ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年12月26日(金)
4人が書いた北風と希望の詩
 私たちの言葉をめぐる取り組みがなかなか理解されないことを心配した○○君は、次のような文章から始めた。

しばたせんせいはきになっていませんか きちんといいたいことがわかってもらえないで
きわもののようにいわれてしまうことに
みちのりょういきを しこうするのはむつかしいということなのでしょうか

 みんなにわかってもらうことのむずかしさと、それでも戦っているつもりであることを伝えると、

きけてよかったです みちのせかいにちょうせんするのはたいへんですね

 と私を気遣う言葉をかけてくれた。ここで、突然、詩のことについて尋ねた。すると、「あります、かけます」という返事。そして、次の詩が書かれた。彼もまた、テーマは北の風と希望だった。彼と関わるのは8月以来のことなので、まだ、北の風の話をしたことはない。ここで、彼が北の風をとりあげるのは、全くの偶然ということになる。(このブログを見ているわけでもない。)

きたのくにからふくかぜは いいひびきをしています
いいひびきをたてながら きたのくにからふいてきます
きたのくにからふくかぜは きたのきぼうをつれてきます
きたのきぼうは きたにすむきたのしかがふかせるかぜです
ちいさいときのおもいでをつれてやってきます
しかはきぼうのいぶきをにんげんにあたえます
きたのしかのきぼうはちいさいときにみたゆめときぼうです
ちいさいときにじぶんじしんできいていたきたのきぼうのしかのこえです
きぼうのきたかせはじぶんにむかってふいてきます
きぼうのきたかぜはきぼうびんかんにさっちして
きぼうのあるところにふいていきます
しろいゆきとしろいちいさなまほうつかいをつれて
きたのくにからきぼうをひとにあたえるために ふいてきます
しろいせかいと しろいのぞみと しろいねがいと ちいさいゆめにきぼうというものを
あたえるためにふいてきます

いいきぶんです いいたいことがいえて いいたいことが じぶんいじょうにはやくかけていきます
ふしぎないいきもちです だいじょうぶです 
きたかぜをいやがるひとはおおいけど きたかぜはきぼうのかぜです
きたかぜにはいきていくのがつらいひとのきもちがこもっています
きたかぜは だからきぼうのかぜなのです
あります

 なぜ、北風が希望の風なのかという説明も、幾人かの子どもたもが書いたことと相通じるものである。そしてもう一つ、詩が書かれた。

ちいさいねがいのきがありました
いいかぜがふいてきて いいはながさきました
いいかぜがふいてきて いいみがなりました
いいかぜがふいてきて たねはじめんにおちました
きぼうのいいかぜは きたのくにからふいてきて
じめんにめをだすようにいいました
いいかぜは いいにんげんは きぼうのいぶきをかんじ
ちいさいころきぼうをかんじていきていたころのことをなつかしくおもいだしました。

ききとってくれてありがとう じぶんのきもちをしずめるためにつくったものです
きぼうをなくさないためにかいています いいきもちです

 傍らでは、弟の▽▽君が、筆談の練習をしていた。いろいろな会話をうまく書き取れていた。ところが、何か言いたげだったので、パソコンを出してみた。すると、にいさんが詩を書いたことを聞いていたのか、すぐさま、詩を書き始めた。

ちいさいぼくはにんげんとしてうまれ きぼうをもっていきてきた
きぼうはきたのくにからやってきて いいちいさいぼくにねがいをくれる
いいちいさいぼくは きぼうをきたのかぜからもらい
しずかにきたかぜのおとをきいている
きぼうのきたかぜはちいさなぼくをはげまして きぼうをくれる
いいちいさいぼくは きぼうのきたかぜにきぼうをもらい
きたかぜのふらせるゆきを しずかにみている
いいちいさいぼくは しずかにしずかにきたかぜにいしをつたえる
いいちいさいぼくは きたかぜにいのちをちかう
ちいさいぼくは いいちいさいのぞみをかかえて
いいちいさいぼくのじんせいを ねがう
いいちいさいぼくは きぼうのきたかぜとともに
いいしらせをひとびとにつたえる
いいちいさいぼくは いいのぞみをきたのくにのかぜに
いいちいさいぼくは いいきたかぜにいのりをささげ
いいきょうのいのちをかんしゃする
きたのくにからふくかぜにきょうのにくしみをいっそうすることをねがう
きたのくにからふくかぜに
いいじんせいをきぼうにみちたものにすることをちかう。

 「いいちいさいぼく」という表現は、昨日も、別の場所で聞いた言葉だった。小さい自分ながら懸命に自分を肯定しようとする響きがこの言葉にはある。まだ、小2の少年の、懸命によく生きたいという祈りのような文章だ。「にくしみをいっそうすることをねがう」ほどに彼が憎しみを抱いているとも思えないのだが、まったくそういうものと無縁の者が書く言葉でもないだろう。さっきまで、あどけない内容の筆談をしていた彼のこころの中には、こんな世界が秘められていたのである。
 そして、この兄弟の1時間後にやってきた◇◇君は、「しなんのわざがひつようですね。きびしいですね。いいほうほうはないのでしょうか。」と、わかってもらうためにどうすればいいのかということから話し始めた。

いいたいことがなかなかきいてもらえません しんじてもらえません いいたいことがつたわらないと きもちはしずんでしまいます きもちがきらいになっていくのがいやです きちんといいたいことがきいてもらえないといいたいことがいえないといいちいきがきずけません

 そこで、この話にお互いにとどまり続けていると行き詰まってしまうので、話を切りかえて、詩のことを尋ねた。答えは、「つくっています」。そして、次の詩が書かれた。彼は、上述の兄弟が何を書いたかなど、まったく知らずに、さらさらと詩を書き始めた。

しろいいき いいいきを いいかぜにはき いいきたかぜにいう
きぼうにみちたきたかぜさん あなたのいきできぼうをください
きぼうにみちたきたかぜは きたのくにと きたのしずかなゆきたちを
きぼうにすべていろどって いいきぼうのかぜたちを
いいにんげんたちにとどける
いいいき いいしろい いき いいきたかぜ
ぼくにきぼうをください
ちいさいころから いいいきをはきながら 
ぼくはきぼうをしんじてきた
いいきぼうのひかりは きぼうとともにぼくのこころにおとずれる
きぼうのきたかぜと しろいゆきは いいきたのくにからやってきて 
きぼうときぼうとをつなぐ
きたのくにからふくかぜに きぼうのきたのくにのきぼうをきいている
いいいきをはき みんなにきぼうをあたえる
きたかぜにしろいゆきをのせて いいいきをはき 
いいきたかぜにちいさなぼくはねがいをきく。

 そして、詩について、次のようなコメントをつけた。

きたかぜはきたのくにからふくかぜで みんなはいやがるけど きたかぜは いろいろなくるしみをけいけんしたひとにしかわからないけど きぼうをはこぶかぜです きたかぜは だからきぼうのきたかぜです

 そこで、兄弟の詩を読んで聞かせた。

びっくりしました きたかぜをびんかんにかんじとっているひとがいることがわかってうれしい
にんげんはきたかぜをきらうとばかりおもっていました きぼうというものはきもちがしずむときえていきますから いいきぶん しきりにいいきもちがします いいきもちです

 と、率直な感想を述べた。そして、最後にこうしめくくった。

にんたいしてきたけど きぼうがかないました いいきぶんです きもちがすらすらかけて 
いいみいだしです ぼくたちがみんなしをつくっているということにきずいたことは
きもちをしずめるために ぼくたちはしをつくっています
ちいさいころから いいちいさいじぶんを きぼうにみちたにんげんにするために 
きぼうがあれば ぼくたちはいいにんげんになることができます
いいじかんでした きぼうがわいてきました
いいじかんでした いいほうほうです ちいさいころからのゆめでした

 そして、さらに、☆☆さんが、続けてやってきた。彼女は、詩的な表現を何度もしてきた社会人1年目の女性だ。詩のことが話題になっていたのを聞いて、さっそく詩を綴り始めた。

きぼうのきたかぜはきたのくにからふいてきて
にんげんにきぼうをあたえる
しんじていればきっとねがいかなうということを
きぼうのきたかぜはおしえてくれる
いいじぶんになるためにいいきたかぜは
ちいさいわたしにちいさいころからいいきぼうをあたえてくれた
きぼうのきたかぜはいいひとにいいきぼうをあたえてくれる
きたにむかってわたしはさけぶ
きたかぜにむかってわたしはいのる
いいきぼうをくださいと
にんげんとしてうまれ いいねがいをもち
にんげんとして いいゆめをいだき
きもちをきりかえたいとおもっても
いいねがいはなかなかじぶんにはかなわなかったけど
いいきぼうがあればいいじんせいがひらけることを きたかぜにねがう 
ちいさいちいさいわたしに きたかぜはきぼうをくれる
きぼうはきたのくにからやってきていいにんげんにしてくれるいいきたかぜはきたのくにからやってきて きたのくにのきぼうをつたえる。

にんげんとしてうまれてきて きちんとしたじんせいをきぼうをもっていきていきたい
にんげんとしていきてきて にんげんとしてきぼうをもち
きぼうをぎんいろのねがいにかえて いいじんせいをいきていきたい
じしんというちいさいひかりをきぼうによってともして
きぼうのひかりをしんじていきていこう
にんげんとしていきてきてひかりをにじといっしょにきぼうにかえて
しじんのようなきもちでいきていこう
ちいさいちいさいにんげんだけど しじんのようなしずかないのりをささげながら
きもちをしずかにいのりにかえていきていこう
しじんとちいさなわたし ちいさなしじんとちいさなわたし 
いつまでもいっしょにいきていこう
にんげんとしていきてきて にんげんとしていきていく
しじんのようなきもちで きょうもいちにちしじんとしていきることができて
いいいちにちだった
きょうもいちにちきぼうをもっていきていけたことに かんしゃしよう。

 ◇◇君は、じっと、詩に注目していて、途中で、何度か、読み上げると、自分と同じように北風がテーマになっていることを、とても喜んでいた。そして、改めて、☆☆さんにも、◇◇君のものや、○○君、▽▽君のものも聞いてもらった。4人がそれぞれ、独自の個性的な表現を持ちながらも、北風と希望とを共通のテーマにしていることを、心から喜び合った。そして、☆☆さんの、感想。

きょうはたくさんかけてよかった きぼうがわいてきました きぼうがみちてきました
いいいちにちでした いいじかんでした いいみんなのしがきけてよかったです。

 急に冷え込んで、北風が吹き荒れた日だった。私たちの知らないところで、彼らは、北風に希望を重ね合わせて、懸命に生きようとしていた。そして、残念ながらみんなそんな思いを共にする仲間がいることを知らない。みんな同じ思いで生きていることを伝えて、みんなひとりではないことを知ってもらいたいと思う。
 今年で12年目を迎えたこのグループ。こんな日を迎えられるとは、まったく予想だにしなかったことだ。こんなふうに、新しい年に向かうことができることに、心から感謝した。
2008年12月26日 23時40分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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いいきたかぜ いいじぶん いいきたかぜ いいじぶん …
 2度目の関わり合いになる小1の少年との関わり合いは、こんな文章から始まった。

きびしいさむさいやです
きちんときていないとさむいです
いいきもちです きもちがすらすらかけていきます
いいきもちです いいほうほうですね

 そして、話題は、気持ちを伝えることに。

ちいさいころからゆめでした
きもちをつたえることがきになっていることがあります
いいちえがほしいです きもちをつたえるための
いいたいことはたくさんあるけど いいたいことがいえずにこまっています
いいたいことがいいたいです
きもちさえきいてもらえなくてひとりぼっちです。
いいほうほうがあったらおしえてください

 こうしたはがゆい思いは、そのまま体に力を入れさせ、激しく身をよじらせ始める。ふつうなら、いったん休んだ方がと思うところだが、気持ちが高じてそうなっているのだったら、気持ちをおさめるしかないだろうという思いと、どんなに体をよじって、大きな声を出し始めても、手は、ずっと文字を綴り続けているので、私が逃げてはいけないという思いとで、文字を綴るのを私からやめることはしなかった。
 コミュニケーションの方法について、彼はこうも語った。
  
はいといいえはうまくいえません
いいたいけどうまくいえません
いちばんきくのはあしです
いちばんいいのはあしだとおもいます
いいえをいうのはかんたんだけどはいがむずかしい

 いやな顔をすることで何とか「いいえ」は伝えられても、「はい」を伝えるのはむずかしいとのこと。お母さんの話では、笑顔で「はい」を伝えることがあるということなので、笑顔をタイミング良く作るのは容易ではないということだろう。
 そして、こういう文章を書くにいたって、体のよじれは頂点に達した。

いえなくてくやしいとおもうけどちいさいころからわかっていたのにぜんぜんりかいしてもらえません

 ここで、私は、あえて、次のように尋ねた。くやしい思いが今体をこんなにももだえさせているのはわかるけれど、自分で何とか、その気持ちを落ち着かせることはないのかと。小1の少年には酷な問いかけかと思った。しかし、もし、きちんとそういう工夫をしてきているなら、聞かない方が失礼だと考えたからだ。
 すると、こんな答えが返ってきた。

しをつくってきもちをしずめてきました
きもちをしずめるためにつくったしがあります

 詩のことは、いっさいふれてはいなかった。私はただ、気持ちを落ち着かせる方法があるのかどうかを尋ねただけだ。これまで、詩を作っていますかと直接問うことはしてきたが、こういうふうに問いかけたのは初めてだ。そして答えが詩だった。詩というものの持つ、奥深い意味をまた、思い知らされた。そして、「きたのくに」と「きぼう」の詩が書かれた、またしても。

いいひとはきたのくにからやってきます
きたのくにのきぼうを きたかぜにのせてやってきます
きたからふくかぜは ちいさなぼくのきぼうです
きたからふくかぜは にんげんにきぼうをくれます
いいきぼうです
いいかぜです
きたのくにからふくかぜは きたのくにからふいてきて
いいひとにしてくれます
きたのくにからふくかぜは きぼうのきこえるかぜです
いいひとになるように ちいさなぼくにきぼうをくれます
きたからきたひとは いいかぜをつれてきます
きたからくるひとは きぼうをにんげんにしらせてくれます
きたのくにからふくかぜは きぼうのきたかぜです
いいひとになるように ふいてきます
いいひとになるためにじかんをかけて
いいきぼうをちいさなぼくにあたえてくれます
きたのくにからふくかぜは きたのくにのきぼうをつたえてきます
いいひとになるために
じぶんをたいせつにするために
きぼうのきたかぜはことしもきたのくにからふいてきます
きたのいいきぼうをつたえてきます
きたのくにからふくかぜに いいちいさいねがいをしてみよう
いいちいさいねがいは いいかぜにむかい
ちいさないいきぼうを じぶんにくれる
きたのくにから いいいきかたをするように
じぶんにふいてきます
いいかぜにのせて いいきぼうを にんげんにあたえます
いいちいさいじぶんに いいきぼうをくれます
いいちいさいじぶんに いいきぼうをしらせてくれます
いいしらせはきぼうのための ちいさいあかしです
いいちいさいじぶんに いいしらせをくれます
いいしらせはきぼうのちいさなあかしです
いいじぶん ちいさいじぶん いいちいさいじぶん
きたのくにからふくかぜは きぼうのきたかぜです
いいきたのかぜです
いいきたかぜです
いいじぶんになるために きたにむかっていのります
いいじぶんになるために 
いいきたかぜ いいじぶん いいきたかぜ いいじぶん。

 「いい」が連呼され始めるころには、彼は、ぴたっと動きを止め、まるで眠ったような安らかな姿勢と表情とで、詩の言葉を書き続けた。これは、もはや気持ちの表現ではなく、自分に向けて語りかけているのであり、祈りそのものであった。リアルタイムで、繰り返される「いいきたぜ」「いいじぶん」という言葉は、心のそこからの願いを繰り返し唱える祈りだった。
 そして、いつまでも続きそうな繰り返しにようやく区切りがつけられるたので、私は、北風について、他の子どもたちも同じように北の風を大事にしていることを伝えた。

きたかぜはいいかぜです
きたかぜはきもちをわかってくれます
きたかぜはきぼうのかぜです

 そんな他の子どもの詩を聞いてみたいですかと尋ねると、

きいてみたい

 との答え。そこで、いくつか北の風が登場する詩を紹介した。

にたことをかんがえているひとがいるのでおどろきました
きたのくにはきぼうのきたかぜがふくところですから 
じぶんもじかんがあると きたかぜのことをかんがえています
いいいきかたがしたいです
いいじんせいがおくりたいです
いいきぼうがほしいです
いいきぼうみつけたいです
いいちいさいじぶんをたいせつにしたいです
いいじぶんをじかんをかけてつくりたいです
いいきもちです
いいたいことがいえてありがとうございました
またよろしくおねがいします
いいきもちです

 小1のまだ幼さをいっぱいに抱えている少年が、身をよじらせてくやしい思いを表現していた。途中、体がつっぱって、どうしようもなくなった時、私は、彼を抱え込みながら、文字を読み取り続けた。彼を抱え込む腕には、彼の悔しさが痛いほど突き刺さってきた。私の心も、もだえずにはいられなかった。そして、彼は、みずからの祈りによって、希望を心の中に宿していき、穏やかな表情へと変わっていった。彼は、一人で自分に与えられた運命に激しく挑みかかっていき、そして、みずから、希望を見いだしていった。そんな精神の激しいドラマが、私の腕の中で繰り広げられていたのだ。彼の無念の思いとそれを乗り越える精神の崇高さとを、どうやって伝えていったらいいのだろう。
 しかし、彼の挑む気持ちさえあれば、私もまた、希望を見いだせるはずだろう。小1の少年に負けるわけにはいかない。
2008年12月26日 02時04分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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いいちいさなぼくでありつづけるために
 今回で3回目になる中1の少年は、せっかく自分が言葉を表現できるようになったにもかかわらず、そのことが大人たちに理解されない寂しさを最初に語った。表現できることがわかった後に、こんな試練が待っていようとは、思いもよらなかったのにちがいない。しかし、残念ながら、それが厳しい現実だ。
 ひとしきり、その話が続いたところで、体の動きの問題について尋ねてみた。パソコンをやっている最中にも、手が前に伸びて、いろいろなコードを引っ張ったりするのだが、それが、きっと誤解されていると思ったからだ。私も、昔なら、その行動をいい意味で意図の現れと解釈してきたのだが、どうも事情は違うらしいことがわかってきたからだ。

かってにてがうごいてこまっています
きもちとはかんけいなくてがうごいていいこだとおもわれない

 パソコンの画面上に、きちんとした文章が並んでいくかたわらで、まったくそのこととは無関係なことのように手が伸びて、いたずらのようなことをすることを、こんなふうに書いてもらうと、その意味がよくわかる。意図したのとは違う方向に手が伸びるという不随意運動とはちがって、意識のコントロール下に置かれていない行動があるということだ。どうしてそんな行動が起こってしまうのか、説明ができるわけではないが、そのような行動があることは、私自身が聞き取った多くの証言から明らかだ。そして、そのことは時として、彼をわがままに見せたり、言葉やルールの理解がない子どもとして、誤解を生じさせてしまう。それが、「いいこだとおもわれない」という言葉にこめられている。理解されないだけではなく、誤解までされているのだ。
 そのことについて、自分なりの考えを彼に伝えたあと、詩のことについて尋ねてみた。すると、やはり作っていて、今、書けるという。そうして、生まれたのが次の詩である。

しろいしろいいぬがきみにはみえますか
しろいしろいねこがきみにはみえますか
きぼうのいろをしたいぬとねこは 
いいいきをはいてきぼうをつたえます
ちいさいぼくは にひきのきもちがよくわかる
きぼうにはばたこうとして 
きぼうを きたのくににむかってさがしにいこうとして
きぼうにみちたかぜにむかって
きせつのかわることをかんじながら
えみをうかべ しろいいきをはく
ちいさなぼくは きぼうをうしない
ちいさなぼくは きたにむかっていのる
しろいいぬとしろいねこ はやくぼくにきぼうをください
しろいつぶらなひとみをした いぬとねこは
きぼうをきせつにひいらぎのなかまにして
しろいきたのくにの いいきぎに
じかんというしろいいきものにかえて
いつまでも しろいしろいきたのしかのすむくにの
きたかぜにいのった
いいじかんが ちいさなぼくをじっとつつんだ。

 「きぼうをきせつに」のあたりは、助詞の読み取りの間違いがあるのかもしれない。白い犬と白い犬の不思議な物語。そして、そこに吹いているのは北の風だ。多くの子どもたちが歌った北風に、彼もまた特別の意味をこめる。
 そして、彼は、詩を作ることの意味と希望の意味を語った。

