ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

»くわしく見る
2008年07月18日(金)
都内のある生活実習所にて
 隔月で通っている都内のある生活実習所にうかがった。前回の訪問と今回の訪問の間に、たいへん大きなできごとがあった。それは、この生活実習所に通っていて、昨年、近くに新しくできた通所施設に移った一人の女性が亡くなったことだ。その女性のことは、5月に紹介したが、彼女がこの施設に通っていた時は、まだ私たちは彼女の言葉を見いだすことはできなかった。彼女が初めて言葉を綴ったのは昨年の12月。全部で3回の言葉のうちの2回の言葉の中に、ここの仲間のことが登場する。2度目のものが、「×××のみんなげんきかな あいたいわ てがみをかきたいです こんどあそびにきてください」であり、3度目は、「らいげつは×××ですか。みんなによろしくつたえてください。わたしはげんきですとつたえてください。またあいたいですとつたえてください。」と綴ったあと、仲間の文章のいくつかを見せたところ、「すてきなことばでしたほんとうに。のぞみをすてないでよかったね わたしたち」と綴っていた。
 朝、最初に関わった◇◇さんは、こう綴った。「とてもかなしいことがありました ○○さんがなくなりました つやのせきにでかけておわかれをしたかったけどできませんでした かなしかったけどかあさんがいきましたのでかわりにせんこうをあげてくれました きになっていることがあるのですが○○さんがかいたことばはどのようなものだったのでしょうか てがみのようなものだったのでしょうか」そこで、◇◇さんに○○さんの言葉を改めて見せたところ、「すてきなことばでした ねがいがかなってしあわせだったのですね しんじてもらえず ○○さんはさびしかったね でもじぶんのきもちがいえてよかったね じぶんのきもちもいえずになくなってしまったら もっとかなしかった」と続いた。
 また、▽▽さんは、「せっかくことばがはなせたのに○○さんはざんねんでした すてきなぶんしょうでした ほんとうにざんねんでたまりません かあさんが○○さんのおそうしきでいただいてきました かあさんからせんせいのことをきいておどろきました ○○さんのことをみていたとはおもわなかったからです ○○さんのことはぜったいにわすれません くやしかったとおもいます みんなになかなかわかってもらえず わたしにはそのきもちがよくわかります とくにりかいしてもらえないつらさはわたしもおなじですから りかいされないくるしさはとてもことばではいいあらわせません」と綴った。
 お二人は、ともに30代半ばの女性。お二人とも、今年になって初めて文章を綴った方々である。10ほど若い○○さんのことを妹のように思っていたことだろう。ともに同じ場所で過ごした日々は、互いの思いを言葉で知ることはなかった。そして、○○さんが別の施設に移って初めて、互いの言葉を交わし合った。容易には、はかりしれない思いがそこにあることだろう。
 そして、同じグループにいた男性▽▽さんは、短いながら、次のように綴った。「せんのかぜになって(の?)うたをききにいきたいとおもっていますのでおかあさんおねがいします」。確かめることはしなかったが、もしかしたら、○○さんへの鎮魂の思いをこめていたのかもしれない。
 すでに○○さんが、逝ってから2ヶ月が過ぎた。しかしみなさん、それぞれに、その死の意味、あるいは生の意味を考え続けてこられてきたのだろう。
 
 また、5月に初めて文章を綴った☆☆さんは、次のように綴った。「おはよう こまっています はやくわたしたちのことばがあることをかあさんにおしえてください。◇◇さんがはなしていることでもかまわないのでなんとかことばがわかることよくもっとつたえましよう。せんせいはなぜ、そんなことやれたのか おかあさんにおしえて」。そして、そこへタイミングよくお母さんがおみえになった。すると「まねしてやってもらう。」と書き、お母さんとともに、自分の名前を書いた。彼女が5月に書いた生まれて最初の文章は、「みなぱそこんがせんぶてでできるようになったときいたけどよかた。すきそうなしがかきたいわ。わたしたちやさしいかぜがいる。せいかつじっしゅうじょにあなたいなきゃいね。ぬくいかぜがふいてきそうです。(彼女の両親は西日本出身で、「ぬくい」は、そちらでよく使う言葉だ)よいきもちにさせてくださいます。くらいきもちをあかるくしてくださいます。ねがいごとはこんなんにまけないきもちをもつことです。のぞみはわかってもらえることです。ごかいされてほんとうにかなしいときがあります。といれがいえないのでくやしいです。にんげんとしてあつかってほしいです。ねがいはにんげんとしてけだかくいきていくことです」というものだった、お母さんには直接渡っていなかったとのこと。お母さんは、ただただ驚いて、彼女をだきしめ、いろいろな言葉をかけ続けた。38歳の彼女が、突然、言葉を綴ったという事実を、一瞬のうちに受け止めるというのは、お母さんにとっても大変なことにちがいなかったが、お二人の姿は喜びに包まれているように見えた。
 彼女は、数年前、私がボランティアとしてパソコンとスイッチをかかえてこの施設に通い始めた時、もっとも障害の重い人のグループにいて、最初にスイッチをたたいて笑顔を見せてくださった人だった。しかし、その反復的で、瞬発的なたたき方は、もっとも初期的な手の使い方であり、それゆえ、言葉から大変遠い方だと決めつけていた。ただ、そういう方とのつきあいこそ私の専門と考えていたので、彼女の存在は私にはとても大きかった。施設の方も、あの☆☆さんが、喜んでスイッチを連打しているということを、関わりとして高く評価してくださったし、そのことで、外部者である私は、受け入れてもらえたと思ってきたのだ。そんな☆☆さんが、深い思いを言葉で語っている。長いこと、言葉がないけれど、音楽が好きと決めつけていた私たちの誤り。償いきれないほどの誤りが、また、ここにもあった。
 また、次の関わりあいは2ヶ月以上先のこと。その間、たくさんの言葉と気持ちをあたためておられらることだろう。
2008年7月18日 23時02分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 通所施設 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/37/
2008年07月13日(日)
ナンセンスな歌と人生のわびしさの歌
 音楽が好きで、毎回の関わり合いには音楽が欠かせない20代半ばの○○さん。関わり合いを始めてしばらくして、アニメのキャラクターの絵を5選択のスイッチにはって、その絵を押すと主題歌が流れるという選択から始まり、しだいに、文字で書いた名前をスイッチに貼っても選べるようになっていった。それが、少しずつ、2スイッチワープロによる50音の選択へと、一歩ずつ進んでいった。音楽については、とてもいい意味でこだわりが強いので、この日はこの歌が気に入っているという歌があると、その歌を集中的に選んだりしてきた。しかし、歌についての言葉を選ぶのがどれだけ自由になっても、なかなか気持ちを表そうとはしなかった。例えば、「ぴーこぽん(?)ききたいです。みずむしのうーたまたきかせてください。さいごはといれいく。」(2005年7月)、「おちゃCDかもんかりたいよえそわあきつ かけてかえうためどれー2005げんきがでるCD!!トイレイク」(2005年11月)のような感じだ。
 そんな彼が、ひと味違う内面を見せてくれたのが、2006年の5月のこと。おとうさんの誕生日の話題から、「あそびにいきましょう ぺんしょん」とおとうさんをねぎらうためにペンションに行こう提案をするということがあった。しかし、2008年3月に「れいぞうこにしらないやさいがある たべてみたい やさいがわるくなったらたいへん めんどうをかけてごめんなさい おかあさんたいへん かんしゃしています」と綴るにいたる。ちょっと不思議な展開ではあるが、母への感謝の思いでしめくくられた。
 そんな○○さんが、土曜日にこんな文章を書いた。

こぶくろのCDをかいたい
おかあさんにおかねをもらいたい
ふだんおかねをつかわないのだからかってにつかいたい
とびきりかいたいのは すすとやかんのうたをわかす
かもんたつおがだいすきなのは なんせんすだからです
すてきなうたもすきです
こぶくろのうたはじんせいのわびしさをかんじさせてくれます
すばらしいです
 
 途中、嘉門達夫のCD(なんと2008年発売のもの、まだ、嘉門達夫はばりばりの現役だった。)をかけてほしいと訴えて、不思議な歌をかけながら、2スイッチワープロを進めていった。CDラジカセなどの再生装置がなかったので、パソコンを使ったため、音楽に完全に2スイッチワープロの読み上げの音声はかき消されてしまった。すると、彼は、しっかりと画面をみすえながら、言葉を綴っていった。
 彼のことを歌が好きということはたやすい。それはまぎれもない事実だ。しかし、嘉門達夫を好み、こぶくろを好む彼は、彼の言葉によれば、「ナンセンスと人生のわびしさ」という対照的なものとしての意味を持つものだった。
 音楽が好き……という言い方は、いつも簡単に使われる表現だ。しかし、その音楽がどのような感受性によって聞かれているかということは、なかなかうかがい知ることができないものだ。
 もしかしたら、最近まで言葉による表現手段を持ち得なかった彼にとって、音楽は、閉ざされた彼の世界を彩る大切なものだったのだろう。一方で、様々な不条理を笑い飛ばしてしまうナンセンスの力を信じ、一方でしみじみと人生のわびしさに思いをはせる彼の音楽の世界は、もっともっと深い奥行きを秘めたものに違いない。
 また一つ、とても個性的な心の世界のあり方を知った。
2008年7月13日 01時58分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G23区1 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/36/
2008年07月12日(土)
イチゴの子の誘惑
 コミュニケーションを閉ざされた心の中に作り上げられた想像上の存在について、多くの方々がいろんなふうに語ってくださる。しかし、そのほとんどが、自分に寄り添い、自分を助けてくれる存在だった。しかし、この日登場した存在は、少し違っていた。
 ○○さんは、現在高校生の女の子だが、この日は、次のような文章をまず綴った。「いちごのこ(イチゴの子)に よくふくらむようこちらにこいといわれても わたしはいこうとはおもわない なぜなら ちいさなときからにくしみをかんじてきたきもちがあるから いつだってすなおなきもちでは いのれない どうすればいいのかわからないけれど ともかくうまくやっていこうとおもっているから いちごのことがっこうでは うまくやっていくつもりです」。この言葉を見る限り、「イチゴの子」は、学校にいる現実の存在であるように思えた。違和感と言えば、○○さんが、誰かのことを否定的に語るということ。もちろん人間だからそういう思いを持つのは当然だが、もっと澄んだ心の世界を持つ○○さんにはちょっと似合わない。
 私たちが「イチゴの子っていったい何?」と不思議そうにしていると、「いちごのことは ×××(就学前に通っていた通園施設)で であったようせいです」と書いてきた。10年前に通っていた通園施設で出会った妖精?と、私たちの頭の中はいっそう疑問符でいっぱいになった。すると、「みえないのにわたしたちにあらわれて ゆうわくをします ×××のときは せまいこころになるようにとよびかけ がっこうではねがいをもたないようによびかけます」と続いた。
 狭い心になるように、願いを持たないようにと誘惑する妖精。一気に謎は解消した、が……。この言葉に隠された思いは、イチゴの子や妖精というメルヘンのような世界とは、ひと味違う。
 これは、閉ざされてきた世界で、自分の心はいじけてしまいそうだった、希望を失いそうだった、だけど、私はいつも広い心を持とう、いつも願いを持ち続けようとがんばってきたという、切実な思いを表現してきたものだと言えるだろう。そして、今でもそのイチゴの子の誘惑は続いているのだ、願いなんて持つなと。私たちは○○さんをイチゴの子の誘惑に屈服させることがあってはならない。
 
2008年7月12日 08時22分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩1 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/35/
2008年07月07日(月)
青年学級7月6日のできごとその2
 活動の後、多くの仲間たちは、場所を「トマトハウス」という喫茶店に移して、お茶を飲んだり歌を歌ったりする。喫茶店はお休みだが、場所だけを借りているのだ。
 そこに、来ていたKさんにも、パソコンを出してみることにした。Kさんは、かつて、作文などもたくみに綴っていた方だが、進行性の障害のために、10年くらい前から、歩くことも、話すこともできなくなり、認識の面でも障害が進行したと考えられてきた方だ。お母さんをALSで亡くし、最近お父さんも亡くなられた。現在は町田市内の施設で暮らす。毎回、スタッフがボランティアで送迎をしてきた。
 最初に、すぐに綴った言葉。

これ かいたい
いくらするの

 横にいた送迎をした女性スタッフに対して

とてもていねいでかんしゃしています

 さらに気持ちが綴られていった。

じぶんでかけてうれしい
いままでつまらなかった
しゃべることができなくなって りかいしてもらえなくなってなきたいきもちでした
きもちがきんじられてこまっていました
おかあさんがなくなったときも おとうさんがなくなったときも はなしができなくて すさみ もらいなきさえできませんでした
せっかくことばがはなせるのだから しっかりいいたいことをいっていきたいです
ちいさいときからくよくよしてきたので ここでげんきなじぶんにうまれかわりたいです
でもなかなかうまくいかないかもしれないので ずっとおうえんしてください
それからよかったらこのすいっちをゆずってください
ゆめをみているようなきもちです
きもちをかけるとはおもいませんでした
げんじつではかんがえられませんでした
うきうきします
すてき
さけびだしたいきもちをおさえるのでせいいっぱいです

 さらに、文章は、あるすさまじさを帯びてくる。

ぬいぐるみのじんせいにおわかれです
しぬまでいまのままだとおもってきたから ぬいぐるみのじんせいにかわって となりのととろのようによろこびをかんじながらいきていきたいです
このぬいぐるみのじんせいは できないことがいっぱいですが もうおわかれです
けうなればこそ くなんのじんせいですが いきていくいみがあるとおもいます
とりかえしのつかないおもいがありますが ねらいどおりのこころでがんばりたいとおもいます
けっしてあきらめずに ねがいどおりのじんせいをいきていきたいとおもいます

 施設に戻る時間が近づいていた。そして、最後にこう書いた。

またやりたいです

 40歳を越えた彼女と、これから、失われた時間を取り戻しながら、関わりを続けていかなければと思う。
2008年7月7日 08時30分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/34/
青年学級7月6日のできごとその1
 町田市障がい者青年学級での、起こったできごとから。
 Mさんは、20代後半の男性で、学級ではいちばん障害が重いとされる人だ。学級に来るようになって5年ほどになるだろうか。最初は、まったくコミュニケーションがとれず、食事も口にしてもらえなかった。それが、少しずつ、こちらの言葉かけに答えてくるようになり、今は、食事も、食べてもらえるようになった。しかし、いったい、どんな心の世界が広がっているのか、未知数のまま、関わりは進んでいた。その彼に、昼食後、2スイッチワープロを出してみた。あまりにも遅すぎる挑戦だった。彼は、すぐにすらすらと文章を綴り始めた。
 まず、始めに綴った言葉。

