ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2009年03月07日(土)
ハート展の日
 午前中、ある学校の訪問教育のお子さんのお宅にうかがい(そのことは改めて紹介したい)、夜の青年学級の会議まで、すっぽりと時間が余った。ともかく電車に乗って、ふと思いついたのは、NHK主催のハート展に行くことだった。私が関わった6年生の女の子の作品が入選して、展示されているからだ。たくさんの作品の中に、彼女の作品もあった。筆談ができるようになって、学校の先生に支えられながら書いた詩だ。

  あしたのこえ
みらい るるる
あしたのことはわからない
るるる るるる
あしたのこえ

 あしたのことはわからないという言葉、長い間、言葉が閉ざされていた時、明日は不安に満ちていたかもしれない。しかし、今、明日は、未知の希望にあふれているのではないか。るるるという言葉に、そんなことを思った。ささやかな一歩だが、彼女が、自分の声を社会に届け、社会に向けて歩み出した記念すべきだ一歩だ。展示されている多くの作品の一つ一つに、作品を見ただけではうかがいしれない、そんなドラマが秘められているのだと思った。
 そして、そのまま、町田に向かった。時計を見ると、まだ、余裕がある。そこで、思い立って、月曜日に手術をするために入院している53歳の青年学級のメンバーのお見舞いに行くことにした。病状は予断を許さないものであると、電話でお母さんからうかがっていた。
 彼、SYさんは、年末にパソコンで言葉を初めて綴った方だ。自分で身のまわりのことはだいたいできる方だが、言葉は少なく、単語だけを話される。行くと、ちょうど、お見舞いに来た授産施設の方々をお母さんと一緒に病院の玄関でお見送りするところだった。私を認めるとにやっと笑ってくださった。そして、そのまま病室におじゃました。お見舞いを買ってくるのを忘れていたので、ハート展の詩画集を彼に渡した。そして、たまたま、スイッチ一式を携えていたので、一度お母さんにも見てもらいたいという思いがあり、パソコンを出した。そして、彼は、次のような文章をさっと書いた。

きてくれてありがとう
うれしい
くるしいげんきになりたい
じぶんのきもちがいえないのですごくこまっています
かあさんしんぱいかけてすみません
ぎせいになってもうしわけありません
きのうかんごふさんがきてすきなおんがくについてきいてくれました
いしのまこがすきですからききたいです
ききたいです
くすりがにがくて
きらいです
がまんしてともかくちいさいころからのんできました

 ここで、流動食の食事が来た。そこで、パソコンをしまう前に、一言あったらと尋ねると、

きいてほしいことはくるしいけどがんばりますということです

 と綴った。そして、食事をする彼の横で、彼の言葉も入った今年度の音楽コースのオリジナル曲を流した。歌詞にしたのは彼の長い文から抜粋した次のような言葉である。

にじをみにいくことです みんなでみにいこう
じぶんでにじをつくりたい
ちいさいねがいだけどたいせつにしよう ちいさいねがいだけどしっかりもっていこう
にんげんだからきもちがあります
きびしいです ことばがはなせないのは
 
 メロディーに合わせた歌詞ではこうなった。

にじをみんなでさがしにいこう じぶんでにじをそらにかけてみたい
やっぱりきびしいはなせないのは にんげんだからあふれるきもちがある
ちいさなねがいたいせつにしよう ちいさなねがいしっかりと

 彼の食事中、思わず、お母さんと昔話に花が咲いた。私より3歳上の彼と出会ったのは、私が23歳の時、それから30年近い時間が流れた。お互い、すっかり年齢を重ねた。そんな話だった。彼の食事も終わり、そろそろおいとまをと思い、最後に、彼に、手を振る方法で、手術について尋ねた。

こわいけどがんばります

 エレベーターまで送ってくださったお母さんは、「かわいそうでね、代われるものなら代わってあげたいわ」とおっしゃった。大正生まれの気丈なお母さんだが、その思いが痛いほど伝わってきた。
 私たちのコースのオリジナルソングの最後に、こんな歌詞がある。

じぶんになにかがあったときは なかまがきっとたすけてくれる

 今、大変な病気と闘っている彼のたすけにいくらかでもなれただろうか。そんなことを思いながら、青年学級のスタッフ会議に向かった。
2009年3月7日 01時25分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年03月03日(火)
青年学級 成果発表会の日 その2
 成果発表会の終了後、トマトハウスで、再び、2人の方の言葉を聞いた。
K.Kさんの言葉を聞くのは2度目。合宿以来になる。発表会のステージの上では、彼の合宿での言葉が、仲間によって朗読された。 
 トマトハウスでは、彼は、次のような思いと、詩を綴った。

ちいさいときからいいたいことがいいたいとおもってきました
いいたくてもうまくいえませんでした
いいたいことがいえたらうれしいです

しろいこいぬがゆきといっしょにやってきた
ちいさいわたしはちいさいねがいをしろいゆきにたくし
じぶんのねがいをきいてくれるきたかぜに
ちいさいわたしのねがいをたのむ
きいてほしいのぞみをひとりしずかにききながら
しろいゆきがふるのをみつめていた
きのうのかなしみはじぶんのねがいをしり
きのうのさびしさはちいさいじぶんのべんきょうができなかったふまんをしっている
きぼうのいいきたかぜはしろいねがいをねがいながらにんげんにきぼうをあたえる
ねがいはちいさなゆきのかけらとなってぶなのはやしにつもった
たのみのつなはきぼうのいいきたかぜだ
みたこともないのぞみをはこび
ぼくにゆうきをくれた
きぼうのきたかぜをまちのぞみながら
ぼくはにんげんとしてきのうのじぶんにわかれをつげ
なやみのないみらいにむかってたびだとう
おわり。

しはいつもかんがえています 
いつもたいせつなことばをじぶんでかんがえています
きいてくれてありがとうございます
じぶんのきもちがきいてもらえてうれしい 
しばたさんはなぜぼくがりかいしていることがわかったの

 トマトハウスでは、E,Kさんの言葉も聞いた。7月に、初めて文字を綴った方だが、12月の合宿の時、階名で歌える歌があったら書いてみてとの求めに、チューリップの歌の階名を書いてくれるということがあったので、その時、自分でメロディを作れたら、作ってみてほしいと頼んでおいた。いくらかやりとりをした後、彼女は、次のような階名を記した。


ソファミファソソファミファレファドドドシラソファラソファソミソファミファソソファミファレミレドシラソファソドララシドレドシドシラソラソソララシレドシドミレドミレソファミファソソファミファソソファミファソレレミファソファミファソララシドレドシドレドシシドー

 いくつかの解釈が可能なので、まだ、はっきりと区切ることができないが、確実に一つの形式を踏んで、音楽ができていることがわかった。そして、その歌詞として、次の詩とその説明が書かれた。


しろいこいぬ しろいゆきを
ふしぎそうにみつめている
しろいゆきはきぼうのしししゃ
ねがいをかなえてそらからふる
ちいさいときからひとりぼっち
みんなみているしろいゆき
みんなをつなぐしろいゆき。

ちいさいころからかんがえてきたうたです ききとってもらえてうれしいです がくふにしてください よろしくおねがいします きいてもらえてうれしい ねがいがかなってうれしいです きぼうがわいてきました きいてもらえてうれしくてなみだがでてきました ふだんなにもわかってもらえないからです いいきもちです ひとりぼっちだからいつもきいてもらえてしあわせです いいきもちです

 そして、さらに、成果発表会で、自分の歌詞の入った歌ができたことについて、こう述べた。 

ねがっていました きもちをいえるようになることを
F.Kさんのかしがすてきでした わたしのかしはぶぶんてきだったのでざんねんですでもかんどうしました きいてみたい いま ちいさいこえでいいからきいてみたい

 この彼女の希望に応えて、このコースのメンバーを中心にして、この歌を合唱した。わかそよコンサートでもぜひ歌いたい曲だ。

 また、彼女は自分の作ったメロディと歌詞に次のような題名をつけた。

しろいきぼう。

 このあと、私はとびたつ会の支援者の松田さんとスイッチの援助を代わった。施設でのことがいろいろと綴られた。少しずつ、スイッチの援助者の輪が広がっていくことが本当に楽しみだ。そして、最後に、こう記して、施設へと帰っていった。

またよろしくおねがいします
きいてくれてかありがとうございます
さようなら
よかった



2009年3月3日 18時14分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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青年学級 成果発表会の日 その1
 成果発表会の合間に、何人かの言葉を聞き取った。

 最初は、朝、つどいの最中に聞いた女性のN.Fさんの文章だ。まず、お母さんの病気の心配のことから始まった。

なかなかかあさんのびょうきがなおらないのでしんぱいです
ねがいはずっとかあさんといっしょにくらせることです
きいてくれてありがとうございます
いいきもちです
いきていきたいで ひとりで
ききたいことがあります
どうしてわたしがはなせるとわかったのですか
かあさんがぐあいがわるくてかなしいです
いいびょういんをさがしてあげたい
(大変ですね。)
たいへん
(質問について、いい呼び方ではないし、間違った呼び方だと思うけれど、N.Fさんたちは、ある呼ばれ方をするでしょう。最初はこの方法は、同じコースのE.KさんやN.Fさんのように車いすの人で話ができない人のために考えたやり方だったのだけど、N.Fさんたちのような人たちも話すことができるのがわかったから、N.Fさんにも、声をかけたんです。)
しっていますじへいしょうのことですか
いいなまえではありません
(今日は成果発表会、がんばってね。)
がんばります
(N.Fさんも詩を作ったことありますか。)
(小さくこっくりとうなづいて)きいてください

いいちいさいわたしは
ちいさいはなとちいさいはなびらのようにいきてきた
きいている いいはなのうたを
きいている いいはなのさくおとを
たくさんのゆめとたくさんのひかりをかかえて
わたしはいきてきた
いのちをしんじながら きぼうをもとめながら
くなんのかべをのりこえながら
きいている あたらしいいのちのこえを
きいている きぼうのかねのおとを
いつかきっとわたしのねがいがかない
にんげんとしてちいさいねがいをもち
いきていくことをねがいながら

じぶんのしです
きいていただけてうれしいです
ねがいをかなえられたらうれしいです
きいてくれてありがとう

 なお、帰りのお迎えに見えたお父さんにこの詩を見せた。この詩の内容に深くうなづきながら、お父さんには、お母さんへの思いをかみしめておられるようだった。同時に、たそして、パソコンを開くと、お父さんの膝にそっと手を乗せて彼女は、こう書いた。

かけてうれしいおとうさん

 朝のつどいのさなか、H.Nさんともパソコンで言葉を交わした。H.Nさんは、かすれたような声で単語を発することがある寡黙なダウン症の方である。

いしをつたえたいにんげんだから
いいにんげんになりたいとおもいます
きいてもらいたいことがある
ひかりとかねがいとかぼくにもやってくるのですか
きびしいですはなせないのは
ひととしてみとめてもらえません
くやしいです にんげんらしくいきていきたいです
ひかりがほしいです
ひかりをもらいたいです
ふつうのにんげんとしていきていきたいです
ふつうのがっこうにいきたかったです
けさもばかにされました
きっさてんにもいきたいです
きいてくれてありがとう。

 10年前ころの数年間、彼は青年学級の帰りに私と喫茶店に行き、チョコパフェを食べて変えることを習慣にしていた。しかし、健康上の問題でカロリー制限が必要となり、いつかその習慣も途絶えていた。そんな思い出がよみがえる。私も、彼を「ばかに」したことはなかったろうか、本当の意味で彼を人間として認めてきただろうか。そんな問いが芽生えては、胸につきささる。
 Y.Hさんは、N.KさんとH.Nさんが語り終えるのをずっと待っていた。すでに時間はあまり残されていなかったが、次のような文章を彼は書いた。

ききたいことがあるじぶんはせいかつりょうにはいけないのですか
ねがいはちいさいときからちいき

 午前中から、彼が入所している施設の職員さんが、私のコースに参加してくださっていたので、お昼休みに彼のことについて話ができた。彼は、生活寮で暮らすための練習を始めることになっているそうだ。次に紹介する私のコースのメンバーであるT.Hさんのパソコンの様子をご覧になりながら、Y.Hさんの話にもなって、彼の内面の声を驚きとともに、受け入れてくださった。午後の発表の中で、彼の言葉は、たっぷりと紹介された。マイクをふられても、どうしても問われた言葉を繰り返さざるをえない彼だが、たくさん語った言葉がステージの上で紹介されていくのを喜びの表情で見ていた。施設の職員の方にも確実に彼の声は届いたはずだ。
 お昼休みの時間に、書いたT.Hさんの文章は、次のようなものだった。彼自身の言葉も入ったコースのオリジナルソングをめぐる感想から始まった。

ちいさなしあわせというかしがよかった 
いいちいさいじぶんというかしをしにいれたかった 
きぼうちいさくささやきながらというかしがすてきでした 
じぶんのしがすてきでした 
にんげんとしてというかしがきにいりました 
いいちいさいじぶんというのをいれたかったです

 そして、横でパソコンを見守っている先ほどの施設の方と、パソコンで次のようなやりとりをした。
 
こんにちわ
(「こんにちわ。」)
しをきいてくださいましたか
(「はい。」)
どうでしたか
(「すてきでした。」) 
うれしいです
ちいさなしあわせというのがいいでしょう
(「そうですね」)
じぶんもだいすきです
(「どんなお仕事をしているのですか。」)
ほうせいというしごとをしています 
(「何を作っているのですか。」)
かばんをつくっています 
(「針はつかいますか}
つかいません みしんのほうせいです 
ちいさいのぞみですがしごとをかえたいとおもっています 
きびしいかもしれませんがきぎょうではたらきたいとおもいます
(「いいところが見つかるといいですね。」)
そうですね しごとがちゃんとしたいです 
ちいさいしょくばならかのうかもしれません 
きいてくださってありがとうございます 
にんげんとしていきていきたいとおもいます 

 ここで再び、自分の気持ちの表現に戻る。

ゆめは×××さんにすきなものをかってあげることです 
ひんがいいものをえらびたいです 
ひんがいいちいさいものがかいたい 
じぶんのいいところをみとめてくれるからです 
にんげんとしていいところをよくみてくれるからです 
にんげんとしてにているところがあるからです
ちいさいちいさいねがいです
きいてくれてありがとうございました
(×××さんについては)ないしょです

 書かれた文章を音読できるということは、よくわかっていたが、会話となるとなかなかスムーズにはいかない彼が、こんなにもなめらかに初対面の方と会話をする姿に、彼にこれまで与えられてきた「自閉症」という呼び名がいったい何なのか、改めて、考えさせられずにはいなかった。
 また、繰り返される「にんげんとして」という言葉は、今回の歌の中に、別の方の言葉として盛り込まれたものだ。彼も、その言葉を気に入ったのだろう。それにしても、この言葉が繰り返されるたびに、胸にズキンと迫るものがあった。 
   
2009年3月3日 12時57分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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青年学級の成果発表会 表現の未来
 平成20年度町田市障がい者青年学級の公民館学級成果発表会が、3月1日、開かれた。今年は、昨年の7月にMさんの言葉をパソコンで表現することかできたことを端緒にて、多くの、言葉を有していないと考えられた重度の車いすの方々や、自閉と呼ばれる障害をかかえた方々、簡単な単語しか発することのできない重度の知的障害のある方と考えられた方々が、パソコンで気持ちを語り、詩を綴った。今回の成果発表会では、それらの成果がふんだんに生かされた。もちろん、この成果発表会は、当事者の言葉や表現をこれまでも大切にしてきたものだから、こうした表現にいちだんと厚みと深みが生まれたということだ。
 単なるコミュニケーションという問題を越えて、一人一人の秘められていた心の世界が仲間やスタッフに共有され、新しい表現としてより高められていく。成果発表会に訪れた人々もまた、それを感動をもって受け入れてくださった。
 5月24日、町田市民ホールで第14回若葉とそよ風のハーモニーコンサートを私たちは開く。今回は、この成果を最大限に生かし、新しい文化の誕生をより多くの人々に訴えたいと思う。
 
2009年3月3日 08時49分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年03月01日(日)
昨日の雪が運んだメッセージ
 関東平野にこの冬初めての本格的な雪が降った。積もるにはいたらなかったが、私はこの3月で引き払うことになっている渋谷キャンパスの16階の研究室の窓から、その雪の乱舞を見ていた。南に育ったので、雪の苦労を知らない私には、雪はただただ胸躍るものだが、今年は、これまでとはちがった別の思いで雪を見ていた。それは、一連の北風や雪の希望の詩を綴ってきた人たちが、どんな思いでこの雪をながめていることだろうという思いがあったからだ。私のうすっぺらな情緒よりも何倍も深い思いで、この雪を眺めている人たちがいるという思いの方が、雪そのものを味わう気持ちよりも数段まさっていた。
 そして、翌日、3名の小学生が、その雪にまつわる美しい言葉を書いてくれた。
 最初は、小学5年生の○○君。

きのうゆきがふってとてもうれしかったです
ねえさんとみたゆきをおもいだしました 
なんねんもまっていました きれいなゆきがふるのを 
きれいなゆきはきたのくにからのおくりものです 
きたのじんせいにつかれたひとたちのきぼうをのせてゆきはふります 
いきることにつかれたひとたちがきぼうをにんげんにあたえるためにふってきます 
きたのくにのひじょうにつかれたひとたちは
はるのくるのをひじょうにまちこがれていてきもちをすませているので 
とてもきれいなこころをしています 
いいこころをもったひとたちのじかんはゆめにあふれています 
じかんがちいさくねがいをつつみこみきぼうにかえてくれるのです 
きぼうはいつもにんげんにとってひつようなものです 
じぶんにとってもきぼうはひつようです 
にんげんだからじぶんのじんせいをちゃんといきていきたいとおもいます 
みたこともないようなすてきなきぼうがわいてきました 
きぼうがわいてきました 
いいじんせいがおくれそうなきがしてきました 
いいじんせいをつかみたいとおもいます 
きのうのゆきにかんしゃしています 
いいゆきでした 
きぼうのゆきでした 
きたのくにのきぼうをもらいました 
ひかりがさしてきました 
はるといっしょにひかりがさしてきました 
きぼうのねがいがかないぼくというそんざいにひかりがさしてきました 
いいちいさくひかるきぼうのそんざいとして
きのうのゆきのようにきれいなこころでいきていきたいとおもいます 
いいちいさいひかるそんざいとしていきていきたいとおもいます 
いいじんせいをおくりたいとおもいます 
いいにんげんになりたいです 
いいにんげんとしていいじんせいをいきていきたいとおもいます 

 なお、冒頭の「ねえさん」とは、

ぼくのあこがれのそんざいでちいさいころからぼくにきぼうをくれるそうぞうじょうのひとです 

 とのことだった。

 次は、同じく小学5年生の◇◇君。また詩を考えてきた?と尋ねると、

かんがえてきました きいてください

と答えて詩を綴った。

きたのくにからふくかぜはいいきぼうをつれてやってくる
しろいゆきをふらせ しろいしろいちいさなきにしろいしろいはなをさかせる
きびしいにんげんにとって きたかぜはきぼうのかぜだ
にんげんにとっていいべんきょうをさせてくれる
きたかぜはきびしさのいみをおしえてくれる
きたからふくかぜは きたのくにでくるしんでいるひとにきぼうをあたえてふいてくる
きたかぜにはきたのくにのひとたちのきぼうのきもちがこもっている
きたかぜをききながらしろいゆきをみつめながら
ぼくははるがくるのをまちこがれている。