きもちがしずんでいるときに 
じぶんのきもちをあかるくするためにつくっています
きぼうがなくならないように 
いいちいさなぼくでありつづけるために 
いつかきぼうがかなうように
いいきもちです
いいじかんです
いいいちにちです きもちがすらすらかけて
きぼうしかひつようなものはありませんから
きぼうだけをかんがえていきています
ちいさなぼくは いいこどもになりたいとおもうので
いいきぼがひつようです
きぼうというものがにんげんになかったら
じんせいはいろをうしなってしまいます
いいきぼうがにんげんにはひつようです
しいていけんをいえば いいいきかたをするためにも
ちいさなぼくはきぼうやねがいをだいじにしていかなければならないので
きもちをつたえられるようにいっしょうがんばりつづけなくてはならない
くろうしてもきぼうをうしなってはいけない
しいていえばきもちをにげないようにして 
きぼうぼくといっしょに
しいていえばきぼう ついいちじかんまえには
なくしかけていたけど
きぼうをなくさずにいきていきたい
きぼうがわいてきましたがんばります
ありがとうございました
またよろしくおねがいします
きぼうがでてきました
きたかぜにいのってよかったです
いいじかんでした
いいいちにちでした

 つい一時間前、彼は、確かに、わかってくれないことを嘆いていた。そうした気持ちから、北風に祈ることによって、再び希望を取り戻した。詩は、単なる詩ではなく、祈りであることがよくわかる。
 彼の切実な祈り、どうか、多くの人に届いてほしい。
2008年12月26日 02時01分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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きちんと気持ちを聞いてくれ、気持ちを生かしてくれる施設
 高1の○○君は、将来を見据えた文章を書いた。

 いちばん言いたいことは、いいところに強いられずに行けるかということです。気持ちを言いたいけれど、気にしないでほしい、おかあさん。希望はいい作業所に行くことだけど、きちんとした自分の意見を言うことができないと、いちいち気持ちを言っていかなくてはいけないので、生き方としてはあまりいいとは思えない。希望はお母さんと一緒にいい施設を作ることです。いいお母さんとは、気持ちが自分で聞けていい注意をしてくれるお母さんのことです。まなざしを優しく向けてくれてり、話し合いをしてくれるお母さんです。小さいときからいいお母さんだったけど、気にしてくれたのはいつも周りに気を遣ったことで、自分のことは後回しだったから気の毒だった。気を遣った生き方を変えないと、いいお母さんでは続かないと思う。いいお母さんが自分は好きなので誓いとともに、改めてほしい。犠牲にならずに、言いたいことを自信を持って言ってほしいと思う。小さい時から気になっていた、自分の言いたいことが言えないで、我慢ばかりしているところが。小さいときは気づかなかったけど、気になり始めたので聞いてもらいました。気になり始めたのは、いい施設を探したいと思うようになってからです。小さい頃には気づかなかったけど、気になり始めたのです。
(母:施設とは、どの意味で言っているの?)
施設は卒業後行くところです。
(母:あなたの考えるいい施設とはどんな施設?)
いい施設はきちんと気持ちを聞いてくれ、きちんと気持ちを生かしてくれる施設です。希望は、気持ちいろいろ違う仲間たちを、違いを認めていき、一人一人を尊重する施設です。
(母;施設を作りたいと言っているけれど、いいところがあれば、そこでもいいの?)
 いいです いいところがあれば。気持ちを大事にしてくれる施設があれば、そこがいい。いいところがあればいいと思う。(私:最近、パソコンがスピードアップしたのは、社会人の人たちのグループの中にいる、障害の重い人が、一緒に話し合いに参加できるように通訳をするようになったからだけど、いつか、パソコンを通訳として使えるようになれば、手話通訳みたいにして、言いたいことを言えるようになると思っている。)
犠牲にならずできることなの。
(私:家族がやれば犠牲になるかもしれないけれど、仕事として関わっている人がやれば犠牲になるということではないと思う。車いすを押すのと同じだから。)

 以上のように、卒業後のことを、母への心遣いとともに、語った。通訳さえ存在すれば、彼は、もう、自立している身体障害者の方々のように、社会と対等に渡り合って行けると思う。まだまだ、通訳できる人は少ないが、けっして実現不可能な夢でもないように思えてきた。そして、さらに話は、これまでを振り返る話になっていった。

 小さい頃からの夢でした、気持ちを伝えられるようになることが。自分だけではなく、小さいときから友だちもみんな話したいと思っていましたが、なかなかその願いはかないませんでした。気持ちを聞いてもらいたいけど信じてもらえませんでした。苦しかったけど、柴田先生に出会って初めて言いたいことが言えて、自分の言いたいことが言えるようになって、気持ちを表現できるようになって、気持ちが変わりました。気持ちが小さくなくなりました。いい人間になれそうな気がしてきました。気持ちが人に伝えられるようになってから、いい人生が送れそうな気がするようになりました。気持ちが理解されるようになってから、いい気分になることが多くなりました。気分が明るくなりました。いい気持ちです、気持ちがすらすら書けて。いい方法ですね。言いたいことが全部言えてよかったです。

 本当はいい人生を送りたいとか、いい人間になりたいという当たり前の願いを持っていながら、なかなかその願いを育てきれずにいる。責任は、もっぱら社会の方にあるのに、それを、自分の責任であるかのように語る。
 この高校生は、この自主グループ発足に、とても大きな役割を果たした少年である。出会いは小5の冬だったから、5年の月日が流れたことになる。しっかりとした考えをこれまでも、繰り返し示してきたが、こうして、将来のことをきちんと見据え、なおかつ、自分のこれまでのことを冷静に見つめ直している。過去から流れてきた時間と未来へ流れていく時間の間としての現在に、彼の立っている場所が、とても確かなものであることが、ひしひしと感じられる。
 また、話ができるのが楽しみだ。
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2008年12月25日(木)
筆談で広がった少女の思い2
 昨年度、パソコンで文字の表現が可能になり、その後、先生と筆談へ移行していった現在小6の女の子が都内の特別支援学校にいる。今回、まず、担任の先生による筆談で、終始にこにこしながら、いろいろなことを語ってくれた。
 昨年、わかってほしい気持ちを激しくぶつけてきたことが、うそのように、穏やかな少女がそこにいた。
 そして、筆談をしながら、先生と一緒に書いた文章も見せていただいた。日を追うごとにきれいになり、なめらかになっていく筆談の文字に、コミュニケーションがどんどん広がっていった軌跡が示されていた。先生の筆談の通訳で、いろいろなことを語った。彼女の書いた詩は、大きな詩のコンテストにも入賞していて、もうすぐ、公表されるとのこと、確実に広がりを見せている彼女の姿が、私は、本当にうれしかった。
 時間があとわずかになったところで、ふと、ワープロで話してみたくなった。久しぶりにあった私だと、また、違うことが語られるかもしれないという思いがしたからだ。時間がないということもあって、出せる限りのスピードを出すと、彼女はしっかりとついてくる。そして、書かれた文章だ。

わたしのことばをなぜみんなしんじてくれないのでしょうか
ふしぎですかんがえただけでことばになっていきます
ちいさいときからじをおぼえていたのになかなかあらわすことができませんでした
きらいなことばかりがっこうでやらされていやになっていました
きびしかったです
にんげんとしていきていきたいとおもっていたのできびしかったです
いいにんげんになりたかったけどなかなかなれませんでした
いいにんげんになるためのきぼうがでてきました
いいちゃんすをいただけてかんしゃしています
きぼうがわいてきました
いいにんげんじゃなかったけどいいにんげんになりたいとおもいます
きぼうにむねがふくらみます
きぼうがでてきましたきもちがいえてうれしいです
きもちがいえてきもちがらくになりました
いいほうほうですね
おどろきです
ちいさいときからいいたかったです
にんげんだからきもちをつたえたかった
いいたいことがいえてよかった

 この日の筆談の資料は、手元にないので、掲載できるのはこのワープロの文章だけだが、率直な思いが語られている。一人の少女が、こんなふうに自分を見つめ、いい人間として生き直そうとしているというその場面に立ち会えているというだけで、厳粛な気持ちにさせられる。もちろん、彼女は、ずっといい人だった。しかし、いい人であることを、私も含めた社会が認めきれなかったのである。人を育てる教育が、静かに営まれているこの学校の実践に、心から敬意を表したいと思う。そして、こうした実践の広がりを心から願う。

2008年12月25日 22時40分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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筆談で世界が広がった少女の思い1
 ある都内の特別支援学校でのできごと。2年前にパソコンで文字を表現できるようになった現在小3の女の子は、現在手を添えられることによる筆談で気持ちを表現している。先生も家族も筆談の支援が可能で、表現の世界が格段に広がった。
 そんな彼女に、あえて、パソコンで表現してもらった。それは、一
緒に話がしてみたかったからである。 

きもちをいいたいとおもってきました
いいたいことがいえるようになれたらいいなとおもってきたのでひつだんができるようになっていいたいことがいえるようになっていいいきかたができそうです
きぼうがわいてきました きぼうがいっぱいねがいとともにでてきました
ひつだんができるようになっていいたいことがいえるようになってからきもちがおだやかになってきました
いいきもちです にちじょうかいわをしているようなかんじです
いいほうほうですね きもちいいです

 ここで「いたい」という彼女の限られた音声言語が発せられた。「あしが痛いの?」とお母さんが聞くと、

あしじゃなくてきびしいからだのことです

との答えがあって、次のような文が続いた。。

じぶんのからだだけどちいさいときからどうしようもなかった
いしとからだがばらばらなのでつらかったけどきもちがいえるようになってきがらくになりました きぼうがわいてきました
かみさまはいるとおもいます

 ここで、担任の先生やお母さんとの筆談に頻繁に登場してくる神のことについて、お母さんから彼女に質問が投げかけられた。

じぶんのきもちをきいてくれてきもちがやすらぐかみさまがいます
ひとにはみえませんがりかいしてくれるたいせつなそんざいです

 ここで、私は、多くの子どもたちが作り出している想像上の友だちと同じ役割の存在だろうと説明を加えると、さらに担任の先生は、さっき突然泣き出したのもそれと関係あるのと尋ねた。すると次のように綴られた。

きていたのは☆☆ちゃんです
いきていたときにきもちをかけなかったのでかなしがっています
ちいさいころからいっしょだったからいつまでもいっしょです
きもちをひとりでもおおくのひとにきいてもらいたい
りかいしてもらいたいです

 ☆☆ちゃんのことは私も知っていた。前におじゃました時に、彼女は給食の時間、同室となる☆☆ちゃんのことを私に紹介しようとる。そこで、小声で、☆☆ちゃんも言葉があると言いたいの?と尋ねると
、うれしそうな表情をした。しかし。それっきりになってしまっていて、10月におじゃました時に逝去の事実を知らされた。間に合わなかったのだ。その無念の思いが、彼女に☆☆さんの「霊的な存在」を生み出し、その思いを代わりに伝えているのである。あまりにも厳しい事実でありながら、その厳しさ自体が知られていないのである。短い言葉だが、上の5行の中には、私たちの社会の未熟さが隠されている。
 ここで話を変えて、詩について尋ねてみた。すると、次の詩が書かれた。  

うつくしいにわにいるしずかなことりにいいたい
ちいさいとりはどうしてきれいなの
いいとりはいいました
いましろいはながいっぱいさいているところに
つれていってください
ちいさいとりはいいました
しろいはなのさくくには きたのほうにあります
きたのほうにあって いざめざそうとすると
だれもいけないところです
じぶんのこころにすなおになると 
いくべきほうがくがみえてきます
ねがいをもってあしたをみつめていれば 
きっとみえてくるでしょう
きたのくににあるしろいはなをさがしに 
きたのくにをめざして
わたしはひとりたびだつ。

 こうした幻想的な世界を思い浮かべて、希望を育てていくという心の働きは、気持ちをきいてくれて心が安らぐかみさまがいるという心の世界と相通じるものだろう。
 また、彼女は、すでに先生と詩も書いているのだが、それとひと味違うのは、これが、自分一人の世界の中で、幻想的な世界を思い浮かべて、思うように体がいかない自分をいやしているというもので、人に聞いてもらうことを前提としていないところかもしれない。
 ところで、途中で、「いたい」と声を出しながら、一方で文章をよどみなく綴っていることについて、あらためて尋ねてみた。答えは、

きもちがかってにこえになるのでできる

 ということだったが、どうも、声だけではなく、きもちが体の動きにもなっているように思われた。
 ここで、お母さんから、一緒に見に行ったミュージカルのことを聞いたら「いみがわからなかった」と筆談で返してきたので、とてもがっかりしたのだけど、それはどういうことだったの?と質問がきた。

がっかりしないでおかあさん
いいみゅーじかるでした
きゅうにきかれたのでいいかげんにこたえてしまいました
かなしいものがたりでした
いいみゅーじかるでした
きりすときょうのかんがえがかんどうてきでした
なんでもゆるすというかんがえがすてきでした

 さらに、餅つき大会で、去年の記憶とつながっているのだろうかと思わされるようなことがあったので、そのことも尋ねた。

きおくのことはいいかげんにいってしまいました
こわいきもちはなくなりません
きねがぶつかってきそうだからです
いきているみたいでこわい

 答えは以上の通りだった。
 どんどん、豊かに広がっている彼女の世界が、本当にすばらしかった。
 そして、これが、学校の実践として、日々営まれていることが、本当に貴重に思われたし、新しい時代を先取りした姿があるように思われた。
2008年12月25日 22時21分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月24日(水)
クリスマス…人間の苦しみを解放してくれると信じられています
 クリスマスを控えた週末、初めて出会った少年は語った。

 まずは、書ける喜びが綴られた。

うれしいてがつかえて きもちをつたえたかった
きもちをりかいしてもらえてうれしい
にちじょうせいかつにもやくだてたい。
きもちをきいてもらいたいです
りかいしてもらいたいです

 そして、話題はクリスマスのことへ。

ちくのくりすますかいにいってみたい
じぶんではいいうたがうたえないのでいいうたのきけるくりすますかいにいってみたい
いいうたがとてもすきですから
ちくのくりすますかいはどこでやっていますか
(教会のクリスマスのことですか?)
きょうかいのくりすますかいいってみたいならどうすればいいの
きょうかいとはきりすときょうかいのことですか
びっくりしました
きょうかいのいみをしりませんでした
いいきょうかいがあったらいってみたいです
ちいさいときからあこがれていました きりすときょうかいに
わからないこともいっぱいあるけど ちいさいときからくりすますがすきでした
くりすますにはきれいなうたがききたくなります
しんこうがあるわけではありませんが ちくのくりすますかいにいってみたいです
きりすとのせいたんをいわうかいです
にんげんのくるしみをかいほうしてくれるとしんじられています
しんこうはありませんが しんじたいです
くるしみからかいほうされるということをしんじてみたいです
きりすとはしんじていないけれど くるしみからかいほうされたようなきぶんです じぶんのきもちをことばでいえて

 苦しみからの解放を待ちわびる気持ちこそ、クリスマス=降誕祭の原点だったのではなかっただろうか。こんなに美しい言葉でクリスマスを語れる少年はきっと詩を胸に抱いているに違いないと考え、「詩を作ったことはありますか?」と問いかけた。そして、次の詩が書かれた。テーマは北風と希望。もう何度も目にしたテーマだが、けっしてあなどるわけにはいかない。

きたのくにからふくかぜをしっていますか
きぼうのにおいがするかぜです
にんげんとにんげんのあらそいをやめさせ 
にんげんにいいしらせをもってきます
つらくなったとき きたかぜをさがしてみよう
さむいきせつにふくかぜだけど あたたかいきぼうをはこんできます
しろいゆきをつれて きたのくにからふいてきます
にんげんに ゆめというぷれぜんとをとどけるために
きたのくにから ちきゅうにへいわをあたえるために
きぼうのきたかぜは みなみにむかってふいてきます
しらないせかいのしらないこどもたちに ゆうきをあたえるために
きたかぜは いつもしきりにふいてきます
きたからふくかぜは いつもきぼうのにおいがします
ひとびとは きたかぜのほんとうのいみをしりません
きたかぜのいみがわかるのは ほんとうのくるしみをしっているひとです
ひとびとはきたかぜをいやがりますが
きたかぜは ほんとうはきぼうのかぜです
きたのくにからふいてきて ひとびとにきぼうをあたえます
きたのくにからふいてきて ひとびとをくるしみからすくいます。

 北から吹く冷たい風と希望とが結びつく理由が、はっきりと示されている。「本当の苦しみを知っている人」には、北風と希望とが結びつくのだ。
 以下は、詩についてのコメントだ。

しをつくっているときもちがやすらぎます
しをつくっているとくるしみからかいほうされます
いいきもちになります
きもちがしずまります
きもちがきれいになります
いいにんげんになりたいです
きもちのきれいなにんげんになりたいです
きよらかなきもちがいいひとにしてくれます
いいにんげんになりたいです
きもちのきれいなひとになりたいです
いいひとになりたいです
いいにんげんになりたいです
いいひとになるためにしをつくっています
くるしみからかいほうされるために。

 最後に、字をいつどうやって覚えたのか、聞いた。

じはかあさんがえほんでおしえてくれた
きりがないくらいよんでくれたからおぼえました

 この文章を書いているのは、12月24日、街にはクリスマスのイルミネーションと音楽があふれている。サンタクロースに比べて案外キリストをイメージさせるものは少ない。人間を苦しみから解放する救い主の誕生を待ちわびるクリスマスイブの意味を本当にわかるのは、北風の本当の意味を知る人たちなのかもしれない。
 神が本当にいるとしたら、彼の祈りにも似たこれらの言葉が、届かないはずがない。 
2008年12月24日 11時19分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月23日(火)
感情の嵐と、それをしずめた一篇の詩
 先月、全身で感情を表現しながらわかってもらえない気持ちを綴った○○さんのことは、うまくまとめることができなかった。そして、その中でいちばん切なかったものは、そういうふうにしてわかってもらえないことをくやしく思う気持ちが、自分をすさませてしまうというところだった。わかってもらえないくやしさとくやしさをいだく自分に対する嘆き。そんな先月の言葉をいくつか抜粋する。

すなおなきもちのおんなのこでいたいけど しらずしらずのうちにこずるいせいかくになってしまうようでいやです
すさんでいくみたいでいやです
けむたいうらみがこみあげてきます
いいかげんなきもちではじぶんしかみえなくなってしまいます
しのことはいろいろかんがえていますがくるしくてまじめにとりくむことができません
いじいじとしたきもちではいいしはつくれません
くさったきもちではいいことばはでてきません
ちいさいときいろいろいろゆめみていたけどげんめつしてしまいました

 目の前で、はき出されてくるこうした激しい言葉の前に、私も言葉を失う。彼女のいうことは、いちいちもっともだからだ。しかし、彼女の心をこれ以上、すさませていくわけにはいかない。そこで、思いついたのが、仲間の言葉を聞いてもらうことだった。じっと耳をすませて集中していた彼女は、だいぶ穏やかになり、次のように書いた。
 
くるしいきもちをしているなかまがたくさんいることがわかってかんどうしました
すべてのこどもたちがちゃんとかんがえていることがわかってきもちがらくになりました
じぶんひとりでなやんでいるとおもっていたけれどじぶんひとりではないことがよくわかりました
きもちをとりなおしてがんばりたいとおもいます
ねがいはざんねんながらすぐにはかなわないかもしれないけどがんばりたいとおもいます
きもちがずいぶんらくになりました
くるしんでいるひとがたくさんいることがわかりました
こどもたちでもいろいろかんがえていることがわかってよかったです
りかいされないのはくるしいけどこのくるしみにうちかっていきたい
きのうのこどものしはとてもすばらしかったです
とくにむかしのくるしみをずっとたいせつにしてきたというところがすばらしかったです
いしとはかんけいなくからだがうごいてしまうのでくやしいです
いしのとおりにからだがうごけばどんなにらくでしょう
くやしいです
きびしいからだですがいっしょうけんめいがんばりたいとおもいます
いきるいみをなんとかみつけたいとおもいます
いきるいみがみつかるまでずっとくなんはつづくかもしれませんがいっしょうけんめいがんばりたいとおもいます
ねがいはきもちをきちんとつたえられるようになることです
きっとできるようになるとおもいます
いつかきっとねがいがかなうとおもいます
いつかきっといのりがとどくとおもいます
いつかきっときもちがききとってもらえるひがくるとおもいます
いいえがかけるようにこころをきれいにしておきたいとおもいます
きっとこのてでこんどこそかちとってみせたいとおもいます
いいいけんをきかせてもらってありがとうございました
いいしもきかせていただいてありがとうございました
いいしをきいてげんきがでてきました
きもちがすこしらくになりました
きもちがきけてよかったです
いいひでした いいじかんでした いいときをすごすことができました
いいきぶんになることができました いいべんきょうになりました
いいしめくくりができました いいくたびれかたができましたおわります

 嵐のように始まった時間が、ようやく最後に静けさを取り戻すことができた。
 そして、1ヶ月が過ぎた。今回は、はじめから穏やかだった。そして、冒頭に、次の詩が書かれる。適宜、漢字をまじえて紹介したい。