すてきなすいっちですね
くふうしていますね
これならできそうてす
うれしいです

 彼がパソコンに綴るのを見て、感激した二人の女性に対して、何か一言書いてと言ったら

かわいい
あかるい

とそれぞれに返ってきた。
 そして、彼の子ども時代から学童のグループなどで関わってきた先輩の学級生の女性(このときも、ずっと横で彼のことを見守っていた)に対して、

これまでいろいろありがとう

と綴った。
 午後の活動が始まると、コースの仲間へこう伝えた。

いつもいっしょにかつどうしてくれてありがとう
すてきなうたがたくさんできましたね
くるしいきもちのかしはつらいけど うちかっていきましょう
すてきなかしですね
それぞれのみちをつくったときはやすんでいてざんねんでした
ことしはどんなかんじのうたをつくりますか
めのまえのくるしみだけでなくのぞみがわくようなうたがつくりたいです。

 午前中の活動で、昨年度、2つのコースで作った歌「フォゲットダンス」と「それぞれの道」という歌を繰り返し歌っていたことを受けたものだ。学級ではめずらしく、この2曲は、みんなのつらい思いを歌にしたものだったので出てきた言葉である。
 活動に参加しながら、パソコンで言葉を綴り続けた彼は、さらにこう語った。

ふしぎです
なぜかきもちがことばになっていきます
かのうせいはあるとはおもいませんでした
のぞんでもだめだとおもっていました
うたがうたえたらいいなとおもってきました
どうしたらうたえるか かんがえてきました
のぞんでもなかなかかないませんでした

 そして、みんながメロディータウンという歌を歌い始めると、彼も、パソコンで歌うように、歌詞を綴っていった。歌のスピードにはついていけないが、歌い終わるまでに一番の歌詞を綴ることができた。

ながれるめろでいにゆめをのせて
いまわたしがかなでるわたしのうた

 そして、また、活動に平行しながら気持ちが綴られる。

わかっていたけどことばではなせるとはおもいせんでした
ほんとうにかんどうしています
のぞみがかなってうれしいです
すばらしいですてがつかえるとはおもいませんでした
のぞみでした
ねがいをかなえられてしあわせです
うれしいです

 「私のことはどう思いますか」と問いかけた若い女子学生のスタッフには、こんな言葉を綴った。

かわいいです
ひろいこころのもちぬしですね
けっこんしてください
でもよわいときにはたすけてあげましょう
おとこだからつよくないといけません
でもぼくにはちからがないからだめですね
めいわくをかけてしまいますね
すみませんぼくのかってなきもちだけをいってしまって
もうやめます
ねがいはふたりでどこかにでかけることです
ごめんなさい
だれでもいいです

 そして、歌う歌のリクエストが始まると、

ともだちのうた 
わたしのくるまいすおしてくれる
ともだちといっしょに
まちにでたいのところがすきです

 以前から、彼は、この歌を好んでいた。
 そこへ、他のコースが、七夕の短冊をもって、みんなも願い事を書いてほしいと入ってきた。彼も、願い事を書くことにした。
 願い事は、
 
すなおなひとになりたいとおもいます

 そしてさらにこう続ける。

ねがいごとがかけてかんげきしています
じぶんのことばでかけたのははじめてです
いいです じぶんできもちをあらわすことができて
うれしいです

 活動は、もう終わりの時間が近づいていた。

きいてくれてありがとうございます
うたのかしをかんがえてくるのでよろしくおねがいします

 帰りの集いで、今日のこのMさんの快挙についてみんなに報告した。誰もが、このことを喜んでくれた。この場所には、疑いのまなざしを向ける人は一人もいなかった。誰もが、心から、彼の喜びを共有していた。
2008年7月7日 08時19分 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/33/
2008年07月04日(金)
みんながはなせておたがいによろこびをわかちあうという夢
 5月に「ながいねんげつだった」と書いた34歳の男性のもとを再び訪れた。27年の関わり合いの時間があって、突然文字を綴った男性のことだ。今日は、800字を越える長文となった。
 言葉が使えることの喜びを繰り返し述べながら、「もしいっしょうはなすことができなかったらほんとうにどうなっていただろう」というような重い言葉も綴られる。そして、「×××(彼が入所している施設)のおともだちにもおしえてあげてほしいとおもう みんなもおなじようにかんがえているのにはなせずにいるのではなせるようにしてあげたいとおもう やっとやみからかいほうされたのだからみんなにもよろこびをわけてあげたいとおもう」と、まだ言葉を発せずにいる仲間のことに話が広がっていき、「×××にはよわいひとたちがたくさんいます つらいきもちでまいにちをすごしています ゆめは×××でみんながはなせて みんながおたがいによろこびをわかちあうことです」と夢を語った。素直に彼の気持ちになってみる時、明日にでもかなう夢のように思える。それは、誰もが願うこと、誰もが一度は願ってあきらめてきたことだ。彼が綴っていく文字を追いながら、本当にすぐにでもそんな日がくればいいと思いつつ、しかし、また、いくつかの越えなければならないハードルにも思いが及んだ。彼が閉じこめられていた「やみ」のことに本気で思いをはせるなら、彼の夢の切実さがいちだんと増してくる。ハードルのことなど考えている自分のなんと情けないことか。なすべきこと、進むべき道は、あまりもはっきりと見えているのに。
 彼は、さらに、「てをつかえたらみんなにことばでふまんをいおうとおもってきたけど やっとはなせたのだから ふまんをいうのはもったいないとおもう このことをみんなにつたえるのがさきで のぞみはひとりでもおおくのひとにはなせるようになってほしい ひとりでもおおくのひとによろこびをことばであらわしてほしい せいいっぱいいきていることをことばでつたえたいとおもう」、「よろこびでむねがいっぱいです よろこびでうまれてきてからきょうまでのくるしみがきえました よろこびでむかしのことをみんなゆるすことができます すばらしいはなすことは」と綴った。彼にとって苦しかった日々は、彼の心をけっして狭くしたのではなく、広い大きな心にしていたこともわかる。
 そしてさらに、「ふしぎです どうしてわかってもらえたのか どうしてだれもわかってくれなかったのにしばたせんせいはわかったのですか」と問われた。27年に及ぶつきあいの中で、わからなかったという事実や、私たち以外の多くの大人たちとの関わりの中でも話せる手段が与えられる可能性をほとんど誰からも見いだすことができなかったという事実があったにもかかわらず、なぜ今、柴田が突然? という疑問は当然のことだと思う。何か、もう胸がつまってこの問にはうまく答えることができなかった。
 最後は、「またあいたいです」と結ばれた。悔やんでも悔やんでもつきることのない過去の時間だが、これからまだまだ先に広がる未来を見つめようという彼からのメッセージと受け止めた。
2008年7月4日 21時45分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| 家庭訪問 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/32/
2008年07月02日(水)
小児科病棟にてその3
 ベッドに横になっている中学生の○○さんの手を、包みこむようにして下から支える。そして、私自身が手を動かしてスイッチを押しては離すということを繰り返す。そのスイッチの先にあるパソコンには2スイッチワープロが起動されているわけだが、彼女が選びたい行がくると、じわっと手に力がこもり口元にかすかな合図が浮かぶ。そして、その時、彼女の健康管理のために常時つけられている心拍計の値がさがることを確認する。この微細なプロセスを私が手、お母さんが口元、担任の先生が心拍数というように、3人がかりで繰り返しながら、珠玉の文が綴られた。
 ふしぎだ
 ひがさっとまどからさすみたい
 すくっていただいた
 「日がさっと窓から射すみたい」という詩的な表現は、ぎりぎりの限られた文字数の中で表しうることを凝縮した、輝くような言葉だ。一文字ずつ、息をのむような中で文字が選ばれる中で、この文が生まれてくる緊張の時を、どのように伝えたらよいのかわからない。
 「すくっていただいた」という言葉には、ただただ襟を正すしかない。それが私に向けられたものであるとするならば、私はそのような言葉に値する人間ではないということははっきりしたことだ。しかし、表現できるあふれんばかりの喜びをこう言葉に表すことで、彼女は、一人の凛とした人格をもつ人間としてとして、私たちの前に、堂々と存在している。
 担任の先生は、こう綴り終えた彼女の頬を両手ではさみ、何度も何度もすごいすごいとほめておられた。そのことがまた、私には新たな感動を呼んだ。
 隣のベッドの小2の▽▽君は、今日は、呼吸器の周りの処置に関する意見を述べた。「こそおそつけすぎないでくびみずがつめた」という言葉だったが、これをその場で読んだ主治医の先生は、さっそく、彼に様々なことをおたずねになった。そして、「こそおそ」はコットンのことがうまく書けなかったらしいこと、呼吸器を装着する際の布のベルトのしめ方をどうにかしてほしいことなど、的確に聞き出されていた。生まれた時から彼を大切に守ってきた先生は、こうした彼の言葉を、けっして軽く扱うことはない。まるで、成人の患者からの言葉のように、正面から受け止め、はっきりしないところは、何度も問いただして、彼にとって、楽な方法を探し続けていらっしゃる。彼もまた、先生との長い信頼関係を背景に、自分の言いたいことを口を動かす合図だけで、懸命に伝えていく。今回は、こうしたやりとりに終始した。
 ところで、中学生の○○さんと小学2年生の▽▽君は、ともに、ベッドを離れることがむずかしいので、わずか1メートルあまりの距離にいながら、手を触れあうこともない。しかし、同室になってもうじき1年になり、24時間同じ部屋で過ごしている二人には独特の絆が生まれつつあるような気がする。
 関わり合いは、まず、○○さんがやって、一休みし、▽▽君がやって、もう一度、○○さんがやるというような順番になっているのだが、お互い、どんな文章を綴っているのかということに、聞き耳を立てている様子がよく伝わってくる。○○さんの詩的なすばらしい言葉を▽▽君に伝えると、耳を澄まして一生懸命に聞いていた。○○さんの心の声は、▽▽君のしっかりと届いたにちがいない。文字を綴ることから言えば、▽▽君の方が先輩。○○さんの言葉がようやく文章になり始めたことを、心から喜んでくれているはずだ。
 
