからの夢でしたからかなってうれしいです。別に私らしさを望んできたわけではないけど、これで私らしく生きれそうです。理想的な方法ですね。
実習先はどこも同じようなものでしたが、理想は私の気持ちをたいせつにしてくれるところです。未来に託します。未来をみんなで切り開いていきたいです。願いがかなうとうれしいです。
小さい頃からの友だちとは別れたくはありません。地味な性格だから目だたないけど、願いはよい人になることですのでよろしくおねがいします。
みんなとずっといい友だちでいたいです。みんなとずっとつながっていたいです。
きらいなことはきらいと言えるようになりたいけどなかなかちゃんと言えません。自分でも言いたいけどうまく伝えられないのでくやしいです。理想はみんなと愉快にやっていくことですがどうしたらいいのかわかりません。自分の気持ちが言えるようになりたいです。ほんとうにそんな日がくるのを夢みていますが理想でしょうか。望みは望みとして持ちつづけたいです。小さい頃からの夢でしたから。この方法が広がってほしいです。ねがいです。し進歩しましたね。驚いています。いい方法ですがわかりにくそうですね。人間として認められた気分です。
そして、このあと、短歌として作ってきた作品を聞かせてもらった。
短歌を作りました。聞いてください。
光さす夢の道行く
野の花と私は風のように飛ぶ
小さいひ(灯?) 遠くに見えて
瑠璃色の光となってすいこまれ
私も空で輝こう
遠い日の道のほとりに咲く花に
今の身の上添えて
鈴の私の夢をとく
忍耐という花言葉耳にして
私はその花となり
願いを遠くに祈りつつ
夢にさまよい
聞いてくれてありがとうございました。自分で自分をなぐさめるために作っていますので、聞いてもらうためではありませんが聞いてもらえてよかったです。
最後の短歌は、必ずしも定型にのっとったものではないが、彼女の心のリズムがそのまま歌のリズムとなったような自然な調べの短歌だ。
自分をなぐさめるだけの歌は、その目的が純粋なだけに、そして、それが切実なだけに、またとても胸をうつものだった。
彼女のまなざしは、常に同じような状況にある仲間たちに向けられている。町田の青年学級のように、誰もがそれを受け入れて、お互いの言葉が響き合う場を、たくさん作り出していかなければならない。
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2009年10月26日 02時11分
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自主G23区2 |
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10月18日の青年学級、たくさんの人がまた、手をふる方法で語った。今回はとうとうパソコンをワープロのために開くことはなかった。左手で手を振りながら右手で言葉をノートに書き付けていく。このスタイルで、短い時間の合間をぬっていろいろな人と会話した。その中で、ここでは、会話としてではなく、詩や歌などの表現として語られたものだけをとりあえずピックアップする。
最初は、自閉症と呼ばれる女性のFさんの詩。
望みはこのやり方で気持ちが言えるようになりたいです。このやり方で望みが言いたいです。見たこともないわかそよのような世界がひろがってきました。よいやり方ですね。夢みたいです。聞いてください。
緑の風に乗って 雲を越えて 南の国へ行き 南の風に吹かれて
昔の苦難を捨て去って 苦労してきた欲望の心を もっと素直な私に変えて
私らしく生きていきたい
昔から考えています。昔から空を見ながら作っています。よい詩ですか。よい詩だったらうれしい。
よい森の中に行きたい
よい森の中でよい花を探しに
よい森の中をもっと自由に歩きたい
よい森の中を苦しみから解放されて歩きたい
見たこともない緑の風に乗って
南の国に行き 森の中を歩きたい
見たこともない緑の風に乗って
昔のことを忘れたい
見たこともない緑の風に乗って
もう一度夢をとりもどしたい
見たこともない緑の風に乗って
勇気を持って生きていきたい
見たこともない緑の風に乗ってもう一度夢を取り戻したい。
そして、次は、外耳に関わる手術の後遺症で聴覚に障害があるとされるNさんの詩だ。彼は、一応、音が聞こえるというし、聞こえていなければ私の方法で言葉が綴れることはありえないことだ。
望みの歌を聞いてください。
望みをよい願いに変えて
きれいな若者を よい人間にしよう
美しい緑の願いの木に
見たこともない花が咲いて
見たこともない緑の木が夢のように
緑にろころこのむろろんと歌を歌う
緑の木をみんなで歌おう
緑の木をみんなで歌おう
願いの木が願いをかなえて
みんなをりこうなみんなに変える
美しい木をみんなでいろいろな花で飾ろう
みんなで飾ろう
重度の肢体不自由の女性、Kさんは、帰りの集いの短い時間の中で、次の詩を書いた。
願いのくるまいす
勇気を出して言ってみよう
不思議な緑の風に乗って
歌をいっぱい歌いながら
いいきれいな歌を歌いながら
美しい歌を言い声で歌えば
私の気持ちを昔の陰気な心から解き放ってくれるだろう
夢を見ているような気持ちで
お母さんに勇気を出して言ってみよう
うるさい車をけちらして
うるさい車を追い越して
夢をかなえるために
緑の風に乗せて
前に進めて行こう
お願いだから美しいくるまいすよ
私の願いを聞いてほしい
美しいくるまいすよ
私の未来を古い心から解き放ち
未来に向かって生きるために
昔の陰気な私を変えてくれ
みんなにも聞いてもらいたい。
Hさんは、帰りにみんなで集うトマトハウスで次のような文章と詩を書いた。亡くなった愛犬コロのことだった。
苦しいことがありました。よく知らない職員が私のことを笑いました。許せないと思います。許せないのは、コロのことを笑ったからです。職員を許せないです。この前です。許せません。
コロのこと
コロが死んで世話をすることができなくなってしまって、ろうそくの火が消えたようになりましたけど、ぼくは、きっとコロが天国でコロのままで元気でいると思います。いい国でいい食べ物を食べて、美しい花に囲まれていると思います。うらやましいのは、コロのような犬を連れた人に会う時です。夕焼け時に、もっときれいな心を持っていればコロはいなくならなかったのではないかと思います。運命かも知れませんが、よく生きてくれたと思います。
自閉症と言われるHさんも、同じくトマトハウスで次のような美しい心の人の歌ということで、文章と詩を聞かせてくれた。
よく聞いてくれてうれしいです。みんな話せてよかったと思います。よい苦しい時の実りをみんなが言葉で伝えてくるのがすばらしいと思います。うれしいです。勇気が出てきます。うれしいです。願いがかなってうれしいです。美しい心の人に会いたいです。美しい心の人の歌を作りましたので聞いてください。
心のきれいな人はよい願いを持ち
ろうそくの光のように暗闇をランプのように照らし
もっとつらいことがある人にろうそくの火を照らして
この苦しみから解放されるようにと励ましてくれます。
美しい心の人は、いつも苦しいことがわかるので、いつも悲しんでいます。
勇気を出していい心を持ちましょう。
よい心を持てば、るり色の心を願いのままに
空高く飛翔させることができます。
るり色の心はいつも光っています。
勇気がいることかもしれませんが、
勇気を出して生きていきたいです。
美しい心の人を私は大切にしていきたいです。
るり色の心を大切にしていきたいです。
勇気がりりしい心を作り出していきます。
うれしいです。気持ちがすらすら言えて。うれしいです。うれしいです。
独特の世界観をもっているSさんの詩も聞かせてもらえた。
私の気持ちを聞いてください。
夢の暗闇を歩いていけば
夢の暗闇を照らす光に出会う
夢の暗闇を苦しい気持ちで歩いてゆけば
苦しみを解き放つ歌が聞こえてくる
ミロのビーナスのようなきれいな人がふいに現れて
無理のない苦しさをやさしく私から解き放ち
美しい心の声を私にかけていった
美しい心の声は美しい気持ちの表れで
未来のゆるしを私に伝えてくる
未来のゆるしはいつのまにか私を包み
夢の暗闇を救い出して
私に空のような若々しさを理想的な未来とともにくれた
これまで、コミュニケーションが大変むずかしかた人だけでなく、話しにくそうにしているだけに見えるような方までが、手をふる方法で気持ちを長く語るようになった。話し合いの様相は、まるで一変してしまったといってよい。
最後に行った居酒屋でもまた、今までは、静かにグラスを傾けるだけだった人が雄弁に語った。
まだ、これらのことは、どこの世界でも受け入れられてはいないが、私たちにとってはめくるめくような世界だ。
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2009年10月21日 20時13分
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青年学級 |
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父の通夜に来てくれた20代後半の☆☆さんと会った。通夜からちょうど一週間後のことだ。彼女は、父の死を通じて人間の人生について、懸命に考えてきたようだった。
生き方に従った方だったのですね、先生のおとうさんは。人生を一生懸命生きたということですね。きっとしあわせだったのですね。聞くことができてよかったです。気持ちを言えてうれしかったです。きっと昔から多くの人が人生をそうやって過ごして生きてきたのですね。望みは私もそんなふうに生きていきたいと思います。さんきょうという言葉を聞いたことがありますが、人間は分相応に生きてゆいつの理想が極楽浄土に行くことだと聞いたことがあります。
「さんきょう」とは三界のことだろうか。通夜の日に誰よりも読経に耳を傾けていた彼女のことだから、どこかでそんな話を聞いたのを覚えていたのだろう。
いい理想の世界を見てみたいです。人間のいい理想の生き方がしたいです。人間の希望はランプの光をともしたいと思います。小さい願いだけど小さくても理想をかかげて望みを大事に生きていきたいと思います。夢をかなえたいと思います。わかってほしいです、私の気持ちを。夢でした、私の気持ちを言うことが。だからうれしいです。小さいときは私はわかっていると思われなかったのでとてもさびしかったです。なかなかきびしい日々でした。やっとわかっていることが先生のおかげでわかってもらえたので気持ちが楽になりました。短い人生かもしれないけど精一杯生きていきたいです。(短い人生とは、あなたの人生ですか、それとも一般的に人間の人生という意味ですか。)人間の人生です。
彼女の言っていることは実に的を得ているが、やはり、短い人生とは一つの言い方に過ぎない。彼女の両親は、まだ、彼女の年には親にはなっておられなかった。だから、ご両親からすれば、今の彼女の年齢のあとに、彼女が生まれてこれまで育った時間が来ることになる。だから、人生ってけっこう長いとも言えるのではないかと、こじつけかもしれなかったが、説明した。
わかりました。いろいろなことがあるのを楽しみにしたいです。まだまだ私は若いですから。勇気が湧いてきました。みんなもきっと言いたいことがあると思うのでこのやり方を広めてください。理解してもらえてうれしいです。あきらめないでください。
においのいい花が咲いたようです。きれいな花が咲いたようです。小さい頃からの夢でした。理解してくれてありがとうと言いたかったです。よい私のことを表しています。小さいときからの夢でしたからとても感激しています。
また、一回り彼女が大きく見えた。
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2009年10月9日 14時35分
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研究所 |
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青年学級の合宿が、天候にめぐまれる中、9月の終わりの週末に行われた。パソコンで、あるいは手を振りながら、沢山のメンバーと会話した。
最初は、Nさん。宿舎についたばかりの部屋で語ってもらった。耳にハンディを持ちながらも、Nさんはパソコンでまず、次のように語る。
気持ちが言いたいけど一人ではいうことができないので寂しい。みんなと話したい。願っていましたからうれしいです。小さいときからの理想でした。祈って理想と願いのためにみたこともない光(疲れました)
いったんは疲れたといって語るのをやめたNさんだが、その後の活動は、いつもよりはるかに私たちのそばにいた。そして、夜、スタッフが、「寝ずの番」をしているところにやってきて、手でいろいろなことを語った。何年ぶりかでやれたキャンプファイヤーが、とても感動したようで、そのことをめぐる話だった。
夜のやみにきれいに火がはいってきました。年輪の歌を歌いたいです。聞いてうれしいです。年輪の歌(昨年のオリジナルソング。Nさんのことも歌になっている)をみんなで歌いたい。きっとみんなも気にいってくれると思います。
そして、さらに、そのキャンプファイヤーのことを次のような詩にした。
きれいなあかりをともしたい
きれいなあかりをよい未来かけはしをかけて
ねがいをみんなでかなえよう
るいりろのあかりをともして
ゆめのろうそくをともして
るりいろのろうそくをきれいな光にかえて
よい未来をつくろう
ねがいをきっとかなえてくれる
ゆめのくらやみをてらそう
きれいなあかりをともして
このるりいろのあかりをともしつづけよう
よいきれいな心で よいきれいな音とともに
よいきれいなわたしのために
よいきれいな君のために
よいきれいなみんなのために
願いをきっとかなえたら きれいなあかりがともるだろう
よききれいなゆめのような よいきれいな未来がひらけて
わたしをまっているだろう
よいきれいなゆめのような よいきれいな未来がひらけて
わたしを待っているだろう よいすばらしいよい春が
未来をつくっていこう
Fさんは、夜のキャンプファイヤーの後の交流会のひととき、お菓子や飲み物を前にしながら、次のような文章を、手を振る方法で表現した。
気持ちを言いたいです。つらいです、気持ちを言うことができないということは。よいやり方ですね。夢みたいです。私の気持ちを聞いてください。よいやり方ですね。気持ちを言うことができて、うれしいです。夢みたいです。みんなにもこのやり方で気持ちを聞いてあげてください。(今、書ける詩はありますか。) あります。
よい風が吹いてきて、よい夢がかない
私のもろい心がこわれそうになっても
きっと私の心を素直にしてくれる
夢のその言葉を空高く私はかかげ
願いの理想の言葉を私は苦しみの中から私は歌う
よい詩ですか。簡単です。留守番をしてきたように私はよい願いをもらいました。よいやり方ですね。私のかあさんを楽にしてあげたいです。腰です。腰が痛いと言っています。
Eさんもまた、交流会のひとときに、次のような言葉を語った。
聞いてほしいことがあります。この間わかそよでぼくの言葉が歌になったのがとてもうれしかったけど、願いの季節をみんなに歌ってほしいです。気持ちをみんなにわかってほしいです。
(ここで、スタッフの学生が、どうして、コップの水を突然まいたりするのかを尋ねた。すると次のような答え。)
コップの横をとるたびに横からこぼしたくなります。ゆこうと思うとこぼしてしまいます。関係あります。
交流会では、彼のリクエストの通り、彼の言葉のはいった「願いの季節」を歌った。
沢山の人と次々に話すことが出来たのは、むしろ帰りのバスだった。まず、いきなり、Tさんが詩を書いた。
この金色のそよ風を忘れないようにしよう
この金色のよい心を忘れないようにしよう
このよい若者たちを忘れないようにしよう
このよい物語を忘れないようにしよう
よい季節を希望に変えて
野原に風を吹かせよう
よい季節を忘れないようにしよう
野を飾る花々をよい種のなる実に変えよう
この詩を歌にしてください。
そして、彼は、手真似で、ほかの人と話すように促す。Nさんは、合宿の思い出を次のようにまとめた。
楽しい合宿が終わりました。
このいい仲間たちを大切にしよう
大きな鏡に私の顔が映るように
私の心にこの思い出が映る。
夢のような時間が流れ
夢のような季節が望みとともに訪れた
よい詩ですか
これまで、気になっていながら、チャンスのなかったOさんとも、すぐに会話が成立した。
龍馬を理解してくれる人が現れるとは思いませんでした。気持ちを言いたいとずっと思ってきましたが、願ってもかなわないと思ってきました。不思議です。どうしてぼくの気持ちがわかるのですか。願いは勇気を持ってよい理想の国を作ることです。すごいやり方ですね。不思議ですがぼくの気持ちと同じなので信じることができます。(他の人たちがぼくと話をしているのを見ていましたか。)
わかっていましたが、なかなかぼくのところに来てくれないので、あきらめていました。夢みたいです。よいやり方ですね。うれしいです。うちの人にも伝えてください。よいやり方ですね。このやり方をみんなにも伝えてください。
きれいな風が吹いてきました
勇気を風はくれました
夢の彼方のすてきな国
もっと遠くの夢に向け
ぼくは小さな体でも
勇気を出してよい風に乗り
美しい理想の国にむかって
若い気持ちで飛び立とう
この詩はぼくが作りました。いい詩ですか。この詩に特別な思いがあります。うれしいです。
夢みたいです。人間として認められた気持ちです。夢みたいです。苦しかったです、気持ちを言わないで生きていくことは。願いがかなってうれしいです。よいやり方ですね。
私たちのやりとりを前の座席で見守っていたHさんは、待ちかまえていたように手を出す。
願いはこのやり方でどんな人とも話せるようになることです。このやり方をみんなに伝えてください。
願いのよい夢
ろうそくの明るい光を大切にしよう
暗い夜を明るく照らし
暗い夜を明るい緑の公園に変えよう
空いっぱいに届くよう
気持ちのよい友だちの歌を
願いとともに届けよう
願いのよい風に乗せ
この気持ちをいっぱいに届けよう。
野を吹く風に気持ちをこめて
このよい物語を届けよう
私の気持ちです。よい気持ちです。よいやり方ですね。このやり方をみんなに伝えてください。よい方法ですね。気持ちを伝えたいです。みんな苦しいです。言いたいことを言えないのは。夢みたいです。くやしいです。苦しいです。なかなか信じてもらえないのは。
そんなやりとりのさなか、Tさんは、声で十分やりとりのできるSさんにもやれと言う。私は、Sさんに直接言葉で尋ねる。「Sさん、自分でしゃべれるけど、このやり方で話してみますか」と。すると、彼女は、はっきり、うんとうなずいた。そして、次の詩を書く。
願いのよい風が吹いてきて
私はきれいな花になる
黒い雲を吹きとばし
黒い夜の望みを明るく変えて
理想の風のころがすままに
私は空にまいあがる
言葉を簡単に書くことができないで、困っていました。私の心をわかってくれてうれしいです。困っていました、つらいことから逃れられずに、困っていました。母さんをこのやり方で驚かせたいです。
満足した笑いを浮かべながら、Tさんはこうはさんだ。
このよい方法をみんなにやってみてください。
そして、さらに、言葉を話すことのできるMさんも、やるという。
きれいな気持ちで生きていきたい。つらいことがいっぱいありますが、願いを大切にがんばりたい。願いを苦しみから解放したい。よいやり方ですね。
Tさんに感想を求めると、
苦しみを解放したいというのがいいです。
それを見ていたT.Sさんは、昨日、初めてパソコンを綴れた人だが(保存し忘れてしまった)、このやりとりを見ていて、次のように語る。
Sさんの詩がすてきでした。苦しかったです。よいやり方ですね。苦しかったです。
さらに、初めて話せたOさんに、担当者の関水さんへのメッセージを求めた。
関水さん。苦しい時にいつもそばにいてくれてうれしいです。ぼくはいつもこのことを関水さんに伝えたいと思ってきました。だけどなかなか伝えることができませんでした。よいやり方ですね。このやり方で話がしたいです。このやり方でもっと話したいです。
母さんにはいつも感謝しています。心ではいつもそう思っているのですが、なかなか伝えることができなくて、そのことを伝えたくて、今度うちに来てください。このやり方を伝えてください、母さんに。山崎団地です。来てください。そうです。全部わかっています。
左手で手をとりながら、あるいは、体を触りながら、あかさたなと唱えつつ、右手で文字を書き取っていく。次から次へと、秘められた思いが言葉になっていった。バスの中で語った人たちは、自分で椅子に座れれる人たち。知的障害、あるいは自閉症と言われてきた。そんな彼らが当たり前のように語りながら、バスの車中でのひとときを過ごせている。1年前には想像さえできなかった光景だ。知的障害って何なのか、自閉症って何なのか、私の中にあった古い常識は、あとかたもないほどにくずれさってしまった。
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2009年10月7日 16時37分
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青年学級 |
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病棟で、最近一人の友を失った☆☆さんは、9月、ずっと、そのことを悩み続けていた。訪問学級の担任先生と、手を振ることで行われる会話は、ずっと友の死を悲しむものばかり。そんな9月の終わりに、私は、☆☆さんのもとを訪問した。この病室には、ずっと入院を続ける中3の☆☆さんと小3の○○君とがいるが、その部屋に、新年度になってから、一人仲間が増えた。女の子だったが、その子が、7月に亡くなったのだ。
☆☆さんは、この日、まず次のように語り始めた。
こんにちわ、ずっと待っていました。問題は、もう一度死んだ友だちに会えるのかどうかということです。理解してはいますが、よい心と悪い心が本当の私をよくわからなくしてしまいます。理想の考えは、よい心の時に私に訪れてくるのですが、悪い心はなかなか私に理想の考えを見せてはくれません。友だちの死は、この上ない悲しみを私にもたらしますが、私はなかなか悲しみから解放されません。よい考えを知りたいです。よい考えを聞きたいです。よい考えは今学期のうちに私は知りたいです。願いは、野をわたる風のように、私も澄んだ気持ちで願いを持ち、瑠璃色の澄んだ心で私を見つめて、この悲しみから抜け出したいと思いますが、ろうそくのほのおが消えそうになるのが怖いです。よい考えを知りたいです。よい考えを聞きたいです。理想の考えを知りたいです。理想の考えを聞きたいです。
私は空の上で◇◇ちゃんが泣いていると思うので、悲しみが止まりません。この気持ちを取り除くには、どうしたらいいのでしょうか。教えてください。この気持ちをどうすればいいのでしょうか。理解しているのですが、なかなか問題は解決しません。
友を失った悲しみが大きいということはわかる。だが、いったい、その悲しみの裏にはどのような思いが隠されているのだろうか。それを知りたくて、☆☆さんと様々なやりとりをしていった。
(柴田:どうして◇◇ちゃんが空の上で泣いていると思うの?)