行きたいところがある
ジオラマみたいな時間が流れていて
小さいころの思い出が 願い通りに見られるような場所
白い色の時間が流れていて 気持ちいい風が吹き
小さなころ聞いていたなつかしい子守歌が聞こえてくる
二枚しかない切符は気にいった人だけにしかあげられない 
知れば知るほどきれいなところで
きれいな人しか行けないとてもいいところ
においもすてきでにれの花が咲き 
きれいな人が小さく笑い にれの願いがにおい 
小さくにれの木がそよいで 小さな自分をはげましてくれる
小さい光が 大木の上からさしてきて 静かに時間が流れていく
きれいな人がにれの木の陰から現れて 秘密の絹が石の上にかけられ 
きれいな小さなミーナが時間を西の方から流れてくるのを今か今かと待っている 
希望の小さなすきをねらって 二番目の望みが一人忍び込もうとしている
小さな願いに雪が降り 希望に満ちた小さな自分は
聞いてみたこともないような歌を聞いてている 
自分しかわからないような小さな声で 一人静かに耳をすます
耳をすますと二人三脚の小さな私にもきれいな歌が聞こえてきた
小さな私は小さな祈りを捧げ 命のかけがえのなさを知る
喜々として信頼という自信を自在に操りながら
気持ちのおもむくままに身を委ねて季節を知らない耳でにおいのいい曲を聴いた
霧が立ちこめて霧の消えるまでの時間 小さな憎しみが小さな私の中に生まれた
自分ではどうすることもできず
時間が過ぎるのを待つしかなかった
小さな私は憎しみも知らず
小さいときの小さい私のまま
知らない時間が流れることを一人待っていた
自分より大きな憎しみは私を圧しつぶしそうになるけれど
厳しい人生だから一途に生きていくしかないと
憎しみをいい心に変えてしまおうと
苦難しいられても小さな私はけして希望を失わないように
希望への幸せに満ちた時間を大事にしていこうと決意を新たにした

 そして、その後、次のような言葉が続く。

きもちをしにしてみました きもちをきいてひひょうしてください ちいさいわたしはたんじょうしたばかりのわたしです いびつなこころになるまえのわたしです じちょうしようとおもうけど ちいさいわたしのようにはいきません いいしですか
いびつになったいまのわたしはくやしいです
きもちがいいひとになりたいです
いいひとになりたいです

 気持ちを詩として表現した時、すでに荒々しい感情は、しずまっているから、けっしていびつになっているわけではないし、おかしいことはおかしいと冷静に言うことはまちがっていないということを伝えた。そして、再び、この1ヶ月の間に、出会ったいろいろな人たちの言葉を紹介した。

きぼうはきょうのしのてーまでしたからみんなのきもちがよくわかります
いいしでした きれいないめーじで きれいないのりにみちていました
いいじかんでした いいじかんをすごせました きもちがおだやかになります
しはひとにきかせるものではなくきもちをおちつかせるものだということがよくわかりました
きもちをきれいにするためのものだということがよくわかりました
きもちがいびつになっていたけどにんげんとしていきていきたいのでじしんをもっていきていきたいとおもいます
いいじかんでした じぶんのきもちをせいりすることができました
いいじかんでした きもちがらくになりました
いいしがかけたとおもいます
きぼうのきもちがうまくひょうげんできました
しきりにきもちがおちついてきます
ちいさないのちでもいいいきかたができるように
にんげんとしてきもちをいいたいです
きもちをいえてよかったです
 
 絶望にうちひしがれようとしている少女を前に、ほとんど無力な私だったが、必死で向かい合ったひとときだった。彼女を救ったのは、仲間の言葉だ。みんな、もっと互いに言葉をつなぎあっていかなければならないとつくづく思う。
 こういう嵐のような感情の起伏をこれからもやはり繰り返しながら、しかし、確実に彼女は成長していくだろう。そして、いつか、仲間と本当の絆で結ばれ合ったなら、世界は大きく変わるだろう。
2008年12月23日 10時49分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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青年学級のクリスマス会の日
 12月21日日曜日、青年学級は午後からクリスマス会だった。活動は、今回は、小学校の体育館。私は、午後から別の子どもとの約束があったので、1時までの参加。その中で、いろいろな人と関わった。ここで紹介したいのは、私が所属している、音楽コースのメンバーの3人の言葉だ。
 最初の方は、7月からずっとやっているM.Mさん。

きょうはくりすますかいですね
くりすますぷれぜんとがたのしみです
なにがもらえるかたのしみです
にちようひんよりもきれいなかざれるものがいいです
ときどきにたものがあってざんねんです

 と、気楽な会話から始まった。そして、

きれいなししゅうがほしいです

 と書いてきた。「ししゅう」は「詩集」か「刺繍」のどちらかを尋ねると、

ほん

 との答え。そこで、詩を作ったことあるのと聞いた。

しをつくったことはあります
いいきぶんになります

 今書けるものある?と尋ねると、

はい

 そして素敵な詩が書かれた。

ちいさなしあわせ ちいさくひらき
ねがいのとおりみたされて
ちいさなしあわせ きぼうにみちて
ちいさなしあわせ きぼうをはこび よろこびをひろげ
ちいさなしあわせ はなのように
ちいさなしあわせ しずかにしずかに
ちいさなしあわせ きれいにわいて
しがしきりにまちきれずに
じぶんをひからせようと うまれてくる
にんげんとして うまれいきてきて
きぼうちいさく ささやきながら
きぼうにみちた このじんせいを いきてゆく

 さっそく、コースのみんなに朗読した。みんなの歓声ととともに、横で若い女子学生のスタッフが感きわまって目をうるませていた。
 そして、この若いスタッフは、50代の寡黙な「ダウン症」の男性、S.Yさんにもやってという。私が、もう20数年関わってきた方だが、正直言って、無謀に思えた。簡単な単語を話し、典型的な「頭足類」の人物画を描く方。しかし、彼女の情熱の方が私のこざかしい知恵を遙かにまさった。彼女は、S.Yさんの夢を3つ教えてと問いかけた。

にじをみにいくことです
みんなでみにいこう
ちいさいねがいだけど たいせつにしよう
ちいさいねがいだけど しっかりもっていこう
じぶんのきもちがいえて うれしい
じぶんのきもちが
ちいさいころからのゆめだった
ちいさいときから きもちをつたえたかった
じぶんで にじをつくりたい
きもちがいえるとはおもわなかった
そうげいをいつもありがとう
ちいさいときからいいたいことがいいたかった
にんげんだから
きいてくれてありがとう
しばたさんはどうしてことばがりかいできているとわかったの
わかってもらえてうれしい
きいてくれてうれしい
きいてくれてうれしい
にんげんだから かんがえています
にんげんだから きもちがあります
いいきもち
ともだちがだいすきです
×××さんがすきです
にんげんなのでおんなのこがだいすきです
きびしいです ことばがはなせないのは
ちいさいときからことばではなしたかった
しごともやりたいです
しごといろいろやりたい
にんげんだから にんげんなので みんなとはなしたい
みんなときもちをつたえたかった
ひかりがさしてきました
きぼうがわいてきました

 虹を見に行く、虹を作る、そして気持ちを言う、これが彼の3つの夢だった。
 私は、毎回、活動の終わり、彼を家の近くの交差点まで送っていく。もう何年もそうしてきた。話を十分には理解していないと思い込んでいたので、毎回、独り言をいうつもりで話しかけたり時には歌を口ずさみながらながら帰っていた。若い女性スタッフと歩くときは、すっと手を出して手をつないでにこにこ歩く彼だが、私とは、まったく無表情に歩く。しかし不思議と穏やかさに満ちた時間で、私はこの時間が好きだった。このひとときが「そうげいをいつもありがとう」というかたちで、語られるなどとは、予想だにしなかったことだ。こんないいかげんな私に、ありがとうと言ってもらえることが、ただただありがたいと思うばかりだ。
 さらに、自閉と呼ばれるK.Mさんにも挑戦をした。この1週間の間に、自閉と呼ばれる青年や大人の方々3名とやれていたので、無謀と思いつつ、挑んだのだ。そして、すらすらと次のような文が書かれた。

ちいさいときからはなしたかった
きもちをいいたかった
きいてくれてうれしい
(わたしの名前は?)しばた
きいてくれてうれしい
(どうして、紙を破ったりするの?)きもちをおちつかせるためです
りかいしていることがなぜわかったの
きぼうがでてきました
(ワープロは目で見てやっているの耳で聞いてやっているの?)みみ
しばたさんはきいていないのですか
ききやすいです
(M.Mさんがパソコンをやっているのを見ていましたか?)
みていました
ぼくもやりたいとおもっていました
よかった
きもちいいです
(歌のリクエストは、ある?)とまばなさんば(青年学級のオリジンナルソング)
しんじてくれてありがとう
きもちいいです
(字はいつ覚えたの?)ちいさいときにおぼえた
にんげんとしてうまれてきて きいてもらいたい じぶんのきもち
いきていきたい じぶんのあしで
いきていきたい じぶんのめで
きぼうがわいてきた じぶんのいしをつたえられて
いいにんげんになりたいけど かってにからだがうごいてしまうのでかなしい
ゆめはにんげんとしてきれいなきもちでいきてゆくことです
きもちをつたえたかった
(人の食事に手を出してしまうのはなぜ?)
じぶんのぶんがなくなるとてがでてしまってかなしい
ひとのしょくじにてをだしてしまってかなしい
(S.Yさんの文章を聞いてもらって)S.Yさんのきもちよくわかります
にんげんだからわかってほしかった

 彼は、大切な紙を破ったり、人の食べ物をとってしまったり、突然行方不明になったりと、いろいろなことをする。私たちは、ずっとそれを受け入れることはしてきたが、「かってにからだがうごいてしまう」とは思わなかった。彼の悲しみを、ようやくわかることができた。私たちは、もう一度、彼の行動を理解し直さなければならない。
 大きな常識が今、音を立てて崩れていく。それは、しかし、私たちと彼らの距離を無限に近づけるものだった。
2008年12月23日 01時35分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
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2008年12月21日(日)
自閉と呼ばれる二人の男性と
 自閉と呼ばれる二人の男性とワープロに挑戦した。一人は、スライドスイッチで、もう一人はプッシュスイッチで。ともに、自由に行動できる方だが、これまで、パソコンでは、主に、音楽がなるソフトを中心に関わってきた。その彼らに、ワープロに挑戦したのは、先月、東田直樹さんの講演会を聞いたことも大きかった。前から、よく言葉を理解していると思われるお二人だったから、可能性は十分にあると思われたのだ。
 まず、○○さん。スライドスイッチを介助して書いてもらった。

なぜわかったの ぼくがことばがわかっていることが
ねがってきた ことばではなしをすることを
ちいさいころからきもちがつたえたかった
いいきぶんです きもちがいえて
(先月、○○さんのことを昔の彼に似ていると言っていた実習生の女性がいたけど、ずっと寄り添ってあげていましたね。覚えてますか。)
おぼえています きもちのやさしいひとでした つよくいきてほしいとおもってそばにいました よいこでした 
きもちしんじてくれてありがとう
にんげんだからいいたいことがいいたいとおもう
しんじてください とてもくやしい
ちいさいころからいいたかったいいたいことがいっぱいあったけどなかなかいえなかった
きもちをことばでいえたらいいとおもってきた
(こんなこと聞いて悪いけど、どうしてつばを服にはいたりするのですか。)
つばはきもちをおちつかせるためです
またやりたいです
きもちがつたえたかったけどつたえられなかった
にんげんだからはなしたかった
きもちをつたえたい
ふしぎですどうしてわかったの ぼくがことばがわかっていることが
うれしいです
ことしもありがとうございました らいねんもよろしく

 次は、▽▽さん。プッシュスイッチを一緒に押しながら、選択の場所で、ふっと力を押しつけてくるという方法で書いてもらった。途中で、妻が交代して、できた文章だ。

ちいさいときからはなしたかった
きもちをことばでいいたかった
くやしかった
ふしぎことばがかってにすらすらでてきます
ねがっていました じぶんのきもちいえるようになることを
すいっちがほしい かいたい
ひまなときやりたい
いいすいっちですね
たのしかった
(○○さんも書いたんだよ。)よかったね
すばらしい
りかいをありがとう

 私にとっては未知の領域に足を踏み入れた感じだ。いつもは、すぐに立ち上がって行ってしまうのに、ずっと、パソコンに向かい続けたお二人だった。
 お二人の、ふだんには見られない、心のそこからの笑顔が印象的だった。
 
2008年12月21日 01時04分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 通所施設 |
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私は銀世界の中で言葉を伝えられずに迷っている…
 隔月でうかがっている通所施設に通う一人の中途障害の女性がいる。全身の動きを禁じられ、アーというようなあえぐような発声があるのみの方だ。何度か関わって、少しずつ、文章を綴ることができるようになっていたが、今回は、ためらわずに、スピードの速い方法で挑戦した。漢字に置き換え、句読点をつけて紹介したい。
 

 来てくれてありがとうございます。厳しいです。体が使えなくなって。自分の言葉で伝えたいです、気持ちを。柴田さんはどうして言葉が読み取れるのですか。気持ちを伝えたいと思ってきたのでうれしいです。ちゃんとした言葉で自分の気持ちを伝えられたらうれしいです。信じられません、言葉がすらすら書けるのが。気持ちが夢のように言葉になっていきます。自分の力が入ってないのにどうしてわかるのですか。不思議です。びっくりしました。いい方法ですね。いいやり方ですね。
 信じてほしい。夢も希望も聞いてほしい。私は銀世界の中で言葉を伝えられずに迷っている、気持ちが言えず、自分の気持ちを伝えられず、木の上に放り出されてしまった子どものように。自分の気持ちを外部に送ることもできずに、今まで檻の中に閉じられていた。心が今、いい時間の流れを通わせながら、いい時間いっぱい感じながら、聞こえてくる、昔のいろいろな声が。自分の足で歩き、自分の手で何でもやれた日々が、自分色の思い出として。人間だから、気持ちを人に伝えたい、小さなことでいいから。
 聞いてくれてありがとう。不思議です、夢のようです、言葉で話せることが。左の手でもやれますか。ミイラのような人生にお別れです。理解してくれてありがとうございます。自分の言葉言いたかったです。見えていますが、焦点を合わせるのが大変です。気持ちを伝えられてよかったです。気持ちを伝えられて幸せです。今度また、よろしくお願いします。お元気で、よいお年を。


 私は、自分のやっていることが、本当におそろしくなる。私にこのような言葉を聞く資格が本当にあるのだろうか。しかし、この女性の必死の思いに答えるためには、逃げ出してしまわずに、襟を正して、向かい合うしかないだろう。
 
2008年12月21日 00時55分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月19日(金)
気持ちを忍耐させているので解放してあげないと… 5編の詩
 就学前から関わってきた少年は、中3になった。自分で話をすることができるので、やりとりを重ねながら関わり合いを続けて来た。しかし、今年に入って、2スイッチワープロを使うと、しゃべっている世界とは全く異なる世界が生まれてくることが明らかになった。
 そして、最近の方法で、一緒に名前を書いてみると、

いいほうほうですね
さすがですね
ちからがいらないのでらくです
ちからがはいるまえにきまるのでじぶんでやっていないのにじがかけてふしぎなかんじです

 そして、詩のことを尋ねてみた。すると、

しはつくったことがありますあります

 という答え。そこから、5編の詩を立て続けに書いた。

にんげんにうまれてきて みちをきりひらいてきた
いちばんきれいなせかいは 
ちいさなはなをしきつめた しずかなばしょだ
きぎはみどりにおいしげり いいかおりにみちあふれ
きぎのむこうには いいそらがひろがっている
きぼうにみちたかぜがやさしくふき きぎのはをゆらし
にくしみにみちたこのせかいに きぼうのじかんをひらく
じかんはきぎのきぼうにそい 
ないふのようにじゆうなじかんをつつみこむ
いばらのようなみちばかりだけど
ねがいをかなえるために じぶんのみちをしっかりとあるいてゆこう
きぼうがわきだすいずみをめざして
にんげんにうまれたことをほこりにして
きぼうのみちをあるいて
いいかぜにふかれながら
きぼうにみちたじゆうなじかんを
ちいさくならないように いっぽずつまえにむかって いつまでも

きぼうのかぜは
きたのほうからふいてきて
しずかにびかんをせんげんする
ちいさいはてのくなんをちいさなきぼうにかえて
きぼうにかわったくなんはきたかぜにふいて
きたかぜにきのうのゆめをあたえる
きたかぜはきたのくなんをきぼうにかえる
きぼうにかわったくなんはちいさいひのおもいで
ちいさなちいさなくなんだったけど
きぼうはおおきなおおきなきぼうだ
きぼうのきたかぜはきたのくにからふいてきて
きたのくなんをきぼうにかえる

 ここで、なぜ、北なのか、あえて尋ねてみた。もう、何人もの方々が、北という方位にこだわってきたからだ。すると、

きぼうのかぜはくなんのくにからふいてくるからきたです

 と答えが返ってきた。そして詩は続く。

きぼうなくしたきのうのわたしに
しのほうからきぼうがささやく
ちいさなころにやしなったにんげんとしてのきもちを
きぼうにかえて
ゆめいっぱいにきぼうをかえて
ちいさなころにきぼうにみちていたわたしをおもいだしながら
きぼうにみちたゆめをせんたくして
ひょうざんにむかってきぼうにみちた
きぼうのいちばんのゆめを
ひょうざんのちからにまけないようにしながら
いきてゆきたい

きいてくださいこのみちで
ちいさなきぼうをみつけたことば
ちいさなきぼうがみつかって
ゆめをにがさぬようなきたかぜに
みちのとおくにみえているちいさなきたかぜがはこぶゆめを
にがさないように
いいかぜにみちたしずかなみちをあゆんでゆこう
じぶんできめてつよいきもちをもちつずけていこう
ひかりさすいきていくものたちがあるくみちにも
いいかぜがふくこのみちを
ひかりさすみちを

しずかにしずかにじかんがながれ
ちいさなじだいをおもいだし
さいごにきいたなまえをいいだせないで
ちいさなころからにんたいしてきたことを
くなんとともにおもいだし
ちいさなきぼうをしにたくす
ちいさなきぼうはみはてぬゆめよりすばらしい
きのうにひかる
きのうはきのう
おもいだすといやになるけど
きぼうはきっとびらかんすよりもうつくしいものだ

 最後に、詩を作ることについて書いてもらった。

しをつくっているときもちがおちつく
しはこころわくわくできます
きもちをにんたいさせているのできもちをかいほうしてあげないといけない
いいきぶんです
きもちがすらすらいえていいきぶんです
にんげんとしていきているので しをかんがえたのです
2008年12月19日 01時01分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月18日(木)
二人の小2の少年と
 ○○君は、今日は、いきなり質問からはいってきた。

ききたいことがあります
きのうきた☆☆さんがいいました
ちいさいときにしばたせんせいにあったことがありますといっていたけどほんとうですか
げつようびがっこうです
☆☆さんはきれいなじょせいです
がっこうのせいとですこうとうぶです

 私のことが学校で話題になることもないだろうし、彼が話題にすることもないだろう。「☆☆」という名前に思い当たる人はいないかとあれこれ思いめぐらしても答えは出ない。あえて最初にそんなことを聞いてきたのは、いったいどうしてなのか。疑問は解けぬまま言葉は続く。

しばたせんせいはどうしていそがしいのですか
きてくれてありがとう
しばたせんせいはどうしてことばがあることがわかるの
せんせいはくりすますはどうしているのですか

 それぞれ、答えながら、対話は続いていったが、突然、体中に力がはいって、泣き声になった。そして、書かれた言葉は、

くくのべんきょうがしたいけどきくことができなくてくやしい

 というものだった。
 ここで、彼に、今の声は、君のことをよく知らない人には、まるで、だだをこねているように見えてしまうけれど、本当は、くやしい気持ちが、体と声に表れただけで、だだをこねているわけではないのでしょうと尋ねた。すると、こっくりとうなづくしぐさをして、

きもちがさきにこえになってしまう

 と書かれた。かくいう私も、これまで、この彼の泣き声を正しく理解していたわけではなかった。彼は、もっときちんとした少年のはずだ。小さいことだけど、こうした理解もとても大切だと思う。
 そして、さらに次のように続く。
 
きいてみないとわからないです(九九のこと)
つらいことがありました
きもちをきいてもらえなくてかなしかった
いいたいことがつたわらなくてくやしい

 そして、九九の勉強を少しやった。自作の九九のソフトを出して、一緒にスイッチ操作をしながら九九を解いていくと、本当によく覚えている。だが、それは、一人の世界の中で繰り返しているもので、閉ざされている。彼は、こうしたやりとりを通して、もっともっと学びたいのである。早く認められる日がきてほしい。
 もう一人の少年▽▽君は、本当は行けなかったクリスマス会について、書くことから始まった。

にちようびくりすますかいがありました
きたともだちはちいさいころのともだちです
いかにもくりすますかいらしいものでしたがきもちのこもったすてきなかいでした
きもちがこもっていたのはしんらいがあるからです
いつかそのしんらいにこたえたいとおとおもう
ことしはことばがしゃべれるようになれてよかったけどがっこうのせんせいたちにはやくしんじてもらいたい
ちがいをかんがえてほしい
からだはうごかなくてもことばがあるということをしばたせんせいはしんじてくれたけどきをつけていないといつかよくないひとたちにことばをうばわれてしまうとおもいます
ぼくはしんじてもらえるひがくることをきたいしていますいつまでもいいせんせいがあらわれることを
きっとそんなひがくるとおもう