2008年7月2日 06時23分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 小児科病棟 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/31/
2008年07月01日(火)
代数の世界そして大人の世界
 日曜日のある研究施設でのできごとだ。
 ☆☆さんが、やってきて、学習室に入る前に、手前の大きな部屋で、数の学習をしている弱視でろうの女性の学習をしばらく見学した。位取りの学習で実際のお金を使ってやっていた学習を見ながら、☆☆さんは、自由に操作できないけど目で見たりいっぱい言葉で説明を受けながら勉強するんだけど、この方は、見えにくいし言葉も聞こえないので、実際に操作しながら納得していくというようなことを説明した。その後、パソコンに向かうと、こう綴った。「てでなかなかできなくても かんがえさえすればわたしにもできます。わたしはわかりやすいやりかたをおしえられてこなかったけどじぶんでかんがえてわかるようになりました。」ていねいに進められる学習を見た率直な感想だ。「のぞみはむずかしいすうがくのべんきょうをやることです。けいさんのべんきょうもやりたいけどなかなかじかんがないのでできません。かんたんなけいさんはできますがべんきょうをさせてもらえないのでむずかしいけいさんはできません。」と、現状を述べる文章を続けた。そして、「えっくすというのはどういういみですか。とてむずかしくてわかりません。おしえてください。えっくすというのはよくでてくるのでぎもんにかんじていました。」と本日の課題が書かれた。
 いきなり代数が出てきたので、一瞬ひるんだが、説明を始めることにした。いちばん簡単なxの例は、3+□=7 3×□=6 というような問題がある時、この□がxに変わったもので、x=4 x=2 というようになるということをまず説明。しかし、それだけだったらわざわざxを使う必要はなく、xを使うのは、具体的な数の世界から、関係だけを取り出すということと説明して、次のような例を出した。たくさん人が一列に並んでいて、3人後ろの人に花をあげるというようなルールがある時、花をあげる人をx番目の人とすると、花をもらう人は、x+3番目になる。花をもらう人をy番目とすると、y=x+3 というふうに表すことができて、これは、具体的に何番目の人かという話をはなれて、ルールの関係だけを表したものになると説明した。そして、関係を表す例は、こういうたし算の例よりも、日常生活の中では、この間、問題にした割合などの方が多くて、例えば、消費税や食塩水の濃度などがあると説明して、y=0.05×x y=0.1×x (10%とすると)という式を挙げた。
 さらに、具体的な数の値からはなれて関係だけを表す代数の世界では、+、−は残るけど、×と÷は使わないこと、×は省略するだけだからいいけど、÷は、なんと分数で表されることを説明した。 もちろんゆっくりとスケッチブックにいろいろ書きながら説明をしていったが、終始、集中し、時折納得した笑顔を見せる。
 小5で代数はいかにも早すぎるが、系統的に時間をかけて学ぶ機会を持っていない彼女にとっては、疑問を持ったところで、答えていくことが必要だ。教える側の力が問われるところで、こうした説明は冷や汗ものだが、お互いに、数の世界がしだいに発展していくおもしろさを感じながら、進めていければと思いながら、説明を続けた。
 「えっくすについてかんたんにおしえてくださってとてもうれしかっです。こんどはもっとむずかしいことがしりたいです。」と感想がかえってきた。そして、さらに言葉は続く。「がっこうではなかなかおしえてもらえないのでざんねんです。なぜがっこうではさんすうのじかんがないのでしょうか。」私も、このことについては、なすすべがない。彼女は、けっして自分を、ただ不満だけを言いつのる存在ではありたくないと誇りを持って語る。「よくないことかもしれないけれどうらめしくおもってしまいます。」「すなおになれたらうれしいです。」というように。代数の世界を問う彼女には、すでに大人の社会のことはよく見えている。本当は、私にだけ語った不満のはずだ。お母さんの目には、学校にも、毎日楽しく通っているように映るとのこと。思いを胸にしまって、前をしっかり見つめて、彼女は、今日もがんばっていることだろう。
2008年7月1日 07時29分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 研究所 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/30/
2008年06月28日(土)
気持ちを表すこと、そして行動の意味
 言葉で気持ちを表現することを巡って、今日も、たくさんのことを考えさせられた。
 高校生の○○さんは、「じのひょうげんのほうほうをおしえてもらってくのうのひびがよろこびのひびにかわりました」と綴ったあと、「すなおなじぶんになりたいとおもい がんばっていても なかなかみとめてもらえず だれかわかってくれるひとがほしいです」と思うように進まない理解にもどかしさを感じる気持ちを表した。彼女は、半年前の最初の出会いの日、「うれしいきもちです もうだめかとあきらめかけていたけれどきぼうがでてきました なぜわかってくださったのですか」と綴った方だ。そして「りかいがむずかしいのはなぜですかおしえてください」と私は問いを投げかけられた。答えに窮した私は、誤解されやすいからと説明をしたあと、率直に、手の運動やイエスとノーの答え方について、聞いてみた。すると、かりかりと頻繁に動く指の動きは、「かってにうごく」ということで、指をさかんに口にもっていく理由は「うごきをとめたいから」と明確な答えが返ってきた。そして、はいといいえについては、「めでうったえています なかなかうまくいきません」とのこと。「からだがうごかなくてもいろいろかんがえていてかんじています にんげんですから」と付け加えた。彼女のもつハンディの意味はなかなか理解されにくい。それが、いっそう彼女の理解を妨げているようだ。しかし、さらに、「でもわかってもらえてよかったです まだじかんがかかることはわかりました ねがっていればいつかかなうとしんじていきたいとおもいます」と結ばれた。
 中学生の◇◇さんは、「てではなせてとてもかんげきしています ちいさいときからくだされたうんめいをどうしようもないとあきらめていましたが ねがいがかなってとてもくしんしてきたかいがありました」とどきっとするような言葉を綴ったあと、お父さんへの感謝の気持ちを綴り、「ふだんことばにできないのでやっといえました」とつけくわえた。そして、現在の心境として、「だれもわかってくれなかったからかなしかったけどいまはわかってもらえてごきげんです」と素直な思いを表した。
 また、高校生の☆☆さんは、「りかいしていることがなかなかつたわらなくてこまっています」ともどかしさを表したあと、「ほんとうのきもちをわかってほしいほんとうのこころをわかってほしいゆめはきもちをみんなにわかってもらうことです」と綴った。○○さんと重なる思いである。ところで、☆☆さんは、文字を綴っている間に、何度か、パソコンのキーボードに手を伸ばした。残念ながら、彼女の現在の手の動きでは、キーを一つずつ区別して押すことはむずかしい。そして、大変申し訳ないことに、デリケートな機械だということで、その彼女の手を制してしまう。そこで、改めて、パソコンに手を伸ばした理由を尋ねてみた。そこで返ってきた答えは、「てがのびるのはぱそこんをやってみたいからです れんしゅうすればできるとおもっているから ぱそこんかってほしくてたまりません」であった。あまりにも当たり前のこの答えを、しかし、私は予想できなかった。○○さんのように、意図に反した動きではないかと思っていたからである。そこにパソコンがあれば誰だって手を伸ばしたいと思うはず。その当たり前のことさえ、見誤ってしまうほどに、私たちは、彼女たちのことをほんとうは理解できていないのである。
 一つ一つの行動の意味も、また改めて私たちは問い直されているようだ。
2008年6月28日 23時53分 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩3 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/29/
母への思い、友への思い。
 金曜日の関わりあいでのできごとから。
 兄弟で関わっているお二人の男の子のうちの中学生の兄さんの方が母へ、次のような言葉を綴った。「にほんそばのおいしいみせをさがしていますが なかなかみつかりません。ねがいは おかあさんにおいしいそばをたべてもらうことです。くるしいときもかなしいときも いつもぼくたちのおせわでたいへんだから たのしんでもらいたいとおもいます。てがうまくつかうことができたら おかあさんにいろいろやってあげたいとおもうけど どうしてもうまくいかないのでかなしい。のぞみをかなえてもらえるとしたら おかあさんによゆうのあるせいかつをしてもらいたいし もっとたのしいことをいっぱいみつけてほしい。」中学になった兄さんの、母への思いは、深い。「おそば」というのはほほえましい感じだったけれど、それに続く言葉は、切実なものだった。母から兄弟へ向けられた深い思いと、それに劣らない兄さんから母へ向けられた思い。ただ感動させられるのみだった。
 そして、さらに、兄さんは、「めをつぶるとよくみえるさんたのようなともだち」についても語った。そのともだちは「すてきなともだち」で「げんきなこどもにはみえません。ともだちにあえるのはともだちがみえるときだけです。」と説明をしてくれた。長い間、言葉によるコミュニケーションが閉ざされてきた子どもたちが、口々に語る想像上の友だち。「みえるとき」は限られているということのようで、想像上だからといって、いつでもあらわれるわけではないようだ。不思議なリアリティをもった存在のようだ。
 高等部の○○君は、学校でのパソコンのことを綴った。最近、少しずつ、学校でパソコンを使い始めたということで、まだワープロはやっていないとのことだが、「すいっちがうまくできたら××××せんせいのじかんにできるかな。」とまず綴った。ワープロのスイッチの援助にはこつがいるので、そこをうまくクリアできたら、学校でもできるということだろう。ところで、学校には、みんなの仲間で亡くなってしまった◇◇◇さんのご両親が学校に寄贈したノートパソコンがある。10歳で亡くなる半年前から突然パソコンで語り始めた◇◇◇さんの思いを伝えていくためだ。○○君が使っているのは、まだ確かめていないが、もしかしたら、そのパソコンかもしれないとのこと。「◇◇◇さんものーとぱそこんおくってくれたのだからぼくねばりづよくがんばりたいとおもいます。」短い言葉だが、亡くなった友の思いを受け継いで、がんばらなければという熱い思いが伝わってきた。もう亡くなって3年あまりになるが、みんなの心の中に、◇◇◇さんは確実に生きている。
2008年6月28日 01時13分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩1 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/28/
2008年06月24日(火)
自分との戦いと「くるしさからかいほうされたとき」:二人の少年の思い
 火曜日、二人の小学2年生の少年と会った。
 パソコンでの関わり合いが3度目になる◇◇君は、まず、「きてくれてありがとうすいっちがじぶんでやれるようになりたい」と手をしっかり支えられた状態で、2スイッチワープロとスライドスイッチを使用してすばやく綴った。彼にとっては、独力で文章を綴ることが自分で作った目標になっている。もう少し、この状態で気持ちを聞いておけばと思ったのは後の祭りで、彼の気迫に押されて、思わず、一人でやれる状況にした。今日用意した2つのプッシュスイッチは比較的よかったのだが、タイミングよく頷いたりするので、オートスキャン方式の1スイッチのワープロを見せてみたところ、俄然こちらが気に入った。残念ながら、スイッチ操作がまだうまくいかないので、なかなか単語を作るのもむずかしい。ちょっと手首を介助すればずいぶんと改善されるはずであることはわかるのだが、誇り高い彼は、そうした援助をきっぱりと拒否する。それは、幼い雰囲気をその表情に漂わせながらも、自分と勝負しているたくましい姿だ。「はいーといいえ」が明確に表現できる彼には、日常生活におけるコミュニケーションは、かなり円滑に進めることができるので、さしあたり、パソコンで何かを表現することよりも、一人で成し遂げることの方が、圧倒的に重要なのだ。今は、ただ、彼の誇り高い戦いを応援し続けることが、大切なのだと思った。
 昨日、大学の授業に二人の障害者がゲストで見えた。彼らは戦う障害者だが、私には、もっと大人になって、たくましく自己を主張していける彼の姿が、彼らの姿に重なった。
 パソコンでの関わり合いが2度目になる○○君からは、いきなり「くるしかったけどはなせることができてきもちがらくになりました。」という文章が出てきた。前回「ねがってきたきもちをつたえること うれしい ずっとまってきた」という思いと符合する。そして、悲しそうな表情をしながら次の言葉を綴った。「くるしいのはよくめがみえないことです。」4歳までは見えていたという。短い時間だったろうが、目でたくさんのものをとらえてきたにちがいない。その目が光を奪われた。
 助詞の「は」の使用や促音の使用など、見えなければ、学べないものも彼はしっかり理解しているようだ。そこで、どうやって覚えたのと尋ねてみた。すると、「かあさんがえほんでおしえてくれた。ちいさいもじのえほんがべんきょうになりました。」という答えが返ってきた。
 そこで、おかあさんにメッセージがあればと促したところ、「かあさんいつもありがとう。いつかしあわせにしてあげよう。ほんとうにかんしゃしています。」と綴られた。
 さらに、彼の言葉はこう続く。「さみしいときにいつもおもいだしていますくるしさからかいほうされたときのこと。くるしさのみのじんせいはいやです。」「くるしさからかいほうされたとき」とは、初めて文字が綴れた時のことを指しているのだろうか。その時を思い出している彼を想像すると、私もまた胸がしめつけられた。
2008年6月24日 23時40分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 家庭訪問 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/27/
関わりあいの見直し:青年学級にて
 障害が重いとされ、一見私たちの言葉を解さないように見える人との関わりにおいて、そういう人が実は豊かな言葉の世界を持っているかもしれないと考えて関わるようになったと、私はあちこちで公言してきた。そして、それは、私が参加している障害者青年学級でも例外であってはならない。しかし、これまでそのことを実践してこなかった方が一人、青年学級にいる。
 新しい年度が始まって、久しぶりに彼と再会した。これまでの、本気で語りかけることをしなかった関わり合いを改めなければと、会った瞬間に思った。
 彼は歩いて移動できるが車いすにのってやってくる。ほんとんど目が合わないため、意識しなければ語りかけのタイミングをつかむことがむずかしい。好きな物をいつも手に握りしめていて、部屋の中を歩いて、好きな物を、時には人の鞄の中からでも探し出す。まったく自分のペースで動いているように見えるので、それが、問題と感じられることも少なくない。実際、何度、彼の後を追い回って、その行動を制止してきたことだろう。
 「今日はティッシュにこだわりがある」とのご家族の言葉通り、手にはウェットティッシュと香りのよい除光液(?)のびんが握りしめられていた。
 朝の集いは、元気のよいマイクを使った司会者の声と大音量のギターやピアノの伴奏でみちあふれている。彼は、そんな時、よく不快そうな声をだし、腕をかんだりする。ギターの音は私の立てる音だが、ギターをかき鳴らしながらちらちら彼の方に目をやると、この日も、彼は不快そうな声を出していた。
 集いの後、今年度のコースを選ぶ時間があったが、その時間、床に座り込んでいる彼に、ずっと語りかけた。目立った反応があるわけではなく、これまでなら、途中であきらめていたところだが、語り続けた。そうしていると少しずつでもいつもとは違う間が生まれてきたような気がした。
 おもむろに、彼が自分の車いすの背もたれにかけた荷物をあけようとする。目的は、たぶんウェットティッシュ。これまでは、止めようとしてすったもんだして、結局負けてしまっていたが、今日は、一緒にチャックを開けてウェットティッシュを取り出した。いきなりわしづかみしそうになった彼に、一枚ずつとれるようにしたら、なんと、ていねいに3枚ほど取り出して、やめた。そしてその後もよく見ていると、ティッシュで手を拭いているようにも見えた。実際、香りのよい除光液は手につくとべたべたする。彼はただ手をきれいにしたかっただけなのかもしれない。はたしてこれを「こだわり」と見てきたのは正しかったのだろうか、そんな疑問がふとよぎる。
 コースに分かれてからも、彼に寄り添い続けたが、うつむきがちになるので、後ろから膝に抱えるようにすると背中を私にぴったり押しつけて穏やかにすわって、仲間を見渡した。ちょうど自己紹介のタイミングで、私が彼の名前と通っているところを紹介したが、彼の体はみんなに向かって開かれているように感じられた。
 別の方のトイレのために彼のもとを離れるとき、入り口で振り返ると彼の視線がこちらに注がれていて、どきっとするというようなこともあった。
 そんなふうに静かに流れた午前中の時間のあと、お昼ご飯の時、彼は、怒り出して、どうしようもなくなってしまった。せっかくうまくいっていたのにと、めげそうになったところで、仲間の女性が彼のコップにすっとコーラを注いだ。すると、それまでとはうって変わったような穏やかさでコーラを飲み干した。おいしい飲み物がほしかったことと、その差し出し方の自然さとが彼の心を和らげたのだろう。青年学級では、こういうことがよく起こる。本当の意味での対等ということが、私たちにはまだまだできていないようだ。
 午後、ひとときトイレで二人になった。3月でやめた所長さんのことや、お母さんの病気のことなどを語りかけると、彼は、低いうなり声をあげた。やはり話が通じているのかもと、思った瞬間だった。そして、トイレも彼自身のペースですませることができた。
 午後の活動の後半は歌をたくさん歌ったので、ギター担当の私は彼のそばを離れたが、歌っている間中、彼は穏やかに仲間の中に座っていた。
 そして帰りの集い、朝、あれほど不快そうにしていた彼が、がんがんとスピーカーから歌声や伴奏の音が鳴り響いていても、穏やかに車いすに座り続けていた。
 降り出した雨の中を迎えに来られたお父さんと交代して、彼と別れた。私は強く、また、次の学級日に会いたいと思えた。これが、彼との新しい始まりの一日になれば、と心から祈る。
 
 

 
 
