今年度も青年学級の通常の学級活動が始まった。言葉の問題を真正面から取り上げた今年のわかそよは、無事成功させることができた。青年学級にパソコンを持ち込んで障害の重い人の言葉の世界が開かれて、ほぼ1年。いろいろなドラマがあったが、Sさんには、どうしてもきちんと迫りきれなかった。そのSさんと、久しぶりにゆっくり一日過ごすことができて、ついにSさんの気持ちに迫ることができた。
Sさんは、自力で歩行もできる方だが、コミュニケーションが対へむずかしいとされた方で、行動の面でも、心を落ち着かせるためだと思われるが、ティッシュペーパーやペットボトルなどをとろうとして、周囲の状況にまるで関係がないようにそちらに向かって突進していくようなところがある方だ。彼から話を聞き取れた今となっては、それが必ずしも彼自身が納得して起こしている行動ではなく、勝手に体が動いてしまっていたわけだが、それらをすべて彼の意図と見なしていた時には、彼をどう理解したらいいのか、本当に途方にくれていた。
私たちの関わりも、いきおい、彼の行動を止めることになりがちで、関係をうまくつくれないまま、ずいぶんと長い時間を過ごしてしまったように思う。
そんなSさんに、今回は、手をとってあかさたなと尋ねていく方法で、コミュニケーションを図ってみた。すると、これまでのずれがうそのように、彼は、次々と気持ちを語っていった。その中で、くりかえし語られたのは、彼が以前通っていた通所施設にまた通いたいというものだった。実はその通所施設は今はもうない。なぜなら、彼が今通う施設は、その通所施設が、他の施設と合併して新たに生まれた施設だからだ。その以前の施設には、私も若干関係していたので、その施設のすばらしさ、そして、Sさんがその施設でどれだけ穏やかに過ごしていたかは、実際に目撃してきた。しかし、もうその施設が発展的に解消してから、もう何年も経過した。それでも、彼は、その以前の通所施設のことを語り続けたのだった。(残念ながら手で聞き取ったので、書き留めなかった部分は記録としては残っていない。)
今回の活動は、作品つくりコースだったが、次回七夕が近いので、笹に願い事を書くということになったので、Sさんに願い事は何にするかと尋ねてみた。すると、さっそく、
「○○(かつての通所施設の名前)がわたしたちのためにまた始まりますように」という願いごとを書いた。
ずっと言葉を語るチャンスを持たなかった彼が、長い沈黙の時間の中で、ずっと願い続けてきたことだったのだ。
また、一つだけ、書き取った言葉がある。それは、Sさんに詩を書いてないか尋ねて答えたものである。それは、次のようなやさしい詩だった。
春の風が吹いてきて
ゆめがいっぱいふくらんだ
よい私のために 風が夢を運んでくれた
夢をかなえるために 私は勇気を出して
私のために夢を育ててきた
私の夢は私だけのもの
勇気を出して夢を育てよう
私の夢はよい夢
私の夢は私だけの夢
私の夢は私のゆいつのよりどころ
よい夢を育てて 夢をかなえよう
私の夢はよい夢 私の夢はよい夢
夢を育てて 夢をかなえよう
帰りに迎えに来られたお母さんの前で、一緒に会話した。
母さん、いつもありがとう。母さん、やっと理解してくれる人が現れたよ。
突然のことにお母さんも驚かれていたが、彼の言葉を、しっかりと受け止めていただけた。
今年は、たくさんSさんと語り合えそうだ。
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2009年6月26日 06時26分
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青年学級 |
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大学の授業で、今年3月に学校を卒業した男性方が、同い年の学生に話をしてくれた。この授業では、学生と同世代のゲストは3人目になる。一部の学生は、慣れもあってなかなか私語をやめない。注意をすると雰囲気も悪くなるし、いくらなんでもやむだろうと考えて、特別の注意もせず、話を始めていただいた。
わたしのなまえ○○○▽▽▽▽といいます。
名前はいいですが、不自由な体で見たとおりの体です。自由に言いたいことが言えないので、自分の気持ちを伝えることがむずかしいです。
聞いてほしいことがあります。自分たちは、見た目で判断されるので人間として認められないことがあります。びっくりされるかもしれませんが、小さいときからぼくらは人間扱いされてきませんでした。
(一部の学生が私語をやめなかったことに対して)
なぜ話を聞いてもらえないのでしょうか。残念です。小さい時からなかなか自分の気持ちを聞いてもらえなかったので慣れていますが、ない機会なので、大事にしたいと思います。
自分にとってびっくりすることは、分相応の生き方をしていても、禁止されることが多いことです。ぎちぎちの決まりやずっとぞんざいに扱われてきたことで、なかなか人を信じられなくなっています。自分にとって小さい頃のみなさとの記憶が早くなくなればもPっと素直になれると思います。小さい頃のいい思い出がなかなかありません。小さい頃からみんなからばかにされたり人間扱いされなかったので、人間として聞いてほしいです。人間らしく生きようとしてもなかなかまわりは理解してくれません。人間として扱ってほしいです。小さい頃からのどうしても果たすべき夢でした。
みなさんはなぜ学校で勉強しているのですか。びっくりするかもしれませんがぼくは学校で何も教えてもらえていません。小さいときからずっとそうでした。小さいとき―眠っている人がいるのがいらいらして話せません―から話せなくてみんなから無視されてきたことがつらかったです。みんなも勇気を出して言いたいことを言ってください。小さいときからの疑問でしたから聞きたいです。
びっくりしているのですか。なぜ何も言ってくれないのですか。
(学生:学校ではどんなことをやっているのですか?)
歌とか感触遊びとかずっとやってきました。みんなが幼稚園の時にやっていたものです。
(学生:今まででいちば楽しかったことは何ですか?)
自分の気持ちが言えたことです。願いでしたから、気持ちを聞いてもらえるとは思いませんでした。びっくりしました。そんなことができるとは思いませんでしたからうれしかったです。人間として認められたような気持ちがしました。自力で話せるようになりたいです。小さい頃からの夢でしたが、なかなか信じてもらえません。学校の先生は、信じてくれませんでしたから。きびしいです、生きるということは。学校には行きたかったです。普通の勉強がしたかったです。分相応の生き方でも、ぎちぎちなのはいやです。みんなと同じ勉強がしたかったです。(学生:将来の夢はなんですか?)
将来の夢は夢に過ぎませんが、一人で生きていくことです。唯一のゆめです。だけどむずかしそうです。ぎちぎちの世の中ですから。
今日はいい機会を与えていただいてありがとうございました。自分の気持ちを人前で話したのは初めてです。自分の気持ちを聞いてもらえてありがたかったです。なかなかうまく話せなくてすみませんでしたが、よい時間をありがとうございました。
けっして学生にはただ耳障りのよい話とは言えなかった。私語や居眠りをきっちり指摘する強さは頼もし限りだったが、生まれて初めて人前で語る自分のことを、本当に受け止めてもらえるのかと不安に思わざるをえないこれまでの日々を思うと胸がいたんだ。
途中私も、対等ということを学生に語った。
これまでの歴史は、目の前の学生たちとあまりにも違うが、○○○さんを受け入れる同世代の対等な存在が、彼に自信を与えてくれたにちがいない。
研究室にもどり、リラックスした雰囲気の中で、彼には詩を書いてもらった。次の通りである。
いい風が吹いてきて
においのいい風とぼくのハーモニーが
どこからともなく聞こえてきた
人間として初めて認められた
願いを携えて分相応の道を生きていこう
小さな頃の緑と白の交差する道を
南に向かって歩いていこう
別々に夢を見てきた私たちが
ここで一つになり
別々のよい小さな願いを分かちあいながら
じっとあしたを待ち続けよう
別々の時間が一つになり
別々の夢が一つになるとき
人間として生まれたことを誇りに思いながら
未来に向かって道を切り開いていこう
人間として生きながらえるだけではなく
一人の人間として生きていきたい
ぬいぐるみのような生き方に沈黙させられるのではなく
人間として誇りをもって生きていきたい
願いはびりになってもいいから普通の学校に行きかった自分もいて
夢いっぱい見ながら 今日まで生きてきた
自分の夢だけではなく 仲間たちの夢をともに理解しながら
人間としての道を切り開いてきた
夢は広がって 夢としてずっと小さな光を放ち続けているけど
小さい頃の夢は自分一人ぼっちの夢ではなく
分相応ではあっても仲間とともに見る夢だ
別々の夢が一つになって小さな光を放った
別々の夢が一つになって見知らぬ世界を開いてくれた
小さい人間でも願いは同じ 誇りを持って生きること
小さい人間でも願いは心の中で よい光を放っている
小さい光かも知れないが 光は永遠の光として心の中でかがやき続けている
自分と仲間のために きっといつまでも
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2009年6月19日 01時53分
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大学 |
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兄が物語を作り、弟は詩を作っている兄弟のもとを訪れた。手を使っていろいろ話したあと、兄がさっそく物語を聞かせてくれた。
にぶくいやなおとがして ききみみをたててきいていたきつねは ごめんなさいとあやまった
きいていたみせのしゅじんは こらっとおおきなこえをだして じっとずるがしこいきつねをとらえようとすると みずのいっぱいたまったぼこぼこのばけつを しずかにしずかにおとをたてないようにとりあげると ねらいをさだめてなげつけた
ちいさなひめいがれいきをひきさいておこり にんげんがそこにたおれていた みしらぬひとがたおれていたので じかんがわからなくなったてんしゅは みたことはみたけれどじしんがなくして ちいさなきつねはふしぎなわいんになってしまいました
ずっとちいさなきぼうをすてないようにいきていき なんといいかおをしているのかとずっといろいろかんがえていました
きつねがいなくなったあとにんげんがたちあがって りかいできないようなずっとさいごまできこえるおおきなこえでいいました
きついからだできょうまでいきてきたけれど これでおわかれですといいました
いいうたがきこえてからぬいぐるみのじぶんしかみていなかったことをふどうのことばとしていきますといいました
のぞめばかなうとわかりちいさいみがなればいいとさとりました
きつねのすがたはかりのすがたです
ちいさいときにきつねにかえられただけです
ゆめをみていただけかとかんじたけれど ほんとうのことだったのだとおどろきましたといいました
きつねつきみたいでしょう おもしろいかどうかしんぱいです
不思議な物語だが、この物語にこめられた彼の思いは、わかるような気がする。
そして、弟はまず、詩を綴った。
ちいさいねがいが ちいさくひらき
やさしいすがたの やさしいゆめが
ねがいのはなを ひらかせた
なやみをわすれない よくみるとべつべつのはなびらでできたみずべのはなが
むかしのおもいでをなくさないようにとさきほこっている
においのいいはながさき
るりいろのはねをしたとりが
ねがいのびんかんなろうそくがともったけうなそらをとびかい
ゆめにみたされたぼくのように
ときをこえてかぜによばれながら
ぬいぐるみのじんせいにわかたれをつげて
みたこともないそとのせかいにたびだとう
そして、歌を作っていないかと尋ねたところ、次の詩を綴り、その後、メロディーを聴き取らせてもらった。
ゆめをしずかにそだてたい
ゆめをしずかにそだてよう
ゆめがしずかにそだったら
ゆめをしずかにわかちあい
ゆめのゆうきをわたしはもらう
ゆめのゆうきをしっかりもって
ゆめのわたしのわたしをすすむ
ゆめのわたしがすすむみち
ゆめのだいちをかけめぐる
兄は高校生、弟は中学生。もっともっと彼らのこんな姿を、まわりの人たちに知ってもらえたらと思う。

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2009年6月10日 01時00分
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家庭訪問 |
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ダウン症と呼ばれる障害は、障害をめぐる議論には頻繁に登場するよく知られた障害だ。私も、沢山の方々に出会い、特に青年学級では、長期にわたって、そのように呼ばれる方々とつきあってきた。(もちろん、一人一人は、名前とその名前が指し示す個性溢れる一人の人格であり、こうした障害名で人とつきあったりすることははい。)そして、その中には、非常に寡黙な人がいることもよく知られているが、そんな人たちが、言葉を秘めていたという事実は、ほとんど省みられてこなかったのではないだろうか。
先日、発語もなく、座位をとることも困難なダウン症呼ばれる高校生○○さんのお宅を訪問した。私にとっては、青年学級で文字を綴った2人の寡黙なダウン症の方の存在が、大きな支えだった。
お茶とケーキをごちそうになって、さっそく、パソコンを開いた、目の前の彼が本当にできるのかどうか、目の前の状況だけではまったく判断できない。しかし、私はそんな自分のあいまいな判断などとうに捨て去った人間だ。やるしかなかった。
名前を書いてと頼むと、確実な手応えが返ってきた。そこで、自由に書いてもらった。
いいすいっちですね いいきもちです きもちいいかけるとはおもわなかった
(家族にメッセージはありますか?)
いつもありがとう いいかぞくでよかった
じぶんのきもちがいいたかったけどいえずにこまっていました きもちがいえてうれしい しんじられないじをしっていることがなぜわかったの びっくりしました
きいてほしいことがあります にんげんだからきもちがあります きいてくれてありがとう ちいさいときからはなしたかった いいおかあさんとおとうさんがいてよかった
ふしぎです なぜちからをいれていないのにわかるのですか
(○○さんは何をしていますか?)
ここだとおもっています
(字をどうやって覚えましたか?)
おかあさんがえほんでおしえてくれた いいうたがありました さっきょくしゃはかあさんです おかあさんがよくうたってくれました
りかいしてくれてありがとう
こうして、どんどん文章を綴っている間も、彼の手は落ち着かない。まるで、いやがっているようにさえ見える。しかし、決定的に振り払われるわけでもない。そこで理由を尋ねてみると、
もたれるといたいかんじがする
という答えだった。
ちいさいころはないてばかりいたけどないてきもちをあらわしてもつたわらないことがわかったのでなかないことにしました
これは、お茶をいただいている時に、お母さんと3歳下の弟さんが、話してくれたことを受けたもののだった。
いいにくいことだけどかあさんしずかにみまもっていてください ぼくはきっといいおとなになってみせます にんげんとしていっしょうけんめいいきていきたいのでりかいしてください
さぎょうしょはいいところがみつからない ちいきでいきていきたいけどどうすればいいかこまっています ふくしえんでもいいけどじぶんのきもちをりかいしてくれるかしんぱいです いいりかいしゃがひつようです
びっくりしました これまでだれもぼくがいろいんなことをりかいしているとはおもわなかったから
見守ってほしいとは、卒業後の生活のことだった。ここで、体の動きについていくつかお母さんンが質問された。
(あごをたたくのは起こっている時?)
おこっているわけではありません からだがかってにうごくだけです ちいさいときからからだをうまくつかえなくてこまっていました
(手を口に入れているのは何か意味があるの?)
いみはありません
(帽子をいやがるけれど…)
ぼうしはきらいです いやです
(何でも口に持って行くのはなぜ?)
かってにうごいてしまいます かってにくちにいってしまいます
(口に持って行くタオルは?)
たおるもいらないです ゆびもかってにいきます
私たちが長い間解けなかった疑問がこうして、当時者の証言によって、今、少しずつ明らかになっていく。」
かあさんにはもっとずっとこのままげんきでいてほしいです いいかあさんだからじぶんのじかんをもっとだいじにしてください さかんにかあさんをりようしてきたからもうしわけないです
とうさんだいすきです なかなかやすめないのでからだにきをつけてください
ほんがすきです よんでくださいおねがいします ものがたりです
(テレビは見えるの?)
みえません
(めがねをかけてみる?)
かけてみたい がんばります
(二択の問いは困っていませんか?)
にたくはこまります かってにからだがうごきふざけているといわれてしまいます
(音楽は?)
きくのはだいすきです きいているときもちがおちつきます きいているとかんどうします
(歌詞もしっかり聴いているよね?)
きいています
そして、詩を作ったことはあるかと尋ねたところ、次の詩が綴られた。
じっとかぜにふかれていると むかしのことをおもいだす
じっとかぜにふかれていると きれいなこころがわいてくる
ちいさいぼくはかぜにふかれてくなんをちいさなしあわせにかえる
いいちいさいぼくはかぜにふかれてじぶんがみとめられるひがくることをゆめみている
きれいなかぜがふいてきてぼくのねがいがかなった
みらいがあかるくひろがって
さかんにじぶんがちいさなこころできれいなゆめをいのりながら
きれいないのちのじぶんをねがう
いいしでしょうか
みとめられてうれしいです
手を振りながらの会話も合間に含めて、たくさんの言葉をやりとりできた。
3時間という時間があっという間に過ぎていった。よい方とよい家族に出会えた、そんな思いで家路についた。
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2009年6月7日 18時14分
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授業のゲストに、私の授業の常連の利光徹さんにくわえて、高校3年生の☆☆さんに来ていただいた。いつもは、利光さんがお一人で話されるのだが、今回は、まず、☆☆さんにパソコンで話をしてもらった。今年の1月に初めて気持ちを表現できるようになった☆☆さんだが、自分より1歳上の学生たちに堂々と語りかけた。
きいてほしいことがあります
ひいでたにんげんではありませんがわたしのきもちをきいてください
びっくりしたかもしれませんがびんかんにかんじとってくれるのでわたしのきもちをつたえることができます
じぶんのきもちをきいてもらえるようになってはんとしがすぎました
にんげんとしてみとめられてうれしいです
びじんになることをゆめみてきましたがいかがでしょうか
みんなのめにはどううつりますか
なやみはちいさいときからずっといいたいことがいえなかったことです
ちいさいころからきもちをいいたかったけどなかなかかないませんでした
ゆめはきちんとしたにんげんとしていきていくことです
にんげんとしてきちんとしたいきかたをしたいとおもいます
きいてほしいことがあります
きちんとしたせいかつをするためにはちいさいときからがっこうでべんきょうをしなくてはいけませんがなにもがっこうではおしえてもらえないのでしんぱいです
なぜがっこうのせんせいはおしえてくれないのでしょうか
じぶんではなにもすることができないのでべんきょうをしたくてもできません
じぶんのきもちをきいてくれるせんせいがほしいです
むずかしいかもしれませんがじぶんのきもちをわかってほしいです。
話し終えて、学生から、字はどうやって覚えたのかという質問が出された。
じぶんでおぼえました
また、彼女からの「びじんになることをゆめみてきましたがいかがでしょうか」との問いかけに対して、ある男子学生は、かわいいと思います、と応えた。
こうしたやりとりの後、大先輩である利光徹さんが、自立生活をする重度の身体障害者の立場からコメントをくわえる。このままの自分をしっかりと受け止めていくことの大切さや、このままの自分で何が悪いのかという気持ちを持つことの重要性を語り、さらに、夢は幻想とはちがい、かなえるためのものであるということ、そして、夢は今、まさに始まったばかりだということを☆☆さんに語りかけた。
利光さんの話の最中に何度も、にっこりと笑っていた☆☆さんの姿に、この出会いが深い意味を持ったことを確信した。
授業の後、研究室で、利光さんと☆☆さんを囲んで数名の学生と語り合った。
学生たちは、まず、☆☆さんの手をとって言葉を聞き取ろうとした。好きな色、好きな天気など、学生たちは、質問を工夫して、答えを読み取ろうとし、いくつかの文字を聞き取ることに成功した。
そして、お母さんは、ご自分ではなかなか気持ちを聞き取ることができないので、いくつかの質問を用意されていた。
その中に、「どんな勉強をやりたいか」ということがあった。そして、その答えは、
びっくりすぎるぐらいむずかしいことがやりたいです
たとえばみんながやっているようなべんきょうです
(みんなとは?)
だいがくせいです
(どんな計算ができますか?)
325÷5=65
いつもかんがえているからわかります
(もっと知りたいのは?)