◇◇ちゃんはろうそくの炎がまだまだ燃えられるのに消えてしまったようなもので、悲しがっています。私の考えはおかしいですか?
(柴田:別におかしいとは思いません。この問題は、誰も答えがわからないので、とてもむずかしいのだけど、確かに、まだ燃えられるのに途中で消えてしまったというのは、ぼくもそう思うけど、でも、別の考えもあって、本人からの見方をすれば、まだまだ燃えられるように思うけど、別の見方をすれば、全部燃え尽きたという人もいる。空の上で◇◇ちゃんがどう思っているかは、もっとむずかしいことで、もう誰にもわからないことだと思う。でも、もし、今、◇◇ちゃんが空の上から見ているとしたら、悲しんでいるかどうかわからない。それは、生きている時の感じ方で、空の上ではまるでちがう感じ方をしているかもしれない。そのまま、悲しみをひきずったままというこはないかもしれない。神さまを信じる人は、魂は救われるっていう。魂は悲しんでいないと。)
その考えは、私も考えました。が、望みをかなえられなかった、◇◇ちゃんは言葉を語ることができませんでした。望みはかなわなかったと思います。私のかなった望みを◇◇ちゃんにも感じてほしかった。だけど感じることができないまま死んでしまったことが残念です。
どうやら、☆☆さんの悲しみがいつまでも癒えないのは、自分が話すことによって得た喜びを◇◇さんが、感じることのないままに亡くなってしまったことへの深い思いがあるらしいことがわかってきた。同じ病室にいたのだから、もうあと一歩で◇◇さんは望みをかなえられたのにという、切実な思いがするのだろう。その思いをかなえさせてあげられなかったのは、誰のせいでもない、私自身である。人間関係を作ってからゆっくりそういう機会を作っていこうなどと、悠長なことを考えていたから間に合うことができなかったのだから。ただ、私は、◇◇さんがこの部屋に移ってきてから、この病室の3人の間に、様々な心の交流が生まれていたことをうかがっていた。確かに◇◇さんは、言葉を表現はしなかったかもしれないが、大切な時間がこの病室の中を流れていたはずだった。
(柴田:この部屋にきて感じられるものもあったのではないか。)
私の言葉を伝えることができて、◇◇ちゃんもうれしかったと思います。
(柴田:☆☆さんの言葉をM先生が伝えてくれたってこと?)
そうです。
(柴田:◇◇ちゃんの言葉は聞けなかったけど、◇◇さんは、仲間のつながりの中にいたんじゃないかな。)
はい、そんなふうに気持ちを伝え合っていましたからうれしかったです。勇気をもらいました。散歩にも行きました。よい時間を過ごしました。それがいい感じでした。心に残る思い出です。
(柴田:今、☆☆さんたちの言葉を読み取れる人は、やる人が真剣で。まだだれていないところがある。だけどみんなが使い始めたとき、ただしゃべればいいかというと、当たり前になるとあんまり大切じゃないことにも使われるかもしれない。最後に残るものは、何かというと、とっても大切なものがあるはず。◇◇ちゃんはしゃべれなかったけれど、☆☆ちゃんとの間に、その大切なものが流れていたんじゃないか。例えば、この言葉を聞き取る方法でお金もうけしようとしたら、☆☆さんの大事なものなんかどうでもよくなってしまうはず。だから、言葉よりも大切なことがあるということ。◇◇さんとの間に、言葉よりも大事なものがあったということでしょう。)
わかります。願いでしたから、言葉を話すことが。だから私は話せてうれしかったです。よいやり方に出会えてよかったと思います。それだけが、心残りです。私と過ごした時間は大切に思います。それだけが心残りです。私と過ごした時間は大切に思います。勇気が湧いてきました。もう悲しく泣いてばかりいるのは終わりにしたいと思います。素直な気持ちで生きていきたいと思います。勇気が湧いてきました。理解してくださってありがとうございました。よいやり方ですね。そう思いますが、もっと大切なものがあるとわかりました。もっとよい心になることこそ大切だということがわかりました。よい心はもう私にはなくなってしまったかもしれませんが、まだ、よい心を持ち続けられるようにがんばりたいと思います。よいやり方ですが、心の方が大切です。
心をそっと願いの風にのせて、空高く舞い上がらせたいです。心を舞い上がらせたいです。勇気が湧いてきました。理解してくれてありがとうございます。うれしかったです。よい心の方が大切です。そのことを理解して、いい空の風になりたいです。よいやり方ですが、心の方が大切です。そのことを理解して、この人生を生きていきたいと思います。
言葉を話せたらそれはとてもすばらしいことだろう。そして、一人でも多くの人のが言葉を表現することができるように、一歩でも前に進んでいくことが、私に与えられた使命でもある。だが、言葉よりも大切なことがある。それを決して忘れてはいけない。私は、確かに、一つの方法を手に入れた。しかしやはりそれは「方法」である。方法は、時には本当の目的を見失わせてしまうこともあるし、形骸化し、堕落することもある。
亡くなった友と☆☆さんとの間に流れていたもの。そのことに対する感性を失ってしまったら、私たちの仕事は、本末転倒のものとなる。
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2009年10月4日 22時02分
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6月のこと、生まれてからずっと病院にいる○○君は、自分のことを誰かに知ってほしいと伝えてきた。答えに窮した私の目に飛び込んできたのは、ラジオ深夜便の雑誌である。彼は、小さいときから夜中にNHKのラジオ深夜便を聞いており、時折、枕元にラジオ深夜便の月刊誌が置かれていることがあったのだ。思わず、ラジオ深夜便に投稿してみようかとい言葉が、口をついて出た。さしたる目算があったわけでもないが、いったん口にしたところ、がぜん彼の目が輝いた。そして、一気に、次の文章を書く
。
ぼくは、○○といいます。からだが動かない病気でずっと病院でくらしています。ゆいつの楽しみは、からだを動かして気持ちを伝えることです。勇気がほしいです。勇気が必要です。よく、ラジオ深夜便を聞いています。夜寝られない時に、よく聞いています。夜がさびしいとき、ラジオがゆいつのぼくの楽しみです。ぼくの気持ちが言いたくて、詩を作りました。読んでください。お願いします。
見守ってください ぼくのことを
見守ってください ぼくの夢を
見守ってください ぼくの未来を
見守ってください ぼくのワンモアチャンスを
見守ってください ぼくの未来の姿を
見守ってください ぼくのつらいからだを
見守ってください ぼくの感動を
見守ってください ぼくのよくそだった気持ちを
忘れないでほしい 白衣(はくい)の下のまごころを
忘れないでほしい 白衣の下の勇気を
忘れないでほしい 白衣の下の若い願いを
忘れないでほしい 白衣の下の望みを
忘れないでほしい 白衣の下の夢を
忘れないでほしい 白衣の下の未来の私たちの姿を
忘れないでほしい 白衣の下の私たちに対する愛情を
忘れないでほしい 白衣の下の献身を
忘れないでほしい 白衣の下の愛あふれる望みを
忘れないでほしい 白衣の下の夢いっぱいの心を
忘れないでほしい 白衣の下のすばらしい未来を
胸がつまるようなこの文章を、さっそくラジオ深夜便の雑誌の編集部に投稿した。ふだんそんな時間帯にラジオを聞く習慣もない私は、この手紙がどんなふうになったのか、皆目検討がつかなかった。そして、7月の終わり、再び、病院を訪問。今回は、2ヶ月近く間があいてしまっていた。すると、彼は、いきなりこんなことを語り始めた。
こんにちは、柴田先生に聞いてもらいたいことがあります。この間すてきなことがありました。ラジオ深夜便でぼくのことが紹介されました。聞きましたか。
(聞いていません。メールで深夜便の雑誌の方に送ったけれど。)
理解してくれる人がいてうれしかった。
(他の人知っているの?)
知りません。聞いたのぼくだけです。
(どういうふうに流れたの?)
信じられないけど勇気が出てきました。良いわかり方をしてもらってうれしかった。
(いつころ?)
7月のはじめのことでした。
(あのあと、すぐラジオを聞いたら、紹介するコーナーがわからなかったので、雑誌の方に送っておいたのだけど。)
ぼくのこと、言ってました。雑誌の人が出て、読んでくれました。読んでくれてうれしかったです。聞いてくれているかと思っていました。
(毎日聞いているの?)
はい、夜中はいつも聞いています。
(いつ寝てるの?)
午前中よく眠っています。午前中寝れる理由は、夜寝てないので、眠くなる。
(当たり前だよね、なんで夜起きているの?)
夜は寂しくて眠られません。だから、小さい音で聞いているの。つらい時はよく深夜便を聞いています。(しっとりとした話をしているよね。)
理解してくれそうな人が聞いてます。(病院で聞いている人も多いみたい)
夜眠れない人が聞いています。夜聞いている人の中には、大人だけではなく、子どももいます。勇気をもらっています。よい理解をしてくれそうです。
(びっくりしたな)
聞いていたと思いました。
(伝わるとは思っていたけど、いつやるか全然知らせてくれたいはしなから)
聞いてほしかったです。
(ぼくも聞きたかった)
つらいときには、そのことを思い出しています。深夜便の人に手紙を書きたいです。
(今ですか?)