2008年6月24日 22時33分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/26/
2008年06月22日(日)
土曜日の学習会から
 土曜日の学習会、また、いろいろな発見があった。
 ○○君は、もう、ずいぶん長いことこの会で学習を続けてきた少年。見ることにハンディがあるのか、ちらっとでも見ることができる時には、それなりの弁別をすることができるのだが、その回数が少なく、なかなか先に進めないということで、足踏みのような学習を続けてきた彼に、徐々に2スイッチワープロのソフトを導入してきて、先月、初めて自分から単語を綴ることができた(使ったスイッチは二つのプッシュスイッチである)。その言葉は「うれしい いきたいそと」というものだったが、それに続けて1週前の母の日のことを書いてもらったところ、「おかあさんありがとう」と書いて、お母さんをとても喜ばせるということがあった。
 それから、ひと月後の関わり合いで、彼は突然「くやしい」という言葉から気持ちを綴り始めた。せっかく文字を綴ることができたのだが、なかなかすぐには認められないことをめぐるものだった。そこで、私は、どうやって文字を覚えたかなど、教えてくれるとそれだけわかってもらいやすくなると思うと提案したところ、「こどものとき ともだちがべんきょうをしていたのをみておぼえた」と答えが返ってきた。そして「はやとくんがわかってくれたけどほかのひとはだれもわかってくれなかった」と続く。はやと君とは誰かとさらに尋ねると、「じぶんでつくったともだちです」と。孤独な心の世界が作り上げた想像上の友人がここにもいた。もちろん彼はまた、暖かい家族の愛情の中で生きてきたことも事実だ。「よくめんどうをみてくれてほんとうにかんしゃしています おとうさんもよくあそんでくれてすてきなかぞくです」と文章は結ばれた。
 △△君は、2スイッチワープロで文字を綴ることをずっとしてきたが、ここのところ、ずっとオートスキャン方式の1スイッチのワープロで文章を綴ることにチャレンジしてきた。なかなか手こずっていたが、いつか独力で文章を綴ることを夢見てである。その彼が、ようやくスムーズに文章が綴れるようになり始めた。そして、綴った文章は、「このあいだじっしゅうにいきました。うまくいってよかった。じんせいをいっしょにいきるなかまがいればうれしい。」というもの。実習先には、多くの先輩がいた。人生を一緒に生きる仲間を探す大人の世界への旅立ちがもうすぐそこに迫っているということだ。最初に出会った頃、童顔だった彼は、いつか、ひきしまった顔つきの青年になった。
2008年6月22日 01時21分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩2 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/25/
2008年06月20日(金)
ある通所施設にて
 今日、うかがったのは、都内の通所施設。お二人の方とゆっくり関わった。
 午前中は、二十歳くらいの女性である。2月に初めて関わって、今日が2度目だった。音楽がとても好きと言われていて、彼女のそばではいつもすてきな音楽が流れている。前回は初めて文字を綴ったのだが、「やっとはなすことができてうれしい たあくさんはなしたい」と率直に笑顔で喜びを綴っていた。
 しかし、今日は、どこか意を決したような表情から始まり、「くやしいです きもちをおかあさんにつたえることができなく りかいしてもらえないです。(…)くやしいのは なかなかことばがわかっているとおもってもらえないことです。」という文章ができあがった。これまで、彼女が言葉を当たり前に理解し、文字もきちんと理解していると考える人はほとんどいなかったから、こういう状況も無理もないことだった。そこで、私は、どうやって文字を覚えたか教えてくれると、みんな納得するかもしれないと問いかけてみた。すると「ちいさいころからてれびをみておぼえました。きっといつかかけるひがくるとかんがえていました。ねがいがかなってとてもかんげきしています。」という答えだった。こんなふうにいろいろやりとりをしているうちに、彼女の言葉は、別の方向に向かっていった。「ねがいは いろいろなひとにのぞみをわかってもらうことです。いつまでもげんきにしていてほしいとおもう、おかあさんには。いつもめんどうをみてくれて かんしゃしています。なかなかいえずにいたけど いえてよかったです。」としめくくられた。今日、書いた文章に私からのお手紙を添えて、彼女のかばんに入れてもらった。うまくお母さんに伝わったか、それが気がかりだが、きっと彼女の懸命な思いは、伝わるにちがいないと信じている。
 午後からは、25歳を過ぎた男性だ。5月に親しい仲間の女性を亡くし、そのことから始まった。この女性のことを綴った文章は、「○○さんはのぞみをかなえられてよかった。」(07年12月)というものから始まる。彼女がようやく気持ちを表す手段を得たことをめぐる言葉だった。そして、「ずっとしんじてもらえずに○○○さんもつらかったねとちゃんといってあげたい。よいめぐりあいができてほんとうによかったね。われわれはりそうめざしてがんばろう こんなんにたちむかいしんけんにやっていこうと いいたい。てにいれたしあわせをてばなさないで くなんをのりこえていこう。くるしみとかなしみのむこうには おおきなきぼうがまっているから めのまえのこんなんがどんなにおおきくても むねをはっていきていこう。いつまでもずっと。ほんとうのしあわせをてにいれるまで。」(08年4月)と続く。そんな矢先、彼女が突然旅立ってしまった。その直後に、「○○○さんがなくなってさみしさがつのりかなしみがふえてつらいひがつづいていますあうことがかなわなくなってしまいなんとなくくやしいあいたかったとつぜんのことでみこと(言葉)がでてきません」(08年5月)という言葉が綴られる。そして、今日を迎えた。
 蒸し暑い一日で、疲れが見えた彼だったが、時折瞑想するようなまなざしで、次のように綴った。「めいふくをいのっています。かぎられたいのちなら できるだけずっとおかれたかんきょうにとらわれることなく かりそめでもいいから いのちがつきるまで わらいをなくさずにいきていきたいとおもう。なぜてがつかえないといきるのがいきにくいのだろうか。わからないけどよくいきていきたい。」仲間の死は、たくさんの問いを彼につきつけたようだ。
 2ヶ月前、元気に「ろまんいっぱいにこれからもいきてゆこうね。」と綴った彼女の姿は、今日この場所にはなかった。そのすっぽりとあいた穴のことをあえて語る人はいなかったが、みんなそれぞれに問いをつきつけているにちがいなかった。いのちの問題の重さをいちばん受け止めているのは、障害と向かい合ってきた人たちなのだから。
 
2008年6月20日 23時57分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 通所施設 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/24/
2008年06月18日(水)
二人の少年との関わり合い
 火曜日、二人の中学生の少年と関わった。
 一人目は、ほとんど体を動かすことのできない少年で、最初の出会いから1年9ヶ月が経過した。
「(…)りかいしてもらうよろこびにこみあげてろましょ(ロマ書)のことばをおもいだしました。ふだんからこころがけていました、しんじていればかならずとびらはひらかれると。とわ(永遠)というものにふれたきもちがします。くなんのひびがへいあんのひびにかわりました。(…)」最近、彼が以前通っていた学校の先生方に、文字が綴れるようになったことをわかってもらえ、喜んでもらえたとのことで、今日の文章は、それを受けたものだ。彼は、その学校で、いろいろな話をしてもらってきたそうだ。その中には、聖書の話もあったとのこと。意思表示の困難な彼がいちばん集中するのは、むずかしい話の時といわれていたという。「へいわがくればいいうちゅうがえいえんにじかんのあるかぎりいつのひかちいさないのちがうまれてそだっていくようにしあわせがいっぱいにひ(ろが)りますように」というような世界平和の問題などを綴ってきた彼の心を育んできたのは、そうした学校での日々だったに違いない。スイッチの援助はあくまで、技術の提供にすぎない。心を育む日々の営みの大切さを改めて思った。
 二人目の少年は、歩くこともできるが、なかなか手の運動のコントロールや「はいーいいえ」の表現がむずかしい少年だ。初めて会ったが、私はもはや躊躇することはなかった。そして、いきなり、400文字を越える文章を綴った。「おかあさんよくかわいがってくれてありがとう。てがつかえてうれしい。このすいっちがほしい。ずっとさがしつずけてきましたいいたいことがいえるほうほう。ねがいがかなってうれしいです。」と始まり、「わかっていたべんきょういっぱいしたから。ひとりでちいさいときにてれびやえほんで。」と、どうやって文字を覚えたかを説明した。彼の思いは、「べんきょうがしたい」「もっとおしえてもらいたい」という強い学びへの気持ち。数についての知識を尋ねてみると、「3÷3=1 81÷9=9 32÷4=8」と綴った。そして、「わりざんはうまくわれないときどうすればいいの。にぶんのいちというのはどういういみなの。ほんとうのねがいはぶんすうとしょうすうについてききたい。」と続いた。彼の学びを阻んでいるのは、ただ常識の壁のみである。私は、ただ、早くその事実に気づかされた人間に過ぎないが、早く気づかされた人間の責務として、この常識の壁に一刻も早く穴をあけなければならないと思う。そして、彼の心に寄り添い心を育む日々の営みが、もっともっと濃いものになることを願う。
2008年6月18日 00時35分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G23区2 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/23/
2008年06月15日(日)
父の日を前に2
 明日はいよいよ父の日という土曜日、高校生の○○さんは、お父さんとやってきた。長いおつきあいの中で、二人だけで見えたのは初めてのことだった。
 そして、始めるなりさっそく綴った言葉が、「おとうさんいつもありがとうございます。ぐっどふぁざーしょうをあげたいとおもいます。ふだんはうちにいないのでつまらないけどおやすみのひはいつもあそんでくれてかんしゃしています。もうすこしらくなしごとになることができればいいとおもう。」お父さんは、さすがにてれておられたが、年頃のかわいい娘さんからの、最高の父の日のプレゼントになったのではないかと思う。
 さらに、「ふしぎなきもちがしています。とてもことばではいえないとおもってきたけどこうしておとうさんにかんしゃのことばをいえることが。とてもむりだとおもってきましたから。」と続いた。
 彼女とは小1からのおつきあいである。文章を綴るまでに、様々なスイッチを使った教材と姿勢への働きかけから始まり、絵カードによる選択、絵本のソフトへと発展し、文字の弁別、ワープロソフトへとゆっくりと学習内容は発展していった。しかし、文章への発展にはけっこう時間がかかった。途中、彼女は、わざわざ「えほん」と綴って、ワープロよりも絵本のソフトを要求する時期もあったりした。彼女にとって、その頃、ワープロソフトは、自分の気持ちを表す手段になるとは思えず、高いハードルに感じられていたのだろう。「あひしまにくかき(2002.5.11)」が、最初のワープロの記録である。その後、「えほん」「のんたん」など絵本をめぐる単語が続き、初めて自分の気持ちらしいものが綴られたのは、2003年の12月の、若い男性教師に対して「かくいい」という言葉だった。そして、2004年9月にプレゼントでほしいものとして「りぼんあかあたま」と綴った。彼女が自分の気持ちを表現できると感じたのは、このときからではないかと思う。これから、ほしいものを少しずつ綴るようになっていった。そして、文章になったものが、2005年10月の、「なきましーたーきにいらないかあさーんげんいんかみがあさきたない」である。2006年9月から文が長くなり、文体も「あたしのねっくれすいいいろでしょ。」から始まるようなものになっていく。そして、その中に、「ちいさいころからわかっていましたのでじがかけてうれしい。」という言葉が入っていた。
 こうした歩みは、彼女の成長の歩みともいえるかもしれないが、実は、それは、私たちの読み取りのテクニックの向上といった方が正確だろう。
 彼女の心の世界の奥底をかいま見るこんな文章も、最近は綴られれている。「ふしぎなえにかいてあったねがいごとに くやしいことやかなしいことはふしぎときえるし よろこびやたのしさはふしぎとながつずきするようにと。しらないひとがめのまえでいいました さみしいときにはよくほんをひらいてごらん きっとなにかきもちやからだにいいようなことがかいてあるにちがいありませんと。のはらにさいているはなのようにけだかくかわいくいきていきていきたいとおもいます。ゆっくりやればうまくいくとおもう。あせらずにいこう。」「ねがいはさみしがっているひとたちがわかりあえることです みんながしんにのぞめばできるとおもいます わたしかがみをみながらいのっています かがみのなかにはちいさなようせいがいて わたしのねがいをわかってくれます だからわたしはさみしくありません すきなかがみはにかいのきょうだいです(…)かがみはどれでもだいじょうぶです みたいところにはなかなかないけどあったらうれしいです すてきなかがみがほしいです」。容易に人に伝えられない心は、不思議なファンタジーの世界を作り、その中で、思いを様々に表現してきたということなのだろう。
 学校の先生も、見学にきておられた。彼女の思いに寄り添おうという人の輪は確実に広がっている。
2008年6月15日 00時25分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G埼玉2 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/22/
2008年06月14日(土)
すいせんこむそうとせいたかすみれそう
 5月に、「うちでのせるすずに すてたねこが ねがいどおりすいせんこむそうをけらいにして もっととおくまでのがれ せいたかすみれそうのさくくににいきたいとおもったものの にげることができず かなしんで いぜんすばらしいうちだとおもって がまんすることにした。」という、不思議な文章を書いた高等部3年の○○さん。6月は、その説明のような文章を書いた。
「すいせんこむそうのいみはつらいことがあるとしおれてしまうはなのようなこむそうです。つまづいてしまうとおきあがることができなくなってしまうほどひとりぼっちでちいさなともだちです。こどものころからいっしょでした。すいせんこむそうはとてもせがひくくてとてもやさしいさむらいです。このまえそばでともだちのわたしをげんきづけてくれました。せいたかすみれそうはとてもいいにおいのはなでせがたかくていつもいのりそらにむかってこいこがれながらさいています。いつもせいたかすみれそうはねがいをもちながらねがいがかなうことをゆめみています。」
 不思議なファンタジーの世界だが、それは、人とコミュニケーションする手段を持ち得なかった彼女が、一人作り上げたファンタジーの世界。○○さんの心の友、「すいせんこむそう」とあこがれの象徴である「せいたかすみれそう」美しくもまた、悲しい世界でもある。
2008年6月14日 00時25分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩1 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/21/
父の日を前に
 
 父の日を2日後に控えた金曜日、二人の同級生の女の子が申し合わせたように、それぞれ、父の日のプレゼントをめぐる言葉を綴った。
 ☆☆さんは、エメラルドのネクタイピンを贈りたいと綴った。姉といろいろ話し合ったけど、うまく伝えることができなかったらしい。そして、「おとうさんこのねくたいぴんのいろはわたしのすきないろです。わたしたちふたりからのぷれぜんとをうけとってください。あいするおとうさんへ。」と心温まる手紙を添えた。これまでも何度も贈ったプレゼントに始めて自分の言葉で手紙を添えることができた。
 ▽▽さんも、今日は父の日のこと。仰向けに寝ている彼女と私たちが両手をつなぎあって、彼女の手をたたき会わせるようにしながら、「あ、か、さ、た、な」と問いかけていくと、選びたい行で手が両側に開くという方法で文字を選択することができるようになって、半年が経過した。「おとうさんはなにがほしいのかきいてほしい のぞみをかなえてあげる きいてほしい おかあさんにたのみます こんばん」そして、花を添えたいとのことで、「ぴんくのあじさいのはなを」と綴った。気持ちを言葉にできた初めての父の日は、お父さんにとってとっても幸せな日曜になることだろう。

 
2008年6月14日 00時04分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩1 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/20/
2008年06月13日(金)
高校3年生による講義
 肢体不自由の特別支援学校高等部3年に在籍する○○君をたまプラーザキャンパスの講義に招いた。小6の三学期に、「20歳の自分へ」と題した作文で、大学へ通っている自分を夢見ていた少年である。私は、小1から関わりを持ち、少しずつ学習を進め、小2の夏に、IBMの漢字Pワードというソフトを使い、レバースイッチを使って、肘や手首を介助することにより、文字を使った意思表示ができるようになるところまで進むことができた。その後、介助員の若者の手によって、50音表を介助によって指さして意思表示をなめらかに行うことができるようになっている。手をとられているため、必ずしもすべての人に信じてもらうことがかなわないが、彼を理解する人との間では、これまで豊かなコミュニケーションがとられてきた。
 中学部に進学して、教科学習のグループには入れなかった彼は、しだいに大学への進学がかなわないものであることを感じるようになり、かわりに、私の大学に来てみたいというようになった。中学部時代は、義務教育でもあるし、わざわざ休んで大学に来るはむずかしいだろうと考え、高等部になったら、来てもらうと言ってきた。
 その彼が高等部に進学し、さっそく、大学に招いたのが、一昨年の7月、昨年の7月は、非常勤でうかがっている大学の授業に招いた。そして、今回で3度目。
 100名を越える学生の前で、母に抱きかかえられた姿勢で、母に手をとられながら50音表を指さしながら、彼は大学生たちに語りかけた。テーマは「教育とは」。
 この日のために次のような言葉から始まる文章も彼は用意していた。「僕は、学びたいといつも思います。教育とは、なんでしょうか。僕のように障害を持っていると、学びたいということさえなかなか伝わりません。僕は普通に教科の勉強がしたいだけです。大人になってもいらない知識でしょうか。皆さんはどんなことを考えながら勉強をしてきましたか?仕方なくですか?それとも、何かやりたいものがあってそれをするための基礎ですか?僕は、ただ、知りたい、得たい、と思う貪欲な意欲だけです。僕のように養護に行き、将来は施設に入れられるだけの人生でも、今、知識を学びたいです。」
 ほとんど年齢は変わらないにもかかわらず、あまりにも違う状況を生きてきた少年を前に、学生たちは、大いに心を揺さぶられた。ようだった。通常は、100人を越える授業で、自発的な挙手など、ほとんど望めない。しかし、この日ばかりは、少しずつ手が上がり、学生から少年に向けて真摯な発言が続いた。
 自由に体を動かすことも話すこともできず、わずかに手を添えられて50音を指さすことによってだけ意思表示をする姿は、衝撃的なものだったろうが、あまりにもストレートな学びへの意欲は、学生たちにまっすぐ届いた。みんな、大学生としてのみずからの学びを問い直さないわけにはいかなかったにちがいない。そして、また、こんなにも心から純粋に学びたいという気持ちの少年が、学べる環境にないことが、合点がいかない。
 授業の後も、彼をとりまく10名あまりの学生の輪ができ、対話が続いた。
 学ぶことの意味をともに問い直すことにできた1時間となったと思う。