しょうすうのわりざんです
にんげんとしてげんきにいきられることがまなびたい
だけどむりしないでください
ぬいぐるみのことをかんがえたらもうじゅうぶんにしあわせですから
ちいさいゆうきがほしい
そして、お母さんから「今、ほしいものは?」という質問があり、次のような答えが返ってきた。
ちいさくてもいいからでんどうくるまいすがほしい
じぶんでできないかもしれないのでじぶんでじぶんにむかしのゆめをわすれないようにするためにほしい
今度電動車いすに挑戦してみるという話をお母さんがしておられたが、そのことをめぐる気持ちだ。かなわなかもしれない夢だけど、その夢を忘れないために、小さな小さな電動車いすのミニチュアがほしいということのようだった。
そして、数日前に、ディズニーランドで、人形がほしいということを言ったとのことで、そのことをお母さんが尋ねると、
のぞみはねがったとおりにならなくてもずっとびじんになることでした
にんぎょうはそのかたちです
にんぎょうといったのはとくになにかをのぞんだわけではなくにんぎょうのことをかんがえただけ
授業の時、「びじんになることをゆめみてきましたがいかがでしょうか」という言葉が、突然深い意味を持った言葉として思い出された。夢がすべてかなうわけではないことをしっかり見すえながら、その夢を持ったことを大切にしていきたいという切ないばかりの思いが、その言葉の裏にはあったのだ。
最後に、一つ、詩を書いてくれた。
にんげんとしてうまれていきてきて
ねがいをたくさんもちつずけ
ゆめをたくさんゆめとしてもちつずけ
じぶんのひかりをふだんからむずかしくてひからせられず
ふつうのがっこうにいくこともできずにいきてきた
でもちいさいわたしにりかいされるひがおとずれた
ちいさいひかりだけどちいさいひかりがさしてきた
らんぷのようなひかりをねがいとして
りかいされたよろこびをゆめとして
このせかいにうまれたことをよろこびとしていきていこう。
さらにこのあと、みんなで夕食に出かけたが、その席で、利光さんは、改めて、「夢は始まったばかりだ」と、彼女に、再び語りかけた。大学での新しい試みが、☆☆さんたちの夢の実現に少しでも役立てば幸いだ。
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2009年6月7日 00時23分
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通園施設でお会いして、その後しばらくお会いできなかった☆☆さんをたまプラーザキャンパスにお呼びした。
研究室には今年入学したばかりの新学部の一年生が、新しく作るサークルのことで集まっていたが、そこへ、合流した。楽しく談笑する若者たちの輪に、そのまま入ってもらいたいと思ったので、私からの紹介や説明は最小限にして、さっそくパソコンを開き、☆☆さんに話し始めてもらった。残念ながら、途中で、ワープロのプログラムが想定していた文字数(999文字)をオーバーしたのでプログラムが終了して、せっかく書いた文章は、消えてしまったが、そこに綴られたのは、大学生に向かって語りかけられた生き生きとした言葉だった。
どんな勉強をしているのかなど、いろいろ尋ねていくうちに、彼女が、「ほんねでいって」という言葉を繰り返し始めた。彼女がいったい何を言いたいのか図りかねているうちに、「例えば伝染病の人をさけるでしょう。私はずっとさけられてきた。」というようなことを語った。これまでの人生の中で、同世代の若者と対等に言葉を交わしたことのない彼女は、まったく、普通に話しかけてくる学生たちにかえってとまどいを感じたようだった。彼女のこれまでの経験では、人は、自分をさけるはずなのにというわけだ。
これまで、実際のゲストや映像を通して、そして、直に目の前でパソコンで普通に語る彼女を見て、学生たちには、たとえ、車いすで、パソコンを使って会話をしていたとしても、自分たちと同じように考えている同世代の若者がいるだけだと感じたようだった。
このずれは、ある意味でうれしいずれでもあった。☆☆さんにとって、初対面でいきなり対等に話をしてくる相手に初めて出会ったことを意味していたからだ。もちろん、対等と言っても、これまでの歴史や今置かれた状況は、明らかにちがう。彼女はしきりに、自由に勉強できるみんながうらやましいとも語った。しかし、それでも、当たり前のように対等に向かい合った☆☆さんと若者たちの会話は、とてもすがすがしいものだった。
会話の終わり頃に彼女が語った言葉は、以下の通りである。
にんげんとしてにんげんらしいいきかたがしたいです
もっとじゆうにねがい もっとはえあるにんげんとしていきたいです
ずっとさまよっていましたから じぶんらしいちからをみにつけたいです
ちいさいのぞみですが ぶんそうおうにでいいから ぶんそうおうのみらいがほしいです
じぶんにできることはなになのかをしりたいです
かいものひとつできないにんげんになにができるのでしょうか
ちいさいころからのゆめがかなってうれしいです にんげんとしてみとめてもらえてうれしいです
なかなかだれもみとめてはくれませんから にんげんとしてみとめられないことがあまりにおおすぎるから うれしいです
たまたま学生たちはここで部屋をあとにしていった。そこで、私は改めて、詩について尋ねた。彼女は家でご両親とワープロで毎日語っており、その中でいくつかの詩も作ってきた。そして、この日も次の詩を私に聞かせてくれた。
じゆうのかぜがふいてきて
みのたけにあったみどりのかぜが
わたしをびいどろのさきみだれるのはらへはこ
ぶぬいぐるみとしていきてきて
ゆめをのぞみながら
にんげんとしてひのあたるところに
わたしはろうそくのねがいをこもりうたのようにききながら
きょうのひをゆめみていきてきた
にんげんとしてのよろこびも
にんげんとしてのかなしみも
びんかんにかんじていきてきた
にんげんとしてのたましいを
のぞみどおりにりそうをかかげて
むかしのゆめはゆめとして
ゆうきをもっていきていきたい
りかいされたよろこびを
よいねがいにかえて
ふしぎなせかいにあるきだそう
ゆめをつらいひびのよきおもいでとして
きのうのみじかいみじかいもじどおりのみじかいるすばんのように
わすれてしまおう
ゆいいつのゆめであるにんげんとしてのほこりをたかくかかげて
きのうのなみだをゆめにかえて
いきていこう
ちいさいころのいいおもいではいいおもいでとして。
そして、最後の締めくくりとして彼女が書いてくれたのは、つぎのような文章だった。
ひとりではないということがよくわかりました みんなとはなしができてよかったです
にんげんとしてきいてもらえてうれしかったです ちいさいころからのねがいがかなってうれしいです
ずっとねがってきました さいこーです きのうのかなしみにおわかれです
うれしいです ありがとうございました
いいときをすごすことができました
いいつかれかたです
ありがとうございました
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2009年6月4日 06時59分
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自分で歩くこともでき、また、かなり自由に手の操作もできる◇◇君に対して、最初は、タッチパネルを一緒にさわる方法で関わっていたが、前回からこちらがスイッチをどんどんON-OFFして、選択の小さな力を読みとる方法を試してみて、うまく長文が綴れるようになった。
ちいさいときからゆめでした
みんなとはなしがしたいです
びっくりしました
はやくてみてなくてもできるのでらくです
びっくりしました
りかいしてもらえてうれしいです
見ることも、手を使うこともできる◇◇君だが、聞くだけでできるこの方法が楽だということだった。そして、見て文字を指さす方法では、文字の理解が今一つあやふやなように見えてしまうのだが、この方法ならば、こうしてすらすらと長い文章を書くことができる。なお、彼は、明確な発声はできないが、はいといいえは明確であり、自分の思い通りの文字が選べないと、本当に残念そうな声を出すので、ある意味では非常にわかりやすい少年だ。そして、次のような言葉を綴った。
みらいがひらけてきました
みらいがあかるくはじまりそうです
みらいがねがいどおりになりそうです
みらいがたのしみです
みらいがゆめのようにひろがってきました
「みらいが」と繰り返される言葉のリズムが、◇◇君の独自のリズムであるように感じた。
ここで、ひらがなの理解について尋ねてみた。
ひらがなはぜんぶおぼえましたがかくのはたいへんです
さがすのはかんたんです
ゆびさすのはたいへんです
ちいさいころからみんなとはなしたかった
さらに、お母さんについて尋ねてみた。すると、さらさらと、お母さんに対する、素直な思いやりを表現した。
おかあさんいつもありがとうございます
ぼくのことでいつもいそがしくてごめんなさい
じぶんのじかんをだいじにしてください
にちようびはあそびにでかけてください
にちようびはおとうさんがいるのでだいじょうぶです
ぼくひとりでるすばんをします
そして、何度も繰り返される次の言葉が再び登場する。
ちいさいときからいいたいことがいいたかった
みんなとはなしたい。
ここで、詩を作ったことがあるかと尋ねると、力強くうなづいて、次の詩が書かれた。
ゆめがかなって ひかりがさした
ゆめがかなって やっとゆうきがわいてきた
ゆめがかなって りそうのかぜがふいてきた
ゆめがかなって ねがいのはながひらいた
ゆめがかなって ろうそくのひがともった
ゆめがかなって りそうのもんがひらいた
ゆめがかなって みちがひらけてきた
ゆめがかなって ゆきのようなかぜがふいてきた
ゆめがかなって ひとりぼっちではなくなった
ちいさいぼくは ゆめだけをだいじに
りそうをもとめて いきてきた
みらいのゆうきが ひつようだ
みらいのものがたりが よろこびだ
みらいのみのりが ひつようだ
みらいのびとくが ひつようだ
みらいのみちが ひつようだ
みらいのぼくには わずかなわずかなゆめが
こころのなかからわいてくる
みらいがあかるく ひろがって
りそうのかぜが ふいてきた。
ゆき いのり
ゆき ねがい
ゆき へいわに
ゆき よいいのち
ゆき きぼうを
ゆき ゆめを
ゆき りそうを
ゆき みらいを
ゆき ちいさなぼくに
ゆき ねがいをかなえ
ゆき よいじんせいを
ゆき べんりなせかいを
ゆき わかちあう。
独特の反復によって広がっていく◇◇君の詩の世界は、本当に個性的だ。
また、算数についても自分でわかる問題を作って解いてみてとお願いした。
296+54=350
かんがえたからわかる
だれもおしえてくれないのでじぶんでおぼえた
42÷6=7
くくもひとりでてれびでおぼえた
665÷5=133
222÷2=111!
555÷5=111!
そして、665÷5は、一度まちがえてしまったが、あとは、正解。横にいるお母さんは、ただただ驚いていらっしゃる。
そして、遊びのように英語を書いたあと、分数を教えてほしいと言われた。
BOOK ほん
ぶす(=分数)をりかいしたい
おしえてください
ちょうど、その場にあったホワイトボードを使って急遽、分数の基本的な「授業」をした。そして、感想は次の通り。
ぶんすうのいみがわかりました
うれしいです
みらいがひらけてきました
ふつうのべんきようがしたかったけどおしえてもらえなくてかなしい
がんばってりかいしたいとおもいます
びっくりしました
りかいできてうれしいです
ちいさいころからのゆめでした
最後に、タッチパネルに換えて、50音表を手を添えることで、指さして、次のような文章を書いて、この日の関わりを終えた。
しあわせ だいじにされて
じぶんでやれたらうれしい
かあさんいつもありがとう
あたたかいはな いっぱいあげたい
はな あげたい
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2009年6月3日 11時50分
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緑の風の歌を聞かせてくれた☆☆さんの次に訪れた○○さん。2人は同級生で、ともに、4月から社会人になった仲間だ。さっそく、☆☆さんの緑の歌を朗読した。そして、○○さんの文章が始まった。
みどりのかぜはわたしもだいすきなことばです
ふしぎです みんながおなじことをかんがえているのが
みどりのかぜのしはわたしもつくっています
にんげんとしてみとめられたいからちいさいときからつくってきました
ここで、スイッチ操作について質問がきた
ふしぎです ちからをいれていないのにどうしてわかるのですか
ゆめのようですみんなもできるのですか
そこで、逆にどうやっているのかを問いかけてみた。すると答えは次のような明快な答え。
じぶんのいいたいことをかんがえて じをまっていて
きたらここだとおもうとじがえらばれていきます
ちいさいころからのゆめでした
そして、次の言葉とともに、詩が綴られた。
きいてください わたしのしを
みどりのかぜがちいさくふいて
みどりがだいちにみちあふれ
しずかにしずかにゆめがかなう
みどりのかぜはちいさいりそうのはなをさかせ
にんげんとしてうまれたことをりそうとして
みどりのかぜはりそうのみのりをわたしにもたらす
にんげんとしてうまれていきてきて
ねがいをたくさんもちながら
みどりのかぜをびんかんにかんじながら
ふだんからちいさいゆめをたくさんもちながら
みどりのかぜをまちつずけてきたけれど
みどりのかぜはなかなかふいてくれなかった
るすばんをしているおんなのこのように
みどりのかぜをまちつずけ
みどりのかぜはようやくわたしのもとにもおとずれた
にんげんとしてのほこりをりそうとしながら
ちいさいときからちいさいゆめをたくさんもって
ゆめをたくさんかなえることはできなかったけど
みどりのかぜがふいてみらいがあかるくひらけてきた
りそうのかぜをゆうきとともにかんじながら
いいじんせいをいきていきたい
にんげんとしてわたしをみとめてくれるひとたちが
ちいさいときからいたけれど
びじんになりたいとねがいながらいきてきたけれど
ゆめをかなえることはずっとこんなんだった
ひとりでちいきでいきていき
ひとりでべんきょうして
みんなをしあわせにしたい
りそうのみどりのかぜにまもられながら
わたしはそらたかくかけのぼりたい
にんげんとしてのきぼうをゆめみてきて
ひとからなかなかりかいされずにきて
りそうどおりのゆめをかなえたい。
☆☆さんとは、また、ひと味違う緑の風の詩だった。
ここで、一緒に来られていたお姉さんから、いろいろな質問が○○さんに投げかけられ、次のような文章が書かれた。20歳を前にした女性として、当たり前の思いが切々と綴られる。
かみがたはもうすこしながいほうがいいです
もうおとなだからながいかみのほうがいいです
めんどうならいいけれどいちおうきぼうをいってみました
びじんになりたいですからおねがいします
じぶんとしてはおねえちゃんぐらいながくしたいです
ふつうのおんなのこのようにおしゃれがしたいです
みんなおけしょうをしたりきれいなようふくをきたりしています
ねがいはいいじんせいがおくれることです
おとうさんはきをつかいすぎです
みんなみうちなのだからみとめあっていきたいです
おかあさんにはいつもかんしゃしています
ゆいいつきぼうがあるとしたらいいふくをきてきれいなかっこうをしてください
ちいさいときからわたしのことでいそがしくてそんなゆとりがもてなかったから
きっとおねがいです
ちいさいころからふつうのかっこうをしたかったけどかないませんでした
ねがいはにんげんとしてびじんになることです
みんなもきっとおなじです
ちいさいころからのゆめでした
みんなとはなしがしてみたいです
みんなのきもちがきいてみたいです
みんなのきもちをちいさいころからしりたかったです
はいけいということばがありますがみんなのきもちのはいけいがしりたいです
ちいさいときからのねがいでした
ちいさいころからのゆめでした
みんなとはなしがしたいです ねがいでした
ちいきでくらしていきたいですがなかなかむずかしそうです
ひとりでくらしたいとおもいますがむずかしそうです
ゆめですがかないそうにありません
ねがいはゆうきをだしてひとりぐらしにちょうせんすることです
りそうのじんせいをいきたいです
当たり前のことをしっかりと書く○○さん。こうした当たり前のことが当たり前のこととしてかなう世の中が、遠くない時期に訪れることを切に願う。そのためにも、こうした一人一人の当たり前の思いを、きちんと伝えていかなくてはならない。
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2009年6月3日 00時34分
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ほぼ1年ぶりに、☆☆さんとお会いした。この春、彼女は高等部を卒業して社会人になっていた。
おひさしぶりですね
こう、挨拶をしていただいたかと思うと、いきなり彼女は詩を綴り始めた。
にびいろのそらのしたで
きたのしろいだいちから
じめんのみどりをさらさらと みずがながれて
びぼうのむすめがあゆんできました
にんぎょうのようなめをして
にんぎょうのようなかみをかぜになびかせて
みどりのかぜにふかれながら
にびいろのそらをすいすいととぶとりのように
にいさんのようなりりしいすがたをしたゆうかんなけんしが
ねがいをかなえるためにやってくる
きぼうにみちたりそうのぼくは
ようきにわらいながら
みちのみらいにむかって
ゆめをいだいて あゆみつずける
りそうのかぜがふいて
みちのみらいにゆめがあふれ
ずっとよびつずけて ぼくをまねく
ゆうきをもらって
みじかいねんげつを くとうしてきたけれど
ながいやわらかいゆめのようなみらいのじかんがつずくことを
ぶんそうおうとしながらも
ねがいつずける
いいどんなにれんごくのようなひびがつずこうとも
ぼくはりりしくあゆみつずける
そして、次のような言葉が添えられた。
きぼうにみちたみらいがくることをねがってつくりました
ちいさいころからにんたいしてきたので みらいはあかるいとねがっています
じぶんのきもちがいえるとはおもわなかったのでうれしいです
また、彼女はこの1年の間に私の援助のスピードが速くなったことをめぐって、私とやりとりをし、次のような言葉を書いた。
ふしぎです いいたいことがすらすらことばになっていきます
びっくりしました
はやいのでのぞみのもじをまっていてここだとおもっています
かんがえをじにするだけだからかんたんです
いいほうほうですね
ここで、詩とは別に歌を作っていないかと尋ねたところ、体中に喜びをみなぎらせながら、「はい」と答え、まず歌詞を書く。
においのいいみどりのかぜが やさしくわたしをつつみ
びいどろのようなかぜが わたしにうたう
びからうまれたわたしのゆめを みどりのかぜがむすんですぎる
わたしはみどりのかぜになり
きぼうのうたを ゆびからゆびへ つたえるために
ゆりのはなをぼうしにさして みどりのだいちをかけぬける。
次にメロディーについて、階名をしいているかと尋ねたところ、返事とともに、次の曲が書かれた。
はい かいめいでかきます
2びょうしです
ドシラソファミ ラソファミララソ
ドレミファミレドレファファミー
ドシラソファミ ラソファミララソ
ドレミファミレドレ ファミレドドー
ラシドレミレドレ ドシラソララソー
ラシドレミレレド レドシドレレドー
ドシラソファミレド ファミレドレ
ドレミファドレミラドシラソラソー
ドシラソファミミファミレドレドレー
ファミレドレレドヒファミレドドー
ファミレドララソーファミレドレー
ドレミソララドミレドレドー
ドレミソララドミレドレドー
オワリ
この歌には、次のような説明が続いた。
ながさはみんなおなじです ふつうにうたってみてください よいめろでいーだとおもいます
びっくりしました うたをききとることができるなんてしんじられません
にんげんとしてみとめられたきもちです
びっくりしました ちいさいころからつくっていましたのでかいめいはかんたんです
ゆめのようです ゆめがかなってうれしいです
みどりのかぜというだいのうたです
よかったらがくふにしてください
ちいさいころからのねがいがかなってうれしいです
みどりのかぜがねがいをかなえてくれました。
楽譜にしてみると、歌詞と合わないところが少しあったが、メロディーは完成されていて、少し、言葉を足して、次のような歌になった。
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2009年6月2日 22時32分
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自主G多摩3 |
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4月か5年生になった○○君は、来るなり、さっそく、詩を書き始めた。
しずかなふしぎなちいさいにんぎょうが
だまってみなみからのかぜをうけてないていた
なぜないているのかだれもしらないけれど
ねがいはただひとつ
ふしぎなかぜにのってとおいくににたびにでること
にびいろのかぜにふかれてぶうとりらのねがいをかなえることをかんがえながら
りんとしたちいさなにんぎょうは
ひのひかりをうけてゆめのようなちいさなよいかぜをかんじていた
じっとべっどにねころがったまま
みなみからのかぜしかかんじない よきりんじんは
じぶんのいきかたはよいにちがいないといいながら
みなみのかぜをまった
ゆめさめてにんぎょうはきれいなにんげんになった。
ん
南からの風しか感じないのは、きっと世の中の普通に生きている人々のこと。そして、○○君たちは、にびいろの風に特別の意味を感じる人たち。彼は、そんな普通の人々を「よきりんじん」と呼ぶ。
そして、そんな広い心を持ち、ぶうとりらの願いを懸命にかなえようと考えたにんぎょうはにんげんになることができた。そこに、○○君の姿が重ね合わされていることはまちがいないだろう。
そして、次のような文章が続いた。
きいてくれてありがとうございます ちいさいころからのきもちがこめられています
ここで、おばあちゃんから、いろいろ問いかけがあり、次のような文章が書かれた。
はいしゃとはきをつかうところです じっとしていないといけないのでつかれます てをあみみたいなものでしばられました がまんしました すこしなきましたがじぶんとしてはじょうできでした かえりはきれいなはなのさいているみちをとおりました
ここで、見学に来られていた先生への説明もかねて、どうやって文字を選んでいるのかなど、尋ねてみた。