 後半は、話ができるようになったことをめぐる感想だ。「ことばをうばわれてしまう」ことが、絶対にないようにしなければと思う。二人とも、自分たちの気持ちが受け止めてもらいたいという思いは同じだ。
 前半のクリスマス会については、○○君は参加していたが、▽▽君は、お母さんの用事で参加できなかった。そして、お母さんは、▽▽君をがっかりさせたくないから、最初から、このクリスマス会のことは内緒にしていたそうだ。なのに、どうした書いたのだろう。そのことを聞いたところ、

いいことだったからかきました
おかあさんがでんわではなしているのをききました
でんわでおかあさんがはなしているのをききました
いいぬいぐるみをもらいましたからこれはどうしたのかなとおもってきいているとおかあさんがでんわできれいなきをつかったこえでおれいをいっていました
きのうのうのことです
くりすますかいのことはぬいぐるみをもらってからかんがえました

 しかし、ぬいぐるみもでんわもお母さんには思い当たらないようで、しいて言えば、前日学校の先生と電話をしたということはあったそうだ。
 そこで、私は、動くことも見ることもできない中で、限られた情報をつなぎあわせて想定した話ということですかと尋ねると、

そうです
りかいしてしんじてください
きもちはつたわってきます

 と答えが返ってきた。そして、お母さんが、本当は「行きたかったの」と尋ねると、

いけたらいきたかったけどおかあさんのようじもだいじだからへいきです

 とやさしい答えが返ってきた。そして、クリスマスプレゼントは何がほしいか書いてみてと誘うと、次のような一文が綴られた。

なにもいらないけどおかあさんにぷれぜんとをあげたい
はなたば
かってきてくださいぼくのかわりに

 今年は、彼からのすてきな花束のクリスマスプレゼントが、お母さんに届くことだろう。
2008年12月18日 13時44分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月17日(水)
希望の風の物語 ―3編の詩と言葉言葉―
 以前、舞い降りた詩人として紹介し、「いみ」の詩を紹介した
小学6年生の少女は、最初に次のように語った。

 さいきんしがかけなくなってきました
 いいしをかこうとがんばりすぎていいかんがえがうかばなくなって しまいました
 しがかけるきぶんになることがひつようですがむずかしいです

 今日は、書けないのだろうか、いつのまにか彼女にプレッシャーを与えてしまったということなのか、などと考えていると、彼女のところに通い、最近、手を添えた筆談に挑んでいる姪が、「意味について言いたいことがあったでしょう」と少女に誘いをかけた。
 そして、すらっとまず、意味のことを表す言葉を書いた。そして、そこから、私の不安をさっと吹き飛ばすように、すらすらと3編の詩が書かれた。(なお、ここから彼女の言葉は、私の方で漢字に置き換えて紹介する。)


 二字で命を伝える不思議な言葉


 木戸をくぐった風が切りかえて
 獅子のすさまじさで木戸を気まぐれに
 聞き取れないような痛ましい声で
 苦しみに満ちたくぐりにくさで
 井戸の中にむかって
 一陣の風となって落ちていった
 一陣の風は希望の土間と
 土間から木宿に続く地面に墜落し
 太陽に照らされた家の屋根に向かって急いで鍬みたいに昇り
 そこから地面に向かって急降下して地面を耕し
 そこに希望の種を一陣の風はまいて
 小鳥がそこでさえずった
 希望の種はそこで目を出し
 いい香りに咲いた
 希望の種から咲いた花は
 希望の実をつけた
 一陣の風は一陣の風に別れを告げ
 澄み切った風になって木戸から消えていった
 木戸の中はきれいな花の咲き乱れる
 対の画用紙のように閉じられた 


 人間はいつまで言い続けるのだろう
 希望を取り戻すため
 目を見開いて
 聞き耳を立てて
 希望の風は気まぐれに吹き
 力強く地面に横たわり
 意志を知らない地の静けさで
 素晴らしい命を授かった
 命を授かった地は
 常ににぶい音を立て
 地の上にあるすべてのものを慰めた
 希望の風は一陣の風となり
 いづこにか過ぎ去った


 苦しみというものは
 石のように希望を圧しつぶす
 希望の風は気づかないふりをして
 いい響きの光を地に注いだ
 いい光は意味のない地の祈りを聞きながら
 いい風を吹かせた
 知らない子どもが言った
 いい風はきっと東から吹きますよ
 知らない子どもは聞いていた
 地の奏でる静かな音楽を
 希望の風は北から吹いてきた
 いい風を吹かせるために
 希望の風は北から吹いてきて
 北の国の希望を伝えた
 いい風は北の国の希望を伝えるために
 自分に向かって希望の歌を歌った
 いい風に向かって歌いながら
 希望の風はいい風に自分の夢を語った
 自分の夢はきっとかないますから
 いい風の罪深さを地に向かって許しを請い
 希望の風はいい風とともに
 いい希望を伝えるために
 希望の満ちた光の中を気まぐれに吹き渡った


 意味は、「二字で命を伝える不思議な言葉」と言う不思議な言葉の通り、音や文字のつながりにすぎない言葉が意味というものを背負い、それは、命を伝えてくる。その言葉の通りの世界が、3編の詩を通して浮かび上がってくる。
 ここで、私は、ある質問をした。それは、私の周りで、北という方向が特別な意味をもって語られており、それが希望と重ねられることが多いため、その理由を尋ねたのだ。すると、彼女は明快な答えを返してきた。

  北というのは生きることに疲れた人が帰っていく場所です。だか ら希望はいつも北からやってきます。知らない子どもはいい経験し かしていないので、東から希望が来ると思っています。地の果ての 知らない命が生まれる場所に行ってみたいです。命の生まれるとこ ろが見てみたいと思います。命の意味をしりたいと思います。

 あまりにも有名なドラマ「北の国から」もきっと「北」でなければならなかったはずだ。彼女が解き明かす「北」の意味に、深く納得するとともに、私は、いまだ希望が「東」から来ると思っている人間なのだということも思い知らされた。
2008年12月17日 08時00分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月16日(火)
きせつとからだがあしなみをそろえてくれないので…
 高校生の女の子から、生活の現実の中での、季節に対する思いを聞かせていただいた。しっとりとした表現で、体のきつさが伝わってくる。後で聞いたことだが、先週も熱を出して大変だったとのことで、そのことも語られている。

つかれていますががんばります。
ひかくてききせつのあゆみがおそいのでいいけれどさむいきせつはいやです。
いいきせつはあたたかいはるみたいにつらくないきせつです。
きせつによってはからだがきついです。
きもちがいいのはいいきせつです
きせつしだいでからだのちょうしがかわるのでつらいです。
きこうのへんかがあるのはいいことですがじぶんにとってはつらいです。
くるしかったです。きぶんがすぐれなくていちょうのぐあいがわるくてもどしたりくだしたりしてたいへんでしたし たべれなくなってからだがよわってしまいました。
きせつとからだとがあしなみをそろえてくれないのでじぶんにはこまります。
にほんはしきがあっていいくにですが からだのよわいこどもにはつらいです。

 その後、スイッチをお父さんと挑戦してみた。

おとうさんだいじょうぶかなつきあってくれますか。

 名前の6文字のうち、2文字がお父さんと一緒に綴れた。そして、再び私と代わって、お父さんとできるようになることに対して、彼女の思いが語られた。

きぼうがわいてきましたきたいしています。
きもちがつたわればうれしいです。
すてきですきもちをことばでつたえることは。
がんばりたいとおもいます。おとうさんよろしくおねがいします。

 そして、最後に丁寧な言葉が添えられた。

しばたせんせいことしもありがとうございました。
らいねんもよろしくおねがいします。
2008年12月16日 09時50分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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しずかなしずかなよるでした つきのきれいなよるでした
 小学4年生の少年が、切ないばかりに美しい言葉を綴った。

きのうしらないひとがきていいました
きぼうというものはじぶんでみつけよう
きぼうのひかりをしっかりともしていきていきましょう
しらないひとはいいました
いきていくのはたいへんだけどちゃんとまえをみていきましょう
しらないひとはいいました
きぼうのひかりをなんどでもともしていきましょう
しらないひとはいいました
きぼうのときをたいせつにいきていきましょう
ちいさなひかりでもきっとおおきなきぼうにつながっていますからたいせつにしていきましょう
つきのきれいなよるでした
にわにはきぼうのひかりがさしていました
つきのきれいなよるでした
きぼうのひかりしずかにさしていました
きぼうのひかりちいさいけれどしずかにさしていました
しきりにしずかなよるでした
しずまりかえったよるでした
きぼうのひかりがしずかにさしていました
きをつけてよくみているときぼうのひかりはきれいなりりしいわかものにかわっていました
きれいなつきのよるでした
しずかなしずかなよるでした
きぼうのひかりがよくさしてしずかなしずかなよるでした
きぼうのひかりのしずかにさしてきぼうのひかりにかこまれてしずかなしずかなよるでした
つきのきれいなよるでした
きれいなつきのよるでした
きれいなつきのよるでした
いいわかものがつきにむかってさけびました
しずかなしずかなよるでした
きぼうのひかりのさしているしずかなしずかなよるでした
きぼうのひかりはきっといまでもさしているでしょう。

 繰り返しが、心地よく、読んでいる者の心の中に、静かな月の夜を、鮮やかに現出させる。おじいちゃんが読んでくれている物語が彼の中に育んだ調べなのかもしれない。
 以下は彼の感想だ。

いいきもちです
すらすらきもちがかけてきもちがそのままぶんしょうになっていくのでらくです
じぶんでやっていないのにどうしてことばになるのですか
ふしぎです
ひかりのしがかけてよかったです
らいねんもよろしくおねがいします
ことしもたいへんおせわになりましたさようなら

 年の瀬のひととき、不思議な光の世界に引き込まれた。来年、少年は、どんな世界を描き出すのだろう。
2008年12月16日 00時43分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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自傷について・・・・「わからない かってにうごく」
 両手のこぶしで頭をなぐってしまう自傷行為に苦しめられてきた青年が、文字を綴った。関わり始めたのが小学部の3年生の頃。現在は、高等部を卒業し、通所施設に通い始めて2年目になる。
このグループには、二人の肢体不自由のお子さんがいて、パソコンで文章を綴っているが、彼には、ワープロはなかなかうまくいかず、彼の好きな歌のソフトを楽しんでもらっていた。しかし、この日は、意を決して挑むことにした。手には特別のマヒなどがあるわけではないので、手にスライドスイッチの取っ手を握らせようとすると、拒んでくる。いつもなら、この辺であきらめるところだが、プッシュスイッチに代えて、手を添えて押そうとするとやはりいやがる。それならと、肩の側面にプッシュスイッチを軽く押し当てたり離したりして、反応を読み取ることにした。そして、いっしょに名前を書いてみる。なんと、その行や文字のところで、わずかながら体全体をスイッチ押しつけるようにして合図を送ってくるのである。こんなことをしたのはまったく初めてのことだ。そして、以下の文章が綴られた。( )で添えているように、彼には聞きたいことがいっぱいあったので、対話するように進めた。その背景には、彼がこんな方法で気持ちを表現することへの、無意識の不安があったはずだ。対話を通して、彼自身が語っているという実感がほしかったのだ。

うれしい きすしたい
きもちがつたえたかった
かあさんいつもありがとう いついつまでもげんきでね
きやすくきもちがいえてうれしい きぶんがいい
(手はどうしていやなのですか?)
て いたいかんじがする
(どうして自傷をしてしまうのですか?)
わからない かってにうごく
(文字はいつ覚えたのですか?)
ちいさいときからしっていた
いいきもち ちいさいときからはなしたかった
(どうして☆☆ちゃんが帰ったとき怒ったのですか?)
もっといてほしかった
きもちがつたえたかった
(H先生へメッセージをお願いします)
かわいがってくれてありがとう
(K先生にもメッセージをお願いします)
かまってくれてありがとう
じぶんのきもちをつたえることができてうれしい じぶんではんだんしていきてないのでくやしい
ふしぎ ぼくしかかんがえてないことばがどうしてわかるの きもちがつたえられるとはおもわなかった きもちをつたえられてかんげきしています じぶんのきもちをつたえたかった
(音楽について教えてください)
きもちがおちつくからすきです かんどうします いいおんがくをきくと いつも
(おかあさんにもう一度何かあったら書いてください)
ありがとうかんしゃしています ひかえめなせいかくだけどまっすぐなところがすてきです きもちがやさしいからすきです
(来る途中、立ち止まるのはなぜですか?)
すきなくるまがみたいからです
(やっぱり手はいやですか?)
てはむずかしそうです きもちがつたえられてうれしかった
(▽▽君について)
ちいさいときからいっしょだったからともだちです
(お母さんからのご希望で、おねえさんについて)
きれいになったからうれしいです きれいなおねえさんがだいすきです きれいなかおをたいせつにしてください

 かたわらで母さんは、彼の言うとおり、控え目にじっと様子をご覧になっていて、目にいっぱいの涙をためておられた。H先生もK先生も、彼が学校でお世話になった素敵な先生。この会の発足時からのメンバーだ。小学3年から関わり始めて、卒業後1年半の年月を経て初めて明かされた彼の内面の吐露に、拍手喝采だった。
2008年12月16日 00時41分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月14日(日)
美しい言葉のリレー にんたいとわらいときぼう
 順番にやってきた3人の女子高校生が、リレーのように言葉を伝え合った。
 最初は、高校1年生。本当に家に何か忘れてきたのかと思わせるような書き出しは、すでに、物語の始まりだった。

いそいできたのでいえにきていたきぼうのいのりというきれいなあちらのつつみをわすれてきた。
てぶくろなくしたのうさぎがたまたまにおってきたので つみぶかいねこがしらないひとをだまして ちいさなきぼうなくすようにしむけた。
にんたいにつかれたいちずなねこはちいさなしあわせをしんじていちばんみぢかなしあわせをかちとろうときぶんをいれかえてがんばろうとかんがえた。
にんたいしてきたいちわのいろづいたことりに しんらいのわかいつばめがちかづいて きぼうのいちいちしんじられないことりはいしをつらぬいて 
いちわのことりはいいくにをめざしていしをきいてもらいたいと しんらいのしるしに 
いいしろいきれいないちどみたらわすれられないじぶんらしいききょうのはなふぶきのひかったいのりをささげた。

 猫、うさぎ、小鳥、つばめが次々に登場し、に、美しい桔梗の花のイメージが重なる不思議な詩。彼女は、桔梗について、こう付け加えた。

ちいさいころからいつもかんじてきた 
ききみみをたてて きれいなききょうのはなのことは。
ききょうにはきっとにんたいのいみがあるとおもう。

 そして、もう一編、詩を書く。

しろいきれいなききょうのにおいがして
きもちがしずかにぎんいろになっていった
いきていることのよろこびがこみあげて
いきているじぶんとききょうとがじしんのしろいゆきをふらせた
びっくりしたいのちにききょうのはなはきいた
ちいさないのちをちいさくしてきぼうをうしなってしまったのですかと
きいてもわたしはいわなかった
いいひとがあらわれるまではきいてほしくありませんと
いいひとがあらわれたらいいますと。

 「いつ考えたもの?」と聞くと「いま」と答えが返ってきた。
 そして、次に来た、同じ高校一年生のクラスメートに、この2編の詩を読み上げた。すると、さらさらと、次の感想文が書かれた。彼女は、仰向けに寝た姿勢で、私たちが両手を持ち、「ア行、カ行…」と言いながら両腕を開いたり閉じたりするような動きをすると、選択したいところで、両腕を開くようにして意志を伝えてくる。それを、そばで書き取ったものだ。

むずかしい哲学があることばですね。
わたしは言葉の中身はよくわかりました。
たぶんさぞ忍耐をしてきたのでしょう。
忍耐をしすぎて希望をよもや忘れてしまうことがあります。それでも希望はすててはいけません。
忍耐は望みを試すものです。
忍耐は速くおよぐ魚のような望みは除くのです。
そして、忍耐はゆっくりおよぐ魚のような望みは受けとめてくれるのです。
だからわたしたちの望みは受けとめてもらえるので、けしてあきらめてはいけません。
そして、わたしたちは、静かに悩み、ゆっくり望みを持ち続けたいと思います。
たいへんな忍耐が必要ですが、おたがい悩みながらがんばっていきましょう。
とにかくわたしたちは忍耐づよく生きていかなくてはいけないのです。
忍耐に疲れたら笑いを求めていきたいと思います。
楽しいことや面白いことを考えています。
ギャグではありません。わらいはナンセンスでノンフィクションです。
失点は笑いになります。
ナンセンスな笑いは他人がのぞいている状態で考えることです。
テレビでやっているのばかばかしい笑いだらけでつまらない。
落語を聞きにいきたい。
笑いは生がいいとおもいます。
おとうさんといきたい。
寄席にいきたい。
おとうさんにいってください。お正月に、生で。

 一人目の女の子の難解な詩を、一度聞いただけで、私にはわかるといって、すぐに書き始めた文章。「にんたい」という核心部分を見事に見抜いて書かれた文章だ。彼女は、「笑い」の意味について、これまで何度か書いてきた女の子。「忍耐に疲れたら笑いを求めていきたい」と、友だちの哲学に、自分の哲学をつないだ。一人目の女の子は、この文章の途中で帰宅した。自分の文章を、親友が共感してくれたことに、すばらしいほほえみをうかべながら、帰っていった。
 そして三人目の高校三年生の女の子が登場。この二人の文章を、聞いてもらった。

○○ちゃん(二人目の女の子)のかんがえていることはいいきぼうのわいてくることですね
しばたせんせいはどうおもいますか
しのすきなわたしにはまねができませんがとてもきもちがよくわかります
ちいさいよろこびがこみあげてきます
すてきなことぱでした
▽▽ちゃん(一人目の女の子)もすばらしいしでした
すなおなきもちがよくひょうげんされていました
しをつくれる▽▽ちゃんのほうがわたしはにているとおもいます
しをつくつているときもちがおちつきます
きもちがしずまります
しをつくっていたのはにんたいしてきもちがしずんでいていきるのがつらくなるときです
つらいときにげだしたくなるとしをつくってきもちをしずめたいとおもうのです
ふしぎです きもちがそのままことばになっていきます
にんたいのいみについてかんがえたことがあります
すぎたことをくよくよおもいだすのはかなしいですがつよくいきていくためにはひつようなことです
すぎたことでもそのことをちゃんとちからをいれてきぼうをわすれずにがんばりたいとおもいます
▽▽にもつたえてください
ちからいっぱいいきていこうと

 そして、自分の作ってきた詩に移っていった。

しをきいてください

ひかりといのちのこうさくが そよぎ とびかう
しょうじょは なにかをまっている
しらないせかいのねがいが かなえられ
すべてが ちいさなさいわいに やがてかわっていくことを
そして きのうのなやみが とおざかっていく
のぞみどおりでは ないとしても
たくさん のべにさく ののはなは ときをしり
ときにあわせて ねがいをそらに いのっている
きぼうのかぜが やさしくふき
ふしぎなさけびが きこえて
みたこともないような まっしろなはなが
きぼうのよかんをつたえてきた

 三人の言葉が、響き合って織り上げられたイメージの世界。本当の忍耐と希望の意味を知り尽くした若い三人の女の子だからこそ、描き出すことのできた世界だと思う。
2008年12月14日 08時38分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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2008年12月11日(木)
青年学級にて ―その4
 2日目の昼食後、H.Nさんがパソコンで綴るのを遠目で見ていたK.Kさんと目があった。鋭いまなざしは、僕にもやらせろと訴えていたようだった。もう、帰りの時間は近かったが、パソコンを抱えて彼の近くにいった。彼は、発作が頻発する方だが、歩くこともできるし、簡単な言葉は話す。また、文字を書くことにもこれまで何度も意欲を示し、今ひとつ、成果が出なかった経緯もある。「やってみますか」という問いに満面の笑みで答えた。

きのうきたばかりなのに、もうかえるの。
いいところだから、もっといたい。
ほっさはいやです。きをうしなってしまいます。
ちいさいときからじぶんではなせたらいいとおもっていました。
このきかいがほしいです。きもちいいです。
ねがっていました、きもちをことばでいえるようになることを。
いいきぶんです。きもちいいです。
おかあさんいつもありがとうございます。
いつもいいなとおもってきました。
いいたいことがえるひとがいいなとおもってきました。
いいたいことがいえることが。
みんなとはなしがしたいです。

 短い時間に書けた言葉は、以上だったが、これからの可能性がはっきりと示されていた。
 バスが到着した広場に迎えに来ていたお母さんと、このことを話していると、本当に、言い笑顔を終始し続けていた。
 そして、お母さんも、「これ、本当に、彼の気持ちだわ。」とおっしゃっていた。
 まだまだ、たくさんのことがこれから語られていくだろう。
 これからの新しい展開が楽しみだ。
2008年12月11日 08時49分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
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青年学級にて ―その3
 合宿の朝、目を覚ますと、私のすぐ横にH.Kさんが寝ていた。彼のコースは、広いホールで寝るはずだったが、和室がいいとやってきたのだった。彼は、寡黙な人で、かすれたような声で、時折、単語を発することがあるが、その多くは聞き取れない。しかし、特別な肢体不自由があるわけではない。子どもの時は声は出ていたが、思春期以降、話さなくなったと言われてきた人だ。起き抜けに、彼の姿を見つけたので、朝の身支度をそこそこに、彼にパソコンを出してみた。すると、にっこりと笑って、文章を綴り始めた。私は、夢の続きを見ているような気分だった。