はい。
そして、再び、彼は手紙を書いた。
ぼくは○○です。理解していただけて、とてもうれしかったです。理解していただけて、夢がかなったような気持ちです。理解していただいて勇気が出てきました。理解していただけて理想の理解者を見つけられたような気がします。理解してほしいわけは、僕たちのような子どものことをわかってほしいからです。よい理解者がほしいです。理解者を探しています。わかってくれる人を探しています。理解してくれる人がほしいです。夢を見ているような気分です。理解していただけて本当にうれしかったです。理解していただけて本当にうれしかったです。理解していただけて理解者が増えた気がしました。夢みたいです。理想がかなってぼくはとてもうれしいです。寂しい夜はいつも深夜便を聞いています。わかってくれる人がいるといつも願っていました。わかってくれて本当にうれしいです。気持ちを伝えられるのは、月に一度、柴田先生という人が来る時だけなので、なかなか伝えることができません。よい方法で聞いてくれます。気持ちを伝えることができます。勇気をいつももらってこのやり方で僕のとなりのベッドの女の子も気持ちを伝えています。理解してくれる人がいることがとても僕たちにとっては貴重です。僕たちは、みんなと同じように考えているのですが、なかなか聞いてもらうことができません。理解してくれる人がほしいです。聞いてくれる人が必要です。
願いは、乗り物に乗って世界を回ることですが、理解してもらえないと夢も伝わりません。だからつらいです。気持ちを伝えたいです。願いは世界をかけめぐることです。勇気が出てきました。理解してくれる人たちがいてしあわせです。理解してもらえてうれしいです。願いは、世界をかけめぐることですが、願いはかないそうにありません。僕の病気は悪いわけではありませんが、僕のこと、メロメロにしてしまいます。悪いわけではありませんが、僕を苦しめます。僕をろくでもない考えにさせます。暗い気持ちにさせてしまいます。とてもくやしいです。夢がかなうとは思いませんが、夢を見ていると、とてもいい気持ちになります。理解者を探しています。理解者を求めています。気持ちを聞いてくれる人を求めています。よろしくお願いします。すてきな夜をいつもありがとうございます。願いがかなってうれしいです。理解してくれてありがとうございました。理解してほしいです。夢みたいです。理解してくれる人たちがほしいです。夢みたいです。よい理解者を探しています。よい理解者をお願いします。よい理解者を探してくれませんか。るんるんした気持ちにさせていただいてありがとうございました。よろしくお願いします。わかってくれてありがとうございました。うれしかったです。よい放送をしてくれてうれしかったです。
そして、一編の詩を書く。そして、この詩にはメロディもついていた。
願いの夜がふけていく
みんな静かに眠るとき
理想を夢見て僕は目をあける
夢はいつもかなわないけど
夢はいつも理想のろくでもないぼくを笑ってる
理解してください ぼくの愛を
理解してください ぼくの理想を
理解してください 若いぼくのりりしい 若者らしい夢を
理解してください るんるんしたい 若々しい ぼくのよいわかり方を
ぼくの勇気を ぼくのわかり方を
理解しようとしてください ぼくのことを
理解しようとしてください りかいしようとしてください
理解してくださってありがとうございました。歌を聴いてくれてわかってくれてうれしいです。夢みたいです。信じられない感じです。希望が湧いてきました。夢みたいです。
(そろそろ終わりにしましょうか。)
はい、ありがとうございました。また来てください。
そして、9月1日、私は、熊本で、1年半ぶりに☆☆さんに会ったが、何と、そこで、ラジオ深夜便をめぐる話題になった。だが、それは最後のなので、まずは、彼女の1年半ぶりの思いを聞こう。極端に動きの少ない彼女からは、なかなか長い文章を引き出せずにいたし、空振りに終わることもあった。しかし、今回は、手を振る方法で、長い言葉を聞くことができた。
来てくれてありがとうございます。聞こうとしてくれる人がわりと少ないので寂しいです。苦しいことがありました。夕べ今日のことを私に教えてくれたのを忘れていましたので、寝るのを忘れてしまいました。
この方法は誰が考えたのですか。苦しみから解放された気分です。これで言葉を話すことができます。夢みたいです。気持ちを聞いてくれてとても笑い出したい気持ちです。苦労してきましたが、ようやく言葉を私も話すことができます。うれしいです。夢みたいです。うれしいです。
苦労してきましたがこれで安心です。この方法をかあさんやばあちゃんにも教えてください。苦労してきましたが、やっと私の気持ちを言うことができそうです。夢みたいです。いいやり方ですね。よいやり方ですね。うれしいです。苦しかったけれど勇気が出てきました。苦労してきたけど、うきうきした気持ちです。夢みたいです。
望みはきれいな心で生きていくことです。
勇気が出てきました。瑠璃色の光がさしてきました。見たこともない世界が、門が開かれて姿を現したようなわくわくした気候の様に私を包みます。ゆんんゆんんとした気持ちです。瑠璃色の光がさしてきました。ゆんんゆんんとした気持ちとは私が考えた言葉です。
そして、詩を聞かせてくれた。
きれいな風が吹いてきて
この世界に苦しみをなくそうと
私に向かって吹いてくる
苦しみを越えて 苦しみを乗り越えて
ゆんんゆんんと苦労してきたから
夢をかなえることが楽しみだ
苦労したから私の夢は
苦労したから私の夢は
苦労したから私の夢は
瑠璃色に輝いている
夢はいつもかなわなかったから
夢はいつもかなわなかったから
いつまでも輝き続けている
願いを聞いてくれる私の心の中の夢の友だちを
聞いてくれることを
クレヨンの転がるように
私にこんこんとわからせてくれる友だちを
私にクレヨンの転がるような静けさで
夢をください
クレヨンの転がる音を聞きながら勇気を出している
この詩は私が高校生の時に作りました。よい詩ですか。クレヨンの音とはクレヨンを転がすのが大好きだったから、心に残っています。
テレビを見るのはとても楽しいです。
暗い気落ちをこの方法で吹き飛ばすことができそうです。勇気が出てきました。
このやり方をばあちゃんに伝えてください。苦労しどうしだったから言いたいことがたくさんあります。
最初のところで、「寝るのを忘れた」という言葉があったのがひっかかっていたので、テレビの話しになっとところで、夜もしかしたらラジオを聞いているのではないかと尋ねてみた。すると、聞いているという。そして、その日の早朝は、私が8月18日に金沢でお会いした山元先生がラジオ深夜便で話をすることになっていたので、養護学校の先生の話を聞かなかったかと尋ねると、次のような答えが返ってきた。
山元先生という人でした。かっこという人でした。よい話でした。これからもラジオを聞きたいです。苦労した人の話が聞けます。
あまりの偶然にただただ、驚かされるばかりだったが、さらに、だいぶ前に、病院で生活をしている少年の話を聞かなかったかと尋ねてみると、答えは次の通りだった。
聞きました。長いこと病院に入っている子どもの詩でした。苦労している人の話はとても好きです。聞きました。願いがかなってよかったですね。○○君によろしく伝えてください。苦労した話を聞くと勇気が出てきます。
○○君のことを聞いていた人が、遠く離れた九州にいたのだ。まだ、○○君に伝えていない。しかし、彼はどんなに喜ぶことだろう。
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2009年9月26日 00時26分
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9月5日早朝、父が逝った。私がちょうど職を得た時に、故郷大分を離れ、埼玉に両親は引っ越してきた。退職してすることもなかった父は、持ち前の器用さと電気関係の知識を生かして、私の教材製作を手伝ってくれるようになった。もともと不器用な私には、同じ教材ならいくらでも作ってくれたり、アイデアだけ出せば何とか工夫して新しい教材を試作したりしてくれる父の存在は大変ありがたかった。そんな父が2年前に小さな交通事故を起こして自動車の運転をやめてから、一気に認知症が進んだ。そして、ついに、教材製作が困難となった。それでもはんだづけだけは見事なこてさばきであったが、それもこの3月が最後だった。荷物を一つずつ下ろしていくような歩みが続く中、7月に脱水症状で具合が悪くなり、床に伏すことが増えたが、その背後で多発性骨髄腫という病が進行しており、8月にはいると歩行も困難となって、この半月はほとんど寝たきり状態であった。そして、5日、呼吸と脈が止まり、救急車を待つ間に私と甥とで心臓マッサージを行ったりしたが、息を吹き返すことはなく、そのままかけつけた主治医によって死亡が確認された。終着駅のホームに電車が静かにすべりこみ、ゆっくりと完全に停止するような、そんな静かな最期だったように思う。
その父の通夜に、ご両親に伴われ、○○さんがご弔問に訪れてくださった。幼少期から関わり、今は20代半ばを迎える彼女と、合間の時間に手を振る方法で会話を交わした。(この方法は、昨年末、彼女の家を訪問してとっさに思いついた方法だった。)
書き留めることはできなかったが、彼女はおおよそ次のようなことを語った。
輪廻ということがよく言われるけれど、私の父がまた人間に生まれ変わることができればいいねということ。そして、自分はこんな体に生まれたから、生まれ変わったら今度は健康な体に生まれてみたいということ。
そして、ろうそくの火が消えるみたいでとても寂しいということ。
ろうそくの火のことを言うとき、彼女はとてもつらそうに見えた。そこで、私は次のことを語った。
父の場合は、ろうそくをすべて燃やし尽くして火が消えていったようなものなので、それは幸せな人生だった。しかし、彼女の仲間が、まだ燃えるべきろうそくを残したまま途中で火が消えるようにして亡くなってしまうのはそれと違うかも知れない、と。彼女はこの私の説明を聞いて、よくわかりましたと穏やかな顔つきを取り戻しながら語った。
また、彼女は通夜の中でとりおこなれていた読経の中の言葉を聞いたままに取り出してその意味を尋ねてきた。彼女が聞き取った音声は、呪文のようなもので、まったく意味が測りかねたが、こうやってあらゆる機会をとらえて、新しい言葉を吸収しようとしているのだということがよくわかった。
父は、教材製作を通して多くの障害のある人と関わることができた。実際に顔を合わせた方々の数は少ないが、こうして、○○さんが訪れてきたことは、何よりもそのつながりを証すものにほかならなかった。父は多くを語らない人だったが、晩年を、こうした関わり合いの中に身を置きながら過ごせたことは、望外の喜びだったにちがいない。そんなことに気づけたのもまた、○○さんのおかげであった。
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2009年9月11日 21時51分
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久しぶりに高校3年生の○○君にお会いした。まず、パソコンの前に、手を振る方法で会話をし、お母さんに方法をお伝えした。そして、パソコンに移る。
最初は、率直な感想から始まったが、しだいに、内容は重みを増し、「分相応」という言葉に至る。
不思議です。なぜわかるのですか。理想的なやりかたですね。未来が開けてきました。耳をすませていてここだと思っています。楽です。楽です。ふだんからやれればうれしいです。みなさんにも教えたいです。未来の方法ですか。未来にはやれるようになりますか。自分の気持ちが伝えたいのでよろしくお願いします。まだです。理解してくれてうれしいです。小さいころからわからない子どもと言われてきたので分相応の生き方をしてきましたが乗り越えられそうです。みんなも同じだと思うけど、毎日毎日夢を見ています、わかってもらえる日のことを。みんな理解されたいと願っていますがなかなかわかってもらえないのであきらめて分相応に生きることにしています。
ここで、私は、○○君に分相応という言葉を多くの人たちが使うけれど、いったいどこで耳にした言葉なのかと問いかけた。彼は、ある強さを持った少年なので、きっちり答えてくれると思ったからだ。
言われたことがあります。愉快ではありませんが先生に言われました。自分の分をわきまえろと言われることがよくあります。悩んでいました。こんなふうに言われてくやしいです
。みんな隠れて言われています。人間性の問題だと思います。
これも悲しい現実の一つだ。あまり、この話題に時間を費やすのももったいないので、ここで、詩について尋ねた。
小さいときから作ってきましたので聞いてください。
理想の世界
知らない理想の世界に 理想の風にのって行ってみたい
夢をなくさないで理想を高くかかげて
凛としたろうそくの火のような強さで
理想の世界に旅立とう
理想の国は望んだ私を受け入れて 未来の希望をくれるだろう
私をはぐくみ 私をよい人間にしてくれるだろう
私を見たこともない 私でさえ知らない世界に誘うだろう
理想の世界はなぜ凛とした私を受け入れてくれないのか
理想の国の扉はなぜ開かないのか
理想の国をめざしながら 私は一人静かに祈る
彼の詩は、夢を描くだけでは終わらない。扉が開かない現実もきっちりと表現される。そして、さらに、次のように言葉を続けた。
なぜ扉はまだあかないのでしょうか。望めばきっと開かれるという言葉を聞いたことがありますがほんとうでしょうか。
切ない問いかけだった。答えに窮したが、次のように答えた。簡単に望んで得られるものだったら、わざわざ扉が開くというようなことまで言わない。やはりなかなか得られないものだから、そういう言い方になる。本当に得られるかどうか、それはわからないけれど、あきらめたらその時点でもう得られなくなってしまう。望んでも望んでも扉は開かなくても、明日は開くかもしれない。だから、扉を開かせるためには、望み続けるしかないのではないかと。すると彼はこう答えた。
自分の言いたいことがわかってもらえてうれしいです。
彼は、私の語ったことぐらい、自分でも考えていたのだろう。それが、この答えに現れている。そして、同じ考えを聞いて、とても喜んでくれた。
さらに、歌を作っていないかと問いかけた。やはり、彼も歌を作っていた。
夢を待つ
不思議な不思議な夢の国
理解を求め理解を願い
夢をたくさんそよ風に
夢をよく見た空高く
私の指を折ながら
何度も数えて夢を待つ。
小さいときからつらいときに歌を作って歌っていました。聞いてもらえるとは思いませんでした。忘れていました、小さいときに希望をいっぱい持って生きていたことを。理想がかなう日が待ち遠しいです。来年から社会人になるのでがんばりたいです。
ここで、彼に、詩や歌以外に、自分の中で暖めてきたものはないか、尋ねてみた。すると「哲学」と答えが返ってきた。また、一つ、長い沈黙の世界を生きる心が創造しているものを教えてもらった。
人生を生きるための哲学を考えています。
「やるときにはやらなければ機会は永遠に失われる。」
小さいときから考えてきたことです。
「唯一の希望は唯一の信頼とともに自分を最後に支えるものだ。」
理想がなかなかかなわなくても希望と信頼を失ってはいけないということです。
「二つとない理想は信じ合うということでそれさえあれば何でも乗り越えていくことができます。」
忘れないように毎日思い出しています。たくさんあります。人間として認められた気がします。わかってもらえてうれしいです。
これだけの哲学を持っている彼だからこそ、先ほどの「望めば扉は開かれるのか」という私への問いかけの答えをすでに持っていたのであろう。
表現の閉ざされた奥深さがまた、一つ明らかになった。
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2009年9月3日 00時07分
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中学生の○○君は、まず、思いを綴り始めた。
体が勝手に動いてしまうので、困ります。勇気が出てきましす。夢みたいです。勇気がほしくてたまりません。願いをかなえたいです。未来をすばらしいものにしたいです。ぬいぐるみのような生き方はいやです。びとりぼっちより仲間がいるほうがいいです。みんなやっぱりわかってもらえずに悲しい思いをしているのでしょうが理解してくれる人がみつかってよかったです。夢でしたから。小さいときから短い存在としてしか認められていないので夢でした。人間として認められたいです。みんなと話したいです。
好きなものは本を読んでもらうことです。勇気の出る本です。小jせつです。むずかしいのがいいです。テレビはくだらないのが多すぎます。ドラマはいいですがぼくは本のほうがいいです。アニメはときどきでいいです。長くなくてもいいです。番組より聞きたいです。冒険ものも読みたいです。いろいろ読みたいです。
そして、自分で作っている詩があるのではないかと尋ねたところ、作っているとのことで、次の詩を聞かせてくれた。
においのいい花が咲き乱れ
よい蜜がとれた
夢を育てるにはちょうどよい甘い甘い蜜
夢はなかなかかなわないけれど
蜜は必ずかなえてくれるだろう
理想の蜜だから夢はきっとかなうだろう
夢はきっと未来にむかって育つだろう
小さい頃から詩を作ってきました。気持ちを静めるるためです。においのよい花が大好きです。
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2009年8月31日 15時37分
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特別支援教育とともに本格的に始まった地域の学校との副籍交流で、○○君は、交流先の学校に手紙を書いた。
気持ちを聞こうとしてくれてうれしかったです。××第4小のみなさんもぼくは大好きです。みんなと会えて望みがかないました。来学期も行きたいと思いますのでよろしくお願ねがいします。人間として認めてもらえてとてもしあわせでした。勇気がわいてきました。またいっしょに遊んでください。よろしくお願いします。理解してくれてうれしかったです。仲間としていい関係を作っていきましょう。人間として認められてほんとうに感謝しています。敏感に感じとってくれてありがとうございました。さようなら。
○○○○○より ××第4小のみなさんへ。
○○君は、現在小学校6年生。彼は、自己紹介の時に、「あかさたな」と手をふる方法で、懸命に自己紹介をしたそうだ。そして、そのことを、交流先の小学生たちは、当たり前の言葉として受け止め、まさに、彼を人間として認めた。それが○○君には何よりうれしいことだったとのことだ。
手紙を書いたあと、まだ、言葉の存在を認められていない仲間のことに話が及ぶ。
みんなもきっとできると思うのでよろしくお願いします。理解してほしいといつも願っているので、理解してもらえない仲間の苦しみがわかって悲しいです。人間として認められる日が早く来るといいと思います。夢でした、自分の気持ちを言うことが。病気のために自分の思う通り体を動かすことができないので、夢でした、思い通りに体を動かすことが。
6年生になってから自分の言いたいことが言えるようになってとてもしあわせです。理解してもらえてうれしいです。人間だからきびしいです、気持ちが言えないのは。いい先生に出会えて本当によかったです。小さい頃からの夢でした。わかってもらえてうれしいです。
いい先生とは、毎回、私たちの関わり合いの際にやってきてくださる担任の先生だ。この先生のおかげで、彼は、交流校で自己紹介もできたのである。
6年生になってからというのは、4年からずっと担任をしてこられた先生が、今年度に入ってから、手をふる方法で、彼の気持ちを言葉で聞き取れるようになったことをさしている。
いろいろなかたちで世界が広がりつつある○○君の喜びが伝わってくるようだった。
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2009年8月31日 15時13分
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ある盲学校でのこと。昨年度訪問した際に手を振って言葉を聞き取ることができた少年がおり、今年度の訪問でもまた、言葉をやりとりすることができた。それを受け、夏休み、その少年に来てもらって、彼の気持ちを改めてゆっくりと聞くという会がもたれた。なお、彼は現在中学1年生である。
柴田先生とこれから気持ちを伝えるこのやり方について講義をしますのでよろしくお願いします。特に気持ちを伝えたいのは、よい×××(学校名)になってほしいからです。特に中学校に六年からなってから、幼稚部を×××に連れてきてもらって夢のようによい関わりをしてもらって×××のことが大好きなよい子どもでしたが、中学校になってから、とても勇気がなくなってしまいました。勇気がなくなってしまったのは、ぼくの気持ちをいつになってもわかってもらうことができそうもないような気がしてきたからです。勇気が出てきました。ようやく気持ちを少しづつようやく伝えられそうな気持ちがしてきました。このやり方を先生たちにもたくさん伝えてこのやり方をみんながたくさんできるように、理解してもらおうと思います。よろしくお願いします。
10名あまり集まった先生方の前で、彼は、堂々と話し始めた。ここで、少し、彼に私からの質問を交えて話を続けてもらった。
(口で話すのはむずかしいですか?)
ことばを話したくてもなかなか言葉を口で言うことができません。願いを言葉で気持ちを言えるようになることでしたが、このままではとうていむずかしそうです。
(机をたたく理由を聞いてもいいですか。)
はい。気持ちを口で言えないので、むしゃくしゃしてしまい、たたいてしまいます。
(止めようと思えば止められますか?)
止められます。もっと気持ちを伝えたいです。口で言えないことがいちばんつらいです。
(助詞の「は」を使えるのはどうしてですか?)
わかっています。なとく(納得)しているわけではないけれど、何となく知っています。
(点字の勉強についてはどう思っていますか?)
点字を読めるようになりたいです。このごろ点字のことがようやくわかるようになってきので、とてもすばらしいと思っています。勇気が出てきました。よい先生たちなので、よいやり方でわかるように、わかりやすく教えてくれているので安心しています。よい先生たちなので、よく教えてくれていますので、安心しています。
(算数はどうですか?)
算数の勉強もよく教えてくれています。
(答えながら指を口に入れてすっていたので理由を尋ねると)
つらいことを思い出しています。よい先生たちなので、わかりやすいです。
(つらいことって何ですか。)
それは内緒です。
(詩を作ったことはありますか?)
あります。勇気をもらうために、子どもの頃から詩を作っています。
(今、聞かせてもらってもいいですか?)