じのかきかたは つぎのことばをかんがえてみみでききながら きたところできもちをこめて からだにちいさなちからをいれています いいほうほうです かくときはいっさいみていません かいたあとでみています
そして、ここで、自分の力でスイッチ操作をしてもらったところ、どこの行でも止めることができず、スライドスイッチの取っ手を引き続けるということが起こったので、そのことについても尋ねてみた。
てをうごかしているとききとれなくなってしまいます
○○君たちがどのようなことをハンディとしているのか、じっくり聞いていくことの大切さを身にしみて思った。
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2009年5月24日 00時52分
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高等部3年になった☆☆さんは、こんな願いから始まった。
きいてほしいことがあります
にねんせいのときにじぶんのことばでいいたいことをいってもしんじてもらえませんでした
いいたいことがきいてもらえないのでざんねんでした
きいてほしいことはわたしたちにもみんなきもちがあるということです
ねがいはいいたいことをきいてもらえるようになることです
にんげんなのでのぞみもゆめもあります
じぶんのきもちをきいてほしいです
いいたいことがちゃんとつたえられたらうれしいです
がんばりたいとおもいますがなかなかむずかしいです
昨年、仲間たちにも言葉があると思うから、学校に来てほしいと訴えた彼女の思いは、もちろん変わることはない。残念ながら、彼女の思いには応えられないまま、彼女の学校生活最後の1年が始まった。
ここで、話は違う方向へ舵をきる。
しをきいてください
ちいさいにれのきに ちいさいはながさき
ひとりぼっちのわたしにもはるがきた
にれのはなはじぶんのようにうごいたりはなしたりすることもないけど
みどりのかぜにふかれながら
だまったまま らくえんのようなわかいりそうにあふれている
にれのはなも わたしも りそうはひとつ
よいかおりをはなつこと
にれもわたしもきぼうにみちて
ゆめをかなえようと みどりのかぜにいのりをささげる
ちいさいはなと ちいさいわたし
みどりのかぜにふかれながら
みどりのかぜとひとつになる
新緑の季節にふさわしい、にれの花と緑の風の詩だ。ここで、お母さんから、にれの花をどうやって知ったのかという質問が投げかけられた。
にれのきはじぶんでそうぞうしたきです なにかのうたできいたけどみたことはありません
なまえがきにいりました ざんねんながらみたことはありません
ふしぎなはなです いいかおりがしていいきもちにさせてくれます
そして、この間、友だちから手紙をもらったけれど、返事を書きますかと再びお母さんからの問いかけ。すると…、
かきます
ついこのまえおわかれしたばかりだとおもっていましたが もうはんとしもたってしまいましたね
びっくりしました いいりかいしゃがいてじのべんきょうができるようになったとは
にねんせいのときはきいてもらうこともむずかしかったけど
よかったですね きいてくれるひとがあらわれて
みんなおなじねがいをもっていきていますが なかなかねがいをかなえられずにいます
ゆめみたいですが ちいさいときからにんげんらしくわたしたちはいきようとしてきましたが
ふしぎとそうならずにいかされてきました
これからはきいてもらえることをいきがいにしてがんばりましょう。
この手紙が書かれていくのをお母さんは真剣に見つめておられた。お母さんに内容を確かめると、どうやら、手紙をくれたのは、普段学校でケアルームで食事を取る際に顔を合わせている友だちだから、手紙はその友だちが相手だとちょっと食い違うないようだとのこと。そこで、車いすから降りた☆☆さんに、手で尋ねてみた。
するとこれは、想像して書いたものだという。手紙を書こうと思った時に、浮かんだ想像の世界をそのまま言葉にしたものらしい。そのことを受けてもう一度読み返してみると、そこには、切ないばかりの願望がこめられていることがわかった。
「きいてもらえることをいきがいにして」がんばれるような時代が、早く来ることを、いや、早く作り出していかなければならない。
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2009年5月24日 00時25分
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3月に歌詞を書いた○○君のメロディーを3月、4月の2度の関わり合いで聞き取り、5月の関わり合い楽譜にして彼に見せ、パソコンでで伴奏をつけて演奏して聞いてもらった。
この日、最近の不満を書いていた○○訓だったが、ここで、一転して顔中に笑顔が広がった。(楽譜は以下の通り)

これを聞いてお母さんもとても感激しておられた。
そして、さらに、次の詩を綴る。これも歌詞だという。
ひかりのぶどう
せかいになみだがなくなるひ
にんげんははっぴーになるだろう
ちいさなゆめをたいせつにして
よいぶどうのきに
みたことのないすてきなかじつがみのったら
ひかりのなかでさけんでみよう
ひかりのなかでぬくもりが
ちいさなぼくをはげまして
においのいいみをちいさなぼくにくれるだろう
ちいさなぼくはきぼうとともに
せかいのへいわをすろーにいのる。
冒頭のメロディーは聴き取った。来月は、この歌の聞き取りを完成したい。
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2009年5月23日 23時51分
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5月21日、人間開発学部の授業に、Hさんが参加した。人前で話すのは、初めてのことだ。
授業の前に、研究室でパソコンを開いてみた。
じぶんのいけんをいいたいとおもいますがちょっとはずかしいです
ねがいがかなってうれしいです
きもちがきいてもらえてうれしいです
そして、教室へ。目の前に並んでいる80名ほどの学生は、みんなHさんと同い年。簡単に紹介して、さっそく、彼女にパソコンで話をしてもらった。学生たちは、プロジェクターで映し出されるパソコンの画面に注目する。
にんげんとしてみとめてもらえてしあわせです
まだわたしのことをしんじてくれないひともたくさんいますが わたしもにんげんとしていろいろかんがえています
にんげんとしてみとめられることがまだできていないなかまたちがたくさんいるので にんげんとしてはやくみとめてもらえるよのなかがはやくくるといいなとおもいます
にんげんとしてみとめられるせかいがくればいいなとおもいます
みんなはわたしのことをみてどんないんしょうをもちましたか
りゆうはいろいろあるかもしれませんが りかいできているにんげんとみえたでしょうか
ゆびさされたりしてきましたからなれてはいますが にんげんとしてみられないこともたくさんあります
ひどいときはりゆうもなくわらわれることもあります
ひょうげんはわるいですが ひどいひとはゆびさすだけでなくみんなのまえでぶじょくするひともいます
ゆびさされるだけならいいのですが ゆびさされるだけでなく ぶじょくされるのはたまりません
にんげんとしてみとめられることがゆめでしたので びっくりしています
ふしぎなかんじです
みんなのまえではなしができるとはおもえませんでした
びっくりしただけでなく みんなとたいとうにいられることがゆめのようです
ゆうきがでてきました みんなとはなしたいです
重い内容が一気に綴られる。「にんげんとしてみとめられる」「ゆびさされる」「ぶじょく」など、私も彼女が綴るのを初めて目にした言葉が続く。こうした言葉を通して、彼女は、自分たちの存在について懸命に訴える。いつもは、ざわざわしている空気は、ぴんとはりつめて、みんなの目は、スイッチ操作とパソコンの画面とに釘づけになっていた。
一区切りついたところで、質問を受けることにした。
最初の質問は、パソコンの画面を見ていないのにどうして打てるのかというものだった。
みていませんが みみできいているのでわかります
いいかんじです きもちをすらすらかけて
次は、「柴田先生は好きですか?」というもの。
きらいとはいえません だってわたしのことばをはっけんしてくれたひとですから かんしゃしています
ウィットに富んだ答えだった。
次の質問は、「詩は、どうやって作るのですか?」
ひとりでちいさいときからかんがえてきました
ひとりでみらいをゆめみながらかんがえてつくってきました
しをつくっているときもちがしずまります
そして、今度はHさんから質問が向けられる。
ちいさいせかいといううたをしっていますか
さすがに同世代の学生だけに、この歌を知らない学生はいなかった。
ちいさいときだいすきでした
じぶんにとってきぼうのうたでした
じぶんのきもちにむつかしいことがあるとよくくちずさんでいました
ちいさなせかいはとてもよいかしでした
みんなもそうおもいませんか
次に、こんな質問が出された。「これまで、いちばん楽しかったことは何ですか?」
じぶんのうたをたくさんのひとがうたってくれたときです
びっくりしました みんながわたしのことをみとめてくれたので
これは、一昨年の若葉とそよ風のハーモニーコンサートで、彼女の詩に曲をつけた「野に咲く花のように」という歌をみんなが歌った時のことだ。そして、今年も、また、この歌を24日、みんなで歌う。
次の質問は、「どんな言葉を大切にしていますか?」だった。
ちいさいときからにんたいということばをたいせつにしてきました
みんなはどんなことばがすきですか
たえることがおおいからです
いつもたえてばかりですから
残り時間はあとわずかになった。最後の質問は、「大切な人にひとこと言えるとしたら誰にどんな言葉を言いますか?」という、質問だった。
答えは、次の通り。最前列で静かに聞いておられたご両親を前にして、次のような文章をしめくくりとして綴った。
ありがとうといいたいです
わたしをそだててくれたりょうしんに
ちいさいときからびょうきがちでめいわくばかりかけてきましたから
ひじょうにりそうてきなりょうしんです
ぬいぐるみをたくさんかってくれたりちいさいときからじぶんのためにせいいっぱいそだててくれました
深い余韻を残して、一時間の授業が終わった。
授業後、研究室に四人の女子学生が集まった。ひとしきり、談笑したあと、みんなが、彼女との会話に挑戦した。
最初の学生に伝えた言葉は、
つたえたい
このあと、Hさんは、わざとむずかしい言葉を伝えてきた。予測がつかないようにと、彼女なりの工夫だったが、見事に、それを読み取った。かわるがわる四人の学生と、まだ短い言葉だが、会話が成立した。同年齢の女の子がまったく対等に彼女と話したいという思いだけで、懸命に彼女の手をとって「あかさたな」と振っていく光景は、新しい未来の先取りのように思えた。
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2009年5月22日 12時57分
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都内の特別支援学校で訪問教育を受けている○○君のスクーリングの日、学校におじゃました。前回、聞き取った「こゆびの歌」が担任の先生の手によって楽譜になっていた。
聞いてほしいという彼からの希望があったので、担任の先生からピアノでメロディーを弾いた録音の音を聞かせてもらいながら、一緒に歌ってみた。気持ちが伝わってくる歌で、どこか、聖歌のような響きもする歌だった。
ぼくのこゆび あなたのこゆび あわせてみよう
ねがいのひびく こゆび
ひとりのこゆびはちいさいけれど
みんなのこゆびをつないでみよう
きっとおおきなねがいがかなう
ゆめをみて きぼうをつないできた
ひらかれた こころで
うつくしいかぜのようにふきわたり
どこまでものぞみをつづけて
よいにんげんとなることをねがいながら
すばらしいじんせいをいきていこう
こゆびとこゆびをあわせてどこまでも
ゆめがつながるように
そして、気持ちをパソコンで綴っていただいた。
じぶんのきもちかよわせることがゆめでした
ねがいをよくきいていただいてうれしいです
ちいさいころからのゆめがかないのぞみがかなってとてもうれしいです
にんげんとしてみとめられたきぶんです
ゆめはみんなとふしぎなせかいにいってみたいです
ふしぎなせかいにはよきしらせがあふれていて
ねがいがかなえられるところです
ちいさいころからのぞんでいました
ゆめがかなったようなきもちです
ずっとまちのぞんでいました
ちいさいころからのゆめがかないとてもうれしいです
ここで、ほかにいっぱいたまっている気持ちはないかと尋ねたところ、次のように展開していった。
かあさんにはいつもかんしゃしています
にんげんとしてよくみとめてもらえていつもいいかあさんだとおもっています
ひびのせいかつのなかでちいさなことでもきにかけてくれてありがたいです
ゆめはかあさんとがいこくにいくことです
ちいさいころからねがっていました
じつげんするといいなとおもいます
ここで、そばにいた方々から、どこの国だろうという声が上がった。すると…
ねがいはとおいくにがいいです
いたりあできりすときょうのきょうかいにいって
いのりをききいれてもらえたらいいなとおもいます
にほんでもいいかもしれませんがにほんよりもねがいをきいてもらえそうです
やはり、彼の心の中には、何か神聖な祈りのような思いが秘められているのはまちがいないようだ。「よきしらせ」という言葉もまた、そういう響きを持つものだろう。
そして、どんな願いなのかを尋ねてみた。
ねがいはぼくたちすべてがたのまれなくてもきぼうにみちたじんせいをおくれるということです
ちいさいころからのゆめでした
じぶんとおなじようなきもちのひととはなしがしたいです
そして、自分からしめくくるように、次の言葉が続いた。
きいてくれてありがとうございます
いいきもちです
この後、担任の先生に手をふる方法をやっていただいた。すると、簡単な言葉は聞き取れていたそうだが、目の前で、するすると文章を読み取ることがおできになっていった。
途中、ラ行を選んだあと、「ラリルレロ」でまったく反応がないというので、もしかしたらと思って、「今、何を考えていましたか」と私が尋ねて返事を聞き取ってみると、「先生ができたので、とてもうれしかった」と答えが返ってきた。感動で、反応できなかったのである。すると、今度は、先生がそのことに感動なさり、「鳥肌が立ちました」とおっしゃる。そして、本当に鳥肌が立っていたそうで、彼に、それをさわらせていた。
すばらしいコミュニケーションの成立の瞬間だった。
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2009年5月20日 01時01分
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病と障害の心理という講義で、ハンセン病元患者の詩人、桜井哲夫さんを取り上げた「津軽、光の中へ」というドキュメンタリーを学生たちと見た。今回は、O君が、「聴講生」として参加していた。私が、桜井哲夫さんを知ったのは、『盲目の王将物語』という小節で、とりわけ、その中の「久遠の花」というのに心を惹かれていた。NHKで彼のことが紹介されるということがわかり、このドキュメンタリーを心ときめかせながら見たことを覚えている。そして、そのハンセン病による過酷なまでの人生を、すべて受け止めて、静謐な心で生きる姿に、深い感銘を覚えた。それから、毎年、このドキュメンタリーをこの講義では取り上げ続けてきた。そして、今年、O君とともに、このドキュメンタリーを見ることができるということが、また、新しい何かを私にもたらしてくれそうだった。そして、O君には、こうした生き方があるということをぜひ、知ってもらいたかった。
そして、映し終えて、彼にパソコンで感想を求めた。
いいばんぐみでしたゆうきがでてきました
みていてうらやましかったです
ぶんしょうをみているとみえていないとはおもえませんでした
にんげんのすばらしさをかんじました
いいひかりがさしてきました
ちいさいときからにんげんとしてみとめられたいとおもってきたので
みとめられるということのいみがよくわかります
にんげんとしていきていきたいとおもうので
にんげんとしてみとめられることのいみがよくわかります
びょうきはちがうけどゆうきがでてきました
O君は、学生たちと意見を交換することを求めていたが、その時間はもう残されていなかった。だが、確実に学生たちは、桜井さんからのメッセージに、O君の感想を重ね合わせて、そこから、深い意味を感じ取ったにちがいない。
講義の後、O君と同世代の学生たちが研究室に集まった。若者らしい会話がはずむ。その中で、「単位」のことが話題になったとき、O君は、文字盤でこう綴った。
単位、とてもうらやましい。僕には、それは願っても得られないものだから。
不意に、重い現実があらわになる。
そして、帰り際、私に手で、こう語った。
普段から、こんなふうに話したい
新しい学部が、この彼のつつましい願いに少しでも応えられたらと思う。
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2009年5月19日 09時22分
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病と障害の心理という講義で、ハンセン病元患者の詩人、桜井哲夫さんを取り上げた「津軽、光の中へ」というドキュメンタリーを学生たちと見た。今回は、O君が、「聴講生」として参加していた。私が、桜井哲夫さんを知ったのは、『盲目の王将物語』という小節で、とりわけ、その中の「久遠の花」というのに心を惹かれていた。NHKで彼のことが紹介されるということがわかり、このドキュメンタリーを心ときめかせながら見たことを覚えている。そして、そのハンセン病による過酷なまでの人生を、すべて受け止めて、静謐な心で生きる姿に、深い感銘を覚えた。それから、毎年、このドキュメンタリーをこの講義では取り上げ続けてきた。そして、今年、O君とともに、このドキュメンタリーを見ることができるということが、また、新しい何かを私にもたらしてくれそうだった。そして、O君には、こうした生き方があるということをぜひ、知ってもらいたかった。
そして、映し終えて、彼にパソコンで感想を求めた。
いいばんぐみでしたゆうきがでてきました
みていてうらやましかったです
ぶんしょうをみているとみえていないとはおもえませんでした
にんげんのすばらしさをかんじました
いいひかりがさしてきました
ちいさいときからにんげんとしてみとめられたいとおもってきたので
みとめられるということのいみがよくわかります
にんげんとしていきていきたいとおもうので
にんげんとしてみとめられることのいみがよくわかります
びょうきはちがうけどゆうきがでてきました
O君は、学生たちと意見を交換することを求めていたが、その時間はもう残されていなかった。だが、確実に学生たちは、桜井さんからのメッセージに、O君の感想を重ね合わせて、そこから、深い意味を感じ取ったにちがいない。
講義の後、学生たちが研究室にやってきた。同い年のO君と若者らしい会話が続く。会話の中で「単位」の話が出たとき、
「単位ってぼくにはとてもうらやましい。僕が望んでも絶対に得られないものだから」
という言葉が文字盤で綴られた。
はっとさせられる瞬間である。
帰り際、私に
「ふだんからこんなふうに話したい」
と告げた。そんな彼のつつましい願いに、この新しい学部が少しでも答えていけたらと思う。
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2009年5月19日 09時16分
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4月5日のわかそよコンサート練習日、初めて長文を綴ったY君のお宅を、彼が参加しているとびたつ会の松田さんとともに訪問した。そして、さっそくパソコンを開くと、次のような文章が一気に綴られた。
きてくれてありがとう
じぶんのいいたいこといいたいけどなかなかいえずにこまっていました
ちいさいときからはなしたかったのでむかしからねがってきました
りかいしてくれてありがたいです
びっくりしました
なぜぼくがはなしができるとわかったのですか
みんなぼくがはなしがわかるとはかんがえてはくれませんでした
そして、文字の学習について質問した。
じはいろいろくろうしておぼえました
じはにんげんだからきちんとわかりたいとおもってきました
にんげんだからはなしたいです
びんかんにかんじとってくれてうたいたいきもちです
ここで、スイッチの援助を松田さんに代わる。すると、私の方法では、私がスイッチを動か
していく方法にまかせていた彼は、自分でスイッチを動かし始めた。そして、選択したい場所を、止めることによって表現する。そうして、次の文章が綴られた。
はなのさとて(で)は つちを つたないてをとりたててりっぱにつかえるにんげんではないけど
ぬかりなくやっています
私ではない人での援助によっても綴られることで、ご両親も、安心なさったようだった。この内容は、彼が通う通所施設の土に関する作業のことらしい。ここでお母さんから、もう一つの作業である紙ちぎりについて質問が出る。そこで、再び私が代わった。
かみちぎりはかんたんです
ぬかりなくやってきました
そして、彼に、わかそよでは、この方法で書かれた詩に曲がつけられてみんなで歌っているけれど、Yさんにも作った詩はないかと尋ねたところ、次の詩が書かれた。
きいてほしいじぶんのこころ
きいてほしいねがいのことば
じぶんのいいたいことをいえずにそだち
いいたいことをいえずに
にんげんしゃかいでみとめられず
ねがったのはただちいさなしあわせ
みんなのことをうらやみながら
ゆめをずっとおいつづけ
みどりのかぜにりかいされ
ちいさなゆめをねがいながら
ふしぎなねがいをきにねがい
いいきにのぞみをつなぎ
ひとりのせかいでいきてきた
ねがいはちいさなゆめにかえみ
どりのにれにびろーどのいいぬのをかけ
ひそやかなぬいぐるみのようなこのぼくが
ひそやかにりそうをかかげ
みたこともないようなみどりのかぜに
ゆうきをもらう
満面の笑みを浮かべながら、詩だ。「緑の風」は、多くの人がこの春に表現し始めた言葉だが、「にれ」「びろーどのぬの」という言葉もまた、ほかの人の詩に登場した。何か、独特の美しさがあるのだろう。