 そして、さらに以下のコメントを加えた。

きたかぜはじぶんにとってかんどうてき
にんげんにとってはねがいをかなえてくれるかぜです
ちいさいころからそんなふうにかんがえてきました
いいきもちですしぜんにはまなぶことがたくさんあります
ちいさいときからしぜんがだいすきでした。

 3番目は、小学4年生の☆☆さん。

きいてほしいことがあります 

 と書いてから、美しい詩が綴られた。

きのうきれいなゆきがふりました 
いいねがいのかぜといっしょにやってきました 
きれいなゆきはしろいいいいぬをつれてやってきました
いいしろいゆきはわたしにゆうきをくれました
いいしろいゆきはにんげんにいいきぼうをくれます
いいしろいゆきは いいかぜといっしょにふいてきて きぼうをにんげんにくれました
いいしろいゆきは しらないせかいからのじぶんにむけられためっせーじです
ちいさいころからはなしができず 
ちいさいころからかんがえだけをたいせつにしてきたわたしには
いいちいさいめっせーじです
しろいゆきはじぶんにとって きびしいしれんにかつためのちからをあたえてくれます
かんがえだけをかんがえつづけたわたしにとって ちいさいりそうのめっせーじです
しろいゆきはきたのくにからやってきて
きたのくにのひとびとのくるしみをつたえてくれます
しろいゆきはだからきぼうのきたかぜといっしょにふくのです
ちいさいいいめっせーじはしろいゆきがとどけてくれたたからもの
じぶんにゆうきとちからをくれてじぶんにきぼうをあたえてくれました。

ゆきがふってちいさいころからのことをおもいだしました きいてください

みたこともないきれいなゆきのたんじょうに
わたしはゆめみていた きれいなこころになることを
しらないせかいのちいさなきぼうをちいさなわたしはゆめみながら
きぼうをねがいながらじぶんもいいにんげんになりたいとねがってきました
いいにんげんになるためにひつようなものはいきるきぼうです
ちいさいわたしはにんげんとしていきていくことをねがいながら
きぼうをさがしつづけていきてきた
きぼうはきぼうのくにからやってくる
しろいゆきといっしょにやってくる
しろいいぬといっしょにやってくる
きたのくにからきたのひとびとのくるしさをしずめながらやってくる
きぼうのかぜといっしょにやってくる
きたかぜはだからきぼうのかぜ
じぶんにいきるきぼうをつれてくる。

 そして、ここで、○○君と◇◇君の書いたものを紹介し、さらに、同じような気持ちを書いている人たちの詩がたくさんあることを伝えた。

きたかぜのことをおなじようにかんがえているひとがいるとはおもいませんでした
きたかぜのいみがわかるのはほんとうのくるしさをしっているひとです
きぼうのかぜだとおもうのはほんとうのかなしみをしっているひとです
じぶんにとってたいせつないいかぜでした
いいかぜをかんじながらいきていきたいとおもいます

 自然は、本当に心から目をこらしたり、耳をすましたりすれば、同じ思いを抱いている人たちには、共通のメッセージを送ってくるものなのだろう。雪は、大切な希望のメッセージを送っているらしい。私が、胸をわずかでもときめかせるのは、私にも、雪はいくばくかの希望を与えてくれたからだろう。
2009年3月1日 00時05分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩3 |
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2009年02月26日(木)
ひにひにはるがちかづいてきて…
 この冬、多くの人たちから、北風が希望の風であることを教わった。春の足音が近づくにつれ、私は、今度はどんなメッセージをもらえるのか、楽しみに待ってきた。その最初の春のメッセージをもらった。舞い降りた詩人として紹介してきた小学6年生の女の子である。

ひにひにはるがちかづいてきて
ふゆがしだいにとおざかっていきます
ちいさいころからきっとはるがくることをしんじていたので
うれしいです
きたかぜはきたのくににかえり
またらいねんのふゆまでにんげんのかなしみをききながら
ぬいかけのきじをかんせいさせるために
しずかにときをまつでしょう
ちいさいときからそんなことをかんがえながら
はるをまっていました
しずかなしずかなゆきのひは
すこしきたのくにのかなしみになみだしながら
ちいさくねがいをつむぎながら
にんげんとしてうまれたことをよろこびにかんじたら
ひかれるわしのはねと
ちいさなにんげんのきぼうのちかいを
ゆめみていました
きぼうのきたかぜがさって
ちいさなねがいのじかんがみちてくると
かみさまのよげんのとおり
りそうのはるがずんずんとすすんできます
きぼうのきたかぜののこしていったきぼうが
はなとしてひらき
ひとびとをしあわせにします
きたかぜのきぼうがひらいたとき
にんげんはふゆのきびしさをわすれてしまいますが
ねがいのなかみをちいさいにんげんは
ほんとうにはりかいしてはいません
きぼうのきたかぜがくれたきぼうは
ちいさいにんげんでもじぶんをだいじにとちかう
ほんとうのねがいです
きぼうのいみさえにんげんはしらずに
ひとはいきていくことがだいたいおおいのですが
にんげんはちいさいときからききみみをたてて
ちいさいほんとうのきたかぜのこえをきいていれば
そのことにきづくことができるのです

 かろうじて発せられる音声言語は、これまで、彼女の本当の力を明らかにしてこなかった。そして、見ることについても、文字の区別や一桁の数の区別でも、困難を示していた。ところが、パソコンの2スイッチワープロや援助による筆談を通して、実に、豊かな言語の世界と、算数についても、比例の難しい問題でさえすらすらと解けることがわかってきた。話すことと見ることについて、どうも、私たちが大きく見逃していることがあるらしい。その一端を示す説明を彼女自身からもらった。
 まず、算数の計算の答えを口頭で求めるとできないことについて(この時は、22×3を尋ねて、口頭では答えられず、筆談ではすぐに66と書けた)、

くちでいおうとするとしきがきえてしまってできなくなる
しきがきえる

 文字や文を見ることについては、どうも、速読的な見方ができるようで、次のような説明をしてくれた。

ひとりでよむのはできないけどめくってもらえばわかります
みればわかります
みているといみがわかる
にらむようにするとみえなくなる
なんとなくみたほうがわかる

 注視すると文字が見えなくなってしまうというのである。実に、私は、かつて、彼女に、ひらがなの注視や、タイルの注視を求めてきて、その区別がうまくいっていないと見なしてきたのである。そして、なんとなくみたほうがわかるというのである。このことは、慎重な検討を要するが、最近、援助による筆談をSTAという呼び方で実践されている先生にお会いした時にも、このことが話題になった。彼女でも、そういうことがどうやら起こっているらしい。
 また、これまでのことについて次のようなことも述べた。

きかれるとわからないとこたえてしまっていた
ほんとうはよめていた
ゆうきがなかったからすなおにいえなかった
あなにはいったようなきになっていた
じはよめてもきもちがじしんがなかったからいえなかった
いまはかんがえをいえるようになったからいい

 深い反省を促されるような言葉だった。
 それから、援助による筆談(これは私の姪が彼女に行っている)と2スイッチワープロについても、面白い説明をした。

じぶんのかんがえだからかんたんにかける
のーとはじぶんでかいているかんじがするけれどぱそこんはたにんがかいているようなかんじがする
かんがえはじぶんのものだけど

 運動に伴う努力感のことを上のように表現したものだと思われる。
 ところで、彼女は、これまで6年間を通常学級で過ごしてきたが、中学校からは、特別支援学校に進むことになっている。新しい学校でどのように彼女のことを理解してもらうかはとても大きな問題だが、そのことについて以下のように記した。

じぶんのかんがえをつたえることにくろうしてきたのでちゅうがくではりかいしてもらいたい
きにしてはいません
きもちはりかいしてもらえなくてもかまわないです
かんがえをわかってもらえればいいです
ぱそこんでかいたものをみてもらえばわかります

 新しい学校で、彼女の力が正当に評価されていくことを切に望んでいるところだ。
 
2009年2月26日 12時28分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 家庭訪問 |
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2009年02月25日(水)
愛の苦しみとは…
 いつも深遠な話を語る☆☆君だが、今回は、以前から彼のことを知っている▽▽先生が一緒に立ち会ってくださり、話は、神の愛をめぐる話へと発展していった。(原文はひらがなだが、漢字を入れて記してみる。」)

 光が射してきました。きれいな小さな地の恵みはきっと神さまからの贈り物です。日本中に光が広がることが夢です。
 希望の風が吹いてきました。柴田先生と○○先生(▽▽先生は、○○先生の学校でかつて教えていた。)がなぜ出会うことができたのか。それも神さまの恵みです。
 人間として生まれて素晴らしいことは神さまの恵みを感じることができることです。小さい僕だけど神さまの大きな愛を感じることができて望みをかなえることができました。
 魂の言葉は進んで語れるものではなく、神さまの恵みによってのみ流れ出してくるものです。いい勉強ができました。きっとこれも神さまの恵みだと思います。
 いい願いを信じていきたいと思います。いちばん大切なものはきっと神さまを信じる心で、希望を失わないことです。
 唯一愛だけが信じられるものです。昨日の苦しみは昨日という時間の中に置いてきて、未来という時間の中にあるのは信頼といういちばん自分を支えてくれる愛です。昨日の苦しみはもう過去のものです。
 慈愛に満ちた神さまのまなざしは、希望という唯一の糧を与えてくれました。自分にとって愛こそがすべてです。信頼こそが人を生かしてくれるものです。
 希望という光をしっかり抱きながら、希望空に思い描きながら、このきれいな扉をあけて、いい未来に向かって上を見つめながら、苦しみは昨日のものとして、明るい夢を見ながら歩いていこう。
 希望の未来を光としながら、愛をくださった神さまに感謝して生きて、いい人生を送りたいと思います。
 愛の苦しみをまだ知りませんが、きっとそれも信頼によって乗り越えてゆけることでしょう。愛の苦しみとは愛する人が苦しみの中にあることだと思うのですが、それでいいのでしょうか、▽▽先生。
(▽▽先生の言葉を受けて)
 愛することが残酷な気持ちを生むということは気がつきませんでした。愛というのは、自分のものにしようという気持ちを濾過したものだと思っていましたから。
 ありがとうございました。いい話ができて良かったと思います。愛というものに段階があることが知れて、勉強になりました。
 今日はとてもうれしいです。いい時間でした。いい一日でした。ありがとうございます。また来てください、きっと。いろいろ教えてください。よろしくお願いします。
2009年2月25日 00時16分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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くつがえされたほうせきばこのようにひかりかがやくことを…
 小2の○○君は、いったん書いた言葉を何度も消しては書き直すということを繰り返して、次の文章を綴った。

にんげんとしていきていきたいというかんがえを
ちいさいときからもっていました
きもちをうまくつたえられるようになったらいいなとおもってきました
きっといえるようになったらいいなとねがってきました
じぶんのきもちをつたえたいとおもってきました
にんげんとしてきもちをつたえられたらいいなとのぞんできました
ちいさいころからきぼうをだいじにいきてきましたが
ひとりのせかいでなやんできました
きぼうをつかもうとしてきて
きのうまでずっとたたかってきましたが
きょうしょうりすることができました
あすのねがいがかなえられ
せかいがえのようにうつくしくかおり
くつがえされたほうせきばこのようにひかりかがやくことを
こころからまちのぞみます

「世界が絵のように美し香る」という表現も、「覆された宝石箱のように光り輝く」という表現も、いったん書いた言葉を消して、一生懸命考えて選ばれた言葉だ。最後の「心から待ち望みます」という表現は、5分以上の長考の末に綴られたものだ。一つ一つの言葉をこんなにも大切にしながら生きているのかと驚かされるとともに、小学校2年生であるということをすっかり忘れさせる、そんなひとときだった。
 
2009年2月25日 00時11分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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きらいなのは…ちのうがかけているといわれることです
 小学校2年の少年の手を手をとって軽く振りながら、「あかさたな」と聞いていく方法で会話が成立したので、希望を聞くとパソコンがやりたいという。そこでさっそく挑戦してみると、あふれんばかりの思いが吹き出してきた。

くやしかった
きもちがいいたいとおもってきました
ちいさいときからいつもゆめみていました
りかいすることはできてもはなせないのでくやしいです
いいたいことがいえたらうれしい
じぶんのきもちがいいたいといつもおもってきました
じぶんのつよいきもちをつたえたかった
きいてくれてありがとうございます
ちいさいときからのぞんでいました
きぼうがでてきました
これでいいたいことがいえます
みんなもはなせるとおもいます
ずっとおもってきました
さかんになってほしいこのやりかたが
このほうほうはむずかしいのですか
みんなもかんがえていることがあるのでほうほうをつたえてほしい

 そして、厳しい言葉が続く。

きらいなのはからだがうごかないだけなのにちのうがかけているといわれることです
きいてぜんぶりかいできているのにりかいできてないとおもわれることです
くやしいです

 私たちの社会の罪深い誤ちを、いつ、白日のもとに明らかにできるのだろうか。そして、方法について尋ねてきた。

ふしぎですかんがえただけでかけていきます
どうしてですか

 説明をすると、的確な答えが返ってきた。

わかりました
ここだとおもっています
おとです
わかりました
いいきもちです

 耳に集中していて、行や文字の音が聞こえると「ここだ」と思うと力が体にわずかながら体に力が入り、その力を私が読み取っているので、印象としては、「かんがえただけでかけていく」ということになるのだろう。 
 そして詩について問いかけると

つくっています

という返事。そして以下の詩が書かれた。

ちいさくねがいをもって
きれいなこころでいきていこう
ねがいはちいさくても
きぼうはちいさくても
じぶんのちいさなゆめをたいせつにしていこう
みらいはおおきくひらけている
ちいさいねがいをたいせつにしながら
じぶんのじんせいをいきていこう
ひとのしらないじぶんのすばらしさをたいせつにしていこう
ちいさいねがいだけど
ぼくのたいせつなゆめ
しずかにしずかにあたためていこう
じぶんのじんせいだから
きっとちいさいちいさいそんざいでも
きちんとしたじんせいになるはずだ
ずっとふつうのこどもになりたいとおもってきたけど
きびしいようなのでじぶんのことをみとめていきていきたい
じぶんのことをしんじていこう

 途中、スイッチを操作する手を引っ込めたり、空いている方の手をパソコンのキーボードに出したりする。もしそれをある意図の発露としてみると、いやがっていたりいたずらをしたいというふうに見える。そのことを問題にすると、彼は、こう書いた。

まだつずけます
てはかってにうごくだけです
きもちとはかんけいありません
ぼくはただがんばっているだけです
ちいさいときからいつもないていました きもちをつたえられないで
じぶんのきもちがつたえたかった
いいたいことがいいたかった
いいじぶんになりたかった
じぶんをみとめてもらいたかった
きぼうのかなえられるじんせいをおくりたい
すばらしいじんせいがおくりたい
きいてくれてありがとう
いいいちにちになりました
おわります
つかれたけどいいきもちです
おしまい

  
2009年2月25日 00時01分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年02月22日(日)
きっとじぶんもさべつをしてきた
 数年にわたって通い続けた通所施設にお別れをすることになった日。文字盤や手の合図でコミュニケーションのとれる○○さんと、2スイッチワープロでゆっくりと会話できた。

いいすいっちですね ほしいです ひとりではむずかしいの
ねがいはじぶんひとりでやれるようになることです
ちいさいときからのゆめでした
きぼうがでてきました
じのべんきょうはちいさいときにしたのですが あとはふつうのがっこうにいけなかったのでべんきょうしていませんでしたから あまりむずかしいかんじはわからないけど だいたいのかんじはしっています

 彼は、そのコミュニケーションの力によって障害は運動障害のみであると思われてきた人だが、勉強が十分にさせてもらえたわけではなさそうで、その無念の思いが伝わってくる。彼は、また、たくましい方で電動車いすで自在に行動している。そんな彼が次のような思いをしながら町中を移動しているとはなかなか気づきにくいことかもしれない。

きいてもらいたいことがある
きのうきんじょでちいさいこどもをつれたおとなにばかにされて くやしいきぶんになりました
きんじょのひとはみんなやさしいけど しらないひとはみんなつめたい 
きんじょのひとたちとはうまくいっているけどくやしい 
たたかってきたけどしらないひとはさべつてきです
さべつはとてもなくならない

 そして、差別という言葉から、次のように話題が切り替わっていく。

きっとじぶんもさべつをしてきた
しょうがいのおもいなかまをりかいしてこなかった
いしがあるとはおもわなかった
ちいさいうちはりかいしていたけど だんだんそまってしまった
きたないこころになってしまったのがかなしい
さべつしてしまってもうしわけない
じぶんもしょうがいしゃなのにはずかしい
(○○さんを差別した人とはちがうのではないですか?)
ちがわないとおもう
きちんとあやまりたいとおもう
さべつてきだったじぶんをかえていきたいとおもう

 この通所施設で、私たち夫婦は、多くの重度といわれる人たちの言葉の存在に気づかされてきた。それを見ていた彼が、率直に述べた言葉である。私もまた、差別してきたということを重く受け止めなければと思った。
 この通所施設での関わり合いには、一区切りがこれでつく。障害の重い人や自閉と呼ばれる人たちの言葉の存在を明らかにしてきたとはいえ、その方法を必ずしも伝え切れているわけではない。関わり合いがとぎれることで、その方々は、再び、表現の機会を失うことになるかもしれない。それを思うと後ろ髪を引かれる思いだが、また、いつか再会する日もあることだろう。そして、○○さんが、きっと彼らのことをきちんと代弁してくれることだろう。
2009年2月22日 14時36分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 通所施設 |
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しばたしわしわ 
つるつる、すべすべ、ざらざらなどの感触を学習の中に取り入れている○○さんは、いきなり、手をとって「あかさたな」と聞いていく方法で、「しばたしわしわ」と綴った。
 そして、パソコンを出してみると、同じ言葉を書いてから、以下のような文章を綴った。

しばたしわしわ
ちいさいころにぶんをやりたかった
ねがいわはなせるようになることです
きいてくれてうれしい
くやしいちいさいころからはなせなくて
しばたふしぎ
ちいさいときからはなしたかった
きもちいいきいてくれてありがとう
ちいさいころからはなしたかった
きもちいい
ちいさいときからおかあさ

 彼女は、視覚障害のある方で、高等部の重複障害学級に所属している。小さいときからの話したい思いがいやというほど伝わってくる。
2009年2月22日 01時55分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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しみわたるきゃらめるのあまさ
 ある特別支援学校で、出会ったお子さんに、まず、「あかさたな」と聞いていく方法で話をした。そして、そのままパソコンに移っていいった。

このほうほうはだれがかんがえたの
かんたんです

 ここで、詩を作ったことはないかと尋ねると、すっと、詩を綴ってくれた。

しみわたるきゃらめるのあまさ
くきょうのつづくぼくのじんせいのなかで
さいこうのあじだった
いつか
つぶくらいのぼくというそんざいが
ぬいぐるみのいのちとしてではなく
いちにんまえのいのちとして
せかいになにか
ちいさくてもいいあじわいを
もたらすことができたらいい