はい。
勉強への思いや先生方への感謝の言葉、そして、内緒にしておきたいつらい気持ち。詩は、そんな彼の胸の奥底を伝えるものだっ
もう聞かないでください
この世界はとても暗くて
少しもわたしのことを暗闇から解き放ってくれそうもありません
暗闇こそ瑠璃色の紺のわたしの希望をろうそくの光として
暗闇こんんんこんんんこんんんの暗い昔の勇気のない暗闇こそ
暗闇をのがれようとして 海をめざして
暗闇からわかれたくて
暗闇の中で暗闇をみんなからなくすことができたらいいなと
このぼくがもともと夢見たものだ
勇気をもって暗闇から抜け出そう
この暗闇を 夢とともに 野を行く旅人のように
気持ちをこうこうとたきながら 抜け出してゆこう
勇気をもって暗闇から抜け出して
暗闇から抜け出して
暗闇の向こうの明るい世界をこの手につかもう
繰り返される暗闇という言葉に、その場のものはみんな圧倒される。言葉が思いところでは、体もまた重く沈み込むようになり、そして、最後は、再びぐっと顔を持ち上げて、まるで未来に向かって力強く身構えるようだった。
わかってくれてうれしいです。暗闇のことをいつも考えていますから作りました。暗闇は望みをみんな飲み込んでしまいます。勇気をもってこの暗闇から抜け出したいです。うれしいです。わかってもらえて。暗闇は暗い暗い暗い暗いものです。勇気が必要です。うれしいです。気持ちを聞いてもらえて。
そして、もう一つの詩を聞かせてくれた。
明るい詩もあります。
きれいなすてきな雲が
空を 暗い空を明るくするために
すてきな色の雲を
こんんんこんんんこんんんこんんんわきあがらせて
暗い空を明るくしてくれた
きれいなすてきな雲が
空を 暗い空を明るくするために
すてきな色の雲を
こんんんこんんんこんんんこんんんわきあがらせて
暗い空を明るくしてくれた
わたしは雲に乗り
空をかけめぐり
わたしの希望をかなえるために
雲を夢のような色に変え
雲を夢のような雲に変え
暗い空を明るく変えて
暗い空を感動的な空に変える
夢を見たいと思って作りました。歌ではありません。詩です。こんんんというのはこんこんをもっともっと暗くする音です。
こんこんをもっともっと暗くする音としてこんんんこんんんこんんんという音があるのだという。彼の心の深いところにある悲しみが、この音には込められているような気がした。
ここで、二つの質問をした。どうやって文字を選んでいるのかということと、詩に登場する色は、彼に見えるのかということである。
耳を集中させて音を聞いてそこそこだと思っていると読み取られていきます。苦労していますが、言葉を少しでもさくさく出すためにがんばっています。聞いているので疲れますが、考えていることがすらすら言えるのでうれしいです。
色を苦労して覚えました。苦労したのは、見えないので、想像してよく考えて、色を想像しました。
苦労したことはあまり言いたくありません。苦労したことを取り立てて言ってみてもよい苦労にあこがれているわけではありませんから、苦労の話をするのは好きではありません。勇気を出して話してみましたが、わかってもらえたでしょうか。
そして、私がゆっくりと手を振ってこの方法をわかりやすく伝えようとした時、彼は、次の言葉を伝えてきた。
のにさくはな 単語を言ってみました。
ここで、誰か先生とやってみないかと彼に尋ねたところ、彼は恥ずかしそうに、一人の先生を希望する。しかし、なぜか、名前が出てこない。以下は、何とかしてその先生がだれであるかを伝えようとしてきたものである。
姉さんのような先生の、感じがすてきな先生がいいです。かわいい先生、かわいい先生です。名前を言うことができません。苦しい時に助けてくれる先生です。とてもやさしい先生です。夢をいっぱいくれる先生です。この中にいます。はい、まだわかりません。この中のよい声の先生です。すてきな先生です。とてもいい先生です。名前はむずかしです。夢をともに見てくれる先生です。小学部。幼稚部ではありません。世界の歴史の先生。
ここで、ようやく一人の先生が特定された。
☆☆先生だということを思い出しました。
名前をなぜ言えなかったか、それは、多くの人に共通の現象としてある。まだ、その理由はわからないが、かえって、その先生へ寄せる思いの深さが、讃辞とともに明らかとなった。
あっという間に、2時間が過ぎていた。彼の「講義」は盛況のうちに幕を閉じた。
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2009年8月26日 14時21分
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光道園にもう長く入所していて、途中困難な時期を経験してきたTさんの気持ちを聞き取った。Tさんもまた、例にもれず、詩も作っていた。
願いがかなってうれしい。夢みたいです。くやしいことがありました。感情的になってしまいます。夢みたいです。よいやり方です。私の気持ちを聞いてくれる人が現れるとは思いませんでした。夢みたいでした。私の気持ちを聞いてくれる、私の言葉を聞いてほしい。夢みたいです。気持ちを聞いてほしいです。作っています。はい。夢みたいです。夢みたいです。
きれいな声で歌ってほしい
きれいな声で夢をけりをつけて
夢を勇気に変えながら
いい私になるために
私の私らしさを夢に見ながら
夢を私にくれるよい私になるために
私らしさを苦労して
よい私らしさを苦労して
苦しみを越えて
私らしさをめざし
私らしさをめざし
理想の国をめざし
私らしさを作っていこう
よい私をめざして
ころころ笑いながら生きていこう
夢みたいです。詩を作っていると気持ちが落ち着きます。嬉しいときや悲しい時に作っています。よい詩ですか。よい詩ですか。
願いの季節がよい私に訪れた
暗い季節が私には長く続いたけれど
暗い季節を忘れてしまおう
勇気を出して私の季節を
私らしく生きていこう
勇気を出して私の季節を私らしく生きていこう
勇気を私にくれる季節の風よ
未来の私を空いっぱいに
未来の私を空いっぱいに呼び出そう
喜びを空いっぱいに呼び出そう
瑠璃色の風を体ごと受けて
喜びを苦しみから解放して生きていこう
美しい季節よ
私に勇気をください
私の私らしさをこの美しい季節の中で喜びに変えて
この世界を生きていこう
夢みたいです。苦しいときには詩を作って気持ちを落ち着かせています。うれしいです。理解してもらえて。すてきなやり方ですね。うれしいです。
ここで、さらに歌を作っていないかと尋ねてみた。すると作っているという。そして、その歌の題は「願いの季節」。奇しくも、町田市の障がい者青年学級の私が所属するコースで、昨年度作った歌の題名とまったく同じ題名だ。そして、さらにもう1曲、聞かせてくれた。なお、メロディは、手を振りながら「ドレミファソラシド」と階名を言いながら読み取った。
願いの季節
願いの季節がまたやってきた
未来の私の季節がまたやってきた
暗い季節を吹き飛ばし
よりこびを空に呼び出そう
きれいな心になります。気持ちを言いたかったです。気持ちを言いたかったけど、なかなか言えませんでした。集中が必要です。素晴らしいです。うれしいです。夢みたいです。
苦しみを越えて
苦しみを越えていきましょう
苦しみを越えて未来をめざし
ゆんろんんん口ずさみ
ゆんろんんん口ずさみ
希望の国をめざしながら
希望の国を見つけよう
「ゆんろんんん」というハミングの音がとても印象的だ。そばで見守っておられた職員の方は、彼女と二人だけで歌を歌う時間を持っているという。これからは、その歌のレパートリーの中に、この二つの歌が加えられることになるだろう。
そして、最後にこういう言葉でお別れした。
苦しかったです。知り合えてうれしいです。もろもろの苦しみがこれで消えていきます。
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2009年8月25日 22時21分
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歌を歌うことができたり、おうむ返しのようになら言葉を返すことができるHさんの言葉を聞き取った。
すてきなわかりかたですね。夢みたいです。理解してくれて夢みたいです。よい理解をしてくれてありがとうございます。よいわかり方です。取り返すことができるような気がします。理解してくれ、わかってくれてうれしいです。よい理解してくださってありがとうございます。よいやり方です。取り返すとは、よくわかってもらえなかった私の、私の悩んできた過去のなかなかわかってもらえなかった日々を取り返すということである。
信じられません。なぜ僕が言葉を理解していることがわかったのですか。不思議です。望みは、「よんすんのろか」、「よんすんのろか」を買うことです。「こりんんるる」のよくろかすることのできるものです。はい。「こりんんるる」はよい店に売っています。濾過するための紙を買いたいです。(「濾過するものは何ですか?」)水です。きれいになります。
これは自分で考えました。
(「助詞の「は」を使えるのはなぜですか?))昔見えていたからです。
見ることはできません。苦しかったです。光道園に入ってからみんなとなかなか仲良くできなくて、夜に本当に夜逃げしたいと思いましたが、それはできませんでした。願いは夜にもっと寂しくないようになることです。これからは、もう寂しくないと思います。なぜなら、言葉をわかっていることをみんなにもわかってもらえるからです。夜を寂しく過ごさなくてもいいならうれしいです。話しかけてください。気持ちを聞いてください。寂しいです。気持ちを聞いてくれてうれしいです。困っていることはありません。みんないい職員ですから、よい職員の人ばかりですからうれしいです。気持ちを聞いてくれてうれしいです。(詩を作ったことはありますか?)あります。(書いてもらってもいいですか?)いいです。
一気にほとばしり出た思い。「よんすんのろか」「こりんんるる」といった不思議な表現も登場した。そして、夜の寂しさに話が及ぶ。
そして、詩を聞かせてもらった。
苦しみを越えていきましょう。
苦しみの向こうには
喜びを見つけることが
きっと苦しみを理解してくれる希望の未来が
待っているはずだから
いい人生をこれからわかりあいながら作っていこう
瑠璃色の夢を見ながら苦しみを乗り越えて
困難を濾過していい未来を作ろう
夢を大切にしながらいい未来を作っていこう
未来はきっと私たちの前にひろがってくれるだろう
美しい未来がきっとひろがって私たちをわかってくれるだろう
勇気を出して帰路を忘れないよんすんのわかれ道を
んんんんと苦しみを越えていこう
こりんんるるを夢見ながらいこう
んんんんと越えていこう
勇気を出して生きていこう
勇気を持って夢を忘れず
私たちの未来を作っていこう
勇気を持って生きていこう
「ろか」も「こりんんるる」も「よんすん」も再び登場した。不思議な言葉だが、何かわかるような気がする。
そして、文章はさらに続く。
願いを聞いてください。いつまでもいい職員でいてください。僕を信じてください。盲学校でも、もともとわからない存在として扱われていました。言葉を話すことができないのはわかりません。でもわかっています。
歌は大好きです。気持ちが落ち着きますから。よいやり方ですね。うれしいです。よかった、気持ちを聞いてくれてありがとう。点字を読めるようになりたいです。まるさんかくしかくをやっています。
知っています。あは1の点、いは1、2の点、うは1、3の点、えは1、2、4の点、おは2、4。
探すのはむずかしいです。子どもの時からそうでした。手紙を母さんに書きたいからです。はい手紙を書きたいです。
点字の学習は、触ることがあまりうまくいかずに、思うようには進んでいないが、「あいうえお」については、「う」は間違ってはいたものの、後はあっていた。そして、何より、胸をうつのは、点字を覚えたい理由である。「手紙を書きたいから」Hさんは点字を覚えた治という。おそらく相手は、家族にちがいない。
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2009年8月25日 21時44分
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「おかあちゃん」「おねえちゃん」「おにいちゃん」「コーヒー」といった単語を口にすることができるYさんに、手を振って文字を聞き取る方法を試みてみようと感じたのは、ほとんど賭に近かった。そうした単語が、彼の言語能力をそのまま示したものではなく、むしろ本来彼が持っている言語の世界を覆い隠してしまっているかもしれないという仮説が、私の中で、しだいに確かな考え方になってきたからだ。最初は、なかなか手をとらせてくれなかったが、少しずつ、Yさんは、自分の気持ちを語り始めた。
気持ちを言いたい。気持ちを言いたい。これをやりたい。よい方法ですね。気持ちを言いたい。好きなことわろうそくに火をつけることです。好きなことはろうそくをかんにともすことです。
願いを聞いてください。ろうそくをつけたい。
願いを聞いてください。ろうそくをともしたい。
聞いてください。
ここで、彼は、鈴をテーマにした詩を語る。残念ながらこれ以降は書き取ることができなかった。人間関係がなかなかむずかしいとされるYさんと会うのはこれが初めてではない。毎年のように出会い、なかなかうまく関わることができなかった。その彼が、こんな内面の世界を有していた。
そして、こうした私とYさんの関わり合いを食い入るように見つめていた人がいた。視覚障害の人が多い中で、Sさんは、聴覚障害があるとされる方だ。若々しく軽やかな動きが特徴的な方だ。
そのまなざしに促されるようにして、私は、彼の前にパソコンを拓いて2スイッチワープロを出した。聴覚障害があるとはうかがっていたが、目でやれるかもしれないし、まったく聞こえていないのでなければ、やれた人もいたからだ。
出したとたん、彼は、とてもうれしそうに文章を綴り始めた。はじめは目で確かに画面を確認していたが、そのうちに目が画面から外れ、明らかに音に集中している様子が見られるようになった。周りの職員さんは、しきりに彼が聞こえないはずだとおっしゃるが、何らかの聴覚的な情報を受け止めていると考えなければ説明のつかない洋だった。
人間として理解してもらいたい。小さいころからの夢でした。小さいころからの願いでしたびっくりしました。人間として生きていきたいです。聞こえています。少しだけ。びっくりしました。未来が開けてきました。夢みたいです。小さいころから夢でした。理想をかなえたいです。理解してください、ぼくのことを。びっくりしました。びくびくした生き方はいやです。みんなと人間らしく生きたいです。理解してください。(Yさんががやっているのを)見ていました。ぼくもやりたいなと思いました。気持ちが聞いてもらいたいです。人間として生きたいです。願いでした。詩を作ったことはありませんが物語は作っています。未来の話です。
小さい緑の夢がランプのように輝いて理想の世界が夢のように広がりました。ぼくは気持ちを伝えることができるようになり、みんなと勇気をだして若者らしく若々しく未来を切り開くためにるんるんとぬいぐるみを脱ぎ捨て、理想の国めざし旅に出ました。若かった昔をなつかしむ若者がひとり、昔の夢を病のようにろうそくをともしながら、ゆいつの若い夢として理想に向かって歩き続けました。
いい気持ちです。願いがかなってうれしいです。理解してくれていい気分です。未来が開けてきました。希望が湧いてきました。書くのは大変です。なかなか文ができません。このやり方がかんたんです。耳で聞いているだけで書けるからです。びっくりしました。こんなやり方があるなんて。いいやり方ですね。むずかしいです。勇気がどんどん湧いてきます。ランプの光がともったようです。ふだんはどうしても気持ちがつかんでもらえず困っています。夢みたいです。理解してくれてありがとうございます。聞いていると言われなくて困っています。わかります。理想的な方法です。びっくりしています。小さいときから話したかったです。
書き出しのところで、聞こえていますとあるが、改めて聞こえについてたずねてみた。すると、
悪いですが少し聞こえます。耳を感じることはできますのでわかります。聞こえていても話せないからです。ふだんの生活を見てもらえばわかりますが、ばかばかしい自分としか見えないはずです。
ふだんわかっていないと思われているので感激です。家ではぜんぜん無視されていたのでさびしかったです。かあさんはかわいがってくれたけれど家族は気持ちをわかってくれませんでした。ならなくてもいい実のようでした。
と続く。そして、さらに文章が綴られていく。。、
勇気がわいてきました。みんなも同じだと思います。勇気がわいてきました。無難な生き方にさらばです。ミラクルのようです。見えます。目はよく見えますがわかりませんでした。つつみでした。忘れていました。聞いてもらいたいことがあります。ずっと前から人間として生きたいと思ってきたので敏感に可能性を感じてくれる人が現れてうれしいです。わかってくれてありがとうございます。いい時間でした。聞いてくれてありがとうございました。希望がわいてきました。いい方法ですね。いい時間でした。希望が出てきました。待っていますのでよろしくお願いします。また会いましょうね。さようなら。小さいときからの願いがかなってうれしいです。自信が出てきました。いい方法ですね。
どちらかというと、じっと一つに集中していることが少ないとされる彼が、聞こえるはずのなかった耳で音に集中して、ものすごいスピードで深い内容をたたえた文章を綴っている。まだまだいくつも明快に説明しなければならないことも少なくないだろう。だが、YさんやSさんが見せた新しい姿は、新しい世界を確実に切り開いていた。
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2009年8月24日 00時30分
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東京の盲学校を卒業して光道園に入所し、30年が経過した50歳のTさんと関わった。
よい、このやり方は。気持ちを伝えたかったです。願いがかなってうれしいです。夢みたいです。聞いてもらいたいことがあります。理解してくれる人が現れるとは思いませんでした。みんなとこんなふうにして話したいと思います。気持ちが言いたい。子どもの頃からずっと願ってきましたが、みんなぼくのことを何もわからない人だと思って、何も理解してくれませんでした。夢みたいでした。
Tさんとは、この合宿でもう何度も会ってきたが、彼との間には一つ思いである。もう20年近く前田だが、彼が、一度東京の病院に入院したことがあり、お見舞いに光道園から訪れた鷲田さんという寮母さん(当時のはこう呼んででいた)を、病院までご案内したことがある。「とてもすてきな方だから」と何度も繰り返しおっしゃりながら、病院に向かったことをよく覚えており、彼女がどれほどTさんを大切にしていたかに深く感動したことを覚えている。その後、鷲田さんは、若くしてお亡くなりになってしまったが、このTさんとのできごとは私にとって忘れがたい思い出となっていた。そして、そのことをTさんに尋ねた。
ここで、Tさんは、うおっと大きな声を出す。その声の意味について尋ねると次のような答えが返り、さらに文章は続いていった。
悲しいという声でした。
このやり方をみんなに伝えてのびのびと愉快に暮らしたいです。よいやり方ですね。うれしいです。苦しかったその日々を忘れることができそうです。よく苦しみをこらえてきたと思います。
ここで、やや勇気が必要だったが、Tさんは詩を作っているかと尋ねた。すると、次のような切々とした響きの詩を聞かせてくれた。
雪の降る夜は、気持ちが瑠璃色になる
雪の降る夜は、気持ちが噴水のようにきれいになる
雪の降る夜は、気持ちが人間らしくなる
雪の降る夜は、気持ちが苦しみから解き放たれる
雪の降る夜は、気持ちがさかんにみんなを求めて願いを持ちたくなる
雪の降る夜は、気持ちがくすくす笑い出す
噴火しそうな気持ちが静まり、気持ちがきれいに瑠璃色になる
よい雪の夜に、よい人間になる
よい雪の夜に、よい私に瑠璃色の心に
清らかな金色(こんじき)の未来が開けてくれる
日本海側の福井には雪がたくさんふる。そんな夜に作った詩なのだろうか。
この詩には瑠璃色、金色といった色が登場する。全盲の彼に、色はどう感じられているか、尋ねてみた。
わかりませんが言葉を聞いて美しいと思ってきたので覚えてきました。
この後、パソコンでもやってみる。もちろん音声の手がかりだけでの選択である。
機械でやれたらうれしい。人間ぎらいがなおりそう。未来が開けてきました。勇気が出てきました。舞台に出た気分です。小さいときからの夢でした。自分の気持ちが言いたいと神様に祈ってきたのでかないました。自分の気持ちが言えてしあわせです。小さいときから身につけたかった。いい理解をしてほしかったです。小さいときから夢でした。敏感に感じとってくれてありがとう。自分の気持ちを言いたかった。いい気持ちです。