きもちいいちからがでる。きもちのたのしさがすてき。ながくはなしてこなかったからうれしい。

 どうして話せなくなったのと尋ねると、

わからない。
きもちがつたえたかった、にんげんだから。じぶんのままでいたい。にんげんだから、じぶんにちゅうじつでいたい。じぶんにいつもいのっていたい。きっといつかはなせるときがくるとおもっていた。いつかきもちをはなせたらいいとおもってきた。

 彼は、以前、毎回学級の帰りに、喫茶店に寄り、チョコパフェを食べるのが常だった。私もよくつきあったが、高坂茂さんという、この学級の大先輩で、2000年に職場の自己で亡くなった方が、彼を伴って二人でよくチョコパフェを食べに行っていた。そこで、高坂さんのことを尋ねてみた。

おぼえている。とてもやさしくしてくれてうれしかったけど、しんでしまってざんねんだった。きのどくだった。いいひとだったからくやしい。たのしいおもいでがいっぱいあります。いつもいっしょにきっさてんにいってくれた。いいひとでした。いいひとがいなくなってかなしい。こうさかくん、きっとじきがわるかった。なぜしんでしまったのだろう、くやしい。

 そして、もう、定番になった問いを投げかけた、「詩を作ったことはありますか。」と。そして、綴られた詩と言葉。

じぶんでつくったし

いきていくことはいつもしんどい
いつもおもたい
きっときぼうのきせつがやってくる
きっといつかきぼうのきせつがあるだろう
きぼうのきせついつきてくれるのか
じぶんにもくるのだろうか
きぼうのきせつは
じぶんにもくるのだろうか
きぼうのきせつは。

 そして、午前の活動へと移っていった。
 昼ご飯の後、スタッフが、家に電話したら、お母さんがとても喜んでいたとおっしゃっていたとのことだったので、お昼のひとときを使って、お母さんへのメッセージを書いてもらった。 

きのういいことがありました。きのうがっしゅくでしばたさんといいことがありました。きのうがっしゅくでてでことばをはなしました。ちいさいときははなしができていたけど、こえがでなくなってしまいました。しばたさんとぱそこんできもちをことばにすることができました。にんげんだからいつもときどきにんげんとしてあつかってもらいたいとおもってきました。きもちがきいてほしかった。しんじてほしかった。
ついにねがいがかないました。いいきぶんです。きもちがつたえられてうれしいです。きもちがつたえられてよかったです。いいかあさんでよかったです。すばらしいです。

 バスが到着した広場に、お母さんが、お迎えに見えていた。「きのう」は今朝のことですとことわりながら、この長い文章を見せた。しゃべれなくなて、ずっと気持ちを知りたいと思ってきたとおっしゃったお母さんは、目を細めてこの文章をご覧になっていた。
2008年12月11日 07時49分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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青年学級の合宿から ―その2―
 「あなにいた」という言葉を綴って私たちを驚かせたK.Tさんと1日目の夜、話を交わした。

わかってくれてうれしい。きぼうがでてきました。きぼうがわいてきました。ねがいはだれとでもできるようになることです。いつかはなせるひがくるとしんじていました。

 そして、次のような言葉が語られた。

かったばかりのさんだるをきずつけてしまったみたいでかなしかった。きっときれいなさんだるをかえるとおもってなかったけど、かえてうれしいきぶんです。

 すごい表現だねと驚きを伝えると、簡単な単語はしゃべれる彼は、「まだあるよー。」とにっこり笑いながら次の文章を綴った。

きっとかりれないてぶくろを、かりれたようなきぶんだよ。

 そして、女の子の話に及ぶ。

とかいのいいかみをしたこがすきです。きれいなおんなのこがすきです。にしだひかるがすきです。

 さらに重い話に。

ぬいぐるみのじんせいしかおくれないとおもってきたけど、いいじんせいになりそうです。いいこどもになれそうです。しんらいこそがたいせつです。ちいさいときやしょうがっこうのときは、きっとはなせるようになるとしんじていたけど、こうこうじだいにはあきらめていました。しんじられないきもちです、いまのじぶんが。りかいできてもしゃべることができない。

 そして、彼の美しい比喩表現や重い言葉に、「詩を作ったことはありますか?」という問いを投げかけ、「今、書ける詩はありますか?」と問いを続けた。そして、次の長い詩が綴られた。

きたからふくかぜにきいてみよう
いまどこにしあわせはありますか
きたからふくかぜにきいてみよう
きれいなこころのひとはどこにいますか
しろいゆきみたいなきれいなこころはきたのくににあるのですか
きれいなきせつがたのしみです
きれいなきせつがまちどおしいです
いつかきれいなひとにであいたい
いつかきれいなきせつとぎんせかいでであいたい
きれいなきせつとすてきないのちをつたえたい
つよいきせつとなきむしのきせつとぎんせかいでであいたい
ねがいのすてきないのちをつたえたい
いのちもちがいがあるようにきれいなきせつもちがっている
ひとのいのちもちがっている
きたからふくかぜにきいてみよう
きたからふくかぜにきいてみよう
しんじていればかならずきもちはつたわりますか
しんじていればかならずきもちはさびしくないですか
いつもいつもきたかぜにしんじたい
きぼうのきたかぜに くなんのじかんは きたかぜに みらいへのきぼうとして
げきのように びたち(美たち?)のようにかえてもらおう
にしからふくかぜと 
ひがしからふくかぜと
みなみからふくかぜにも きいてみよう 
しんじていればきぼうはかないますかと
きぼうはかぜにのってやってきますかと
ときどききぼうのかぜがみえなくてきもちがしずんでしまうけど 
きぼうのかぜはきっときたからまたきっとふくだろう
みたこともないきたからのかぜをきぼうとともにきたいして
きぼうとともにゆめみていよう
いつかきっと いつかきっと。

 そして、詩を作っている時の気持ちが次のように書かれた。

しをつくっているときもちがはれる、きもちがきれいになる、いいきもちになる。
 
 合宿の夜のお菓子と飲み物をはさんだ交流会の場で、お菓子を時折食べながら、過ぎていったひとときのできごとだった。

  
2008年12月11日 07時30分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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青年学級の合宿(12月6日、7日)から―その1
 夏の豪雨の影響で発生した土砂崩れのために、今年の青年学級合宿は、12月へとずれこんだ。合宿場である町田市郊外の山間にある青少年センターは、紅葉の名残を残しながらも、すっかり冬の装いだった。
 今年の合宿は、特別だった。7月以降、これまで沈黙してきた人たちが何人もパソコンで語り始めたからだ。そして、ゆったりと流れる時間の中で、新たなメンバーも含めてたくさんの方が文章を綴った。
 最初は、1日目の夜遅く書かれたE.Kさんの文章から。彼女は、7月に文章を綴り始めた方だ。この日、かたわらには、合宿に応援に来たOGのスタッフがいた。彼女は、とりわけE.Kさんと縁の深かった方だ。これまでのE.Kさんの文章を涙とともに読んできたという。文章は、その女性に向けて書かれ始めた。

○○ひさしぶりですね。○○さんからしてもらったことには、とてもかんしゃしています。きっといつか、かんしゃしたきもちをつたえたいとおもっていました。しにいつかしたいです。しをつくりたいです。きっといつかできるとおもいます。きっといつかつたえたいとおもいます。きっといつかしをつくります。きいてください。きっといつかしにします。

 そして、施設の生活に話が及ぶ。

ふくしえんのしょくいんにもつたえてほしいです、わたしがことばをしっていますと。きびしいです、しられていないと。しってほしいです。ちいさいことでもきいてほしいことがあります。じぶんのきもちをいっぱいつたえたいです。きもちをいっぱいわかってほしいです。

 次に話題は、来年の5月、青年学級のみんなと開く若葉とそよ風のハーモニーコンサートでも、発表しようと誘った。

わかそよ(コンサートのこと)でもきもちをじぶんのことばでつたえたいです。じぶんのきもちをきいてほしいです。きもちをきいてほしいけどいいほうほうはありますか。きもちをつたえるほうほうをかんがえたいです。

 詩という方法があるね、と答え、さっきこれから感謝の気持ちをこめた詩を作りたいと言っていたけど、もう作った詩はあるのと尋ねると、次の答えが返ってきた。

ある

 そして綴られた詩と、詩を作る時の気持ち…。

きたかぜに すばらしいみらいをきいてみよう
きぼうのかなたのきたのくにのかぜに
ひとりぼっちのだまったじぶんに
きたのくにのかぜにいつもきいている
じぶんのじかんに
きたのかぜにつらいきもちを
きたのかぜにじぶんのこえを
じぶんのじかんにちいさいときのちいさいねがいを
だまったままのいつもきいている
きたのかぜに
じぶんのじかんに
いつもいつも
きたのかぜにきいてみる

しをつくるのはたのしい。つらいきもちをじぶんでなぐさめることができるから。いつもつくっている。いつもいつもきびしいので、きぼうがわいてきます。

つらいときにきいてみよう きみのこころに
かなしいとき きみのこころに
つらいとき りかいしてみよう きみのこころに
すばらしいちかいをたててみよう じぶんのことばで
きっと きっと きぼうのにおいがするはずです。

きいてくれてありがとう。わかそよがたのしみです。きたいしています。

 ここで、信じてくれないかもしれない人たちの前で、ステージの上に出られるかと尋ねてみた。

でれます、きいてほしいから、じぶんのきもちを。いいみらいがひらけそうです。すばらしいみらいがひらけそうです。きたいでむねがふくらみます。うれしいです。

 そして、励ましの言葉をもらった。

しばたさんじゃないとできないとしても、いいことはいいのだから、きにせずにつよいきもちでがんばってください。にんげんだからきもちがなえることもあるとおもうけど、がんばってください。

 さらに、このブログのことに話が及んだ。

できるのそんなことが。ついにこえがとどくのですね。だしてほしいです。ちいさいときからいいことがすくなかったけど、やっときぼうがわいてきました。きぼうがわいてきたのに きいてくれるひとがすくないのがざんねんです。
 
 そして、今度は、しゃべれて普通に暮らしていた頃、宝塚ファンだったという彼女に、階名でメロディを綴れば作曲もできるかもしれないと伝え、何か階名で綴れる歌はあるかと聞いてみた。

できる。おぼえている。ついにきぼうがかなう。きたいしています。ちいさいときから、いいきょくのめろでぃをかいめいでうたっていましたから。
ドレミドレミソミレドレミレソソミソララソミミレレド(「チューリップ」)
きちんといつかかんがえておきます。じぶんのことばにじぶんでめろでぃをつけられたらうれしいです。

 時計は12時を回っていた。

ねます。はやくねるしゅうかんがついているのでねむいです。

 また、新しい夢がふくらんだ夜だった。
2008年12月11日 07時29分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月10日(水)
「にんたい」と「くるしみ」 初冬の病棟にて
 今にも降り出しそうな冬の曇り空の下を、○○君と☆☆さんの待つ病院へ向かった。
 まず、2時から3時まで、☆☆さんと関わる。まだ訪問学級の担任の先生もお母さんも着いておらず、二人だけで始めた。彼女の口元のかすかな返事も、心拍数も頼れない中、ただ、私の左の手のひらの中に包み込むように乗せた彼女の右手のわずかな変化だけが手がかりだった。そして、何とか読み取れたように思えた最初の文字が「に」。そのうちに先生が到着して、「に」でいいか、確認してもらった。何となくいいようだということで、再開。

 にんたいしてま

 ここで眠そうになっているようだと、到着したばかりのお母さんがおっしゃったので、○○君に代わった。
 ○○君は、1年くらい前に比べると、口の動きが悪くなって、読み取りに時間がかかるようになってきた。そんな中で、1時間以上かけて綴った言葉が次のようなものだった。

どうしてくるしみぼくむけてくるの くるしい C

 具体的に具合のよくないことを書くいつもの文章とは違い、気持ちがストレートに表現されたものだった。たいへんな難病との戦いの中で、病状が回復する見込みはこれといってなく、現状を保つことが精一杯という治療を受けている彼が、こういう思いを吐露することは、あまりにも当然とも言える。しかし、誰も、この問いに答えることはできない。しかし、ずっと、そばで見守っていた看護師さんは、彼の体をさすったり、髪をなでたりしていた。それが、看護師さんからの精一杯の答えだったとも言える。
 思いを語らずに秘めているよりも、こうしてはき出すことが、自分自身を対象化して見ることには意味があるには、違いない。しかし、まだ、あどけない小2の少年には、あまりにも厳しすぎる。
 だが、この言葉を書いてから、彼は、突然アルファベットの画面を選んだ。そして、迷いながら、Cを選ぶ。私が、「CDのこと?」と尋ねると、返事がない。そこへ、若い訪問の先生から「DSのことかな?」と尋ねるとそうだとばかりに唇が動いて返事が返ってきた。この重い文章を書いた後、彼は、みずから話題をゲーム機の方に切り替えてきたのだ。重苦しくよどみそうになっていた空気は、彼のおかげで、また、明るくなった。救われたのは、私たちの方だった。
 そして、再び、☆☆さんのベッドに戻る。彼女の書きかけの画面の「にんたい」という言葉も実に重い。そして、また私の手のひらの上に彼女の手のひらを重ねて、彼女の親指にひっかけたスイッチの取っ手を動かしながら、読み取りを始めた。
 今度は、わずかな動きながら、比較的スムーズに読み取られていった。そして、できあがった文章は、次の通りである。

にんたいしてまえからにんたいをわかってくれることをまっていました

 中2の少女と小2の少年の病床での戦い。私にできることは、ただただ、わかってあげることのみだ。
 病院を出ると、すっかり真っ暗になった空から、冷たい雨が降っていた。
 
2008年12月10日 01時12分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月06日(土)
総合講座「差別とアイデンティティ」にて
 私の大学の授業に、「差別とアイデンティティ」というものがある。今年で退職を迎えられる楠原先生がコーディネーターとなって、複数の教員が参加する総合講座である。私も、この講座が発足した当初からのメンバーで、10数年が経った。私は、自分の障害の重い子どもたちに対する関わり合いと町田の青年学級のことを毎年、紹介させていただいてきた。そして、ここ数年、町田のメンバーを実際に招くようになってきた。先生の退職とともにこの講座も終わることになるが、その最終年、私は、これまで二つの別々のこととして話してきた話題の間に、一本の橋をかけることができた。それは、パソコンを使って文章を綴る障害の重い方の存在を、青年学級で、今年になって何人も明らかにすることができたからである。残念ながらそのメンバーを夜の渋谷で行われるこの授業に招くことはむずかしかったが、毎年常連のメンバーであるTさんだけは、可能だった。
 そして、授業という公開の場で初めて2スイッチワープロに挑戦した。
 「差別とアイデンティティ」は6時間目の授業だが、5時間目には、「ボランティアと社会参加」という私の通常の授業があり、みんなには、この2時間、授業をしてもらった。
 Tさんの2スイッチワープロは、比較的小さな教室だった5時間目はスムーズだったが、大教室である6時間目は思いのほか難航した。しかし、2時間続けて挑戦して、次のような文章が綴られた。

Tといいます
いま○○○○りょういくえんではたらいています
いまやりたいことは せいかつについてたすけてもらいながら ひとりぐらしをすることです きっとできるとしんじています いっしょにくらしてくれるじょせいをさがしています きもちのやさしいひとをさがしています(以上5時間目)
おとうさんのことがなつかしいです まま ○○○(弟)とくらしていますが けっこんしてどくりつしたいです(以上6時間目)

 それぞれ、10分ほどの時間なので、限られてはいるが、たくさんの人の前で、文章を綴るということ初めての挑戦、まずまずだった。
 どちらの授業でも、みんなで、たくさん思いを語り、歌を歌った。
「総合講座」の最後の年の、思い出に残る授業になった。 
 授業の後、研究室でお酒を前に語り合った。16階にある研究室から見える渋谷の夜景は、けっこう美しい。来年4月から、たまプラーザキャンパスに新設される「人間開発学部」に移籍が決まっているので、この研究室からの夜景も、これでお別れだ。
 一つの区切りにふさわしい夜だった。

2008年12月6日 07時36分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月05日(金)
そらはきっときいてくれる わたしのきもちを
 11月30日の青年学級の日は、午後からある勉強会で青年学級について紹介することになっていたので、昼間は、ゆっくり参加できなかった。そこで、夜から居酒屋(かかし)に合流し、かかしが2回目になるF.Kさんとパソコンで話をした。

のみにこれてうれしい。いいほうほうですね。つらかったです、ことばでしゃべることができなくて。いつもねがっていました、きもちをことばでつたえることを。いしがあるのにきいてほしかった。はいがすべてできいてもらえなかった。きたかった、かかしに。のみたかった、おさけを。いしがあるのにきいてもらえなかった。すてきななかまがいてしあわせです。つらかったけどきぼうがわいてきました。

 ここで、詩を作ったことはあるかと尋ねてみた。すると、あるという。さっそく、書いてもらった。

つらいときそらをみあげてみよう
そらはきっときいてくれる わたしのきもちを
ねがってみよう すみきったそらに
きっとそらは つらいきもちをきいてくれる
きぼうのそらにむかってさけんでみよう
しんぼうしてきたけどすくわれたよと
きいている そらはいつもわたしのこころを
きいている いつも わたしのねがいを
きいている いつも わたしのゆめを
きいている いつも わたしのほんとうのきもちを

 そして若干のコメントが続く。

ずっとむかしにつくった。しはきもちをずいぶんらくにしてくれる。
きもちをきいて、いいきもちにしてくれる。きもちをきいて、こころをくるしみからときはなってくれる。

 そしてさらにもう一篇の詩。

きたのそらからきた しろいまほうつかい
きたのくにからやってきて
きたのくにのきれいなゆきをふりつもらせる
きたのくにからきたまほうつかいは
きたのくにのきぼうをかなえるために
ゆきをふりつもらせる
きたのくにからふくかぜは
きたのくにのいのちをつたえてくる

 そこへ、お母さんがお迎えに来た。

おかあさんへ。しんじてください。みんなわたしのきもちです。しんじてください。しをつくっていたのはきもちをしずめるためです。きもちをしずかにするためです。しをつくっているときもちがおちつきます。しをつくっているといいきぶんになります。いつもありがとう
きもちをいつもきいてくれてかんしゃしています。いつもわるいとおもっています。いつもごめんなさい、せわばかりかけて。

 突然書かれた二篇の詩を前にして、おかあさんは、これらの言葉が、彼女の言葉にほかならないことを納得されたようだった。なぜなら、その時の彼女の瞳の真剣さと、私がまちがってもこんな詩を書けるはずがないからだった。
 また、新たな詩人が誕生した。
2008年12月5日 23時07分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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少年たちの会話 クリスマスを思いながら
 二人の少年が、会話をしようと、私のことを待っていた。クラスメートの二人だけど、残念ながら今はまだ私が通訳をしなければ、言葉を交わし合うことができない。彼らに会うのは、8月以来のこと。4ヶ月ぶりの再会だった。会話の前にA君は、こんなことを書いてから始まった。

きのうくるまでどらいぶにいきました つくいこにいきました
いいてんきだったのでうちにかえってからいきました
こうようがきれいでした るすばんでおばあちゃんがうちにのこりました きれいでしたすべてが
あきもおわりすっかりふゆになりました。

 本当は、どこにも行っていないのだけど、そんな言葉がふさわしいような、12月の初めの一日。
 そして二人の話題は、クリスマスのことへ。

A:このまえすてきなきせつのたよりをかいたね
くりすますにむけてくりすますにきれいなくりすますつりーをかざろうね。
B:くりすますはたのしみだね
むかしからいっしょだからね
すきにしたいね
ねがいはきもちをつたえられるようになることだね
きっとできるようになるとおもうからがんばろうね
きっとみんなわかってくれるひがくるとおもうのでがんばろうね。
A:すてきなくりすますにしようね
いいぷれぜんとがもらえるといいね
とびきりじょうとうなぷれぜんとをもらえなくてもじぶんのきもちをわかってもらえればそれがいちばんだね。
B:いいくりすますがくるとおもうよ ともだちをまねいてぱーてぃーをしたいね
きまりきったおとなのいいかげんなぱーてぃーではなくて ほんとうのきもちがこもったぱーてぃーにしたいね
いちばんきてもらいたいのはひらやなぎさんだね
すばらしいかいにしたいね
すてきなうたやすてきないろのろうそくをそろえてきれいなふくをきてきれいなさいこうのくりすますをしたいね。
A:すてきなことはふたりできもちをかたりあえることだね
つらいことやくやしいことをかたりあうことができればきっとすっきりできる
しゃしんとってほしい
すばらしいすがたのでえいがのようなおなじきれいなこえでのぞみどおりにすてきなこえでうたをうたってほしいね。
B:きれいなうたがうたえるひとにきてもらいたいね
きれいなうたがきけたらさいこうだね
いいこえがでるひとがいたらつれていこうね
いいこえがでるひとをさがさないといけないね
わすれずにすてきなうたがきけたらいいね
すてきなうたがたのしめたらいいね
きいてみたいな そんなうたを
つぎつぎにいいうたをうたってくれたらいいね
いいうたはこころをゆめいっぱいにしてくれるね
みんなにもいいうたをじっくりきいてもらいたいね。
すてきなうたをつくってみたいね
ふしぎなきもちになってくるね
にほんじゅうにはんらんするようなうたをつくりたいね。
A:このよでいちばんのうたをつくりたいね
このよでふたつとないうたをつくりたいね
とてもきれいなうたがつくりたいね。
B:すてきなうたはしんじてくれる
いいうたををつくれたらいいね
きいてくれるひとがほしいね
きいてくれていっしょにうたってくれるひとがほしいね
ねがいはすてきなうたがつくれることです
(ここで詩を作ったことはないかと聞くと、「ある」との返事の後、詩が綴られた)