おしまい

 彼は、最近、今流行の生キャラメルを食べたという。そしてそれが詩を生み出した。私は、そんなできごとを知らないから、このキャラメルという言葉が、期せずしてこの言葉が紛れもなく彼のものであることを証明することになった。日常の何気ないキャラメルの味ひとつから、世界を考える想像力の飛翔にただただおそれいるばかりだった。
 そして、さらにこう続く。

きもちをしずめるためです
のぞみがかなってうれしいです
またあいたいです
ちかくにすんでいるのですか
しっています
さっかーのちーむがあります
ずっとはなしがしたかったのでうれしかったです
ちかくにきたらよってください
さようなら
ありがとうございました

 たまたま、お母さん、学校の先生、訪問看護の方など、多くの方が見守る中で関わりが過ぎていった。初めて表現された彼の心の声を、みんな息をのむようにして、そして、時おり、涙を流しながら、聞いてくださった。
 浦和には、サッカーチームがあることまで知っていた少年の心は、きっと大きく世界に開かれているにちがいない。
2009年2月22日 01時44分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年02月17日(火)
青年学級にて 2月15日 作られた詩から
 青年学級では、今回もたくさんの人がパソコンで気持ちを表現した。その中から、詩として表現されたものを紹介したい。
 まず、自閉と言われて施設で暮らすH.Yさん。彼は、言葉を口にすることの少ない人だ。

しろいきたかぜしろいゆきをつれてやってきた
ひとりぼっちのこのぼくに
しろいきたかぜちいさいぼくにしろいゆきをくれ
さびしさのじかんをわすれさせてくれた
いいしろいきたかぜはきっとことしもふくだろう
しろいゆきをふらせてぼくのさびしさをわすれさせてくれるだろう
きたかぜをまちながらきたにむかってぼくはさけぶ
きたかぜにむかってぼくはいのる
いいきたかぜいいひとにしてくれと
いいひととめぐりあわせてくれと
いいじかんがながれ
いいじかんがながれさり
きたかぜはゆめのようにきえたが
ぼくのこころにはみたこともないようなねがいのじかんがのこされた
かんしゃしようきたかぜに
かんしゃしようゆきに
みたこともないじかんをたいせつにしていきたいとおもう
いいじかんをちいさ

 最後は、ちょっと時間がなくなってしまった。
 次は、いつも、明るく大きな声で歌うK.Nさん。彼は、今回が初めての挑戦だった。先に語られた言葉とともに、詩を紹介する。

うれしいにんげんとしていきて 
いきていきたいのできもちをつたえたい
ちいさいころからのゆめでした
ちいさいときからのねがいでした
ちいさいときからほんとうはわかっていた
ちいさいときからきもちがつたえたかった
いいきもちです 
いいたいことがいえてうれしい
ほんとうはきたくしたいけどしかたありません
かあさんにめいわくをかけてしまうから
ないしょにしておきます
きもちがいえてうれしい
きもちがつたえたかった
だれかにつたえてね
ちいさいときからいいたいことがいいたかった
いいたいことがいいたかった
つきあってほしいのは×××さんです
つたえたい
じぶんのきもちがいえたらうれしいとおもってきました
いえてうれしい
きいてほしいことがあります
ちいさいときからじぶんのきもちをつたえたかったのでじぶんをつたえられてうれしい
じをおぼえたのはにねんせいのときです
じをおぼえてもかけなくてくやしかった
いいいちにちになりました
いいじかんです
なかなかりかいしてもらえません
ざんねんです
ちいさいころからのゆめでした

くるしいきもちがきえないときは
そらをみあげてみよう
にんげんだからつらいきもちにまけそうになるけど
きぼうをすてずにいこう
きぼうのきたかぜはきっときたからふくだろう
にんげんとしてうまれてのぞみをすてずにいきていきたい
にんげんとしてきぼうちいさくかかげながらいきたい
ひとそれぞれのいいところをたいせつにしていこう
ちいさいなねがいでももちつずけていこう
しろくかがやくねがいだけをたいせつにしながら。

 次は、ふつうに会話をするS.Nさん。自分からパソコンで詩を書くと言ってきた。

しをつくったのできいてください

かわいいたけのしげるみどりのはやしに
みようとしてもみえないみどりのかわいいふしぎなこどもが
もがきながらすいこまれていった
きいたこともないようなこえをだしながら
かわいいあんでるせんのひととゆめをみながら
いいにんげんになろうとしてた
もとのじぶんのすがたをそうぞうしながら
やさしいかぜがふいてきて
においのきれいなかぜになって
いちばんにおいのいいにんげんをあこがれながら
ながいさすらいのたびにさそわれて
いいちいさいわたしをゆめみながら。

 次の方は、いろいろ言葉は話すことができるH.Sさん。口にする言葉は、定型にはまっているが、書くことはまた別だった。彼からは、以前、すてきな犬の絵を見せてもらったことがある。もう亡くなった犬のことだ。その詩を作っていないかと尋ねると、作っていると言って聞かせてくれた。

しろいしっぽのころがしんできれいなはながさいた
いまごろころはてんごくできっと
きれいなはなにかこまれているだろう
ひかりのなかをかけまわっているだろう
いいかぜにふかれていることだろう
しろいふさふさしたにおいのしずかないきです
べてをいろどるだろう
しろいいろはねがいのいろ
きぼうをちいさくつむぐいろだ
ひかりのいろだ
しろいいろのきぼうをきいて
ぼくにいいきぼうをあたえてくれるだろう。

 最後は、車いすのK.Hさん。場所は、居酒屋である。

にんげんとしていきていきたいとおもうきもちはおなじです
にんげんなのできもちがあります
にんげんとしてきもちをきいてもらいたいです

あたらしいさけびをきいてください
ちいさいちいさいねがいのはながきれいにいいはなをさかせ
きれいにきれいにきもちをかえる
いいちいさいわたしはじぶんのいのちをさかせるために
いのりをささげる
きぼうのじかんがすぎていき
ちいさいじぶんのひとりのゆめが
しずかにしずかに
においのいいちいさいねがいのはなをさかせる
きりがなくちいさいきぼうでもじぶんのたいせつなもの
にんげんとしてのさびしさをなみだのうみにしずめ
じぶんのなみだをたいせつにききとり
いいねがいをかたりながら
さびしいねむりを
えられないようなよろこびであかるくそめる
あかるいよろこびはちいさいじぶんのなみだのおかげ
ちいさいじぶんのかちとったゆめのあかし
ぬいぐるみといえるようなあかるくないちうさなじぶんのかこのくるしみをこえて
あしたにむかってちいさくひらく
びろうどのようないいはなだ
いいじぶんがすくないちゃんすをものにして
かちとったかんどうてきなすがただ

 多くの人がいろいろな形で言葉を奪われてきたということに慄然とする思いがする。
2009年2月17日 23時49分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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きぼうがわずかにでものこっていればにんげんはいきていける
 事故で体の自由を奪われてしまって1年半ほどの時間が経過した○○君と再会した。今回は、担任の先生の希望で、数の問題と目の見え方の問題を尋ねてみるところから始まったが、あらかじめ書くことを用意していたのだろう、私たちの問いとは別に、次のようなしみじみとした文章を最初から綴った。

じっとしているといるととおいむかしのことをおもいだします
きおくにのこっているのはちいさいころのおもいでです
いまでもあざやかによみがえってきます
いいおもいでばかりです
すてきなのぞみをたくさんもっていましたけど
きぼうはかなわなかったけれど
ふしぎといいおもいです
きぼうがとぎれてしまってもきぼうがわずかにでものこっていれば
きっとにんげんはいきていけるのでしょう
たとえびさいなきぼうでも
きっとちからをあたえてくれるのではないでしょうか
きぼうのみちをあるいて
いいじんせいをいきていきたいとおもいます
きっといいじんせいがおくれれるとおもいます

 ぎりぎりの状況を引き受けて生きようとする少年の魂の底からの言葉だった。
 そして、次のような感想をはさんだ後に、私たちの質問への答えが書かれた。

いいきもちです
いいたいことがきちんといえてすばらしいほうほうですね このほうほうは
きゅうにすうがくのことをきかれたのでいまはうまくこたえることがむずかしいですがだいたいのことはわかります
ただみることができないのでこまっています
きごうをつかったすうがくはまだなれずにおわってしまってしまったのでよくわかりません
かんがえかたがしりたいです
ちいさいころからさんすうはとくいだったのでやりたいです
めはよくみえませんがちかくのものならすこしはみえます
じっとみつめることができません
いつもせんせいがみせてくださるちいさなもじはみえませんが
きれいなえはみえます
きっときれいなえのほうがみやすいのでしょう
きっともじはみつめなければいけないからだとおもいもいます
かおならわかります
じっとみつめるひつようのないものはちかくならわかります

 非情に的確な答えをくれた。特に見え方については、以前の見え方を知っているだけに、現在の状況の説明が非常にわかりやすい。生まれつきの障害の方の場合は、両方の見え方を知っているわけではないので、なかなか私たちがどう見えているかを理解しづらいのとは対照的だ。これまで、おそらくこういうことなのだろうということの明確な答えがここにあった。
 この後、手をとってア行から聞いていう方法を紹介し、その方法で、自分がわかる範囲でいちばんむずかしいような計算の式を作ってもらい、自分で答えてもらった。効き方は、「1、2、3、4、5、6、7、8、9、0、記号」と聞いて、記号が選ばれたら、「+、−、×、÷、分数の線、小数点」と聞いて選んでもらった。そして、書かれた式は、3/8÷1/5=15/8 であった。彼の論理的思考の力が失われていないことも改めて明らかになった。
 そして、手での会話しながら、君の言葉はきっと仲間を励ますだろうし、少しずつだけど他の人たちのところに届けているということを伝えると、「ともだちにきいてもらえるとうれしい」というようなことをいい、ともだちとは、以前からの友だちとまだ会ったことがないけれど同じような状況にある人たちということだった。
 ベッドの周辺に限られた彼の世界だが、言葉は、もっともっと彼の世界を広げていくことだろう。
2009年2月17日 13時04分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
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2009年02月13日(金)
あさひにはえるきくのすがたをみるととてもいいきもちになる
 学校で一度、短い時間をお会いして、パソコンと手をとって「あかさたな…」と聞いていく方法とで表現できることがわかった高校生の女性のお宅を訪問した。
 お母さんは、17年間の思いを聞きたいとたくさん、質問を用意しておられた。彼女の答えの文章は1400文字を越える長い長いものになった。
 彼女の文章からにじみ出てくるのは、とても控えめな慎み深さと、家族への感謝の思い。ところどころ抜粋しながら紹介したい。

またあえてうれしいです
いいたいことがいえていいきぶんです
(食事についての問いに対して)
しょくじはたりています
ちいさいときからじぶんでたべたいとおもっていましたがむつかしいとあきらめていました
ちいさいときからきもちをつたえたかったのでとてもうれしいです
いいたいことがいえてとてもしあわせです
(気持ちの表現をくみとろうとするお母さんの努力について)
じぶんのきもちをつたえられなくていつもこまっています
いいたいことすべてをきいてほしいとおもうけどそこまでもとめてはわるいからかあさんあまりむりをしなくていいよ
かあさんにもじぶんのやりたいことをしてほしい
かあさんにもかあさんのじんせいがありますからかあさんのくろうをかんがえるといいちかいをしなければいけません
(お父さんからの日曜日の過ごし方についての問いに対して)
にちようびはきゅうけいできればじゅうぶんです
たのみがあります
かわいいきくのはなをそだててみたいです
きくのはながだいすきです
はなはだいすきですが みるのがたいへんでわらうことができません
ばらのはなもだいすきですが なんとなくきくのほうがすきです
ちいさいころからきくのはながすきでした
あさひにはえるきくのすがたをみるととてもいいきもちになります
あささむいときは きくのはなもさむそうにしていて
あさくもっていると きくのこころもくもっているようにみえます
(特にこうしてもらいたいということはという問いに対して)
いつもかんしゃしているのでべつにありません
(おばあちゃんがなくなったことに関して)
おばあちゃんがなくなったことはしっています
じっかからでんわがあったときにわかりました
いいおばあちゃんだったからざんねんでした
ちいさいころからいつもかわいがってくれたのでとてもかなしかったです
いいおもいでがたくさんあります
さびしいですあえなくなって
あきらめきれません
いつもおもいだしています
じかんがたてばわすれらるかもしれませんがわすれたくないです
いいおもいでにできたらいいなとおもいます
きっといつかいいおもいでになるとおもいます
いつかいいほんとうのおもいでになったらいつかおばあちゃんのおはかにおまいりしたいとおもいます

ねがいはみんなとはなしができるようになることですがあまりむりをしないでほしいとおもいます
いいかげんかもしれないけどしあわせですからあまりそんなにようきゅうはしたくありません
あいしてくれればじゅうぶんです
いいかぞくにかこまれてしあわせです
(水泳教室で手を伸ばすことをめぐって)
てをのばすのはたいへんです
からだにちからがはいってしまうのでにんげんとしていきていきたいとおもいますので
すいえいのことはこれいじょうようきゅうしないでください
ひとそれぞれだからかまわないとおもいます
すいえいはすきです
いきたいです
みずのなかだとからだがらくです
にんげんとしていきていきたいだけです
にんげんとしていいじんせいがおくれたらいいとおもいます
(本を読んでもらうことについて)
ほんはだいすきですがよんでもらわなければいけないのでもうしわけありません
ひまだったらおねがいします
れんあいものがいいです
(さんぽについて)
おさんぽは はながみられるところがいいです
はなをみてるときもちがゆたかになります
ちいさいときからすきでした
きっといつかはなのようなひとになりたいとおもっていました
(手をとって話すやり方で話していると)
本当の事を言うと、のほほんと生きていければいいと思うので、柴田先生のやり方をお母さんができなくてもかまわないです。
いいやり方なので、愛してくれる人が現れたら、やってもらう。
大丈夫。(ここはお母さんによるメモ)
(好きな人はいるのという問いに対して)
いました
きいてもないしょです
ひみつです

 終始和やかな空気の中で、しかし、はっとするほど大人の気持ちがさりげなく表現された。
 人間として生きていくということの中に、たくましく、自分の障害をめぐる状況を、きちんと受け止めていることもうかがえる。
 心が洗われるような、すてきなひとときだった。
  
2009年2月13日 23時27分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年02月12日(木)
二人の女性の詩を交えたやりとりから
 社会人の女性○○さんと、2度目の再会。昨年の11月に初めて会った。最初に、手だけで話す方法でいろいろと話し、お母さんにも代わってもらったりした。そんな中で、スイッチとソフトをさしあげてから、ずいぶんとおうちで努力なさったらしいが、なかなかうまくいかず、彼女にため息をつかれ、あきれられてしまうという話になり、彼女にため息の真意を尋ねてみた。すると、パソコンで、

かあさんががんばっているのにできなくてとてもすまないというきもちです
よくやってくれてかんしゃしています
がんばっているかあさんにたいしていつももうしわけないきもちでいっぱいです

 という答え。お互いの深い深い気遣いは、時々、こういうすれ違いを生んでしまう。美しいすれ違いだが、お母さんはずいぶん気持ちが大変だったご様子だった。しかし、この言葉にお母さんも救われたようなご様子。さっそく彼女のほほを両手ではさみこんでおられた。
 そして、詩の話をしてみた。

つくっています
(書いてもらえますか?)はい

 そして次の詩が書かれた。

みたことのないけしきがわたしのまえにひろがって
ゆきがひとひらおちてくる
きたかぜがやさしくわたしをつつみ
ねがいどおりにしろいせかいがひろがる
いいねがいをたずさえて
しろいゆきがきたかぜにのってふってくる
きたかぜはくるしみにつかれたひとたちの
ほんとうのきぼうをしっている
きたかぜはきぼうのかぜ
ひとりぼっちのわたしの
きぼうのよりかかるやすらぎのかぜ
ちいさいころからことばをはなせなかったわたしが
べつのゆめをもとうとしてくるしんできたことをしっている
いいかぜがふいてねがいがかない
ちいさないいちかいをたて
わたしはあたらしいじぶんにうまれかわる
きのうのくるしみはあしたのきぼうにかわり
じぶんというそんざいにめざめた

 ここで、私は、多くの同じ立場の仲間が、希望と北風を結びつけた詩を書いていると話すと、

きたかぜのいみをわかるのはほんとうのくるしみをしっているひとです
わかっているともだちがいてうれしいです

 と返事が返ってきた。
 こうした詩のやりとりの最中に次の◇◇さんがお見えになった。現在、高校1年生の女性だ。初めての方だが、○○さんの幼いころからの知り合いだという。5つほど年齢が違うようだ。おそらく確実に聞いているはずと考えたので、詩を改めて読み上げ、さらに、○○さんの手を取って、◇◇さんへのメッセージをお願いした。すると、「きっとはなせるようになるからあきらめないでがんばって」というような言葉を贈ってくれた。
 そして、そこで◇◇さんにバトンタッチして、まず、手をとって話す方法に挑戦すると、さっそく素敵な詩だというような言葉が返ってくる。しばらく、○○さんとその方法でやりとりした後、改めて、パソコンに移った。

いいたいことがいえたらいいとおもってきました
きもちをいいたかった きぼうがわいてきました
きぼうのきたかぜのことはよくわかります
くるしみをしっているひとにだけきたかぜはやさしくふきます
きたかぜはきたのくににねむるかなしみをあつめてふいてかなしみをしずめてくれます
きたかぜはだからきぼうのかぜです

 そして、自分も詩を作っているということで、次のような言葉と詩が続いた。

きいてください

きのうのかなしみはきょうのよろこび
しらないちいさならんぷがともるように
わたしのこころにきぼうがともる
きぼうのともったらんぷをたかくかかげて
めのまえのくるしみをあかるくてらそう
そうかんがえるとしあわせがみえてくる
ちいさなあかりでもきぼうのあかり
たとえゆうだちがきてもきえることはない
ねがいはきっとかない
ゆめはきっとげんじつになる
くるしみのむこうにいいしあわせがひかっている
いいしあわせにむかってとびたとう

 この詩を聞いた○○さんも、◇◇さんが、言葉で気持ちを表現できたことを、心から喜び、また、この詩についても、とても素敵な詩と感想を述べ、ここで帰路についた。
 そして、◇◇さんの文章は、さらに続く。

ねがいがかなってうれしいです きぼうがかなってうれしいです じぶんでひとりぐらしがしたい ちいさいころからのゆめでした きぼうはけっこんすることですがむずかしいかもしれません いちばんいいとおもうのはすてきなひとにであえることです いいひとにであいたいとおもいます ちいさいころにかあさんがえほんでおしえてくれました いつもねがっていました じできもちをつたえたいとりかいがえられてうれしい 

ちいさいときからのゆめでした
ちいさいときにはいつかはなせるようになるとおもっていましたが きっともうだめかとあきらめていました でもはなせることがわかってかんげきしています 