ここで、再び、松田さんに代わる。おうちのパソコンにソフトをインストールするために、スイッチをいったんパソコンから外したので、急遽、松田さんは、パソコンのキー(TubとEnterの二つのキーでも、このソフトは動く)を押しながら、Yさんの手を振りながら、読み取ることを始めた。そして、さらに、途中から、手を振ることをやめて、彼の目の動きで選択の意図を読み取ることにも挑戦した。どちらも、うまくいき、途中でお父さんにも代わったりしながら、次のような文章となった。
てをはたらかせてこれからさきやるやりかたをさがしてて
かなでなんでもはなせるようにはなしはかならず
じぶんじしんやなやんでいるみんなとしあわせになります。
彼の世界のいったんが表現されたことはもちろん大きな成果だったが、松田さんの援助で綴れたこと、目の動きでも綴れたことなどもまた、貴重な成果だった。一歩ずつだが、着実に青年学級&とびたつ会では、この取り組みが広がりを見せている。
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2009年5月16日 20時42分
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両手をとって合わせたり開いたりしながら聞き取っていく方法で○○さんの歌を聴かせてもらった。
歌詞は、
春の風が吹いてきて
みんなの顔に夢が咲く
はるの風が吹いてきて
私の顔に夢が咲く
夢の風が吹けば
夢の顔に春が来る
夢がひらいたら
春の私の望みが開く
このあと、階名に音程をつけてドレミファと順番にいいながら一音一音拾っていって、譜のような歌ができた。
今回、話は、学校に対する不満が多かったが、詩と歌は一転してってもすてきなものとなった。歌を伝えることができたことの喜びはひとしおのようで、ずっと笑顔がたえなかった。
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2009年5月11日 01時19分
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学校に上がる前から研究所に通い、20代後半を迎えた男性○○さんと、初めてワープロで関わった。
そして、すぐに次のように書き始めた。
うれしいきたいしていました いいすいっちですね
じぶんのきもちがいいたかった
じぶんがかんがえていることがすらすらかけてがっこうがあったらださせてほしかった だいがくです
じぶんでじぶんのきもちがいいたかった いいきもちです
じぶんのがっこうにいきたかった
きいているだけではなくつたえられるがっこうです
きいているだけではつまらない
ちいさいときからはなしがしたかったです
ちいさいときからじぶんのきもちがいいたかった
おかあさんとおとうさんにはいつもかんしゃしています
そして、話は、別の方向へと発展していく。どちらかと言えば明るい笑顔が特徴的な彼だが、秘められた美しい感性が少しずつ顔を出し始めてきた。
きいてほしいことがあります
いつだったか きいたことのないきれいなおんがくをきいて
いくつもなみだをながしましたが
にこというがっきだったかもしれません
きいてかんどうしましました
きいたのはてれびです
がいこくのひとがひいていました
いいおんがくでした
きいてみたいです
ちいさいころからきくのがすきでした
がいこくにいってみたいです
いいおんがくをきいてみたいです
にほんのおんがくもすきです
にほんのおんがくをあいしていますがなかなかきけません
いいおんがくがききたいです
かつて、あるレストランで生演奏を聴いてぽろぽろと泣き出したというエピソードを聞いたことがあったが、音楽に対する繊細な感受性がよく表れていた。そして、なんと、彼は、詩を聞いてほしいと語り始めたのだ。
みたことのないようないいしをずっとかんがえてきましたきいてください
そして書かれた詩は、彼が言うとおりのいい詩だった。
ちいさなちいさなみどりのかぜが
ちいさくちいさくねがいをかなえ
ちいさなちいさなすずのねが
ふしぎなねいろをかなでてきえた
じぶんのゆめをかなえるために
じぶんとかぜとしーはいる
みどりのかぜにかかえられ
じぶんはきぎのあいだをひしょうする
ちいさないいじぶんにいいかぜをうけて
みどりのいいかぜにちいさなゆめをかたらせる
においのいいかぜがみどりになって
はるのかいがんをかけぬけて
どこまでもどこまでもじぶんがみどりのかぜとなり
すばらしいせかいをかけめぐる
かぜにのってちいさなじぶんは
ききゅうのちいさなきぼうをさがし
みどりのいいかぜをうけてちいさなねがいをちいさくかなえる。
シーハイルとは、スキーでの挨拶の声ということだが、彼は、歌で知っていたらしい。
しをかけてしじんになったきもちです
じぶんのきもちがいえるとはおもわなかったのでかんげきしています
ここで、私は、研究会にもよく参加して会場にいる彼だから、私のパソコンに関する発表を見ていたのかと尋ねた。すると答えは、以下の通りだった。
はい
ちいさなおんなのこのなくなったはなしでした
いいことばでした
いいかんざしをかってあげたいとおもいました
ちいさいこがすきですからいいかんざしをかってあげたかった
ちいさいおんなのこがちいさいうちになくなってかなしかったです
ちいさいこどもがなくなるのはかなしいです
4年前に亡くなった女の子のことだ。彼女は、私たちの常識を根本から覆し、仲間たちの言葉の存在を見いだすことにつながった。その存在をこうしてしっかりと受け止めていてくれたということに深く心をうたれた。
そして、遅れてはいってきたお父さんに向けて、言葉が綴られる。
おとうさんかていをかんがえてくださってありがとうございます
からだにきをつけてください
からだにきをつけてながいきしてください
がんばりすぎないでください
そして、感想が次のように綴られた。
、
いいまんぞくしたじかんでした
かんげきです
かんどうしました
ここで、質問をしてみた。それは、形の弁別の学習に手こずっていることをめぐるもので、どうして、うまく選べないのかを尋ねてみた。すると答えは意外なものだった。
てをうごかそうとするとみえなくなってしまいます
ちいさいときからこまっていました
でんちのときはみえます
じぶんのおもいどおりにからだがうごかなくてこまっています
字を覚えた時期については…
ちいさいときにおぼえました
おかあさんがおしえてくれました
そして、再び、このことをきかっけに、家族の話へと発展した。
ぎせいになってくれてかんしゃしています
あいされてしあわせです
いいかぞくです
にいさんがなくなったのがざんねんでした
病気で何円も前に亡くなったお兄さんのことだが、いつも、写真に向かって声を出して、話しかけているようだと、ご両親の説明がくわわった。
きかせたかったかあさんにいいしをかあさんに
きいてもらえてかんげきしています
きいてくれてありがとうございます
ひーりんぐのようなじかんでした
きもちいいです
ねがいがかなってうれしいです
きいてくれてありがとうございます
あらしのよるがあけたようなきもちです
きいてくれてありがとうございます
お父さんは、お母さんに、いい母の日のプレゼントになったねと告げられた。
私たちもまた、心を洗われるひとときとなった。
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2009年5月10日 23時13分
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新年度になり、6年生になった○○さんは、こんな書き出しから始まった。
ちいさいゆめがかないりかいしてもらえました ゆめでした
じぶんのきもちをきいてもらえるようになりました
そして、長い文章で理解される喜びを具体的に語りその先生の名前を書いたあと、
りそうのせんせいです わたしがそうぞうでつくりました
という文章がそれまでのすべてを覆すように書かれた。以前このことで、激しく感情を高ぶらせて訴えてきたことのある彼女は、今回は、さっと、次の言葉に移っていった。
しをつくりましたきいてください
そして、書かれた詩。
にんげんとしてうまれいきてきて
りそうをたいせつにいきてきて
ゆめをたくさんつむいできて
ほんとうのべんきょうをもとめながら
べんきょうのれんしゅうもできず
りかいされないことにもなれて
ひとりぼっちでいきてきた
みらいはもっとひらけていることを
ちいさいゆめとしてねがい
みらいのりそうとゆめを
ひろがるそらのように
ほんとうのねがいとして
ねがいみたこともないようなりそうを
らんぷのようにともしながらいきていこう
わたしのかのうせいがひらかれるひをめざして。
この後、私は、歌を作ったことはないかと尋ねた。すると「ある」という。そして、次の歌詞とが綴られた。
ねがいのはながひらいたら
わたしはそらにまいあがる
ねがいのはながひらいたら
ゆめをおおきくひろげよう
みどりのかぜがふいてきて
みどりのゆめがちいさくそだち
わたしはみどりのかぜになる。
そして、さらに、音符について知っているかと尋ねると、
しっています しぶんおんぷ とかはちぶんおんぷとか にぶんおんぷなどがあります
そして、階名で書けるかと尋ねると、
かけます
とのこと、区切りには「ー」を入れてもらって、書いたものは、
ドレミソララドシラドレド
ドレミソララドシラドレド
ラシドレドレドミファドレド
シドミソドシラソドレドシド
ミドミラソソミファミレドレ
ドレミラソソドファミレドレ
ドレミラソソドシラシシド
シドレミミファドシラシシド
いいきょくでしょう わたしがいつもくちずさんでいるうたです
始まりは8分音符であることを示す8というのも書いたので、そのまま楽譜にしてみた。若干、言葉の数とあわないところを調整して楽譜にしてみると次のような歌になった。

子どもたちの秘められた世界の奥行きがさらにいっそう広がっていくのを感じる。
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2009年4月30日 19時01分
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女子中学生の○○さんは、将来の自立生活への夢を語った。
きいてほしいことがあります よくわからないことですが みらいのことです ひとりでくらしていけるかなやんでいます ゆうきがないとむずかしいのでしょうか ゆめのようですがひとりぐらしをしてみたいです ゆうきがほしいです みをだれかにゆだねるのはこわいですが わたしのことをりかいしてくれるひととせいかつできたらいいなとおもいます いいじかんをすごせたらとおもいますがむずかしいのでしょうか にんげんだからじゆうがひつようです
現状では、彼女のような人が自立生活をすることは容易ではない。しかし、おそらく、コミュニケーションの方法がもっと広がれば、それも可能なのではないか。そんなことを思い描きながら、話をうかがった。
そして、最近の文字選択の援助のスピードアップについて質問が来たので、反対にあなたは何をしているのでしょうと問い返した。以下はそのやりとりである。
ふしぎですちからをいれていないのにどうしてわかるのですか ここだとおもっています ちいさいときからのねがいでした ゆめでした はやくはなせてうれしいです にんげんとしていきてきてほこりをとりもどしたようなきもちです
言葉を話すことができなくても、人間としての誇りが尊重される社会を作ることが本当は目指されなければならないが、現状は、それとは、ほど遠いのだろう。それは別にして、目の前で、誇りを取り戻した喜びを感じている人に向かい合えているということが、非常に厳かな事実だった。
そして、そういう思いにふさわしい詩が綴られた。
にんげんだからあいしたい ひとを
にんげんだからあいしたい ゆめを
にんげんだからあいしたい なやみを
にんげんだからあいしたい ふあんを
にんげんだからあいしたい みんなを
にんげんだからあいしたい じぶんじしんを
ちいさならくえんでひっそりとくらしていくよりも
きぼうとねがいにあふれるせかいをわたしはこのむ
ちいさいときからちいさいねがいをこころにいだき
にんげんとしていきていくことをつよくねがってきた
にんげんとしてのとうぜんのけんりをみとめてもらえず
わたしはちんもくのなかをいきてきた
みずからのかのうせいだけをしんじて
まるでひのあたらないばしょでたえながら
みんなのゆめはなんですか
きくこともかなわず
ちいさなみみをすませながら
ずっとめだたないばしょで
りそうだけをだいじにしながら
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2009年4月26日 07時56分
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20代の男性との関わり合いで、最初に綴られたのは、次のような切実な思いだった。「みためではんだんされる」というのは、酷とも言える現実だ。まなざし、表情、仕草などで、私たちは多くの勝手な判断をくだす。そして、けっしてそれは平等ではない。明らかに、「損」とも言える判断をされてしまう人がいる。その誤解は、その人の人間の尊厳を奪う方向で働いてしまう判断である。
じぶんのきもちをいいたいとおもってきました にんげんとしてきもちがいいたいです みためではんだんされてつらいです にんげんだからいいたいことがいいたいです
きいてほしいことがあります ちいさいころちいきで なにいれるかなやんでいたときに まちがってふるいつきのざっしをいれてしまい ばかにされてくやしかったです にんげんとしていきたいとおもうのでよくいけんをきいてほしいです みんなもそうおもっているとおもうのでわかってほしいです みんなのいけんもきいてみたいです ねがいはちいきでいきていくことです
彼には、二つ並んだプッシュスイッチを使ったが、体が大きく、腕をとっているとずっしりと重く、また、時折、その手に力が入ってしまうためスイッチの援助がむずかしくなるので、途中、肩にスイッチを押しつけ放すという方法で読み取っていった。そのことをめぐって、こう書かれた。
しんじられませんかたでよみとれるなんて しんじられません じぶんのことばだからしんじないわけにはいきません ふしぎです ふしぎですがじぶんのことばです
また、高等部の頃から、お母さんが、2選択で彼の意志を聞き取ることができるようになった時のことを含めて、次のように語った。
おかあさんにはかんしゃしています みてくれてありがたいです りかいしてくれるのはおかあさんだけです りかいしてくれてかんしゃしていますりかいしてくれたとくのことはわすれられません じぶんのいいたいことをいえたときのことはわすれられません
この方法は、私たちの右手を「1」の意味で人差し指を立て、左手を「2」の意味で人差し指と中指を立て、彼に、二つの選択肢を「1、○○○、2、▽▽▽」と尋ねると、彼が、私たちの手のどちらかに手を伸ばしてくるという方法だ。手が伸ばせる人には、けっこう有効で、他の人にも使わせていただいた方法である。
そして、そのあと、冬には、すてきな渡り鳥の登場する詩を聞かせてもらったけれど、春の詩はありますかと尋ねると、次の詩を聞かせてくれた。
ねがいのはながさいて
みどりのかぜがふき
ふしぎなにおいのはながさいた
ゆきのしたではるをまち
ゆめをだいじにたえてきた
ふしぎなゆびわをしたおんなのこがしずかにあゆみ
ゆめみるようなまなざしでそっとはなをみつめる
はなのかおりをたしなみながら
ふしぎなおんがくをきいているときのように
ゆめをほんとうになるようにねがいながら
みんなでさくことをゆめみながら
はなははなのさくことだけをきにかけながら
ひっそりとさきつずけた
きれいなはなのほんとうのねがいはだれもしらない
「みため」では、絶対にわからない、繊細な、優しい心の世界が広がっていた。
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2009年4月26日 07時25分
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20代の女性との関わり合いで、まず、こんな文章が綴られた。
きいてほしいことがあります りかいしてもらえるひとがみつからなくてこまっています ゆめはだれとでもはなせるようになることですが びんかんにかんじるひととしかはなせないのがざんねんです
はいといいえだけではなかなかつたえきれません やっとりかいされたのでりかいがひろがればいいなとねがっています
そして、頻繁に足を運んでくださる通園施設の方に、次のような文章を書いた。
ねえさんのようなちかさでつきあってくれてかんしゃしています じぶんのきもちをわかっていただいてとてもうれしいです びじんのせんせいでいてくださいね
そして、再び、自分の胸の内の吐露へ。
もっとにんげんらしくいきたいです ひいでたにんげんではないけれど みんなとおなじようにいきていきたいです にんげんとしていきていきたいとおもうのでみらいがほしいです わたしのゆめはらくなしせつでゆうゆうといきていくことです ちいさいときからねがいでした ゆめがかなうとうれしいです
しをつくっていますのできいてください
ちいさなみどりのかぜがふいてきて
ゆきをとかし
りんどうのはながさいた
みどりのかぜはゆいいつのりそうのかぜ
ちいさいかぜだけどふしぎなちからをもち ゆめをはぐくむ
ぬくもりをまつひとびとに ゆうきをあたえ
みどりのかぜはゆきをとかす
びいどろのようなじかんがながれ
びいどろのようなかぜがふき
よきひとをゆうきづけ さきみだれる
はなばなをらくにして
ゆめのようなじかんがながれていく
にんげんとしてうまれていきてきて
はなのようにだまったままでわたしはいきてきたけど
わたしがやっとことばをもち はなしはじめた
ゆうきをだしていきて みらいをつくりたいとおもう
りそうのようなはながさき
わたしはなみだをわすれて
みらいをゆめみる
ひのあたるばしょにりかいされてでてくることができたことを
よろこびとしていきていこう。
冬、多くの人たちが「希望の北風」をうたった。春、「みどりの風」が、多くの人たちの心をうばっているのかもしれない。
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2009年4月25日 23時38分
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学校を卒業し、地域の作業所に通い始めた☆☆さんを、わかそよに誘っている。彼女は、夜の練習にも参加できるので、合唱だけでなくミュージカルにも参加し、しかも、車いすの女性の重要な役にもついた。今回は、小さい時から続けてきた関わり合いの場面でのできごとだ。
最初に、彼女は、まず、一遍の詩を書いた。
はなのようにひろいこころで
ゆめをもちわすれずにいきていきていきたい
わたしにあたえられたみらいは
まったくきぼうがないとおもってきたけれど
ふしぎなことにきぼうにみちあふれていた
りかいしてもらえないくるしみは
ゆうべのひかりとなり
ゆうべのかねのようになりひびいて
にんげんとしてのわたしのあたらしいたんじょうのように
じぶんをはげましてみらいをひらく
みらいはりそうをわたしにくれて
りそうのわたしをやさしくひらく
りそうのわたしはゆうべのわたしではなく
りそうをねがうわたしのすがた
ゆめをひろげゆめをりそうにたかめ
にんげんとしてのちかいをまっすぐにつらぬき
やさしいゆうべのかねのように
りそうをかなえよう。
卒業して、「ぼくはうみがみたくなりました」の映画にも出演し、さらに、わかそよにも参加するというかたちで彼女の世界は確実に広がりを持ってきているが、そのような現在の彼女の状況が、「まったくきぼうがないとおもってきた」みらいを、「ふしぎなことにきぼうにみちあふれ」たものに変えてきたのだろう。
そして、彼女は、次のように思いをさらにつづっていく。
にんげんとしてみとめられたいとおもいます
にんげんとしていきていきたいとおもいます
みのうえよりもきょうのゆめをたいせつにしたいとおもいます
にんげんとしてゆめをかなえていきていくことがやっとできそうなきがしてきました
ここで、わかそよの練習に参加した感想を聞いてみた。
みんなわたしのことをだいじにしてくれてうれしいです
にんげんとしてみとめられたきがします
りかいしてもらえてうれしいです
そして、彼女が演じている、言葉を発することのできないくるまいすの女性の役で、言葉にならない言葉を発する演技を、自発的にやり始めたことについて尋ねてみた。
ちいさいときからともだちのようすをみてきたことがとてもやくにたっています
ゆうきをだしてえんじてみました
みているひとにつたわるかどうかしんぱいですががんばりたいとおもいます
そして、さらにこう続ける。
にんげんとしていきていくことができそうです
みまもっていてください
ミュージカルのストーリーについても、こんな感想が書かれた。
とてもいいはなしです
りかいされてこなかったひとたちのねがいがこもっているとおもいました
みてほしいです おおくのひとに
そして、歌については、
ちいさなしあわせのうたがとてもよかったです
びっくりしました りそうてきなかしでした
そして、最後にこう希望をつづった。
みちがひらけてきそうです わたしもせいねんがっきゅうにさんかしたいです みらいがひらけてきました
残念ながら青年学級は、現在募集をしていないが、とびたつ会への参加も含めて、これからの将来が開けていけそうである。
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2009年4月25日 00時44分
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5月24日の若葉とそよ風のハーモニーコンサートの練習は、いっそう熱気を帯びてきた。今年は、ミュージカルも合唱も、その中心には、これまで言葉を発することのできなかった仲間たちの、あふれ出た思いがある。練習の途中の時間に、3名の方にパソコンで気持ちを聞いた。
最初は、M.Mさん。今回は彼女が最初にパソコンで書いた言葉がそのまま「オリジナルスマイル」という曲になって、ミュージカルの中で歌われる。
スタッフの松田さんが、最初の5文字を手で読み取ったといって、私にバトンタッチししてきた。さっそくパソコンを開くと、次のような詩が綴られた。
めにうめのはな よくさいた
ひかりのひかる なみだとねがい
にんげんとしてうまれて
いきてこれたことにかんしゃして
ちいさなひかりをたいせつにして
ゆうべのくるしみ わすれて
りかいされた しあわせを
かみしめながら いきていこう。
そして、次の文章が添えられた。