 きたにむかうひこうせん
 きたにむかってそらをいく
 せかいのなかまにであうため
 そらいっぱいにひろがって
 ふしぎなうたをかなでとんでいく
 ひこうせんからゆめみたさきは
 ふしぎないろにそまっていた

A:すてきなしだね。
くりすますがたのしみだね
(ここでA君にも詩を作ったことはないかと尋ねると、「ない」との返事がかえってきて、が続いた。)
ことばはすばらしいね
きもちをひろくしてくれるね
ねがいはいつまでもBくんとともだちでいることです

 二人の会話は、小学生のあどけなさと、切ないほどの純粋さにみちていた。
 それにしても「きた」をテーマにした詩が、どうしてこんなにも作られているのだろうか。枯れ葉をみんな散らしてしまうような強い風が(南風だったが)吹いた日の、できごとだった。
2008年12月5日 22時24分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月02日(火)
きぼうのきたかぜ
 嘉門達夫の大好きな20代の男性、○○さんは、常にそのCDを流していることを求めてくる。そして、そのかたわらで、気持ちを綴った。

むかしからいいたいことはたくさんあったけど
いおうとしてもいうことができなかったので いえなかった
いいたいのにいえなかったのでつらかったけど
しかたないとおもってきたけど
けしてあきらめないでよかった
きっといつかかなう
くだらないうただけどだいすきです
ねがいはとおもってきました
いがいにもかなったのでうれしいです
ぬいぐるみのいきかたにおわかれです
くやしいこともたくさんたくさんあるけど
くやしいこともわすれることができる
くやしいこともこれでわすれることができる

 ここで、詩を作ったことはあるかと尋ねた。すると答えは…。

いいうたいっぱいつくっています

 そして、さらさらと以下の詩が綴られた。

きぼうのきたかぜがふき
ていくうひこうをするつばめたちは
みなみをめざし
いきたいところをさがし
ひこうをつずける
くなんがまつこどくなたびを
きぼうのきたかぜがふき
しらないひとがすぎていく
みたこともないすてきなきぼうのひとみをして
くるしみをのりこえ
みなみをめざして
きぼうのきたかぜがふき
しらないすずめがにげていく
つよいとりになろうとして
くるしみのみちをさがしとびたってゆく
しらないきたのくにをめざして

 きぼうのきたかぜ。
2008年12月2日 00時43分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月01日(月)
詩 「北からの声」
 「詩を作ったことはありますか。」私は、最近、そういう問いをチャンスを見つけてはかけることにしている。そして、また、自分自身のためだけに紡がれた詩を、中学生の女の子から、聞かせてもらうことができた。
 彼女が詩を綴る前に自分から語ったことは、演奏会のことだった。

えんそうかいにいきたいけどこえがでてしまうのでつれていってもらえません 
くやしいです 
くらしっくのえんそうかいにいきたいのですが しずかでないとだめだといわれてしまいます
いきたくてたまらないのですが くやしいです
おおきなこえがでてしまいます
すてきなきょくをきくとこえがでてしまいます
しらないひとがへんなかおをするのでいやです
くやしいです
ふだんのこえがでているだけなのにきこえてしまいます
でもききたいのでくやしいです
うるさくしているわけではないのに ざんねんです
ねがいは ねむったようなじょうたいできけるようになることです
つらいけど すきなことだからいいおんがくをききつずけたいですし
くらしっくのおんがくだけでなく いろんなおんがくをききたいです
なかなかむずかしいけどがんばりたいです

 演奏会に行くと、どうしても声が出てしまう。それほど大きな声ではないそうなのだが、静まりかえった会場では、響き渡ってしまう。そう言えば、テレビで、呼吸器をつけた人が演奏会に行くことをめぐって、たいへんむずかしい議論になっていたのを見たことがある。無責任な答えだとは思ったが、たぶん、今どこにも答えはないから、これから、一歩ずつ、答えを作り出していくしかないのではないかと私は、彼女に告げた。そんなやりとりの後に、彼女に詩のことを尋ねてみたのだ。すると、さらさらと一篇の詩が書かれていった。
 もう12月も間近な季節にふさわしい内容だった。

   きたからのこえ

きたのそらからきこえている こえにむかって
わたしは さけぶ
すてきなくには どこにありますか
しっていたら おしえてください
つみぶかいめをした なきむしのすめるくには 
どこにありますか
しっていたら おしえてください
くしんしているけど
このからだでは さがすことができません
きっといいくにが どこかにあるとおもうのですが
きぼうのくには みつかりません
いいくには どこにありますか
きたのほうからきこえるこえに 
わたしはたずねる
いつまでも

2008年12月1日 14時42分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G23区1 |
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2008年11月25日(火)
わたしはさまよつていました のらいぬみたいに
 妻が関わっている埼玉のグループで、こんな文章が綴られた。24歳の女性による、2度目の文章だ。

わたしはさまよつています のらいぬみたいに
ちいさなたましいがきぼうがきぼうにむかつてあるきはじめました
やつとというゆうよりながかつた
うちにひめていきてきてつらかつたときもあつた
ことしはいえてはなしができたからなやんでいたことがついにかないました

 先月は私もお会いした方なので、再び書けたと聞いて、心から喜びを感じた。それにしても、「のらいぬ」という表現には、どれほどの深い思いがこめられているのだろう。若い女性が、自らのことを表現するのに、あえて「のらいぬ」という比喩を使うとは…。それに対して、「ちいさなたましいがきぼうにむかつてあるきはじめました」という表現は、つつましい品性を秘めた彼女にふさわしい。 
 このように書いた後、彼女は、わたしについて次のように尋ねたそうだ。
 
しばたせんせいはなにのせんせいですか
こくがくいんだいがくはどこにありますか

 今回は、お会いできなかったけれど、また、じかにいろいろなこ
とをうかがえたらと思う。
2008年11月25日 00時20分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月22日(土)
おかあさんがもっとぐっすりねられるように
 ともに特別支援学校に通う兄と弟と関わった。とはいえ、兄さんの方は、お疲れで完全に熟睡だったので、弟の方とゆっくりとパソコンに向かった。弟は現在小学3年生。
 さっそく彼が綴ったのは、次のような言葉だった。

いしのつよいこどもになりたい
ずいぶんかべがあるけどがんばってつよいこどもになりたい
じぶんがしんじられなくなったらいけないのでじぶんをわかってふまんをいわずにがんばりたい
くるしいこともあるけどじぶんをしんじてさえいればだいじょうぶだとおもう
だからいつもじぶんをきにいるそのきもちをたいせつにしてがんばりたい

 こんなに繰り返し「自分」という言葉が出てきたのは初めてのこと。力強い内容に、いちだんと成長をしたことが感じられる。
 彼とは夏以来なので、最近のスイッチの援助のスピードアップに驚いたようす。

すごいじがすらすらかける
すごいねせんせい
すばらしいほうほう

 そして、彼らしい文章が続く。

そばにだれかなやんでいるこどもがいたらすくってあげてね
このほうほうがあったらだれでもしゃべることができるね

 さらに、こう書いた。

くよくよするのはざんねんです
うばわれたかこをとりもどすことができそうです
ねがってきましたことばをかけるようになることを
じぶんのきもちをことばでつたえることを
ずっとかきたかったことばでじぶんのきもちを
じぶんのゆめをてをつかってはなしをすることをねがっていた

 ここで、兄さんと二人で夜になると、何か声を出して話しているらしいと聞いていたので、その内容について聞いてみた。

がっこうのことや げきのようなことをやっています
ねえさんやくをしたり すてきなこのやくをしたりしている
すてきなこのときはつきあってくださいとかはなしています
すてきなこにいっている
そうぞうしています
でもすきなこのすがたはすぐにきえていきます
すばらしいすがたのひとはねがいどおりにはあらわれてくれません

 横でぐっすり寝ているお兄ちゃんに何か伝えたいことはないかと聞くとこんな答えが返ってきた。

このあいだけんかをしたのであやまりたい
そのことがつたえたい
おかあさんとどっちがねるかずっといいあいをしていた
そうなったのはこどもべやにふたりでねているからです
どっちかがおかあさんとねればいいとおもいます
どっちかがひとりでねればいいとおもう

 どっちがおかあさんと寝るかでけんかをしたという。ほほえましいけんかのように見えた。だが、どこか、ちょっと彼らのいつもの感じとはずれている。すると、次のように文章を続けた。

おかあさんがねやすくなるように もっとぐっすりねられるように

 今は二人ともお母さんと一緒に寝ているので、それではお母さんが疲れてしまうから、どっちか一人にしようという、そういう話題だったのだ。これなら、合点がいく。

ぼくはなきむしだけどひとりでもだいじょうぶです
こうたいでねればいい
おかあさんがいつまでもげんきでいてほしいから
こしのぐあいもしんぱいです
ねがいはみんながいつまでもげんきでいられることです
のぞみはとうさんのからだもずっとけんこうにいられることです
ぜひねがいがかなってほしい

 そう言えば、ちょうど去年の今頃、クリスマスプレゼントは何がほしいか書いたらと促した時、自分のプレゼントのことは顧みず、「いろんなはなたばをおかあさんにあげたい いつもぼくたちのせわばかりしていてたいへんだから。ねがっていることはみんながしあわせになることです。」と書いたのも彼だった。
2008年11月22日 23時25分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩1 |
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「心が小さくなってしまったら世界に生まれた意味がない」
わたしのことをおぼえてくれてありがとう
このあいだきぼうがでてきたとかいたけどなかなかしんじてもらえません

 小4の☆☆さんは、冒頭から、いきなりこういう文章を書いた。そして、そのことについてしばらく書いているうちに、算数の勉強を学校で教わりたいという話へと移っていった。そこで、彼女に、どこまで計算を知っているのと聞いたり、算数はどうして好きなのと聞いたりしているうちに、こんな文章が綴られた。

525÷5=105
ひとりでおぼえました
けいさんができるようになりたい
みんなもおなじだとおもいます
さんすうがすきなのはかずのしくみがおもしろいからです
かずのしくみについてかんがえているととてもしあわせです
たしたりひいたりかけたりわったりするとかずがへんかするのがおもしろいです

 単なる望みではなく、すでに自分で数のおもしろさを十分に見いだしていた上での気持ちだということがとてもよく伝わってきた。
 理系文系などという区別はいいかげんなものだとはわかってはいるが、彼女は理系なのかもしれないなどと思いつつ、一応、国語も聞いてみると好きだというので、先にやった小5の○○君と同じように、詩について尋ねてみた。すると作ったことがあるとのことで、今、書けるという。そこで書いてもらった詩は、驚くべき詩だった。


 このせかいにうまれて

まっしろなくもが
つらいこころをなぐさめる
こよなくあいしたくもだから
わたしのつらいきもちをしっている
もうすこししたらとてもきれいなひかりがさしてくるよと
そらのくもがいう
くらいそらにひとすじのひかりがさし
とてもあかるくいろづいて
こころいっぱいにひろがって
こころがすっかりかるくなった
そらがとてもひろいのに
こころもまけてはいられない
こころがちいさくなってしまったら
せかいにうまれたいみがない
こころがせまくなったら
はなにまけてしまう
のぞみをすてずにいきていく
もっとのぞみをそだてたい
こころがせまくならないように。


 そして、こんなことを付け加えた。

つくっていました
こころがせまくならないようにするために
さんすうだけでなくしもだいすきなものです
けいさんもだいすきです
すきなことがたくさんあるのでいっぱいべんきょうがしたいです
いつもそうかんがえています
すこしつくっています
とてもいいきもちになったときにつくっています
つくっていますがきいてもらったのははじめてです


 小5の○○君と同じように、彼女のこの詩もけっして誰かに見せるために作られたものではない。自分のためにだけ作られた純粋な詩だ。そして、算数もまた、数のしくみのおもしろさを知る喜びだけに支えられた純粋な世界だ。
 私たちが、まだ知らないとてつもないような世界を秘めた存在が、目の前にいる。
2008年11月22日 22時57分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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詩 「たくさんのかなしみ」
 小5の○○君。lクリスマスプレゼント、いったい何がほしいと書こうか迷いながら次のような結論にたどりついた。

もしかってもらえるならものがたりのびでおがほしいです
てれびでみられないものがたり
すぺーすわんだーらんどがおもしろかった
すぺーすふりーどろっぷというものがたり
とりっぷかもしれない
ともかくぼうけんものがいいです

今年は、自分の希望を聞いてもらった上でクリスマスプレゼントがもらえそうだ。
そして、話題は、最近担任の先生と取り組んでいる、手を介助されながら書く手書き文字に移っていった。

じをかくのはたのしいです
すばらしいとおもいます
ちいさくかくほうがかんたんです
きれいにはかけなくてもじぶんのことばがかけるのでうれしいです
ざんねんながらまだきもちをかくのはむずかしいけどいつかできるようになったらうれしいです
じがかけるようになったらこのぼくのきもちをじぶんのことばでひょうげんしてみせたいとおもう
きっとできるようになるとおもうのでせんせいよろしくおねがいします

 「じぶんのことばでひょうげんしてみせたい」という言葉が、ふと、彼がすでに表現するものを持っているのではないかという気にさせ、詩とか作文とか作っているものがあるんではと尋ねてみた。するとこういう答えが返ってきた。

しをつくったことがあります

 そして、時折スイッチを操作する手を止めながら、次の詩をさらさらと書いた。


  たくさんのかなしみ

つらいときなみだがほほをながれたら
そらをみてかおをあげてみよう
ほほをながれるなみだもきえていく
ゆめみてみよう
きれいなときのしらないせかい
ふしぎなこえがきこえて
きてのはらにはないっぱいさきほこり
ちいさいころのおもいでがよみがえり
なみだはやがてそらにきえていく

 周囲からは、まだ、言葉を理解する力があるかどうかを疑われている彼だが、こんな深い詩の世界を持っていた。あえて聞かなければ書くこともしなかったこの詩は、しかし、即興で書かれたものではない。何かのかたちで、彼は、この詩を胸の中であたためていたのだ。おそらく、誰かに伝えるためではなく、自らに語りかけるために。「たくさんのかなしみ」からどうやって起き上がればいいのか、自問自答しつつ、自らを励ますために作られた、作為のない純粋な詩だ。

とてもうれしいぼくのなかにかくされていたことばのせかいをほりおこしてくれてありがとうございます

 子どもたちの中に隠されている奥深い世界の一端をまた、かいま見てしまった。クリスマスプレゼントの話をしている屈託のない彼とは、またちがう、ぐっと大人びた顔した彼がそこにいた。

 ところで、この後に来た☆☆さんも、同じ質問をしたら「このせかいにうまれて」という詩を書いた。それは、また、別に紹介するが、その彼女に、○○君の上の詩を見せた。すると、こんな感想とメッセージが返ってきた。

すてきなしですね
どこのそらなのでしょうか
のぞみがきえてしまわないようにがんばろうとつたえてください
わたしもおなじきもちです

 詩を通じて二人が心を通わせ合ったすばらしい瞬間だった。
2008年11月22日 22時47分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩3 |
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2008年11月18日(火)
小2の二人の少年と
 小学2年の二人の少年と久しぶりに会った。
 ○○君は、結構手が使えるので、ここのところ、スイッチをいろいろ試して、一人でワープロをうったり、パソコンを操作したりすることをめざしている。前回、昔ながらのジョイスティックがついた、でっかいゲームコントローラーを改良して持っていって、気に入ってもらった。そして、今回は、らくらくマウスとして知られている製品の基盤を手に入れることができたので、ジョイスティックを使って楽々マウスを手作りした物を抱えてうかがった。
 まず、最初に、こちらがたっぷりと手伝う方法で、気持ちを書いてもらった。

いそがしいのにきてくれてありがとう
じぶんでやれてうれしい
いいすいっちをみつけてくれてありがとう
くしんしていますががんばっています
くくのけいさんがきになっています
けいさんのしかたがわかりたい
すきだけどけいさんのほうほうがわからないからこまっています

 小学2年の○○君が、一生懸命気を遣ってくれることがうれしかった。スイッチを毎日がんばっているとのこと。
 そして、九九の話に移った。九九の話は最後にきちんと教えるからと約束して、さっそく、自家製らくらくマウスに挑戦。力が入りすぎるので、ジョイスティックによるマウスのポインタの調整は、なかなか一筋縄ではいかないが、ちょっと手を添えて、ポインタを動かし、クリックするとうプロセスは、いわば本格的なパソコン操作とも言えるので、とてもうれそうだった。
 手伝われるよりも自力でやりたいという思いの強い○○君のおかげで、私も、新しいスイッチの工夫ができて、おもしろい。
 九九の勉強は、彼とふた子のきょうだいの女の子がやっている勉強に触発されたらしい。九九を声を出して覚えている声を聞いて、彼もけっこう覚えてしまったとのこと。
 さっそく、足し算が直線で表されることをパソコンのたし算のソフトで説明。そして、かけ算のソフトを使って、かけ算はマス目を使った広さで表されることを説明したところ、納得したとしっかり首をたてにふった。
 一方、◇◇君は、7月以来だったが、スライドスイッチに手をかけさせると、さっそく文章を綴り始めた。
 最初はソフトとスイッチのことだった。

きくことができてこのすいっちはやりやすい
きっとすいすいできるようになれるとおもう

 目が不自由な彼は、音を聞いてワープロの行や文字を選択しており、そのことをめぐる感想だった。そして、非情におもしろい文章を一気に綴っていった。

いちばんいいたいことはこいびとといいところにいきたいということです
いつかいいひととぼくはであいたい
くなんのひびのなかでうしなわないようにしたいきぼうは
ねがいはすてきなくにできにいったひととくらすことです
このあいだきてくれたおねえさんつかまえたいとおもう
くらすにいつもきてくれるおねえさんです
くにとほさん
くにとほさん
いつもくらすにいます
きっときれいなおんなのひとです
せんせいではありません
きっときもちのやさしいひとです
ぼらんてぃあをしているひとです
かきのきざかにいるひとです

 小学校2年にしてはとてもませたお話だったが、問題は、この「くにとほ」さんが本当に学校にいるのかということだった。お母さんも「柿の木坂にはいったことないしねえ。」とおっしゃる。ときおり、にやっとしながら書かれていたのだが、次のように種明かしをしてくれた。 

たのしいはなしをつくりました
きっといつかあらわれるとおもいます

 ここで私は、いささか不用意なことを聞いてしまった。これまでとてもシリアスな内容を書いてきた彼が、軽い話をしていることがちょっと不思議に思われたからだが、「今日は、こんなことを言おうと思ってきたの」と言ってしまったのだ。すると、こういう答えが返ってきた。

いいたかったことはきぼうをうしなわないことがたいせつということです
ちいさいころからきぼうをもつことのたいせつさをおかあさんがおしえてくれました

 彼は、決して無意味にこうした話題を語ったのではなかった。「苦難の日々の中で失わないようにしたい、希望は。」と彼は最初に書いていた。日々の苦難の中で、希望を持ち続けるということを、とてもわかりやすく、書いたのだった。やはり、今回の文章も、実は、深い意味を秘めていたのだ。
 そして最後にこう書いた。

いいたいことがいえてよかった

 このあと、お母さんのご希望で、パソコンによらないコミュニケーションの方法を試みた。実際に目に見えるような動きで意思表示をすることは、彼にはむずかしい。そこで、手をとって握り替えしてくるような力を読み取ってみることにした。8歳だから8で返事をしてねとお願いをして、ゆっくりと「1,2,3…」と尋ねていく。すると、8のところで握った手に力がこもり、親指がかすかに動いた。こうしたことを繰り返してみると、首が動いて眼球も一緒に動く時と、ってが動く時があることがわかった。ゆっくりと、こういうコミュニケーションが一歩ずつ積み重ねられて、彼の本当の姿が速く周囲に理解されるようになったらと願う。
 



2008年11月18日 23時55分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月15日(土)
笑いの哲学
 仰向けに寝た姿勢で両手をとって、「ア行、カ行…」と聞きながら両手をたたき合わせていき、選びたい行が来るとパーッ両手を開いて合図を送るというやり方で文字を綴り始めた◇◇さん。今日は、さっそく、わらいについて語り始めた。