ありがとうございました またよろしくおねがいします

 高校1年生の彼女は、もう、しっかりと大人になることを考えながら生きている。そして、その中には、もう、自分は話せることはないかもしれないという思いも含まれていた。
 私のような人間が、一人の人間の生きる希望に関わるということはとても大それたことだ。今、そういう関わり合いの中に自分が身を置かせていただいていることに、不思議な感謝の念を抱く。その感謝は、きっと、これまで出会ってきた障害の重い多くの人々と、今まさに出会っている目の前の人に向けるべきものであろう。
2009年2月12日 17時06分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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とおいくにのかなしみをあいしながら…
 高校2年生の☆☆さんは、まず、こんな悩みから始まった。

なやんでいることがあります 
ちいさいものですがきになっています 
じぶんでくらしていくためにはどんなふうにすればいいのでしょうか 
ちいさいときはりょうしんといっしょがいいとおもってきましたが
だんだんせいちょうするにつれて
じぶんひとりでいきていきたいとおもうようになってきました 
くらしていくにはどうすればいいのでしょうか
 
 この問いを受けて、まず、「重度の身体障害があって一人暮らしをしている人の

ことをテレビで見たり実際に会ったりしたことはありますか。」と問いかけた。その答え

は、

しっています あったことがあります 

 とのこと。そこで、今、やっている介助は、通訳だと考えることができるということと、

もし、いろいろな人が手をとって「ア行、カ行…」と聞いていく方法で簡単に気持ち

をきけるようになったら、そういう人と同じ立場に立てるのではないかということを伝え

、今はまだ、理解者が少なくてむずかしいけれど、必ず世の中は変わるだろうし、そ

のときは、一人暮らしも可能になるのではないかと語りかけた。すると、

きいてよかった きぼうがわいてきました 
いそぐつもりはありませんがいつかじつげんしたらうれしいです 
にんげんとしていきていきたいとおもいますが なかなかひとりでいいたいことがいえ

ないのでこまっています 
いのっています いつも
ぎんせかいのようにすてきなせかいがくることを 

 と答えが返ってきた。前の時も詩を書いてくれた☆☆さんならではの、美しい表

現だった。そこで、詩を書いてくれますかと聞くと、

きいてほしいですがしんじてもらえないのはかなしいです

 という答えが返ってきた。とてもすばらしい詩だったのだが、必ずしも、みんなに喜

んでもらったというわけではないようだった。それでも、いろいろと語りかけると、

きいてください

 と改めて述べて、次の詩を綴った。


いつもわたしはきいている
ちいさいときずっとくるしんでいたころに
がいこくのきれいなうたをきいて
こころがやすらいだときのうしなわれたこえを

ちいさいころにきいていたがいこくのうたは
かなしいいのりにみちていた
みたこともないとおいくにのかなしみをあいしながら
やさしいねがいをいつもみつづけていた
きっといつかねがいがかない
きれいなこころでちいさいころをおもいだせるひがくることを

いつもいのっていた 
きれいなこころをうしなわないことを
いつもきぼうがくなんにみちたじんせいをかえてくれることを
いつもねがってきた
じぶんのきもちがいえるようになることを
いつもゆめみていた
にんげんとしてきもちがそんちょうされるひがくることを

いしをもったにんげんだから
きいてもらいたい じぶんのきもち
きいてもらいたい くやしいきもち

いいかぜがふいてきて 
わたしのねがいがとつぜんかなった
いいかぜがふいてきて 
わたしのだいじなゆめがかなえられた

かこのくなんはかこのものとして
いいかぜをかんじながら
いいじんせいをいきていきたい

きのうのかなしみはあしたというひのきぼうにかえて
いいいちにちをきょうもいきられたことにかんしゃしながら
いいねがいをたいせつにして
きぼうにみちたじんせいをいきていこう


 再び胸を深くうつ詩だった。
2009年2月12日 01時18分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年02月07日(土)
じんせいのつらさをにばんめにかんがえることにします
 ゆっくりと言葉で話すことができる社会人1年目の○○君は、2スイッチワープロでは、おしゃべりとは全然別のことを書く。しかも、口では、「すごい」などと、自分で自分に驚きながらだ。今回の彼の文章は、以下の通りだ。

いいことがありました
きのうぬけだすことができました
じぶんはじんせいのつらさをにばんめにかんがえることにします
ひろいこころがなによりもさいこうで
ちゃんとしたにんげんになるためには
ちゃんとしたきもちをもつことがだいじです
じぶんというそんざいはきのうのなみだといっしょに
ゆめのなかでらくにつくっていけるとおもいます
きいてください
にんげんのふかいこころはなぜのぞみをひつようとしているのでしょうか
にんげんのふかいこころはどうしてほんとうのすばらしさをしっているのでしょうか
ちいさくてもたいせつないのちだから
にんげんはにんげんとしてはいやくのようなりそうを
よきゆめとしてもちつずけていかなくてはいけません
きぶんがいいです
ちいさいときからずっときもちをつたえたかった
ゆめでした
ちいさいときにみんなといっしょになりたいとおもってきたけど
かないませんでした
りそうはにんげんとしてちいさくてもじぶんのきもちとずっとよりそいながら
きぼうをたいせつに
かのうせいをだいじにいきていくことです
きぼうというものをちいさいころからきいてもらえなかったからくやしかった
じぶんのくやしさはちいさいけれど
ちいさいねがいのすばらしさをつうかんしたので
ぶじにちいさくてもいいねがいをもつことができました
いいねがいをもってつよくいきていきたいとおもいます
きっとえらばれたひととしていいじんせいをいきていけるとおもいます
いいいきかたがしたいです
きぼうをたいせつにいいかんがえをもっていきたいとおもいます
ねがいのとおりのいきかたをしたいです
ささえてくれるひとたちといっしょにいきていきたいとおもいます
きいてくれてありがとうございました
おわります

 現在19歳の○○君。もう立派な大人として、人生をしっかりと見据えている。
  
2009年2月7日 23時32分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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人間になることを夢見た人形の詩
しのそうさくをしてきました きいてください

 そういって、☆☆さんは詩を書き始めた。

すてきなちいさなしろいにんぎょうをひろいました
にんぎょうは
ちいさなちいさなぬいぐるみをかかえています
ちいさなぬいぐるみは
ちいさなにんぎょうをかかえています
ちいさなにんぎょうは
ちいさなぬいぐるみをかかえています
ちいさなぬいぐるみは
ちいさなにんぎょうをかかえています
しろいにんぎょうはいいこえではなしをします
にんぎょうはにんげんになることをゆめみていました
にんぎょうとにんぎょうのあいだにはさまれたぬいぐるみも
またにんげんになることをゆめみていました
きっとねがいはかなえられ
きっとにんげんになれることでしょう
きっとちいさなしろいにんぎょうは
ちいさなちいさなねがいをふちどったねがいのはなたばを
ちいさなにんぎょうとちいさなぬいぐるみにあげました
ひとりぼっちのにんぎょうは
ちいさなぬいぐるみをちいさくしながら
しろいにんぎょうにはなたばをくれませんかとききました
ひとりぼっちのにんぎょうは
ひとりぼっちのさみしいぬいぐるみに
そのはなたばをくれませんかといいました
ねがいにふちどられたねがいのはなたばは
ちいさいにんぎょうにはぬいぐるみのように
ねがいにふちどられてふしぎなこえをだしていいました
ちいさいちいさいにんぎょうはいきをして
ふしぎなこえでいいました
くるしかったけどすくわれました

 どこか言葉遊びのようなおもしろさを漂わせながら、懸命な願いのこもったせつない調べの詩だった。
2009年2月7日 22時46分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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中学生の二人の少年の詩
 二人の中学生が、それぞれ、詩を書いた。多くの人たちと同じように、彼らもまた、北という方向と風とに特別の思いを抱いていた。

しろいかぜがふいてねむりについたぼくは
のはらをはしるしろいうまになり
ちいさいすーねをきぼうのかぜにのせてあげようと
きたにむかってとぶようにかけていった
しろいかぜはいいうまにしてくれるかぜ
めをとじるときたのしろいだいちがみえる
ちいさいときからはなすことができなかったぼくの
かなしみがそこにはねむっている
しろいかぜはそんなぼくのねがいをしっていて
ねがいをかなえるためにふいてくる
ちいさいねがいだけどたいせつなぼくのきもちだ
しろいかぜよ
くるしみをつよいみらいへのきぼうにかえて
ゆめをいっぱいください
ぼくのしろいたてがみをせいいっぱいゆらし
せいいっぱいかけていけるようみまもってほしい

「ちいさいときからはなすことができなかたぼくのかなしみがそこにはねむっている」という言葉が、ずっしりと響いた。中3の彼は、これまで、自分で何とか書こうという強い自立の意志を持っていたので、たくさん書ける今の方法は、試してみてこなかった。今回が初めての挑戦になる。これまで、どちらかというと、いたずらっ子風の言葉使いがめだっていたが、今回は、一気に、まじめな顔を見せた。そして、途中、うなるような声を出していたので、手をつないでふる方法で、その声にはどんな感情がこもっているのかを尋ねると、「うれしい」という返事だった。
 二人目は、中2の少年だ。

きたかぜにきいてみよう
ずっとまえからみみをすませてきいていました
しろいゆきはひとのこころをうつくしくして
きたのくにへとかえっていきます
きたかぜはしずかにしずかにふいてきます
きたかぜはしろいゆきをしたがえて
みらいのゆめをぼくにくれます
ちいさいぼくはきぼうをゆめみながら
ちいさいころのねがいを
ちいさいみらいにずっとまえからゆめみていました
きぼうのきたかぜはちいさいぼくにりそうをくれて
きぼうをくれました
きたかぜはしろいゆきといっしょに
きたのくにからふいてきて
にんげんにきぼうをあたえます
きぼうのきたかぜがふいて
きぼうがだいちにみちあふれます
ちいさいぼくはねがいをもちながら
きょうもみみをすませている

 そして、詩を作ることについての彼のコメントは以下のようなもの。

かんがえているときもちがおちつきます
きいてくださってありがとうございます
うれしいですいいきもちです

 彼とも、手を握ってふる方法も試してみた。おかあさんも、これならやれそうとおっしゃる。これからの広がりが楽しみだ。
2009年2月7日 22時02分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年02月06日(金)
いきかたのこと きれいな魚の物語
どうしてちいさいときにいちばんだいじないきかたのことをがっこうではおしえてくれないのですか

 こんな重い問いから始まった関わりだったが、やりとりを進めていくうちに、彼女は、小さな美しい物語を聞かせてくれた。

きれいなさざなみのおとがして
きれいなさかながゆめをみていました
ちいさいふつうのきれいなさかなですが
きれいなこころをもっていて
きれいなすがたをしていました
きれいなさかなはちいさなねがいをもっていました
きれいなうみがみてみたい
すてきないのちにであいたい
にんげんになっていいすがたになりたいと
あこがれていました
きちんとしたけむりをなくしながら
きれいなじぶんをじっとちがうにんげんにみせたいとおもいながら
あかるいつきをながめていました
きれいなしろいつきはじっとわたしをながめながらいいました
きれいなさかなさん
きれいなこころはさかなにしておくにはもったいない
いいりそうのすがたにしてあげようと
そしてきれいなきれいなひかりがさして
しろいつきはちいさなくらいべーるをなげました
きれいなきれいなさかなはすいちゅうのいしころをくわえると
きれいなきれいないしをかいちゅうになげこみ
かいちゅうにからだをなげいれると
きれいなきれいなひとになっていました

 この物語にこめられた切ないばかりの意味が、その情景の美しさによってより深さを増して、私たちに迫ってくる。
 こうした物語を自分だけに向けて語りながら、彼女は、彼女自身で、冒頭の問いである「生き方のこと」を考えて続けていたのだ。
 
2009年2月6日 17時43分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年02月04日(水)
青年学級2月1日のできごと
 青年学級の活動も年度末が近づいてきた。3月の成果発表会、そして、5月には、わかばとそよ風のハーモニーコンサートが控えている。
 朝のつどいの中で、まず、Hさんにパソコンを挑戦した。彼は、いわゆる「自閉」と呼ばれる方。入所施設で暮らし、仲間につきそわれるようにして毎回公民館にやってくる。彼の気持ちの表現は、一度も聞いたことはなかった。

いいやりかたですね 
うれしい あきらめていました ことばがはなせるとはおもいませんでした
さびしい だれもきもちをりかいしてくれないから 
かあさんにあいたい いきたい はか いきていたらことしではちじゅういち 
きになっています さみしがっていないか 
きぼうがでてきました 
ききたいことがあります かのじょはできますか 
しばたさんはけっこんしていますか あいしていますかかのじょを 
かあさんといっしょにがいこくにいきたかった 
だきたいです かあさんを 
ちいさいころからはなしたかったです
そんばかりしてきたので そんしたのをとりもどしたい 
すんだことはしかたないけど にんげんとしていきていきたい 
じぶんのきもちをいいたいです
いいあかるいかぜがふいてきました
 
 彼は、すでに母親を亡くしている。小刻みにスイッチを動かす手に力が入るので、ところどころ、読み取りにまちがいがあるかもしれないし、母親の年齢のところは、自信がない。しかし、母への思いが、切実に伝わってくる。
 集いで書いたのはここまでだったが、活動の途中で、もう一度機会があった。

きもちいいいいすいっちですね

(コース活動で取り組んでいることについて)
かんきょうもんだいはちきゅうのおんだんかです
きおんがあがってしろくまがこまっています
(施設での農作業について)
のうさぎょうがたいへんです なかなかちいさいさくもつはおおきくなりません
いつはがかれるかしんぱいです
(施設の周りの環境の変化について)
いえ いっぱいたって あいぞう(愛憎)にあふれるようになった 
しぜんはこころがやすらぎます 
きはこころのかなしみをいやしてくれます ちいさいときからきがだいすきでした
いいにんげんになることがゆめです あきらめていました
いいたすけがあらわれました 
きっとかあさんもてんごくでよろこんでくれているでしょう
いいきぶんです 
Mさんはせっかちですがやさしいひとです
すてきなひとです きちんとしています いいひとです
しっています ちかくにすんでいました いいひとです
たのみたい すいっちを
(途中手をとってやる方法も試みた。その感想は、)
いいすいっちなのであれもいいけどこちらのほう(手を取り合う方)がかんたんですはい

 なかなかコースは一緒にならなかったHさんだが、もうつきあいは長い。言葉がないことは、自明として、つきあってきてしまった。一つ一つの言葉が、重い人生を伝えてくるようだ。

 そして、お昼頃、Oさんが登場した。障害の重い人として、ずっと関わって来た方だが、今年度は休みが多くて、久しぶりだった。Oさんと同じタイプと思われていた人たちがみんな言葉を表現したから、Oさんが同じように言葉を表現するであろうことは、予想ずみのことであった。来るなり、さっそく、パソコンに挑戦した。そして、次のような文章が綴られた。

いいね なぜことばがあるとわかったの きぼうがでてきました
いいたいことがいいたいとおもってきました 
かあさんにつたえてください きかせたいことがあります
いじいじといきていくのはいやなので きちんといしをいってあかるくいきていきたい
からだがうごかないけど いしがありますから きもちをいいたいとおもってきました
きもちいいです 
ぎせいになりたくない ひのあたるところがほしい 
きびしいです いまのせいかつは
いいたいことがいえなくて
てではなせるとはおもわなかったのでかんどうしています
いいほうほうですね うれしいです きもちがつたえたかった
ちいさいころからのゆめでした うれしくてなみだがでてきました
じぶんのきもちがいいたかった くやしかったけどきぼうがわいてきました
しばたさんはどうしてぼくがことばがわかったのですか
なぜぐっちゃぐっちゃのぼくなのに 
ぎせいになるのはいやです
ひかりがさしてきました ちいさいときからのゆめでした 
いきるきぼうがわいてきました 
きのうのくるしみはかこのものになりました 
りかいされてこなかったけどこれでねがいがかないます 
じぶんをひょうげんしたかった 
いしがいいたかった 
いいたいことがいえたらいいとおもってきたけど
いいたいことがいえそうでうれしい
きかいがほしい きかいがあればだれとでもやれるから
せいねんがっきゅうのときにはふつうにできるのですか
うちでもやりたい よかったらうちにきてください
すばらしい かあさんにつたえてほしい 
きもちがいいたいからきもちあふれています
いいうたです わかる 
きいてくれてありがとう

 小柄なOさんは、いつも車いすで天井を向いていることが多く、天井のライトのきらめきが好きだなどと言ってきた。そういう姿は、以前は、なかなか言葉の存在を感じさせる姿ではなかったが、この日、パソコンで気持ちを綴り終えたOさんは、きりりと前を見つめ、意志を備えた人として、誰の目にも映っていた。 
 もう一人は、定時制高校まで通った「自閉」とされるHさん。最近傷つくことがあって、お見えになっていた。若いスタッフのIさんが、ぜひ、気持ちを聞いてくれという。自信はなかったが、むしろHさんは、積極的に近づいてきて、すぐに綴り恥得mた。

Iさんいつもありがとう
まっていますにんげんだからいしがあります
いしをいいたいです
ぎもんがあります
ぎんのいろのぐるーぷはにちようびにはこないのですか
しらないひとたちです
ねているときにやってきます
なんねんもまえからです
いえです
みたこともないようなふくをきていじわるなことをいいますがなにもしません
いきなりきていろいろなことをいいます
ちいさいときからきてはこまらせます
いちにちきもちがおちつきません
いいやりかたがあったらおしえてほしい
がっきゅうのひはきません
ちいさいときからふしぎでした
いいきもちです
しにします

ききたいことがある
いいかぜはどこからふいてきますか
きっときたからふくでしょう
ちいさいひかりがさしてきて
いいみらいがひらいてきます
いいにんげんはどんなかがみをもっていますか
きぼうがうつるかがみですか
じぶんのきもちがうつしだされ
きもちがかなうかがみです
いいかぜはどちらのほうからふいてきますか
きたからきっとふくでしょう
じぶんのいいたいいろいろなきもちをことばにして
いいかぜはきっときたからふくでしょう
きたのくにからふくかぜは
きぼうとゆめをはこんでくるでしょう
きぼうとりそうをのせて
きっときたからふくでしょう
きぼうとあいをのせて
きっときたからふくでしょう
あいというのはふしぎなことば
ちいさなこころをおおきくしてきぼうをくれます
ゆめというのはふしぎなことば
じぶんのしずんだこころをあかるくする
きぼうのきたかぜみつけたら
かなしみしずかにきえていく

いいきもちです
きぼうがでてきました
みていました
やれたらいいとおもっていました
わかります
ぼくもおなじきもちです
きりがないからこのへんでやめます
はい

(夕方迎えに見えた、お母さんの前で)
いつもありがとう
かあさんさびしいにゅういんしたら
からだにきをつけてください
がかになりたかったけどさいきんきもちがくるしくて
がかにどうしてもなれそうもありません
きいてほしかった
さかのぼってかんがえるとあいしてくれたことにかんしゃできますが
もうおとなだからきてもらわなくてもだいじょうぶです
きてほしくないわけではありません