これでいいです。じぶんのきもちをいいたかったので ゆめのようです
今回の合唱で歌う「願いの季節」という歌には、「にんげんとして生まれ生きてきて」「やっぱりきびしいはなせないのは にんげんだからあふれるきもちがある」という歌詞がある。この歌詞は、おそらく、彼女の中でも深い共感を持って受け止められたにちがいない。彼女の詩には、その言葉と響き合うものもあったことだろう。
ここで、松田さんからオリジナルスマイルの感想はどうだった?と質問がくる。そして、次のような答えが返ってきた。
とてもいいうたで うれしいです またつくってほしいです
次に、K.Tさんとパソコンで話をした。
しばたさんといつかはなしたいなとおもっていましたが なかなかじかんがとれませんでした にんげんだからざんねんです はなしができないのは みためではんだんされてくやしいです みためではなにもできないようにみられてくやしいです みためではんだんされるのはいやです なぜひとはみためではんだんするのでしょうか
見た目で判断されて不当な理解しかされてこなかった彼の、心の底からの思いだった。そして、私も、その不当な理解をしてきた一人だった。
彼は、北風の長い詩を12月の合宿の時に聞かせてくれていたので、ここで、春の詩はないのかと尋ねてみた。するとこんな詩が綴られた。
はるがきた
みどりいっぱいゆめをいろどり
りそうのちがひらけた
みどりのかぜがむかいかぜとなり
べんちのうえのふたりが
なやみをせなかにせおいながら
ふたりのかたごしに
やさしくみどりのかぜがふき
ふたりのなやみをふきとばしていった。
北風は季節の変化とともに緑の風に変わっていた。それにしても、なんと美しいイメージの世界だろう。
練習が終わり、後片付けをしていると、D.Tさんが、しきりにパソコンで話したそうに訴えてきた。彼は、これまで、眉毛で気持ちを表現したり、シンボルマークを使って気持ちを表現してきた。そして、自分とほとんど同じような状況にありながら、紙一重でコミュニケーション手段を持たなかった仲間たちが、次々とパソコンで気持ちを表現していくことを自分のことのように喜んできた。彼がこの日書いたのは以下の内容である。
じぶんのきもちをいえないなかまのきもちをひょうげんできてうれしい ちいさいときからゆめみてきました ちいさいときからびくびくしていきてきたので みんなきもちがいえてうれしいとおもいます ゆめでしたから じぶんのきもちをいうことが ばかにされたりむしされたりしてきたので にんげんらしくきもちがいえたらいいとおもってきました みらいがひらけてきました かんげきです やらかしてやろうというきもちになりました ひとりでなやんできたひびがこれでおわります かんどうしました じつにいいきぶんです ねがってきたやわらかいじんせいのはじまりです ゆめのようです めりーくりすますみたいです かんどうでやねにのぼりたいようなきぶんです かんどうこのうえありません
静かだが大きなうねりのようなものがひしひしと感じられる日曜日だった。
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2009年4月22日 23時11分
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私の大学に新しい学部ができた。人間開発学部という。この「開発」は、森をブルドーザーで「開発」するという意味での開発ではなく、人間の可能性が花開くという意味での「開発」を意味している。私は、この専任になったが、人間の可能性の開発ということを、まさしく存在そのもので表現しているのは、私が関わってる人々である。できれば、この学部には直接そんな人々にどんどんと出入りしてもらい、学生たちに直接可能性の開花ということを肌で伝えてほしいと思っている。今回、その皮切りに、この3月に特別支援学校の高等部を卒業した○○君に来てもらった。彼には、年に一度これまでも来てもらったが、今年度からは、来れるときに「聴講する」ということで、日常的に来てもらえることになっている。
彼のコミュニケーション手段はこれまで、お母さんが抱きかかえて手を持ち、50音の文字盤を指すというのがもっとも有効な手段だった。彼が最初に言葉を発したのは、パソコンだったが、途中から修得した文字盤をさす方法の方が圧倒的にスピードが速くなったので、もっぱらこれによってきた。ところが、私のスイッチ操作のスピードが飛躍的にアップし、さらに、手を振るだけでも50音を選択できるようになったので、お母さんの体力的なご負担を考えて、まず、パソコンで意見表明をしてもらった。以下の文章がそれである。
みなさんこんにちわぼくは○○○といいます
じぶんでははなせないのできかいではなします
じつはぼくはみんなとおなじようにだいがくにかよいたかったけどねがいどおりにはいきませんでした
にっぽんというくにではぼくのようなしょうがいがあるとべんきょうはさせてはもらえません
なぜかというとぼくのようなこどもはちゃんとかんがえているとはおもわれないからです
じぶんのいけんをもっていてもなかなかきいてもらえません
なぜかというとぼくたちはいしひょうじができないからです
にんげんはいしひょうじができないとりかいさえしてもらえません
じぶんのきもちをいえないとむかしはなにもわからないひととしてみんなしせつにいれられたままらくないきかたをしいられていました
かことはちがいますがいまでもねがいどおりにはいきません
ちいさいときからにんげんとしていきたいとおもってきましたがぼくらをにんげんとしてみてくれるひとはすくなかったです
ゆかいなこともたくさんありますがなかなかおもうようにはいきません
ききたいことがあったらきいてください
ちいさいことでもいいですから。
150名を越える学生を前に、即興で語った言葉だが、学生たちの心に、ぐいぐいと入っていく言葉だった。
この後質疑応答に移る。学生は、おずおずと手を挙げだした。「つらいことは?」「楽しいことは?」「好きな映画は?」と続いていく。始め、このやりとりもパソコンでやったが、どこか、対話的雰囲気が出ないので、お母さんの文字盤のコミュニケーションに代わっていただいた。やはり、この方が対話の臨場感が出た。
質問者の中に、自ら足に障害のある学生がいた。彼には、○○君の話が、他人事には思えなかったとのことで、そのやりとりが、いちだんと話に深まりをもたらした。
授業のあと、学生たちが研究室にやってきた。残念ながら授業は必修と重なって出られなかった人間開発学部の学生たちと授業を受けた他学部の学生たちだ。
たくさん、話した。それは、彼が初めて経験する外の世界の同い年の若者たちとの、若さ溢れる会話だった。そして、何人かが彼の手をとって、「あかさたな」とコミュニケーションをとろうとした。最初の女子学生が読み取った言葉は「どきどきする」。当然の台詞だった。
ここから、新しい何かが生まれていくことを心から願う。
くろうしているのはじぶんのことをなかなかわかってもらえないことです
びっくりするかもしれませんがよくわかってくれるひとはほんのわずかです
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2009年4月21日 10時50分
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1年3ヶ月ほど前に、一度だけ出会った小4の女の子と再会した。そのときは、まだ、彼女の動きを拾おうとしたので、「○○(名前)たんじょうび」と書いただけだった。今回は、こちらが積極的にスイッチを動かして、本人が選択の時にふっと小さな力をこめてくるのを拾う方法で行った。すると、前回とはちがって、長い文章と、詩、そして歌を書いてもらうことができた。
ちいさいときからはなしたかった。かあさんとやれるようになりたい。てではなせるとはおもわなかったのでおどろきました。(パソコンの文字は)みえます。(やっている時には)みていません。みみできいています。じのべんきょうはちいさいころにおかあさんとえほんでやりました。のんたんときぼうのきしゃというえほんです。(「きぼうのきしゃ」という絵本は)じぶんでかんがえたえほんです。じぶんできもちをいいたかった。にんげんだからいいたいことがあります。ちいさいときからねがっていました。きもちがいいたかったです。(詩を作ったことはありますか?)つくっています。きいてください。
ちいさいはなのねがいは
にんげんにはわからない
にんげんのねがいは
ちいさいはなにはよくわかる
ちいさいはなのねがいは
じぶんのすがたをすてきにかがやかせること
にんげんにはわからない
ちいさなはながちいさいねがいをかなえようとしているとき
にんげんはきのうのことにきもちをうばわれています
きのうとのぞみはなにもちいさなはなにはかかわりない
ちいさいはなはただきれいにさくことだけをもとめ
にんげんにみとめてもらうことだけをゆめみている
そのことをしっているひとはだれもいない
もちろん、この小さい花には、彼女自身の存在が重ね合わされている。彼女のささやかな願いは、「自分の姿をすてきにかがやかせること」だが、それはひそかに願いとしていだかれているもので、誰もそのことは知らない。そして、人は昨日のことや明日のことに気持ちを奪われているが、彼女はただ今日の自分をかがやかせることだけをささやかに願っている。おそらく彼女にとって過去は様々な苦悩に満ち
、未来も決して明るく開かれているわけではない、そんな状況をすべて受け止めた上で、今を大切にしようとしているということだろう。あどけない笑顔がとても印象的な彼女だが、その笑顔の向こうにこんな大人の感性が脈打っているということに、気づいた人は誰もいなかった。
おしまいです。きいてもらえてうれしいです。ちいさいときからかんがえてきました。しをつくっているとおちつきます。きぼうがわいてきます。きいてもらえるとはおもいませんでした。きいてもらえてうれしいです。ねがいでしたからうれしいです。(曲のついた歌はありますか?)あります。
しろいはな しろいほほ あかいはな あかいほほ
きれいにゆめをかなえたら
しろいほほ しろいはな あかいほほ あかいはな
きれいなゆめをかなえたら
いきてることのすばらしさ
のぞみとともにこだまして
いきてることのすばらしさ
こだまとともにむねをうつ。
かんげきです。まさかうたをきいてもらえるとはおもいませんでした。しんじられません。しろうとしてくれたひとははじめてでした。いいうたでしょう。じぶんのきもちをうたにしました。かわいいといわれてきたのでつくりました。
何度も繰り返し心の中で歌われたものなのだろう。対句の対比も鮮やかだ。
この後、手をとって、ドレミファソラシドと私が声を出しながら一音一音拾っていった。メロディーは掲載した通りである。
誰に伝えるためでもなく、ただ、自分自身のためだけに作られひそかに心の中で響いていた切ないばかりの歌だった。
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2009年4月15日 22時10分
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未熟児網膜症のために、ほぼ全盲に近い視力しかなく、幼少期より点字を獲得することを夢見て学習を続け、点字タイプライターやパソコンの点字入力ができるまでになり、現在の課題は、点字用紙に書かれた点字をすらすらと読むことが課題になっている○○君に、ワープロソフトを試みるようになるとは、思ってもみなかった。しかし、気持ちを綴れるようになって、今回で3度目。その内容も安定してきた。(なお、点字表記をもとにしているので、助詞の「は」は「わ」になっている。)
じぶんのきもちをつたえたい にんげんだからきもちをつたえたい
にんげんだからゆめがあります ゆめわぴあにすとになることです ゆめわみんなともっとはなせるようになることです にんげんだからゆめをもっていきたいです
ねがいわはつこいをけんきゅうすることです
彼は、学校で、様々な文学作品を暗唱する学習をしているが、「はつこい」は、その中の一つ、島崎藤村の「初恋」である。
ふつうにりかいしているのにみとめてもらえずさびしいです
ねがってきました
じぶんのきもちをはなせるようになることです
みんなとはなしがしたいです
みんなとわ ××もうがっこうともだちです
ずっとちいさいときからいっしょだったからわかりあいたい
ねがいでした ねがいわわかりあっていくことです
幼稚部から中学2年まで、ずっと一緒に過ごしてきた3人の仲間のことだ。
よいにんげんになりたいとおもいます
ちいさいときからのねがいでした
はい きこえます はい
ここで、彼の最大の謎のことについて質問した。それは、こういう文章を綴りながら、口では、暗唱した言葉を発したり、そのことで受け答えさえしているということだ。まるで2人の話し手がそこにいるようなのだ。このことについて彼が与えた答えは、
くちわ かってにうごいているだけです
そこで、学校のことについて何でもいいから書いてほしいと頼んでみた。すると、
がっこうでわゆきしろのはなしをしました
(ゆきしろとは?)ゆきがやんだたんぼかきのこと
そして今度は彼の方から質問が来た。
しばたせんせいはやいこのやりかたわどうやてかんがえたのですか
この方法のことは、彼の知っている子どもたちと関係が深いので、そのことを簡単に説明した。
めずらしいやりかたです もっといろいろなひととやりたい
ここで、援助者を私からたまたま見学に来ていた姪に代わった。すると
ほんとになつた
と綴った。
まだまだ、わからないことだらけの○○君だが、こうした関わり合いを通して、どうやったらもっと点字をすらすら読めるようになるか、数の学習をどうやったら進めていけるかなども、合わせて明らかにしていけたらと思う。
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2009年4月14日 22時50分
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20代の女性の3度目の言葉を聞いた。長い間話せなかったことをめぐる切々たる思いから始まった。
ちいさいときからはなしたかったけど、なかなかはなせず、よくたえてきたとおもいます。みたことをはなそうとしても、りかいしたことをはなそうとしてもだめで、ゆめでした、はなせるようになることが。やっとはなせるようになったので、これからはやわらかいねがいをはなしながらいきていきたい。ちいさいころはみんなはなせるようになるとおもっていたけどむりでした。ゆめでした。
そして、同じ思いをいだいているであろう仲間たちのことへと思いが及んでいった。
みんなもきっとおなじきもちだとおもいます。にんげんだからやはりみんなきもちをもっています。みんなもことばではなしたいとおもっているとおもいます。ひとりひとりちがっているかもしれませんが、びんかんにかんじとっているひともいるとおもいます。
静かではあるが、まだまだ不十分でしかない私たちの取り組みへの抗議とは言わないまでも、切実な訴えであることはまちがいない。そして、さらに、次のように続く。
ゆうきをだしていいたいことをいいたいとおもいます。ぬいぐるみのようなじんせいとはおわかれです。
この後、彼女は、「勇気を出して」事実を語る。それは、これまで関わってくれた人の中には、きびしい人、見た目で判断するだけでわかろうとはしない人、やさしい人でもわかってくれるわけではないということ、かわいがるだけで理解してくれない人など、いろろいろな人がいたということ、そして、次の一文へと続く。
みさかいなくさびしいおもいがしていました。わかってくれたせんせいはNせんせいだけでした。ひとりだけです、きもちをきいてくれたのは。Nせんせいだけでした。りかいしようとしてくれたのはほかにはいませんでした。りかいしてくれたひとはわかいおんなのせんせいにはいましたが、みんないちねんでいなくなってしまいました。
N先生とは、小さいときに担任をしてから、彼女の体の障害が進行していくことをずっと気にかけていて、研究所で彼女と関わるというかたちでずっと長い間、つきあってきた先生で、私にパソコンで彼女の気持ちを聞くように依頼した先生である。気持ちを言葉で聞くということだけに限定すれば、私の方が技術的な意味で彼女からたくさんの言葉を聞き取ることができる。しかし、言葉よりももっと大切なことがあることがよくわかる。言葉を聞き取れないよりは聞き取れた方がいい。だが、それよりも大切なことがある。ここでは彼女は「わかる」という言葉で表現しているが、それでは、わかるとはどういうことなのか。きっとそれが、言葉よりももっと大切なことであるし、「わかる」という言葉の本当の意味は、実際の関わり合いを通してのみ、理解されることだと思われる。
その後、彼女は、発作についての母親の質問に答えて、次のように語る。
きゅうにからだがつっぱってしまいます。いしきはありますから、はなしはわかっています。にねんまえおおきいほっさがあったときはからだだけでなく、いしきもなくなりました。みんなのことはわかりません。じぶんでもどうしようもないのでこまっています。からだをだきとめてもらえるとうれしいです。じぶんだけのときはこわいです。ゆうべもほっさがあったときひとりだったのでふあんでした。
また、訓練についての質問については、
くんれんはしかたありません。せっかくやってくれているのにわるいです。ねむくなるのはどうしようもありません。ほこうくんれんはいいですが、やらされるのはいやです。
そして、詩を作っていないかと質問をして、次の詩を書いた。
にんげんとして
きもちをもっていきてきて
りかいされることなく
ひとりのぬいぐるみのようなそんざいとして
いきてきた
ゆめをもち
みらいをゆめみて
わたしはいきてきたけど
りかいされることはなく
ときがいたずらにすぎていった
だけどそんなわたしがことばをもち
にんげんとしてのいっぽをふみだした
にんげんとしてのほこりをとりもどした
ゆめをいっぱいもち
ゆめをもっといだいて
これからのじんせいをいきていこう
りかいされたことのよろこびを
みんなにつたえて
ひとりでもおおくのそんざいが
ほこりをとりもどせるようになることを
ねがいながら。
一人でも多くの存在が誇りを取り戻せるようになることへの、彼女の切なる願いに、少しでも応えていかなければと思う。
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2009年4月14日 05時45分
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知的障害の特別支援学校高等部を3月に卒業した○○さん。4月最初の関わりでこんなことから書き始めた。
きいてほしいことがあります
×××(通い始めた通所施設)でりかいしてくれるひとがいます
みんなわたしのことをわかってくれます
ふつうにはなしかけてくれます
にんげんとしてあつかわれているきがします
にんげんとしていきていきたいとおもいます
りかいされてうれしいです びっくりしました
じぶんのきもちがいいたいです
みんなとはなしたいです
ひかりがさしてきました ひかりがさしてきにんげんとしていきていけそうです
この通所施設には、職員にも利用者にも私たちの仲間がいる。そこで理解された喜びがこんなにも綴られていることに私たちはほっとする。また、これまで、なかなか理解されてこなかったはがゆさも背後ににじむ表現だった。
そして、彼女は、3月29日の結団式から練習に参加しているわかそよの歌の一節を綴り始めた。練習用のCDを車で毎日聞いているとのこと。大きな声では歌えない彼女が、心の中で奏でる歌だ。
ちいさなしあわせちいさくひらきねがいのとおりみたされて
ちいさなしあわせはなのようにしずかにしずかにきれーにわいて
ちいさなしあわせはなのようにきぼうをはこびよろこびひろげ
にんげんとしてうまれいきてきてじぶんのきもちをきいてもらいたい
かってにからだがうごいてかなしい きれいなきもちでいきてゆくのがゆめ
きぼうちいさくささやきながらきぼうにみちたじんせいいきる
途中の「きれー」が「きれい」ではないのは、CDの歌い方にそろっている。よく聞いていることがわかった。そして、文章は続く。
きぼうにみちたじんせいをおくりたいです
いいうたですね きぼうのきせつというだいにはかんげきしました
きぼうのきせつというしはだれがつくったのですか
にんげんだからちいさいころからきもちがいいたかった
ひょうげんすることができたらうれしい
社会へ一歩を踏み出すとともに出会えた仲間たちの存在の大きさがよくわかる。そして今度は自分の詩へ。
いいうたをつくりたい しをつくりましたいいしです
じぶんのあいしたゆめをついにつかんだ
ゆめをつかんだけれまだゆめはとちゅうだ
みちはとおいけれどひかりがさしている
ずっとわたしをひょうげんできず
いちばんつらかったのは
にんげんとしてみとめてもらえなかったことだ
みとめてほしいじぶんのきもち
みとめてほしいじぶぶんのそんざい
ひしひしとこみあげてくるのはじぶんをみとめられたよろこび
ひかりにみちたにんげんがちいさいときからゆめだった
きぼうにみちたじんせいをいきていきたい
一語文かせいぜい限られた二語文しか発せず、典型的な幼児画を描き、これまでひらがなの学習を一歩ずつ続け、10までの数を繰り返し学習してきた彼女が、 いったん私たちのソフトを使うとたくさんの思いを綴り、こんな詩まで書くようになった。「にんげんとしてみとめて」こなかったのは、ほかならぬ私だ。学習が間違っていたとは思わない。しかしその学習を続ける中で、思い描かれていた彼女の姿の中には、こうした表現ができる姿というのは含まれていなかった。
じぶんのきもちをかいてもうまくつたわらない
にんげんとしていきたいです
ちいさいときからゆめでした
ゆめがかなってうれしいです
偶然同じ町で続けてきた子どもたちとの関わり合いと青年学級の活動とが、いつかつながることは、漠然と思い描いてきた夢だったが、こんなふうに一本の糸のようによりあわされることは思わなかった。私もまた「ゆめがかなってうれしい」。
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2009年4月12日 18時37分
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3月で特別支援学校の高等部を卒業した○○さんを、わかそよコンサートの参加者として誘った。前回は、詩で参加したが、当日は客席からの参加だった。しかし、社会人になった○○さんには、ぜひともにステージにのってもらいたかった。