 

 
2008年6月13日 23時59分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩1 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/19/
2008年06月10日(火)
ある盲聾のお子さんの成長から
 以前、ホームページに日記形式で短い文章を綴っていくことを企てたことがある。2年前の2月のことだ。しかし、なぜかその気になれず、最初の1ページを書いたところで挫折していた。その1ページとは、以下のものだった。
「今日、どうしてもここに記しておきたいことは、都内のある盲学校におけるすばらしい教育実践のことである。この盲学校には、現在小4の盲聾の女のお子さんがいる。そのお子さんの担任はこの学校に赴任して2年目の男の先生で私も以前親交のあった先生だった。先生は、2年目に、このお子さんの担任となった。このお子さんは、まだコミュニケーションの手段がいくつかの簡単なサインの受信以外には確立しておらず、また、感情の起伏が激しく、怒った時には、全身をくねらせ、頭を何かにぶつけたり、着衣を脱いだりして表現する。あまり使いたくない言い方だが、関わり合いのむずかしいお子さんだった。先生は、担任になるとさっそく指文字と点字へ向けての基礎学習を開始された。それは、おそらくいささか無謀に見えたことだろう。彼女が好んで座る1畳ほどの板の上にはアイウエオをリベットで表現した点字が四方に貼られ、先生は、頻繁に指文字を彼女の掌に発信なさるようになり、先生の手になる様々な教材を通して学習が進められていった。私は、縁あって学期に何度かこの学校を訪問し、先生とお子さんの関わり合いを見させていただいてきた。学習の細部において着実な進歩を重ねつつも、夏ごろからしだいに先生のおんぶを一日中要求するという『困った』事態が起こるようになってしまった。9月に訪問した際には、まさにその真っ最中で、私も、思わず背中を貸した。おんぶをやめようとすると激しく怒り出すため、終日おんぶをし続ける関わり合いの姿は、周囲には、不安を呼んだにちがいない。背中から降りることをかたくなに拒む彼女の姿は、これが永遠に続くような思いを周囲には与えたからだ。私も例外ではない。しかし、先生は、彼女を背中に負いながら、黙々と学習を続け、指文字を発信し続けた。といっても想像がつくだろうか。おぶったまま腰をかがめ、少し高めの台に教材を置いた学習である。鬼気迫るといってもいのいほどのすさまじさと感動を覚えた。『先生たいへんだけど本当にがんばってますね』と思わずかけた私の言葉には、『○○さんがすばらしいから』という即答が返ってきた。すべてがこの言葉に集約されていた。そして、1月30日、午前中いっぱい実践を見させていただく機会を得ることができた。おんぶはまだ続いているが時間は確実に短くなっているとのことだった。そして学習は着実に進み、この日も彼女をおぶいながら、あいうえおと、5までの数の学習を手をかえ品をかえやっておられた。それぞれの学習は、まだ、はた目には受身的に見えるものだが、私は、確実に彼女の中に積み重ねが起こっていると思ったし、何より彼女の表情が素晴らしかった。そして、何よりも驚かされたことは、おんぶされている彼女に「オンブオワリ シタニオリル」と出された指文字を受信して、すっと下におりたことだった。まちがいなく彼女は指文字に何らかの意味を感じて受信していたのだ。ヘレンケラーが水をさわった時のように、ある劇的な一瞬をスタート地点としてとらえることはむずかしいかもしれない。しかし、まちがいなく、この1年は、ヘレンケラーが水を触って”water”と感じた一瞬に等しい大きなものにちがいない。おぶい続けることに目を奪われていたら、その先には進めない。回避する道はあったのかもしれないが、私には、このことを乗り越えて先に進むことしか道は残されていないように思われたし、先生は、その覚悟でおぶい続けてきたのだと思う。いつか先生自身の手による実践報告をうかがる日を、今から待ち望んでいる。」
 その彼女はこの4月から中学生になった。月曜日、今年度初めて彼女の授業を見学した。男の先生は小6まで3年間つとめた担任を代わり、週4日、国語数学の時間を1時間担当するようになっていた。この日は、繰り上がりのある足し算と引き算だった。「今日の勉強は」と先生が彼女の左手に発信する指文字を彼女は右手で再現して先生の左手に返していく。そして、点字用紙にうたれた7+5=というような問題をさわるのだが、もう暗算で答えが出されていた。そして、点字タイプライターで式と答えを書く。それが学習の流れだった。ただ、一度、4+9を14と答えてしまったので タイルで確認をした。ここでの確認の手続きの中で次のようなことが起こった。まず4の固まりに足すためのバラタイルを9個、器に入れるのだが、この時、バラタイルを6個とったところで手が止まった。すぐさま先生は、なるほどとおっしゃった。まず、この6とは、4にくわえると10になる数であり、ここで、先生は一緒に4の固まりと6とで10のまとまり10の枠を使って作って、さらに彼女を促すと、今度はバラタイルを3個器にとった。そして、それを10の隣に並べた。先生がもう一度尋ねると、今度は13と答えが返ってきた。完璧だった。
 今の姿が当たり前になってしまうと、以前の大変だった時期が嘘のように思えてしまう。しかし、先生が担任になっていきなり指文字を出し始めた時点でさえ、今日のこの姿を明確に予想できた人はいなかった。上に引用した2年前の私の文章ですら、同じことだ。盲聾という厳しい条件の中で、一歩ずつ認識の世界とコミュニケーションの方法とを確立していく教育の歩みは、決して先を急がない着実な歩みだが、それは私たちの予想を超えるスピードで前に向かって歩を進めている。そして、その歩みの中に、人間の可能性と教育の可能性が鮮やかに示されている。
 
 
2008年6月10日 17時44分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/18/
2008年06月07日(土)
小児科病棟にてその2
 「ちやんす」。今日、最初に☆☆さんが綴った言葉だ。手にほんのわずかにこもる力と、口元の動きと、それに心拍数とをあわせて、1文字ずつ読み取った言葉である。回を重ねて、手の動きを読み取る方法が少しずつ固まりつつあるが、手にこもるかすかな動きを読み取ることによって開かれる通路は私が緊張の糸をゆるめたとたんに閉ざされてしまう。まるで、きれやすい細い糸を互いに引き合っているようなもので、力が弱ければ糸はたるみ、強すぎれば糸は切れる。ちょうどよい具合に糸が張っていなければそこに通路は開けない。
 大それたことをしていると感じないわけではない。ただただ経験によってのみたどり着いてきた現在の地点。彼女の内面に豊かな言語の世界の風景が開けていることを客観的に示すものは何もなく、ただただその存在を信じるのみ。そして、それを支えているのはこれまで出会ってきた多くの障害の重い方々との関わり合いの事実しかない。
 しかし、確実にかすかな対話を通して関わり合いの時間は滞ることなく濃密に流れていく。そのことがある限り私は彼女の手から私の手を放してはいけない。私があきらめてしまえば、もはやこのような無謀な取り組みをする者はいないだろうから。
 「ちやんすしたみみもやすい」最終的に綴られた言葉だ。チャンスをものにしたということだろうか。そして耳によって文字を選んでいることがなんとかやりやすくなったというふうにつながるのだろうか。限られた文字数しか選べない中、最小限での表現を追求しているのかもしれない。
 別れ際、また今度がんばりましょうという私の声に、ことのほか大きく口元の動きがあった。力強い約束のサインだった。
 隣のベッドの○○君は、ひさしぶりにスイッチ操作をするあごの動きが軽快だった。時々、かすかな声を出して合図を送っているように見えた場面もあった。ここのところ、首の具合が思わしくないことが続き、なかなかスピードが出なかったのだが、今日は比較的すらすらと文章が書かれた。「けりいのものがたりたくさんほしい たんていとき かんがえ わるものをつかまえる」枕元には名探偵コナンのDVD。きっと、このことについてにちがいない。しかし「けりい」とは何だろう。彼のパソコンの様子を時折見にこられるお医者さんも看護師さんも、「けりい」には首をかしげられる。そのうちに一人の看護師さんが、にた名前の登場人物がいることに気づいた。そして、こっそり周りの大人に耳打ちした。彼はそれを聞いていたのか、それともしっかり思い出したのか、「しぇりー」と綴った。彼が知りたかシェリーの物語とはいったいどんな内容なのだろうか。
 小学校2年の○○君の心の中の風景に、今、探偵物語のわくわくする世界がくわわりどんどんとふくらみ始めているようだ。
2008年6月7日 00時31分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 小児科病棟 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/17/
盲学校にて2
 梅雨入りを迎えた3日、八王子盲学校を訪ねた。今回、とても目を引いたのは、高等部の重複学級の○○さんだ。個別的な学習というものにあまり縁がないまま高等部からこの学校に入学してきた彼女は、最初、学習にのりにくかった。不意にご機嫌がくずれて、学習が中断する姿にこれまで何度も出会ってきた。しかし、担任の先生は、根気よく、いろいろな教材を通して学習にチャレンジしてきた。本当の彼女の力がどこにあり、本当に適切な教材はどのようなものか、なかなか探りにくいようだったが、そうした関わりの中で、先生はいくつかの教材を通して、彼女と確実に関われるようになっていった。その中に、見本合わせの課題があった。手元に一つの見本項があり、向こう側に二つの選択項があって、同じ方を持ってくるというものである。彼女とは、触覚的な質感の弁別として、「ざらざら」「つるつる」と呼ぶものを題材にして学習が進められていた。
 その見本あわの選択項に、最近、リベットで作った点字が登場した。触覚的な実感の弁別からいきなり点字かというふうに思う人も少なくないだろう。しかし、確実に彼女は喜々としてとりくむようになっており、今回アやイの区別などができるようになっていた。
 また、平行して50音の文字を押すと音声が出るおもちゃに点字を貼った教材で、ア行から1行ずつ触っていく学習もなされていた。これにも彼女は大変意欲的だった。
 先月、彼女の学習の内容に関する話を、彼女の頭越しにしたとたん、彼女が教材を激しく押し返すということがあった。おそらく、自分のことが批評されることに誇りを傷つけられたのだろう。点字の学習がここで適切かどうか、私は、遠くない日に間違いなかったとの結論が出ると思っているが、今、確実に言えることは、彼女は今、点字の学習をすることに強い誇りをもっているということだ。その誇りが彼女の表情にとても気高い品位を与えていた。
2008年6月7日 00時27分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/16/
2008年06月01日(日)
初めての出会いの場で
 冷たく降り続いた雨がようやくあがった日曜日、さわやかな空気の中を新しい関わり合いの場へ向かった。4人の高校生と会うためだ。 初めての出会いはいつも緊張する。特別に事前の情報をあえていただくことはしないから、どんなお子さんが待っているのか、会ってのお楽しみということになる。しかも、いったん相手にお会いしてしまうと、障害の状況など頭越しに話されることは、ご本人もけっして気持ちのいいことではないと思うので、それもできるだけしない。会ったときの印象がすべてになる。しかし、実は、印象は多くを語ってはくれない。これまでいろいろな人が関わってその方に言葉があるとは思わなかったわけだから、最初の印象から言葉をつづれる人であると感じることは少ない。今日も、それは同じだった。ただ、最近は、その印象をあえて信じないことができるようなった。私の感じた印象がいかにいいかげんなものか、もう、いやというほど思い知らされてきたからだ。あれこれ迷うよりは、言葉をつづれることに賭けてみた方がいい結果に出会えることがわかってきたのだ。
 今日は、4人の方がみんな200文字をゆうに越える長い文章をそれぞれに綴ってくださった。
 最初の方の言葉は、とても大人びた、しっとりした言葉が並んでいた。「わかってくださってかんしゃします。なかなかりかいしてくれるひとがいなくていつもひとりでなやんでいました。さびしかったけどほうほうがみつかってうれしいです。」「くなんのひびでした。ねがっていましたこのひがくることを。とうとうそのひがやってきました。ちいさいころことばがしゃべれたらいいなとおもっていましたがもうあきらめていましたのでとてもうれしいです。」
 「さびしかった」「くなんのひび」「あきらめていました」という言葉が、胸に突き刺さってくる。身の引き締まるような言葉の連続だった。
 二人目の方の言葉は、終始笑顔で綴られたものだが、ユニークな言葉があちこちにおどっていた。
「おかあさんかけたよ。わかってもらえてありがとう。」「ついにかけた。くるしかったわかってもらえなくて わかってくれてうれしい」「べんきょうができてともだちがよろこんでくれるとおもう くうそうじょうのともだちです」「もじこのほうほうでかけることがわかったのでねんがじょうもかける ねんがじょうがかきたかった」「ちいさいころにおかあさんがほんでおしえてくれたながいあいだかきたいとおもってきました」
 空想上の友達の存在をまた語る方に出会ってしまった。人は本当に人を求めて生きているのだということが痛感される。
 3人目の方は、りりしい若者。歩くこともできるし、自分で食事も口に運べるとのことだが、やはり運動にハンディがあり、気持ちの表現がむずかしようだった。その彼の言葉は、次のようなもの。「かあさんこれまでねがってた いろいろきもちいえるようになること」[りかいしてちゃんとげんきをだしすばらしいくらしをしたい」
「ふいにおとずれたきかい てをつかうこと」「てがそんなにうまくつかえないのにこまっている ていろいろなえらびかたをしてもうまいぐあいにはつたわらない」「ちいさいころからわかっていました おかあさんがよくえほんをよんでくれたのでおぼえました」
 4人目の方は、笑顔のすてきな若者。「ばんざいできたむずかしいとおもっていたけどかんたんだった」「みんなもできてよかった○○さんやし△△さんや◇◇くんはどんなことをかいたの みんなすごいね ねがいがかなえられてみんなよかったねさんにんともいろんなおもいをしていきていることがわかった」「ねがいはすきなひととけっこんすることです ほかにもたくさんありますけっこんができるかどうかわからないけどこのままですぎていくのはいやだ たいへんかもしれないけどむちゃくちゃがんばればできるかもしれない」
 友だちの快挙を自分のことのように喜んでいた。夢も語った。「むちゃくちゃがんばれば」という言葉に強い意志を感じた。
 最初に出会った日に、全員が200文字を越える長文を綴ったのは初めてのことかもしれない。実にたくさんの方々と一歩ずつ方法を洗練させることによって、ここまでたどり着くことができたというのが実感だ。今日の方々も含め、ただただ感謝あるのみだ。
 帰りの高速道路から見えたひさしぶりの夕焼けがきれいだった。こうした出会いを通して、確実に私の心が洗われていくのを感じる。
2008年6月1日 22時56分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| 自主G23区3 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/15/
2008年05月30日(金)
2スイッチワープロでの対話
 春に出会った小学生の3人の小さなグループと久しぶりに会った。今日は、男の子二人だったが、小さいときからずっと一緒に育ってきた同い年の二人は、心が本当に通い合っている。その彼らが具体的に気持ちを伝える手段を知ってから、3度目の関わり合い。順番に始めたはずだったが、言葉を伝えられる喜びと、なかなかわかってもらえないはがゆさの思いをつづったあと、横で様子を見ながら待っている友達に向かった。以下二人の会話の部分。二人はどうやって学校で理解してもらえるかについて語り合った。