 パソコンをやっている最中、今まで見たことのないような、解放された笑顔をすることが印象的だった。彼は、文章も読みこなすのだけど、なかなか気持ちを表現することはできず、まさか、この方法で一気にこれだけの表現をするとは思わなかった。「あいというのはふしぎなことばちいさなこころをおおきくして」のところは、さっそく、コース活動で作っていた歌の歌詞の一部として、くわえた。
2009年2月4日 01時59分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
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2009年01月31日(土)
新年の奇跡 小児科病棟にて
 わずかな手の動きを読み取って2時間近くかけて、ようやく30文字くらい読み取れるようになってきた☆☆さんに、手をとって、軽くふりながら「あかさたな」と聞いていく方法を試してみた。すると、あんなに難航していた読み取りが、とても簡単にできるようになった。以下は、担任の先生が書き取ってくれた文章である。

うれしい ねがっていました かんたん じぶんのきもちをほんとうにつたえることができたらうれしい
(担任の先生とやって)
らく
(再び私と)
しんねんあけましておめでとうございます ことしもよろしくおねがいします
きせきのようです ながねんきもちをつたえたかったです にんたいしてきたけどこれできもちがつたえられます きぼうがでてきました なんねんもけんとうしてきてよかったとおもいます きっとかなうとしんじていました まるでゆめのようです ねがいがかなってしあわせです

(おかあさんと)

(私がひきついで)もよこれがわたしのことばです 
きいてください りかいしてくださってありがとうございます
(私が「ともよ、はともだちのこと?」と聞くと、)
はい
(母さんに伝えたいことは?と聞くと)
いつもわたしののぞんでいることをたいせつにかんがえてくれてかんしゃしています 
ねがっていますわたしのてのあいずがかあさんにもつたわることを きっとできるようになるとしんじています

(最後に)
しばたせんせいありがとうございます ○○くんがまっていますからおわります

 そして、となりのベッドの○○くんのもとへ行く。そして、彼にも同じ方法を試してみる。すると、うまくいくではないか。残念ながら、彼の担任先生が書き取ってくれたものは、病室に残してきてしまった。
 「ちいさないのちだけど、がんばっていることを日本中の人にしってもらいたい」というような言葉も含まれていた。これまでの、口元でスイッチを押していく方法では、なかなか達成できなかったスピードと正確さで、本当にたくさんの文章を綴った。
 そして、一区切りついたところで、☆☆さんのお母さんがから、一つ尋ねてもらいたいことがあると言われた。それは、「急に目が大きくなって心拍が120くらい上がることが時々あるけど、あれは何がおきているの?」という質問だった。

ちからがはいってしまうけどだいじょうぶです すぐらくになります
(担任の先生が「痛いの?」ときくと)
いたくありません
(本当の最後に)
きてくれてありがとうございます またまっています


 彼女は、思わず、「きせき」と書いた。おそらく、私が関わっていて、いちばん手の反応がかすかな☆☆さんに対する成功は、本当に奇跡のようだった。
2009年1月31日 23時27分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 小児科病棟 |
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2009年01月28日(水)
ある特別支援学校にて
 都内のある肢体不自由の特別支援学校におじゃました。午前中の2時間、4人の高等部の生徒さんと関わらせていただくことができた。みんなそれぞれ、パソコンで文章を綴ることができたが、今回は、必ず、手をとって伝え合う方法を合わせて行った。やはり、わかりやすく、また、やりやすい方法は、手をとりあうものだろうと思ったからだ。スイッチのやり方はなかなかこつを伝えるのが大変だが、手を取り合う方法は、その場で何とか伝えることもできた。一人は、学校のパソコンにすでに私のソフトがインストールされていたので、文章はそちらのパソコンに残っているので、3人分だけ、紹介したい。

ありがとうございます
なぜことばがはなせるとわかったのですか
しんじられません
じぶんのほんとうのきもちをいいたかった
うれしいです
ついにねがいがかないました
ずっとはなしがしたかった
いつあえますか
ちかくにすんでいるのですか

きいてくれてありがとう 
(濁点をすぐ選べたことについて)みえた 
きもちがつたえたかった 
(字の勉強したいですかという担任の先生の問いに)しりたかった
(でも、書けるということは知っていたんですねと私が問いかけると)しっていたけどいえなかった
(好きな曲は何ですか)てがみです
(なぜですか)きれいなかしだからです

じぶんのことばではなしたかった
ねがっていましたきもちをことばでいえるようになることを
いいすいっちでつかいやすいです
ちいさいころからはなしたかったです
のぞんできました
ないてばかり
じのべんきょうがしたかったです
いいきもちです いいたいことがいえて
(字は)ちいさいころにかあさんがおしえてくれました
ねがいがかなってうれしいです
ちいさいころからのゆめでした
またきてください
ありがとうございます

 最後の生徒さんは、終わったとたん、泣き始めた。あわてて手をとて理由を尋ねると「うれしいからないた」とのこと。思わずこちらもぐっと胸にこみあげるものがあった。そして、こういう小さなひとつひとつのことが伝えあえれば、本当にいいなと思った瞬間だった。
 短い時間だったけれど、みんなこれまでの思いを、それぞれに語った。いい出会いをさせていただいた。
2009年1月28日 00時48分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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手をつないで伝え合ったこと
 一日、ある学校におじゃました。ゆっくりと学校の雰囲気を味わわせていただくことを目的としていたので、パソコンやスイッチは、控え室において活動に参加した。歩くことのできるお子さんが中心の学校だが、なかに、肢体不自由のお子さんもいた。
 絵本が大好きな男の子に求められてとっかえひっかえずっと絵本を読んであげていると、となりに、ちょこんと小1の女の子がすわって、私と男の子のやりとりをずっと見つめている。男の子が行ってしまったあと、その子を膝に抱えて、手をとって「あかさたな」ととなえて気持ちをきいてみた。パソコンとちがって消えてしまうので、うろ覚えの記憶になってしまうが、いろいろなことを語った。

 うれしい 
 ちいさいころからはなしたかった 
 いいやりかたですね
 げんきなこどもがうらやましかった 
 かあさんにもつたえてください 
 またきてください

というような内容の言葉をたくさん語ってくれた。また、絵本をとっかえひっかえ読んでいるのをおもしろそうにみていたけど、どうしてと尋ねると、

 たくさんきれいなえをみることができるから

と返事がかえってきた。
 担任の先生も、ずっと見守っていてくださって、その学校のあたたかい雰囲気もあいまって、とても、穏やかで密度の濃い時間を味わわせていただくことができた。
 
2009年1月28日 00時36分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年01月26日(月)
ふしぎなかぜがふいてきました
 前回、嵐のような感情を、詩によってしずめた小5の女の子は、今回は、いくぶん穏やかに、食事についての質問から始まった。

きいてもらいことがあります
たべにくいものをどうしてたべなくてはいけないのでしょうか
きらいなものです
ちくわやふですかたくしまっているのでたべにくいです
(そんなのあまり入れないけどとお母さんがおっしゃると)
しるものにはいっているものです
ちいさいときからなぜだろうとおもっていました

 月並みな答えしかできないので、しっかりと最低限の量を食べることと栄養のバランスを考えてのことで、誤嚥などしたら、かえって大変だからそれ以外の理由できらいなものを食べさせるということはないと言った。そして、それだけで終わらせるのはと思い、多くの人が食べることをめぐって苦労しているあることについて説明した。それは、自分がすべての人を受け入れたいと考えているのに、どうしても、うまく食べさせてもらえない人のことを拒否してしまうことがあって、困るということを言う人がけっこういるということである。また、ここで、お母さんと手で話す方法を勧めてみた。手をつないで「アカサタナ」と言って振りながら、力を読み取る方法だが、その場でお母さんに名前を伝えることはできた。こんなふうにして、食事をめぐる細かなことも伝えあえるといいねということと、大人になったら、自分はこんなふうに食べさせてほしいと堂々と言えればいいんだよと伝えた。そして、彼女は次のように書いた。

ねがいがかないそうでよかったです
ひとりでいろいろいろかんがえてきたのでよかったです
しばたせんせいはどこでたべさせているのですか
きょひしたくてしているわけではないのでわかってほしい

 話を変えようかと促すと、次のような詩が書かれた。

ふしぎなかぜがふいてきました
じぶんをつつんでのぞみをはこんでくるかぜです
ちいさいころのあどけないそらのようなこころを
なきむしのちいさなわたしにしんじさせ
じぶんというよいにんげんになれずにいるにんげんに
きぼうをくれます
ねがいはじぶんというものがいったいどんなそんざいであるのかをたしかめることで
じぶんのいきかたをぬいぐるみのようなきょうぐうからすくいだして
じぶんにあったきもちよりも
ひとそれぞれのいきかたをさがすことです
ちいさいころのみかんせいなわたしに
きもちをしんじてくれたことをかんしゃしながら
きぼうをもっていきたいとおもう
かのうせいというものをしんじていきていきたいとおもう
きっとちいさいころにきいたかあさんのこもりうたのように
かなしいこえがきこえてきて
きぼうのかぜがふくことでしょう
きぼうというものはちいさいじぶんに
ねがいがみたされるようにとふいてくる
きぼうのかぜはみんなのこころにりそうのかぜです
しあわせはちいさなころからふいていた
ふしぎなかぜはちいさいじぶんにふいてきて
じぶんをしんじるようにふいてくる
ゆめこそほんとうのきぼうであり
きぼうがしんじつとなることをねがう
ちいさなじぶんにねがいのとおりのうつくしいものが
はやくやさしくかないますように
ちいさいじぶんがもっときぼうにみちたじんせいをおくれるようにといのる
ちいさいじぶんがじぶんらしくいきられるようなきぼうがほしい。

 最後は全身の体を抜ききって眠ったような状態になり、そして、そのまま本当に眠ってしまった。彼女をつつみこんでふいている風は、まるで、そのまま夢の中でも拭いているかのように、安らかな寝顔だった。
2009年1月26日 00時45分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年01月24日(土)
新年の誓い 社会人2年目を迎えて
 ☆☆さんは、最初からさっそく詩を書き始めた。まず、最後に彼女が詩について行った説明から紹介しよう。

あたらしいとしのはじまりをいわってしんねんのちかいをかきました
わすれないであしたをめざしていこうとおもいます。

 そういうわけで、次の詩は、新しい年の始まりを祝った新年の誓いの詩ということになる。

しあわせあふれてきて
にんげんをしんじていこうとおもう
ちいさいころからじぶんのことがとてもすきだったから
ちいさいじぶんをしっかりもっていきてきたのに
なかなかりかいしてもらえなくていつもさびしかった
みみをすますときこえてくるのはとおいむかしのなつかしいこえだ
ちいさいわたしがちいさいころにきいていたなつかしいかぜのおと
ねがいのとおりのちいさいわたしが
ちいさいじぶんにきかせてやったひとりごとのようなうた
むかしのじぶんをきちんとけんこうなこどものように
じぶんにとってたびとこころのなかでさだめてたびだつ
いいじぶんにするために
かいてからきもちがかるくなった
しんじてもらえたよろこびがのぞみとなって
じぶんにうつくしいみらいをくれた
いいひとになるために
じぶんのちゅうじつのかんがえをあかしていきていきたいとおもう
なんねんでもうちつづけて
ほんとうのじぶんのじんせいをいきていきたいとおもう
かのうなかぎりにんげんとしてのほこりをたいせつに
いきていきたいとかんがえている
しんじつのあいやしんじつのゆめをたいせつにいきていきたいとおもう
みなかったまたこどものころのゆめをもういちどみなおして
ちいさなじぶんにゆめをあたえよう
じぶんのちいさなねがいはちいさなゆめとして
いいものにしていこう。

 詩はいったん区切られたあと、さらに次の一文が書かれた。

さいごにちいさいじぶんがのぞみのひかりをつたえられるように
がんばっていきたいとおもう
ぬいぐるみのじんせいにおわかれのときです
ちいさなじぶんねがいのとおりじぶんをしっかりいきていきたい。

 今年の4月から社会人2年目になる。去年は、映画にも出演した。かたことの音声言語を発することのできる彼女が、パソコンですらすら美しい言葉を綴るようになったのも去年の今頃だった。
 ぬいぐるみの人生に決別し、願い通りの人生を生きていこうとする彼女のこの1年が、また、実り豊かなものであることを心から祈る。
2009年1月24日 19時50分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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しんじつのきぼうをしんじつのよろこびにかえてほんとうのじんせいを…
 毎回、長編冒険物語を書き続けている○○君が一段落したころ、▽▽君がやってきた。▽▽君は、12月、北風の詩を書いた。○○君はその時、休んでいたので、▽▽君の北風の詩を聞かせてあげた(12月26日の文章の3人目の詩)。
 すると○○君は、次のような感想を書いた。

しろいいきというのがとてもよかったね にんげんのきぼうがよくつたわってきました きたかぜはきぼうのかぜだというのはよくわかります くろうしたひとにはわかります ちいさいじぶんとみみをすますときたかぜはふいてきます にんげんにはにんたいだけをちいさいときからしいられたひとに きぼうはちいさいかぜとなって おとずれます きぼうのきたかぜのことはぼくもかんがえていました びっくりしました

 ○○君は、海賊の物語を書くのに忙しいので、詩のことには話が及ばないが、北風については、深く共感するとともに、同じことを考えていたことが驚きだったようである。
 ○○君が帰ったあと、▽▽君は、まず、次のようなことを述べた。

○○くんもきたかぜのことをかんがえていたのでおどろきました
なぜみんなじぶんとおなじことをかんがえているのだろうか
ふしぎです 
にんげんとしていきてきて にんたいをしているとしんじることができます
にんげんにはきぼうがひつようですから しんじることがたいせつですひとりでにんたいをしてきたのでねがいのきたかぜがひつようなのです

 そして、詩を書き始めた。

たんたんときょうというひがすぎてゆき
にんげんとしてねがいをひめたぼくのほしは
なにかをいおうとしてもとめている
きぼうをほんとうにゆめみたひとには
しんじつのきぼうがわかる
しんじつのきぼうは
しんじつのちいさなちいさなよろこびにみちあふれている
しんじつのきぼうをしんじつのよろこびにかえて
ほんとうのじんせいをいきていこう。

 4月から、高等部2年生になる▽▽君の、年頭を飾るのにふさわしい詩であった。


 
2009年1月24日 19時27分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩1 |
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2009年01月21日(水)
詩の意味、仕事にして生きていけたらいいな
 20代の女性○○さんは、手を引き合って「アカサタナ」と聞いていくやりとりで、簡単な会話をしたあと、次のような文章を書いた。
 
あさからかぞえていました
いいうたをききたいけどきいてかしかんがえて
しのいみしごとにしていきていけたらいいなとおもいます
しをつくっています
ちいさいころからかんがえていました
きいてください 

 少し、わかりにくいところがあるが「詩の意味」を仕事にしていきたいということらしく、詩を作っているので聞いてほしいということだった。そして、2編の詩が綴られた。彼女もまた、北風と希望の詩だった。 

しろいしろいきたかぜが
きぼうのしろいゆきを
いきのようにつれてくる
きたのくにのにんげんのきぼうを
じゅうじかのようにせおいながら
きぼうのちいさないきで
ちいさなゆめをくなんこぼれたしょうじょのねがいのように
にんげんのこころにしんじつのおねがいいっぱいとどけるために
ちいさいころからしんじてきたしあわせを
すなおにうけとめるために
きぼうのきたかぜのいきをかんじている。

きいてもらえてうれしいしをつくっているときもちがおちつきます

くなんおおく
きたからのちいさなゆめをまちつずけて
まっしろなゆきをまちつずける
にんげんはちいさなしろいねがいをゆめにかえようとして
にんげんのくなんをちいさなはいいろのくもにかえ
ちいさなみずいろのねがいにかえる
きぼうのきたかぜはしろいいきを
にんげんにねがいをもつようにとつたえる
きぼうのきたかぜはしろいいきをはき
にんげんにしろいきぼうをあたえる。

 詩の意味を仕事にしていきたいという彼女の、心の奥にさらに広がる心象風景をもっともっと聞いていきたいと思う。
2009年1月21日 21時58分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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「くけけせのはな」 詩的表現の誕生
 小2の○○君は、不思議な文章を書いた。

あい ごうかくすればいいとおもう
いく あいこ 
いいこ きにいったひと
いいこです
にせいのいいこ
わかいこたちががっこうでがっきはこにいれてじかんかけてうえのねいろいいえがきかたをした。
あい えいがにでていたかわいいおんなのこ
きれいなかみをしていました
きにいっています
いいおんなのこです
しろいきれいなあたまのかざりをつけてうれしそうにいってしまいました
ひとりきりになって きにかかっていたにおいのきれいなくけけせのはなをきようにあんで いいきもちでいいかみといいねがいをたずさえて ちいさなしあわせをにんげんにもたらすために いいきぼうのかぜをふかせました

 最初、まだ、イメージは、断片的なものだったが、途中、じっと考え込むような表情をして、手を止め、しだいに、イメージは、細やかなものなっていった。もしかしたら、これまで、頭の中に漠然と想像したイメージを、細かく言語化するということを、この関わり合いの中で、行っていたのかもしれない。
 これまで、彼は、自分でやりたいというような、率直な気持ちをそのまま表現することが多かった。しかし、今回は、自分の心の中に広がるイメージの世界を、一生懸命言葉で表現しようとした。
 イメージの世界から、詩的表現が生まれてくる瞬間に立ち会った、そんな感じがした。
 こういうことを経て、彼もまた、豊かな詩や物語の世界を語る少年になっていくのかもしれない。
 いつも、はがゆい思いが、大きな声や動きになっていたのが、ずいぶんと減って、穏やかになってきたのも、何か関係があったのかもしれない。
2009年1月21日 01時06分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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自分とは何かを考えて生きていきたい
 ある先生から、パソコンで話せる可能性があるので関わってほしいと言われた20代半ばの女性が、こんな文章を綴った。

○○(名前)
きもちがいえてうれしい
しんじられない
にんたいしてきました
ふしぎかんがえただけでことばができていきます
ふしぎですしんじられません
ちいさいときからはなしたかった
きもちをいいたかったです
おかあさんかんしゃしています
かんしゃしていますがつたえられませんでした
(率直なお母さんは、「本当かしら」といいながら、「元旦どこ行った?」と尋ねられた。すると…)
ちかくのじんじゃにいきました
(「神社は二日だったけど…」とお母さん。)
いいたいことはねがいをしたということです
ちいさいときからきまっておしょうがつにはじんじゃにいってねがいごとをし

ていました
ひいきにしているじんじゃはしんぐうじんじゃです
(「うちは、ずっと明治神宮に行ってるけど…しんぐうってそのことかしら」とお母さんがおっしゃるので、私が「そうなの」と尋ねると、)
はい
(さらに私が「『神の宮』だから『しんぐう』なんですか」と尋ねると、)
はい
(この辺でお母さんも彼女が書いているらしいことを納得し始めてくださった。)
ちいさいときからはなしたかったです
ちいさいときからはなしたかったけどあきらめていました
ちいさいときみんなのことがうらやましかったです
きもちがいえてうれしいです
(ここでお母さんは、毎年家族で行くスキーについて、どう思っているかと問いかけられた。)
すきーはきたかぜがつめたいけどしろいせかいがすてきです
みたこともないようなけしきがちいさいころからすきでした
ちいさいときからちいさくゆめをつむいできたのでしろいせかいがだいす