偶然、この光道園の合宿には、彼が卒業した盲学校の先生も参加しており、そのことに話が及んだ。
○○盲学校がなつかしいです。なつかしいです。寝られない夜は○○盲学校のことを思い出しています。なつかしいです。そうです。よりやり方ですね。○○盲学校の後輩をよろしくお願いします。はい、よろしくお願いします。
もう長いこと、訪れたこともないだろう母校のことを、こんなにも深く思っていたのだ。
今回語り出された言葉は、50年という長い長い沈黙を経てようやく姿を現したものだった。本当に重い重い言葉だった。
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2009年8月23日 19時02分
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盲重複と呼ばれ、言葉がない、あるいは限られた言葉しか話すことができないとされている人たちの内面に、豊かな言葉の世界が広がっているということが、少しずつ明らかになってきたが、今回、福井県鯖江市の光道園を訪問し、もはやそれは、少なくとも私にとっては、動かしがたい事実となった。
光道園の方々は、座位をとることなどには目立った困難はないので、いすに座り机に向かっていただく。そして、私は、その方と並んで座り、その方の右手に私の左手を下から添えて小さく振りながら、「あかさたな」と声を出していく。そうやって一つの音にたどりつくと、私は、あいている右手で、ノートに文字を書きとめる。このスタイルで、次々と言葉を聞き取っていくことができた。
最初の方は、光道園に一緒に行った津布工さんが、かつて担任をしたAさんである。彼が、光道園に入所して10年近くになる。毎年、彼は、かつての担任の訪問を心待ちにし、満面に笑みを浮かべて学習に参加してきた。
津布工先生、いつも待っています。人間だから、行き先を自分で決めたかったです。よい光道園で、よかったですけど、なかなか行き先が決まらず苦労しました。ぬいぐるみのような気持ちで生きてきましたのでうれしいです。未来が開けてきました。よいやり方ですね。きつい時期は思い出したくありません。よい毎日です。みんなやさしいです。よいところです。よいところです。みんな気持ちを言いたいと思いますので、聞いてあげてください。よいやり方ですね。
彼には、実は、一時期とてもつらい日々があった。光道園を抜け出してさまよったこともある。そんな時期は思い出したくないといい、今はとてもいいと言う。
ここで、好きな食べ物は? と質問をした。すると、質問に答えるような出だしで、まったくちがうことを語り始めた。
好きな食べ物は、「ゆこゆこのむりを」ゆめみています。きらいな人が好きになる食べ物です。はい。ゆこゆこのむり。「ゆこゆこ」の「むり」の意味は、「ゆこゆこ」はみんな理解し合えるという意味です。理解し合えるということは、いいこと。「ろころこ」という言葉は理解してくださいということを意味しています。「むり」というのはむずかしいということです。自分で考えている言葉を伝えました。あります。「むこむこ」というのはくやしいということです。「むこむこ」という理解をしたいということはありません。
「ゆこゆこ」「ろころこ」「むこむこ」という不思議な言葉が語られた。彼自身が作った言葉で、自分の心の中で自分自身と対話する中で作られた言葉なのだろう。ここで、職員さんから、「やりたいことは?」という質問がかけられた。
やりたいことはいつまでもよい光道園であってほしいということです。よい職員さんをやめさせないでください。願いは気持ちを伝えるこのやり方を職員さんにも教えてください。うれしいです。知っていました。夢みたいです。理解してもらえてうれしいです。気持ちを伝えたいと、「ころころ」思っていました。来る日も来る日もという意味です。よいやり方ですね。うれしいです。よろしく「おんおん」してください。「おんおん」という意味は願いをかけるという意味です。よろしく「おんおん」をしてください。
彼が返した答えは、やりたいことではなく、ずっとよい施設であってほしいという願いであった。そして、「ころころ」「おんおん」という言葉が続く。来る日も来る日も、願いをかけるという言葉が、思わず胸をしめつける。
そして、彼は津布久さんとの学習に移る。
津布工先生を待っていましたから、楽しみです。
私は最後に、彼が盲学校に在学中、彼と一緒に森林公園というところでマラソンをしたことを覚えているかと尋ねた。
なつかしいです。よい思い出です。
覚えていてくれたんだという思いが、私の胸を熱くさせた。
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2009年8月23日 18時28分
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1年前に文章を初めて綴ったOさんと、鯖江市の地域センターの一室で、1年ぶりにお会いした。そして、さらさらと次の文章を書いた。
来てくれてうれしいです。久しぶりに会えてうれしいです。人間として生きていきたいので認めてもらえてうれしいです。なぜ力を入れていないのにわかるのですか。耳で聞いているだけなのに不思議です。願っていました。夢みたいです。小さい時から話がしたかったのでうれしいです。人間として理解してもらいたいと思ってきたので理解されてうれしいです。
そこへ、2年ぶりのSさんが登場する。
2年前、まだ、ゆっくりとした読み取りしかできず、次の文章を読み取っただけだった。「おかあさんおとうさんほんきにきいてほしい やさしくして せめてものしあわせのため」
この日、もう時間はあまりなかったので、とっさに、二人で対話をすることを思いついた。
そして、Sさんに口火を切ってもらって次のような対話が成立した。
S:来てくれてありがとうございます。気持ちが言いたいと考えてきたのでうれしいです。いいやり方ですね。聞いてほしいことがあります。自分の気持ちを言いたいと思ってきたのでうれしいです。Oさんはいかがですか。
O:自分の気持ちを言いたいと願ってきたのでえらくうれしいです。聞いてくれてありがとうございます。未来が広がってきましたがSさんはどうですか。
S:自分の気持ちを言いたかったけどみんなはどうしていたのですか。みんなはなぜわかってもらえたのですか。未来が開けてきたのは同じです。なぜ敏感に感じとれるのですか。聞いてほしいです。みんなとは友だちのことです。
O:みんなわかってもらえなくて困っていましたよ。Sさんだけではありません。気持ちを言いたいとがんばってきましたがなかなかわかってもらえず悩んできました。びっくりしています、こんなやりかたに出会えて。
S:私も同じです。分相応に生きてきましたがやっと自分らしく生きられそうです。願いがかなってうれしいです。いいやりかたですね。気持ちいいです。
O:分相応という言葉はいつも気にとまっている言葉です。びっくりしました、Sさんがこの言葉を考えていたことに。いい言葉ではないけど悲しいことに私たちはこの言葉のようにしか生きられませんでしたね。
S:そうですね。みんなこの言葉にしばられてきましたね。みんな悲しい思いをしてきましたね。でもこれからは自分らしく生きていきたいですね。
O:そうですね。小さいころからいつもがまんばかりしてきたのでこれからは自分らしく生きていきましょうね。
S:自分らしさを勇気を出して見つけたいです。人間らしさを考えながら生きていきたいです。
O:そうですね。分相応の生き方はお別れしましょうね。また会いましょう、○○○(Sさんの名前)さん。
S:きょうはお話しできてよかったです。○○○(Sさんの名前)を覚えてくれてありがとうございます。
30近いOさんと今年学校を卒業したばかりのSさん。10歳ほど離れているが、大人の女性としてのしっとりとしたやりとりだった。悲しい「分相応」という言葉。実に多くの人がこの言葉を使う。日常会話でそんなに使われる言葉ではない。しかし、言葉を理解しているのに理解していない存在として生きなければならない現状は、「分相応の生き方」を押しつけられているということなのだ。残念ながら私は非力だ。こうした事実を明らかにしえても、それは彼女たちを取り巻く多くの人々に共有された事実ではない。その意味で、生活は容易には変わりようがない。しかし、これだけの短い会話であっても、思いを共有し合う仲間の存在を確かめ合い、そして、強く生きていくことを誓い合った。その事実は、困難な現実に立ち向かう勇気を二人に与えたにちがいない。
この後、場所を「がんこっこの家」に移して、夕食会に移った。Sさんは、一足先に帰る時間となったが、Oさんは、そのまま夕食会にも参加した。
夕食会には、センターでのやりとりをじっと見ていた言語障害のある32歳の男性Yさんがいた。簡単な言葉は、かろうじて発することができるが、まとまった文章を話すことはできない。その彼と隣り合わせになった。彼に、二人のやりとりのことを尋ねると、自分も共感したという。彼に、手で話しを聞いてみた。彼は、子ども扱いをされることがいやだということや、自分で決めたいというようなことを語った。確かに、非常に素直な印象を与える彼は、表面的に幼く映る。しかしそれはあくまで見かけのこと。そのことに彼は深く傷ついているのだった。そして、一編の詩を聞き取ることができた。
苦しみの中で見つけた幸せ
苦しみの中で見つけた幸せ
それは月日の中で瑠璃色に輝いている
月日の過ぎゆくままに喜びを感じながら
苦しみを忘れたいと願う
願いはいつもかなわなかったけど
夢はいつも私を支えてくれた
理想の私を求め理解と喜びを夢見て
苦しみの中で私はよい夢を育て
あしたの私を理解してもらいたくて
今日もよい人間として私を育てようとする
瑠璃色は、多くの人が好む色だ。彼に何の色かを尋ねたところ、「海流の色」と答えが返ってきた。瑠璃色にはそんな力強い意味もこめられていたのだ。
Oさんが帰る時間になった時、この詩をみんなに朗読した。Oさんは、目をきらきら輝かせながら、この詩を聞いていた。新しい絆が、OさんとYさんの間に生まれ、そして、それは、また、Sさんにもつながっていくにちがいない。
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2009年8月22日 00時41分
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施設で暮らす○○さんのお宅を訪問した。小1からおつきあいしていながら、34歳になって初めて文字を綴ることのできた方だが、最初の時の、喜びのトーンは見られなくなり、せっかく言葉がわかることが明らかになったのに容易に進まない理解と、相変わらず放置されている仲間たちのことが、言葉を重くする。
聞いてほしいことがあります。なぜ自分たちの気持ちは聞いてもらえないのでしょうか場場を考えてもぼくたちの気持ちはもっと尊重してもらえたらうれしいです。理解してほしいです。勇気を出していいたいと思うのですが敏感に感じてくれる人が増えたらいいとおもいますがなかなかむずかしいようです。夢をかなえることができたらうれしいです。未来はわかってもらうことができたらいいなと思いますがまだまだむずかしいのでしょうか。人間としてやっと認められたので勇気を出して住んでいる場所を変えていきたいと思います。来年いっぱいぐらいには来てもらえますか。人間らしい生活がしたいです。ぼくだけではなく仲間のことが心配です。人間として夢を大切に生きていきたいと思います。人間としての気持ちを大切にしたいです。いい未来がほしいです。理解してもらいたいです。
一歩一歩前進はしていることを言い訳のように伝えて、最近、多くの方々から歌を聴き取っていることを伝えたところ、次の詩とメロディーを教えてくれた。
願いの実がなる花が咲く
昔の夢を紡いできたが
実のなる花はまだ咲かぬ
実のなる花を夢に見て
ぼくは理想の時を待つ。
「まだ咲かぬ」という言葉や、語りそのものの寂しげなメロディーが胸にささる。そして、さらに文章は続いた。
曲を理解してもらえるとは思いませんでした。びっくりしました。敏感さに驚きました。あっています。自分で口ずさむのとは感じがちがいました。いい気持ちです。小さいときから曲を作っていましたがまさか聞いてもらえるとは思いませんでした。
(歌は)大好きでした。おかあさんがよく歌ってくれました。きりがないくらいたくさん歌ってくれました。いいおかあさんです。
(施設になかなか来れないのは)忙しいからしかたありません。いつも小さい孫の世話でたいへんです。がまんしていますが心配しています。元気かどうか。自分はだいじょうぶですから。体にに気をつけてください。(面会の時の)散歩は無理をしないでください。ぼくが体重が重いからです。(体をつっぱらせるので重く感じることについて)力がはいるのはしかたありません。(勝手に力が入ってしまうんですよね。)そうです。勝手に力がはいってしまいます。(力がぬける薬でもあればいいけど)薬はこわいです。ぼくたちは眠らされてしまいますから。薬についてもぼくたちの意見を聞いてほしいです。小さいときからの願いでした。
だいじょうぶです。また来てください
暖かい家族にかこまれて育てられた○○さんの思いは、いつも暖かい。ご両親のことをしきりに気遣う心のあり方は、すでに自立をとげているのみならず、人間としての成熟がある。
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2009年8月16日 08時05分
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家庭訪問 |
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3月に高等部を卒業した男性と関わる前に、3人で、意見交換の場を持った。話題は、2日後のHさんを招いてたときのことだった。
誰の発言ということは、うまく整理できていないが、1台のパソコンにそれぞれが言葉を書いていったままに記したい。
Hというひとはどこにすんでいるのですか
(千葉からです。)
ちぱけんからどうやってくるのですか
(バスだそうです。)
(H君の創作童話について)
すてきなはなしでしたか
じぶんはまだよんでいないのでわからないけどすごいね ものがたりをつくるなんて
Hくんはなんさいですか ゆうきがでてきますひいでたさいのうですね
にんげんとしてみとめられてよかったね
にんげんとしてみとめられてもっとみらいをひらいてほしいね
Hくんのしょうがいはなんですか
(自閉症です。)
じへいしょうといってもこころはわたしたちとかわらないのでしょう
ゆうきをもらえたらいいね
Hくんのはなしはだれがしっていたの
へーりかいしてくれたらうれしいね
ぼくたちのことをにんげんとしてきもちはおなじだとおもうからきたいしています
みらいがひらけるといいね
なにをきけばいいのですか
ねがいはゆうきをもらうことです
りかいをしてくれたらうれしい
ゆめをもっていきることがだいじだということです
にんげんとしてみとめられることがだいじだとおもうのでよろしくおねがいしますといいたいさです
りそうはりかいされることですがなかなかむずかしいとかんがえています
どうすればりかいしてもらえるのでしょうか
りかいをしてもらいたいです
なやんでもはじまらないのではやくこうどうにうつそう
なんでもいいからはじめることがだいじだとおもいます
じぶんのきもちをにんげんとしてうったえていければいいとおもいます
それにはりかいしゃをふやすひつようがあります
じぶんたちのきもちをはやくりかいしてもらうひつようがあります
みんなのきもちがひとつになればできるとおもいます
りかいしゃがひつようです
まずはゆうきをもってじぶんたちのこえをあげていきましょう まんなかにHくんをおいて
こんなんをのりこえていけばいいのではないでしょうか
思いのほか、進んでいく話に、やはりみんなが語り合うことの重要性を痛感するとともに、Hくんとともに、新しい時代が生まれてくる予感がした。
地球上の楽園に理想的な夢をまき、夢を笑いながら未来に向けて育てよう。
きっと理想の花が小さな実をつけて、みんなに笑いをくれるだろう。
わかってくれない人たちを待ち続けるよりも、一人でも多くの理解者を増やそう。
希望はわかってくれる人がいれば理解者が少なくても大丈夫です。
ゆいつの夢はわかってくれる仲間と困難に向かって
みんなでもっと勇気を出していければいいと思います。
詩です。歌ではありません。
ここで、あえて、歌を作っていないか尋ねてみたところ、あるという。そして、次の歌詞が書かれた。
願いの輪の中に ぼくらの夢を結び
身につけた理想をランプの光のようにともしながら
勇気を出して船出しよう
勇気が胸にあゆれたら
ランプはやさしく照らすだろう
やさしいランプの光のせいで
夢が明るく光るだろう
そして、歌について次のコメントをくれた。
小さいときから歌をいつも作っていました。ランプはいつもかあさんが寝る時につけてくれます。忘れられない美しさです。天井の電灯です。人間としての夢の象徴です。理想てす
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2009年8月16日 02時14分
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二人目は、32歳の男性だ。筆談によって少しずつ言葉を発し始めた彼に、2スイッチワープロでやりとりをした。
小さいころから話したかった。入院しているおとうさんが心配です。勇気が出てきました。びっくりしました。なぜわかるのですか。不思議です。力を入れていないのにどうして伝わるのですか。字を考えていて、ここだと思っています。びっくりです。人間として認められたような気になります。小さい時からの夢でした。小さい時からたくさん詩を作ってきましたので聞いてください。
果敢に挑み 人生を生きる
人生は闘いだから負けていいはずがない
敏感な自分の心を研ぎ澄まし
敏感に耳をすませて
人間としての未来をかちとろう
未来はきっと敏感な住んだまなざしに
凛とした姿を現すだろう
小さい時から場には入れてもらえず
いつも一人ぼっちだったから未来は夢だった
敏感な心が夢を持ち
敏感な心が願いをかなえ
未来が明るく広がった。
年齢の重みを感じさせる詩だった。闘いとしての人生に果敢に挑むという言葉が、これまでの日々を物語るようだった。詩の最後の方が、今まさに言葉を綴れることの喜びを語っているような気がしたので、この場で作った部分もありますかと尋ねると、そのことに答えながら、次のように語ってくださった。
はい。前から作っていた詩につけくわえました。詩を作っていると気持ちが落ち着きます。願いでした、自分の詩を聞いてもらうことが。
さらに、もう一篇綴られた。
静かに望みの花が咲く
人間として生まれて生きてきて
願いをたくさん持ってきて
勇気をたくさん敏感に育て
分相応に生きてきた
みんなに人間としての誇りを伝えきれず
静かに一人生きてきた
夢は祈りに変えて
一人で静かに生きてきた
勇気を持って楽園を目指し旅立とう。
そして、次のような感想が書かれる。
未来が開けてきました。びっくりしました、夢を見ているようです。人間として認められた気分です。小さい時からの願いでした。理解してくれてありがとうございます。詩を作っていることがどうしてわかったのですか。はい。わかりました。
ここで、さらに歌を作っていないかを尋ねると、あるとおっしゃる。そして歌詞が書かれた。
人生にみんな夢をもとう
一人で夢を育ててゆけば
未来はきっと開けてくるさ
一人で夢を勇気に変えて
勇気をもって夢をそらいっぱいにひろげよう。
そして、手を振りながら「ドレミファソラシド」と尋ねながら、メロディを聴き取った。そして、それを受けて次の言葉が書かれる。
信じられません。未来が開けてきました。夢みたいです。理想的な方法ですね。理解してもらえてうれしいです。未来が開けてきました。理想のやり方です。見たこともないやり方で驚きました。夢みたいです。
ここで、闘病中のお父さんへ手紙を書いた。
とうさんこれまでぼくを育てていただいてありがとうございます。勇気を出して病気と闘ってください。敏感な心で勇気を出してください。わたしたちをやさしく見守ってくれるからおとうさんが大好きです。理解してくれる人が現れましたからぼくはもうだいじょうぶです。理想的なやり方です。わたしたちはみんな言葉を持っているということをわかってもらえてしあわせです。勇気が湧いてきました。わたしたちのことを未来に向けて飛び立たせたいと思います。
ずっっしりと重い出会いだった。
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2009年8月16日 01時18分