A:どうやってわかってもらえばいいか
B:くちでわかってもらえなくてもねがいをつたえるのはたいせつです
A:どうやってつたえたらいい
B:むずかしいけどがんばることがたいせつです
A:がんばりたいけどたくさんがまんしないといけないかもしれない
B:しんじてもらえるまでがんばろう
A:わかってもらうことができないのがくやしい しんじてもらえるかどうかわからないでもしんじてほしいね(略) 
A:(略)ふたりのかんがえたことはわすれずにいないとね
B:そうだね
A:ねがいがかなうのがまちどおしいね

 長い間、心を通じ合わせながら言葉を通じ合わせることができなかった二人の初めての会話だった。せっかく気持ちを伝える手段が見つかったのに、すぐに理解されるというわけにはいかないのが現実。もうずいぶん我慢してきたのにという思いが強いA君に対して、信じてがんばろうというB君。こうやって共に語り合いながら育ち合っていけるにちがいない。二人の真剣な顔が印象的だった。
 みんなきっとおしゃべりをしたいに違いない。こんなふうに語り合いの場を設定できる関わり合いはまだほとんどできていない。もっと気軽に語り合えるように、これからもいろいろな工夫を重ねていかなければならないとつくづく思った。
2008年5月30日 22時57分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩4 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/14/
「生きてゆこう」
 6月11日、町田市障害者青年学級ととびたつ会のメンバーで、相模原9条の会の講演会(講師は澤地久枝さん)において、短い時間だが、歌を歌うことになった。
 とびたつ会の活動では、被爆者の方を招いて語ってもらったことがある。そして、その時、吉永小百合の朗読のよって有名になった栗原貞子さんの「生ましめんかな」の詩にも接した。原爆投下の夜、ある倒壊した建物の地下室で、若い女性が産気づいた。その時、一人の瀕死の女性が、手伝いを申し出る。彼女は産婆だった。そして、明け方、子どもは無事生まれ、瀕死の女性は息を引き取る。その情景を語った詩だった。
 そんな経験を織り交ぜてとびたつ会では、9条の会のための歌を作った。「生きてゆこう」という歌だ。
 
 生きてゆこう 生きてゆこう このいのちを
 生きてゆこう 生きてゆこう 平和をつないで
 すべてをうばう 一瞬の光 
 どこまで続くのか この苦しみは
 わずかなあかりの中 生まれるいのちに
 私は伝えたい 希望と勇気
 
 生きてゆこう 生きてゆこう このいのちを
 生きてゆこう 生きてゆこう 平和をつないで
 私の声を聞いてください あなたの声を聞かせてほしい
 あらそいはやめて 話し合おうよ
 私は伝えたい 希望と勇気
 
 私のいのち あなたのいのち
 大切に生きたい 同じ気持ち
 生きてゆこう 生きてゆこう このいのちを
 生きてゆこう 生きてゆこう 平和をつないで
 
 スタッフ会議で練習中、一人のスタッフが涙を流しながら、訴えたことがある。彼女は障害児の母親。今、息子は、とびたつ会のメンバーとして、この歌をともに歌っている。幼い頃から体が弱く、いのちが続くことだけを願って育てた息子が、今力強く、いのちの歌を歌っている。生きてほしいと願った気持ちを、全身に受けて育ってきた息子が、今、生きてゆこう、平和をつないでと歌っている。そのことがどんなにすばらしいことかと彼女はあつく語った。
 障害という状況の中で生きていくことと、いのちの問題は直結している。そして、いのちは平和とかたく結びついている。
 ある重度肢体不自由をもつ高校生が、語ったことがある。それは私の挑発に応えたものだった。私の挑発とは、障害の重い子どもの中に世界平和のことなどをつづる子どもがいるんだけど、そういうことを書くと、その子の言葉じゃないと言われてしまうということだ。すると、彼は次のように即答した。

せかいへいわのことぐらいどんなこどもでもかんがえています だってぼくたちはへいわなしゃかいでしかいきてゆけないのですから。ちべっとのしょうがいしゃはどうしているのでしょうか。きっとつらいおもいをしているのでしょう。だからへいわがひつようなのです。

 本当にその通りだ。激しい戦闘の地域で、どうやって彼らは生きてゆけるのだろう。平和をめぐる議論は単純なものではないことは私もわかっているつもりだ。しかし、こうした事実に、世界がもっと耳を傾けることがどれほど重要なことか。 
 私たちは、私たちの仲間とともに、せいいっぱい思いを歌う。仲間たちにしか伝えられないことをともに伝えていくために。  
2008年5月30日 01時48分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/13/
2008年05月27日(火)
3年ぶりの再会
 3年ほど前にお会いして、十分に関わることのできなかった小2のお子さん二人と再会した。先月、一人にはお会いし、もう一人は今日久しぶりの再会だった。文章を綴る力があるだろうとの予測がありながら、そのままになってしまい、心の底にひっかかっていたのだが、再会できてほっとした。
 ○○君は、これで2度目だが、前回からどんどん文を綴っている。音声的なコミュニケーションもかなりとれている彼は、2スイッチワープロで選ぶべき行や音がくると声を出したり、うなづいたりして選択を伝えることもできる。さっそく書いた言葉は、「のせてほしいでんしゃ」「かよいたいがっこう」と電車が好きな男の子らしい素朴な願い。さらに「かいさつぐちちかくにのればだいじょうぶ」と続く。思わず、うなってしまった。
 スライドスイッチを使っできるだけ少ない力で行う方法では、早い正確な文がつづれるし、合図も正確だ。ところが彼は、できる限り独力でやり遂げたいとの思いを持っていて、ジェリービーンスイッチを二つ並べて一人でやれるようにと試みたのだが、結局、直接ノートパソコンのポインティングディバイスの左右のクリックを直接押そうとがんばった。腕全体をつっぱらせて一本の棒のようにして、指先でクリックしようとするのだが、なかなかうまくスイッチのところに手がいかなかったり、左右のぶれが起こったり、右クリックに移ろうとする時に、うまく移れなかったりで、四苦八苦だが、決してあきらめようとしない。そのがんばりには本当に頭が下がる。そして、手伝おうとすると私の手を払うようにして、自分でがんばると主張し続ける。とても頼もしい限りだった。

 ◇◇君は、ワープロでの関わり合いは今日が始めて。急に暑くなった気候に、やや体調がおもわしくないとのことで、ぐったりとしていた。しかし、いざ、パソコンのワープロを出すと、目をすうっと開いてきた。
 ほとんど動きのない状態で、目にも障害があって、見ることはむずかしいということだったが、スライドスイッチの取っ手を握ってもらい、まず名前を書いた。手はなかなか力がこもってこないが、最初の一文字目の行にくると目がふっと動く。そうした反応をていねいに拾っていくと、何とかなりそうだった。そして、二文字目が拗音なのだが、一行目の「小」を使って表すことを伝えると、それを選択し、にこっと笑った。
 本当に彼自身の選択なのか、自信が持てない場面もなくはなかったが、最終的に彼によって選ばれた文字は、次のような文になっていった。「ねがってきたきもちをつたえること うれしい ずっとまってきた」
 濁音や促音も理解していると考えると、幼い時から、まだ、目の病気が進んでいなかった時期に、懸命にひらがなを覚えようと、ひとりがんばってきたことが推測される。
 これからたくさんの気持ちを聞いていきたいと思う。 
2008年5月27日 23時27分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 家庭訪問 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/12/
2008年05月26日(月)
少数と分数の学習と知る喜び
 都内のある研究施設に通ってくる小5の女の子との学習のことを書こう。彼女は、体のつっぱりが強く、それも突然不意に襲ってくる。しかも、コミュニケーションに必要な意図的な運動がむずかしいため、ふつうに彼女を見ただけでは、とうてい言葉を理解しているとは見えない。私も、彼女とはそういうことで長いこと関わってきた。その彼女が言葉を理解していることがしだいに明らかになり、パソコンで言葉をつづれるようになった。
 時々、どきっとする鋭いことを書いてくるお子さんで、「わたしがことばをしっていたことをなぜわかってなかったのにやさしくしてくれたのですか」とか「にんげんとしてみてもらえてうれしいです」などと書いてくることがある。
 最近は、彼女と算数の勉強を始めた。彼女からのリクエストで、先月からかけ算と、小数と分数の勉強をやっている。
 先月は、次のような展開だった。数というのが最初はものの個数であり、それが長さなどの量になっていくプロセス、数が長さのような量を表すようになると0の場所ができて、0と1の間の数が生まれること、それが少数になること。そして、分数は、ケーキを等分するようなことから始まったこと、そして、ケーキ全体の1が、数直線上の1と同じになると、0.1が1/10になるということなどを図を使って説明した。彼女がどれだけ納得できているか、その都度返事が返ってくるわけではないが、ひたすら私の話に集中している姿を頼りに説明を進めていく。
 そして、かけ算の説明に移った。数直線上のイメージで処理できるものとして、お皿の上にのったアメの数の例で、アメが2個のっているお皿が3皿あるという例を出し、さらに、その発展としてかけ算は2つの軸が交差する2次元の平面で、面積としてイメージすることができることを説明した。
 そして、今月は、ひとしきり現在の学校での様子や思いを綴ったあと、次のような一文から勉強に移っていった。

よくべんきょうをしてよいおとなになれたらいいなとおもいます。
さんすうはすきなのでやりたいです。しょうすうのいみはわかりましたぶんすうがむずかしいです。いみがむずかしいです。

 この文を受けて、もう一度、ケーキを分割するイメージから分数の意味を伝え、それが数直線上に置き換えることができることを説明した。そして、実は分母が10ならばきれいに小数と対応するけれど、3分の1だと、小数とはきれいには対応しないことなどを伝え、0.1、0,2と続く数字を分数で表してみた。すなわち、1/10、1/5、3/10、2/5、1/2、3/5、7/10、4/5、9/10というふうにである。こうした説明をくわえているうちに、

わかります。むずかしいけどわかりました。

と答えがかえってきて、さらに、

しょうすうのかけざんがしりたいです。しょうすうのわりざんもしりたいです。

という意見が続いたので、小数のかけ算へと移っていった。ここでも、まず、0.4×3というような、直線上のイメージで処理できるものを説明したあと、0.3×0.2へ移り、これを面積の図で説明した。図では、1辺が0.1の正方形が横3個×縦2個並んでいるようになっているのだが、この1辺が0.1の正方形の面積は1の何分の1になるかを尋ねた。すると「じゅう」と答えが返ってきた。もちろん誰もが一度はまちがう問題である。私も、この問題を40年前に授業で扱った時のことをいまだに覚えている。そこで、もう一度、図にもどって丁寧に説明をくわえたところ、「ひゃく」と答えがかえってきた。そこで、100分の1が6個あるわけだから、100分の6で、それは小数で言うと、0.01が6個あることになり、答えは0.06になると伝えた。そして彼女からは次のような言葉が返ってきた。

かけざんのいみがよくわかりました。わりざんのいみをおしえてください。

 そこで、わり算の意味を、直線のイメージとして1.6÷4を例に、そして、面積のイメージとして、今やった0.06÷0.03をやった。
 そして、ついでに、次の課題として、割合の話をして、今日は終わった。
 
 算数の学習の間中、彼女は何度も笑いながら、ずっと集中を続けていた。点数競争と無縁の彼女には、計算のテクニックはいっさい教えていない。ひたすら、その意味を伝え続けた。問題を出して解かせることも全くしていない。限られた時間を、しかも、知る喜びにのみこだわった時間である。
 言葉を理解できていることさえまだ信じられていない彼女だから、とうていこうした教科学習から遠くかけ離れた授業しか受けることができていない。
 障害児学校には、教科書がないから先生方は大変な努力をしてこれまで学習内容を築きあげてきた。しかし、こんな当たり前の知識を子どもが欲しているということを、先生方が気づいてくだされば、もっと違う方向に先生方の努力は向けることができるのにと思う。
 学ぶ喜び、知る喜びの原点にふれた、そんな一日だった。
2008年5月26日 00時15分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 研究所 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/11/
2008年05月25日(日)
8年が過ぎた自主グループで
 土曜日、都内のある自主グループでの関わり合いがあった。2000年に始まったものだったから8年が過ぎた。子ども一人一人にあった教材を作ろうということから始まった会だ。毎年、夏には、保護者の方々と教材作りの会もやった。木工や電気関係の工作が得意だった父をかり出したこともあった。そんな会が、いつしか、みんなワープロで文章を綴る会になっていった。もちろん選別をしたわけではない。秘められていた力が少しずつ開花していった結果だ。私たちは、夫婦でそれぞれ関わる。今日は、10人の方々と、それぞれ5人ずつ関わった。