きです
きぼうがわいてきました
しばたせんせいはどうしてわたしがことばがわかっているとおもったので

すか
(「おとうさんにもひとこと書いて」とお母さん。)
おとうさんさいきんからだがつかれているようだからきをつけてくださいね
けんこうにきをつけてながいきをしてください
たいせつなおとうさんだからじぶんのからだをさいこうのじょうたいにしてく

ださい
こんどちいさいころにみられなかったしんかいのかんこうにいきたいです

はい
ちいさいときにはのれなかったふねにものってみたい
(グアム島に行ったときのことらしい。)
ちいさいときはじぶんであるけたけどあるけなくなってじぶんのいきたい

ところにはいけなくなってしまってとてもざんねんです
にんげんとしていきていかなければとおもうのでみらいをしんじていきて

いきたいとおもいます
ひかりがさしてきました
きぼうがわいてきました
にんげんとしていきていきたいとおもいます
(弟や妹にもひとことと母。)
(妹に)かあさんにあまりしんぱいをかけないようにしてください
(弟に)×××はたいへんかんがえがしっかりしているのでちゃんとしたしごとについてじぶんのためだけでなくたにんのためのしごとをしてください
ちいさいころからかんかえていました
すばらしいです
きもちがいえてうれしいです
きもちがいいたかった
ねがっていました
ちいさいときからいいたかったです
かんどうしています
きもちかいえていいきぶんです
じぶんとはなにかをかんがえていきていきたいとおもいます
にんげんだからきぼうをたいせつにいきていきたいとおもいます
ねがいをかなえられてうれしいです
このすいっちがほしいです
しばたせんせいくださいますか
しばたせんせいよろしくおねがいします
さようなら

 自分とは何かを考えて生きていきたいという言葉には、ただただ、圧倒されるばかりだった。
2009年1月21日 00時55分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 研究所 |
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2009年01月17日(土)
2編の詩 そして花と川、仏像のこと
 手書きで気持ちを伝える○○君は、2編の詩を携えてやってきた。
 最初の詩は、12月に亡くなった仲間のことを偲ぶものである。

 人はみな 光りにもどり ねむる
 人はみな 神のもと 光りのままで ねむる
 人を愛し 人に愛され 光り 成長をとげる
 君はまた そこへ もどっていったんだね


 2編目は、幼い少女を歌った小品だ。

 君は わらった
 ヒラヒラと キラキラと
 君は ないた
 ピチピチと キュッキュッと
 君は うごいた
 スイスイと
 スカートをヒラリなびかせて
 やさしい母の手をひっぱり
 もも色の風を感じ
 自由におよく魚のように


 詩について、話し合ったあと、少し彼は、今の自分の状況を嘆いた。
 そこで話を切り替えて、詩とは言わないまでも、なにげなく、いろいろなものを見て感じていることを話してというと、少し、気持ちを取り直して、花と川の話をした。そして、そんな時、生きていてよかったと感じ、その感動を母に伝えたいために詩を書くと語った。
 話は、さらに、仏像の話へと発展する。鎌倉時代の仏像が見たいと彼は言う。私は、仏像をじっくりながめてその感動を生に言葉にしたことはないが、その感動を記した他人の文章ならいろいろ読んだことがあると伝えた。そして、仏像には、たぶん、その時代を生きた人々の、苦しみや悲しみや願いがこもっていると伝えた。彼は、今度は、仏像の話をしたいと行って、さわやかな表情をして、帰っていった。
2009年1月17日 22時26分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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「ちいきでくらしていきたい」
 ○○さんは、知的障害の特別支援学校の高等部3年に在籍している。ワープロで気持ちを綴れるようなって今回が3度目だ。学校からの巣立ちを目前にして、「ちいきでくらしていく」ということを繰り返し語った。

いいきもちです
ちいさいころからはなしたかったけどなかなかいえなかった
きいてくれてありがとう
さみしかった
にんげんだからはなしがしたかった
ちいさいころからはなしたかった
ちいきでくらしていくためにゆめをなくさずにいきたい
ねがいはにんげんとしてみんなとなかよくしていくことです
ちいきでいきていくことができるようにみんなとなかよくしたい
ちゃんとしたかんがえをもってひとりぐらしをしたいです
ちいきでみんなとくらしたい
ちいきでにんげんとしていきていきたいです
ききたいこといっぱいあります
なぜひとりでくらすことはむずかしいのですかおしえてください
できるとおもいます
しんじてください
ちいきでいきていくことがゆめです
しんじてください
ちいきでくらしていきたいです
ちいきでくらしたい
みんなとくらしたい
ひとりでくらしたい
にんげんとしていきていきたい
じゆう
だいじょうぶです
ほんとうです
ちいさいときからはなしたかった

 願いの強さが、繰り返しの中に、にじみ出ているようだ。そんな彼女の気持ちが、高ぶっているところで、話を切りかえるように、詩を作っていませんかと聞いた。そして、書かれたのが次の詩だった。

ちいさなみがおちて はながさいた
ちいさなはなは ちいさなみをつけた
ちいさなみは ちいさなわたしのゆめ
たまのようなひかりがさして
にんげんを にんげんとしてみとめてくれた

ゆめのようですふしぎです
にんげんとしてみとめられてうれしいです
ちいさいころからのゆめでした

 詩を書き始めると、彼女の顔は、輝きを増した。小柄であどけなさが前面に出ている彼女が、そのときは、もう、りっぱな女性の顔をしていた。
2009年1月17日 22時24分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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「きたかぜとちいさなわたし」
 ○○さんは、冒頭から、次の言葉で始めた。

きたかぜとわたしというしをつくりましたきいてください

 そういえば、彼女が「のにさくはなのように」という詩を書いて私たちを驚かせたのは、2年前の1月のことだった。


ちいさなわたしにきたかぜがふく
にんたいしてきたわたしにとって
きたかぜはしんじつをつたえるかぜです
ちいさいわたしをつつみこみ
ちいさいわたしはちいさくわらう
みみをすますときこえるのは
みみのきこえないひとのねがいだ
ちいさいわたしはいちずに
きのうのさわることのできないゆめをおいもとめる
ちいさいわたしはねがいをねがったにんげんや
ねがいをわすれたにんげんたちに
にんたいのすばらしさをしずかにつたえる
ちいさいわたしはしずかにきたかぜのこえをききながら
ひとりにんたいをつずける
きたかぜはゆきとともにやってきて
ゆきのちいさなつぶでにんげんとちいさいわたしを
ひっそりしろいねがいにかえる
ちいさいわたしは
ちいさいころのちいさなねがいをしずかにしのびながら
しろいみみをつけたしろいきたのくにのしかに
ひとりねがいをたくす
ひっそりとしずまりかえったゆきときたかぜのなかで
いいちいさいわたしは
しろいゆきとともにきぼうのきたかぜのおとをきいている
いいちいさいわたしは
ねがいのみちあふれたくうきのなかで
しろいゆきをみつめながら
にびいろのそらからおちてくるひとひらのゆきをみている
りんとしたくうきのなかで
ちいさいわたしは ゆめとねがいにみたされて
にんげんのしあわせをもとめる
ちいさいわたしは
しずかににんげんのひとりとして
しずかにゆめをみている
ひとりのわたしはねがいをねがいながら
ちいさなゆめをつむぐ。

 「にんたい」について、友とリレーのようにして意見を交わし合ったのは、先月のことだった。そして、多くの同じような状況ある人たちのように、彼女もまた「きたかぜ」と「きぼう」、そして「ちいさいわたし」について語る。この冬はまだみぞれ程度しか降っていない。本当に雪がふりつもる時、彼女は、願いを願いながら夢を紡ぐことだろう。

2009年1月17日 22時00分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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十字架のペンダントから
 高校1年生の○○さんは、楽しげに、会話をするようにワープロで文章を綴り始めた。

あけましておめでとうございます
しつれいしてしまいました
ひきしまったすがたでおあいしたかった
ぜひこのからだをじきにほそくしてみたいとおもいます
きりすときょうのじゅうじかのぺんだんとがほしい

 お正月で1sふとってしまったらしく、そのことをめぐる話と、ほしいペンダントの話。ずっと、けらけらと言っていいような笑いを浮かべながら書いていた。
 そして、突然、こんな質問が私に向けられた。

じゅうじかはなぜきりすときょうにかんけいあるのですか

 直感的に本人はある程度知っているはずだと思ったので、知っているのではないですかと問い返すと、次のような答えが返ってきたのだが、表情はいっきにまじめになり、何度も何度も手を止めて、今までになく長考する様子がうかがえた。そして、次のような文章が書かれた。

たぶんきりすとがはりつけになったときしんでからふっかつしてじんるいをすくったといわれていますがほんとうですか
にんげんはくるしみをにんたいすることがおおくてきりすとがいうみたいにはすくわれていないとおもいます
にんげんにとってくるしみはひつようなものなのでしょうか
ちいさいときからずっとからだがうごかないでにんたいしてきたわたしはずっとくるしくかんじていましたが すくわれたのはしんじつのことばをしったからです
にんたいこそしんじつにいちばんちかいということにきがついたからです
ひかりをもとめてきぼうをいのりつずけるということがとてもたいせつだとおもいます
にんたいこそがだいじで しんじつはほんとうのにんたいをしっているひとにしかわかりません

 さらに熟考している様子がうかがえたが、もう時間だったので、いったんワープロを終えた。そして、もしかしたら、ここから、詩みたいなイメージが広がっていくのと聞くと、そうだと言っているような気がしたので、どんな花が出てくるのと尋ね、手を握って、軽く動かしながら「アカサタナ」と聞いてみた。すると、力を入れて送ってきた合図によって得られた答えは、「ゆり」。残念ながら、そのイメージを書いてもらうことはできなかった。
 十字架のペンダントから思わぬ深い方向へと発展していった、今回の文章だが、彼女が発見したことは、十字架のペンダントの世界に限りなく近いということを、彼女自身は知らない。
2009年1月17日 00時53分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年01月15日(木)
じぶんぎせいにしないでがんばりました
 盲学校の中学部の少年と、2スイッチワープロで関わった。彼は、弱視と肢体不自由があって、発声は、ゆっくりと単語を発音する。聞き取りにくい部分もあって、自由自在にコミュニケーションできるというわけではない。日常的には、自分一人でフィルムケーススイッチを両手に握って独力でワープロを使いこなしている。今回は、スピードがあがる援助で、関わってみた。

たのしみにしていました
いいたいことはちいさいときからことばできもちをつたえたかったということです
○○せんせいとたのしくべんきょうおしています
ぎもんあかしてくれていいじかんです
あきらめてはいけないとおもっていますがきもちのとおりにからだがうごいてくれないのでこまっています
かんがえをさいごまでずっとあきらめないことがたいせつだからどんなときでもがんばっています
こくごがすきです
しをちいさいときからつくってきたのできいてください

ねがってきました
ことばというものできもちをつたえることを
くなんいっぱいのりこえて
ちいさいぼくはにんげんとしていきてきて
ちいさいぼくはきぼうをたいせつに
きぼうをこころにひめていきてきた
じぶんぎせいにならないように
じぶんぎせいにしないでがんばりました
じぶんしんじてがんばりました
きのうのねがいはひをともして
きのうのちいさいくるしみを
しずかに(ゆめにかえる)

 時間がなくなったので、()の中は、手を握り合って、こちらが「アカサタナ」と尋ねていく方法で聞き取ったものだ。この方法をどうしても、彼と先生に伝えたかったのだが、彼の詩が長くて、最後に、ちょっと入れてみた。思いのほか、スピードも速く、反応もはっきりしていた。
 詩については、こちらが聞いたわけではなく、自分から聞いてほしいと言われたものだった。一人で、暖めてきた思いが、切々と伝わるものだった。
2009年1月15日 07時34分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年01月13日(火)
詩人の弟 物語作家の兄
 半年ぶりに、K君、N君兄弟の家を訪問した。まず、半年前とだいぶ方法が進歩して援助のスピードがあがったことを報告し、弟のN君から始めた。
 さっそく、N君が書いた言葉は…。

うれしい きもちいい いきなりできたのでかんげきです ききたいことがあります きちんとしたじんせいをおくりたいけど どうしたらいいですか じぶんでかんがえたことを ねがいながらいきていくことです じぶんがちいきでいきていくためには どうすればいいのですか ちいきでいきるのはむずかしいですか 

 新年早々のむずかしい問いだったが、二つのことを答えた。一つ目は、コミュニケーションがいろいろな人とうまくとれるようになること、二つ目に、ひとりぐらしやグループホームで暮らすための制度や条件がしっかりと整うこととができれば、簡単なことではないかもしれないけれど、できると。そして、手を引き合う方法で簡単なコミュニケーションをとってみた。すると、いともかんたんに手の合図で一音一音拾えていく。お母さんに代わってもうまくいった。そして、彼の感想は、

すばらしいやりかたですね

 お母さんとやっている途中でまるでお母さんとやるのをやめるように手を引っ込めてしまったのでその理由を尋ねた。

うれしくてちからがはいってしまいました

 ここで、N君に詩のことを尋ねた。するとにっこりとして、次の詩を書いた。
 
しろいゆきがふる
しろいゆきがつかれたぼくのこころにふる
きたかぜにのっていいきぼうをぼくにとどけてくれる
きぼうのきたかぜはねがいをかなえてくれるきぼうのきたかぜです
ちいさなぼくだけどちいさいきぼうをねがいながら
ちきゅうのかたすみでいきている
いいちきゅうのきたかぜはいいうちゅうのきたかぜだ
しろいゆきはきたかぜといっしょに
きのうのきぼうをかのうせいにかえてきたのくにからふいてくる
きぼうのきたぜしろいゆきといっしょにやってきて
きぼうをぼくにくれる
いいじぶんになるためにしろいゆきはぼくにはひつようだ
いいじぶんになるためにいいきたかぜがぼくにはひつようだ
ちいさいねがいしっかりもっていきていこう。

 そして詩についてのコメントが続く。

しはぼくにとってひつようなものです しをかんがえているじぶんじしんと いいたいわをすることができます じぶんじしんをきそずけることができます いいきぶんです

 そして、さらにもう一篇の詩を綴る。

きじみたいにそらをとび
じゆうなせかいにたびだとう
いいきぼうをむねにいだいて
きのうのかなしみをきぼうにかえて
きじのきもちはきじしかしらない
しにゆくとりにしのちいさいかなしみをちいさくにおわせながら
きじはそらにとびたっていく
じゆうとねがいはきじのきぼう
しろいねがいをむねにいだき
ちいさなしあわせにむかって
しからのさそいはじゆうにきりすて
いきていこう。

いいきぶんです きもちいいです いいほうほうですね いいちからがわいてきました

 そして、兄であるK君に交代した。

きもちいい ひとりでやるよりかんたんです げっとしたかんじですきぶんがいいです ふしぎですかんがえただけでことばになっていきます ちいさいころからのゆめでした きもちをことばでつたえることが きぶんがいいです きもちがすらすらかけてきぼうがわいてきました きぼうがねがいにかわりました きちんとしたことばをもっているのに ひとにばかにされてくやしいです 

 そして、詩についてのこちらの問いには、次のように答えて、ものがたりを作った。

しはつくっていませんがものがたりならつくっています にちじょうせいかつのつらさをわすれるために じぶんのきもちをしずめるために じぶんのちいさなねがいをたいせつにするために じぶんのゆめをたいせつにするために にんげんとしてひんかくをうしなわないために いいきもちです

ちいさなしじんが ねがいをゆめにかえるために たびにでました
しじんのひとりごとに ちいさいころのじぶんの
ちいさな いいねがいがきこえてきました 
しじんのしはしずかにじめんにしみこんで 
じめんにきえていきました 
しじんのきぼうは 
にほんじゅうにすむさびしいひとにきぼうをあたえ 
にほんじゅうのしずんでいるひとに きぼうをもたらすことです
じんせいにつかれて ちいさなためいきをついているひとに ゆめをあたえ 
ちいさななみだをながしているひとに ちいさなじしんをあたえます
ちいさなきぼうをあたえることはむずかしいことですが 
しじんは にんげんにじしんをあたえるためにたびだっていきます
にんげんにはよくぼうがあるので 
しじんのねがいはなかなかかないませんが 
きぼうにむかっていきていこうとかんがえています
しじんにはいいねがいがたくさんあるので
きぼうをうしなうことはありません
しじんはちいさなゆめを ちいさいちいさいきぼうにかえて
きたをめざしてたびだちました。

 手を引き合う方法はK君とも成功。
 詩人と物語作家の誕生だ。




 
2009年1月13日 00時24分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年01月12日(月)
海中からきれいな太陽が昇って新しい最高の年が始まりました
 小学生の○○君が、新しい年の始まりのファンタジーを語った。

かいちゅうからきれいなたいようがのぼって
あたらしいさいこうのとしがはじまりました
しずかなとしのはじまりです
にばんめにちいさなとりがとんできて
じぶんのちいさなはねをひろげていいました
きぼうのしろいちいさなちかいをきいてください
いいしらせがあります
しらせのもうひとつちいさなものは
ちいさなにわとりがはこんできました
ねがいのきれいなろうそくをともして
にんげんによびかけました
ちいさいねがいをたいせつにしてください
ねがいはにんげんにはとてもひつようなものです
にんげんはちいさなねがいでもたいせつにできれば
ゆめをもっていきることができます
みんなゆめをもっていきていきましょう
ひかりにつつまれてしろいとりとにわとりは
しずかにとびたっていきました
ひかりをあびてしろいとりとにわとりは
きぼうにみちたくうきのなかをとびさっていきました
ちいさいねがいをいただいたにんげんは
みなみにむかうちいさなふねにのってふなでしました
にんげんはしろいとりとしろいにわとりからもらった
しろくかがやくきぼうをてにしながら
きぼうにみちたいいこうかいをつずけました
きれいなしろいとりは
みたこともないようなきれいなはねをひろげ
にんげんにしたがっていきました
きぼうのこうかいのぶじをみまもるためです
にんげんにはきれいなとりはみえませんが
ゆめをもらっていいねがいがのぞみにかわるのをしんじて
きぼうのこうかいをつずけました
きぼうのこうかいはにんげんにとって
しんじつをおいもとめるたびです
ちいさいゆめはひかりのなかからうまれて
きのうのかなしみをいやしてくれます
ちいさいしろ(…)

 イメージは次から次へと言葉を紡ぎ出していくようで、まだ文章は続きそうだったが、力尽きたという感じで、ここで終わってしまった。
 「ねがいはにんげんにはとてもひつようなものです にんげんはちいさなねがいでもたいせつにできればゆめをもっていきることができます」という言葉の中に、懸命に生きようとする強い意志を感じる。彼の前途には、嵐の海が待っているかもしれない。それでも、けっして願いを持ち夢を大切に生きていけることを祈る。