ぬるいものをのみこんだまさになんもんなのです
にんげんはやはりなやみがふかいほど
にんげんはせいちょうします。
つらいときはわたしはわらいをかんがえています。
わらいはやみだらけのくらしをあかるくして
なやみをわらいだすのにとてもいいやりかたです。
むずかしいなやみもわらいでばかばかしくなります。
よごれたこころはわらいできれいにのみこむことができます。
すきなひとがくらいかおをしているとかなしくなる。
わたしはなぜからくてんてきにかんがえるせいかくです。
にんげんはなやみながら
ゆかいにいきていくのがすばらしいとおもいます。
わたしもゆかいにいきたいとおもいます。

 ここで先に来て休憩していた○○さんから質問が来た。

◇◇ちゃんのすきなひとだれですか

 ◇◇さんの答えはこう続いた。

わたしのすきなひとはわらいのわかるひとです。
さんまさん。
わらえるひとがいい。

 言葉を発する前から、とても愉快そうな笑顔がたえなかった◇◇さんの、わらいの哲学。不思議な魅力を秘めた哲学だった。
2008年11月15日 23時38分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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くるしみのなかからみつけたふしぎなこと
 不思議なもので、私の手の介助が速くなって、たくさん綴れるようになってから、日々の様々な不満などを、あふれるように語り始めるという場合が増えてきた。今回の○○さんも、ひとしきり、今思っている不満を語った。それを聞くことはもちろんかまわないのだが、どうも、一方的に綴ってもらっていると、止めどなくなってしまうことがある。どうやら、きちんと相づちを打ちながら、時には話を切り替えることも必要らしい。
 ○○さんの話をじっくり聞いた後、この辺で話を変えようかと言うと、突然、すてきな話が飛び出してきた。


くるしみのなかからみつけたふしぎなこと
まるでけんこうなこどもたちに
ほんとうのよろこびをみつけました
りかいしてはいないけど
ねがいはめーてるりんくのあおいとりのようになんでもかなうには
よくねがいをむきあってぎんみして
まるでしんじられないようなねがいをもつことです
ぬいぐるみはなにもねがいませんが
にんげんはねがいをもつことができます
ねがいのふしぎなちからでなんでもゆめみることができます
めーてるりんくとはははのきずなといういみです
うしなわれたあかりをとりもどすことができます
すばらしいなまえです

 メーテルリンクは、有名な『青い鳥』の作者だ。「しんじられないねがい」を持つことが大切で、願いを持つことで人は「ゆめをみることができる」という。
 メーテルリンクは、「母の絆」という意味だとは、思いもよらなかった。
 「ところでメーテルリンクのこと、誰に聞いたの」と尋ねると、

ねえさん

と答えが返ってきた。
 メーテルリンクの話が、○○さんの中で、こんなかたちでふくらむとは、おねえさんも想像だにしていなかったことだろう。
2008年11月15日 23時22分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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一輪の花 首をうなだれ かぼそく咲く
 手を添えてもらって行う手書き文字で、小学生の頃からこれまでたくさんの詩を書いてきた中学3年生の少年は、しばらく、詩が作れないで困っていたが、9月に続き、今回も詩を携えてやってきた。
 2編の詩を、そのまま、ここに記しておきたい。


月の光の下で
月の光にてらされて
一輪の花
首をうなだれ
かぼそく咲く
落としたしずくは
天にとどく
大いなる母よ
ここに咲け
あなたの涙が
力となり
人々のいやしと
かわるから


夕日の上にぼくは立つ
ぜったいにくじけない
あきらめない
ぼくは夕日の上に立つ


 なお、彼とは、後者は、詩というよりも、個人的な意志表明のようなものだねということで、話が落ち着いた。いつか、また、この思いは、詩として昇華されるかもしれない。
2008年11月15日 23時01分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月14日(金)
「いみ」
 小学6年生の「舞い降りた詩人」のもとに、通っている大学生の姪らメールが届いた。
 谷川俊太郎の詩を一緒に書き写したあと、つぎの詩を書いたとのこと。方法は、彼女の手に姪が手を添えて書く方法である。
 
いまここにいるいみ
いみをのみ
いみをつたえ
いみまためぐり
いみまためぐり
いみまためぐって
いみたのしみ
いみつかみ
いみまたつなぎ
いみまたなく・・・・・・
いみまたなさのさみしさをしる
いみ・・・・

 即興の言葉遊びかと思っていたら、詩は一気に深みへと転調する。彼女の心の中にはどれほど深い世界が広がっているのか。しかも、その世界は、もはや無邪気な子どもの世界ではなく、虚無の底をのぞき込んだ者にしかわからない響きがある。
 
2008年11月14日 11時17分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月11日(火)
きっとくるしみのいみを みつけてみせる
 都内のある学校で、K君と出会った。K君は中学1年の夏、不慮の事故で全身の自由を失った。現在彼は中学2年生、事故から1年と少し経過した。最初は植物状態とも言われた彼に、早くから学校の先生方が関わり、様々なサインやパソコンを通じて、彼の気持ちをくみとることができるようになっていた。
 初めての関わり合いではあったが、すでに先生方の実践もあり、彼に文章を綴る力が残されていることに疑いをはさむ余地はなかったので、さっそく、ワープロに挑戦した。
 まず、スイッチの方法について感想がさらりと次のように述べられた。

うれしい いいほうほうですね うそみたいです
このすいっちいくらですか ください

 そこで、今、思っていることを書いてほしいとお願いしたところ、おかれた状況をめぐる厳しい文章が綴られた。以下、漢字をまじえて紹介したい。

この鬱々とした状態、いつまで続くのだろう
苦難の試練を越えてこの世界の中で健闘してゆくのはむずかしい
大きくなるまでに体が動くようになるのか心配です
いつまで続くのだろうこの苦しみは

 中1で突然体の自由と表現とを奪われるという想像を絶するような状況の中で感じている苦しみを彼は率直に表現した。おそらく、うそいつわりのない、感情の吐露である。だが、これは、いわば、独り言のようなもので、明確に誰かに向かって発せられたものではない。たとえば横で見つめておられるおかあさんに対する表現としてならば、また、ちがったニュアンスが綴られるのではないかと考え、そのように提案した。以下はそれを受けた文章である。

おかあさんいつもありがとう
この状態になってもかわいがってくれてうれしいです
できるならこの状態から抜け出してもとの体に戻りたいけどとてもむずかしいようなのでこの状態でがんばっていきたいのでよろしくお願いします
この状態でもきっとしあわせは見つかると思います
苦しいことだけ考えていてもしかたないから楽しいことを考えていきたい
うちの中が明るいので救われます
いい家族たちに囲まれてしあわせです

 苦しいという思いは紛れもない事実であろうが、家族に囲まれながら、未来に向かって生きようとするしっかりとした気持ちがあることが綴られた。
 次に、目や認識の状況について教えてほしいとお願いした。

体は動かなくなったけど言葉もとのままです
目は少ししか見えません
気にかけてくださってありがとう

 さらに、思いのままを綴ってもらうと、表現はさら深みを増していった。

健康なときには感じませんでしたが いい人生ってなんでしょうか
苦しいことはいやだけど好きなことができなくてもこの世に生まれてきてきっと何か意味があると思うので考えながら生きていきたい
きっと苦しみの意味を見つけてみせる
きっといい人生になると思うからおかあさん安心して見ていてください
うちじゅうに喜びがあふれることを願っています
きっといい人間になりますと誓います

 体が動かなくなって1年あまりの時間の中で、いったんは絶望の淵に立ちながら、彼は、今、たくましく立ち上がろうとしている。人間の中に潜む力の大いさに圧倒されるばかりだった。
2008年11月11日 21時17分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
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2008年11月08日(土)
しあわせなつばさできっとそらたかくとべるでしょう
 小学校4年生の少年が、こんな文章を綴った。

ゆめにすてきなおんなのこがあらわれていいました
こどものねがいはいつまでたってもきえないかとおもっていたら すぐにおとなになってしまいますよ
だからきをつけなさい
こどものじかんをだいじにしなさい
よくねがいをきいてくれたら しあわせなつばさできっとそらたかくとべるでしょう
きっといきやすいいきかたができる
ねがいどおりにくらしていくことができるでしょう
しんじつはわかりにくいけど てをのばせばとどくところにあって かならずてにいれることができるでしょう
そのためには こどもじだいのゆめをすてないようにして じかんにながされることのないように いまをたいせつにしていきることがだいじです
きっといつかきぼうのかなうせかいがおとずれるでしょう

 夢に出てきた女の子とは、どうやら、小学校にあがる前に知っていた女の子と関係があるらしい。彼は、今度、彼女の学校の文化祭に行くとのことで(二人は別の特別支援学校に通っている)、そのことを母同士が電話で打ち合わせていた日の夜、じっと何か考え事をするようにしていたらしい。
2008年11月8日 23時20分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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すぐにやってくれてすごくうれしかった―お父さんへ―
 都内の通所施設でのできごと。6月に初めて文章を綴り、9月にご両親が見に来られた◇◇◇さん。さっそく、おうちでも取り組み、自由に気持ちを伝えられるようになっていた。日記として、ほとんど毎日パソコンに向かって来られたとのこと。とても、励まされる話だった。
 いただいた日記は、ご両親との会話が満載だった。祖父母への手紙、東京ディズニーランドの話、成人式の衣装の話、通所施設でのハロウィンの行事の話などなど。喜びがひしひしと伝わってくる日記だった。その中に、自由に書かれたものとして、繰り返し出てきたのは、ご両親への感謝の言葉だった。いちばん言いたくても言えなかったことが、この言葉だったのだとつくづく思う。
 この日は、おとうさんにまずやっていただいて、私が代わった。すでに相当なスピードでうてるようになっておられるのだが、どうやって、さらにスピードをあげるかということを伝えるためだった。

◇◇◇(名前)。ありがとう。

 ここまで、お父さんと書いて、私に交代。

みてくださってかんしゃしています。

 ていねいな言葉遣いにお母さんが思わず感激。

つかいやすいです。ていこうがないのでかんたんです。
うれしいです。かんがえただけでことばがでてくる。
のぞみはみんなとはなせるようになることです。
このやりかたをみんなにおしえてあげてください。
すぴーどがはやいのでらくです。はやいほうがとてもつかれません。すばらしいです。
しんじてもらえてうれしいです。

 ここで、文章のトーンが変わった。

ねがいはすなおなひとになることです。

 今でもとてもすなおだよというご両親の言葉かけを受けながら、こう続けた。

だれとでもしょくじができることやせまいきもちにならないことです。すなおなきもちのひとがこどものころからのゆめでした。

 言葉を話せないという状況では、受け入れられないことを、ていねいに断るということはできず、断固とした拒否というかたちでしか表現することができないことも少なくない。私も、そういう拒否にいろいろな場面で出会ってきたが、まさか、本当はすなおにすべてを受け入れるような人でいたいのに、拒否せざるをえないことに、本人自身が傷ついているとは、思ってもみなかった。ハンディは、すなおに生きたいという夢さえ簡単にはかなえさせてくれないのだ。

どうしてしばたせんせいはわたしがことばのりかいがあることがわかったのですか。おしえてください。

 多くの方々が問いかけてくる質問だ。答えはいつも同じだ。わからなかった私に切実に訴えてきた方々の力によって、ようやく言葉の存在がわかるようになったということだ。扉を開いたのは私ではない。知らず知らずのうちに押さえつけてしまっていた扉は、そういう方々によってこじあけるようにして開かれたのである。
 そして、最後にこう綴った。

しばたせんせいのおかげでじがかけるようになれたのでかんしゃしています。
おとうさんにもとてもかんしゃしています。
すぐにやってくれてすごくうれしかったー

 
2008年11月8日 09時54分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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ともだちはわかってくれたけどおとなはりかいしてくれません
 都内の通所施設でのできごと。
 ずっと気にかかっていて、関わることのできなかった○○さんと、ようやく関わることができた。簡単な言葉を発してはいたが、どこまで、そのような力を秘めているかは、まったく予想はできなかった。ただ、これまでも、仲間がパソコンで文字を綴るのを遠くから、鋭く訴えるようなまなざしで見ているようなことがあることが、とても心にひっかかっていた。
 そして、実際に取り組んでみると、一気に文章を綴り始めた。

てをつかえるなんておもわなかった
このすいっちがほしいです
ください いくらしますか かいたいです
ねがっていました じぶんでかけるようになることを
かのうせいをしんじてくれてありがとうございます
こんなにすぐにかけるとはおもいませんでした
しんじられません
なぜことばがりかいできるとわかったのですか
ともだちはわかってくれたけどおとなはりかいしてくれませんでした
がっこうのともだちです
×××しょうがっこうです
つかれませんすいっちがかるいので
すばらしいです このほうほうは。
あしたのきぼうがわいてきました

 そして、このことを横でずっと見守りながら、応援をし続けていた車いすの▽▽さんに向かって、次のような言葉をかけた。

いちばんうれしいのは▽▽さんがよろこんでくれることです
すてきなともだちです
こんどいっしょにおちゃをのみにいきましょう

きぼうがわいてきました
ついにてをつかうことができました
うれしいです
じぶんでかいていてもじぶんでかいているきがしません

 ところで、この通所施設には、2階に別の部門があり、そこに、私がかつて、関わったことのある◇◇さんがいる。彼女とは、この施設ができる前に、彼女が以前通っていた施設で関わったが、こちらでは、関わりは途絶えている。その彼女のことが突然語られたのだ。

うえのかいにいる◇◇さんがいっていました
ことばをきいてくれるひとがいるときいていましたがしらないのでわすれていました
◇◇さんはわたしのいえのちかくにすんでいます

 ここで、本人から聞いたのかお母さんから聞いたのかと尋ねると、

ほんにんからです

と返ってきた。

かんげきしています
けしてこどくではありませんがしんゆうは◇◇さんだけです

 ◇◇さんは、かつてこんな文を書いた人である。ちょうど3年前の11月のことだ。当時は、今ほどに長い文章を綴る方法を発見していなかった。

◇◇(自分の名前)かわいいさ うれしい 
くすりのみたくないから かあさんくすりへらしてください。

 発作のコントロールのため薬をたくさん飲んでいて、いつもうつろな表情をしていたが、いったんスイッチを押すと、こんな文章を書いて、周囲を大変驚かせたのだ。
 けっしてわかりやすい発声ができるわけでもない◇◇さんが、○○さんにこうしたことを教えていたというのだ。誰も知らないところで交わされていた二人だけの会話があったというそのことが、何か切なさをもって迫ってきた。
 一方、話は、さらに大きな夢へと向かっていく。

もしねがいがかなうならいいひとといっしょにくらしたい
けっこんだってしてみたい
りそうのひとはかっこよくてやさしいひとです
おとこのひとです
そんなひとがあらわれることをしんじています
すてきでしょう?

 20代の女性として、当然の思いだ。「すてきでしょう?」という言葉が、彼女の笑顔と響きあっていた。

2008年11月8日 00時51分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月07日(金)
とうとうほんとうのわたしをわかってもらうことができました
 都内の通所施設でのできごと。
 ☆☆さんは、自分で何とか車いすをこいで、ゆっくりと短い距離ならできる方だ。短い言葉も話している。まったく表現手段を持たないと思われていた人の言葉を援助するということが多いため、こんなふうに話せる人は、あえて、パソコンでなくても、十分に気持ちを表現できているかもしれないと、つい思ってしまうことがある。しかし、実は、話すことも運動の一つである以上、障害は、発語にもおよび、思っていることの何分の一しか話せていないということが起こっているということも、最近、ようやくわかってきたことの一つだ。そして、☆☆さんもまさしく、そうした方の一人だった。
 別のもっと障害の重いとされる方がパソコンをやっているのを遠巻きに見ておられたので、一区切りがついたところで、誘ってみた。はっきりとうなづいて、やる意志を表現した。
 スライドスイッチの棒を握って、こちらがオンオフを軽く繰り返しながら、ほんのわずかな力が加わることによって選択の意志を読み取るという方法で、さっそく、2スイッチワープロを始めた。
 まず、彼女は、手を使って文章を書ける喜びを語った。

のぞみねがっていました てをつかえるようになることを
てがつかえてうれしい
よくやれるとおもっていましたがきかいがありませんでした
ぶんしょうがかけるとはおもいませんでした

 次に、私への質問が続く。

どうしてわたしがこんなにできることがわかったのですか

 私は、いかに私がわからない人間であったかということ、そして、たくさんの障害の重いとされる方々によって、その間違った考えを打ち破られてきたこと。今だって、会ってすぐにこの人はこういうことができているから文字も綴れるというようなことがわかるわけではなく、これまでのそういう経緯から、可能性を信じていきなり文字に挑戦しているということを伝えた。
 
よくりかいしてくれてありがとうございます
のぞんでいたことがかなってとてもうれしいです
ふしぎですじぶんのきもちをすらすらかけるとはおもいませんでした

 そして、この方法について質問や感想が語られる。

どうしてじぶんのきもちがよみとれるのですか
じぶんでかいているようなきがしません
すばらしいほうほうですね

 彼女にとって、運動は、大変な努力の結果起こるもので、しかも、起こったその運動は、力が入りすぎ、しかも、とても制限されたものだった。しかし、このワープロでは、ただ、運動を起こすために身構えるだけで、スイッチがその力を拾えるので、不思議な気持ちになったらしい。
 ついで、私への質問が続く。

せんせいはどこでおしえているのですか
どうして×××にきたのですか

 ここで、いろいろ感じてきたことを書くように勧めたところ、内容は、いっそうシリアスなものになっていった。

くるしみからかいほうされました
かなしかったのはいつもちえおくれといわれてきたことです
だれもわたしのちからをしんじてくれませんでした
ぶんしょうだってかけるのにむずかしいことだってかんがえているのにことばがまともにしゃべれることもりかいしてもらえませんでした
でもとうとうほんとうのわたしをわかってもらうことができました
よくりかいしてくれてありがとうございます
ぶんしょうをかけることがわかってもらえてうれしいです
りそうはじぶんひとりでできるようになることです

 ここで、突然だったが、自分で計算の問題を作って解いてみてほしいと尋ねた。テストをするつもりはなかったが、数の面でも、いろいろなことがわかっていることを明らかにしておいた方がよいと考えたからだ。すると、次のような式と答えと感想が書かれた。

333÷3=111
どうしてすうがくがわかることをしっていたのですか

 最後に、次のような言葉をいただいて、文章は終わった。

これからもよろしくおねがいします
よかったらまたいっしょにかいてくださいおねがいします

 私たちは、取り返しのつかないことをしてきたのだとつくづく思う。障害のある方々のことを十分わかった上で、「理解のない」社会に向かってともに訴えていくというようなおごった見方や、この人はこういう段階の方だからそれをふまえて関わるといいつつ結局は、相手の本当の力を見抜けず、相手の尊厳をふみにじるようなことをしてきたということだ。
 また、彼女からぎりぎりのところからの言葉を聞きたいと思う。   
2008年11月7日 23時42分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月06日(木)
青年学級のできごと 退院したE.Kさんと居酒屋のF.Kさん
 青年学級で7月に初めて文章を綴ったE.Kさんは、9月から長期の検査入院で学級を休んでいた。母親を進行性の難病ALSで亡くし、自らも、進行性の障害で、かつては歩くことも話すことも書くこともできたのに、いつか、車いすの生活となり、言葉さえ失ったとされていた。彼女の検査入院は、こうした状況におそらく関係があるのだろう。そして、残念ながら、病院は、彼女には言葉がそっくりそのまま残っていることを知らない。
 朝、E.Kさんに、今日も一緒にパソコンやろうと言っていたのだが、コースが違うので、なかなか彼女のコースに行く暇がない。3時を過ぎた頃、彼女のコースのスタッフからお呼びがかかった。彼女の文章は、次の通りだった。

ずっとまっていました
そしてしばたさんにあいたかった
ずっとさびしかったです
のぞいてくれてありがとう
ねがっていました
ふたたびはなせることを
よかったまたあえて
ふたたびはなしができてうれしい
ねがいはだれとでもできるようになることです
ねがいはなやみをみんなにきいてもらうことです
ずっとひとりでびょういんにいてさびしかったです
なにもできずなにもみとめられずつらいまいにちでした
のぞんでもきいてはもらえないし
よるもねられませんでした
なんにもりかいしてもらえず
なんにもねがえずみじめなまいにちでした
はやくみんなにあいたいとおもっていたので
しんぼうすることができました
ふしあわせだとはおもわないですが
つらかったです
ながかったです
ねがいはてでみんなとはなしができるようになることです
まいにちのぞんでいました
がっきゅうのなかまとあえることを
ことばをつかえるなんておもわなかったから
しんじられないきもちです
ねがいはだれとでもできるようになることです

 言葉がわかっていることを理解されずに、病院で過ごした時間のつらさと、その時、彼女を支えた仲間の存在。胸がふさがれるような思いがした。
 彼女のコースには、もう一人、9月になってパソコンで文章を書いたF.Kさんがいる。E.Kさんが文章を綴るのを見守っていたが、時間になったので、ホールの帰りの集いの歌声の中で、次のように綴った。