4月の5日の練習に来た時、彼女は、「詩を書いてきました」と手をふるコミュニケーションで伝えてきたが、時間がなかったので、「今度聞かせて」と伝えておいた。それから5日後、ゆっくり詩を聞くことができた。それは次のようなものだった。
ちいさなにんげんでもちいさなゆめをもち
ちいさなにんげんでもちいさなりそうをもち
にんげんとしてほんとうのまことをしりながらいきている
にんげんとしてやらなければいけないことをもとめていきていき
ほんとうのゆめをかなえたい
まるでゆめをもたないじんせいはやみのみのじんせいだ
みなみのくににふしぎなふしぎなみらいのじかんがながれるきぼうのしまがある
ちいさいころにねがったねがいがそこではかない
みなみからのわたりどりはそのゆめをしっている
ふしぎなみらいをきのうのゆめにかんじながら
にんげんとしてのわすれてはいけないつとめをちかいながら
きぼうにみちたじんせいをいきていきたい
きいてけいいをはらうりそうをわたしもみつけたい
にんげんとしてりそうをもっていきていきたい
ゆめをゆめとしておわらせないで
ゆめをりそうにかえていきたい
りそうがかなうときゆめはかなうだけではなく
ちいさいにんげんをおおきくしてくれる
ちいさいにんげんらしくつつましくいきつつも
じぶんらしいつよさをいきていきたいとおもう
ちいさいにんげんとしてみとめられていきていき
にんげんとしてりそうをきぼうとしていきていきたい
ゆめをねがいながらにんげんとしていきていきたい。
そして、次のようなコメントをくわえた。
じぶんのいいたいことをしにたくしました りそうのだいじさをかんがえたものです にんげんとしてふつうにいきていきたいとおもいます
この後、コンサートで歌う歌の感想を聞いてみた。すると
ちいさなしあわせというしがすてきでした びっくりしました ひとりでなやんでいたことがばかばかしくなりました みんなおなじことをかんがえていることがわかりました いいばしょでした いいなかまたちでした みんなとずっといっしょにいきていきたいとおもいます みんなとであえてよかったです きぼうがわいてきました ゆうきがでてきました びっくりしました ひかりがさしてきました みらいがひらけてきました
これは、「願いの季節」という題名の歌で、歌詞には青年学級で昨年度初めてパソコンによって言葉を綴った4人の言葉が含まれている。仲間の存在がどれだけ大きいかを改めて思い知らされた。これまでもいくどとなく悩みを綴る彼女を前にして、いろいろな言葉をかけてきたが、それよりもはるかにまさる力を仲間の言葉は持っていたことになる。
このブログも、点として存在している多くの人たちを線でつなぐための試みの一つだが、うまく、仲間の言葉が届いて、励まし合いが生まれてくれればと願う。
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2009年4月12日 07時56分
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盲重複と呼ばれる男性○○さんは、学校教育を終えたあとになって、点字を読めるようになった。その学習の順序も、大きなリベットで順番に点の位置を学習していくオーソドックスな順序ではなく、指先で6点全体がさわれるような小さい展示型のリベットをさわることを通してである。長い学習を経てからではあるが、突然理解できるようになったように見え、みんなに驚嘆まじりの讃辞を得た。そして、大きいリベットの点字で、意志を伝える単語も伝えられるようになった。私は、日頃関わっているわけではないのだが、時々、お会いすると、どうしても関わりたくなって、いろいろ手を出してきたのだが、「おかあさんについてどう思っていますか」と訪ねて、「やさしい」とリベットの点字で書いたことがある。
そんな彼に、手を振る方法を試みた。単語を口走る以外には明確な意思伝達の手段を持たない彼だが、この方法を試みると、非常になめらかに気持ちを表現してきた。記録をとらなかったから、正確な文章は残っていないのだが、この方法に驚きを示し、どうして読み取れるのかと聞いてきたりした。
そんな彼に、点字を覚えたことについて尋ねてみると、気持ちを伝えたいから点字をがんばって覚えたというふうに答えが返ってきた。そして、点字を覚えたら気持ちを伝えられるようになるのですかと、切実な気持ちをこめながら尋ねてきた。
彼は、悪い表現だが「自閉的」と称されるような感じの方で、気持ちをうまく伝えることができず、いつも首を振りながら独特の世界にはいりこんでいるように見える。しかし、こうした会話を経ると、彼が全く普通の感覚を持っていて、話せないで苦労してきただけの人に見えてきて、点字を懸命に覚えようとしてきたことがすんなりと理解できた。
盲重複と言われる人たちの理解をどうやら決定的に改める必要が出てきそうだ。
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2009年4月8日 01時22分
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研究所 |
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若葉とそよ風のハーモニーの練習に来た○○さんにパソコンを挑戦した。「ウーウー」という声しか出せないが、指さしや身振りで気持ちを伝えることができる方だ。公民館の場所からひかり学級が分かれた時(もう20年近く前のことだが)、彼女はひかり学級に移っていったので、日常的な活動ではなかなか会う機会がなく、会えるのは、2年に一度のこのコンサートの時だけになってしまった。彼女のコミュニケーションの力を考えると、言葉の力があることは容易に想像がついたので、練習前の時間にすぐそばに彼女が来たところで、ためらわずにパソコンを出した。そして、綴った言葉。
ちいさいときからはなしたかった
きもちがつたえたかった
きいてくれてかんしゃします
ちいさいときからはなしたかった
ちいさいときから
ちいさいときからじをかきたかったけどうまくいかなかった
いいきかいですね
かいたいです
ありがとう
ここで詩を書いているかと尋ねるとはいとうなずくので、書いてもらった。
ちいさいときからみてきたゆめ
ちいさいときからねがってきたねがい
みしらぬみらいをみつずけて
みしらぬらんどをゆめにみて
ひとりぼちでいきてきた
ゆめはいつもかなわなかったけど
ゆめみたことはらんぷのようにかがやきつずけている
わたしのこころのなかで
にんげんとしていきたいといつもねがいながら
いつもちいさいむねをいためてきた
ねがいのちいさなゆびさきに
ちいさいちいさいゆうきがやどり
みたこともないちいさななみだが
りんごのしずくのようにながれた
ちいさいころからひとりぼっちでいきてきて
びょうきのためにちいさいときからはなしもできず
まるでちいさなひんしのはとのようにいきてきた
わたしをにんげんとしてびんかんにかんじとってくれたなかまたちが
くれたきぼうを
だいじにしていきていきたい。
独創的な比喩がたくさんちりばめられた言葉だ。この詩だが圧巻は、「わたしをにんげんとしてびんかんにかんじとってくれたなかまたち」という表現だ。そういう仲間たちに支えられて彼女は、生きてきたのだ。この言葉の裏には、人間として感じとってくれない人たちの存在がいるということがある。そのこともまた重く迫ってくる。
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2009年4月7日 05時45分
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青年学級 |
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小学生の時から研究所に通い、30年ほどになる○○さんに、久しぶりにお会いした。私とは曜日がずれているので、なかなかお会いできないのだが、大学の入学式が早く終わった関係でうかがうことができたのだ。
4年前の夏の研究会で私が行ったパソコンによる自己表現の発表を聞いたお母さんが、うちの○○もできるのかしら、と尋ねられたことがあり、それ以来の懸案だった。
彼の担当は友人の教師で、最近は飲むと彼の言葉の可能性のことを話していたので、今回は、さっそく手をふる方法で聞いてみることにした。すると、すらすらと手で話が返ってくる。そこで、パソコンを取り出すことにした。
そして、綴られたのは以下の長文である。
けんきゅうじょにいくことがたのしみでずっとがんばってきました
ちいさいころからこんなきかいがあればよかった
なんでもいえたらうれしいです
ふしぎです
ぼくのことをりかいしていることがどうしてわかったのですか
ふしぎです
だれもぼくがはなしがりかいできているとはおもってくれませんでした
ちいさいときからはなしたかった
ちいさいときからにんげんとしていきていきたいとおもってきたのでかんげきです
にんげんとしていきたいとおもいます
じぶんのいいたいことがいいたいです
びっくりしました
ねがいでした
ふしぎです
ちからをいれていないのになぜわかるのですか
びっくりしました
みんなとはなしすることができたらうれしい
ねがいでした
×××せんせいずっといつもかかわってくださってかんしゃしています
ねがいでした
じぶんのきもちをいうことをゆめみてきました
みんなとはなしたいとおもいます
りかいしてくれてありがとう
じんせいがひらけてきました
ゆめでした ことばではなしをすることが
ここで、詩のようなものを作ったことがあるかと質問した。すると手で「はい」との返事、早速書いてもらった。
ゆめみてきた はなしができるようになることを
ひかりがさしてきた ぼくのじんせいに
にんげんとしていきてきて ゆめをいだき
にんげんとしていきてきて きぼうをもちつずけ
ふつうにいきてきたのにじぶんのきもちをいえず
みんなのことをうらやみながらいきてきた
ひとりでちいさいねがいをもって
ひとりでもがきながら
きぼうをもちながら いきてきた
ふつうのがっこうにもいきたかった
みにせまるきもちはきんじられ
みにせまるしれんにはとびこせず
ひとりでずっとたえてきた
いいみらいのこえがきこえ
いいみらいのひかりがさし
めのまえにあかるいにんげんとしてのじんせいが
ひらけてきた
ちいさいころからきもちがいえず
ちいさいときからつまらなかったけれど
あかるいみらいがひらけてきた
みたこともないみらいがひらけてきた
いいにんげんになりたいとおもいながら
いいにんげんになれず
じぶんのきもちをいえずにぼくはいきてきたけれど
ちいさいきぼうがわいてきたに
んげんとしてひとりでゆめをずっとだいじに
いきてきた
にんげんとしていいちからをだして
いいじんせいをいきていきたい
40歳を越え、施設生活をしている彼のおなかの底からの思いが綴られた。途中、彼の目に涙が浮かんだり、また、何度もおなかの底からの笑顔を浮かべながら、彼が書いた深く重い詩だ。
きいてくれてありがとうございます
いいじかんがすごせました
ねかがいがかなえられてしあわせです
こうしめくくり、彼は去っていった。言葉を聞き取れた喜びはあったが、彼の生きてきた時間の重みは、言葉にはとうてい表せない重いものを心に残した。
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2009年4月6日 16時40分
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研究所 |
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1月に初めてお会いした高校生の☆☆さんのお母さんのご希望で、彼女が以前、幼児期に通っていた通園施設に、彼女のことを紹介するためにうかがった。この施設では、20年以上前のことだが、私自身、半年間、ある方のピンチヒッターとして個別指導の仕事をしたことがあり、当時のスタッフも園長先生を始め健在なので、私自身、とても楽しみだった。うかがうと、30名ほどの方がご覧になる前で、☆☆さんのコミュニケーションの姿を紹介することになっていた。さすがに、驚いた。だが、☆☆さんの様子を見ていると、何か、大丈夫だなと思わせるものがあった。後で、明らかになったことだが、彼女は、単に自分の姿を見せるということではなく、同じような状況にある仲間たちを含めた自分たちのことを理解してもらうために訴えていこうという強い意志を持っていたのだ。
まず、手だけで聞いてみる。すると
ねむいけど、がんばります。
とのこと。そして、パソコンをプロジェクターにつないでスクリーンに大写しになった状態で、文章を綴り始めた。
じぶんのきもちをつたえることができるようになってみらいがひろがってきました
ここでいろいろ私の方から方法について解説をくわえたのだが、お母さんから、どなたか、娘とやってみてほしいという、大胆な提案があった。そうしないと、この場では、納得できたように見えても、後でもう一度振り返った時に、あれはやはり何かおかしかったという話になってしまうからということだった。
そして、勇敢にも前に進み出てくださったのは、やさしそうなOTの女の先生だった。そして、☆☆さんの手をとって軽く振りながら、ゆっくりと「アカサタナ」と始まっていった。そして、綴られたのは次のようなことばだった。
せろんすすんでよ
ややきざし すこしくらいはしんぽしそう
この文章は、「せろ」「せろんす」などと書かれていっても、意味がなかなか見えにくい内容だったので、途中、この文字でいいのかということを「はい」の場合は「ハ行」を、「いいえ」の場合は「ア行」を選ぶことで確認しながらいった。あえて、予測しにくい文章を選んだのかも知れない。おかげで、このPTの先生がやっていることの真実味がいっそう増した。いきなりこうやって初めての人が、しかも大勢の見守る中で読み取れたという経験はこれまでなかった。これは、きっと「きざし」であり、「しんぽ」の予感がする。
ここで、彼女に対する質問を受けた。
すると、まず、体の状況に関する質問が来た。一つ目は、たえず首を大きく左右に振り続けているのはなぜかということ、そして、二つ目は、その状況で見えるのかということだった。
彼女の答えは以下の通りである。
かってにからだはうごきます
みえます だいたいは
ふだんのせいかつでこまりません
じはみえません
次の方の質問は、幼児期にここに通った時のことは覚えているかというものだった。
はい
ひさしぶりでしたがおぼえています
ちいさいときはなんでもできるようになるとおもっていましたから かようのがたのしみでした
じぶんでなんでもできるようになれたらいいなとおもっていました
さらりと綴られた答えだが、何か、非常に胸をうつものがあった。障害のある幼児とたくさん私も関わってきたが、こういう思いをいだいていたということには思いが及んだことはない。幼いながら懸命に自分の障害と向き合い、その中で様々な夢をいだいて努力していた姿がうかびあがってきた。私たちが、まだ、小さくて障害も重いからそんなことをまさか思っているとは思えないような内容だった。そして、この時、まわりで見守ってくださっている方々の空気が動いたことを私は感じた。彼女の、懸命のメッセージは、単なる方法の議論を越えて、心の問題として届いたからだったのだろう。そして、そういうふうに受け止めてくれるこの学園の方々を本当にすばらしいと私は、感じた。
次の質問は、言葉をいつ覚えたのかというものだった。そして、次のような大変示唆に富む答えが返ってきた。
ちいさいころからことばはわかりました
いいたいことをいいたかったです にんげんですから
じはなかなかむずかしかったです
のぞんでいましたがなかなかりかいできませんでした
ひとりでおぼえました ねがいでしたから
ちいさいときはおぼえられませんでしたが
しょうがくせいになるとわかるようになりました
さらに、障害の重いとされるほかの仲間たちも言葉がわかると思うかという質問がきた。
みんなことばはわかっているとおもいます
べつにきめつけることはないんじゃないかとおもいます
わかってほしいです わたしたちのことを
きびしいです はなせないのは
私たちが長い間決めつけてきたことに対する重く静かな抗議の言葉だった。
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2009年4月4日 11時31分
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家庭訪問 |
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4月から高校2年生になった☆☆さん。まず、あふれんばかりの思いを書いた。
ねがいはひとりでいきていくことです
にんげんらしいせいかつをすることです
みんなとはなしができたらうれしい
べつにやきもちをやいているわけではないけれど
はなしができるひとがうらやましいです
ひょうげんするしゅだんがないのでつらいです
みんなもおなじきもちでいることでしょう
じぶんのきもちがいえたらいいのだけど
なかなかそうもいかないのでそーねがってもうまくいきません
ずっとまえからそーじぶんにいいきかせてきましたが
ちいさいころからいうべきこともいわずにきたので
つまらなかったです。
ここで、先生から頼まれていた学校の授業への希望を尋ねた。
なにもいうことはありませんが
まなびたいことはきもちをあらわすほうほうです
じぶんひとりできもちがひょうげんできたらうれしい
まんぞくしているわけではありませんが
べんきょうができたらうれしい
いろいろなきもちとかねがいがひかりかがやいていて
みちのせかいをかんじながらべんきょうしていきたい。
ここで発作が起きて、その時のことを説明もしてもらった。
いたいわけではありませんからだにちからがはいってしまってこえがでてしまいます
だいじょうぶです
そして、再び、あふれんばかりの思いを綴る。
ねがいはやりたいことをやることですがなかなかうまくいきません
いいたいことがいえたらとおもいますがひとりではむずかしいです
ちいさいときからゆめみていました
ひとりではなせるようになることを
あすりーとになるゆめももったことがありますがむりでした
がんばってもからだがうごくようにはなりませんでしたが
みんなではなせるゆめはすてたくないです
みんなとはなせたらうれしいです
にんげんとしてかんがえていることをはなせたらうれしいです
ここで、話を切り替えるために、☆☆さんワールドみたいなのはないですか、たとえば詩とか、歌とかと尋ねた。すると、次の詩が書かれた。
ひとりのわたし ひとりのあなた
ひとりでなにを ゆめみてる
ゆうべのすずと みらいのかねと
ゆうべのにおい みらいのかおり
ひとりのわたし ひとりのあなた
ひとりでなにを ゆめみてる。
整ったリズムが歌であることを予想させた。メロディはつけているのですかと聞くと、
はい
とのこと。そこで、手をとって、「ドレミファソラシド」と聞きながら、メロディを聴き取った、音の長さについても、尋ねながら。それは、次のような歌だった。ひとりの世界の中で、静かに口ずさまれてきた歌だ。多くの子どもたちが、ひそかに歌を口ずさんでいる可能性がいよいよ高まってきた。
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2009年4月2日 00時59分
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まさに、高校生最後の一日、○○君と2度目の出会いをした。まず、これまでの思いの丈を述べることから始まった。障害をめぐる切実な言葉も綴られる。
うれしい ちいさいときからのゆめでした じぶんのことばでいいたかったです じぶんのことばでいいたいことがいいたい ずっといえずにきびしかったです ぶぶんてきなことはいけんをきいてもらえたけど ちゃんとつたえるのはむずかしかった
からだがうごかないのでとてもこまっています たんいつのしょうがいなのにちょうふくといわれてこまっています ちいさいときからちゃんとからだがうごけばりかいされたとおもいますが ちゃんとからだがうごかなくてきびしかったです りかいできていることがわかってもらえてうれしい
じぶんのちからでやれるようになりたい じぶんでぶんしょうがうてるようになりたいとおもいます
にんげんとしてぶんをふまえたいきかたをしたいとおもいますがぶんにふさわしいひょうかをしてもらいたい きもちをじであらわしたかった ひとりぼっちでさびしかった
そして、しだいに自分の心の内へと言葉は向かっていく。
ぜんにんになりたいけど なかなかみんなをうけいれることができなくてこまっています ちいさいころからきょひしたいことはあったけど にんげんとしてびょうどうだからうけいれていかなければならないとおもってきました
いつもきずついていました ふいにじぶんがいやになることがあります ひとをうけいれることができないで
ぴゆーりたんのようなこころでいきていきたいとおもいますが やっかむようなきもちになってくやしいです
(ピューリタンという言葉は)てれびのばんぐみでやっていました いいことばだからかんめいをうけていました ぴゅあなこころといういみです ちいさいうちはうしなっていませんでしたが せいちょうとともにうしなってしまいました
じんせいのいみをかんがえています いいじんせいにしたいとおもいます むつかしいことかもしれませんがねがっていればかなうかもしれません じぶんのいきかたはじぶんできめていきたいとおもいます きもちをいえるようになったらいいじんせいがおくれそうです いいたいことがいいたいです ちいさいときからのゆめでした いいきもちです いいちいさいじぶんのきぼうをたいせつにしたい にんげんとしていいいきかたがしたいとおもいます ちいさいときからのゆめでした いいきもちです ちいさいときからのねがいでした いいにんげんになりたいとおもいます いいじんせいがおくりたいです
ここで、いったん区切って、お母さんからの質問に移った。
(おばあちゃんからもらった卒業のお祝いのお金は何に使いたい?)
ひとびとのやくにたつためにつかいたいです みんなまだはなせないひとがたくさんいるのでつかいたいです いいひとになりたいです みんなのためにつかいたいです
(最近眼科で眼底写真を食い入るように見ていたけれど、医学に興味があるの?)
いがくにはきょうみがあります じぶんがどうしてからだがうごかないのかしりたいです いがくのほんをよみたいです きょうみがあります
(ほかに読みたいものは?)