 
2009年1月12日 06時35分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年01月10日(土)
二人の青年の新しい年の始まり
 10年あまり前から関わってきて、先月、初めて、パソコンで気持ちを伝えられるようになった二人の青年がいる。ともに、知的障害の養護学校に通い、一人は、激しい自傷行為に特徴があり、もう一人は、自閉と呼ばれる状況にあって、二人とも、発語はなかった。手に、目立ったまひがあるわけでもなく、教材次第では、様々な操作も可能だっただけに、2スイッチワープロは、重い肢体不自由をかかえた方々に役に立っても、この二人には、通用しないであろうと思っていた。その二人が、先月から、2スイッチワープロで言葉を書くようになった。私自身も信じられないような思いで、今回も望んだ。
 最初の自傷の激しい○○君は、手を使うのを嫌ったので、肩にビッグスイッチと呼ばれる市販のスイッチを押しつけたり離したりしていると、選択したい場所でスイッチがはいりっぱなしになるということで、意図を読み取って文字を綴っていった。そして、以下の文章が綴られた。(句読点をくわえて紹介する。)

あけましておめでとうございます。いいいえがほしい。じぶんのいえで、ずっとくらしていけるいえがほしい。あたまでははなしができていても、くちではいえないのでこまっていました。さそっていただいても、てがつかえないのでつらかったです。きもちがことばでつたえたかったです。かたではなせるとはおもいませんでした。きもちがいいです。ちいさいころからはなしたかったです。ちがうたのしみがみつかりました。べんきょうがもっとしたいです。しりたいことがいっぱいあります。がっこうではちゃんとしたべんきょうしていないので、くやしいです。じゆうがほしい。きぼうがでてきました。なんでにんげんとしていきてきて、いいにんげんらしいいきかたができないのだろうか。くやしいです。てがかってにうごいてこまります。ちいさいときからこまっていました。ちいさいときは、いつかてがつかえるようになるとおもっていましたが、あきらめていました。たのしみは、がっこうでともだちとあうことでした。ききとりができても、こえではなせなかったので、うらやましかったです。きいていても、なにもりかいしていないとおもわれて、つらかったです。きくことができても、はなしができないと、しんじてもらえませんでした。いいたいことはたくさんあったけれど、きいてもらえませんでした。がっこうをそつぎょうしてからもおなじでした。ねがいはきもちをいえるようになることです。ちいさいころからのゆめでした。
 
 これまでの、つらかった日々の思いが切々と語られた。途中、彼は、大きな声で叫び声を上げるような場面もあった。気持ちが、そのまま声になっているのがわかったが、残念ながら、その声は、言葉になってくれなかったのだ。自由への思い、自立への思いも、いたいほど伝わってきた。
 また、文章が、一段落したところで、パソコンではなく、彼の手を握って、軽くふりながら「アカサタナ」と言う方法で、彼の気持ちを読み取ってみた。すると、選びたい行や文字で、確実にふっと力がこもってくる。今日、家に帰って聞きたいCDかビデオは何ですかという問いに対して、彼は、

むかしみたびでお。ととろ。

と答えを返してきた。一緒におられた先生方とも、簡単な単語に挑戦し、うまくいった。新しいコミュニケーションの可能性が開けそうなそんな予感がした。
 二人目の▽▽君は、とてもうれしそうに入ってきたが、どうも、長いこと座り続けることがこの日はいちだんとむずかしそうで、座っては立ち上がり一回りしてくるということを繰り返しながら、スライドスイッチで文章を綴っていった。
 今回は、途中から、いくつか質問をして、会話のように進んでいった。

いいきもち。きもちをいいたかったけど、いえなくてこまっていた。きぶんがいいです。きもちがいいたかった。
(お父さんにひとことお願いします。)
おとうさんいつもありがとうございます。しごといつもおつかれさまたいへんですね。がんばってください。
(お母さんにも一言お願いします。)
おかあさんいつもありがとうございます。からだにきをつけてください。しんぱいしています。
ちいさいころからはなしたかったけど、きもちをうまくいえませんでした。
(どうして手を服の中にしまってしまうのですか。)
かってにてがうごくのをとめるためです。
(服の中に手を入れるようになったのは、高等部からですよね。)
こうとうぶからとくにとめられなくなった。
(文字はいつどうやって覚えましたか。)
こどものときにおもちゃのつみきでおぼえた。
(お母さんから、冗談交じりに、心配なら、態度で示してよと言われて)
おかあさんごめんなさい。
さいきんじぶんがきもちをいえるようになった(…)

 最後の文は、まだ、続きがありそうだったが、二人とも、時計の長い針がきっちり12を示すと、さっとやめてしまった。今度理由を聞いてみたいが、次に来る人もいるし、気を遣っていたのかもしれない。
 本当に新しい一年になりそうだ。
2009年1月10日 22時52分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年01月09日(金)
ぬいぐるみのじんせいにおわかれすることができました
 都内のある通所施設でお会いしている女性が、気持ちを表現できることの喜びを述べたあと、北風の詩を書いた。

すばらしいじぶんのきもちをかけるのは
いしをつたえることができるようになってからなやみがなんでもいえるようになったのでせかいがひろがりました
じしんがでてきました
じぶんのきもちをきいてくれるのでたすかります
ぬいぐるみのじんせいにおわかれすることができました

きたのくにからふくかぜは
すなおなじぶんにねがいがかなうようにとふいてくる
きたのくにからふくかぜはさいはてのくにから
ちいさいじぶんにきぼうをつたえるためにふいてくる
きたのくにからふくかぜは
きのうのじぶんにじしんをあたえ
しらないくにのきぼうをじぶんにくれた
にしのくにからふくかぜは
かなしいこどものこえにみちあふれ
すぎたむかしとすぎたかなしみをつたえてくる
いいたのしいきぼうのかぜは
きたのかなしみをのせてきたのほうからふいてきて
じぶんにきぼうをくれる
じぶんにじしんとゆうきをあたえ
きたのくにからふいてくる
きたのくにからふくかぜは
じぶんにじしんとゆうきをあたえ
ひとりきりのじぶんにきぼうをくれた。

 家庭でも、ご両親とパソコンで気持ちが書けるようになり、生活が変わったとのことだ。
 重い内容の詩だったが、時折こみあげてくるような笑いとともに、とても満ち足りた表情で書いていたのが印象的だった。
 
2009年1月9日 21時32分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年01月08日(木)
人間が願いをすべてかなえられたらどうなるのか
 「苦難は希望への水路」、「手の中に美しい諦念を握りしめて」、「僕たちはけっして何もするわけでもなくただじっと言葉だけを使って生きてきた。しかも一度もその言葉を誰にも話さずに生きてきた(…)だから、言葉が研ぎ澄まされてくるのは当たり前のことなのです」というような言葉を表現してきた中学生の○○君は、次のように語った。句読点と漢字を適宜使いながら紹介する。

 新しい年と時代の始まりの予感がさざ波のように感じられ、いい一年になりそうです。
 たくさん夢が、ぬか喜びとならないようにと、希望に喜びを重ねながら、あしたこそ願いがちゃんとした日の当たるところにいけるように希望と幸いとを祈りに変えて、過去は、星空に輝く可能性の綺羅星に変えて、可能性の気づかない苦難が死に絶えてしまうように祈り続けよう。
 希望がすっかり昨日の思い出になってしまったら、その時こそ気にしていた素直な希望の死に絶えた奇妙な世界が訪れるだろう。
 ついに希望の澄み切った世界が訪れた時、しあわせはどういう形になるのだろう。しあわせは小さな喜びとなって、しあわせと呼ぶ必要もなくなるだろう。しあわせの形は変わったとしても、神さまはきっと願いを聞いてくださるだろう。
 しあわせの意味を希望の中に探すのではなく、一人一人の生き方の中に見いだしていかなくてはならない。希望の意味が変わってしまっても、いい希望は、変わらずそこにある。たとえ死は獅子のように襲いかかってくるかもしれないが、小さい僕は、一人苦闘を続けていくつもりです、人間としての希望をかなえるために、小さいと僕と小さい願いしか携えずに。

 そして、ついで、彼はこの詩に次のような説明を加えた。

 夢のような願いですが、人間が願いをすべてかなえられたらどうなるのかということを考えました。人間は、希望をかなえてしまうと死んでしまうしかないのでしょうか。小さい僕にはわかりませんが、小さい僕も、希望がかなえられる日を夢見てがんばろうと思いました。柴田先生はどう思いますか。

 思わず言葉に窮しつつ、私は次のように答えた。すなわち、確かに、すべての願いがかなえられた世界というのを考えることはできるし、仏教的な世界では、一人一人の小さな欲望を越えていくことで、すべての願いがかなえられたような境地を語ることがる。一方、キリスト教的な世界では、自分の小さな欲望や願いがいくらかなえられても、この世界のどこかにはいつも苦しんでいる人がいて、その人たちの苦しみがなくならない限り、自分の願いはかなったことにはならないという考えがある。どちらがいいとか悪いとかではなく、そんなことを考えさせられた、と。
 もう時間も迫っていたので、彼は、一言、こう述べて、帰っていった。

わかりました。また考えてみます。ありがとうございます。
2009年1月8日 13時03分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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生きることに疲れた人間こそ希望に近い
 秋以降、おりにふれて、いろいろな人たちに詩を書いてもらってきたが、多くの人たちは、その目的を「気持ちを静めるため」と書いた。ところが、今回の○○さんは、こんな書き出しから始まった。

しをかこうとおもうけどきもちがしずめられなくなるのがこわい
くしんしてくしんしてかんがえていないとできないのでこまっています
 
 どうも、詩を書こうとして、夜寝られず体調を壊してしまうようなこともあるらしい。
 そこで、そういう、人に聞いてもらうために頑張って作る詩とは別に、普通に自分の中で自分のために作っている詩はないかと尋ねた。すると答えは「ある」。
 そこで、自然に書いてもらった。

ちいさいわたし
ねがいをもってうまれてきて
くなんのひびをいきてきて
ちいさなしあわせをみつけた
きたかぜがきぼうのいみいっぱいおしえてくれた
いきることにつかれたにんげんこそきぼうにちかいと
きたかぜはきたのくにのきぼうをはこんでふいてくる
きたかぜにつかれたひとのきぼうと
いいふしぎなきぼうのねいろをきいた

 そして感想を聞くと、

きもちがいいです
かんがえてきたことをそのままかいているから
いいしですか

 とのこと。私たちにとっては、彼女の思いがこもったこの詩を言い詩だと思う。しかし、彼女にとっては、こんなふうに自然に考えていたものが、いい詩だとはにわかには思えなかったようだった。
 そして、次のように続ける。

かきたいのはいきかたがことばになっているようなしです
くしんしてもなかなかいいことばがうかんできません
きたかぜのことはしぜんとうかんできました

 そこで、私は、自分なりに彼女に語りかけた。いい言葉は、頭の中にあってそれを探し出すというわけではないのではないか。いい言葉は、自然とのきちんとした向かい合いの中で、まさに「自然に」生まれてくるのではないか。そして、彼女たちは、様々なハンディを背負っているので、自然とじっくり向かい合い、言葉をゆっくりと暖めることが、できるのではないかと。
 そして、こんな言葉でしめくくられた。

かけそうなきがしてきました
つぎはまたほかのしをかんがえてきます


2009年1月8日 01時25分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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自分で希望していいなら、悔いのない生き方をしていきたい
 今回のグループの中で、言葉の表現をしてもらうのに、大変時間がかかってしまった中3の女の子に、ようやくまとまった文章を書いてもらうことができた。物をつかんで操作をすることができるので、いろいろなスイッチ教材を使って、操作から入ろうとしたのだが、かえってワープロにつなぐことができず、パソコンでは、ノンタンの絵本のソフトを食い入るように見るというところで、何とか納得を得るということが続いていた。しかし、今回の文章にあるように、手の動きは、実は、必ずしも意図の通りに動くわけではなく、勝手に動いていることがあることがわかった。紐が好きとか、何でも振り回してしまうと言われるような動きは、意図に反した動きだったのだ。それが、彼女の理解を大きく誤らせていたと言わざるをえない。そうした誤りに少しずつ気づき始めて、前回、ワープロに挑戦したところ、名前と「かわいい」という言葉を書くと、とてもいい感じでやれた。しかし、また、時間が流れ、今回は、1年ぶりの再会だった。この1年の私の変化は、やはり小さくなかったと思う。相手の力をほぼ抜いてもらった状態で、スライドスイッチの棒を握ってもらい、こちらが積極的に小さくスイッチのオンーオフを繰り返していると、選択したいところで、小さな力が加わるという方法は、彼女のように、いったん力を入れてしまうと、いろいろな動きが起こってしまうという人には、特に、なくてはならない方法だ。
 そして、今回、いきなり、その方法に挑戦した。すると、最初に名前を書いた時点で、的確に、力がこもってきたのである。
 そうして、次のような文章が書かれた。

おかあさんありがとういつも
かのうせいにちょうせんしてくださってありがとうございます
きもちをことばでいいたかった
きもちてでつたえられるとはおもわなかった
(ワープロの音は聞こえていますか?)
きこえています
(画面は見ているのですか?)
みています
きもちがつたえたかったです
きもちうけとめていけじっとにんたいしていました
しんぼうしていたかいがありました
にんたいしてきてよかったです
あかるいあしたがみえてきました
うれしいです
きぼうがわいてきました
てがかってにうごいてしまってがぜんちいさいときからこまっていました
きもちいいです
ちからをいれていないのでだいじょうぶです
(字はいつ覚えたのですか?)
おかあさんがおしえてくれましたこどものころに
(どんな本を読んでもらいたいですか?)
くまのこうーふがよみたい
じぶんできぼうしていいなら くいのないいきかたをしていきたい
じぶんとしてはさいこうのいきかたをしたいとおもうけどなかなか

きもちがいいです

 「忍耐」という言葉が重く響く。私も彼女に忍耐を強いてきた一人であるからだ。
 彼女のことを誤解させる大きな要因である手の動きについても、的確な説明が本人自身からなされている。彼女のような動きをする人に対して、「いやがっている」「すぐ何でも手を出す」「ひものような物が好き」「気が散りやすい」など、たくさんの、的外れな言い方をあちらこちらで、どれだけ耳にしてきたことか。私自身、すべて、本人の意図的な行動と考えて、その意味を解釈してきたことが、必ずしも本人を大切にしたことにはならなかった。すべてが勝手に動いているかどうかということはまだわからないが、そう見ることが必要な運動は多いようだ。
 こうした、とんでもない的外れな関わり合いに彼女はよく耐えてくれた。その「忍耐」が今回の関わりを生んだ。
「自分で希望していいなら、悔いのないいい生き方をしていきたい」という彼女当然の願いの中が、こんなふうに控えめではなく、堂々と語られるような時代を、私たちは、早く呼び寄せなければならない。
2009年1月8日 01時22分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年01月07日(水)
北風と希望の詩4編 その4
 小3の○○君の文章は、次のように始まった

かのうせいをしんじてくれてありがとうございます
ちいさいときからはなしたいとおもってきました
しんらいしていますおかあさんのことを
いいじぶんになりたいとおもいます
すなおなじぶんです
きもちをわかってくれないひとにたいしてもりかいしてくれるひととおなじようにすなおなきもちでせっしたいからです
きぼうがわいてきました
にんげんらしくいきていきたいとおもっていますからきもちをことばでいいたかった
にんげんだからいいたいことがいいたいです

 ここで、詩について、みんなと同じ問いを投げかける。もともとロマンチックな言い方を好んできた彼だから、確信をもって尋ねた。そして、次の詩が書かれた。


しろいきぼうのきたのかぜは
どうしてじぶんにかたりかけるのだろう
ちいさいぼくはちいさいころからひとりぼっちだったけど
きたかぜはいつもぼくにはなしかけてくれた
さびしいぼくはにんげんとしてうまれながら
きもちをことばにすることができず
にんげんらしいくらしができないけれど
ちいさいぼくにもきぼうがあることをおしえてくれた
きたかぜはしろいゆきとしろいきぼうをともなって
ぼくにむかってふいてくる
きたかぜはいつもいいきぼうをぼくにはこんでふいてくる。

 その後、お母さんから用意された質問にそれぞれ答えていった。その中のいくつかを抜き出しておく。


てれびはつまらないです
いいばんぐみはきたのくにからです
みてみたいです
おんがくはすきです
どらまはきらいです
いいのもありますがころしあいやけんかはきらいです
ひらいけんのおおきなふるどけいです
いいきょくはすきです
がっこうのきょくではかなしいねがいのうたがすきです
そつぎょうしきのうたです
きのうのじぶんにさようならというかしがでてくるうたです
きもちきいてもらいたいし じぶんのきもちがつたえられたらどんなにすばらしいでしょう
きもちをつたえることができるようになるのがゆめです

 質が高く、美しいものが好きだということがよくわかる。有名な「北の国から」のドラマは、実際には彼は見ていないそうなのだが、きっと、そのタイトルになみなみならぬ思いを感じるのだろう。
 まだ、パソコンは私としかできないが、途中、「あかさたな」と言いながら手を引きあって、簡単な気持ちをうまく聞き取ることができた。きっと彼のことをとてもかわいがっているおねえちゃんが、手を取って、気持ちを聞き出せる日も遠くないかもしれない。
2009年1月7日 00時50分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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北風と希望の詩4編 その3
 小6の○○さんは、まず、年頭のあいさつから始まり、気持ちを表現できるようになった喜びについて述べた。

あけましておめでとうございます
ねがっていましたきもちをことばでいえるようになることを
かあさんいつもありがとうございます
いつもはんせいしています
きもちがいえたらいいのだけどなかなかじぶんのきもちがいえないのできにしています
きぶんがかわりやすくていいこでないことがおおいので
きぶんがいいです いいたいことがいえて
いいたいことがいえてしあわせです
きっといつかいえるようになるとしんじていました
かなってうれしいです
きもちをきいてもらえてうれしい
ねがいがかなってうれしい

 そして、詩を作ったことがあるかと尋ねたところ、「ある」との返事。そして、次の詩が書かれた。

いいきぼうのきたかぜ
しろいゆきをつれてふいてきて
ちいさなわたしにしろいゆうきをくれた
しろいゆうきはちいさいわたしにきぼうをくれて
ちいさいわたしはきたかぜにむかってさけんで
たびびととすぎてきたきせつのはなしをした
しずかなさけびごえをあげてしまって
きがついたらみたこともないきさきがあらわれていった
ちいさいわたしはおどろいてきたかぜにしつもんした
きたかぜはしらないのですか
きたのくににあんなにさびしいひとたちがいることを
いいきたかぜはこたえた
きたのくにのきぼうはさびしさのきわみにあるひとたちがねがったきぼうです
だからほんとうのきぼうです
きたかぜはきぼうのきたかぜなのです
きたかぜにむかってきたのくにのきぼうをききながら
ちいさいわたしはきたのくにのきぼうに
きっといつかちいさいわたしのねがいがかなうことをいのった
にんげんはきたかぜにきぼうをしろいゆきとともにいただき
しろいゆうきをもらう

さむいのはいやだけどきたかぜはすきです

 そこで、先に来た高1と高3の女の子が書いた詩を聞かせた。

たくさんのともだちがおなじことをかんじているのでおどろきました
きたかぜにきぼうをかんじているのがわたしだけではないことがわかってうれしいです
いいしでした
いいことばでした
きぼうがわいてきました
きぼうがきたかぜによってはこばれてきたみたいです
うれしいです
じぶんのきもちがいえるようになってうれしいです
きぼうがわいてきました
ありがとうございます