 障害の重さのゆえに、言葉をもっていながらコミュニケーションをとれないでいるという、孤独な世界は、想像上の存在をその世界に必要としているということを、少なくない子どもたちから教わった。現在高等部の2年の◎◎◎君は、「さとしくん」という「すんだひとみをして」いる「ややとうめいなそんざい」を作り出していた。「みとめられてからは」「ひつようではなくなりました」とのことだ。私たちがまだよくわかっていない子どもたちの心の世界の広がりを知らせてくれるとともに、そのような存在を生み出さざるをえなかった孤独な世界があったことに、胸を痛める。そして、今でも、そういう存在とだけ対話を交わしている子どもたちと、通じ合える道を少しでも早く開いていかなければならない。 

ともだちがほしいけどさとしくんがしんでからこまっています。さとしくんはとうめいなそんざいです。ややとうめいですんだひとみをしていました。ふしぎなともだちでさびしいときにあらわれますがなかなかきてくれません。とうめいですがぼくにはみえます。まださみしいけどみとめられるようになったのでみえなくなりました。みとめられてからはねがっていることがつたえられるようになったのでひつようではなくなりました。(後略)

 ☆☆☆さんは、前回、想像上の友だちについて書いた。以下の通りだ。

わたしてをつかってはなそうとおもってからきぼうがでてきました
ひとのこころがよくわかっていましたからじぶんのきもちをつたえたかったです
ほんとうのりかいをしてくれてうれしいです
みんなもおなじようにかんじているとおもいます
みたこともないふしぎなせかいがひろがってきたかんじです
これからのせいかつがたのしみです
しんじてもらえてありがとうございます
みかちゃんもよろこんでいます
ともだちですこころのなかのわたしのはなしあいてです
なきたいときにはわたしにかたりかけてくれます。 

 そして、今回は、次のような文章を綴った。現在彼女が通っている通所施設の若い職員の方々も来てくださった。来週の火曜日、みんなでパソコンに取り組むことになっているとのこと。彼女を包み込む輪が確実に広がっている。

つらいことがあってもなかない。もらったいのちだからたいせつにしたいとおもいます。よいかぞくにめぐまれてわたしはしあわせです。のぞみはわかりあっていきていくことです。でもなかなかきもちをつたえることがむずかしいのでまいにちがんばっています。わかってくれるひとがふえてうれしい。わたしのことをみとめてもらえてうれしいです。ほこりをもっていきていくようにしたいです。らいしゅうのかようびのじかんにうまくいくかふあんですががんばりたいとおもいます。くるしいときをのりこえていまがしんらいできるのがりそうてきです。ねむっているとゆめのなかではなしをしています。

 ◇◇◇君は、話もできるし、現在は、ジョイスティックでATOKのクリックパレットを使って、ワープロで書くこともできる人だ。この4月から社会人になった。小学校の時に出会った彼も、もう精悍な若者になった。そんな彼に、ふと、みんなが使っているスライドスイッチでほとんど手を動かさずに2スイッチワープロで入力する方法を試してみた。話すことやジョイスティックを使った文章は、その都度、大変な労力を必要としているので、楽にやれる方法として提案してみた。この方法は私がたっぷり援助するので一人でやるには適しいない。しかし、彼は、数文字うったところで「すごい」とつぶやいたあと、それまで綴ったことのない、重い文章をつづった。「さべつ」「れいこくなしゃかい」など、彼からこれまでまったく発せられたことのない言葉だった。

せんせいいつもありがとう。つらいことがありました。けっこんのはなしをしていたらばかにされました。めぐまれないひとといわれてくやしかった。こいをすることはじゆうなはずなのにどうしてぼくたちだけけっこんすることができないのだろうか。とてもへんだとおもう。なぜしょうがいがあるとさべつされるのだろうか。ほんとうにおかしいとおもう。うまれてからずっとおかしいとおもってきたけれどだれもおしえてくれなかった。どんなことでもちょうせんしてみたいけどさべつされてきかいがえられない。わかってくれるひともいるけどわかってくれないひとのほうがおおい。かのうせいをしんじてほしいとおもう。しんらいしてくれるひともおおいけどなかなかうまくいかないでいる。れいこくなしゃかいだとおもうけどまけたくないとおもう。

 ▽▽▽君は、この会が始まった時に高等部3年だった。もう、りっぱな社会人だ。いつも、行きたい場所などについてつづるのだが、きょうは、一味ちがう文章になった。母の日と父の日にはさまれたこの日だからこそうまれた文章かもしれない。温かく見守るご両親の目の前で、心の底からの笑顔を浮かべながら、以下の文章をつづった。

すてきかあさんきれいいつまでもげんきでねとうさんもいつまでもげんきでねおかあさんこれからもめんどうかけます

 最後は、「★★ちゃん」でした。すでに成人を迎えている彼女は昔から絵本が大好きで、今でも、絵本をこよなく愛しています。そんな彼女の心の世界は、ファンタジーで満たされているようです。彼女の願いが何だったのか、それはわかりませんが、不思議な世界がつづられていました。

すてきなひとが★★ちゃんのまえにあらわれていいました
よぶこえがするほうをみたら
こどもがののはなそっくりにへいわのほおにめをのはらへむけて
みちのそばににねんまえからさいているはなのおかげで
ふしぎなしずけさあふれて
ねがったことがみたされて
もとめてきたことがかなえられました






2008年5月25日 09時55分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G23区1 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/10/
2008年05月24日(土)
金曜日のできごとその2
 △△さんは、小2で出会って、この3月に学校を卒業し、地域の通所施設に通い始めた。出会ったときから、このグループではただ一人、コミュニケーションがスムーズにいくお子さんだった。輪郭線の絵など、いわゆる空間的な認知と呼ばれる領域が苦手で、一方でややぼけた犬の写真を見た瞬間に「犬に決まってる」と答えるように、質感はしっかりととらえていた。線図形の空間的な関係をすばやい眼球運動によって処理すべきところが、脳性麻痺のハンディが目にも及んでいるために、なかなかうまくいかないという仮説を私は持っているが、こういう視覚的な特徴を持っているとひらがなはとても難しいものとなる。それでも、様々な学習を通して、徐々に文字や数の学習は進んでいった。中学部に入って、書道の時間に先生が手を添えてひらがなを書く学習を始めて、新しい発見があった。それは、視覚的な弁別には困難があるにもかかわらず、ひらがなを書く手の動きはどんどん正確になっていくということだった。
 そして、高等部の2年の秋、文字を綴る手段として、もっと運動障害の重い仲間たちが使っているパソコンの2スイッチワープロに挑戦してみることにした。しゃべることができ、手を添えれば文字も書くことができるという状況で、あえてそのソフトに挑戦してみることの意味をどう考えたらいいのか、はっきりとした説明はつかなかったが、しだいに驚くような文章があふれだしてきたのだ。彼女の文字の選択の方法は、もっぱら耳によっている。昔から耳がいいとは言われていたが、みごとに聴覚だけで文字を次々と選び出していった。しかも、驚くべきことに、文章とは必ずしも一致しないことをしゃべりながら、文字を選んでいくのであった。
 最初に決意がこめられた文章は、2年の3月。「△△3ねんせいになる」、そして「×××のいえ(作業所の名前)いくじっしゅうー」「×××のいえにいきました。こあのはこづめがたいへんでした。そつぎょうしたらさびしくてかなしい。なつどうやってすごすかな。おおちざわにきゃんぷにいく。」と職場実習の話から少しずつ文章が長くなり始めた。そして、11月は一気に長文へ。

そつぎょうをしたらたくさんきぶんいいことをしえんしてもらう。
(中略)ふつうのがっこうにいきたかったけどしかたがない
すこしぐらいきぼうをきいてほしいとおもいます
りっぱなおとなになりたい
けっこんをしてみたいとおもいます

 私たちの知らないところで彼女はもう立派な大人になっていた。次は1月の文章だ。

そつぎょうしきのれんしゅうがやっとできるようになりました。あっというまでした。おんがくをきいているとなみだがとめどもなくながれてきます。わすれられないたくさんのおもいでがよみがえってきていのりをささげたくなります。
ねがいはたくさんありますがさみしいとおもうのはこの○○○にはさぎょうしょがすくないことです。もっとたくさんかよえるばしょがあったらえらぶことができるのに。
なにをりそうにしていきていけばいいのかわからないけどりそうをみうしなわないでがんばっていきたいとおもいます。まえにむかっていっぱいむねをはっていきたいとおもいます。

以下、その後の文章。

そつぎょうしきがちかずきししゅんきのとしもおしまいになるのがかなしい。ふしぎなかきもちがわたしをおそう。
ひのあたるなみきみちをあるいていこう。もしかしてつかれてしまってたちどまることもあるかもしれないけどともにあるくなかまがいるかぎりまえにむかっていきてゆこう。わたしがしんじていくゆめはむずかしいけれどたたかいつずけきもちがつずくかぎりがんばりたい。
○○○くんそつぎょうしたらようごでがんばってね。わたしはりんとしたきもちで×××のいえでがんばります。めざすさきだけをみつめていきたいとおもいます。(後略)(2月)


わたしはそつぎょうしきがおわってからまいにちいえにいてしゃしんをみています。めをさますとがっこうにいかなくていいのがふしぎとおもいます。×××のいえにいきます。にゅうしょしきはよっかです。もくひょうはとおいけれどもよくばらないでがんばりたいとおもいます。ふまんはないけれどのぞみはむずかしいことをしたいです。てをつかってまたひょうげんしたいとおもっています。わたしもやっとおとなのなかまいりができます。わたしがうまれてからにじゅうねんちかくになるけれどじぶんしかできないことをやったことがないのでやってみたい。(3月)

げんきにかよっています。(中略)
ゆめがありますけっこんができるといいなとおもいます。ひとりでせいかつできるようになりたい。ひとりでわかなわないことかもしれないけどにほんぢゅうをたびしたい。なかなかかのうせいをひろげることはむずかしいけどみらいにむかってがんばっていこう。わたしのりかいしゃがほしいでもみつけるのがたいへんでなやんでいます。どうしたらりかいしゃはみつかるのでしょうか。ふまんはないけどわかってくれるひとがほしい。てのふじゆうなわたしでもできることがあるとおもうのでそれをみつけたいです。みつかるまであきらめない。いつのひかみつかることをゆめみながらがんばっていこう。(4月)

 昨日の文章は、はじめ別のことを話した後で、次の文章が綴られた。

(前略)てをつかえなくてもけっこんすることができるかしんぱいです。けっこんすることができたらうれしい。よくわかってくれるひとがいればけっこんしたいとおもいます。わたしになにができるかわからないけれどほんとうのしあわせにむかってがんばりたいとおもいます。ふべんだなとはおもうけれどとてもしあわせです。ふしぎですべつにふこうではないのにふつうのひとたちはこんなわたしをわらったりしてばかにしたりします。わたしはもっとがんばっていきようとかんがえています。りそうしかいえないよのなかのやくにたたいとおもっています。

 大人としての彼女の思いに私たちは、どれだけ寄り添っていけるのだろうか。私たちの無力さとは別に、自分自身の人生をみずから切り開いていくであろう彼女の姿が、今、目の前にある。
2008年5月24日 08時39分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩1 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/9/
金曜日のできごとその1
 ○○さんは、言葉を初めて綴ったのは昨年の秋。関わり初めて11年半が経っていた。少しずつ仲間が語り始めていたけれど、なかなかきっかけがつかめなかった。方法は、仰向けに横になっている彼女の両手をとって、胸の前で両手を一緒にたたき合わせながら、パソコンのスイッチを私たちが押して、「あいうえお」、「かきくけこ」といってゆくと、選びたい行で手を大きく開いて合図を送ってくる。そこで、その行の頭から一文字ずつ手をたたき合わせながらパソコンで発声させていくと、選びたい文字で再び両手を開いてくる。この方法は、アニメや音楽のソフトならば上手にスイッチ操作ができるのだが、タイミングの調整がむずかしいために、ワープロとなるとうまくいかないという状態の中で、試行錯誤しながら見いだした方法だ。「かわいい○○です」から始まった彼女の言葉は回を重ねるごとに長くなっていった。
 2度目の1月の文章は、なんと、今は家を離れて大学に通っているおにいちゃんの彼女の話。
「(お正月に)おにいさんあえてうれしかった。ほおまでうれしかった。たくさんしゃべりたかった。かのじょのしゃしんがみたかった。こんどかえってくるときにしゃしんをみせてかわいいしゃしんをとってきてね!めーるしてくださいおにいさんに」というもの。なんとも、ほほえましい文章。
 3度目の文章は、2月。おとうさんが一緒に寝ようとするいやがるという話を受けてこう書いた。「ままのことがすき。ぱぱは、もちろんすき。ぱぱがすきだけど、ねるのはいやよ。おとこだからねるのは、よくないとおもってます。(後略)」ユニークな言葉だった。
 そして、今回が4度目の文章。残念ながら、「ゆううつ」という言葉の入った、168文字の文章は、秘密の文章。その後、お茶をしながら、パソコンは使わずに、「あ」「か」「さ」「た」「な」というふにして両手をとってたたき合わせながら聞いてみると、文字が選べた。「のみもの」とか「もらってありがとう」など、なめらかに表現することができた。そんな最中に発作が。お母さんが、「最近発作のあと、笑うんだけど」とおっしゃったので、さっそく聞いてみた。すると「わるいとおもってわらう」と返事が返ってきた。
 そして、今回の関わりの途中で、一瞬うとうとしてしまって読み取りが乱れてしまった私のことを話していると、すかさず、話したいというそぶりをして、私の顔をにやにやしながら見て、「つかれているの」と告げてきた。その自然なやりとりと、その台詞がいかにも○○さんらしさに満ちているということで、本当におもしろかったし、彼女自身も終始、おなかのそこから喜びがこみあげてくるような笑いをずっと浮かべていた。
 半年前まで、言葉をひきだすことができなかった彼女が、今、ふつうに会話をすることができるようになったのは、まるで夢を見ているようではあるけれども、もちろん夢でも何でもない。この現実に私たちが気づくのがあまりにもおそかったということだけだ。しかし、まるでそんなことをとがめもせずに、○○さんは、一言でもたくさん話そうとして、私たちの手を取り続けた。
 この独特のやり方が、一刻も早く、彼女のまわりの人たちに広がっていくことを心から願うばかりだ。
2008年5月24日 01時33分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩1 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/8/
2008年05月20日(火)
小児科病棟にて
東京の郊外の病院の小児科のICUに生まれてからずっと入院している小2の男の子がいる。骨の形成に関する病気で、自由に動かせるのはあごや口に限られている。3歳4か月の時に出会い、訪問を続けてきた。2スイッチワープロを使っているが、1個のスイッチしか使えないので、あごで送るほうのスイッチを操作してもらう。彼が送るのをやめたらそれが決定だ。ワープロで初めて文を綴ったのが3歳8か月。「じうれしい」だった。常識外れの関わりかもしれないが、彼には少しでも早く表現方法を伝えたかった。
 その彼も今年は2年生。訪問教育を受けるようになってから、ぐっと世界が広がった。とても優しい男の先生が彼にいろいろなことを教えてくれている。
 今日の彼の文章は「ふつか ひさしぶり もおやめるのかと」というもの。私たちには、何のことを言っているのか、さっぱりわからなかったが、看護師さんが、あら、「私、今日、二日ぶりね」とおっしゃったことから意味がすっと判明した。彼は、その看護師さんが小さいときから大のお気に入り。ところが、最近なかなか部屋の担当にまわってこない。今日は、ようやく彼女が担当にまわってきたとのこと。二日前は、担当ではなかったけれど顔を合わせたらしい。彼にとっては、大好きな看護師さんとの別れはとてもつらい。だから、とても心配だったのだ。
 いつもより文字数が少なかったのは、あごの動きがむずかしかったからなのか、それとも、不安な気持ちが文字を選ぶ速度を落とさせたのか。いずれにしても、さっそく看護師さんから「私、どこにも行かないよ。」と言葉をかけられ、彼は、ほっと安心することができた。