みたいのはどんなひとがやさしいこころでいきているかです むかしのひとにいざってあゆむひとがいて そのひとがとてもやさしかったとききました きいてみたいです ちいさいときにききました ぎせいてきなきもちでいきているひとです じぶんのことはあとまわしにしてひとのことばかりかんがえているひとです りそうのじぶんです
(発作の時にどうしてほしいかあったら教えてください)
ほっさのときにはできればからだをだきとめていてほしいです からだがうごいてしまうとあとであちらこちらがいたくなります いきをするのがくるしくていやですがどうしようもありません いしきはあります
(卒業後通う場所をどうしていきたいか)
あまりむりをしないでください だいじなことはきもちをきいてもらえることですから じかんがかかるとおもいます いいほうほうはないとおもいますから じっくりかんがえていきましょう どうにかなります きっといいほうこうにじんせいはゆっくりときびしいからだですがかわっていくとおもいますから しんぱいはいらないとおもいます きちんとしためをもっていけばみえてくるのではないでしょうか
(お父さんにも一言)
おとうさんにはいつもかんしゃしています ぎせいになってもらってかんしゃしています ちいさいときからかわいがってくれたことにとてもいいおとうさんだとおもってきました
(弟についても一言)
××ちゃんはりこうなこどもだから ぶんそうおうのことができるとおもいます びょうきにだけはきをつけてほしいです じぶんをたいせつにしてじぶんらしいがんばりをみせてほしいです じぶんらしいげんきでがんばってほしいです
(××のところに弟ではなく自分の名前を書いてしまった)
△△をまちがえましたいつもじぶんがいわれているか らまちがえてしまいました
じぶんをたいせつにいきていってください ゆめをたいせつにもってがんばってください
(後ろで聞いていた一年後輩の女の子に)
びっくりしましたうしろにいてきいていたんですね はずかしいです かっこいいことばかりかいて きもちをいえてとてもうれしかったですが ぶんふそうおうのことばかりいってしまいましたが ぼくのほんとうのきもちです きいてくれてありがとう またいつかどこかでかたりあいましょう いつまでもいいこでいてください さようなら
深い文章の連続だった。社会人になる直前に、彼の気持ちを聞くことができて、本当に良かったと思う。彼のすでにそうとうに成熟した思想を、これからももっと深めていってもらいたいと思う。
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2009年4月2日 00時35分
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☆☆さんは、大好きなお姉さんをともなってやってきた。まず、最初に、手をふる方法で、簡単な話をしたところ、その方法が気に入った☆☆さんは、おねえさんと話したいと伝えてきたので、さっそくやっていただいた。そして、みごと、おねえさんは、次の一文を読み取ることができた。
ねえさんとはじっこんのなかなのではなしたかった
てっきり「ねえさんとはじ」と続いた時、「初めて」となるのだろうと思っていたら、「じっこん」で、さすがに読み取りには、お姉さんも苦労したが、それでも、これだけの文章が読み取れた。それに、いたく感動した☆☆さんの目からは、大粒の涙がこぼれ落ちた。そして、次のような文章をパソコンで書いた。
かんどうしてなみだがでてきました
きもちがいいたかったのでとてもうれしいです
ちいさいときからいいたいことがいえたらいいとおもってきましたのでうれしいです
きもちをいえたらいいとずっとおもってきたのでうれしいです
いつもねがってきました
かあさんからいつもかわいがってもらっているのでしあわせです
ちいさいときからいつもそうおもってきました
くるしかったけどきぼうがでてきました
ちいさいときからきもちがいえたらいいなとおもってきました
じぶんのいいたいことがいえそうでうれしいです
お姉さんは、今、地方都市の大学で学んでいる。春休みが終われば、また、東京を離れる。これから、姉さんの帰宅が、これまで以上に楽しみになることだろう。彼女のコミュニケーションの輪がいっそう広がっていくことがとても楽しみだ。
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2009年4月1日 23時43分
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今度、学区の変更で学校を移る○○君。不安と期待の入り交じった思いを綴った。移る学校には私も関わることになっていて、彼は、それを知っていたようだ。そんなことも話の中に登場する。
きてくれてありがとうございます
なかなかあえなくてざんねんですが こんど×××で あえたらうれしいです
にびいろのそらのようなはいいろのひびがつずいていてみんなとわかれることをかなしんでいます
ゆうきをだしていきたいのですがなかなかよういではありません
ちいきのもんだいでしかたないのですが みんなとわかれるのはつらいです
もんだいは×××のせんせいがいいせんせいかどうかということです
ねがいはよくりかいしてもらいぼくのおもいをわかってもらえるかどうかということです
ねがいどおりになるかわからないけどがんばるつもりです
新しい学校は授業を大事にすると言っているから、うまく○○君のことを伝えられたらむずかしい授業もやってもらえるかもしれないと告げたところ
すばらしいとおもいます
ゆめのようです
なかなかわかってもらえませんからきもちがらくになりました
ひぢょうにふあんです
ちいさいときからべんきょうをしたかったのではんぶんたのしみです
不安な気持ちを切りかえるために、心の中にある言いたいことほかにはないかと尋ねると、詩が綴られた。
きぼうのちいさいみらいをねがい
ねがいをねがうだけでなくにんげんとして
ちいさなしあわせをつかみたい
ちいさなしあわせはじぶんのひとりきりでねがってきたもの
ぬいぐるみのようなかんきょうのなかでひとりでつむいできたもの
ひとりきりでずっといいたいこともいえずに
ちいさいころからちいさいしあわせをねがってきた
きびしいからだだけどねがいつずけてきた
ぶんをしりことばをひかえていきてきたけれど
ずっとちいさいころからちいさいしあわせをねがってきた
ちいさいときからじぶんのきもちをいえずにいきてきたぼくがことばをえて
ひそかにきゅうしゅうしてきたものをかき
ひそかにあたためてきたおもいをかく
そしてあたらしいしあわせをいつかつかみたい
いいにんげんになるためにいいゆめをもち
こころからきいてくれるかたとであい
べんきょうをたくさんして
いいじんせいをおくろうとおもう。
行き先の学校には、どんどん○○君のことを伝えていいかと尋ねると、
いってください
いいがっこうにしてください
とのこと。私自身も不安だが、○○君から与えられた使命を大切にしてたいと思う。
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2009年4月1日 23時30分
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5月24日に開催される若葉とそよ風のハーモニーコンサートの結団式が、町田市内の福祉施設の体育館を借りて行われた。E.Kさんはその施設に入所している。彼女は、3月1日に会ったとき、パソコンで詩と曲を私に伝えてきた。曲は階名を書くことによってだ。それから、何とか楽譜にしてきたが、まだ、はっきりしないところがいくつかあった。それを今回、昼ご飯の時間に聞き取った。すると、少し変えたといって、もう一度詩を書き、私がはっきりしないところのメロディをもう一度尋ねた。
しろいこいぬ しろいゆきを
ふしぎそうにながめている
しろいゆきは きぼうのししゃ
ねがいをかなえて そらからふる
ちいさいころから ひとりぼっち
ちいさいころから ぬいぐるみ
ちいさいわたし ちいさいゆめを
ねがいとともに ゆめみている

この詩は、コンサートのミュージカルで使うことになっている。彼女を想定した役柄の女性が、北国の施設で暮らしていて、雪を実ながら、心の中でこの歌を歌うという設定だ。幸い、彼女は仲間のいるこの町にとどまることができた。しかし、少なくない仲間が、遠い施設に去っていった。その一人一人が、いろいろな思いをもっていただろう。しかし、聞き取る方法が、間に合わなかった。
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2009年3月31日 09時03分
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青年学級 |
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☆☆さんからの「りんごの歌」という言葉が、思わず、こんな詩につながった。「りんご」というものが、願いにつながっているとは、非常に驚くイメージだったが、ともに、そのイメージを共有しているようだった。
そして、☆☆さんが帰ったあと、1年下の◇◇君が早めにやってきて部屋のコーナーに座っていた。すると、次のような言葉を◇◇君に向かって投げかけた。
◇◇くんさぎょうじょはどうですか
ぼくははたらくことがゆめでしたから ねがいがかなってうれしいです
ちいさいときからはたらくのがゆめでした
ちかくのさぎょうじょですね
わになっていっしょにがんばりましょう
しあわせなせかいになってほしいです
この言葉は、私たちにとってはとても新鮮だった。思うように作業を行うことができない中、学校で行われてきた作業の勉強をどうとらえているのかということも明らかになり、そういえば、作業学習では、できることを懸命にがんばっていたことが合点がいった。
そして、このことをずっと聞いていた◇◇君は、次のように書いた。
きいてくれてありがとう
ぼくもはたらくのがゆめでした
ちいさいときからねがいでした
はたらくことがゆめにみていました
むりだとおもってきました
むずかしいです はなすのは
ひとりなやんできました
ふしぎです むりかとおもってきました
はなしがしたかった
りかいしてくれてかんげきしています
ちいさいときからのゆめでした
でくのぼうとよばれてきもちがかなしかったです
つらくかなしいくもをはらすことができました
はたらくことをめぐる思いをきちんと考え直す必要があること思ったことと、「でくのぼう」と呼ばれたりすることのかなしさは胸につきささる。「つらくかなしいくもをはらすことができました」という一文は、学校時代の先生が援助を代わって書いたものだ。彼にとって私以外の人でも、うまくいった初めての言葉だった。
そして、小学生の△△君がやってきた。彼には、まず、○○君のりんごの詩を聞いてもらった。そして、綴った言葉。
きぼうのひとのきもちをきいていいきもちになりました
ふかいいみがあるとおもいます
ふかいことばだとおもいました
りんごのことは ぼくもかんがえたことがあります
りんごは きぼうのうたをかなでてくれます
ふかいいみとゆめがいっぱいあります
ふしぎなかじつです
くだもののなかでは きぼうのきもちがいちばんいっぱいこもったくだものです
むずかしいいみのこもったしでした
きもちがよくつたわってきました
きもちがりかいできました
にんげんにはひんせいがひつようです
いいりそうをかかげていくことがたいせつです
にんげんとしていきていきたいとかんがえているので
いつもふかいいみをだいじにとおしえられて
いつもじぶんでめをちゃんとあけていきていこうとかんがえています
ねがいのとおりにいいにんげんになりたいとおもいます
ねがいはにんげんとしていつもいきがいをかんじながら
いいじんせいをいきていくことです
ちいさいころからきもちをつたえたかったので
じぶんのきもちがいえることがげんじつになったので うれしいです
ひとにゆめをあたえられるようなじんせいがおくりたいです
きいてくれる すなおなぼくのきもちを
じぶんのきもちがつよくしてくれるとおもってきたので
みじかいきゅうなじんせいよりも
なだらかな ながいじんせいをいきていきたい
じぶんのじんせいだから
ずっとりかいできるつらさは
すぐにぞうぶんのくすりとして いきていこう
ばやときをかんけいなく
ちきゅうじょうのすべてのいきとしいけるものが
しあわせになることをいのるとしても
きびしいいきかたにまけることなく
いきていきたいとおもう
だいじなことはいっぱいあるけど
つねにゆめをいっぱいりんごのようにもちつずけて
いきたいとおもう。
りんごと仕事をキーワードにして、4人の間で言葉のリレーが行われた一日だった。
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2009年3月31日 07時20分
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自主G埼玉2 |
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4月から高校3年生になる☆☆さんを3歳の時から関わってきて、今は遠くに住んでいる○○先生がひさしぶりにやってきた。☆☆さんが、速いスピードで文章を綴れるようになったのを見るのは初めてのことだ。
なつかしいね○○せんせい
じぶんもようやくこうこうさんねんになります
にんたいしてきましたがねがいがかなってはなせるようになりました
ぬいぐるみのようなじんせいにおわかれすることができました
ちいさいときからずっとひとりぼっちだったけど みんなとはなせるようになってねがいがかないました
じぶんのじんせいだからひんのあるじかんをたいせつにしていきたいとおもいます
ちいさいねがいですがひとりでゆめをかなえたいとおもいます
のぞみはひとりでくらすことです
ふりいなせいかつをしたいとおもいます
にんげんとしてできることをたいせつにしていきたいとおもいます
みんなとはなしたいです
話せるようになった喜びを、一生懸命久しぶりにあった○○先生に語った文章だ。社会に出る日がしだいに近づき、自分の人生について考えることが増えてきたということだろう。「ひんのあるせいかつ」「ふりいなせいかつ」といった、言葉がひときわ目を引く。そして「のぞみはひとりでくらすこと」。
そして、話は、スイッチ操作の方法に及ぶ。
ふしぎです ちからをこめていないのにどうしてわかるのですか
いろいろな方から問い返される言葉だが、今回は、☆☆さんは、どうやっているのと聞き返してみた。すると、うまい説明が返ってきた。
ねんじています さきのもじをそこにきたらここだとおもっています
そして、○○先生に代わってもらったが、初めてなのに、次のような言葉を聞き取ることができた。
すき
ねがいが かなった
ほんとう くもがはれた
○○先生は、しきりに、わかってあげられなくてごめんねと繰り返す。私たちの、本当の気持ちだ。○○先生が通園施設で関わってきた10人ほどの「障害の重い」子どもとともに始めた会だが、いつか、すべての子どもが文章を綴るようになった。「くもがはれた」という思いを、じっとかみしめたい。
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2009年3月29日 02時35分
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4月から小3になる○○君の詩。途中、何度も何度も手を休め、中空を見つめるようにしながら、言葉を吟味しつつ、言葉を選びとっていった。
いいじかんがじきにすぎていき
すなおなちかいを
じぶんのためのじかんにしようとしてねがった
いいじかんにしようとおもい
ねいろのいいすてきながっきとうたごえに
みみをすませているうちに
いいじかんがふたたびながれはじめた
きびしすぎるからだのぼくだけど
しあわせはきっとくるだろう
ちいさいときからひとりぼっちのぼくだけど
しあわせはきっとえいこうのひかりとともにくるだろう
ちいさいときからひとりぼっちだけど
あしたはきっとにびいろのそらのむこうに
あおくひろがっているだろう
くばられたさだめのじかんは
ひとりひとりちがっているけれど
きっとしあわせはくるだろう
ちいさいときからいいたいこともいえず
くやしかったけど
きっといつかきぼうはやってくるだろう
きになるみがずっとはなからまちつずけたように
ぼくもずっとまちつずけよう
じぶんのはなをさかせ
じぶんのみをつけるときを。
途中で、叫びのような声をあげた場所がある。一つは「きびしすぎるからだのぼく」という表現を選び取る直前で、目からは大粒の涙をこぼした。またもう一つは、「くばられたさだめのじかん」の直前。この時は晴れやかな表情で、大きな声を出した。
手を振って尋ねる方法で、その声の意味を尋ねると、それぞれ「くやしい」「すてきなことばがみつかったから」との答え。ただし、「(手を振る方法ではなく)じぶんのこえではなしたい」という言葉も続いた。彼の願いと痛みが伝わってくるやりとりだった。
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2009年3月26日 00時43分
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家庭訪問 |
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コートのいらない暖かい日射しの一日、病院を訪問した。最初は中学生の☆☆さん。
こんにちわ、きてくださってありがとうございます
と、手をふって聞く方法であいさつをしてくれたあと、
すいっちでやってみたらどうなりますか。
と提案がきた。理由を聞くと、横で書き取る先生が大変だからということだった。そこで、プッシュ型のスイッチを使って、パソコンでやってみることにした。そして書かれたのは、次のような文章だった。
いいかんじです ねがいがかなってびっくりしています ゆめのようでいいきもちでかんどうしています ずっとねがってきたのでなんだかしんじれないきもちです しんじてもらえてかんしゃしています
きょうはたとえばみんなをつれて にほんじゅうののはらにはながさいたようなきもちです ののはなのようになもないわたしですが ゆめをみながらはなのあいだをとびかうちょうのように るんるんととびまわっています てんのひかりをあびてへいわなむかしのふしぎなこえをききながら むかしのじぶんのきもちをおもいだしていると よいほんでもよんでいるようなきぶんになります ぶんしょうとしてかいてみると よけいにきちんとしたすてきなきぶんになることができます くるしくてもきもちをひょうげんすることができるとくるしみはきえさっていきます じぶんでぬいぐるみのようにおもってきましたが にんげんとしていきていることをこころからじっかんできます ちいさいときからずいぶんとおまわりをしてきたけれど ようやくみらいがひらけてきました すばらしいはじまりです どこにもいけないわたしですが のぞめばののはなをめぐるちょうのようにどこへでもいくことができます げんきだったころにはそうぞうもつかなかったようなきもちですが けっしてふこうではありません くるしさのなかにはまたよろこびがあることがはっけんできました ねがいがかなってかんげきです
すてきなほうほうをかんがえてくださってありがとうございます ○○○くんがまっているのでおわります
そこでとなりのベッドの小2の○○君に代わろうと思ったが、一つだけ、先生が聞いておきたいとおっしゃっていたことがあったので、それを尋ねた。それは、同じ病院に最近入院している中学3年の女の子に、ひとこと卒業のお祝いを書きたいので、その言葉を聞いてほしいということだった。
ののはなのように ほほにほこりをもっていきましょうね
よいゆめをわすれないようにいきましょう
これからもよろしくねどんなときもきぼうをたいせつに
☆☆より ××さんへ
これでおねがいします
そして、この様子をずっと隣で聞き耳を立てて聞いていた○○君もさっそく、パソコンでやるとどんな感じになるのと聞いてきたのでパソコンで挑戦した。
すなおにいきていきたいとおもいます すなおなきもちのつもりでもだれかをきずつけてしまうのがつらいです ふしぎです すらすらぶんしょうがかけていきます なぜわかるのですか ふしぎです じぶんではちからをいれていないのになぜよみとれるのですか ここだとおもっています ふしぎですがよいやりかたです ちいさいころからなんでもきもちがいえたらいいなとおもってきたので うれしいです すみません くびがいたいです すこしやすみます
その後、首の疲れがとれないらしいので、スイッチはやめて、手だけで聞いていった。
すると、いろいろな気持ちを話しているうちに、私の大学はどこにあるのと尋ねてきた。渋谷と答えると、ラジオをよく聞いている彼はわかったとのことで、すてきなおねえさんたちのいるところですねというようなことを、言ってきた。だが、ここから、彼は、一気に話の方向を変えてきた。
内容は、自分はずっと病院にいて、外に出たことがないので、外に出て、いろいろなものを見たり聞いたりしたいというようなことだった。そして、小さいときから気持ちを伝えたかったという思いが語られていく。そんな中で、彼は、なぜ、ぼくは外に出られないのか問いかけてきた。ずっと、病院の中で育ってきた彼の、当然の叫びである。答えに窮した私は、私にはその質問に答える資格はないということと、☆☆さんの書いたことを聞いてほしいということだった。そして、○○君に☆☆さんの文章を読み上げた。
懸命に耳をすませて聞いていた○○君は、同じ状況にある☆☆さんの言葉だからこそよくわかるということを言った。
そのことを☆☆さんに伝えると☆☆さんは、今度はパソコンは使わずに、次のようなことを語った。
願いは願いとしてたとえかなわなくても持ち続けることが大事で、人は、希望や夢を持っていれば幸せに生きることができる、というような言葉だった。決して負け惜しみではなく、人間というものを深くとらえた言葉だと思った。
○○君は、さらに、自分たちと同じ状況にある子どもたちと、こうした気持ちを伝え合いたいと語った。
私が学生のころ、よく、限界状況を生きるという言葉を目にした。自ら全く動くことができず、狭いベッドに限られた世界を生きるというのは、まさに、その限界状況にほかならない。その中で、紡ぎ出される言葉の中に、幸せに生きることができるということが含まれているということの重みに圧倒された時間だった。
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2009年3月18日 08時38分
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小児科病棟 |
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盲学校の高等部の女性の言葉を、パソコンと手を振る方法とで聞いているが、今回は、お母さんも見えた。なんと、携帯についたテレビ電話の機能で、学習中の様子を、彼女を大切にしている親戚の方のもとへ実況中継してくださった。その中で、彼女は次のような言葉を綴る。冒頭は、前回と同じ言葉だった。
しばたしわしわ
ゆめ ゆめ
ねがい ねがい
にんげん にんげん
きぼう きぼう
すばらしい
にんげんのすなおさがねがい
ちいさいときからきもちがつたえたかった
ねがってきました
かあさんいつもありがとう