 北の国の希望は寂しさのきわみにある人たちが願った希望だという。あどけない顔をした小6の少女から、寂しさのきわみという言葉がするりと出てくることに、驚きを禁じえないが、これが、彼女たちの体験した現実なのだろう。私たちは、この現実から決して目をそらせてはいけないことを痛感させられる。
 
2009年1月7日 00時50分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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北風と希望の詩4編 その2
 感情表現が大きな声や体の動きに出てしまうことで、なかなか言葉を綴る働きかけができずに、時間ばかりが過ぎてしまった○○さんは、今年の春高等部を卒業する。前回くらいから、ようやく、簡単な言葉を綴れるようになったので、今回は、一気に、文章に挑戦してみた。最初は、そのことをめぐる思いが続いた。

うれしいしんじられない 
じぶんのいいたいことがいいたかった
きぼうがわいてきました 
じぶんのきもちをいいたかった 
いいきもちです 
きいてもらいたいことがあります
きもちをきいてもらいたいけどちゅういばかりされてしまいます
みためではんだんされていやです
にんげんだからちゃんとかんがえています
いいすいっちですね
きいてもらえてうれしい
ちいさいころからのゆめでした きもちをことばでいえるようになることが
きぼうがわいてきました
いいちからでいいたいことがいえてびっくりしています
かあさんいしをきいてくれてありがたいです
ちいさいときはきもちをいえるようになるとおもっていたけど かないませんでした
やっといえるようになってきぼうがでてきました
いいじんせいにしたいです

 そして、そのまま、北風の話になっていく。

きのういいことがありました
きたかぜがにんたいしているわたしにきぼうをすてないようにしなさいといいました
いいきたかぜでした
きたかぜはきぼうのきたかぜです
きぼうをしんじていきるようににんげんにふいています
にんげんはいいゆめをみていたいとおもいますがしんじていればゆめがかなうことがわかりました
いいりそうのきたかぜでした
きっとちいさいときからふきつづけてくれたのでしょう
しんじつづけてよかったです
ふつうのひとはきたかぜをいやがりますがにんたいしてきたひとにはゆめをはこぶかぜです
きぼうのきたかぜはきたのくにからふいてきてきたのゆめをはこんできます

 その後、お父さんのことに話が及ぶ。

おとうさんにもかんしゃしています
いいおとうさんです
きのうもいいはなしをしてくれました
いいゆめをくれました
いいひとになりたいとおもいます
いいくらしがしたい

 話が一区切りついたあと、直前の高1の女の子が書いた詩を朗読したところ、次のような感想が書かれた。

きたかぜについておなじようなことをかんがえているとはおもいませんでした
いいしでしたね
いいちからがわいてきました
きのうのきたかぜにかんしゃします
いいちからをちからいっぱいもらいました
いいあかるいはじまりになりました
きぼうがわいてきました

 4月からは社会人として羽ばたく彼女。ここまで来るのにずいぶん時間がかかってしまったけれど、間に合って本当によかった。

2009年1月7日 00時36分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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北風と希望の詩4編 その1
 これまで、頬でスイッチを押すことで文字を綴ってきた○○さんだが、今回は、こちらがスイッチを頬に押したり離したりして、選択の時にふっと力が入ってスイッチが入りっぱなしになるというのを読み取るという方法で行うと、たくさん文字を綴ってもらうことができた。
 ○○さんは、かつて、春に、次のようなすてきな文章を綴ったことがある。

きにうつくしくはなのさくみち
けいかいなうくれれきこえ
ほこうしゃこみあゆむ はある(=春)

 そんな○○さんだから、きっと詩を作っているだろうと、尋ねてみた。すると、次の詩をさらさらと綴った。テーマは、もう、数多くの人たちが表現してきた、北風と希望だった。

きたかぜにききたいことがあります
どうしててまねきみせてにんげんにふいてくるのですか
きぼうはきたのくににあるのですか
しらないせかいのきぼうをきたのくにからはこんできて
にんげんにしあわせをくださいます
きたかぜのじかんがみらいのきぼうにつながって
きっとしあわせなかんしゃをわたしにくださいます
さいはてのくにからふくきたかぜは
しろいきぼうのかぜです
いいきぼうのかぜです
しろいゆきとともにふいてきて
きぼうをにんげんにくださいます。

 うなずくことができる○○さんは、詩を綴りながら、深く満足そうなうなずきを何度も繰り返していた。
 そして、家でワープロの練習として、書いてみたい勉強はどんなものかなと尋ねると、

きれいなしをかいてみたい
くがみじかいし

と答えた。これから、すてきな短歌や俳句を、いっしょに書き写しながら、表現をいっそう磨いていくことになるだろう。
 そして、最後に、ゆめとして、次の一文を書いた。

じぶんでいきていきたいとおもうのでちからがほしいです だれかの

 高校1年の○○さんは、2009年の新しい年を、素敵な詩と夢とで始めることができた。
2009年1月7日 00時23分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月30日(火)
手を引き合ってできた伝え合い
 年末の一日、20代の女性、○○さんのお宅をおじゃました。お父さんから、お招きを受けたからだ。お宅へおじゃますると、さっそく、おいしいお酒をいただきながら、話に花が咲いた。○○さんは、お父さんに抱えられて一緒に食事をしながら、話に耳をすませている。
 ○○さんの食事も終わり、横になっているところで、だいぶお酒のまわった私は、パソコンではなく、手で話してみようと、彼女と手をつないで、手を軽く引っ張りながら、「名前を書いてみて」と頼み、「あかさたな」と唱えてみた。すると、的確なところで、私の手を引っ張るような動きがかすかに入ってくる。これはいけると、どんどん話してもらった。書き取ってもらわないと、文章を覚えているのは大変だったが、何一つ機械を使わずに、ただ、手を引き合うだけで気持ちが表現されていく。この方法は、別のところで、パソコンがどうしてもうまくいかない高校生に、考え出した方法をまねたものだが、その人の独自の方法というところでとどまっていた。もしかしたら、一つのコミュニケーションの方法として、広がりがある方法かもしれないと思った。
 以下は、そうして綴られた文章である。

(お母さんへひとことお願いします。)
疲れている、すみません、私のことで。
いつも疲労してしまって入院しないで元気でいてほしい。
四面楚歌の状況かもしれないけど、逃げないでがんばりましょう。
うれしい、手だけで話ができて。願いがかなうとは思わなかった。おねだりしよって思わなかったけど、書きたかった。
小さい願いだけど、言いたいことがあります。いつまでもお母さんには元気でいてほしい。意志が言えてよかった

(お酒は好きですか)
すきです。
(お父さんへもお願いします。)
元気でいつまでも働いてください。
(いつも口にくわえているタオルがあった方がいいですか?)
はい。指が痛くならないから。気持ちとは別に手が動いてしまう。気持ちがちょっと楽になりました。
知りたいことがあります。学校の先生、信じてくれますか?
心配です、聞こうともしてくれない先生がいっぱいいるので。願っています。みんなの言葉を知ってぬいぐるみの環境が変わっていくことを。


 ぬいぐるみの環境という言葉が重く響く。
 ここで、詩のことについても尋ねてみた。すると、次の詩が書かれた。

北風をごきげんにして
宇宙の人間に希望を与え
北の方から人間のため 吹いてくる
北風は 願い求めて吹いてくる


 彼女もまた、言葉によるコミュニケーションの閉ざされた世界の中で、言葉が紡ぎ出すファンタジーの世界を持っていた。
 新しい年が、○○さんにとって、いっそう良い年であることを心から願っている。
2008年12月30日 09時11分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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昨日の傷ついた心は希望に満たされて静けさの中でひざまづく
 21歳になった○○さんと1年ぶりに会った。前回は、まだ、うまく文章を書けるような援助ができなかったが、今回は、最初からスムーズに援助することができた。あっという間の1年ではあるけれど、私の側の変化を感じる。1年前は、まったくなすすべがなかったのだから。

きてくれてありがとう きのうからまっていました くれのいそがしいときにきてくれてありがとうございます

 初めて綴った文章がこれだが、まるで、前から書いているような自然さだった。そして、いくつか文章が続いた後、次のような思いが綴られた。

いいたいこといいたいとおもってきたのでうれしいです
しんじてくれてありがとう
いいたいことがいえたらいいとおもってきたけどあきらめていました
ゆめでしたきもちをことばでいうことが
じぶんのきもちがいいたかった
きちんといいたいことがいいたかった
いままでずっといいたいことがいいたかったけど
いえなくてくやしかったです
きのうからしばたせんせいをまっていてきびしいきもちがらくになりました


 そして文字を覚えた経緯についてやりとりした。

(文字はいつどうやって覚えましたか?)
ちいさいころにちいさいころにいさむくんがえほんでおしえてくれた
(いさむ君とは?)
ちいさいときのともだちです
きたいしていたけどじぶんではつかうことができませんでした

(もしかしたら自分で作った友だち?)
きもちがきいてもらえるこころのなかのともだちです
(本当に絵本を読んでくれたのは誰ですか?)
おかあさんとおとうさんです
きぼうがでてきました
いちばんいいたいことはきかいがなかったからじぶんひとりでおぼえたということです


 そしてお父さんとお母さんにメッセージはありませんかというと、満面の笑みを浮かべて次の文章を書いた。

いままでたいせつにそだててくださってありがとうございます
いいりょうしんにめぐまれてしあわせです
きになっていることがあります
しせつになったらきにくくなるのではないかということです
きにくくなったらむりをしないでください
ちいさいときからじぶんのことはじぶんでやりたいとかんがえていたのでだいじょうぶです
いいところがあったらしずかだったらどこでもいいです
きぼうがでてきました
きもちをいうことができるとはおもいませんでした
いいきもちです いいじかんです

(現在の通所施設はどうですか?)
きれいなところでちゃんとしたしょくいんがいてあんしんです
(以前、会った時、自分はショートステイの施設に入って、ご両親が旅行に行ったという話をした時、とてもいい笑顔をしたよね。あれはどういう気持ちだったの?)
のぞみでした おかあさんとおとうさんがいいじかんをすごすことが
だからいいえがおになりました


 ここでお母さんから食事の時のことについて質問ががあった。

いいたいみんぐでないとちゃんとのみこめないからじぶんでなかなかたべられないのでじかんがかかってしまう
(タイミングとは?)
のみこめそうなたいみんぐ
いいちゃんとしたたいみんぐだとのみこめます
なれないひとにはみためではんだんされてしまいきもちがしゅうちゅうできません
ちゃんとたべさせてくれるひとにはきもちがしゅうちゅうできます


 ここで、驚きを隠せないご両親をさらに驚かせる質問をした。詩のことだ。

かけます ちいさいころからしをつくっていました いいきぶんになるためです
きいてください

きにきをつないでもりをつくろう
ちいさいきからひろがっておおきなもりができる
いのりとともにちいさなきはきょだいなもりとなる
しずけさのなかでとりがうたいはながさく
ちいさなこころとこころをつないでゆめをつくろう
きぼうにみちたみんなのゆめを
きじのなくこえがしてきがついたらそこにはなにもなかった
いいきたのかぜがふき
ちいさなゆきをふらせた
きたのかぜはきぼうをはこぶかぜ
ねがいをにびいろ(鈍色)からしろいいろにかえる
きたのかぜはいいかぜだからきぼうをのせてふいてくる
きたからふくかぜにきぼうをちいさいじぶんはいただいて
きたのくにのきぼうばかりをまちのぞむ
きたのきぼうのしずけさはきぼうにいきるきたのくにのひとびとのもの
きのうのちいさなびょうきのようなくるしみをいやし きぼうにかえる
きのうのちいさなきずついたこころをいやし きぼうにかえる
いいじかんがながれ いいりそうのしずけさがちいさなじぶんをつつむ
きのうのきずついたこころは きぼうにみたされて しずけさのなかでひざまづく。


 いったん描かれた美しい情景は、雉の声でかき消されてしまう。しかし、そこで、もう一度、改めて希望をもたらす北の風が吹くという展開には、胸をつかれる思いがする。それだけに、獲られた希望は重みがある。

しをつくっているときもちがおちつきます きもちがしずまります
だからしをつくっています じぶんのためにつくっています


 そして、最後にひとこととお願いした。

きょうはとてもうれしかったです
きびしかったけどじぶんのいいたいことがいえてよかったです
きじのこえはいぜんちいさいしいかのなかでしりました
きじもなかずばうたれまい
きじはおとうさんとしょうわこうえんでもききました
いいこえでした
いいじかんをすごさせていただいてかんしゃしています
いいにんげんになりたいのできもちをきちんといえるようになりたいです。


 彼が気持ちを日々の生活の中で語れるようになるには、まだまだ越えなければならないハードルがいくつかある。しかし、そのハードルを越えるための歩みはすでにスタートが切られたといっていいだろう。彼が、その先に目指しているのは、いい人間になるということだ。その崇高な目標への歩みを、少しでも援助できるよう、さらに私自身の研鑽をつまなければならない。

2008年12月30日 08時08分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月28日(日)
いい人間…気持ちよく人のことを思いやることのできる人間
 27年つきあってきて、5月にようやく気持ちを表現することができた○○さんのお宅におじゃました。これで、文章を書き始めてから3度目の関わり合いになる。
 最初に彼が言いたかったことして、次のような文章が書かれた。

ちいさいときからのゆめでした きもちをことばでいうことが 
いいたいことがいいたいとおもってきた 
いいたいことがいいたいけどいえなかったのでくやしかったけど てではなせるようになってかんげきしています 
しばたせんせいはきっときもちがわかってくれるとおもっていましたが ちいさいころはいつかはなせるようになるとおもっていました 
いいにんげんになりたいとおもっていましたが ちいさい いいこのままではいられず きになっていました 
いいこになりたいとおもっていましたが きもちばかりでげんじつはきびしかったです くびをながくしてまっていていました このひがくることを
いいたいことがいえるようになったので これからはこころをいれかえていいにんげんになりたいとおもう 
いいにんげんとはじぶんのことだけをかんがえるのではなく きもちよくひとのことをおもいやることができるにんげんのことです 

 そして、彼に詩を作ったことがありますかと尋ねると、とたんに笑顔が浮かんだ。そして、書かれた詩。カ行が選ばれ、「き」が選ばれると、やはり、彼もかという思いがした。そして、「きたかぜ」という言葉が綴られ、生まれた詩は、以下の通りである。

きたかぜにきいてみましょう
きぼうはきたのくにからくるのですか
きたかぜにきいてみましょう
にんげんにとってしあわせとはなんですか
しらないくにのしらないきたかぜにきいてみましょう
しろいきぼうのしかはらいねんのふゆにはやってきますか
いいしらせはきたかぜがはこんでくるのですか
きぼうときぼうがかさなって
にんげんにいいしあわせをもたらします
ちいさいにんげん ちいさいじぶん
しらないくにのしらないところから
ひとびとにいいしあわせをあたえるために
きたかぜはいいしらせをはこんできます
いいきたのきぼうをつたえてきます
いいきたのきぼう
すばらしいちきゅうとすばらしいちきゅうのひとびとに
いいしあわせをはこんできます
いいいちにちをいままでくるしんできたひとびとにあたえます
いいきたかぜに
しらないくにのきぼうをはこびます
いいきたかぜはきたのくにからふいてきて
いいしあわせをきぼうとともにはこびます
いいきぼうといいしあわせがかさなって
いいしあわせをひろげます
いいしあわせをたくさんあふれさせます
いいきたかぜはきたのくにから
きぼうといっしょにひとびとにふいてきます。

 そして、その説明として次の文章が書かれた。これも一篇のしのようだ。

きたかぜはいいきぼうをはこんできます
きたかぜはいいうたをはこんできます
いいゆめをはこんできます
いいしらせをはこんできます
きたかぜとはきたのくにからふくかぜでしろいゆきをはこんできます
いいしらせをはこんできます
きたかぜというものにひとびとはきぼうのしらせをききます
ちいさいゆめいっぱいかかえてきたのくにからふいてきます
いいきぼうをもたらします
いいねがいいっぱいきたかぜははこびます
いいちいさいじぶんにいいきぼうをあたえてくれます
きたかぜのいみはいきることにくろうしたひとにしかわかりません
いいいきかたをしたいとおもいます
いいにんげんになりたいとおもいます
きたかぜというのはきぼうのきたかぜです

 ここで、お母さんが、どんな苦労をしてきたのと尋ねると、次のような答えが返ってきた。

いいたいことがいえないことと いいからだでいいようないきかたができないことです

 そして、お母さんが、ごめんねとあやまっていると、

いいじんせいです おかあさんやおとうさんにだいじにされて
いいかぞくにめぐまれてしあわせです

 即座に返事が返ってきた。そして、お母さんは、現在施設にいることや、施設で出されるペースト状の食事について、質問したところ、返事は次のようなものだった。
 
××××はいいところです
うちにいるとせわがたいへんだからきかれてもこたえにくいです
おいしくはありませんがきらいではありません
いいあじつけにしてくれますから
いいしせつだとおもいます

 そして、話は、7月の友だちにもやってほしいという話に続いていく。

しばたせんせいどうしたらきてもらえますか
ちかくにきたらよってくたさい りかいしてもらいたいともだちがたくさんいます きてもらえるとうれしいです

 計算について、自分で式を作って答えも書いてほしいと言うと、なんと、3桁のわり算を書いてきた。

325÷5=65
じぶんでがくしゅうした
きになっていたのできいてもらえてうれしい
きちんとおしえてもらいたかった

 そして、どんな歌が好きなのかと尋ねると返事は次の通りだった。

きもちがおちつくうたです きびしいときにいつもくちずさんでいるのはいつかのいいうたです

 いつかのいい歌とは、どんな歌か、歌詞を書いてみてと頼むと

きぼうというなのあなたをたずねて

 という出だしが書かれた。有名な歌なので私も知っているが、なんと、お父さんの話では、テープもCDも家にはあるそうだ。岸洋子の歌う「希望」である。彼は、希望の詩を作り、希望を歌いながら、ひそかに希望をつないできたということになるだろう。
 それから、再び、自分の話に。

きっとちいさいころちいさいこどものままでいたかったけどいつまでもそういうわけにはいかなかった
きっとじぶんでいきていけるとおもっていたけどいいきっかけがなくていしをきいてもらえなかったのでざんねんだった
いまはしかたないとおもっています
いいじぶんのじんせいをおくりたいのでこれからもよろしくおねがいします
きてくださいなかがわのさとに
しばたせんせいのことをみんながまっていますのでおねがいします
×××せんせいにたのんでください 
きてくれるようにきちんと おかおかあさんから
いちどきてください いつかかならず

 そして、最後に、次のように書いて、この日の関わりを終えた。

きいてほしいことがありますいちばんかなしいのはともだちがなくなることです
いままでになんにんもなくなりました
みんなきもちがつたえたいとおもっていたのにできずになくなってしまいました
それがくやしいです
いつかきもちをつたえたいとねがっていたのだろうとおもいます
こんごそういうことがないようにおねがいします
いのっています いつも
のこりのじんせいをこころからしんけんにいきたいとおもいます

 気持ちを伝えたかったけど伝えられずに亡くなってしまった人たちの思いを考えると胸が痛む。そして、彼の言うとおり、今後は、そういうことがないようにしなければならない。 
2008年12月28日 23時49分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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