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最近、精力的に活動しているグループがある。構成メンバーは、小4の女の子、中2の女の子、3月に高等部を卒業した男性、そして32歳の男性が中心メンバーだ。そのグループでは、コミュニケーションの手段として、援助による筆談を用いており、大きな成果を上げている。指で手のひらに書く方法で、相当なスピードで、会話が可能となっている。
私は、私の2スイッチワープロやあかさたなと手を振る方法でコミュニケーションをするのだが、みんな、方法をたくみに使い分けて豊かにコミュニケーションをしている。今回は、中1の女の子がお休みだったので、3人の方々と関わった。
この日は、実は、2日後に、自閉症の作家として有名な高校生を招くという企画を控えており、やりとりは、そのことをどこかで意識したものとなった。
最初は、小4の女の子。家族のことを話した後、次のような思いを語った。
未来が開けてきました。夢が実現しそうです。見たこともないような景色が開けてきました。未来が私にも美しくひろがってきました。自分の道は自分で開かなければいけないと思うけど、未来は理想的なものとなってほしいです。私の希望は人間として理解されて生きていくことですが、なかなかむずかしそうです。勇気がほしいです。勇気がほしいです。勇気をもらいたいです。理解してほしいです。みんなに私たちのことを。人間として生きようとしていることを。自分たちの声をみんなに届けたいです。人間として認めてもらいたいです。きっと話ができると期待しています。未来が開けそうです。
ここで、歌について尋ねてみた。すると作っているという。そして、次の歌詞を書いた。
気持ちを聞いてください
私の人間としての思いを
自分一人で生きてきて
一人で夢を紡いで生きてきた
光はいつも遠くを照らし
私のとこには届かなかった
人間として生きたいと毎日願い
光を求めて生きてきた
みんなと話がしたいと何年も願いながら
望みを捨てずに生きてきた
そんな私が願いをかなえ
夢がかなって言葉を持った
希望と勇気が湧いてきた
自分の言葉で気持ちを伝えたい
願いをみんなに伝えたい
途中、何か困ったような発声が続く、いったん中断してそのわけを手で尋ねてみると、言葉があふれて止まらなくなり収拾がつかなくなったらしい。
そんなこともあるんだと思いながら、とりあえず、書ききってもらった。その後、彼女が、メロディのさわりを聞かせてくれた。
ドシラドドシラソラソド
ドシラソドシラソラソソソドシシド
後は、筆談がとても速いお母さんが聞き取ってくれることになった。
彼女は、この後、2スイッチワープロで英語にも挑戦。
BOOK PAUSE
I HAVE A HOPE
と綴った。どこで覚えたのと聞くと、「英語であそぼう」がいちばん役に立ったそうで、海外旅行にでかけた際も、けっこう英語が理解できていたという。
可能性は限りなく広がっていく。
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2009年8月16日 00時15分
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駿河湾を震源地とした地震の2日後、静岡県に住む○○君のお宅を訪問した。高校1年生になった○○君は、もうすっかり、がっしりとした大人の体になっている。昨年、訪れた際に、書いてもらった文章に表れた彼の考えもすでにすっかり大人になっていたから、心も体もということになるだろう。
そんな彼が、最初にふれたのは、地震の話題。
地震が強くて驚いておかあさんに恐ろしいと抱きついてしまい恥ずかしかったけど聞いていた東海地震ではなかったので安心しました。
とのこと。
その後、しばらく、スピードがあがった読み取りの方法の話題をした後、詩について尋ねてみた。すると、書けるということで、次の詩をさっと綴った。
きれいなずしいろの小さな小さな夢が
ぼくの以前の友だちによしなしごとのように広がって
願いが小さい小さい宇宙に望みとともにきらきらと
ぬくもりとともに広がった
人間として小さな不可思議な存在だけど
小さなころいつも願っていたことがついにかない
ぼくは自分の道を望み通りに生きていく
不思議な不思議なのりものが
小さいぼくの傷のように
瑠璃色の光を放ちながら
願いの小さなあかしのように
不思議ないのちをさとらせた。
不思議な詩だった。見守っておられたご両親は、その内容の深遠さに、ただただ驚いておられる。私も、改めて、彼の心がすっかり大人の世界に足を踏み入れていることを実感した。書いてもらった後、詩について若干のやりとりをした。
(ずしいろについて)知らないけど不思議な感じの色です。本です。ちがいます。夢のなかで読みました。すてきな話でした。(瑠璃色について)知っています。深い藍色です。テレビです。詩は自分の気持ちを落ち着かせるために作っています。苦しいときに作っています。そうです。
そして、そのまま話題は、仲間の話へと移っていく。
願いはともだちと話すことです。みんなもきっと話ができると思いますから残念です。理想は人間としてふつうに気持ちを言えるようになることです。いい人間になりたいです。最悪なのはぼくたちが言葉を持っていないと思われていることです。ぼくたちもふつうに考えていることを学校の先生たちに知ってもらいたいです。それだけが望みです。
また、漢字を覚えるのに相撲が一役買っているのではないかという質問に対しては、こう続けた。
すもうの雑誌が好きなのは勇気が出てくるからです。がんばっている力士の話が大好きです。たとえば願いのかなわなかった力士が望みを捨てずにがんばるところがいいです。
ここで、話題は思いのままにならない体や声の問題に移っていった。
ぼくの体は勝手に反応してしまいとても困っています。小さいときからとてもいやでしたが、ぼくはなるべく力は入れないようにしています。望みは体が気持ちの通りに動くことですが夢みたいです。もし体が気持ちの通りに動いたらと何度も何度もくりかえし願ってきましたが理解してもらうしかないみたいです。いい人間になるためには体のことは関係ないのではないでしょうか。人間として人間らしい生き方をできたら、それ以上何が必要なのでしょうか。
意図に反して入ってしまう力のおかげで、誤解されることも多々あるらしい。そうしたつらい気持ちを小さい頃から抱えつつ、「理解してもらうしかない」「いい人間になるためには体のことは関係ない」というしっかりとした考えに到達していた。
さらに、彼は、次のような提案をした。
遠くから来てもらって申しわけありませんがもっと頻繁に来てもらえませんか。ぼくのともだちはまだ話すことができずに困っています。まだ話せずにいるともだちが気がかりです。もしできたら学校に来て言葉を聞いてあげて人間としての誇りを通りもどさせてあげてください。きっと話せると思います。運命かもしれませんが願いは願いとしてずっと持ち続けたいです。創世記という物語で理不尽な要求を神から言われて従う人のことが出てきますが、到底理解することはできません。自分たちはどうにもならないと考えたらそれでおしまいですから、願いは持ち続けたいです。人間として願いを大事に生きていきたいと思います。先日テレビでやっていました。不思議な話なのでまちがいではないかと思って気になっていました。
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もっと足を運んでほしいという彼のまっとうな要求に、簡単に胸をはれないでいる私に対して、彼は、創世記の話を持ち出してきた。「神の理不尽な要求」と言えば、息子をいけにえに差し出せと言われ、それに従おうとしたアブラハムの物語だと思われる。彼は、自分たちが置かれた状況をそこに重ね合わせて、与えられた運命にただ従うだけの人生を生きるのはいやだと力強く宣言しているのだ。
この後、あまりにすごい内容に驚いている私たちに、説明をしてくれ、この日の関わりを終えた。
ずっと黙々と考えてきたのでわかります。ふだんからよく耳をすませて生きているので、聞きながらいろんなことを考えています。漢字はわかっています。理解できてもわかってもらえないのがくやしいです。つながることが大切だと思います。わかってくれる人がほしいです。望みは理解してくれる人が増えることです。未来に向かって理想的な世の中となるように願っています。よい時間を過ごさせていただいてありがとうございます。いいスイッチですね。ぬいぐるみの生活から解放してくれる理想のスイッチです。可能性を信じてくださってありがとうございます。ありがとうございました。
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2009年8月14日 01時49分
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今年で37年目を迎える研究会で、二人の方の事例を報告した。その際、そのうちのお一人にじかにパソコンで会場の参加者の方々に、訴えかけていただくことにした。当事者の語りこそが重要だと考えたからだ。10分ほどの時間しか用意できなかったが、次のような言葉を会場のみなさんに訴えかけた。
小さ(い)ときから話をしたかったです。小さいときから自分の気持ちを伝えたかったです。にいさんやねえさんとして関わってくれる友もだちがほしいです。小さいころから願ってきました。自由がほしいと考えてきました。小さいころからの夢がかなってうれしいです。人間としていい人生を送りたいと思います。私たちは見た目で判断されることが理解を妨げていますが、みんな考えています。小さいときは理想の人生を送ることができると思っていましたが、なかなか思い通りにはいきません。人間として言いたいことを言って生きていきたいと思います。私たちの気持ちをわかっていただきたく思います。よろしくお願いします。
前日の夜は一睡もできなかったという。終わったあと、その理由を聞いたところ、緊張したからではなく、勇気を出すためだったという。また、自分のことを理解してくれていない人もたくさんいることが伝わってきたとも言った。
新しい時代が確実に拓かれようとしている。
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2009年8月10日 16時48分
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4月の終わりに、一人の少年が亡くなった。高校1年生になったばかりだった。何度かこのブログでも紹介してきた少年だ(2009年2月25日、1月8日、2008年10月17日、8月22日、8月6日、6月18日)。愛育養護学校で小学生時代を過ごし、津守真先生をはじめとする先生方によって、心を豊かに育まれて来た少年だった。
その時、彼の死のことをメールでやりとりした同じグループの高校2年○○君がいる。まず、その時の追悼文を紹介したい。
☆☆君へ
綺麗な言葉で希望とか期待する気持ちとか聞いて主(自分のこと)と同じだと思いました。
期待して希望捨てない生き方して叶うことしてきたのに、神(様)の近くに行きたい思ったから神(様)連れて行ったと思います。
死ぬのはいつでもできるのに死なないで世の中の人失礼直して躾しないといけないのに希望言って死ぬのは、滝に打たれて生きていくことから逃れています言いたいけど、修行していつも頑張ったから「お上がりなさい」神(様)言って
頂いたと思います。
死と向き合いながら生きて「ちくしょう」しない生き方して、☆☆君したいけど出来なかったこと主(自分)していつか行きますから待ってて下さい。
聞いていたら「追って行くしないよ世の中の人躾したら行くよ」
さようなら。
お母さんが「あかさたな」と言いながら目などの反応で言葉を読み取っておられるのだが、できるだけ短い言い方をするために、独特の文体になっているが、彼の思いは、ひしひしと伝わってきた。
夏休みになって、○○君とじかにお会いした。そして、亡くなった少年のことを偲ぶ詩を含めて、次のような文章を書いた。
未来が開けていきそうですがなかなかうまくはいきません。危機になりそうです。
聞いてもらいたいことがあります。なぜ自分たちは気持ちを聞いてもらえないのでしょうか。人間として扱われていないような気がします。人間らしく生きたいと思います。理解してくれる人が必要です。敏感な人が少ないので困っています。理解してほしいです。よい方法ですね。理解してくれる人がほしいです。
書きたい詩があります。
小さい願いは願いのままに
小さく空に消えた
未来の夢はなくなって
美はよい昔の魔法のように
日常の中に消えた
天に逝った昔の友は
見たこともないミラクルを知らずに消えた
ぼくたちの的はつらい世の中だ
人間としての危機だということを世の中は知るべきだ
小さいいのちかもしれないが
未来は誰にも等しく開けている
小さく分相応に生きるのはやめて
敏感に頭を研ぎ澄ませ生きていこう
あしたは小さいみんなにも大きく開けているのだから
聞いてくれてありがとう。言いたいことが言えていい気分です。詩を小さいときから作ってきたのでだいぶたまってきました。自分の詩集が作りたいたいです。気持ちが言いたいです。身の回りを見回すとなかなか望み通りにいかないことが多いけど未来を信じて生きたい。自分の体は勇気を必要としていますが新しい時代を切り拓くためには度に出る必要があります。まして敏感な人を探して小さいときからがんばってきましたがなかなかみつかりません。
神様や愛について語り続けた☆☆君と、常に現実に立ち向かおうとする○○君と、タイプは違っていたが、深いところでつながりあっていた。詩の中に登場する「見たこともないミラクル」とは、彼らの言葉が当たり前に理解される時代が来るということだろう。☆☆君には間に合わなかった「ミラクル」の時代の到来を、座して待つのではなく、果敢に戦いながら、ともに切り拓いていきたい。
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2009年8月10日 16時01分
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自主G23区2 |
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高等部2年になったG君は、文章を綴り始めるなり、臓器移植の問題から切り出してきた。
聞いてほしい相談があります。病気の人間の臓器を移植するのはいろいろな考えがあるけど、唯一心配なのは、脳死の子どもでも最後まで意識はあるのではないかということです。みんな悲しいと思う、理解されなくて。自分は脳死ではないけど、人からは理解されていないと言われているから、気持ちがわかります。みんなと考えを話し合いたいです。みんなはどう考えているのでしょうか。知りたいです。
(ここで別のグループで交わされた脳死についての議論を紹介した。)
障害のある人が意志があるのは当たり前のことです。人間だから意志があると思います。
ランニングコスト、あんまり知らない言葉だけどどういう意味ですか。敏感な人にはつらい言葉ですから使わないでくださいと言いたいです。勇気を出して言いたいです。勇気を出して言いたいです。勇気を出して理想を伝えたいです。
このあと、彼は、前回聞き取っていながら、メロディーのメモを紛失してしまった歌について、そのメロディーをもう一度教えてくれた。
G君の臓器移植の話を受けて今年社会人一年目のHさんは、次のように書いた。
小さいときから何もわかっていないと言われてきたのでやめてほしいと思います。見たわけではないのでわかりませんが、迷惑だと感じているひともいると思います。なぜばらばらにされなければならないのでしょうか。私たちは利用だけさるのはいやです。利用されるだけされてわかってもらえないなんてあまりにも悲しすぎます。なぜ世の
中の人たちは理解しようとしないのでしょうか。無理というふうに考えずに可能性に賭けてみるべきだと思います。人間だから言いたいことがあります。人間だからわかってもらいたいです。人間だから信じてもらいたいと思います。
そして、また、彼女も、詩と歌を私たちに聴かせてくれた。彼女は、メロディーは階名で書いた。
すばらしい絵巻が広がった
私の煉獄のような世界に
夢のような光がさしてきた
平和の鳩が羽ばたくように
らっぱの音が鳴り響き
私は楡の花を越え
妖精のように空を舞う
ミレドレファファミミレレドレ
ラドシラソシラソミレドレド
ラシドレドレドミレドミレ
ラシドレドレドミファミレド
ラシドレドレドミファドミレ
ミミドレドファミレミレドレド
願いが叶ってうれしいです。夢を見ているような気持ちです。理解してもらえてうれしいです。私の歌を聴いてく
れてありがとうございます。絵はらっぱと花がいいです。よろしくお願いします。
G君の歌を今回、CDにしてきたのだが、その絵は雪だるまと虹だった。それを見ていたHさんからのリクエストである。
次に訪れたNさんは、わかそよのコンサートの後、一員としてくわわったとびたつ会の話を始めた。簡単な言葉は口から発することはできるものの、内面の思いは、これまでもパソコンを通してしか語られてこなかった。とびたつ会の雄弁な仲間たちに刺激されて、こうしたパソコンで綴られた気持ちを音声で語れるようになればと思うけれど、それは、そんなに簡単なことではないかもしれない。彼女は、思いをひとしきり綴り、そして、詩を一編綴ったあと、最後に臓器移植についてのコメントを述べた。
とびたつ会にはいって楽しいです。私の気持ちを言いたいのですが、なかなか話ができません。みんなは意見を自由に言えるのでうらやましいです。理想は自分で話せることができたらいいのですが、なかなかうまく言えません。口では気持ちはうまくいきません。みんなの勇気が未来を切り開いていくようで、うれしいです。人間として生きたいと思います。夢のようです。瑠璃色の理想の光がさしてきました。理想の瑠璃色の光を、人間として理想を輝かせて生きていきたい。
不思議です、力を入れていないのでどうしてわかるのですか。奇跡のようです。未来が開けてきました。話しながらでもうつことができます。話は勝手に動きますから。大丈夫です。口は勝手に動きます。勇気がほしいです。人間だから分相応の生き方はいやです。います。分相応の生き方をしろというのは学校の先生です。進路指導ではありません。人徳のない先生です。狭間で私たちは苦しんでいます。願いは、人間としてたくましく生きていくことです。勇気がほしいです。
昨日の私にさようなら
逃れられない定めの別れ
春の風は別れを告げて
小さな私に夢をくれる
自分の夢まで飛び立って
未来もこの手に握りしめ
やすらぎの時をつかむとしよう
詩を作っていると気持ちが落ち着きます。暇な時です。人間だから願いがあります。人間だからまっすぐ気持ちを持ちたいです。人間だから言いたいことが言いたいです。気持ちが言いたいです。
(G君やHさんの)言いたいことはよくわかります。人は脳死でも意識はあるかもしれません。障害者の気持ちがわかってもらえないように、脳死の人でも理解されていないかもしれません。気持ちを分かってもらえないのはつらいことです。脳死というのは何ですか。
脳死の議論は、あくまで、脳死とされた状態にある人をどう考えるかという議論であり、そこに、共感を寄せる根拠がある。移植を待つ人のことだって、彼らはまた、私たち以上に共感を寄せられる立場にある。
最近のマスコミの報道に登場する脳死あるいはそれに近い状態とされる子どもたちの姿は、いやおうなく、理解されれない自分たちの状況に重なっくるのだろう。
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2009年7月28日 09時35分
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自主G多摩1 |
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幼いときの交通事故の後遺症でずっと寝たきりの生活を送っているEさんのもとを訪れた。前回お会いしたのが12月だったので、7ヶ月ぶりとなる。その間に、パソコンだけでなく、手を振って音を選んでいく方法も発見したので、今回はそちらで話しかけてみることにした。
姿勢について尋ねるところから始まったが、すぐに新しい方法で会話が始まった。途中、歌の話や、結婚の夢のこと、臓器移植の話といろいろな話題に発展していった。
すわらないほうがいいです。
人間だから気持ちがあるので、聞いてほしいです。手で話せるとは思いませんでした。辛抱してきましたが、やっと願いが叶いました。夢みたいです。夢を見ているような気持ちです。私の気持ちを聞いてもらえるとは、思いませんでした。
(○○○(通所施設)に行って楽しいですか?)