ねがってました
ふたりではなしたかったです
ふたりのはなしがしたかったです
E.Kさんとはなしたかったです
にゅういんをしていたとはしりませんでした
ずっとかえりたかったのですね
ふたりでこれからもずっとかたりあいましょう
ねがいはふたりでてをつかってはなすことです
すいっちをみんなもできるようになってもらってみんなとはなしたい
それがねがいです
どんなにじかんがかかってもいいからがんばってください
わたしもがんばります
しんじてもらえてうれしいです
(よくこんな騒がしいところでできますね。)
めをつかっているのでだいじょうぶです
(今日もトマトハウスは行きますか。)
いきたいです
そのあともいきたいです
とまとはうすだけではつまらないからのみにもいきたい

 ここで、お迎えに来られていたお母さんとお話をし、発作の薬の関係でアルコールはだめだけどという条件で交渉が成立。2時間後、彼女は、居酒屋にいた。おそらく、仲間とこのような場所に来るのは、生まれて初めてのことではないだろうか。以下は、そこで書いた言葉だ。

かかし(居酒屋の名)にこれてうれしい
でものめなくてざんねんです
とりのにくがたべたいです
まえからたべたいとおもっていました
ふだんからたべたいとおもっていました
もしよかったらみんなでたべましょう
のみたいけどだめですか
りそうはふだんからほんとうのきもちをつたえられるようになることです

 彼女が「とりのにく」と呼んでいるのは、もちろん焼き鳥のことだ。うちでお母さんが作ってくれるチキンの料理とはひと味違う居酒屋の焼き鳥の味を、彼女は、この夜、しっかり堪能できたにちがいない。

2008年11月6日 17時22分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
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2008年11月04日(火)
晩秋を迎えた病室にて
 手のひらの下に添えた手に伝わってくる力と口元の合図と心拍数とを手がかりにすすむ☆☆さんとの関わり合いだが、今回は、いつも使う右手に点滴の針が刺さっている。4日前にあった一年に一度の医師を同伴したスクーリングの後にちょっと熱が出てしまったかららしい。病棟を出た☆☆さんに、深まった秋の風はどんなふうに感じられただろうか。
 右手が使えないので、初めて左手で挑戦してみることにした。そして、1時間をかけて綴られた言葉は、

せわばかりかけ わるい

だった。ずっと言葉を表現できた喜びなど、自分のことを綴ってきた☆☆さんだったが、今回は、お母さんに向けられた言葉だった。
 綴り終わると、「そんなことないよ」とほおを両手ではさむようにして、お母さんはほほえみかけた。
 お母さんは、最近、長編の小説を読んであげているとのこと。枕元には、『千と千尋の神隠し』のもとになった『霧のむこうのふしぎな街』という本がおいてあった。
 ☆☆さんと関わり初めたのが今年の1月。もうじき1年を迎える。言葉の世界の存在が少しずつ明らかになることで、生まれた彼女の世界の変化と言えるだろう。お母さんの声を通して語りかけられる物語は、どんなイメージの世界を彼女の中に作り上げているのだろうか。

 となりののベッドの○○君は、今日は、「ぷれすて」という言葉を書くのに手こずった。
 最初「あじすきをほしい」と綴ったように見えたのだが、最初、まだ、スイッチを押す口の動きが安定していなくて、あくびや唾液を飲む動作などが、まだ、いろいろと混ざってうまく読み取れない中で選ばれたものだった。そこで、もう一度、なにをほしいのか、書いてみてというと、「ぷう」と書いてサ行で困っていた。そこで、「プーさん」のことかと聞くと、口元の動きは違うと返してくる。そこであらためて書き直してもらうと「ぷれ」と書いて、今度はア行を選択して困っていたので、もう一度ア行から戻ってやってもらうと「ぷれすて」と書くことができた。主治医の先生が途中で見えて、そう言えば昨日か一昨日、お母さんとプレイステーションの話、してたねとおっしゃる。
 それでは、「ぷれすてをほしい」でいいのと尋ねると、返事がさっとは返ってこない。いろいろ聞いていると、どうやら、プレステのことについていろいろ教えて欲しいということだったようである。
 私はプレステは、触ったことがないが、横におられた訪問学級の担任の男の先生は、詳しいとのこと。授業中プレステの話は…とおっしゃりながらも、きっと次の授業は、プレステの話に花が咲くにちがいない。

 中学2年生の☆☆さんと小学生2年生の○○君。それぞれの、それぞれらしい言葉を聞けてほっとして窓の外を見ると、外はもうすっかり真っ暗になっていた。
 今度おじゃまするのは12月。もう季節は冬になっている。
2008年11月4日 23時37分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 小児科病棟 |
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「たびだち」の詩 
 ☆☆さんは、この日で3度目だが、今回は、学校でなかなかわかってもらえないことの悩みから始まった。綴っている途中、手に力が入ったりして、手をもたれるこの方法自体がいやになったかのような印象さえしたので、聞いてみたら、

きもちがおさまらない
じぶんでできるといいけどてがうまくうごかないのでこのやりかたがいいです

と返事をくれた。
 このあと、少しやりとりがあって、次のような文章が綴られた。

すばらしいですはなしができるということは
そんなことをかんがえているとなやみばかりかいているのがつまらなくなってきます

 そして、話はがらりと変わって、スイスに行くという話になった。

たのしいことはこんどもういちどすいすにいくことです
ふだんはいけないのでとてもたのしみです
いいきぶんです
すいすのことをかんがえるとわくわくします
ことしのふゆはなんだかまちどおしくなってきました
すいすではすぐれたおんがくをききたいです
すばらしいえもみたいです

 私はてっきりスイスに行く予定があるのだと思っていたら、お母さんが、そういう予定にはなっていないけど行きたいのと声をかけると、

いってみたいです
すいすではあるぷすのやまをみたいです
まっしろなゆきばかりのけしきがとてもそらのあおさをひきたててにあっているでしょうこのわたしに
かんがえておいてね
にほんにもいいところがあったらおしえてください

と、行きたいという思いとともに、とても美しい表現が綴られた。そこで、私は、詩みたいだけど、詩を作ったことはありますかと尋ねた。すると、「あります」と返事が返ってきて、一気に、一編の詩が書かれた。以下の通りだ。


        たびだち
   
うつくしくひろがるこのせかいにわたしはうまれてきた
なにひとつかわることのないからだでうまれ
ことばもたずさえて
しかしそのことはだれにもしられずにきた
なやみもくるしみもすべてひめたまま
このせかいでいきてきた
そんなわたしがことばをもった
こころいっぱいひらき
たびだとう

 言葉が表現できるようになったことをめぐる詩だが、言葉で表現できることを知られずに生きてきたことをめぐる切々たる思いが表現されている。こんな深い魂の世界が、ずっと誰にも明かされることなく秘められたというあまりにも重たい事実を、すばらしい言葉で語っていた。新しい彼女の旅立ちに立ち会えていることに、大変厳粛な思いを感じながら、私は、感動で体がうちふるえるのをおさえるのに精一杯だった。
 
2008年11月4日 00時28分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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「あなにいた」 Tさんが穴から抜け出した日
 青年学級で、また、言葉を秘めていた方の存在が明らかになった。これまでの車いすの方々とはちがい、自分で歩く方だ。そして、言葉は、「おにいちゃん」「おねえちゃん」「おっちゃん」といった限られた単語を発声する人としてみんなに知られた方だ。話し合いでは、自分の意見をいいにくい人とも考えられてきた。その彼を、私たちのコースに訪問させたのは、若いスタッフだった。「Tさんにもパソコンやってみてもらえませんか。何時に行けばいいですか。」と尋ねられ、一瞬、「Tさんに?」と尻込みしそうになったが、若いスタッフの情熱に負けて、「じゃあ1時頃に」と返答した。
 ところが、いったんスイッチを手にすると、かれが文字を選べることがすぐにわかった。そして、指さしもできるので、時折、文字を指さしてその文字を読んだりもする。今までの関わってきた多くの方々とは、ひと味違う関わりだった。
 最初に綴られた言葉は、こういうものだった。

なぜぼくができるとわかったの
○○○さん(若いスタッフのこと)はどうしてゆってくれたの
びっくりしました

 そして、突然次の言葉を綴る。

わかってあなにいたきもち

 この時、「あな」と書いたあと、「に」をいったんゆびさして、改めてスイッチで選択するというようなこともあった。目の前のTさんの姿と、この重い言葉が、にわかには一致しがたかったが、目の前で繰り広げられている光景は、まぼろしではなかった。
 さらに次の言葉が続く。

このぱそこんほしい
すいっちがほしい
ふしぎですじぶんにもことばがかけることがどうしてわかったの
のぞんでいました
じぶんのきもちをいうことを

 字をどうやって覚えたのかという問にはこう答えが返ってきた。 

がっこうでおぼえました
ひとりでおぼえました

 そして、さらに次のように続く。  

しばたさんといっしょになにかやりたい
なにができるかとてもたのしみです
うれしいです
ねがいがかなったことがふしぎです
かんがえたことがすらすらことばになっていきます
いいきぶんです
おかあさんにつたえてください
ぼくがてではなしができたことを

 ここで、私は、Tさんに、今までまったくわかってあげなかったことを心からわびた。すると、われわれをまったく責めることもなく、つぎのような答えがかえってきた。達観しているというべきか。
 
しかたありませんそんなふうにしかみえないですから

 そこへ、彼を迎えに女性スタッフが入ってきた。すると次のような言葉が彼女に向けて書かれた。

○○○さんきれいですね
けっこんしてください
 
 あまりにもストレートな言葉に、○○○さんも、てれながら、率直に感謝の言葉を返した。

ねがっています
のぞみはすてきなひとといっしょにくらすことです
けっこんしてくれるひとがみつかるまでがんばりたいです

 私たちの青年学級では、いつも夢を大切にしてきた。そんな中で、彼の中にもこんな夢が豊かに育まれてきたのである。
  
よくかけてうれしい
またよろしく

 こう書いて、彼は、とても満足そうに自分のコースに戻っていった。
 帰りのお迎えに来られたお母さんにさっそくこのことを伝えた。すると、今でも家では、よくひらがなの表を見せているそうで、文字を読めることはご存じだった。当たり前のことだが、私たちよりもはるかに彼の力を把握しておられた。そして、このことを心から喜ばれながら、学校に上がる前からの話を、短い時間だったが、聞かせていただいた。就学前から、単語ではよく話をしていたこと、学校にいってから、指さしですませる傾向が増えたことなどなど。
 そんな彼が最近、うまく気持ちが伝えられずに、家で暴れたことの話になった。「穴にいた」彼の中でたまってしまったストレスが、一気に爆発してしまったのかもしえない。これからは、言葉を話すことによって、こうした行き違いもきっと減っていくのではないだろうか。
「もしいらいらするようなことがあったら、どんどん言葉で伝えてください」と彼にお願いしながら、この日はお別れした。
 穴にいた彼が、ようやく穴から抜け出したとても記念すべき一日だった。
2008年11月4日 00時21分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
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2008年11月02日(日)
こみあげてくる悲しみを精一杯しずめて希望に変えて…
 同世代の友の死に際して、二十歳すぎの○○君が綴った。土曜日の埼玉の自主グループでのできごとだ。原文はひらがなだが、適当に漢字をまじえて紹介したい。

くやしいことがありました
友だちが死にました
はやく手をうっていれば間に合ったかもしれない
それが残念です
これまでずっと一緒だったからとても残念です
歳も一緒だからとても悲しいです
なぜ遠くに行ってしまった
おこっても帰ってこないけどせっかく友だちだったのだから遠くからいつも見守ってほしい ずっとずっといつまでも
願いはずっといつまでも子どもの心をなくさないでずっと願いを持ち続けてゆくことです
そうすれば亡くなったたいへんな悲しみはしずまってゆくだろう
こみあげてくる悲しみに精一杯こたえることができたらいいと思う
こみあげてくる悲しみを精一杯しずめて希望に変えていきたいと思う
この悲しみが希望に変わればいいなと考えているけどそれがそばですごしてきたものの使命だと思う
悲しみの中から希望というものが生まれてきたらきっと泣きやむことができるだろう
この文章は涙の中で苦労してきた友だちのおかあさんに見てもらいたくて書いたものです
けっしてうその気持ちではありません
心からの思いです

 悲しみを鎮めて希望に変えていこうと、懸命にもがいている○○君の叫びが聞こえてくるようだった。実際、文書を綴りながら、○○君は、何度も身もだえをするように、全身に力を入れていた。
 死はいつも残酷にやってくる。しかし、みんな生きようとし続けていた。当事者だからこそ、その無念の思いが誰よりもわかるにちがいない。
 
2008年11月2日 00時37分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G埼玉1 |
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2008年10月26日(日)
盲聾の少女と
 都内の研究所で盲聾の○○さんと関わった。担当の先生が所用で来れなかったので代役としてである。学校では、小学校からずっと彼女の学習を担当してきた先生の努力で、すでに2けたの数の足し算の筆算までこなしている。しかし、ここのところ研究所での学習はなかなかうまくいかない。そんな彼女と何を学習するのか。彼女の教育のプロセスは、日本の盲聾教育の未来に深く関わると勝手に考えて毎回横で見ていることにしているので、それなりに、試してみたいことはあった。
 最近の様子から思っていたことは、単語の整理である。指文字や点字を自由に読めるようになった彼女には、これからどんどん単語を増やしていく必要があるが、そのためには、日常生活の流れの中での指文字による単語の受信だけでは限界がある。やはり、あらためて、単語間の関係がカテゴリーなどによって整理された状態で、学ばれる必要があるだろう。
 彼女と学習するのは12月以来のこととなる。12月には、「あなたの名前は何ですか」と大胆に質問したら、リベットの点字できちんと名前を書くということがあった。ようやく発信が生まれ始めた頃で、この質問に彼女が答えられるかどうか、賭けではあったが、子どもはつねに私たちの想定を超えた力を持っているということをいやというほど思い知らされている私は、ある無謀とも言える信頼を持っていた。密かに、これはヘレンケラーの「WARTER」のエピソードにすら匹敵するものだと思って、その瞬間に立ち会えたことを喜びとともに感謝した。それからもうすぐ一年になる。
 6年生だった彼女は様々な葛藤を克服して中学部にあがった。そして、ようやく落ち着いてきた頃に、突然母親の入院という事態にも直面し、しかし、周囲の心配をよそに、立派に留守番をなしとげた。退院した母の顔をずっと笑顔でなでまわしていたという美しいエピソードとともに。
 そうやって着実に進歩している彼女に、簡単すぎるかもしれないが、次のような点字を準備した。
 
あたま・かみのけ・まゆげ・め・はな・ほほ・はな・みみ・くち・は・した・あご・くび
て・かた・うで・ひじ・てくび・てのひら・ゆび・つめ
おやゆび・ひとさしゆび・なかゆび・くすりゆび・こゆび

 体の部分の名前である。このうち大半はすでに彼女は日常生活の中で学校の先生が送り続けた指文字を通して知っているだろう。しかし、これをあえて、いささか細部にこだわりながら並べてみることで、物の名前を生活の文脈から切り離し、いささか対象化したかたちで並べることで、カテゴリー的な名前の把握へと発展する足がかりとしたいと考えたのである。
 実際に取り組んでみると、実に彼女は集中していた。左手で私の指文字を受け点字をさわり、さらに、私の体の対応する部位をさわるということを、どんどん続けていく。それを続けていると、部位によってさわり方を区別していることがわかる。耳は耳たぶをはじくように、まゆげはこするようになど、触覚的に身体部位を区別するということの意味がよく伝わってきた。
 そして、彼女が非常に喜んだのは、歯と舌だった。私の歯や舌をさわると、にやっとして、手をひっこめすかさず手をずぼんでさっとふく。そんな風にしながら、頭部の部位や腕の部位を確かめていった。
 「しばたのみみ」「○○のみみ」といった所有の言い方などにも発展させた。今までになく、私は自分の名前を彼女に発信したことになる。
 残念ながら、彼女自身は、発信をする右手を、いっさい動かさない。数の学習では、どんどん発信されてくる右手は、今日は不動の右手だった。おそらく、名前を受信することに集中していたのだろう。
 あっという間に、時間が過ぎていった。
 こうしたことの積み重ねがいつか彼女の中に豊かな言葉の世界をかたちづくっていくことを願う。 
2008年10月26日 21時46分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 研究所 |
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りかいしてみせます
 歩くこともでき、日常生活の動作もかなり自分でこなせるけれども、限られた言葉しか発声できない○○君に、2スイッチワープロを試みて、数ヶ月が過ぎた。もっと体の動きに困難を感じている方々に行っている援助をすれば、すらすらと文章を綴れるのだが、彼は、前に、自分でやれるようになりたいときっぱりと宣言しているので、今、私の課題はどうやったら彼が独力でワープロを操作できるようにしてあげられるかということである。
 彼の運動をめぐる困難は、2スイッチワープロをやってみて、初めて明らかになった。スライドスイッチやプッシュスイッチを一回だけオンオフするだけだったら、それほど困難はない。しかし、繰り返しリズミカルにそれを行い、しかもあるタイミングでもう一つのスイッチをオンするとなると、急に大変になる。
 楽なスイッチを探すのはこれからだが、2スイッチワープロのプログラムを、少し変えてみることにした。行や段を進めて行くスイッチを、これまでは、一回ごとにオンしていたのを、一回オンすると、オフにするまでは行や段が進んで行くようにしたのである。
 思いついてプログラムを改良したのは、前夜のこと。やっつけ仕事もいいところだった。
 ○○君と会うと、さっそくこの改良型の2スイッチワープロを試してみた。すると、少なくとも送るほうのスイッチに関しては、独力でやることができた。残された課題は、決定の方のスイッチの操作をいかに独力でやるかということだが、工夫次第で何とかなりそうに思えた。
 そんなふうにして、彼が、独力で綴った文は、以下のようなものだった。

りかいしてみせます
すてきなひとになりたい
うすいきほ

 ここで、時間も迫ってきたので、たくさん援助する方法で改めて続きを書いてもらった。すると以下のように続いた。

うすいきぼうでもよいから

 もっと先がありそうだったが、やさしい彼は、次の仲間にゆずることの方を大事にした。
 短い言葉の中に、強い意志と、リアルな現実を見すえるまなざしを感じた。
2008年10月26日 01時26分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩2 |
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2008年10月22日(水)
苦しい時にいつも言葉を思い浮かべているのでわかります
 土曜日、新しい中学生の少年と出会った。これまで、お母さんがコミュニケーションの様々な工夫をして、カードの選択などによって、意思表示ができるようになってきたとのことだった。
 表情や視線から、いきなり2スイッチワープロに挑戦したが、難なく使い方をマスターして、綴り始めた。まずは、名前と「おかあさん」から。

○○○(名前)おかあさん


 これまで、いろいろな試みをしてきたお母さんだからこそなのだが、選択課題などの実感では、ひらがなはまだむずかしいのではないかと感じておられたお母さんは、「まだ、文字はこれからゆっくりなんですけど」とおっしゃったので、本人に聞いてみた。その答えは、次のようなもの。

しっていますちいさいときにおかあさんがおしえてくれました

 さらに文章は続く。
 
ねがってきました
おかあさん ずっとわかってました
なかなかきかいがなかった
すいっちがかるくていい
すごくうれしいかんげきです
このすいっがほしいです
ふしぎです だれからもことばがわかるとはおもってもらえなかったのにせんせいはわかったのですか

 多くの方から尋ねられてきた問いだった。私だってわからなかったこと、大勢の障害の重い方々との出会いが私を変えていったことをいつものように、説明した。

すごいね
しんじてもらえてうれしいです

 何とか、お母さんに実感してもらいたかったので、生活へと話題を移し、好きなことは?と質問した。

すきなものはしいでぃをきくことです
くるしいときおんがくをきくときもちがはれます
ねがいはせかいのいろいろなおんがくをきくことです

 お母さんは、首をかしげた。お母さんの理解では、彼の好きなことは電車に乗ることだったからだ。
 彼は、いくつか、発声がある。「いや」「はやく」「はい」などだが、ワープロで文字を綴りながら、時折、「いや」という声がする。とりようによっては、無理強いしているようにも見えかねないので、これも聞いてみた。すると答えは、次のように返ってきた。

こえはこまったときにでます

 確かに、うまく選択できなかったりした時に出ていた。
 そして、さらに気持ちの吐露が続いた。

きもちをうまくあらわしたいとおもいますがなかなかうまくいきません
このすいっちがあればきもちをつたえることができる
とてもできないとおもってきたけどやっとすいっちがみつかってとてもうれしいです

 ここで、「つかれました」と書いたのでいったん終えた。そして、お母さんといろいろなやりとりをしていたのを聞いていたので、もう一度、最後に一言あったらと誘うと、次のような文章が綴られた。

くるしいときにいつもことばをおもいうかべているのでことばはよくわかります
べんきょうしてこなかったけどじぶんでべんきょうしてきたのでわかります

 これまでの努力なさってきた経過があるだけに、お母さんにとってはにわかには信じがたいようだった。ただ、なかなか一つのことを持続しづらいと言われているそうで、1時間以上もスイッチから手を離すことなく集中していたことを、とても驚いておられた。
 次回が、お母さんとのやりとりもとても楽しみだ。
 
2008年10月22日 00時58分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G埼玉1 |
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