きいてくれてありがとう
いいじぶん
言葉を二つ並べることから生まれるリズムは、まるで、音楽のように彼女を包み込み、彼女の心の中に豊かな世界を生み出しているようだった。
盲学校の重複学級に在籍する彼女は、2年前、この学校の高等部に入学してきたのだが、当初は、ずいぶんと心を閉ざしているように見えた。その彼女の心の世界を、担任の先生方は、彼女の存在を心から尊重しながら根気よく解きほぐしてきた。学習の内容も、いつか点字をさわるところまで到達している。まだ、彼女が読めているのかどうか、定かではないところがあるものの、点字を触る彼女の顔は、誇りに満ちあふれている。こうした言語表現も、そんな先生方の関わり合いの土台の上に花開いたものにほかならない。
携帯で実況中継を続けるお母さんも、心から娘さんの成長を喜んでおられた。
新年度もまた、最高学年になった彼女といろいろな言葉を交わしあえたらと思う。
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2009年3月15日 22時43分
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学校 |
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2月の病室での☆☆さんの言葉を紹介したい。昨年の1月に関わり始めて、毎回、じっと手に伝わってくるわずかなものを感じ取って、ようやく1時間半ほどかけて10文字聞き取るのがやっとということを続けてきて、12月には30文字ほど読み取れるという状況だったが、1月から手を手を握って軽く振りながら「あかさたな」と聞いていく方法を始めてから、文字数が飛躍的に伸びた。(ただ、パソコンではないので、横で筆記していただく必要がある。)☆☆さんは、まず、そういう状況について話し始めた。
☆☆をりかいしてくださってありがとうございます
☆☆はじぶんのきもちをもうにどどわかってもらえるとはおもいませんでした
なぜしばたせんせいはやめようとはおもわなかったのですか
かんしゃしています じぶんのきもちをいえてかんげきしています きもちがいえるようになったのできもちがらくになりました
げんきなときはよくねがいごとをかあさんにいってきましたが いえなくなってからなにひとつわたしのねがいごとをつたえられなくなってしまって のぞみをもつこともわすれてしまいました びっくりしました よくわたしのてのうごきをよみとることができるなんてしんじられないきもちです すばらしいほうほうですね じかんがかかりましたがわかってくださってありがとうございます
私は、☆☆さんのこれまでの経緯をほとんどうかがっていない。ただ、枕元には、今よりももっと体を動かすことのできた小さい頃のあどけない写真がある。その頃も、けっして自由自在にコミュニケーションができたわけではないらしいが、おそらく、何かのかたちで、今よりも気持ちを伝えることができていたのだろう。そのような状況をふまえての言葉だ。
この後、担任の先生も積極的にこの方法に挑戦していて、何かの言葉をやりとりしていたが、それがあっていたかどうかを私が尋ねてみた。
あっていました なんかいもやっているうちにわかるようになるとおもうのでよろしくおねがいします
さらに、前々日に先生が聞き取った同じ病院に入院しているお子さんのことを先生が尋ねた。
おぼえています しんぱいです にかいのきゅうめいせんたーにはいるのはびょうきがおもいとゆうことですから どんなぐあいかしりたかったのです
ここで、私は、頭の中で詩を書くことがありますかと尋ねた。すると、
あります
そこで聞かせてくださいとお願いした。
はい
きぼうのひかりがさしてふしぎなかぜがふいてきた
ねがいのみをのぞむねがいをゆめみて
ほんとうのきぼうがかなった
ねがいのいのりがてんにとどいて
さいこうのねがいのようにひかりました
しずかなしずかなわたしのよろこびがからだじゅうにひろがって
ゆめのようなのぞみがわたしのこころのなかに
よろこびのときをもたらした
ひかりがさしてわたしのうえにふりそそいで
なんともいえないよろこびが
わたしをいいせかいにつれだしてくれた
おしまい
表現することの喜びがひしひしと伝わってきて、私も、そういうできごとにかかわらせていただいていることを、この上なくありがたいと思った。
そして、今度は、横で見守っておられるお母さんに何かありませんかと尋ねてみた。
とてもうれしい わたしのことをいつもめんどうみてくれてありがとうございます かんしゃしています
そして、隣のベッドの○○君を気遣う言葉が続いた。
はやとくんがまっています
その言葉を受けて、隣のベッドに私は移動した。○○君との会話は今手元にないのだが、同じ方法で、やはり飛躍的に文章が長くなっている。その間、先生は、☆☆さんと会話を続けていた。それは、お母さんが昨日びっくりすることがあってしょ、あのことを教えてあげたらという言葉を受けてのことだった。
まねみさ(けす)やざ ちとしま(けす)もかわたしもめお(けす)りよきは
まだ、はっきりとしてはいないが、すでに、そこには、確実に彼女の言葉の断片が綴られている。そうこうしているうちに、私は、○○君から☆☆さんのメッセージをもってもう一度ベッドサイドに立った。内容は、さきほどの詩を聞いた○○君がそのことをほめたことだった。すると彼女はこういう答えを返した。
とてもうれしい ○○くんのきもちがつたわってきました くるしいときもあるけどともだちがそばにいるのでさびしくないです これからもよろしくね
24時間、同じ病室で過ごしているけれども、会話を交わしたのは初めてのことだ。中学2年生と小学2年生だが、1年半同じ病室にいて、2人の気持ちは、すっかり通じ合っていた。
さらに、さきほど先生と何を書いたのかを聞いてみた。
ちかくよいしらせがわたしにおとずれるとおもいます きっとおかあさんがはやくびょういんをたいいんするといってました わたしのねがいです
これは、周囲の者にとっては、とても意外な答えだった。退院ということは、お母さんンは一度も口にしていないとのこと。そこで、私が、「ねがいとして頭に浮かべたの?」と聞くと
ねがいをいいました
と答えが返ってきた。そして、さらに文章は、別の内容に移っていった。
しずかにしているとこえがきこえてきます
ずっとむかしのわたしのゆめがきこえてきます
いいじだいのわたしのゆめです
しずかにしているときこえてきます かこのきれいなおもいでのおとが
しずかにしているときこえてきます
ちいさいころのすてきなこえがします
しずかにしているときこえてきます
じぶんのかなえられなかったゆめのこえがします
しずかにしているときこえてきます じぶんのゆめのこえが
なにもしらずにいきていたころのねがいのこえがします
しずかにしているときこえてきます
ゆめはかなわなかったけれどあたらしいきぼうをしらせるこえがします
やっとあたらしいきぼうのこえがきこえてきました
といつか詩になっていた。そして、その詩を受けてさらに言葉は続く。
しんじてにんたいしていたのですくわれました きぼうがわいてきました
にんたいしてきたかいがありました
ずっとまちつづけていました このひがくることを
きぼうがくるしみにとってかわりました(本人は、「くるしみがきぼうに」と書いてしまい、先生からこれだと反対になってしまうねというと)
かきまちがえました
にんげんとしてうまれてよかったとおもえるようになりました
みらいがひらけてきました
ねがいがむくわれました ねがいがとどきました
しあわせです わかってくれてありがとうございます
きょうもとてもよいじかんをすごせてうれしいです
ありがとうございました またよろしくおねがいします
2月も下旬の病棟にも少しずつ春の訪れが感じられるようになったが、ともに過ごした時間は、長い冬を耐えた花が、一気に春を謳歌するように咲き誇ったような時間だった。
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2009年3月15日 22時31分
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小児科病棟 |
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久しぶりに会ったで、思いがいっぱいたまっている様子の20代の女性○○さんは、早速次のように文章を書き始めた。
かきたいことがいっぱいあってたまっていました
ちいさいときになんでもいえたらいいとおもっていましたが けっしてあきらめないでちいさいときのおもいでをたいせつにしていてよかったです
ちいさいときはなぜわたしだけはなせないのか じぶんでもりかいできないでくやしくおもっていましたが ちいさいときにはわからなかったことが おとなになってわかるようになって かいごされることのいみもかんがえられるようになりました
きもちがいいたいとちいさいときからおもってきましたが きもちがいえるようになってうれしいです
じぶんのいいたいことがいえたらいいとちいさいときからねがってきましたので ねがいがかなってうれしいです
きょうのじしんがきになっています じしんがくるといやです
(私「今日地震ありましたっけ?)
きになっているのでときどきかんじています
(母「ヘルパーさんについて書いて」)
へるぱーさんにはいつもおせわになっています
とてもみてくれるのでたすかっています
すいぶんほきゅうがねがいです じぶんではのめないので できればすいぶんほきゅうのかいすうをふやしてほしい
いつもいいにんげんになりたいとおもいますが ねがってもなかなかちゃんとしたにんげんにはなれそうもありません
すなおになれないときがあるからです
(私「どういうときにそう思うのですか?」)
きたいどおりにいかないとおこってしまいます
きちんとしたじんせいをいきたいです
いきているいみをかんじたいです
(私「でも、生きている意味を感じる時もあるのではないですか?」)
きもちいいとおもえるのはきぼうについてかんがえているときです
のぞみやきぼうについてかんがえているときもちがらくになります
ねがいはにんげんとしてきちんとしたきもちをくんでもらって ねがいをかなえてぶんそうおうのじんせいをいきていくことです
じぶんのかんがえをいいたいとおもいます
きいてください
ねがいのこえは すいれんのはなのようにひらき
ねがいのこえは にあいのとりのように ちいさなしあわせをかなでる
だいじなことは きのうのなみだをあしたのきぼうにかえることです
ちいさいときから そうおもってきました
あいされることよりも あいすることがだいじで
だいじなことは たのみのゆめをうしなわないことです
きぼうをいつまでもたいせつにして いきていきたいとおもいます
おじいさんになってもおばあさんになっても ずっとざゆうのめいとしていきたいとおもいます
にんげんとしてきいてもらいたいです
じぶんのきもちをきいてほしいです
ぬいぐるみのいきかたにはおわかれです
がんばっていきていきたいとおもいます
ねがいをいえてよかったです
いいきもちです
すーっとしました
おわります
「かいごされることのいみ」「いきていることのいみをかんじたい」「ぶんそうおうのじんせいをいきていく」「ずっとざゆうのめいとしていきたい」彼女の胸の中で実に様々のことが考えられていることが、ひしひしと伝わってくる。彼女は、終始、身をよじらせながら、叫び声のように声をあげながら、文章を書いていった。途中、心配になって、その声の意味を手をとる方法で尋ねると、「きもちがあふれだしているだけです」という答え。彼女の顔に、さわやかな笑顔が戻ったのは、すべてを書き終えてからだった。
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2009年3月15日 20時56分
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青年学級で作った「願いの季節」という歌を○○君と☆☆さんに聴いてもらった。パソコンで初めて自分の気持ちを綴った人たちの言葉を中心にしながら、メンバーみんなの言葉を合わせて作ったものだ。その歌詞は、次の通りだ。
1.小さな幸せ小さく開き 願いの通り満たされて
小さな幸せ希望に満ちて 希望を運び喜び広げ
人間として生まれて生きてきて 自分の気持ち聞いてもらいたい
かってに体が動いて悲しい きれいな気持ちで生きていくのが夢
生きていきたい自分の足で 生きていきたい自分の目で
希望小さくささやきながら 希望に満ちた人生生きる
2.小さな幸せ花のように 静かに静かにきれいに湧いて
歌がしきりに待ちきれないで 自分光らせ生まれてくる
虹をみんなで探しにいこう 自分で虹を空にかけてみたい
やっぱりきびしい話せないのは 人間だからあふれる気持ちがある
小さな願い大切にしよう 小さな願いしっかりと
希望小さくささやきながら 希望に満ちた人生生きる
3.瞳閉じると天使舞い降りる 私の愛の告白を
人それぞれの夢があるから 天使にお願い聞いてほしい
声を聞かせて心の輝きを 口を開ければ空のように輝ける
愛というのは不思議な言葉 小さな心を大きくしてくれる
時代がどんなに変わっても みんなと一緒に一歩ずつ
自分に何かがあった時も 仲間がきっと助けてくれる
○○君は、実はこの日、ひとしきり、学校でのできごとを書いた。それは、彼が言葉を理解できていないと思った教師が小さな声で語った心ない言葉についてだった。そこで、切りかえるために、この歌を聞いてもらったのだ。そして、彼は感想としてこう書いた。
にんげんとしてうまれていきてきてというかしがよかったです
ちいさいときからちいさいしあわせをたいせつにしてきたのできもちがよくわかりました
そして、最近、詩だけでなくメロディも作っている人がいるということを告げると次のように書く。
ぼくもつくっています
しろいゆきをみんなでみていました
みたこともないちいさなゆきのせいがやってきて
ひとりぼっちのぼくにはなしかけました
きのうのなみだはねがいにかえてみらいにむかっていきていこう
ねがいはゆめをはこびみらいをひらく
みらいはちいさなじぶんのてのなかでおおきなきぼうにふくらんだ。
まず、前半部分を、手をとって聞いていく方法で、メロディを聞き取った。「あかさたな」の代わりに、音程をつけて「ドレミファソラシド」と聞いていくと、メロディが一音一音選び取られていく。
ミファソソラソ ソラソファミレドミレミ
ミファソソラソソ ソラソファミレド レドレドレレレドレ
ミファソソソラソ ソラソファミレドレドレド
リズムについては、8分音符がいくつ分かということで、何とか聞き取っていった。時間の関係で、後半は今度ということになった。
前半部分、おおよそ歌ってみて、これでいいかと聞くと、
はい
という答え。そして、次の感想が書かれた。
しんじられないきょくができるなんて
ここへ☆☆さんが、やってきた。☆☆さんは、来週、いよいよ高等部を卒業する。そして、さっそく、次のように綴った。
○○くんすごいね
じぶんできょくをつくっているなんてすばらしいですね
かんどうしました
ひいでたさいのうですね
わたしもつくっていますがなかなかいいうたができません
じぶんにはさいのうがないのかもしれません
ねがってきました じぶんでなんでもきめられるようになることを
しかしなかなかねがいどおりにはいきません
ねがいはゆめかもしれませんが ちいきでいきていきていくことです
なぜりかいしてもらえないのでしょうか
ちいきでいきていくのは ちいさいときからのゆめでしたから さいごまでがんばりたいとおもいます
じぶんのきもちをいいたいけれど ちいさいときからふつうのこどもとしていきてこられなかったので くやしいです
よくゆめをすてずにこれたものだとおもいます
ちいさいときからとばずじまいだったので はやくなにかでひやくしたいです
りそうはさっかとしてひょうげんのほうほうがあったらいいとおもうのですが なかなかうまくいきそうにありません
☆☆さんは、4月から社会人なので、わかばとそよ風のハーモニーコンサートへの参加を誘った。彼女の「野に咲く花のように」という詩で作った曲を2年前のコンサートでは、劇中の歌として使ったことがある。私はこの時が来るのをずっと楽しみにしていた。そして、冒頭の歌を聞いてもらった。
しがとてもむねにしみました
りそうはひとりでいきていくことですがひとりではむずかしそうなのでなかまといっしょにいきていきたいとおもいます
ちいさいときからのねがいでした
ねがいをかなえたいとおもいます
じぶんにゆめがあるかぎりむかっていきていきたいとおもいます
ゆめにむかって
(以下は、手をとる方法で)
ひかりがさしてきたようです
きもちをちいさいときからいいたかったので りかいしてもらえてうれしいです
てではなせるとはおもいませんでした
卒業を間近に控えた不安な胸の内がうかがえるが、仲間とともに生きていくことに希望を見いだしているところに、深く共感した。コンサートは、その初めの一歩だ。
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2009年3月15日 10時50分
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知的障害の特別支援学校の高等部を卒業する○○さん。卒業を来週に控え、こんな文章から始まった。
あまりそつぎょうしたくない
じりつすることがつらいとおもいます
じりつはちいきでいきていくことですが
つらいのはひとりぼっちでくらさなければならないことです
ふしぎです りかいすることがなぜできるのですか
きいてほしいことがあります
ねがいはちいきでいきていくことですが
ちいきでいきていくのはたいへんかもしれません
じぶんのいいたいことがいえたらいいけど
ふだんからきもちいえないとむずかしいとおもいます
ちいさいときからいいたかった
りかいしてもらえてうれしい
のぞみはなんでもはなせるようになることです
じぶんのきもちがいいたいので ちいさいときからのぞんでいました
いいにんげんになりたいとおもいます
ねがいはひとりでちいきでいきていくことです
にんげんとしてきれいなこころでいきていきたいとおもいます
らいねんは なれていきたいです
ちいきでくらすために なれていきたいです
ふしぎです
はなしができることりかいしてくれてうれしいです
きもちがりかいされないことはつらい
卒業後のことをめぐる不安が、生々しく語られる。少し、話題を変えようと、詩を作っていたりしますかと問いを投げてみた。すると、
はい
しをつくりました きいてください
との答え。話題が変わるかと思っていたが、そのまま同じ気持ちを、今度は、決意の詩として語った。
なによりちいきでくらすことをのぞみます
りかいされないことがつらいです
にんげんとしていきたいです
しんじてください
ひとりでいきたいです
めいわくをかけずにいきたいです
むりではありません
ひとりでくらせます
のぞみはしんじてもらうことです
めいわくかけたくありません
ひとりでいきていきたいとおもいます
そして、こう付け加える。
よんでほしいおかあさんにじぶんのきもちを
きいてほしいじぶんのきもちりかいされたい
ちいきでいきたいです。
学校の進路指導は、ある意味で、きっちり彼女に受け止められているということになるだろう。厳しい現実を語ることは大切なことだ。しかし、彼女に将来の夢こそ、必要なのだと改めて思う。それは、これからも彼女と関わりを続ける私の課題である。
彼女には、5月24日に開かれるわかばとそよ風のハーモニーコンサートへの参加を誘った。社会人としてたくましく生きる先輩たちの仲間に加わってもらいたいからだ。そして、地域で生きるということの意味をともに考え合っていってもらいたいと思う。
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2009年3月15日 08時51分
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これまで、2人でいつもパソコンで会話をしてきた男子中学生○○君と女子高生☆☆さんがいる。しばらく、2人の会話に立ち入ることはできなかった。ところが、速度の速い方法を2人に示してから、2人は一気に、深い内容の文章を綴るようになった。
前回、女子高生が休んだ時、○○君は白い馬の詩を書いた。今回その詩を☆☆さんに聞かせた。すると、次のような感想が返ってきた。
いいしですねかんどうしました
ひいでたしだとおもいました
ねがいのつよさがつたわってきました
はっとさせられるようなないようでした。
ちいさいときからいろいろくろうしてきたことがつたわってきました
きもちがじっとしているととぎすまされていくのですね
ちいさいときからことばをかんがえていきてきたとおもうのでできるのだとおもいます
わたしもおなじです
ちいさいときからしをかんがえてきました
いいきもちになるからです
きいてくれますか
☆☆さんも、また、詩を作ってきたという。そして、次の詩が書かれた。
しろいしろいゆきはどうしてきたのくにからやってくるのだろう
しろいしろいゆきはどうしてかなしいのだろう
かなしみはどうしてうつくしいのだろう
かなしみはしろいゆきにどうしてにあうのだろう
ちいさいわたしはどうしてかなしいのだろう
ちいさいわたしはどうしてなみだをながすのだろう
ちいさいわたしはしろいゆきがだいすきだ
ばかにされたりどうじょうされたりしながらわたしはいきてきた
きもちをいえずにちいさいときからわたしはいきてきた
ちいさいわたしはいつもしろいゆきをまちこがれている
しろいゆきをゆめみている
きたかぜとしろいゆきはちいさいわたしにむかってふいてくる
しろいゆきをふきあつめてわたしにむかってふくきたかぜは
だからきぼうのかぜだ
ねがいをきいてねがいをかなえてくれるきぼうのかぜだ
いいきたかぜをかんじながらいいわたしはきぼうにむねをときめかせている。
これまで、ずっとパソコンでいろいろと語ってきた☆☆さんが、自分から詩について語らなかった理由を尋ねると、次のような答えだった。
ひとにきかせるものではないとおもってきたからです
きいてもらえてうれしいです
また、多くの人が北風と希望を結びつけた詩を書いていることを説明すると、次のような意見を聞かせてくれた。
ちいさいときからきたかぜがだいすきでした
いいわたしにしてくれるようなきがするからです
にんげんはきたかぜをきらいますがほんとうのかなしみをしっているひとにとってきたかぜはきぼうのかぜなのです
ちいさいころからしをつくってきたのでいつもきいてもらいたいとおもってきました
本当の悲しみを知っているというような言葉は、お母さんにつらく響くことがあるから、お母さんに一言、書いてほしいとお願いした。
おかあさんはいつもわたしのことをりかいしてくれました
しはわたしのくろうしてきたきもちをかいただけです
わたしをいつもだいじにしてくれてかんしゃしていますからあんしんしてください
きいていただいてありがとうございます
長文を書いた後、手を振って気持ちを聞き取るやり方をお母さんに紹介した。パソコンの援助もご自分でやれるようになったお母さんだが、この方法も、比較的簡単にやれるようになった。社会に出るのを間近に控えた☆☆さんの世界が、もっともっと広がればと思う。
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2009年3月9日 23時31分
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