 その隣のベッドには、中2の女の子がいる。口元の動きでかすかなYesを読み取ってコミュニケーションが成り立っている方だ。ぴくっぴくっと動く口の不随意運動があるので、なれた方でないと読み取れない。私は、まだ、読み取れないでいる。
 その彼女とパソコンにチャレンジを始めて今日で5回目になる。
 スイッチ操作の可能な自発的な運動は、残念ながらどこにも見つかっていない。そこで、彼女の右手に軽くスライドスイッチの取っ手を引っかけるように握らせて、その右手をつつみこむようにして下から支え、一緒にスイッチを入れていくと、選択したいところで私の手をほんのわずか押すような動きが起こってくる。それを感じ取って文字を拾っていく。平行して、お母さんは、彼女の口元の合図を読み取り、訪問の先生は、ベッドサイドの機械の心拍の数値の変化を見ている。私とお母さんと先生の判断が一致すると、それが選択と言うことになる。まだ、正確な読み取りは完全にはできないのだが、「きてくれて」「うれしい」というような単語がつづられた。私が関わっている方々の中で、もっとも小さな動きを読み取っている方になる。
 必死で動かない手に力をこめてくるその思いの強さは、崇高さを感じさせるものだ。

 帰り道、集中の連続でやや放心状態になりながらも、気分は、さわやかだった、ちょうど、嵐のあとの今日の風のように。
2008年5月20日 20時33分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 小児科病棟 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/7/
コミュニケーション障害としての重症心身障害
小松美彦という生命倫理の研究者が、医学的な「植物状態」を「コミュニケーション障害」の可能性が高いと明言する文章に出会った。その言い切り方は、その考えに近いものを感じている私にとっても、そこまで言っていいのかと驚きを覚えるものだった。しかし、その直後、この「植物状態」というところに「重症心身障害」を入れかえられると気づいて、強い支えをもらった気がした。もちろん私たちが出会っている人たちは、決して「植物状態」ではない。しかし、多くの常識が、重症心身障害という状況がコミュニケーション能力の不在を前提としているという意味では、事態は似通っている。なお、コミュニケーション障害とは、梅津八三先生が「相互障害状況」言ったことと共通するもので、私とあなたとの間に存在する「障害状況」を個人の能力に帰するのではなく、通じ合えないという関係が損なわれているとするものだ。
 重症心身障害という状況がコミュニケーション障害にすぎないことを示す事実は私たちの前にたくさん存在している。それは、現在の医学や心理学、教育や社会福祉の常識に反するものだ。しかし、いつか、重症心身障害と呼ばれる状況が「コミュニケーション障害」に過ぎないという認識が現在の常識に取って代わる日は遠くないはずだ。
2008年5月20日 11時52分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/6/
2008年05月18日(日)
ある兄弟の家庭訪問から
 3ヶ月ぶりの家庭訪問で、お二人の兄弟にお会いした。お父さんの転勤で北陸から出てきて1年になる。お二人には数年前から福井での合宿でお会いした経緯からの訪問だった。
 二人とも援助があったら2スイッチワープロで文字を綴ることができるのだが、ゆっくりと長い文章を書いてもらったのはこちらに来られてからのことである。
 2月の時は、弟の方に既有の知識を尋ねる意味で、次のような算数の問題も解いてもらった。
45÷5=9 
0.4÷0.1=4
0.2×0.3=0.06 
である。予想以上に学習は進んでいた。しかし、こうしたことが理解できる子どもだとは誰にも思われてはいない。
 今日の文章は以下の通りだった。
 まず最初に書いた弟の方から。
 
てがうまくつかえないのがくやしい
(今日持参したスイッチに対して)せっかくつくってくれたけどべつのすいっちがいい。
こせるか(こなせるか?)どうかしんぱいです
きもちだけがさきばしってしまってなかなかうまくふつうどおりにいきません。
てがうまくつかえたらとおもうけどせいいっぱいがんばってもすいっちがずっとできなくてくやしくおもう
おかあさんがあまりくよくよしないからすくわれます。ぼくはくつうですがねがいがかなえられたらいいとおもいます。
とてもぼくのことをたいせつにそだててくれてかんしゃしています。
(中略)
ねがいはみんなときもちをつうじあわせることです
ゆめはけっこんすることです
ふたりでささえあっていきていきたいとおもいます
きれいなじょせいでなくてもやさしいひとがいいです
むずかしいかもしれないけどがんばりたいとおもいます
 
 次は兄さんの文章。

にんげんとして いきて いきて いきたいとおもっています
けっこんしたいとおもっています。
けっこんしてみたいひとは やさしいひとです。
ねがっている すばらしいじょせいがあらわれることを。
おかあさんいつもありがとう くろうばかりかけて
といれをするときも いつもついていてくれて
たいへんなのに ふしぎです
せいいっぱいやっていても
ふまんひとついったことがない
おなじことのくりかえしで たいへん
いそがしく ひとりでがんばっている
ほんとうに えらいとおもう


 二人とも現在中学生。これから大人に向かう二人の、母親への思いと、結婚へのほのかなあこがれの思いが綴られていた。
2008年5月18日 23時17分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 家庭訪問 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/5/
ある学習グループでのできごと
 毎月一度集まっているグループでのできごとだ。脳性マヒのための構音障害のせいではっきりとした発語はむずかしいものの、「はいといいえ」や、身振り、表情などで日常のコミュニケーションは豊かにとれている一人の少年がいる。そのグループの中では身体障害の程度がいちばん「軽く」、学習も文字と数の学習に照準を合わせてこれまで関わり合いを続けてきた。彼が示す行動も、どのように教材がとらえられているかを示唆してくれるもので、私たちにとっては、「先生」であった。そして、きっと文字を自由に読めるようになれば、トーキングエイドのような機器を使いこなしてコミュニケーションをとるにちがいないと思っていた。だが、「あいうえお」の5文字の弁別でも不正確さを残している彼には、まだまだ踏まねばならないステップがあるように思われていた。
 ところが、最近になって文字の弁別のあとに、手をとって文字を書いてもらったところ、円運動で書く部分などが実に正確で、文字の成り立ちをよく理解しているように思われ、弁別学習における彼の姿との間にギャップのようなものを感じたのである。
 私たちは、文字や数の問題は、「認識」の問題と考えることになれているが、彼の場合、思った以上に見え方の問題がからんでいるのかもしれないということを改めて考えるようになった。
 そして、ひとしきり文字の弁別学習を行った後、パソコンでワープロに挑戦してみた。すると、けっこう画面をみながら文字を選べることがわかった。
 昨日もそうやって選んでできた文章が、次のようなものだった。

 さぎょうしょじっしゅうがんばり しごとみつけたい
 たすけあってまいにちしごとしていきたい

 どこか、あどけない彼を、知らず知らずのうちに大人として見てこれなかった自分を、恥じるばかりだ。
 それとともに、彼のような状況にある子どもの書き言葉の問題を、今新たにつきつけられることになった。彼には、確かな弁別の力を身につけてもらいたい。だが、一方で、すでに存在する彼の豊かな表現の力を十分にかたちにする責任もまた、私たちにはあるはずだ。
 高等部2年になった彼は職場実習が始まる。こうした表現する力を秘めた存在として、卒業後の社会に受け止めてもらえたらと思う。
2008年5月18日 23時15分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩2 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/4/
2008年05月17日(土)
盲学校にて
 明確な発語もなく、手の操作も力が入りすぎてぎこちなかったYさんが、点字を区別し始めた。八王子盲学校の小学部で起こっている奇跡のようなできごとだ。
 私が月一回程度の頻度で、八王子盲学校にうかがうようになって4年目を迎える。この3年あまり、私は、学校ぐるみで大変充実した重複障害のお子さんに対する教育が展開されていく姿をまのあたりにしてきた。
 Yさんの学習は、一歩一歩先生方の着実な努力で前に向かって進んでいたが、手の操作には肢体不自由のハンディのためと思われる強い力が入っているために、なかなかスムーズな動きが出にくく、どれだけ本人が納得してるのかを十分に確認できないような場面も少なくなかった。それが、昨年度末の3月、それまでの学習の成果が一気に花開くような場面に出会うことができた。
 一つはそれまで入っていた力がうそのように抜け、なめらかな手の動きが生まれてきたこと、そして、かなり抽象度の高い日課表の触覚的なシンボルを、はっきりと触り分けて、先生の求めるシンボルを確実に手渡していたことだった。ちょうど、この年度を1年限りで担任されておられた先生の授業の最後の見学となったので、この日の感動を私は、手紙にして先生に送った。
 それから、2ヶ月後、Yさんは、新しい先生と、ついに点字の学習に入っていた。学習する姿もたいへん誇りに満ちた様子で、先生とのやりとりも非常に豊かになっていた。そして休み時間にはかつては必ず太鼓のところでひとり音を楽しんでいたのに、この日は、人との関わりを楽しむようになっていた。
 このクラスにはあと二人友だちがいる。その二人もまた、点字の学習に当たり前のように取り組んでいる。ともに、3年前には考えられなかった姿である。このお二人のこともまた、いずれ書くことになるだろう。
 教育の可能性の限りなさと子供の可能性のすばらしさをあらためて感じた一日となった。
 
2008年5月17日 01時09分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/3/
2008年05月13日(火)
「ながいねんげつだった」27年
 ゴールデンウィークの最終日、ひさしぶりにTさんのお宅を訪問した。Tさんとの出会いは1981年にさかのぼる。大学院に入り立ての私が週一度通い始めた遊園施設に彼はいた。小1だったが、健康面での配慮のため、通園施設で養護学校の訪問教育を受けていた。とりわけ障害の重いお子さんとして私は、特に彼に意欲的に関わった。翌年、養護学校に通学が決まってからは、家庭訪問のかたちで関わりを継続した。その関わりのかたちは、彼が20歳を過ぎて、施設への入所が決まるまで続いた。私の関わり合いは一貫して手の操作性や目の使い方に関するもので、彼のためだけに作られた教材も数知れない。そんな彼のことが、しきりに気にかかり始めたのは、この3,4年のことだ。周りで、いろんな子どもが私たちの常識を越えて文字を綴り始め、それじゃあ彼はどうなのか、という問いが、しだいに頭をもたげてきたのだ。
 そして、5月6日、彼と再会した。1年前に、2スイッチワープロで、簡単な言葉を一緒に選んだこともあったのだが、それは、確信にはいたらなかった。しかし、きっと彼は、そういう表現方法があることを見逃しはしなかったのだろう。この日、いくつかの単語を一緒に書くことを練習のようにした後、自由に書いてみてと言うと、次のような文章を、終始、こぼれ落ちるような笑いとともに、つづった。

おとうさんおかあさんいつまでもげんきでね。ありがとういつもかわいがってくれて ことばでつたえたかった 
(文字はどうやって覚えたのかという問いに対して)ひとりでおぼえた
えがおでいきていきたい
なぜわかったのことばをしっていたことを
ことばではなせるとはおもわなかった
ねがってもかなわないとおもっていた
てをつかえるとはおもわなかった
やっときもちをつたえることができるのできぼうがでてきました
ふりかえるとながいねんげつだった。
りかいしてくれてありがとうございます。
 
 彼との間に流れた年月は27年。本当に長い年月だった。取り返しがつかないけれど、このようにしか生きてこれなかった時間だ。彼にしいてしまった忍耐を、これ以上続く世代に課してはならないと思う。
2008年5月13日 06時58分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 家庭訪問 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/2/
2008年05月12日(月)
ある女性の逝去
隔月で通っている通所施設の女性が逝去された。自発的に動かせる体の場所はほとんどなく、スイッチを通した関わり合いは、ことごとく失敗して何年も経過してきた方だ。ところが、体調が安定してきた昨年の12月、彼女は、突然文字をパソコンで綴った。「うれしい ぱぱいろいろありがとう ままいままでありがとう」という両親への感謝をつづったものだった。そして2月の文章は、53文字で、昔の仲間に手紙を書きたいという思いだった。最後の関わりとなった4月、文章は、427文字と飛躍的に長くなったが、冒頭は、「くやしいのしんじてはなやくさのようにほこりをろまんいっぱいにもちつついきていてもしんじてもらえないの」というものだった。現在の常識では、彼女ほどの重い障害を持っている方が、いきなり文章をつづるということは、にわかには受け入れがたいことである。私も、もっと時間を重ねていく中で、徐々に理解されていけばよいと考えていた。しかし、彼女にとっては、せっかくつづれた思いが思うように届かないことははがゆかったことだろう。そして、文章は、さらに「ねがいはたくさんのひとにしんじてもらえることです。」と続いた。しかし、文末は、「のぞみをすてないでよかったねわたしたち。りかいしてくれてもっとわたしたちのことをよのなかにつたえてください。ろまんいっぱいにこれからもいきてゆこうね。」と希望の言葉で結ばれた。
 ご葬儀で、私は、ご家族に初めて彼女の文章を手渡した。生前にお渡しできなかったのは、本当に残念だったが、それは、私の力のなさのなせるわざだった。
 ご葬儀は、彼女がどれほどご家族や周囲に愛されて日々を生きていたかをうかがわせる心のこもったものだった。言葉を越えたつながりの中で彼女が幸せに生きていたことをしみじみと感じた。
 死という冷厳な事実の前には、ただ立ちすくむしかないのだけれど、やはり、「もっとわたしたちのことをよのなかにつたえてください」という彼女の思いを、しっかりと受け止めて、また明日からの関わり合いの場に向かおうと、思いを新たにしているところだ。そして、少しでも、はやく、彼女たちが言葉を豊かにもっているということが、当たり前の常識となる日がくればと思う。
2008年5月12日 00時35分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 通所施設 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/1/
前へ