はい
(散歩に行って、うれしいですか?)
はい
(なぜですか?)
季節を感じられるからです。
(―ぴくっと発作になり―意識はありますか?)
聞こえています。力が入っただけです。気持はあまりよくありません。
(発作のあと、笑っているのはなぜですか)
体が楽になるので笑っています。発作は嫌ですが、いつも体がこわばっているので、発作のあとは、楽になります。
人間だから意志があります。お母さんはいつも私のことを人間として扱ってくれますから、大好きです。(
○○○から帰ってうとうとして、食べさせてないことがあるよね)
お母さんも大変だからしかたありません。(食べたいものがありますか)
スープを飲みたい。お母さんが昔よく作ってくれたスープ。ヨーグルトのような雪のような。
(クリームシチュー?)
いいえ
(ヨーグルトにジャム入れて、とろみアップ入れて作っていたね。平成13年頃まで)
お母さんが作ってくれていたのがとても好きでした。素敵な味がしました。願いが叶ってうれしいです。気持ちを聞いてもらってうれしい。
(家族のことをどう思っているの)
感謝しています。お母さんは私のことで私にかかりきりなので、申し訳ないと思っています。願いは、気持ちをいつも言えるようになることです。夢みたいです。(行きたいところがありますか?)
ないです。私を遠くにつれていくことは難しいので、夢をみるだけでいいです。
(福島に行くじゃない。それはどうなの)
福島は近いからいいですが、他の所は行かなくていいです。留守番をしてもいいので、お母さんは行きたいとこがあったら、行ってください。気持ちを聞いてもらえてうれしいです。
(留守番は誰とするの)
ヘルパーさんです。
(今日食べたいものは何ですか。プリン・アイス・ヨーグルト)
ぷ・り・ん
(見たいテレビはありますか。はい・いいえ)
はい。きれいな音楽のかかる番組。クラシック。気持ちが落ち着くから好きです。
(歌を作ってますか)
はい。
(どんな歌ですか)
希望の車いす
希望の車いすが ゆっくりと 私の願いを運んでいく
夢の実をつけた 夢の不思議な木を探しに
夢の世界を駆け巡り
夢の世界の 夢の車いす 私の願いをかなえてほしい
信じられません。私の歌を聞きとってくれる人がいるとは思いませんでした。奇跡のようです。夢みたいです。
(他の人の歌を紹介すると、お母さんンがどこか共通しているとおっしゃったので、冬には希望の北風という言葉がいろいろな人から語られるということを紹介した。)
希望の北風。希望の北風はみんなに嫌われますが、北風は、希望の北風です。北に住む人たちの、苦労を感じ取って、吹いてくるので、希望の北風です。北風の意味がわかるのは、本当の苦しみをわかっている人だけです。雪のような心を夢見ているので、北風がすきです。
夢を見ているような気分です。人間として生きているような気持ちがします。夢みたいです。よい方法ですね。願いがかなってうれしいです。希望が湧いてきました。勇気が出てきました。無理かと思ってきましたが、夢みたいです。気持ちを伝えたかったです。私の気持ちを分かってもらえて、夢をみているようです。
(洋服は何色を着たいですか?どんな服を着たい?)
雪のような白い服をきたいです。雪が大好きですから。雪のような白い心。黄色も好きです。ピンクも好きです。雪のような白い服。
(この前、いわさきちひろ美術館で、白いTシャツを買ってきたね。)
ヘルパーさんがわかってくれました。
(看護師さんでしょ)
看護師さんでした。夢みたいです。黒いのは、あまり好きではありません。特にみんなと違うわけではありませんが、好きなのは白です。黄色も好きです。黄色は希望の色です。病める人にとって、黄色は希望の色です。
(黄色は、太陽・光?)
光です。ひまわりも大好きです。願いをかなえてくれるような花です。ひまわりを眺めていると、心が美しくなります。夢みたいです。夢を見ているような気分です。
(クーラーは好きですか?扇風機は?)
クーラーは、理想的な温度になればいいのですが、ちょうどいい温度にならないので困っています。悔しいのですが、なかなか言えないので困っています。扇風機は風が強すぎると困ります。お母さんがいつも工夫してくれるので、うれしいです。疲れないか心配です。疲れないようにしてください。
蚊が止まっても、たたけないのでつらいです。蚊が止まると、くすぐったいです。
(靴下は、5本指のがいい?)
どっちでもいいです。健康にいいのは、5本指。私にとっては、どちらでもいいです。靴下は履かせやすいのが、いいです。苦しいのは、家の人がのんびりできないことです。私のせいで、みんな苦労してしまって、悔しいです。苦労をかけてしまうので、勇気をもらいたいです。勇気が私には必要です。勇気がなければ、悲しみで私は死んでしまいそうです。勇気がほしいです。私は勇気があるので、生きていくことができます。
見たこともない景色が広がってきました。私の未来が広がってきました。
(福島に居ると、風呂が週に2回くらいだけど、どう?)
かまいません。私は風呂に入らなくても大丈夫です。お母さんが毎日入れてくれるので、うれしいです。お母さんを、もっと大切にしたいと思います。
(暑いけど、湯船に入ったほうがいいの?)
湯船に入ったほうが気持ちいいです。体の力が抜けて、気持ちが落ち着きます。苦労ばかりかけて、すみません。涙が出てきます。夢みたいです。勇気が湧いてきました。よい私になれそうです。
聞いてほしいことがあります。夢でいい人と結婚することができました。夢はいい人と結婚することです。かっこいい人と巡り合いたいです。なかなか巡り合えません。けやきの職員の中にはいません。職員はいい人ばかりで、好きですが、ここでいういい人とは違います。結婚できるかどうかわかりませんが、夢は大切にしたいです。夢みたいです。けやきはとても楽しいです。毎日行けてうれしいです。聞いてもらえてうれしいです。聞いてもらえて、気持ちが落ち着きました。夢を大切にしたい。
どうしてわかるのですか。
(えりなさんはどうやっているのですか?)
聞いていて、ここだと思っています。
臓器移植は反対です。私も脳死と言われそうですから。(昔、医師に遷延性意識障害と言われました。植物人間ということでしょう。)
心臓移植を待っている人のことを考えると辛いです。みんな、言葉があると思いますが、困っていると思います。私は言葉が言えて、幸せです。気持ちを言えずに困っている人がいると思います。理想的なやり方ですが、なかなか伝わらないので残念です。伝えたい人が、たくさんいるから、がんばってください。
(痰をとるとき、痛いの?)
痛い時もありますが、痛くない時もあります。どちらかと言えば、痛くありません。お母さんが丁寧にやってくれるので、たいていは痛くありません。勇気が出てきました。
(お風呂のあと、うつぶせにしているのは、辛くない?)
うつぶせにするのは、辛いです。辛いけど、必要ならしかたないです。とても辛いというわけではありませんので、大丈夫です。勇気が出てきました。痰は痛いけど、しかたありません。苦しいことはたくさんあるけど、私は幸せです。お母さんに大切にしてもらって。
死んでしまうところだった。生きることができて、よかった。死ななくてよかった。(事故の)記憶はありません。話には聞いているので、わかっています。自動車事故ですから、よく助かったと思います。私のことを助けてくれた先生には、感謝しています。私はわからないけど、脳死と言われてもしかたないです。
(お母さんの話:アルファ波が出てきて、脳死とは言われなかった。ベテランの医師は可能性が1割。大腿部の骨折の手術は、無駄みたいな言い方だった。信じていたから、意識が戻った時に骨折が治っている方がいいから、頼んでやってもらった。)
私の事を世の中に伝えたいです。苦しんでいる人が、たくさんいますから。悔しいです。私たちの事が、誤解されている。
私の夢は、みんなと話したいです。よくわかっているということを、わかってほしい。理解してもらえて、うれしいです。私たちの事をわかってほしいです。夢みたいです。不思議ですが、私の言葉です。理解してくれてうれしい。みんなに伝えてあげたい。理解してくれる人を、待ち続けていました。うれしいです。人間だから、言葉で考えています。人間だから、みんな考えています。私たちにも意志があります。理解してもらえてうれしいです。夢をみているような気持ちです。不思議ですが、私の言葉です。
未来がひらけてきました。理解してもらえてうれしい。未来が広がってきました。
(プリン、食べる・食べない?―この辺からお母さんンに手の動きを読むのを代わってもらい、私は目の動きを利用して読み取って、お母さんの読み取りを補った。)
食べる。
(嫌いなのはどっち?冬・夏?)
夏。季節の移ろいが、とても好きなので、よい季節ばかりです。体と心は別々です。
(チャードクレイダーマンを、聴く・聴かない?)
聴く。
(先生にまたすぐ来てほしい?)
すぐに来てほしいけど、悪いから言いにくい。
(ブログにのせてもいい?)
はい。
お母さん、よろしくお願いします。
(生キャラメルを食べた?)
いいえ。生キャラメルではありませんでしたが、おいしかったです。大事にしてもらえて、うれしいです。よい私になりたいです。なかなか気持ちが言えず、悲しいです。目で話せるとは思いませんでした。
(ポテトペーストを食べたい?)
かるいめ。
(お母さんが聞き取れたね!)
お母さん、できてうれしいです。願いでした。夢みたいです。すばらしい方法でした。焦らないでください。ゆっくりいきましょう。
あっという間に2時間が過ぎていた。お母さんの読み取りも何とかうまくいき、今後の展開がとても楽しみだ。そして、どうやら、目の動きの中に選択の意志が読み取れるということがありそうだということも、新しい発見の一つとなった。
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2009年7月23日 12時43分
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家庭訪問 |
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土曜日の午後、盲学校の重複学級を卒業した◇◇さんと、高等部の重複学級に在籍している☆☆さんとある会館の一室でお会いした。卒業した◇◇さんと1年以上お会いしていなかったのだが、久しぶりの再会の場を、先生や別の保護者の方が設定してくださった。そこへ、☆☆さんも合流したわけだ。
◇◇さんは、まず、ヘルパーの方といらっしゃった。部屋には、別の保護者や先生方も数名いらしていたが、みんなが固唾をのんで見守る前で、次のような文章を綴った。( )は、合間に、いろいろな人が◇◇さんに質問したりしたものだ。なお、二人とも原文はひらがなで、句読点は適宜つけた。
かあさんと楽しく暮らしています。いい家族です。にこたまの高島屋に行くことになっていますが、にこたまは遠いのでにこたまでなくてもいいです。にこたまを選んだのはかあさんです。美術館ならどこでもあるからちがうところでいいです。
(トイレは今いいですか?)
トイレはいいです。かあさんが来たら行きます。自分で行けたらいいのですが、残念です。
(してほしいことはありますか?)
サフランの魔法という本を読みたいです。昨日テレビで聞きました。(これだけ文章が書けてもやはり話すのはむずかしいのですか?)
からだが動かなくてやっと歩けるだけなので、話はできません。
(初めスイッチ操作は手でやっていたが、手の力のコントロールに困っていたので、肩でプッシュスイッチを操作する方法にかえた。)
手だけかと思っていたので驚きました。信じられません。不思議です、なぜわかるのですか。(◇◇さんは、どんなふうにしているのですか?)
字を決めていてここだと思っています。
(どんな歌が好きですか?)
好きな歌はみんなを楽しませてくれる歌です。願いをかなえてくれる歌が好きです。(歌を作っていますか?)
作っています。(今、書けますか?)
はい。
願いのもらえる花
願いの花がひらくとき 私は小さな目覚めする
小さな花の実がなると 私の願いが今開く
自由の風は緑の風 吹かれて一人風になる
(この後、手をとって、ドレミファソラシドと聞きながら音を聞き取っていった。)

誕生日はいつもこの歌を歌っています。無理かと思っていました。自分の歌を聞いてもらえるとは思いませんでした。感動しました。うれしいです。悩む時にいつも誰か言葉聞きとってくれないかと思っていました。望みがかなってうれしいです。
初めて、この光景を見た方からは、◇◇さんに、繰り返し驚嘆と賞賛が何度もあびせられた。お母さんは、文章と歌を表現し終えてから到着したが、美術館の意味など、いろいろ説明してくださった。期せずして、それはこれらの文章が彼女自身のものに相違ないことの証ともなった。
◇◇さんが、綴っていくのをずっと傍らで聞いていた☆☆さんは、お母さんの見守る前で、次のような文章を書いた。そして、彼女もまた、歌を作っており、その歌を披露してくれた。
願いがいっぱいあります。なりたいのは美人の女の人です。なりたいのはまことのライオンです。小さいときから夢でした。勇気が出てきました。ライオンは強いから好きです。近代的なやまを作りたいです。小さなときから夢でした。身のほどに合った生き方ではなく、勇気を出して分を越えた根性で生きて生きていきたいです。美人のなり方を教えてください。自分のことは自分でやれたらいいけど、なかなかむずかしいので、迷惑をあまりかけずにがんばりたいです。理解してもらえてうれしいです。不思議ですが、考えただけで字が書けていきます。
(文章を綴りながら歌を歌っているので、どうして両方できるのかと尋ねられて)
はっきりと言えませんが歌は勝手に歌が出てきます。
人間だから考えています。見たこともない未来が広がってきました。感激です。みんなと話したいです。願いはみんなと信じ合って生きていくことです。歌は作っています。はい。
なやみのない国
なやみのない世界と 小さな私
まっすぐ光を求めて 今日まで生きてきた
人間だから私は歌う 人間だから私は願う
光をめざし 美人の私 勇気を出して生きていく

ライオンとは突然のような気がしたが、彼女が好きな歌の中に「ライオンハート」があるそうだ。力強さを持つ彼女ならではの「根性」という言葉も登場した。
◇◇さんと○○さんとの言葉と歌の世界に、みんな魅了されたひとときだった。
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2009年7月21日 08時08分
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その他 |
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20代の女性☆☆さんは、今年の1月から言葉を表現し始めた。そして、5月、次のような文章と詩と、歌を聞かせてくれた。
気持ちを言えたらうれしいです。小さいときからの夢でした。残念なことがありました。小さいときから気持ちが言えたらきっと話ができていたかもしれませんが、なかなか舞台装置がそろうことがなくて、なかなかみんなと話せませんでした。自分の言いたいことが言えたら人生はもっと稔りあるものになっていたことでしょう。人間として生まれて生きてきて誇りある生き方できたらと思うけど、なかなかむずかしいです。小さいころから願っていたことがかなってうれしいけど、小さいころから話せていたならと思わずにはいられない。別に誰が悪いわけでもないけど小さいときから話したかった。自分の気持ちを言いたかったです。作ったことがあります。詩歌は大好きですから。聞いてください。
聞かせてくださいあなたの気持ち
小さくしかたないそんな小さないい声で 自分の愛を伝えたいから
急に知らない願いは 不思議な声で
見たこともない美から生まれた犠牲のような気持ちで
人間としての言いたいことと 小さい昔の歌声と 聞いたことのない希望のいいおじいさんの声とじっとくらしてきたことが
見たこともない未来の希望とともに訪れた
びいどろのような風がふき 願いの冒険を苦難からそっと解き放ち
聞いたこともないようなきれいな風の音を小さく聞きながら
いい自分になるために 澄みわたるきのうの空のように 小さく感じながら
いい時を信じながら 犠牲などけして出すことなく生きていこう
なやみのつきはてない未来かもしれないが歩んでいこう。
(歌なら)作っています
小さい舟が 小さく願う
涙は雪に 消えてゆく
きのうのだれかの病気のような
じみなじまんの舟がゆく。
歌には、「願いの舟」という題名がつけられた。楽譜は以下の通りだ。
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2009年7月18日 10時12分
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研究所 |
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高校1年の少年が、詩を書いた。これは、私が手をとって「あかさたな」と聞きながら書き取ったものだ。以前、まとまった詩を書いたことがある少年だが(2009年2月7日のブログ)、今回は、言葉を連想ゲームのように広げながら、即興的に書いたものだ。
希望の私
夢見ているのは希望の私
夢見ているのは希望の望み
夢見ているのは希望の未来
夢見ているのは私の勇気
私の希望は勇気を求め
私の希望はランプの光
楽しい夢は昨日の希望
楽しい夢は私のいのち
私のいのちは勇気を呼んで
私の希望は昨日の勇気
私の希望はよく忘れ
私の希望は私の苦難
私の希望は私の過去の夢
私の希望は私の未来の夢
よく生きてよく苦難を乗り越えて
私は今日まで生きてきた
私の今日までの苦しみは
私の私らしさのあかし
勇気を出して明日の私に夢を託そう
遠い道かもしれないが
勇気を持って歩きだそう
勇気を持って夢を育てよう
私の私らしさを訓練して
私のあしたを作りだそう
夢をたくさん失わないように
私はあしたに向かって夢を紡ぐ
私の未来の夢のために
私は希望を夢見ながら
夢の未来を予感する
私の夢の希望のために
小さい私を未来に託す
私を希望の未来にワンダーさせる
スイッチではどうしても取っ手をつかもうとして体に力が入ってくる。幸い、手をふる方法では、力はどんどん抜けていき、まるで、眠ってしまうかのようにして、あるいは、夢を見ているかのようにして、この詩は書かれていった。
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2009年7月18日 10時01分
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自主G埼玉1 |
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この4月から学校を卒業して地域の通所施設に通うようになったSさんだが、通所施設の職員の方々は、彼女の言葉の世界の存在をおかあさんから聞いて、何とかそのことを日常の関わりに生かそうとお考えになり、私に研修会で話して欲しいと依頼をなさってきた。
大学の授業でもしっかりと話をしたSさんだから、ここは、彼女に直接話をしてもらおうと考えた。そして、さらに、とびたつ会のTさんにも、話をしていただくことにした。
SさんとTさんは、2年前のわかばとそよ風のハーモニーコンサートのとのミュージカルで、Sさんが作った「野に咲く花のように」という歌を、Tさん自身の気持ちを歌にしたものという想定で演じたことがある。そして、今年は、ともに、同じステージに立った。
Tさんは、眉毛の動きなどでコミュニケーションをとる方だが、昨年の10月、スピードがあがった私の方法で、次のような文章を書いていた。
一人で苦しんできたことを言葉で語りたいと思う。本当の姿を知ってもらいたい。野に咲く花のようにの女の子にも出演してもらいたい。僕の気持ちにはそんな人たちのことがずっと気にかかっています。僕の気持ちしか表現していないので、ほかの人たちの気持ちも表現してもらいたい。過ぎたことを言っても仕方ないけど、未来に向かって僕たちの気持ちを伝えていく必要があると思う。願いはたくさんの人に理解してもらうことです。けっして負けられません。手を使って話せることを世の中の人に伝えたいと思う。理科してくれるまで訴え続けていきたいと思う。苦しみや悲しみを伝えていかなければいけないと思う。理解者を増やしていかなければいけないと思う。きっとわかってくれる人が現れると思うので、頑張りたい。(…)
この方法で話せる人がたくさんいるかもしれないと思うと胸がはりさけそうになる。僕はわかってもらっているからいい。でも、沢山の仲間が苦しんでいます。このことを伝えていかないといけないと思う。僕は負けない。
そして、この思いを受けるようにして、わかそよでは、言葉を秘めていた方々の思いをテーマに、ミュージカルも合唱も進めたのだった。
私から始めに、この方法をめぐる話をさせていただいたあと、二人に、30名を越える方々の前で、パソコンで、話をしていただいた。
まず、Sさんの語りかけから。
新しい可能性というものが小さく広がってきました。自信が出てきました。悩みも消えそうです。生きる希望がわいてきました。人間として認められてうれしいです。きじ住む未来の国が見えてきました。自分はきじが好きです。美のある国にきじといっしょに行きたいです。きじは希望の鳥ですから好きです。気持ちが言いたいと思ってきましたので願いがかなってうれしいです・残念ながら学校では疑問視されてしまいましたが、字の念じるのを読み取れるというのは本当です。人間として生まれて生きてきて願いをかなえたです。自分の人生だから自分らしく生きていきたいと思います・
ついで、Tさんから。
人間だから気持ちがあります。みんな言葉を理解していると思いますが人間として勇敢に生きていきたいと思います。Sさんはずっと言いたいことが言えなくて苦労してきましたがやっときもちを言えてよかった。そんな人がまだたくさんいると思いますのでみなさんよろしくおねがいします。自分は仲間の痛みよくわかりますから希望がわいてきました。敏感に理解してくれる人がひとりでも増えたらうれしいです。小さい時からの夢でした。人間として生きていく。人間としていきていきたいです
他の施設の職員も含めた大勢の聴衆の前で、二人は、思いのたけを述べた。方法としては、決して簡単に本人がやっているようには見えにくいものだが、二人の真剣さは、これらがまさしく彼らの心の奥底からあふれ出たものであることを、如実に語っていた。この後、会場からいくつかの質問が出たが、可能な限り二人に直接答えていただいた。
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2009年7月13日 23時37分
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自主G多摩1 /
青年学級 |
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七夕の願いのことを書いたSさんと、また、ゆっくりとかかわることができた。朝の集いのとき、同じようにしてコミュニケーションをとるK.Fさん、K.Eさん、M,Mさんと4人で輪を作るようにして会話をした。みんな最近になってSさんが語れるようになったことを自分のことのように、喜び、Sさんは、しきりに「ゆうき」とという言葉をつかった。パソコンを青年学級に持ち込んだのはちょうど1年前のこと、こんな光景が繰り広げられられるようになるとは夢にも思わなかった。
コース活動では、Sさんによって1編の詩と一つの歌が書かれた。
勇気を持って未来に向かって歩きだそう
光を持って あしたに向かって歩きだそう
彼方に見える希望に向かって歩きだそう
勇気を出して海に向かって叫んでみよう
未来の理想の未来の僕にわかるように
昔の僕を瑠璃色の海にしずめて
未来の僕を瑠璃色の海からわき上がらせて
よい若者として未来に向かって歩きだそう
よい若者を未来に向かって
若い君たちを論じる前に
もう一度未来に向かって歩ませよう
若いりりしい若者に
若い忘れられない勇気を与えよう
よい若者によい勇気を与えよう
よい若者はよい勇気をもって歩きだす
勇気の道を
ランプが誰にもわかるように照らす
未来は道の向こうに続いている
ずっと未来は続いている
勇気を持って歩きだそう
勇気を願いながら
勇気を持って歩きだそう
笑いながらつらいことを
苦しみの道を問題にもしないで
未来に向かって
理解をしてください
私の願いです
私の体は
勝手に動きます
私の夢をわかってください
夢をわかってくれたなら
私の夢がかないます
夢をわかってくれたなら
私の夢を忘れます
夢のかなったそのときは
みんなを一つに瑠璃色の
私の私らしさを
みんなに夢見る

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2009年7月6日 21時05分
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青年学級 |
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朝1時間目の授業に、O君がやってきた。3時間目の授業にはなんどか参加できたが、早朝からのこの授業には初めてだ。パソコンを通じた彼からの学生へのメッセージは、次のようなものだった。(原文はひらがな)
朝からみなさん早起きですね。人間として認めてもらえるかどうか、理解しているかどうか、眠っているように見えるかどうか、心配です。僕の言いたいことを聞いてください。技術的な問題はあるかもしれませんが、自分たちはみんな気持ちを持って生きています。みんな伝えたいことがいっぱいあります。みんなもう一度生まれ変わったらやりたいことがたくさんあります。人間の権利というものがあるということは盗人にも権利があるということですが、僕たちにはちっとも権利は認められていません。理想は学校で本当の勉強ができるといいなと思いますが、まだ僕たちにはそんな簡単なことが認められていません。理想は、学校で本当の勉強ができるといいなと思います。まだ僕たちには、そんな簡単なことが認められていませんが大学に行きたいと思ってもずっと前から物理的に無理だということがわかってしまいました。人間として日本の中で生きて大変なことですが、僕たちは、自分たちの意見を言って生きていかなくてはいけないということにようやく気づくことができました。わかってくれようがくれまいが自分たちの意見を言わないと何も変わらないということがわかりました。人間として生きていく楽しさだけでなく、苦しさも含めて言いたいことを言っていきたいと思います。
この後、彼は、文字盤で臓器移植問題について語る。記録がないが、彼は、私や病院の主治医と対話を重ねたりしながら、脳死状態と判定された、あるいはそれに近い状態にある障害のある子どもの問題について心を悩ませていて、自分にとっては人ごとではないということをいい、自分としては、もういっぱい苦労してきたから死んでまで苦労したくないから今はドナーにはならないと語った。
この日の2日前、ある関わり合いのグループで、このことを何人かが問題にした。その資料もこの授業では紹介した。
K君(10代男性)(パソコンで:原文はひらがな)
今朝質問を考えました。脳死と死とは同じでしょうか?脳死は死ではないと思います。柴田先生、たとえば僕が脳死と言われたら、臓器移植はしません。つらいことが多かったので移植の手術はしたくありません。
Hさん(10代女性)(筆談で:原文はひらがな) 取り上げていた”脳死”について、K君から意見を聞かれて
脳死は人の死ではありません。人は命がある限り生きているはずだと思います。生きているとは命があるということ。命がある限り、生きているはずだと思います。生きているとは命があるということ。命があるというのは、意志があるということ。意志があるとは意味があるということ。意味があるとは、命が続くということ。命が続く限り、命は意味がある。命の意味がある限り人は生きていけるはずだ。人は命の限り生きていく。生きていくとは命をつなぐこと。命をつなぐとは、意味をつなぐこと。意味をつなぐために意志をつなぎたい。意志をつなぐために意志を伝えたい。意志を伝えるために、みんなとつながりたい。みんなとつながるために私は生きていく。私が生きていくのは命をつなぐため。私が命を伝えたら、命はきっとつながる。命はきっとつなげられる。命はきっとつないでいくはずだから。命は一つしかない。一つだけの命を、一つだけを大切にしたい。一つだけの命はいつまでもつなげていきたい。命はつなげていくもの。命はつながっていくもの。一つだけの命を大切にしたい。大切につなげていきたい。大切につなげるために私は生きていく。私は一人の命として生きていきたい。生きたい、生きたい、生きたい、生きたい、生きたい、生きたい。
関わっていた妻は、Hさんに”脳死になったら臓器移植を望みますか”との質問をした。
移植はしません。しない理由は大切な体だからです。したくないのは、いつも同じ気持ちです。したくない理由は、もう一つあります。なぜなら、私は親から与えられた大切な子だからです。私はこんな体だけど大切に育てられたので、大切に生きていきたいと思います。大切に生きていきたいです。のhしは人の死ではない。脳死は人の命をつないでいる能力が少し弱くなっただけです。少し弱くなっただけで死だとされるのはつらいことです。死は一つの命が消えること。死は人の命をなくすこと。死は人の命の意味を消すこと。死は人の命をつながないこと。死は人の命を断つこと。死は罪です。死ぬことは罪です。死はとても大変な罪です。大変な罪だと思います。死は始めから決めるべきこどではありません。死は定められるものではないと思います。死は定められてはいけないと思います。死は定められるべきではない。死は定められない。死は定めるものではない。死は気になることだけど、死は気にしても仕方がない。死は気にしてもいつかやってくる。死は気にしてもいつかやってきます。死は気になるけど避けられない。死は気になるけど定められた運命。死は気になるけど、気になるものだけど、決められないことです。決められないので仕方がありません。死は逃れられない。死は逃れられない。死はいつかやってくる。死が望まれないのは、命があるから。命があるから。
Nさん(20代女性)(パソコンで)
脳死は人それぞれの姿勢です。死は気遣い、くの苦労しだいで決まってくると考えています。人とは奇跡と初めて気がつくと、好きな奇跡、意味相応に生きるのです。生きていれば奇跡はきっと来て、静かにあかりを照らす。奇跡信じて生きていきたい。人間、くししつつ奇跡に手が
臓器移植法案が衆院を通過した時、とたんに脳死ないし脳死に近いとされる障害のあるお子さんたちが紹介された。青い芝の会の利光さんは、以前から臓器移植法案に反対しながら、この話は障害の重い子どもをすぐに巻き込むことになるとおっしゃっていたが、まさかこんなに早く報道されるとは思ってもみなかった。確かに、1年ほど前、読売ウィークだったかが脳死の子どもたちという特集をした時に不気味さを感じたが、すでに事態はここまで来ていた。私は、いちいち自分の関わっている相手の方の脳波の所見がどうなっているかなど聞くことはない。だが、脳死ないし脳死に近いとされる子どもたちは、私が関わっている人たちと同じ状況にあるように見える。単に可能性に過ぎないが、私には彼らにもまた言葉があるように見えるのだ。
そして、期せずして、当事者たちから意見を聞くことになった。臓器移植を待ちわびる人たちのことを思うと口は重くなってしまうが、少なくとも私は、脳死ないし脳死に近いとして報道される子どもたちの言葉の可能性を感じる以上、脳死の議論を非常に危ういものと感じないわけにはいかない。
なお、ブログで紹介する文章をできるだけ漢字まじりの文章で表すことにした。置き換えのミスもあるので、慎重にやらないといけないが、これは、ある学生さんからの指摘による。これだけの内容を綴る方々は、本当は感じで表現したいのではないかという指摘だった。そのままコピーする手軽さと、ひらがなだけで綴られる文章が、いかにも臨場感を出すのではないかなどと漠然と考えていたが、この学生さんの指摘は大変納得のいくものだった。大変ありがたい指摘だった。漢字の使用の個人的な好みには合わせられていないが、やはり、こうした形で表現されるべきものなのだろう。そして、情報保障という観点からは、ふりがなをふる必要もあるが、これは、単なる手続きの煩雑さの理由だけからご容赦いただきたい。
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2009年7月6日 21時00分
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